集落

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静岡県沼津市(2)、大岡地区、謎のバラック集落

沼津駅の北側は栄えておらず、現在は住宅街と工業地帯が広がっています。

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御殿場線の線路沿いを車両基地を眺めながら北東方向へ歩いていきます。

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途中、建て替えるのか閉鎖されたJRの社宅跡が。

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国道414号に出て更に歩き、大岡地区へ。やがて右手に古紙リサイクルの会社が。

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その向かい側に気になるバラック集落があります。

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用水路の脇、城壁のように囲まれた一画。この辺りは富士山の伏流水なのか水が豊富で、その水を活用するように工場が建ち並んでいます。

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工場の労働者が多いのか貧困層も多いようで、ここ大岡地区は沼津市内でも特に家賃が安いそうです。

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この木々に覆われた一画は、本当にたまたまGoogleマップの航空写真で目に留まったのです。

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もしかしたら朝鮮部落ではないか。そう思えてなりませんが、憶測の域を出ません。ただ再生紙業者と言えば川崎市の戸出無番地を思い出します。

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歴史的には戦時中、沼津に多くの軍事工場が建設され、労働力として多くの朝鮮人が使われていました。

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沼津駅南口のタコ焼き飲み屋サボちゃんが、早い時間から営業しているタバコの吸える飲み屋さんで、マスターをやられている地元出身のお兄さんに話を伺いました。しかし以上の集落について詳細は分からず。謎は謎のまま今回のレポートは終わります。また沼津を訪れ北口のスナック街で飲む機会があれば、この集落について情報を集めたいと思います。

石川県輪島市、間垣に囲まれた上大沢集落

能登半島の日本海側は内浦地区と雰囲気が一変し、荒々しい地形となります。

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海岸線は断崖絶壁となり、小さな河川が注ぐ狭い河口や山の中腹の僅かな平地に家々が身を寄せ合って集落を形成しております。輪島より集落と集落を結ぶ道は険しく、人の行き来を拒んでいるよう。

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輪島から西へ海岸伝いに行った上大沢地区。近隣の集落へ行くにも一度崖の上まで登り、峠道のような狭い道で尾根をいくつか越えて行かなければならない文字通り陸の孤島。もし富山湾側のように海岸線ギリギリに道を通そうものなら、日本海の荒波に一瞬で呑まれてしまいます。

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日本海側の集落の特徴として、海から吹き付ける北風から家々を守る間垣という囲いがあります。

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ここ上大沢地区のそれは集落全体を囲む大規模なもの。集落へ入るにも海側からだと、ご覧のような引き戸を開けて入ります。

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つい、ごめんくださいと言ってしまいそうな引き戸を潜れば集落が広がっています。

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振り返れば間垣の向こうに日本海。以前は北陸鉄道の路線バスも走っていましたが廃止され、2019年10月より輪島市によって「愛のりバス」というスクールバスが運行されています。輪島行きが朝2本昼1本、輪島発が昼1本夕方2本で、一応一般の人も乗れます。ただ運賃が一律100円で、輪島市に税金を払ってない他県者としては申し訳ない気分。タクシーを利用すると5000円以上掛かる距離だし。

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集落には狭い路地が張り巡らせられており家々の境界も曖昧。なんだか異世界に飛び込んでしまったような感覚。

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しかも集落のほぼ全ての家屋が板貼りの木造建築。国の重要文化的景観に指定されていますが、選定されたのが2015年。それまでにこれほど木造建築が密集して残っていたのは奇跡に近い。

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まるで映画のオープンセットのよう、と思ったら、ひと山越えた東隣の大沢地区では2015年NHK朝の連続ドラマ「まれ」のロケ地に使われていました。そのドラマ見た事は無いんですがね。

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集落は川の左岸(西側)に細長く、背後には山が迫っております。

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家々が密集しているため、路地のいたるところに消火栓があります。この狭さでは当然消防車など入って来れず、それ以前に輪島から消防車が到着するまで30分近く掛かる。火が出たら全滅の可能性だってある。

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このような隔絶された集落でも猫はいる。

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間垣は海岸から川沿いに沿って、ずっと続きます。谷が狭いため川伝いに風が吹き込むのでしょう。

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漁具でしょうか。海底のウニとかワカメとか取れそうな形。

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集落の一番奥には神社もあります。夏には祭も開催されていますが、すでに高齢化が進んでいるため山車の曳き手にも困っている事でしょう。

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集落の奥には川沿いに水田地帯が広がっています。いわゆる半漁半農を生業として来たようです。

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輪島の北東部にある千枚田は有名ですが、この間垣の里は直前まで全く知りませんでした。もっとも隣の大沢地区に民宿が一軒あるのみで、この上大沢地区には商店はおろか自動販売機すら無く、観光スポットとしてもマイナー中のマイナー。本当に明治大正から時が止まっているかのようです。

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間垣がニガタケという細い竹を使用してますが、まるで城壁に囲まれた都市国家のようにも見えて来ます。ウドを採って来たお婆ちゃんに挨拶するとにこやかに返事してくれましたが、ここまでの秘境となると村社会的意識も強かろうと想像します。

【日記】埼玉県秩父、小鹿野地方攻略その1

公共交通機関を利用し日帰りの旅をすると、周れる目的地がかなり絞られてしまいます。なので、何度か訪れて記事にしようと思います。そんな訳で下書き的な意味での日記です。
去年の12月は浦山地区の廃村群を巡りましたが、あそこのように見事な廃村が集中している場所って滅多に無いようで、と言うか、廃屋が解体されずにあれだけの数が残っている事自体奇跡に近いようです。過疎化、高齢化に伴い秩父の山には他にも多くの廃村が存在しているだろうという想像もしつつ、小鹿野地方の山村を巡って行きます。

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まずは西武秩父駅へ。スタートが遅れてバスに乗れなかったため、とりあえずGW直前にオープンしたばかりの日帰り入浴施設、祭の湯に浸かって策を練ります。こちらは駅直結の施設で地下2000mから汲み上げたナトリウム塩化物冷鉱泉を加水加温、循環濾過して提供されています。内湯、露天、共に広い浴槽がいくつも有りますが天然温泉は露天にひとつだけ。後は薬湯という名の入浴剤浴槽や、人工炭酸泉などでお茶を濁してます。唯一の温泉もあまり特徴を感じられないものですが、まぁ600円で駅直結で汗を流せるなら、と言ったところ。
しかし隣接するフードコートはGWの人出の多さに対応しきれておらず、名物の草鞋カツは開店1時間で売り切れ。他の店も午前中なのに40分近く待たされるという体たらくぶり。

※祭の湯はオープンして26日目にあたる2017年5月19日、規定値を上回るレジオネラ菌が検出されたため、営業を一時休止しております。
※6/8より営業再開されました。

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西武秩父駅から西武バスで小鹿野町へ。小鹿野からは町営バスを乗り継いで白井差口行きに乗り、途中の大谷橋で下車。小森川沿いの街道筋に伸びる大谷集落を散策。

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早速第一廃屋発見。いや、そうじゃない。廃屋探しに来た訳じゃないのに、なんか変な癖がついてしまっている。

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トイレはやはり別棟のようです。

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山道の途中から集落のあちこちに至るまで、多くの道祖神や祠などを見かけます。左端は馬頭観音。

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過疎化高齢化で寂れた限界集落を期待なんて言ったら不謹慎極まりないのですが、結構人が暮らしているようです。春風にそよぐ洗濯物。

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今回の目的地はここ、両神小学校大谷分校跡。斜面を少し登って俯瞰で撮ったのですが、背後には荒れた墓地が。墓石が倒れてたり石仏の首が無かったり、そう、荒れていたのです。

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昭和46年廃校。以後、林間学校として利用されており、校庭にはバーベキュー施設も完備されております。玄関前には真新しい靴なども置かれており、今でもちゃんと管理されている様子。

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裏手、つまり県道側に回ると、実は二階建てであったのだと分かります。

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隣にある民家は空き家になったのか、解体工事が進んでいました。

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県道に降りる手前に小さな祠。しかし中の木彫の仏像は無造作に立て掛けられている。なんか荒れてます。

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廃屋を見ると、ついつい撮ってしまいます。

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大谷集落を出て川沿いに歩いて行くと、双龍の巌という切り立った岩山が。室町時代からの伝説が残ることから、この谷には古くから人が住んでいたのだと分かります。

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やがて数軒の民家が残る堂上集落に。使われなくなった火の見櫓の周囲は平坦な草地が広がっております。かつてはもっと多くの民家があったのではないかと想像できます。

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拓けた里まで下りて来ると、小鹿野町市街地の外れに当たる薬師の湯という道の駅に出ました。ここからは西武秩父と三峰口、小鹿野町、それぞれに出るバスが出ています。
最後にこの薬師の湯でひとっ風呂。内風呂のみですが、そこそこ広い浴槽。24度の単純温泉を加温、循環濾過して使用しています。あまり特徴の感じられない浴感ですが、湯上りはさっぱりスベスベで気持ちのいいお湯でした。

また何度か小鹿野町方面には訪れますが、そのうち小鹿野町や秩父の市街地をレンタルサイクルで巡って見たいとも思います。

埼玉県川越市、廃村、握津集落堤外地

 前回に引き続き荒川中流域の堤外地を訪れます。今回は塚本より上流、JR川越線を越えた左岸、握津(あくつ)集落です。

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 さっそく民家跡を発見。ここは荒川の東側になりますが、住所的には川越市の飛び地となります。

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 生け垣が農村風景の面影を残しています。ここ握津は他の堤外地同様、大正時代に始まった荒川改修工事によって、堤防の外側に取り残されてしまった集落です。その堤防も現在高さを上げるための工事がなされています。

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 堤防の上から眺めると河川敷の水田地帯に雑木林が点在しているようにしか見えませんが、歩いて見ると生活道の痕跡があちらこちらに残っています。

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 昭和の初め頃までは渡し舟の船着き場などもあり、およそ70世帯、500人もの人々が暮らしていたそうです。しかし堤防が内陸部に築かれて以降、昭和5〜6年に20〜30戸が強制移転。それ以降、平成15年までに26世帯が自費で移転。しかし平成11年の水害で全18世帯が床上浸水した事をきっかけに、平成16年には国から移転補償予算が出るようになったため、平成18年までには全世帯の移転が完了したそうです。

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 廃村となった後、全ての家屋は解体され、現在このような空き地しか残っていません。荒川改修工事は東京を水害から守るためのものだったそうで、その際幾つもの集落が堤外地として犠牲になってしまいました。どこかダム湖に沈んだ村などを思い出します。

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 左奥の高台にも住居跡があります。よくある農村風景から民家だけが消え去っています。

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 僅かに残る遺構。確かにこの場所で人々は暮らしていました。

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 木製の古い電柱。川沿いに長く広がる大宮カントリークラブのための送電線と所々僅かに掛かる電線以外は、昔のまま時が止まっています。

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 しかしここも前回紹介した塚本集落同様、農地だけはそのほぼ全域が現役で使われていました。

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 水田の所々に建つ小屋は水を汲み上げるポンプ小屋かと思われます。

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 直進すると家々を繋ぐ生活道。左手は民家に上がる私道です。

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 こちらも民家跡。かなり立派な家屋が多かったと想像出来ます。

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 集落の中心にただ一軒、公民館の跡だけが解体されずに残っています。その入り口脇に庚申塔が残っていました。

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 公民館はすでに使われておらず廃墟と化しています。

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 公民館の左手前には集落の各所から集められて来たのでしょうか、馬頭観音やお地蔵さんなどが無造作に並べられています。しかしよく見るとお地蔵さんの首が!
 いかん、趣旨が変わってくる。急に怖くなって来ましたが大丈夫。少なくとも先日行った浦山地区みたいに熊は出ないから。

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 公民館左手には防火水槽が残っています。

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 そして裏手には雑草に覆われた廃神社が。どうもこの握津集落は、下流の塚本集落とどこか違った雰囲気が漂っているように感じてしまいます。

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 集落を抜けて荒川まで出ると大宮カントリークラブ。急に近代的かつ現実的な世界へと解放されます。
 なんだこの雲は!wwwww

埼玉県さいたま市、廃村、塚本集落堤外地

 JR京浜東北線浦和駅からバスで西へ、荒川の河川敷にある廃村を訪れました。

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 秋ヶ瀬公園の北に位置するこの場所は、サイクリングロードにもなっている荒川堤防の河川敷側にあります。私は20年ほど前、川口からサイクリングで来た際ちょうどこの辺りで引き返した記憶があり、その当時はまだ集落が存在していたのですが、まさか堤防の外側に村があるなど想像もしていませんでした。

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 堤防の東側には塚本の本集落が存在します。だいぶ宅地造成も進んでいますが、かつて堤外に住んでいた人々もこちら側に引っ越されました。

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 集落は上流側の外東地区に二軒、下流側の外西地区に十数軒あったとされます。まずは外東地区から。

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 家屋は全て解体され、跡地だけが散在します。

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 水田の真ん中に昔使われていた電柱と石碑のようなもの。どうしょうも無いくらいの逆光。

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 水田に水を引くポンプ小屋と昔の電柱。この堤外地は民家こそ消滅しましたが、耕地は今でも使われています。

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 次に外西地区へ入って見ましょう。廃村の奥、川べりには浦和軟式少年野球連盟専用グランドや大宮カントリークラブのゴルフコースなどのあるので、電線が張られています。

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 所々に残る集落で使われていた電柱は、時代を感じさせます。

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 もう使われなくなってしまった自治会の掲示板。

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 耕地のほとんどが現役で使われており、この日も軽トラなどの車4台、6人ほどの方が作業などをしており、廃村の雰囲気は正直有りません。

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 集落の移転は昭和59年から始まりますが、平成11年の水害がきっかけとなり平成14年には全世帯が補償を受けた上で堤防の内側への移転を完了しました。

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 もともとこの集落は大正時代に始まった荒川改修以降堤防の外側に取り残されてしまった形となり、以降も頻繁に水害に遭っていたそうです。

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 野生化した竹藪や雑木林の中に、幾つもの民家跡が残っています。

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 外西地区の中心には薬師堂と墓地が残されており、ここの「薬師堂のマキ」は市の天然記念物に指定されています。

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 この日、二人のご老人が堂内で茶飲話をされていましたが、このあとまだ何人か集まることになっているようです。元住民による集会などは、まだこの地で行われているみたいで、住居こそ無くなったものの、暮らしはいまだこの地で続けられている事が伺えます。

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 またこの辺りには野良猫が多く住み着いています。先祖代々暮らし続けている猫かどうか分かりませんが、元住民の方々が世話されているのかも知れません。

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 道端の小さな石祠のようなものが残されています。

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 薬師堂の右手の竹藪を抜け奥の道を荒川の流れる左手に歩いて行くと、八幡社の鳥居が残っています。この鳥居は平成元年に建て替えられた物で、当時はまだこの地で暮らし続けるという思いがあったのだと想像出来ます。

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 鳥居の奥、雑木林のトンネルを抜けると、拝殿こそ無くなってしまったものの、八幡社の小さな祠が残されています。奥は御玉霊神社で右は恐らく水神宮。ただこちらは参拝される人がもう居ないのか、あまり管理されている様子が伺えませんでした。
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