銭湯

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

豊島区椎名町、立ち食い蕎麦とか居酒屋とか

今、西武池袋線で池袋からひと駅目の椎名町に仕事で通ってます。

IMG_0338_Original

西武池袋線は山手線の線路をオーバークロスしながら右へ急カーブ。地上に降りると山手通りの下を潜って椎名町に至ります。沿線は踏み切りだらけですが、山手通りの下を潜るために高架化が出来ないんでしょう。

IMG_0294

現在の橋上駅舎は2011年完成。私はそれ以前に仕事で通っていた時期もありました。

IMG_0279

椎名町と言えば北口駅前の立ち食いそば屋「南天」。初めて食べたのはいつだったか、この店は昔からあります。

IMG_0300_Original

最近また仕事で椎名町に通う事になりましたが、なんと言ってもこの肉カレーうどん。数年ぶりに食いましたが、相変わらずガッツリ系で上手い。ランチタイムは向かいの交番のおまわりさんも買いに来ます。

IMG_0299_Original

立教大学が近いせいか下宿屋なども多くあったようです。最近では風呂無しアパートに住む貧乏学生なんてのも減って来てるでしょうけれども、周辺には3件ほどの銭湯が密集しています。

IMG_0295

南口にはその内の一つ、銭湯の五色湯があります。昭和27年創業で昭和41年には現在のマンションに併設されてた型となりました。

IMG_0297

一昨年、令和4年にリニューアルされたようで、とてもオシャレ。サウナもあり風呂桶なんて木の桶だったりします。シャンプーとボディーソープが備わっているのも有り難い。また、サウナ目的で若い学生さんなども入ってました。

IMG_0313_Original

北口から西に向かって短いすずらん通りと言うアーケード商店街があります。街は活気に満ちており、こう言う昔ながらの街が再開発などで消えない事を祈ります。

IMG_0315_Original

そのすずらん通りの入り口から右手、北へ向かって仲通り商店会。現役の店舗は少なく新築一戸建て住宅に建て替えられている所もしばしば。後継者不足なんでしょうか、あるいは相続税を払うために土地を手放すなんて話もよく耳にしますね。

IMG_0286

アーケードの途中に居酒屋さん。実はこの向かいの二階に以前行きつけの居酒屋さんがありました。かつて歌舞伎町コマ劇の裏でやってた一休と言う店なのですが、建物を追い出され椎名町に移転。しかしコロナ前に店を閉めてしまいました。今でも歌舞伎町当時の常連さんたちの集まりがあります。

IMG_0284

話が逸れましたが、その一休跡地向かいの居酒屋さん。店名が書いてなくてわかりませんでしたが、地元の常連さんたちが集まる賑やかな店でした。チャージ300円、生ビール650円、割り物550円、小鉢300円、ツマミは600円〜って言う感じ。

IMG_0298

アーケードの出口にはスーパーのサミットストア。その向かいにはお土産専門の焼き鳥屋さんが。ここは缶ビールで立ち飲みとか出来ないのだろうか。

IMG_0317_Original

サミットストアの前は踏み切りからそのまま北へ向かってサンロード商店街。心なしかこの界隈、電気屋さんが多い気がするのは気のせいか。またこの北口界隈は1930年代、芸術家のアトリエ付き借家が多くあったそうで、池袋モンパルナスと呼ばれていたとか。

IMG_0316_Original

すずらん通りの北側、一本奥に並行して西へ伸びるのは長小通り明和会、通称サミット通り。サンロードと交差した先の左手にサミットストアの裏口があります。ちなみに画面右側に写るラーメンチェーン店「福しん」ですが、北の要町で創業し、現在の本社が椎名町南口東側にありました。福しんは一度も入った事がないので試しに食ってみようと改めて行ってみたら、冷凍の自動販売機が並んでいるだけで店舗ではありませんでした。競合他社に勝てず撤退する店舗が最近多いとの噂も耳にしますが。

IMG_0321_Original

西武池袋線の反対側、南口は基本的に住宅街と言った感じ。その中にこれまた古そうなマンション。一階にはスーパーのマルマンストア、二階にはしまむらが入っており、南口界隈の台所を支えています。

IMG_0323

南口の西側、踏み切り渡ればサミットストア。その線路沿いに焼き鳥屋の鳥嶋があります。買い物帰りにお土産を買う奥様方が行列。居酒屋併設ですが18:50の段階で準備中のまだだったので、もしかしたらテイクアウト専門にしてしまったのかも。

IMG_0322

その近くにやきとん屋の「かど」。かなりの老舗のようです。

IMG_0324

19時までのちょい呑みセットは生ビールと牛スジ煮込みとハーフ枝豆で1000円。内容は4種類から選べます。割り物330円(宝焼酎使用)〜、串焼き一本100円、これは安い。常連さんに落語の師匠と弟子がおり漫画の話などが聞こえて来る。そう言えば近くにかの有名なトキワ荘がありますね。

IMG_0341_Original

くわの葉茶割り、蚕の餌やんと思いながら試しに飲んでみたら、これがなかなかスッキリしてて飲みやすい。ついつい何杯もおかわりしてしまいました。この店は昭和33年創業で今の大将は3代目。大将のお婆ちゃんが創業者で、当時から受け継がれているポン酢と醤油ベースの胡麻ダレが名物。この胡麻ダレ、甘味の中に酸味がありさっぱり系です。また、おんな酒場放浪記や吉田類などの取材も受けた事があるそうです。

群馬県伊勢崎市(4)、境町の銭湯さくら湯

利根川北岸からの帰り道として考えた時、東武伊勢崎線の境町から電車に乗って館林と久喜で乗り換えて帰るより、岡部まで戻って高崎線で帰る方が断然早い。しかし自転車で走る距離が倍以上ありもう足が限界なので、近くの境町を選びました。自転車で楽しようと思っても。結局無茶してしまいます。あと、赤城山から吹き下ろす風が向かい風で、体力を相当持ってかれました。

109402D0-ED7D-4493-8D1C-53A3AE51B11A

利根川の支流である広瀬川を渡った辺り、中島地区に差し掛かった所で「フセギ」を発見しました。

7A09B742-8011-4E4E-B218-935FEA6C66EB

フセギとは村に結界を張り疫病や厄災などを入れないと言う風習のひとつ。ほぼ全国的に存在し、辻切りとか道切りとも言われます。

E4CF936B-62EA-492A-A350-C2FC281DF778

この地域は神社のお札を下げる形ですね。フセギは以前、埼玉県東松山市でも見つけましたが、いつか特集記事みたいなのを組みたいです。

61897274-6840-477F-B2B8-9E4073DF8C5A

境町市街に入りました。去年訪れた際に見つけられませんでしたが、素晴らしい建物がまだまだありました。

7A428AD2-A6D5-4D74-A3BF-974BC0B6DBC6

まだ4時過ぎだと言うのに、日が短くなりました。それにしても、歩いて散策するのと比べて自転車で巡るのと格段に効率がいいです。

9071756F-BCAE-4A5D-A0B5-2CEB21AC4086

荒物とは雑貨より大きい、ほうき、ちり取り、ざるなど簡単なつくりの家庭用品だそうです。

F4707E53-F94E-4E60-88D0-183B83943FE8

と言うわけで、前回境町を訪れた時に立ち寄れなかった銭湯、さくら湯で汗を流します。

200E4B7D-23FC-48FE-8EE7-F743220AAF1A

この看板の時点でテンションが上がります。

B0CBD848-70BD-44A1-A059-DC1A900C1E8D

まるで倉庫のようなコンクリート建築。渋過ぎます。

62A4C9F5-2D20-48C3-A4FE-D150D4C6220C

これが本当のコンクリート打ちっぱなし!
昭和25年創業。屋根の形のひさしが有ったんですね。

20648EAA-A612-4253-A5B6-F35C453701A5

ロッカーも有るけど、地元の人たちは籠に衣類を入れる。お風呂セットもボトルキープのように並んでいます。常連さんがまだまだ居ると言う事ですね。岡部に戻らず境町に来て良かった。

6E879507-C90D-4E0F-8EB6-DEAD5785AF0B

かなり年季の入ったマッサージ機。動くかは不明。

ED17DA01-5E1C-43C7-B27F-C858CDA12743

一番風呂に入っていた二方の御老人が帰られた後、内部の撮影を許可していただきました。

32E576E7-B0FC-419B-99F0-B3466EFF4C2C

カランの上の照明が、玄関先に付いていたような照明。やられた。素晴らしいです。

0623C9DA-83CB-4563-A252-A525105DC722

井戸水を薪で沸かして薬湯に仕立てたお湯は42度。緑色の湯船は薬湯よもぎ湯。気持ちよくお風呂いただきました。

江戸川区船堀、9月閉店の東京健康ランド

仕事が早く終わり、たまには温泉に浸かりたいとランダムに検査してみました。すると江戸川区に「スーパー銭湯」ではない「健康ランド」の文字が。

3D675A16-7FFB-424B-9D7B-EE581DC08FBA

都営地下鉄新宿線で荒川を越えて江戸川区へ。船堀駅周辺は都営や公団(UR)の団地街です。奥に聳える展望塔は江戸川区のコミュニティセンター、タワーホール船堀。コンサートホールや映画館などが入っています。展望塔にも登って見たかったのですが、8/7から年末にかけて改装工事中で入れません。

61DEFB4A-9B77-4FA6-A140-59A1407DB885

船堀駅から荒川方面に少し歩くと打ちっぱなしゴルフ練習場があり、その向かいに東京健康ランドまねきの湯があります。ゴルフ練習場とオーナーが一緒なのか、駐車場は共用となっています。

638D12C4-019A-46E1-822D-9D111952BBF2

この東京健康ランドは昭和61年(1986年)営業開始の老舗。平成24年にカラオケボックスのチェーン店、まねきねこの傘下に入りました。真裏の二階に上がると、カラオケボックスまねきねこ船堀店の入り口があり、二階が全てカラオケボックスとなっている様子。

F79FFA52-387E-4260-AAEC-A406544AB8C8

内部の画像は公式サイトよりお借りしました。
入館料は館内着とタオル付きで平日2240円、土日祝日2440円。近年増えまくっているチェーン店系の日帰り入浴施設と比べると結構高い値段設定ですが、いわゆる「健康ランド」と言う物は本来それくらいの値段なのかも。そしてここはなんと朝10時から朝9時まで、23時間営業をしております。
しかしこの度、エネルギー原価高騰などを理由に9月3日をもって営業終了してしまうそうです。この値段設定でも経営が成り立たないと言う事です。

B9907B9A-FEEC-4108-AB61-D5F2375C200A

こちらも公式サイトよりお借りした露天風呂の映像。
肝心のお湯ですが、成分表が見当たりませんでしたが無色透明の恐らくは単純温泉。加水加温循環濾過塩素消毒有り。温泉マニアからしたら敢えて行こうとは思わないでしょう。しかし、ほとんどの浴槽が温泉浴槽で、ぬるま湯にじっくり浸かっていたら、ボディーブローのようにがっつり温泉の効能が感じられました。悪くない、いや、むしろ実力のある鉱泉ではないかと。

0173A38C-F63B-4D2B-8026-99E44DB60831

お食事処には宴会場とステージが。まさにバブル期に完成した昭和の健康ランド。都内ではここが最後の健康ランドど言っても過言では無いのではないでしょうか。これが来月閉店となってしまうなんて、実に勿体ない。お盆期間の17日に訪れましたが、家族連れで結構賑わっておりました。また、このまねきの湯の跡地は船堀駅周辺の再開発が計画されています。周囲には団地の古い棟なども残っているので、それらも取り壊されて行くのでしょう。

FC97C9ED-686C-4EF8-8C83-57242FAC7B3D

よくよく調べて見たら、船堀駅周辺には3軒もの温泉銭湯がありました。こちらは鶴の湯。大田区や川崎、横浜などには黒湯の銭湯が多くありますが、東京の東側、船堀限定で黒湯銭湯があったなんて意外でした。そもそも都営新宿線の船堀駅は昭和58年(1983年)開業と言う事で、街としても比較的新しい街ですが、この銭湯は地下鉄開業以前からあったような雰囲気。お湯は濃い目の紅茶色でサラサラしており微かなミント臭。典型的なモール泉と言った感じです。そしてこちらは銭湯料金なので520円。
次回は他の二軒の温泉銭湯にも行ってみたいです。

大田区羽田、羽田煉瓦堤と五十間鼻無縁仏堂

蒲田の東、羽田空港の手前は糀谷などの住宅街が続き、ちょっとした下町の雰囲気が残っています。

E3726C5B-3443-4B4A-AE91-A90C6EC7DA00

京急羽田線は穴守稲荷から地下に潜り、海老取川の下を通って羽田空港へ。通る電車のほとんどが都営浅草線の車両で、たまに北総鉄道。京急の車両が来るまで何本も見送りました。

A4897F25-5DF2-4B60-B15E-BF9BAC759732

穴守稲荷の駅は小ぢんまりとしており、大成建設が寄贈した穴守稲荷神社の鳥居があります。

17B99BFB-C782-497A-BE72-4341C3899780

駅前商店街はなかなかにして賑わっており、下町風情を残しています。ここでも京急の車両を待つのに何本も見送った。

70928419-E260-400C-9DAF-822E1A72258B

多摩川に向けて歩って行くと途中首都高の高架下に、銭湯の重の湯があります。

0BE83BFC-E495-48D6-9D49-ED12D4891E34

実に味わいのある建物。浴室には見事な富士山が描かれてますが、だいぶペンキが剥がれかけています。しかしお客さんは多く、ひっきりなしに人が出入りしていました。

044AB755-CE42-4746-8B6E-E2381C33D171

多摩川まで出ると羽田の渡し跡に突き当たります。この渡し船は江戸時代以前よりあり、江戸末期には穴守稲荷から川崎大師への観光ルートとして非常に賑わっていたそうです。

0928F421-1F67-4AF0-8CF3-088B19FE550D

しかし昭和14年に大師橋が完成した事で渡し船は廃止されました。その大師橋も現在真新しい吊り橋に架け替えられています。

0EDD44C3-8205-4176-91F0-47EAFFBDB9BF

羽田の地は古くから洪水に悩まされて来ました。そこで内務省により多摩川改修計画が立案され、大正7年(1917年)から昭和8年(1933年)まで、16年の工期を経て堤防上に鉄筋煉瓦造りの塀が建設されました。

B9AA2A6C-E056-41E0-8076-39BAD75875B4

かつて1632mもあったこの羽田煉瓦堤は、今でも道路沿いにずっと続いています。

090EB450-58F6-413B-A019-ACA7D603275C

特にこの羽田第二水門の辺りには、当時の姿を残している場所があります。水門と煉瓦堤の間は船溜まりとなっており、屋形船や釣り船が停泊していました。

776818B3-A6F7-47AD-BF82-DC255B88895F

右手の川側が堤外地となりますが、かつては桟橋、生簀、造船所、材木置き場、作業場などがあり、船大工、魚問屋、鍛冶屋などが住んでいたそうです。

2076C75F-0755-4A7B-9464-D60124654123

また、戦後の昭和20年9月、進駐軍により鈴木新田(現在の羽田空港)に住んでた住民約三千人余りが48時間以内の強制退去を命じられ、その一部がこの堤外地に移り住んだりもしました。

C77464FA-B505-4EBA-BED9-31E8E26B4450

そして昭和48年、高潮防潮堤として新たに外堤防が完成した事で、煉瓦堤はその役割を静かに終えました。

1B0A91A8-31AF-4AE5-A33E-68713E829084

煉瓦塀と煉瓦塀の間には板を差し込むような溝が。増水した時に塞ぐのでしょうが、外堤防が出来るまでは堤外地の家々は浸水します。

BB0577A3-0C87-40CF-A85E-12B59071431E

羽田では中世より漁が続けられており、昭和30年代までは海苔の養殖も行われていたそうです。飛行機が飛んでますね。

C52ACBD6-C78A-4ADD-9177-F600AB5119B5

しかし高度成長期の水質汚染などにより衰退し、現在では細々と漁が続けられているものの、釣り船が主な生業となっているとか。

2B4CCC43-7F79-4D65-B565-76BB2B561DF0

多摩川沿いに海側へ。羽田空港との間を隔てる海老取川が多摩川と合流する地点、小さな祠が川に突き出しています。

CC95D993-B1C9-4AA1-B189-6E880BB068ED

いわゆる洲に建つこの祠は五十間鼻無縁仏堂。ブロック塀や橋は平成16年に整備されたもので、それ以前は洲から階段を登って行ったと思われます。満潮時や増水の際にはお参り出来ません。意地でも飛行機を入れる。

F3AF2FCD-3AA9-4FB7-B3F9-B601F2D8F786

いつの時代から有ったかは不明だそうですが、かつてはここよりさらに海側の川面に角塔婆が一本建つのみだったとか。しかし昭和53年、護岸工事に伴い現在の位置に移設され祠も建てられました。

DC5577E2-C477-4D75-895D-2E1C2764C64A

無縁仏。つまり河口付近に漂着する水死体を供養するものです。関東大震災や太平洋戦争末期の空襲に際しては、かなりの数の水死体がここの洲に流れ着いて来たそうです。

41A19429-A3A7-4D60-977A-B95BCFDBC5F4

祠は今でも地元の方が花を供えたりして管理されています。どうしても飛行機を入れたがる。

561C7546-9624-48A0-8482-3C968236BD99

海老取川の向こうは羽田空港。右側は今年1月に全面オープンした住友不動産の複合型商業施設、羽田エアポートガーデン。中には日帰り温泉も有るのですが、料金がなんと4800円!インバウンド狙いにも程がある。行けるかそんなもん!

67DB6C31-2D60-49AA-9DBD-7E4E599726F8

川を渡れば羽田空港。移設された大鳥居があります。この、旧穴守稲荷神社大鳥居は移設する際に事故などが起き、よく祟りなんて言われました。

0F26047E-5212-4D87-ACB7-8C8806C80AAC

鳥居の脇には、かつてこの地に存在した羽田鈴木町(鈴木新田)の事が書かれています。まぁ、飛行場と言えば強制退去の話はつきものですね。

56C0A7C8-D934-41E0-8019-6411DB37BC03

以上です。あぁ、飛行機で遠くに行きたい。

荒川区南千住、三ノ輪橋駅周辺の下町風景

都電荒川線で三ノ輪橋に向かうのですが、その前に荒川車庫前で途中下車。

079A9D03-0BF2-48F6-B4B5-1CB3FFA72039

都電荒川線の車両基地である荒川車庫では2007年より、それまで車庫内に留置されていた古い車両が展示されています。こちらは昭和37年製造の7504号。

58FE00B4-50C9-470B-A03E-70F4BED1E997

車両が保存されている場所は車庫の手前で小さな公園として整備されていますが、土曜休日以外は閉鎖されています。終日解放してくれてもいいのに。こちらは昭和29年製造の5501号。

F30E278D-53AC-4FAA-8E1D-3541BE8150F4

ちなみに5501号が化粧直しされて一般公開される前の姿がこちら。公園が整備される前の2005年、許可を取って車庫内に入らせてもらいました。ちなみに以前訪れた毛呂山の新しき村に保存されている7022号も昭和29年製造。

5CE8F423-3C77-45C2-9A97-0FFD317BA92B

都電荒川線の終点三ノ輪橋駅。実際住所としての三ノ輪は南側にある地下鉄日比谷線三ノ輪駅周辺で、この辺りは南千住になります。

04ED3298-0B9B-40A3-953A-3F045CF475E7

三ノ輪橋駅から真っ直ぐ歩くと、煤けたガードのような所を潜って日光街道、国道4号線へと出ます。

3E643C96-578A-4839-BA2C-B4A584676EDA

そのガードのような物は昭和2年(1927)竣工の旧・王電ビルヂング。都電荒川線の前身の王子電気軌道の本社が入ったターミナルビルとして建てられたそうです。

2D4D069E-2973-4793-898D-D43A19067054

現在は個人所有の梅沢写真会館になっています。

C490223D-A5D7-455A-95A2-5D81083D40E2

地下鉄日比谷線三ノ輪駅方面に歩くと大関横丁交差点。特に再開発もされておらず一歩奥に入ればバラック長屋なんかもあります。

F5A08847-FF5E-457B-B439-4977966EC43D

渋いです。この辺の看板建築は戦後から変わってない感じがいい。三ノ輪にはかつて同潤会アパートなどもありましたが、十数年前当時は訪れながら写真も撮らず、鰻を食って商店街を歩いたぐらい。以来何年も来ていませんでした。荒川区自体なかなか来る機会が無い。

4B62EB63-6B3F-4932-BDC7-6ECD1190F18B

三ノ輪橋駅から梅沢写真館に行かず左手を見るとジョイフル三ノ輪商店街と言うアーケードに入ります。

37A694B7-FB60-4EDD-BCC3-835981A1C513

入るなり良い雰囲気の建物が。

199E6DBD-9DE9-4BC9-AB3E-C019D7AC3DA9

都電の終点と言う事もあってか、そこそこの賑わいは見せています。

F717A721-F01C-4216-AF4C-94C6C871DF19

こちらは大坂発祥の「砂場蕎麦」で東京に於ける最も古い「砂場」の店舗とされており、昭和29年(1954)建造の木造建築で荒川区の文化財指定を受けているそうです。

6FEB9729-C9E2-48BE-94ED-F0D4F4EDBFA2

その向かいにある銭湯、大勝湯。マンションの1階に併設されていますが、ビル自体がかなり古いです。中は広く人工温泉浴槽もあります。草津の湯は草津の湯の花を溶かした白濁のお湯。もう一つは和倉温泉の湯と言う事で、和倉温泉の塩分濃度を再現した塩化物泉。言ってしまえば塩水じゃん!www

792F8E27-8E19-4BAB-8D97-E6BBDA1714BC

ジョイフル三ノ輪商店街は昭和の建築物が昔のまま残っており、散策するだけで楽しいです。

FAE774A8-9185-4094-9D21-362A599A87DA

その商店街を抜けた住宅街にあるモツ系のお肉屋さん。大鍋でモツ煮込みが煮込まれており、お土産で家に買って帰る人が多くいらっしゃいます。インスタでこのモツ煮屋さんの店頭で缶ビール飲んでいた人がいましたが、大阪じゃないんだから、そこまで勇気はありません。

8BEE12F0-2F84-4122-8A58-6DDE8DA1FF1D

商店街から東側、隅田川方面に歩いて行きます。狭い路地に狭い間口の玄関が並ぶ。いわゆる下町ってやつです。

515B66CF-A90D-4E3F-86ED-997F12D73DFC

しっかし狭い。近頃は消防車が入って行けないと言う理由から都内各地で区画整理が進み、このような狭い路地も減ってきました。

32CB71A3-BAF5-4ED3-BFA9-2396D61835B5

屋根の低いバラック住宅は地方に行けば今でもよく目にします。ただ都内の路地の決定的な違いは必ずアスファルト舗装されているところ。どんなに狭い路地でも舗装されているんですよね。

D74643AC-BC91-4553-A880-24C0CC900369

幅も高さも末広がりなお宅。どうしてそうなった⁉︎

F7FB5FC6-F351-4A3A-A95D-1DB53FBBB9F6

歩いているといきなり井戸のポンプをみつけたり。この辺りは昭和20年(1945)3月10日に空襲を受けています。なのでこの井戸は戦後の物と思われます。

23412A39-275F-4A9E-A660-F072D166A92E

路地裏の三叉に井戸のポンプ。周囲の家々はここで生活水を得ていたのでしょう。

1918EF87-76A5-43E4-BE6C-341D08C695A0

駅から離れ、隅田川が近くなるごとに町工場も見え始めて来ます。建て増しされた渡り廊下でしょうか。こう言う所で生まれ育つと楽しそう。

33F80DAB-46BB-4DD4-A967-536CB79161E2

ここのところ埼玉や千葉などにばかり足を運んでいましたが、久々に東京の下町を散策すると楽しいです。

ED172CF3-075A-480E-B2E1-1A2B62AAC321

町工場が多くなるごとに新築家屋が多くなって来ます。不景気で工場を畳んで建て替えられてしまったのでしょうか。

10D6795D-9352-4921-932E-3ABE2A0A1CE6

やがて隅田川に突き当たると昭和2年竣工の千住大橋が掛かっています。ここは国道4号線(日光街道)が通っており、隅田川を跨ぐ橋としては江戸初期から掛けれれている、いわゆる交通の要衝でした。橋を渡れば、やっちゃ場のあった千住橋戸町。現在の足立市場があり、その先は北千住に繋がります。

関連記事
 足立区千住大橋、工場跡地の再開発と市場の街
 足立区北千住(1)、北千住駅周辺探索
 足立区北千住(2)、飲み屋街と路地裏探検
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ