鉱山

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栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)

足尾は銅山全盛期の1916年には栃木県内において宇都宮市の4万人(当時)に次ぐ人口3万8千人を抱えていました。しかし閉山後は人口の流出によって2千人にまで落ち込んでいます。かつて谷底にひしめき合うように長屋が建てられ現在ではそのほとんどが解体されましたが、歩いてみると消えた町の痕跡があちらこちらに見ることが出来ます。

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町の中心部だったわたらせ渓谷鉄道足尾駅周辺には、接待のための古河掛水倶楽部や重役役宅、所長邸宅(写真)、副所長邸宅、課長邸宅などが保存されています。中を見る事も出来ますが、あいにくこの日は休館日でした。

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手前に建っているのは旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫。

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周辺に建っている長屋も恐らくは役職の高い人たちの社宅。他とは違い垣根で囲まれています。

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空き家が多い中、まだ住まわれているお宅も。この辺りは課長クラスの社宅だったそうですが、全世帯風呂付きだったとか。当時の風呂は電熱棒を突っ込んで沸かしていたのですが、電気に関しては古河グループが中禅寺湖の下に自前で建設した発電所が有ったため、電気代はタダだったとか。

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廃屋となった辺りは雑草も生え放題。足尾の住宅は基本的に古河グループの社宅がほとんどだったので、平家の長屋造りが多いようです。

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足尾駅の裏手の斜面にも廃屋がありました。この家は一戸建てなので会社関係者ではなかったのかも知れません。

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さらに奥へと進むと廃長屋が二棟。山深い谷間なので少しでもなだらかな斜面があれば造成していたようです。

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足尾駅から先、川を越えたところに渡良瀬地区があります。

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いくつかの地区には最盛期の写真と解説の書かれた案内板が建てられているので、集落巡りするのも楽しいかと。

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こちらが現在の渡良瀬地区の様子。石垣が当時の面影を残しています。高い場所に住む人の方が位が高く、間取りが広かったりトイレが戸別で付いていたりしていたそうです。

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昭和30年の時点で879人暮らしていた人口も、現在では数軒が暮らすのみとなっています。昔は狭い部屋に多くて三世代が同居。子供が多ければ多いほど狭くなります。二人で住んでも六人で住んでも、社宅一世帯は一世帯。

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こちらの建物は共同浴場。鍵が閉まっていたので今でも使われているかどうかは不明。

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江戸期、2〜3軒の農家と耕作地しかなかったこの土地も、明治時代に入ってから古河鉱業の社宅が建てられて町が形成されました。

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ほとんどが更地となっていますが、まだ数棟の長屋が残り一部では人も住んでいます。

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渡良瀬地区の奥、支流の神子内川沿いに細い旧道を進むと、やがていくつもの廃長屋が見えて来ます。対岸には渡良瀬川を離れた国道122号が走り、その道は日光へと続いています。

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ここは田元地区と言い、鉱山住宅(社宅)の集落がありました。無人ながら多くの廃長屋が解体されずに残っています。

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ただ、藪がハンパない。そもそも7月に廃墟巡りをするのが失敗というもの。秋から冬に掛けて再び訪れる必要があります。

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右奥、藪の向こうに金属製の鳥居が。廃神社と思われますが、とても行くことが出来ません。

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基本的には無人ですが一番奥に工務店の建材置き場があるようで、廃材を燃やす煙が立ち昇っていました。しかしこれだけ長屋が残っているところを見ると、最近まで住人が残っていたのかも知れません。

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こちらは集会所跡。ここだけ草が刈られてます。しかし次の瞬間、右手の深い藪中でガサガサと物音が!姿は見えないけど獣がいる。途中、猿のものと思われる糞を見かけたので、恐らく猿だったと思います。しかしビビった。マジビビった。

続きます。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場
栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡

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終点の間藤駅を降りると目の前に古びた工場があります。

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どう見ても廃墟ですが、ここは古河機械金属足尾事業所となります。古河電気は何と無く聞き覚え有りますが 、あまり一般には知られてはいません。

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しかし古河は明治10年より足尾銅山で財を成し、財閥にまで上り詰めた名門です。今でも機械産業やマテリアル事業などを続ける巨大企業です。あのユニックも古河の傘下だし、あの富士通も古河電気工業とドイツのシーメンス社との合弁会社だったとか。

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間藤からさらに奥へと国道122号を進んでゆくと、やがて遠くに古河機械金属本山製錬所硫酸工場が。この辺りまで来ると亜硫酸ガスによる煙害で樹木が枯れ果てた山肌が見え始めて来ます。国道122号と言えば埼玉県民が「ワンツーツー」と呼んでいる幹線道路ですが、まさかこんなところに続いていたとは。

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製錬所手前の舟石林道を登って行きます。ちなみに製錬所跡は裏山の上に広大なソーラーパネル畑を造り、平成25年より電気を出荷しています。なので現在でも所内には事務所があり関係者以外立入禁止。さらに撮影禁止の看板もありました。不法進入しようとする輩がいるのでしょうか。

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この辺りではパイプが山肌を這っている光景をよく見かけます。地下水を逃し崩落を防いでいるのでしょうか、用途は不明。

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少し登ったところで見えて来るのは変電所跡。現在はすぐ奥に新しい変電所が建てられています。

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すっかり廃墟となっていますが、立入禁止のためがっちり囲われていました。この林道をさらに登って行くと坑道口である本山抗跡や、廃神社の本山鉱山神社などがありますが、今の季節は藪がハンパないので次回改めて訪れようと思います。

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足尾銅山は江戸時代から採掘が始まった幕府直轄の鉱山でしたが、幕末期に産出量が一気に落ち込みます。しかし明治10年に古河市兵衛が銅山経営に乗り出し、同14年に新たな鉱脈を発見。その後機械化、効率化が進み、より深く掘り進める技術が開発されるなどして産出量を増やして行きます。

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明治時代を通して古河鉱業(当時)の銅山経営は久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げ、20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長しました。(参照・Wikipedia)

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対岸より製錬所の遺構を眺める事が出来ます。製錬所は現在でもその施設を利用して廃酸、廃アルカリなどの産業廃棄物リサイクル事業を行っているそうです。足尾銅山は備前楯山を取り囲むように、この本山抗の他、小滝抗、通洞抗などがありましたが、この本山抗の施設が最も規模も大きく中心的な存在でした。

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明治期に亜砒酸も産出し、精錬の副産物として硫酸も生産していた足尾銅山ですが、同時に深刻な公害問題も起こしていました。この小学校の社会科教科書にも載った足尾銅山事件は、全国に足尾銅山の名を負のイメージとして知らしめたものでした。

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わたらせ渓谷鉄道で来る途中、通洞駅に到着する手前の左手車窓に見える廃墟は、現在足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選抗所跡です。足尾銅山は輸入自由化のもと、増大する海外鉱石の圧力と鉱脈の枯渇などにより、昭和48年には足尾銅山を閉山しましたが、公害対策に掛かる費用による採算性なども原因だったのかも知れません。

まだ続きます。

栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
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栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡

早くも足尾に再訪です。しかし足尾は調べれば調べるほど行きたい場所が増え続け、とても1日では廻り切れない事が分かりました。
東武特急りょうもうにて9:32相老に到着し、わたらせ渓谷鉄道への乗り換え時間が6分しかなく、ダッシュで1日乗車券(足尾までの往復を普通に切符買うよりお得)とトロッコ列車(臨時)整理券を購入。ただしトロッコ列車は満席になることもあるので事前に予約を入れた方が良いです。(この年の11月に訪れた際満席で乗れませんでした)

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わたらせ渓谷鉄道は1989年(平成元年)、JR足尾線の廃止に伴い第三セクターとして鉄道事業を引き継ぎ開業しました。

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途中、神戸駅のプラットホームに、往年の東武ロマンスカーを再利用したレストラン清流があります。時間があれば寄りたいところですが。

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通洞駅が近くなると、さっそく鉱山町の景色が車窓に広がってきます。写真は足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選鉱所跡。

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終点の一つ手前の足尾駅にはキハ35が雨晒しで残されていました。

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こちらはキハ30。2両とも足尾線を走っていた車両ではなく、八高線から譲渡された物だそうです。春夏秋と年に3回ほど、NPO法人によるイベントで内部も公開されるそうです。

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終点の間藤駅に到着したのは午前11時過ぎ。トロッコ列車は写真のWKT-510形+WKT-550形の他に、京王電鉄の車両を改造したトロッコ客車と12系客車を、長岡機関区より払い下げたDE10で牽引する客車列車(機関車入れ替えの都合から間々田駅起点)、計2種類の編成が走ってます。本当はDL牽引のトロッコ列車に乗りたかったのですが……。
目的はそこじゃないです。銅山訪れてるのに鉄っぽくなって来たので戻します。

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旧国鉄足尾線には、その先にある足尾銅山本山製錬所硫酸工場までの貨物専用線が走っていました。

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貨物列車は足尾銅山が閉山された1973年(昭和48年)以降も輸入鉱石による製錬事業が続けられていたために走り続け、国鉄が分解民営化された1987年(昭和62年)製錬事業の停止とともに貨物専用線も廃止となりました。

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足尾線廃止後わたらせ渓谷鉄道の管轄となりますが、橋梁やレールも殆どそのまま残されています。

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鉄橋の下を古い廃橋が潜っていますが、その先は古河機械金属の敷地なので立入禁止。

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渡良瀬川を渡った廃線跡は、南橋社宅脇を通り崖に沿って進みます。

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しばらく廃線跡を歩いて行きましょう。

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と思ったら鉄橋です。渡りませんよ?

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やがて支流の出川を渡れば本山製錬所貨物駅です。開業は大正3年。

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製錬所手前に保存されている橋は明治23年末竣工の古河橋。当時は道路と並んで線路も敷かれていたそうですが、国鉄の線路ではなく恐らく狭軌の専用線でしょう。馬車鉄道も走っていたと言いますが、いずれ改めて歴史資料館を訪れて勉強しようと思います。

続きます。


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栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光

日光からいろは坂の手前で左に折れ、日足トンネルを越えれば足尾に抜けられます。このルートを日光市営の小型バスが1日6往復しております。足尾は群馬県を流れる渡良瀬川の上流域ですが、住所的にはギリギリ栃木県日光市になります。

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群馬県側からはわたらせ渓谷鉄道(旧・国鉄足尾線)が桐生から1日11往復、週末はさらにトロッコ列車が2往復走っています。

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足尾銅山観光は終点から二つ手前の通洞駅にあります。終点の間藤まで行けば多くの廃墟や亜硫酸ガスによる煙害で木の生えなくなった山などがありますが、観光客にはあまり見せたくないという配慮から下の方に造った、というのは考え過ぎでしょうか。

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連休中だけあってか多くの車や観光バスまでもが停まっていました。

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今回の目的は「本物のトロッコ列車」に乗る事にあります。現在の乗り場から2001年まで使われていた昔の乗り場までの急勾配を、ラックレール(アプト式とは違うらしい)のバッテリーカー(写真左)に牽引されながら、ゆっくり降りて来ます。

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ここからは自走客車のみで一気に加速して坑内へと突入して行きます。

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あっという間に到着。乗客はここから坑内を歩いて入り口へと戻って行きます。本物のトロッコとは言えこれはあくまで観光トロッコであり、残念ながら作業員を乗せていた訳ではありません。

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観光トロッコの線路幅は914mmですが、実際銅山が現役だった頃は495mmの狭軌だったそうです。当時の機関車が坑内に展示されていますが、ちゃんと架線から電力を供給していたようです。

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江戸時代から明治大正昭和まで、それぞれの時代の採掘作業の様子が、リアルな人形で再現されています。

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暗闇の中の蝋人形は少々不気味。

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坑内を出て昔の乗り場まで出ると、実際に使われていた車両たちが展示されています。

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これらは蓄電池式機関車。確かに狭くて深い坑内で、ディーゼルの排気を出す訳にはいきません。

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こちらは架線式機関車。主要坑道の架線区間と支線の非架線区間があったそうです。

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通洞駅に戻ってまいりました。もっと色々撮りたかったのですが、電車一本逃すと2時間来ないもので仕方なく。
日光よりバスで足尾駅付近を通って来た際、車窓に五軒長屋の廃墟群や引き込み線の廃線跡、足尾駅構内のキハ35など、二度見するような物件が多く有りました。今回はあまり時間もなくじっくり足尾町を廻れませんでしたが、また近い内に再訪したいと思います。ていうか来週行こうかな!


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埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(前編)

 砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

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 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

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 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

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 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

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 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

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 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

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 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

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 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

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 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

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 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

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 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

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 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

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 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

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 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

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 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

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 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

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  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

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 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

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 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。
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