鉄道写真

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栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡

早くも足尾に再訪です。しかし足尾は調べれば調べるほど行きたい場所が増え続け、とても1日では廻り切れない事が分かりました。
東武特急りょうもうにて9:32相老に到着し、わたらせ渓谷鉄道への乗り換え時間が6分しかなく、ダッシュで1日乗車券(足尾までの往復を普通に切符買うよりお得)とトロッコ列車(臨時)整理券を購入。ただしトロッコ列車は満席になることもあるので事前に予約を入れた方が良いです。(この年の11月に訪れた際満席で乗れませんでした)

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わたらせ渓谷鉄道は1989年(平成元年)、JR足尾線の廃止に伴い第三セクターとして鉄道事業を引き継ぎ開業しました。

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途中、神戸駅のプラットホームに、往年の東武ロマンスカーを再利用したレストラン清流があります。時間があれば寄りたいところですが。

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通洞駅が近くなると、さっそく鉱山町の景色が車窓に広がってきます。写真は足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選鉱所跡。

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終点の一つ手前の足尾駅にはキハ35が雨晒しで残されていました。

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こちらはキハ30。2両とも足尾線を走っていた車両ではなく、八高線から譲渡された物だそうです。春夏秋と年に3回ほど、NPO法人によるイベントで内部も公開されるそうです。

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終点の間藤駅に到着したのは午前11時過ぎ。トロッコ列車は写真のWKT-510形+WKT-550形の他に、京王電鉄の車両を改造したトロッコ客車と12系客車を、長岡機関区より払い下げたDE10で牽引する客車列車(機関車入れ替えの都合から間々田駅起点)、計2種類の編成が走ってます。本当はDL牽引のトロッコ列車に乗りたかったのですが……。
目的はそこじゃないです。銅山訪れてるのに鉄っぽくなって来たので戻します。

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旧国鉄足尾線には、その先にある足尾銅山本山製錬所硫酸工場までの貨物専用線が走っていました。

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貨物列車は足尾銅山が閉山された1973年(昭和48年)以降も輸入鉱石による製錬事業が続けられていたために走り続け、国鉄が分解民営化された1987年(昭和62年)製錬事業の停止とともに貨物専用線も廃止となりました。

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足尾線廃止後わたらせ渓谷鉄道の管轄となりますが、橋梁やレールも殆どそのまま残されています。

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鉄橋の下を古い廃橋が潜っていますが、その先は古河機械金属の敷地なので立入禁止。

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渡良瀬川を渡った廃線跡は、南橋社宅脇を通り崖に沿って進みます。

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しばらく廃線跡を歩いて行きましょう。

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と思ったら鉄橋です。渡りませんよ?

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やがて支流の出川を渡れば本山製錬所貨物駅です。開業は大正3年。

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製錬所手前に保存されている橋は明治23年末竣工の古河橋。当時は道路と並んで線路も敷かれていたそうですが、国鉄の線路ではなく恐らく狭軌の専用線でしょう。馬車鉄道も走っていたと言いますが、いずれ改めて歴史資料館を訪れて勉強しようと思います。

続きます。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場
栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

【日記】帯広〜釧路、久々の汽車旅

帯広のスナックで飲んでいたら外は白み出し午前4時。温泉ビジネスホテルふく井さんに急いで帰って速攻寝るも起きたらすでに12時。この日は釧路に移動しなければなりません。

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14:47発釧路行き各駅停車。キハ40北海道仕様車なんて何十年ぶりでしょうか。

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乗り鉄だった少年時代を思い出します。当然冷房無し。窓を全開にしてディーゼルのエンジン音を聞きながら風に目を細める。懐かしい昭和の汽車旅の感じ。

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すれ違いで小さな駅に停まってはホームに降りて風を感じてみたり。

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すれ違う特急スーパーおおぞらを撮ってみたり。

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海沿いに出たらいきなりの霧。うたた寝する間に気動車は尺別駅に到着。

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この駅、駅前がほぼゴーストタウンとなっております。霧に包まれた廃屋たち。まるで異世界に飛ばされたよう。後に知った事ですが、この場所は2010年公開の映画『ハナミズキ』のロケ地だったそうです。映画のロケっていうのは、よくもまぁこう言う場所を見つけるものです。

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濃霧の中をスーパーおおぞらが爆音を轟かせながら通過して行きます。

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この辺りの線路は波打ち際、畦道、線路、崖。それ以外何もないという、北海道らしい風景が続きます。この何も無さが大好き。

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やがて車窓には馬主来沼の湿地帯。

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釧路駅に到着したのは夕方6時過ぎ。およそ3時間20分の長旅でした。それにしても、まさかの濃霧。釧路は今の季節、霧が多いそうです。知らなかった。

台東区上野(3)、東上野再訪2016

 東上野は2011年に一度散策しています。当時の様子はこちら。しかし先月より仕事で再び訪れる機会を得たので、軽く散歩してみました。

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 首都高の向こう側、鶯谷寄りに東京メトロ銀座線の上野検車区が地上にあります。ここの地下には広い車両基地があり、隣接するビルには運転区の職員が仮眠する施設や、運行管理センターなどもあります。

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 地下から這い出てきた車両は地上の踏み切りを通り、4~5編成しか入線できない地上階の車両基地へと入って行きます。ここは昭和2年12月、銀座線の開業にあわせて建てられました。以前の記事にて書きましたが、ちょうど関東大震災の復興建築事業として現在の上野駅舎や下谷小学校、同潤会上野下アパートなどが建てられた時期と重なります。ちなみにこの踏切、日本で唯一の地下鉄の踏切となります。

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 その踏み切りの脇に、かなり渋い居酒屋が残っていました。こちらは戦後建築でしょうか、なかなか趣きのある看板建築です。関東大震災以前のこの辺りは下谷万年町と言い、江戸時代から明治大正に掛けて東京の三大貧民窟のひとつと言われていました。しかし震災で壊滅した後、現在ではその面影を伺い知ることは出来ません。

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 以前撮影した下谷小学校跡は今もそのままの姿を残していますが、同潤会上野下アパートは2013年に解体されてしまいました。現在跡地には地上14階建ての分譲マンション(三菱地所)が聳え建っています。

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 それでも付近にはいまだ昭和の建築物が幾つも残っています。こちらはマンション裏手にある銭湯の寿湯。

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 長屋造りや下町らしい狭い路地などもありますが、以前訪れた時と比べだいぶ歯抜け状態になっており、コインパーキングだらけとなっています。これは想像ですが、住んでいた高齢者が亡くなられて、相続税対策に土地を売った、なんてことも少なくないのかもしれません。

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 またこの界隈にはお寺も多くあります。昔から変わらぬ佇まいを保ち続けるのはお寺さんばかりとなってしまうのでしょうか。

文京区小石川、下町の昭和建築物群

 本郷から坂を下りて、今度は都営三田線春日駅付近を散歩します。

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 高台の下、いわゆる庶民の住む下町は関東大震災と東京大空襲、二度に渡って焼け野原となりました。狭い路地を入れば戦後建築と思われる木造建築がそこ此処に残っています。

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 路地を迷いながら歩いていると、いきなり井戸なんか見つけて嬉しくなります。防火用水と書かれていたので、生活用水としては既に使われていないのでしょう。

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 前回の本郷の記事より樋口一葉繋がりの流れで、終焉の地の石碑を見つけたりしました。現在は巨大なマンションとなっています。

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 小石川の流れていた谷底は現在の千川通り。協定上高い建物が建てられない高台と違って、中高層マンションが多く建てられています。そんな中、商店街を形成していた長屋のような一角も残っています。

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 本郷の木造建築とは明らかに違って、バラックに近い木造建築。まさに山手と下町と言った感じ。

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 千川通りは別名共同印刷通りとも呼ばれていますが、この共同印刷の建物もかなり古く、写真の一号館は昭和10年造。

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 こちらの九号館は昭和8年造。この建物の外壁に等間隔で設置された共同印刷の蛍光灯看板がカッコいいのです。またこの近辺には共同印刷の下請けの印刷工場が多くあります。多いと言っても近年ではネットの普及に伴い印刷業界そのものが衰退しているため、潰れてしまった工場も多いようです。

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 共同印刷から東へ少し入れば広大な小石川植物園となります。その脇で、何やら団地のような建物が解体されようとしています。ここは恐らく小石川植物園の敷地に入り込んでいるので、植物園を管轄する関係の宿舎か何かでしょうか。

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 印刷工場で働く労働者などが集まっているのか、やはり高台の上の本郷とは明らかに街の雰囲気が庶民的なそれへと変わっています。

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 春日駅近くは商店街として賑わっております。すっかりビルだらけとなってしまった商店街ですが、昔の看板建築のままな店も数軒残っています。

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 さらに下って行けば丸の内線後楽園駅。起伏の多い地域なので、地下鉄が地上に出てしまう区間も多くあります。

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 後楽園駅北口にある礫川公園。その公園内の植え込みを入って行くと、旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠の試射試験場という地下施設跡がひっそりと佇んでいます。

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 こちらの物件、以前帝都を歩くさんで紹介されていた記事を読み、去年の夏頃通りすがりにスマホで写真を撮っていました。こういう、誰にも知られていないディープな物件、大好きです。

大田区仲六郷、六郷土手駅周辺のドヤ街

 京急六郷土手駅は蒲田から2つ目。ホームの先は鉄橋で、渡った先は川崎市となります。

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 まさにリバーサイドな街。JRは京浜東北線もスルーする東京23区の最南端となります。

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 駅前はそこそこ栄えている商店街。当然ながら各駅停車しか止まらないのですが、10分に一本は電車が来るため、便利と言えば便利。

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 潰れたスナックが駅前に放置プレイ。しかしどこか昭和なセンスが格好良かったりします。

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 温泉銭湯の蒲田温泉が目的で訪れたのですが、この界隈はいわゆるドヤ街。確かに「最果て」な空気が漂っていますが、知りませんでした。駅からすぐ、住宅街の中に簡易宿泊施設が多く残されております。

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 大田区は町工場が多くあるイメージしかありませんが、どのような仕事があるのでしょうか。或いは、ただ単に辺鄙という理由からドヤ街が形成されたのか、対岸の川崎市戸出同様、多摩川の砂利を運ぶ労働力が必要だったのか。定かではありません。

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 窓を開け放った部屋が多く見られる事から、結構人が住んでいると思われます。

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 南に歩けば、すぐ多摩川の河川敷に出ます。

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 野球グランドやゴルフ練習場などのある河川敷。しかし草むらの中では、ホームレスのブルーシート集落が形成されています。

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