遊郭・カフェー建築

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東京都八王子市、田町遊郭跡

東京の西の外れ八王子市。市街地は広く立派な地方都市と言った感じです。

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八王子と言えば駅ビルにもなっていた「そごう」の存在が大きかったのですが、2012年に閉店。現在では多くのテナントが入るファッションビルとなっています。

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かつてデパート全盛期には西武百貨店(1993年閉店)だったビル。奥に見えるドン・キホーテは元々長崎屋(2011年閉店)だったビルです。東京の都心から少し離れた近郊都市には、かつてデパートが乱立していた時代があり、他にも伊勢丹や大丸などもあったそうです。

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線路沿いには路地裏飲食店街などもありそうと思い、八王子駅の北西側を歩いて見ましたが、古いままの激渋路地裏などは見つけることが出来ませんでした。

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昭和の名残りと言えばスチュワーデスとか。既に潰れている様子。

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さて、今回の目的地は市街地の北の外れにかつて存在した田町遊郭の跡地です。周囲からして見ればここだけ広い通りはかつてのメインストリート、遊郭大門通りとなります。

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振り向いて東側を見るともう店仕舞いしてしまった旅行代理店。遊郭とは関係ないですが、デカデカと国内旅行計画と書かれた看板が渋い。

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大門跡から西に進みまず左手に見えるのがこの建物。八百福と言う屋号の料亭があります。ただ位置的に街路樹の植えられている所から遊郭だったと言う話もありますので、ちょうど大門の前に位置していたのかもしれません。

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向かいに建つのが蓬莱と言う屋号の遊郭。田町遊郭は明治30年に起きた八王子の大火によって、市街地にあった飯盛り宿を移転した事が発祥だそうです。ただ屋号については大正期の資料によると全く違っていて、位置的に福万だった可能性があります。

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裏に回って覗いて見るとこんな感じ。空襲も逃がれ長らく続いて来た遊郭ですが、昭和33年の買春防止法施行後徐々に衰退して行ったとされてます。

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高い所から見るとその全容が明らかに。売春防止法以降は赤線地帯として発展する事も無かったため、戦前の遊郭建築がそのまま残っているそうです。

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間口に対して縦に長いことが分かります。

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最後に、大門通りを奥に進んで右手に残る建物。大万と言う遊郭だったとか。

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合計三棟しか残っていませんが、都内に残る遊郭建築は非常に貴重な物です。

埼玉県本庄市、昭和の街並みとスナック街

本庄は元々中山道の宿場町でした。

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現在ではモータリゼーションによって郊外の幹線道路沿いに出来た巨大商業施設に客を奪われた、よくある寂れたシャッター商店街が連なります。

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市内からは北に赤城山から桐生にかけての山々、西には神流川流域の山々が遠くに望む事が出来ます。写真は旧本庄商業銀行煉瓦倉庫。

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至るところに漆喰が使われ換気口が設けられ、担保としての生繭や生糸を貯蔵するための倉庫として明治29年(1896)に建てられました。

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明治16年(1883)に鉄道が開通してからは更に交通の要衝となり、地理的に熊谷と並び北関東の養蚕地帯と都心を結ぶ中継地点であった事から街が栄えました。

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市街には栄華を誇った時代の建物が幾つか残されています。こちらは国登録有形文化財の本庄仲町郵便局。

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こちらは県指定文化財の旧本庄警察署。結構古い建物は多く残されているのですが、街並みとしては保存されてないので観光資源としては弱いです。

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こちらはガラスや陶器を扱う戸谷八。創業永禄3年(1560)と言うから、よ、460年前? 桶狭間!? 確かに戸谷家は利根川水系の廻船問屋で永禄3年に現在の太田市から本庄へと本拠地を移して名主を務め、1751年より砂糖と陶磁器の商いを始めたとされてます。

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間口45mに対し奥行き90m。何気なく撮って後で調べてみれば、まさに本庄の歴史を語る上で欠かせない名家中の名家じゃないですか。地の利として本庄は利根川に鏑川や神竜川が合流する舟運の要衝でも有り、ただの宿場町ではありませんでした。

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古くは中世から江戸期、明治大正昭和と発展し続けて来た本庄ですが、多くの地方都市がそうであるように栄えたのも昭和まで。こちらは映画館の旧・本庄シネマGIN座跡。

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明治大正期の歴史的建造物などに目が行きがちですが、昭和の木造建築も多く残されています。こちらは看板建築長屋。丸窓が印象的です。

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ことごとく廃業していますが、これらの建物も非常に貴重な昭和遺産です。

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こう言った物がこれからの時代、観光資源になって行くと思うのですが。

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そんな街ブラするだけでも楽しめる本庄ですが、ここからが本番。街の繁栄と共に当然花街や歓楽街としての発展もありました。

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一本路地を入れば、そこかしこにスナックが点在しています。

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バラックみたいな民家かなと思えば左奥に気になる構造物が。

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ここもスナック跡でした。住宅街の中に忽然と姿を見せるので油断なりません。

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こちらはかつて路地裏飲食店街だったのでしょうか。左手が空き地となっているので当時の様子を知ることはできませんが。

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しかし空き地の奥に飲食店の入り口跡らしき物が。

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これだけ栄えていた街だけに古くは宿場町の飯盛女から遊郭まで存在しました。二階の欄干がそれっぽいですが確証は得られません。

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丸窓がいかにもな建物。埼玉県は明治8年(1875)に廃娼県となりましたが、群馬県から合併された本庄と深谷だけは遊郭が存続されました。しかし明治27年(1895)には群馬県も廃娼県となり、その頃には本庄の遊郭も消滅。

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しかしながら公娼が料理店の名目で私娼となっただけで色街は残り続けました。

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しかし廃娼県においてその存在はあくまで闇であり、戦後の赤線時代もあったかも知れませんが記録や資料が乏しいそうです。

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ふと、気になるバラック長屋を見つけました。

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この窓、普通の民家だろうか。

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塀があって門を潜って玄関と言う造り。

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本当にただの民家かも知れませんが、ただの長屋でこの造りは何とも。

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共同の水場もあります。この辺は昭和以前の長屋って感じですね。

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いわゆる私娼は黒歴史なので、あまり触れちゃいけない部分でも有ります。

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真相は分かりませんが、ちょっと興奮しちゃいました。

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最後に激渋理容室を幾つか。こちらは蔵をリノベーションした理容室。観光地化するポテンシャルを秘めています。

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これだけ古い建物でも現役で営業しているのが凄い。

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おいおい本当かよ!とついツッコんでしまった理容室。室外機そこでいいのか⁉︎
本庄、なかなか奥が深い。

埼玉県飯能市、飯能花街跡と名栗川沿いのバラック群

今回は埼玉県飯能市、飯能駅周辺を歩きました。飯能は観光地として川越と比べられがちですが、最近ではアニメ「山のススメ」の聖地として注目を集めてます。山のススメ以外でも今年の冬アニメ「弱キャラ友崎くん」の中でも名栗川上流域が夏合宿の舞台になったり。

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かつてはセメント輸送の貨物ターミナルなどがありましたが、その敷地はだいぶ整備されました。1992年開業の駅ビルであるPePeにもかつては西武新宿同様にプリンスホテルがありましたが、現在では経営が変わりホテルヘリテイジ飯能となっています。

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北口を西へ向かいます。駅の近くには軒数こそ減ったものの、ビジネス旅館が残っていました。

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丸窓が有ったりモルタルの意匠が凝っていたりして、転業旅館か?などと一瞬思ってしまいますが詳細は不明。

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こちらも渋いビジネス旅館。林業や毛織物産業、セメント鉱業などで発展して来た街なので、出張など多くのビジネスマンも訪れていたのでしょう。

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中心街にはなかなか渋い建物も多く残っています。

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おしゃれのさわや。商店街が元気だった頃の名残りです。

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さらに西へ進むと土蔵造りの屋敷などが見え始めます。

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棟瓦やうだつがやたら迫力満点な土蔵造りの「絹甚」は明治37年創業。もしこのような立派な建物が多く連なっていたら、川越みたいな観光地になってたのに。

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土蔵造りだけでなく戦前の木造建築も残されています。こちらは閉業した歯科医。ただ大火もあったそうなので、一部と言った感じです。

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こちらは大正11年建造の飯能織物協同組合事務所跡。一応史跡なんですが、あまり整備されていない様子。

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商店街から南を流れる名栗川にかけて、かつて花街が広がっていました。こちらは現在鰻屋さんですが元は料亭で、二階三階に座敷などもあった様子。

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裏手には庭園を望む欄干が。

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こちらも花街の名残りとして残る料亭。明治期には芸妓さんが100名もいたそうです。

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タオルを干している料亭の裏にはカフェーっぽい建物が。埼玉は廃娼県だったため赤線などの記録は残っておらず、このような所から推察するしかありません。

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狭い路地裏スナック小路だった所が、片面解体されて駐車場になったため、陽光に晒されています。かつての花街はスナック街として栄えていたのでしょうが、現在では分譲住宅と駐車場で歯抜け状態です。

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花街の南を流れる名栗川。その上流方向、西へ進み市街地が途切れる辺り。県道から河川敷に降りる道があります。

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川沿いを歩いて行くと、バーベキュー用品のレンタルや食事、宴会なども出来るという、川遊びに来る観光客相手の橋本屋があります。東京Deep案内を始め多くのサイトで紹介されている物件ですが、平日だったためか閉まってます。暖かくなって来たし休日などには営業しているかも知れませんが、ここは手書き看板貼りまくりの推しの強い施設だとか。カラオケというのが気になります。レーザーカラオケとかハチトラとかだったらどうしよう。

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名栗川から見た橋本屋。昭和の夏休みを感じさせる施設ですね。名栗川と言えば以前白岩石灰採掘所跡廃村白岩集落などで上流域を訪れました。

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上流側、左手を見ると、何やらバラック群が。

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観光地としての名栗川沿岸に関係している建物でしょうか。

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背後の崖の上に県道。なかなか微妙な立地条件ですが、ここは雰囲気から言って不法占拠とかそう言うのじゃないような気がします。

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平家建てのように見えて実は二階建てだったり。

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見上げれば県道沿いの傾斜地住宅が。思うに県道がちゃんと整備される前から、川沿いに住み着いていたのではなかろうか。

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そんな謎を残しつつ、夏に来て見るのも良いかなと思いました。水、綺麗だし。

神奈川県横浜市、鶴見の三業地跡と青線跡

鶴見駅周辺は2010年4月に軽く訪れただけだったので、今回改めて訪れてみようと。

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鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。

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この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。

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鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。

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このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。

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地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。

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この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。

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鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。

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商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。

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工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。

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アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。

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名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。

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ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。

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駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。

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一番奥に残るカフェー建築。

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周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。

静岡県伊豆長岡(2)、歓楽温泉廃墟群

今では有名温泉地、修善寺の影に隠れてしまいましたが、かつて歓楽温泉として栄華を誇っていたのが伊豆長岡温泉です。前の記事で紹介した古奈地区から源氏山を挟んで東側、古奈地区は吾妻鏡にも記されており1300年以上前から存在すると言われていますが、メインストリートのある西側の長岡地区は明治時代の開湯だそうです。

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温泉駅バスターミナル。各地の温泉街ではよく見かける旅の起点とも言えるバスターミナルですが、車で来られる方がほとんどととなった今では、他の温泉街同様閑散としております。

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バスターミナルの目の前はお土産屋さんではなくコンビニ。その左手には2010年に廃業したゆもとや旅館。すでに典型的な寂れた温泉街です。

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温泉街のメインストリート、その名も温泉場出逢い通り。伊豆長岡は戦後に保養地として乱開発され、温泉を掘り過ぎた結果湯量の激減、温度の低下などが起こりました。熱海や草津など莫大な湧出量を誇る温泉地以外、有名温泉地と言われる所は大抵このパターンに陥ります。伊豆長岡温泉では発覚されませんでしたが、最悪の場合温泉偽装問題にまで発展するケースもあります。

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近くには共同浴場もありますが、コロナ禍に伴い長期休業中です。源泉枯渇の危機を迎えた伊豆長岡温泉事業共同組合は温泉集中管理組合を設立し、集湯管で約38もの源泉を纏めて二ヶ所の貯湯槽に溜め、混合泉として分配するという方式を採りました。この混合泉という考えはその後全国に広まって行ったとか。

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こちらは巨大廃ホテルのさかなや。聞いた事あるなと思いましたが幼少の頃、旅行好きの両親が私の産まれる前に泊まった事があり、旅館のパンフレットが実家にありました。その頃パンフレットを見て、非日常的な雰囲気に想いを馳せていた事を思い出しましたが、当時は明治40年から続く老舗高級旅館だったようです。まさかこんな再会になるとは。
しかしここより裏手の山の中腹に、さかなやホテルアネックス茜という宿泊施設があります。アネックスと言えば旧第一ホテルグループ、現在の阪急阪神ホテルズです。買収された後、旧館を捨てて新館で細々と続けているのでしょうか。しかし公式サイトを見たところ、ピンクセクシーTバック150分プラン23500円〜なるものが。コンパニオンプランを推した歓楽温泉は滅んでいなかった!ていうか、老舗の高級日本旅館だったはずのさかなやさんが、知らぬ間に男性団体客目当ての歓楽ホテルになってたなんて!

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さかなや旧館の左手、この奥に広大な敷地の廃旅館があります。残念ながら奥へは入れそうな雰囲気では無かったのですが、Googleマップの航空写真で見ると小高い山の山頂にいくつもの離れがある事が分かります。

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その向かいにあるのが2016年3月末で当面閉鎖となってしまった南山荘。

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文化財クラスの建物が広い敷地に点在しており、一部では有名な物件。公式サイトも残っており中も綺麗に管理されているようですが、営業再開の目処は未だ立っていません。星野グループ辺りが再建してくれればなんて思ったり。

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温泉駅バス停から出逢い通りに入らず西に進むと、スナックなどが連なる歓楽街となります。

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とは言っても、それも過去の話。その多くが廃業しており、どれくらい生き残っているのかは夜に訪れてみないと分かりません。

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このような路地裏もあります。

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生き残っているスナックも大抵がタイ人スナックで、闇風俗を行っている所も多いとか。

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この路地の奥は更地となっていましたが、さぞ妖しい路地裏だった事でしょう。上山田温泉や伊香保温泉同様、都心の取締りから地方へ逃れて来たタイ人女性たちが流れ着いて来たパターンでしょうね。

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バス停近く、南側の山間に入って行く路地。この辺りは香ばしい雰囲気。

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この辺りはかつて赤線の中心地帯だったという話もあります。

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現在では廃スナックと民家が混在している感じ。

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表は歓楽スナックの造りですが、中身は赤線時代の建築です。

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裏に廻れば湯気抜きが確認出来、温泉浴槽も有る事が分かります。

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そして路地の最奥部にあるのがこちら。もう廃業している様ですが、スナックっぽい入り口が残っています。

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しかし裏手に回り込めば赤線時代の名残りが。

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凝った意匠の窓。現在は普通の民家として住まわれているようですが、この建物についてはもっと詳しく知りたいところです。


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