※こちらの記事は2010年4月に撮影したものです。水上には2015年4月に再訪しております。
位置的に恐らく『白雲閣』

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『水上観光ホテル』
2007年10月に事業停止。負債額約6億円。
昭和28年に設立の地区内では中堅の老舗旅館。最盛期の売上は5億円。ところが団体客の減少に加え、平成16年発覚の温泉偽装表示で売上が激減した。直近売上は1000万前後まで落ち込み、営業継続が困難になった。施設は現在、都内の不動産会社が所有しているが、今後については未定。
※その後解体された跡地に新しいホテルが建設され、2022年11月1日「あらたしみなかみ」と言うホテルがオープンしました。位置的に恐らく『白雲閣』
1930年創業、廃業年不明(恐らく2005年に閉館)。
白雲閣は関東一円に存在したホテルチェーンで、倒産により軒並み閉館。正面玄関の写真はちょっとヤバイ感じがしたので消しました。
『旅館藤屋ホテル』
2009年2月17日に破産手続開始申立。負債額約22億。
明治8年創業。水上温泉街の中心地において温泉旅館「旅館藤屋」を経営してきた。施設は昭和46年に改装が行われ、平成の初期までは10億円を超える売上規模にあったが、当時から建物の償却負担が重く、赤字経営を余儀なくされていた。その後も消費低迷や設備の老朽化が影響し、売上は減少一途をたどり、近年は年商が2億円程度にまで落ち込んでいた。この間、金融機関の支援などで営業を続けてきたが、平成20年5月には行政より不動産が差し押さえられたほか、同年夏には金融債務の大部分が東和銀行の子会社、東和フェニックスに譲渡。更に、平成20年(2008年)後半からの景気後退により資金繰りは一段と悪化し平成21年(2009年)3月2日に営業を停止した。
※2022年、新オーナーによりリニューアル工事が始まっているそうです。 よくよく調べてみたところ、現存する水上の大型観光ホテルは聚楽と水上館以外はほぼ全てが民事再生法の適用を受けたり一度倒産してたりしていました。そう考えてみると、実質ゴーストタウンに近い物があります。
『ひがきホテル』
2005年2月民事再生手続き開始申立。負債額約28億。
昭和23年創業。平成7年、個室に食事処を設けた27室の「華翠亭」を増築。積極投資が裏目となり、温泉ホテル業界の長期低迷に加え、16年8月の温泉表示偽装問題、10月の新潟中越地震による関越自動車道通行止めが大きく影響した。
※追記 ひがきホテルは2016年11月21日、税金の滞納などから物件を差し押さえられ、営業停止。破産手続きを開始しました。負債総額は推定3億円。
『松乃井ホテル』(営業中)
2006年7月5日に民事再生手続開始申立、同日保全命令を受けた。負債額約40億円。元上毛新聞佐鳥俊一社長の妻タカ氏を社長に、昭和31年に設立。佐鳥グループの全面支援、相次ぐ設備投資で、後発ながら収容人員1000人の水上温泉トップクラスに成長。最盛期の平成5年6月期は40億円強の売上。しかし団体客の急減で、業績は急激に悪化。平成17年6月期は売上高21億2600万円で、1億2100万円の赤字となっていた。
こちらは現在も元気に営業を続けている『水上館』ですが、実際に宿泊しました。壁に昭和天皇が宿泊された時の写真もありました。天皇が泊まった時点で、箱根富士屋ホテルや日光金谷ホテル、ホテル雨晴などと同格となります。部屋はかなりの広さ。また、生花などの細部に行き届いた気配りも完璧です。いわゆる高級温泉旅館というものですね。確かに12600円でこのグレードは安かった。

温泉についてですが宿泊した当時まだ入浴経験も少なく、ちゃんとした評価は出来ませんが、ほとんど特徴を感じられず、本当に温泉?と素人ながらも疑問を持った記憶があります。恐らくは加温加水循環濾過による印象だったのではないかと思われます。
※この記事を書いた後の2013年8月、水上館は経営不振に陥り会社分割方式によって事業再生に踏み出しました。世襲で受け継いできた経営も後継者不在を理由に、温泉旅館の再生などを手掛ける経営コンサルティング会社に引き継がれています。旧運営会社だった室井商事は負債総額は17億円程度を残し解散。

温泉についてですが宿泊した当時まだ入浴経験も少なく、ちゃんとした評価は出来ませんが、ほとんど特徴を感じられず、本当に温泉?と素人ながらも疑問を持った記憶があります。恐らくは加温加水循環濾過による印象だったのではないかと思われます。
※この記事を書いた後の2013年8月、水上館は経営不振に陥り会社分割方式によって事業再生に踏み出しました。世襲で受け継いできた経営も後継者不在を理由に、温泉旅館の再生などを手掛ける経営コンサルティング会社に引き継がれています。旧運営会社だった室井商事は負債総額は17億円程度を残し解散。
メインストリートにある『米屋旅館』。ちゃんと営業しており日帰り入浴もやってます。改修する予算が無いとは言え、この荒廃ぶりは凄まじいです。
水上の観光産業の衰退は1982年の上越新幹線の開通から始まります。新幹線は高崎を出て上毛高原(水上のずっと手前)に止まり、急勾配を避けるためそのままトンネルに入って新潟へと抜けてしまいます。同時に水上で停車する特急列車は減少してゆき、都心からのアクセスが不便になってしまいました。
上毛高原からバスに乗れば猿ヶ峡温泉が水上までと同じくらいの距離で、それを機にこの猿ヶ京は雑誌やTV等でも頻繁に取り上げられるようになりました。また、新幹線乗せたがり屋さんのJRも在来線特急で水上に行かせるより上毛高原の利用を推進させました。
群馬県の温泉では草津、伊香保など有名な温泉がありますが、かつての水上もそれと肩を並べるほどの規模でした。衰退の原因は交通の便だけでは無く、地元観光協会や組合、ひいては町の行政などの努力の差が原因ではないかと思います。
草津や伊香保、四万、猿ヶ京、万座などには路線バス会社だけでなく旅館ごとに観光バス会社と契約して都心からの直行バスを走らせておりますし(現在は関越交通が高速乗合バスを1日1往復運行中)、サービスの向上や様々なアイデアで観光客を飽きさせない企業努力があります。一方企業や組合の団体旅行に頼っていた水上温泉はコンパニオンの数もパブやスナックの数も非常に多かったようで、温泉街全体が男性客をターゲットにしていたようです。女性客や家族連れの増加など、温泉旅行の多様化に乗り遅れた結果がこの廃墟群なのかも知れません。
潰れた施設を買い取り再生させるのが得意な、大江戸温泉物語や星野リゾートなども水上には手を出していません。
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