赤線青線跡

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群馬県富岡市(2)、富岡の街並み

さて、富岡の市内を巡って行きます。

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富岡にはまず高崎駅0番ホームより下仁田行きの上信電鉄に揺られて行きました。

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車両は昭和56年新潟鉄工製の6000系がまだ現役で走っています。

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長い直線を高速走行すると激しく横揺れ。実に懐かしい感覚です。

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さすが世界遺産登録されただけあって、駅は綺麗に建て替えられています。

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駅前には富岡倉庫があります。右手の赤煉瓦造りは1号倉庫で明治34年建造。

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こちらの2号倉庫は大谷石造りで大正12年建造。この倉庫の向こう側に上信電鉄上州富岡駅があり、いわゆる上信電鉄の貨物輸送のための倉庫で、かつては線路が横付けされていたと思われます。

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2号倉庫の先に繋がっているのは明治33年建造、木造土壁造りの3号倉庫。

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3号倉庫の向かいには明治36年建造の乾燥場があります。富岡は駅前から明治大正期の建造物が出迎えてくれます。

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二階の乾燥場に繭を上げるベルトコンベア。

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さて、富岡倉庫から南へ歩いて行きます。東西に走る下仁田街道の手前、路地にあるのが神部医院。

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病院ですがどう見ても料亭のような造り。かつてこの界隈は花町として栄えていた時期もあるので、その名残りかも知れません。

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下仁田街道に出て西へ。少し歩くと左手に阪本耳鼻咽喉科医院が。商家の隣に増築された建物は大正建築でしょうか、詳細は不明。

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製糸場西通りを左、南へ歩きます。この先は富岡製糸場の裏門に続きます。

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ひさしがひしゃげてますが、この二階の欄干は料亭か何かだった事を思わせます。最大38名の芸者が置屋に席を置い ていたとされていますが、昭和58年頃には消えてしまったとか。

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右に曲がると大正湯と言う銭湯があります。臨時休業と書かれてましたが昼過ぎには煙突から煙が立ち昇っていたので、午後3時には開店していたのかもしれません。次回は入りたいところ。

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下仁田街道の南を併走する銀座通りを東に歩きます。こちらは料亭でしょうか。明治大正から昭和中期まで製糸業で栄えた富岡ですから、当然接待などに使われた料亭も多かった事でしょう。

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折れてます。いつ倒壊してもおかしくない。富岡の街は2011年の東日本大地震の後、2014年に豪雪被害を受けてます。度重なる災害で半壊した家屋も多かった事でしょう。

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花街の名残りとしてスナックなども点在しています。かつては遊廓から戦後の赤線まであったそうですが、いかんせん群馬県は廃娼県だったので資料が全く残ってないそうです。

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二階に欄干があるだけで花街の名残りではと思ってしまいますが、なんとも言えません。

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富士屋食堂。数年前までは営業してたみたいなんですが、訪れた時には既に廃業。ここで昼メシ食いたかった。

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銀座通りを東に進んで行くと右手に狭い路地が。この路地は二町通りと言って現在寂れたスナック街となっています。赤線とか有ったのはこの辺でしょうか。

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現役のスナックです。夜は夜で多少賑やかなのかもしれません。

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ふと目に留まった民家ですが、この六角形の窓はただの民家では無さそう。

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ニ町通りの奥にある廃墟スナック。左手の軒が崩れており、危険物件と言う事で行政から解体するよう言われているみたいです。

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御金処。いわゆる質屋さんですが、かつては左側にも建物があり相当狭い路地となっていたようです。後ろめたさから人目を忍んで狭い路地へスッと消えてゆく、みたいな。

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銀座通りを更に歩くと右手が三町通りと言う路地になります。こちらは現役の割烹料理店よろづや。こちらも三業地(或いはニ業地)の名残りでしょうか。

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銀座通りの南、富岡製糸場の正門から東へ伸びる城町通りに出たところに建つ民家に「梅本」の看板が。こう言った看板、元は置き屋だったのではと考えられます。この向かいにかつて昭和6年(1931年)に消防団の詰所として建てられた江原時計店の建物があったのですが、残念ながらすでに解体されていました。

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町中の喫煙所。富岡市は分煙運動を進めており、市内のあちこちに灰皿が設置されています。私個人的な話になりますが、喫煙者としては頭ごなしに禁煙と言われないだけでも有難い限り。

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最後に衣料品店のいりやま。奥に赤煉瓦造りの倉庫もあります。
富岡製糸場は衰退の末に閉鎖となりましたが、街はまだまだ栄えているようです。元々は企業城下町だった部分はありますが、これからは観光産業で賑やかになっていって欲しいです。

東京都八王子市、田町遊郭跡

東京の西の外れ八王子市。市街地は広く立派な地方都市と言った感じです。

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八王子と言えば駅ビルにもなっていた「そごう」の存在が大きかったのですが、2012年に閉店。現在では多くのテナントが入るファッションビルとなっています。

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かつてデパート全盛期には西武百貨店(1993年閉店)だったビル。奥に見えるドン・キホーテは元々長崎屋(2011年閉店)だったビルです。東京の都心から少し離れた近郊都市には、かつてデパートが乱立していた時代があり、他にも伊勢丹や大丸などもあったそうです。

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線路沿いには路地裏飲食店街などもありそうと思い、八王子駅の北西側を歩いて見ましたが、古いままの激渋路地裏などは見つけることが出来ませんでした。

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昭和の名残りと言えばスチュワーデスとか。既に潰れている様子。

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さて、今回の目的地は市街地の北の外れにかつて存在した田町遊郭の跡地です。周囲からして見ればここだけ広い通りはかつてのメインストリート、遊郭大門通りとなります。

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振り向いて東側を見るともう店仕舞いしてしまった旅行代理店。遊郭とは関係ないですが、デカデカと国内旅行計画と書かれた看板が渋い。

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大門跡から西に進みまず左手に見えるのがこの建物。八百福と言う屋号の料亭があります。ただ位置的に街路樹の植えられている所から遊郭だったと言う話もありますので、ちょうど大門の前に位置していたのかもしれません。

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向かいに建つのが蓬莱と言う屋号の遊郭。田町遊郭は明治30年に起きた八王子の大火によって、市街地にあった飯盛り宿を移転した事が発祥だそうです。ただ屋号については大正期の資料によると全く違っていて、位置的に福万だった可能性があります。

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裏に回って覗いて見るとこんな感じ。空襲も逃がれ長らく続いて来た遊郭ですが、昭和33年の買春防止法施行後徐々に衰退して行ったとされてます。

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高い所から見るとその全容が明らかに。売春防止法以降は赤線地帯として発展する事も無かったため、戦前の遊郭建築がそのまま残っているそうです。

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間口に対して縦に長いことが分かります。

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最後に、大門通りを奥に進んで右手に残る建物。大万と言う遊郭だったとか。

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合計三棟しか残っていませんが、都内に残る遊郭建築は非常に貴重な物です。

群馬県伊勢崎市(1)、ドーナツ化現象の果ての再開発

伊勢崎駅は東武伊勢崎線とJR両毛線との連絡駅であり、北関東の要衝の一つで大都市と言うイメージがありました。

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本庄から1時間に2〜3本出ている路線バスで伊勢崎駅まで。しかし降りたら何も有りませんでした。
ちなみにここから都心に出るには東武伊勢崎線に乗るより、30分弱バスに揺られて本庄まで行き上野東京ラインに乗るのが一番安くて早いです。東京駅まで2時間半で2000円ちょい。通勤圏内では無いですが、高崎駅までは約30分です。

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かつては駅前も栄えていたのでしょうか、しかし建造物を壊すだけ壊しまくった跡のような、ゴーストタウンのような雰囲気。

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どうやら2015年に完了した駅の高架化事業と並行して、伊勢崎駅周辺第一土地区画整理事業という南口一帯の市街地丸ごと再開発があるそうで、1996年から2027年まで約30年の歳月と250億円の資金をかけて市が進めているようです。同時に密集住宅市街地整備促進事業として58億円が投じられており、また北口も範囲は狭いものの2028年までに83億円かけて開発が進んでいるとか。

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そんな街に歴史遺産がポツリ。小学校の前に保存されている大正5年竣工の旧時報鐘楼です。元々ここ、駅の南西部一帯も第三次再開発事業が計画されましたが、住民の反対により見直しとなっているとか。しかし、まず何よりも人影を見かけないのです。

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こちらは明治45年建造の旧・黒羽根内科医院旧館跡。昭和59年まで診療所として利用されていましたが、平成14年より文化財に指定され「いせさき明治館」として保存、公開されています。

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近くに伊勢崎神社があります。健保元年(1213)創建され元徳元年(1329)新田義貞によって現在の地に遷したそうです。

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立派な拝殿で上部には戦時中、中島飛行機(現在の富士重工業・スバル)の社員が奉納した木製のプロペラがあります。製造した航空機が戦地から無事に帰ってくる様にと祈願したもので、このプロペラは昭和7年(1932)より製造された、九〇式三号水上偵察機の物だそうです。

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昭和10年に建てられた拝殿の奥の社殿は嘉永元年(1848)に造られたもので透かし彫りが見事。しかし、伊勢崎市のホームページで史跡として紹介されてないのです。どう言う事なのか。

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伊勢崎駅の南側、中心街を横切る県道2号線に近づくにつれ再開発計画区域から外れたのか多少商店街が見え始めて来ます。とは言えシャッター商店街で廃業店舗しか目にしませんが。

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県道2号線を超えた辺り、緑町界隈のスナック街。

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かつては伊勢崎駅周辺にも飲食店街が多くあったでしょうが一掃され、しかし市の中心街である県道周辺には生き残っていると言う感じ。一度こう言うスナック街で地元の方に昔の話など聞いてみたいものです。

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歴史を見ると、桐生市に負けず劣らず絹織物産業が盛んだったそうです。しかし桐生と比較すると、その産業の名残りも遺産もほとんど見つけることが出来ません。なので写真はひたすらスナック街が続きます。

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工場労働者の街の名残りとしてスナックが点在しています。この辺りはかつて赤線地帯だったようで、カフェー建築の名残りも少し感じられます。

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ベンダーコーヒー?知らないなぁ、ご当地飲料でしょうか。

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桐生みたいに、いや、それ以上にノコギリ屋根の工場や煉瓦倉庫などが多く建っていた事でしょう。ただ伊勢崎市は、古い物はとっとと壊す体質なのでしょうか。

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労働者の街だった証拠とも言える大衆食堂。

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銭湯もあります。大正14年開業の寿美乃湯。

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この非常に渋い老舗銭湯、午後3時開店のところまだ昼頃だったので、残念ながら入れませんでした。

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古い建築物や観光資源を壊しまくっている伊勢崎市ですが、逆に現在は積極的な誘致によって郊外に広大な工場が建設され、製造品出荷額に於いてはスバルのお膝元の太田市に次いで県内第二位という、北関東有数の工業都市となっているとか。(Wikipedia参照)

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閉業された純喫茶。しかし人口増加率は県内有数の伸びを示しているそうで、隣の太田市と僅かの差で県内3位争いをしているくらいだとか。工業都市といい人口増加といい、税収はかなり潤っているのでしょう。なので観光資源などに全然頼らなくてもいいと思うし、街をごっそり作り替える大々的な再開発も出来る訳です。

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こちらも閉業された喫茶店。なんでも県道を西に進んだ伊勢崎オートレース場周辺に、近郊型店舗が多く出店しており発展しているそうです。いわゆる幹線道路沿い商業圏で、全国的にも特に自家用車の普及率が高い車社会の群馬県ならではと言った感じ。

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そのため空洞化現象が甚だしい訳です。昼間に開いてる店がほとんど見当たらないのはおろか、歩く人影すら目にしない。交通量は凄いのに。

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市内中心部を東西に横断する県道2号線です。右奥に見えるベイシアが巨大な駐車場を完備したショッピングモールです。地元の人は皆あそこで買い物するのでしょう。逆に県道沿いには風俗の無料案内所の看板が。

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歓楽街と言えば町外れに固まってある物。しかしここでは県道沿いを中心に町中にキャバクラなどが乱立しています。本来なら様々な商店が並んでたところ、郊外型店舗の発展による空洞化現象で経営が悪化。子供は店を継がず勤めに出てしまい、高齢化による後継者不足で次々と店を畳む。空き店舗にキャバクラでも何でもテナントとして入ってくれれば家計が助かる。人口増加で若者は多いので風俗店などの需要は高い。駅周辺から追い出された風俗店も多いのか、結果街の中心街がキャバクラストリートと化す。これは隣の太田市の太田駅南口でも起こっているようです。
半分は想像も入ってますが、街を歩いて感じた事はこんなところでした。まぁ、それで経済が成り立っているんだから、何も悪いことは無いんですけどね。


埼玉県本庄市、昭和の街並みとスナック街

本庄は元々中山道の宿場町でした。

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現在ではモータリゼーションによって郊外の幹線道路沿いに出来た巨大商業施設に客を奪われた、よくある寂れたシャッター商店街が連なります。

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市内からは北に赤城山から桐生にかけての山々、西には神流川流域の山々が遠くに望む事が出来ます。写真は旧本庄商業銀行煉瓦倉庫。

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至るところに漆喰が使われ換気口が設けられ、担保としての生繭や生糸を貯蔵するための倉庫として明治29年(1896)に建てられました。

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明治16年(1883)に鉄道が開通してからは更に交通の要衝となり、地理的に熊谷と並び北関東の養蚕地帯と都心を結ぶ中継地点であった事から街が栄えました。

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市街には栄華を誇った時代の建物が幾つか残されています。こちらは国登録有形文化財の本庄仲町郵便局。

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こちらは県指定文化財の旧本庄警察署。結構古い建物は多く残されているのですが、街並みとしては保存されてないので観光資源としては弱いです。

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こちらはガラスや陶器を扱う戸谷八。創業永禄3年(1560)と言うから、よ、460年前? 桶狭間!? 確かに戸谷家は利根川水系の廻船問屋で永禄3年に現在の太田市から本庄へと本拠地を移して名主を務め、1751年より砂糖と陶磁器の商いを始めたとされてます。

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間口45mに対し奥行き90m。何気なく撮って後で調べてみれば、まさに本庄の歴史を語る上で欠かせない名家中の名家じゃないですか。地の利として本庄は利根川に鏑川や神竜川が合流する舟運の要衝でも有り、ただの宿場町ではありませんでした。

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古くは中世から江戸期、明治大正昭和と発展し続けて来た本庄ですが、多くの地方都市がそうであるように栄えたのも昭和まで。こちらは映画館の旧・本庄シネマGIN座跡。

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明治大正期の歴史的建造物などに目が行きがちですが、昭和の木造建築も多く残されています。こちらは看板建築長屋。丸窓が印象的です。

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ことごとく廃業していますが、これらの建物も非常に貴重な昭和遺産です。

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こう言った物がこれからの時代、観光資源になって行くと思うのですが。

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そんな街ブラするだけでも楽しめる本庄ですが、ここからが本番。街の繁栄と共に当然花街や歓楽街としての発展もありました。

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一本路地を入れば、そこかしこにスナックが点在しています。

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バラックみたいな民家かなと思えば左奥に気になる構造物が。

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ここもスナック跡でした。住宅街の中に忽然と姿を見せるので油断なりません。

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こちらはかつて路地裏飲食店街だったのでしょうか。左手が空き地となっているので当時の様子を知ることはできませんが。

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しかし空き地の奥に飲食店の入り口跡らしき物が。

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これだけ栄えていた街だけに古くは宿場町の飯盛女から遊郭まで存在しました。二階の欄干がそれっぽいですが確証は得られません。

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丸窓がいかにもな建物。埼玉県は明治8年(1875)に廃娼県となりましたが、群馬県から合併された本庄と深谷だけは遊郭が存続されました。しかし明治27年(1895)には群馬県も廃娼県となり、その頃には本庄の遊郭も消滅。

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しかしながら公娼が料理店の名目で私娼となっただけで色街は残り続けました。

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しかし廃娼県においてその存在はあくまで闇であり、戦後の赤線時代もあったかも知れませんが記録や資料が乏しいそうです。

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ふと、気になるバラック長屋を見つけました。

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この窓、普通の民家だろうか。

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塀があって門を潜って玄関と言う造り。

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本当にただの民家かも知れませんが、ただの長屋でこの造りは何とも。

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共同の水場もあります。この辺は昭和以前の長屋って感じですね。

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いわゆる私娼は黒歴史なので、あまり触れちゃいけない部分でも有ります。

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真相は分かりませんが、ちょっと興奮しちゃいました。

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最後に激渋理容室を幾つか。こちらは蔵をリノベーションした理容室。観光地化するポテンシャルを秘めています。

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これだけ古い建物でも現役で営業しているのが凄い。

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おいおい本当かよ!とついツッコんでしまった理容室。室外機そこでいいのか⁉︎
本庄、なかなか奥が深い。

神奈川県横浜市、鶴見の三業地跡と青線跡

鶴見駅周辺は2010年4月に軽く訪れただけだったので、今回改めて訪れてみようと。

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鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。

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この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。

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鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。

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このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。

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地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。

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この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。

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鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。

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商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。

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工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。

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アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。

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名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。

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ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。

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駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。

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一番奥に残るカフェー建築。

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周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。
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