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【新春スペシャル】36年前の白川郷、屋根の葺き替え

新春特別企画として過去、今から約36年前の1988年3月に撮影した、茅葺き屋根の葺き替え工事の様子をお届けします。

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場所は現在世界遺産に登録されている岐阜県の白川郷。

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当時はまだ登録されておらずバイパスも整備されておらず、知名度はあれこそ陸の孤島とされておりました。

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基礎が組み上がったらヨシズを張ります。およそ一週間滞在していましたので、とにかくカット数が多く、途中飽きてしまうかも知れません。

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当時私は19歳。写真専門学校の学生で、自分で現像からプリントまでしてました。なのでコントラストがやたら硬かったり、画像としてイマイチなのはご容赦ください。

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さて、萱を乗せて行きます。古い萱を剥がす所は撮れず、古くなった骨組みとなる木材(ヤナカ)の交換から萱を葺くまでの撮影となります。

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この萱の束を下から放り上げる役目を、しばらく手伝っていました。

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当時、ちゃんと撮影許可を取った上で、途中から仕事の手伝いもさせて頂いたりして関係を築き密着取材をさせて頂いたので、変に目線など入れずにそのまま載せます。そもそも36年前ですし。

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茅葺き、または藁葺き屋根の民家は、一般的には屋根の四方が傾斜している入母屋造りが一般的ですが、合掌造りは端部に窓を備えた切り妻造りとなります。

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これは屋根裏のスペースの風通しを良くし、養蚕に適した環境を作っていたためです。

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また屋根の傾斜が他地方の茅葺き民家よりも急斜面になっているのは、水分を多く含んだ重い雪が勝手に落ちるように計算されています。

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木で作った針を突き刺し、藁縄を通します。

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屋根の裏側で縄を受け取り、今度は内側から木の針を突き刺す。

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それを繰り返し骨組みに縛り付けます。

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横に渡した竹を押し付けるようにして、こうやって萱を幾重にも重ねて行きます。

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端部は縄を巻いたヘラみたいな道具で叩いて整形。

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ヘラにはその都度縄を巻きます。

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小休止。一服の間にポートレートを撮らせて頂きました。

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ある程度完成に近づくと、伝統に則り村人総出で仕上げます。

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昔は最初から最後まで全て村人総出でやっていたそうです。

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しかし現在では専門の建設会社がほとんどの作業を賄います。最終日、村人たちが仕上げ作業を手伝う感じ。

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最終日は観光イベントのような形になり、全国からカメラマンが集まって来ます。

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特別に頂上まで登らせていただきました。

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木槌で叩いて縄を絞る。

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最後はハサミで綺麗に整形。

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完成です。この建物は白川郷の中でも小さな建物で、当時お土産屋さんでした。現在では「白川郷ぷりんの家」と言うプリン屋さんです。

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最後はお寺の境内で打ち上げの宴会です。

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結構飲まされた覚えがあります。

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当時は報道カメラマンを目指しており、一番やりたかったのがドキュメンタリーでした。

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フォトライブラリーのカメラマンを少々やりましたが20代の内に退社し、その後10年近くDPE店でプリントの仕事をし、その間しばらく写真撮影から離れていました。

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それでも結局、歳をとっても一番やりたい事は変わらないものですね。

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そんなわけで、当時地元の方々には大変お世話になりました。

埼玉県行田市、忍城と足袋の街

荒川河川敷の廃村を巡った後、そのままレンタルサイクルで北東へ、秩父鉄道行田市駅周辺の市街地まで行きました。

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こちらが城下町行田の中心街であり、JR高崎線の行田駅は全然町外れに当たります。忍城と言えば映画「のぼうの城」で一躍有名になりましたが、私はあの映画大好きです。ちなみにこちらの御三階櫓は元々建っていた場所とは違う所に昭和63年(1988年)再建された物で、明治の廃城令で解体された御三階櫓も江戸時代に建てられた物。のぼうの城の成田氏とは関係ないんですけどね。

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まぁ観光地って言うのは往々にしてそう言う物でして、場所も建物も違っていても、のぼうの城ファンは押し掛けるわけです。

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そもそも一般的に定義される戦国時代、応仁の乱から信長上洛までの間に完成した天守閣は現存しておらず、三階櫓など天守閣と呼ばれるもの自体関ヶ原以降、豊臣秀吉の時代に全国的に造られました。現存天守と呼ばれる創建当時の建物でも江戸期に建てられたものが多く、戦国時代当時の遺構と言う物は大抵石垣ぐらいな物しか残っていません。特に明治政府の廃城令によって全国の城郭のほとんどが解体されてしまいました。

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城マニアでも戦国マニアでもないのであまり詳しくはないのですが、どうしても観光資源として天守閣と戦国時代を結びつけたがります。実際は平屋建てだったりするんですがね。とは言えこの写真のように演出すれば、それっぽい雰囲気が出ます。

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行田市は特に映画「のぼうの城」とドラマ「陸王」による経済効果にありつけたので、観光産業への力の入れ方に本気度が窺えます。街中の至る所には花手水が置かれ、散策に彩りを添えています。旅行系ブログとしてはそう言ったフォトジェニックな感じを全面に出した方が大衆ウケするんでしょうが、残念ながらここはマニアックな部分しかクローズアップしないので。

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忍城三階櫓のある行田市郷土博物館には忍城の歴代当主の家紋と鎧が展示されています。手前から成田氏、江戸期からの大河内松平氏、阿部氏、東條松平氏及び奥平松平氏。

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さて、忍城を出てここからは近代産業、足袋造りの街並みを巡って行きます。こちらは牧野本店。この店蔵は大正13年建造。右手の工場は大正11年建造です。

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工場裏手は足袋とくらしの博物館として足袋製造の実演を見学出来ます。ちょっと時間が遅かったのですでに閉館してました。

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こちらは明治28年創業の時田啓左衛門商店。建物は昭和16年建造。行田は荒川と利根川に挟まれた土地で、砂質土と豊富な水により綿や藍の栽培に適していました。その事から藍染の綿布生産が盛んになったそうです。

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右手に隣接する時田蔵は明治36年建造で、足袋蔵の街行田を代表する建物です。藍染の綿布生産とその縫製技術を活かし、江戸中期頃から足袋の生産が始まります。

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少し北へ歩いたところに建つ時田足袋専用倉庫は昭和4年建造。時田啓左衛門商店は山形、宮城、山梨などに販路を広げ成功をおさめたそうです。行田の足袋製造は明治期に入ってから足袋が大衆でも使われるようになった事、軍需用の足袋製造に携わった事などから一気に発展して行きます。

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こちらの小川忠次郎商店は足袋の原材料の商いをしていました。蔵造りの商店は昭和4年建造。日露戦争による好景気で足袋製造業者はさらに増え工場も乱立。生産量が一気に増えた事で足袋を保管するための蔵も多く建てられました。

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昭和15年創業の牧禎商店。事務所兼住宅は創業当時の物です。

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牧禎商店の工場棟。現在ではNPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークによる藍染体験教室が開かれています。

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草生蔵。明治43年建造の金楽足袋株式会社の足袋蔵。市内で最も古い石造蔵と言われており、現在は草生家の倉庫として使われています。

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こちらは足袋とは関係ないのですが、近江商人の小川源右衛門が昭和2年に建てた大谷石造の蔵。現在はカネマル酒店の商品倉庫として使われています。

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国登録有形文化財の武蔵野銀行行田支店。忍貯金銀行として昭和9年に竣工。その後昭和19年行田元足袋販売株式会社に売却され、戦後は足袋会館として使われました。昭和44年に現在の武蔵野銀行となります。行田の産業の発展を見続けて来た建物です。

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「うまい!うますぎる!」テレビ埼玉で放送されているCMで有名な埼玉銘菓十万石饅頭の本店。行田だったんですね。あー、買えばよかった。

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最後にイサミ足袋本舗。明治40年に鈴木勝次郎商店として創業。

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ここはTBSドラマ「陸王」のロケ地として使われたノコギリ屋根の工場です。

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現在でも学生服の工場として稼働していますが、敷地の一部が公開されています。大正6年建造の工場が素晴らしい。そりゃロケ地になりますわ。

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このようなものもちゃんと残されています。

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モルタル造の足袋蔵は昭和13年(1938年)建造。現在内部が展示室となっております。

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内部の展示品。機械産業によるミシンありきの足袋製造業です。

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ドラマは見ていませんが、こう言った陸上競技用シューズを開発する話なんでしょうかね。

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入り口脇のガソリンポンプ置場。これも素晴らしい。観光地を巡って来ましたが、ここに来て巡って良かったと思いました。

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まだまだ行田の街を周りきってはいませんが、粗方メジャー処は巡った、と言う事で、レンタルサイクルを返しました。最後に今年3月に訪れた行田湯本温泉茂美の湯に立ち寄りました。

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相変わらずバカみたいな源泉湧出量で、バカみたいに全ての露天風呂浴槽へ源泉掛け流し。まったく贅沢な限りで素晴らしい日帰り温泉施設です。

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前回茂美の湯へ来た時に見かけて気になっていた造り酒屋が今回開いていたので、帰りがけについ立ち寄って日本酒買ってしまいました(真ん中の枡川)。この川端酒造は江戸末期の安政7年(1860年)から続く老舗で、今の店主は5代目に当たるそうです。
神田の行きつけの飲み屋にお土産として持って行きましたが、飲んで見たところ味はクセがあるけどスッキリ飲み易い。埼玉のお酒の特徴ですが、美味いです。
そうだ、行田名物ゼリーフライ食うの忘れた!結局ゼリーフライってなんなのか、謎は謎のまま。

群馬県伊勢崎市(3)、蚕種で栄えた島村集落と渡し船跡

利根川中流域の南は埼玉県、北は群馬県ですが、群馬県伊勢崎市の南端にあたる利根川の南岸に一部群馬県の飛び地があります。こう言うのを河川飛び地と言うそうです。

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その飛び地である島村集落の西南側に田島弥平旧宅があります。蚕の種を作る養蚕農家なのですが、ここが世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」に含まれています。

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こちらが田島弥平旧宅の母屋。実際に今でも住まわれているので一般公開されるのは毎月第三日曜日のみ。普段から公開されているのは一つ上の写真に写る桑場、蚕の種を作る小屋のみです。

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桑場には当時の道具などが展示されています。島村集落は江戸中期より蚕の卵、いわゆる蚕種の製造が盛んでした。しかし蚕の飼育は難しく、年によって生産量の差が大きかったため、田島弥平は各地の養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の風通しが重要であるとの考えから清涼育と言う方法を開発し、安定した蚕の生産に成功しました。

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養蚕農家は風通しを良くするために屋根の上にヤグラ(越屋根、天窓ともいう)が乗っておりますが、この養蚕農家の目印とも言える近代養蚕農家の建築様式は、ここが原点となったそうです。まさに明治からの近代養蚕業の父とも言えますね。

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田島弥平住宅の東側に田島達行住宅があります。この周辺には田島一族の養蚕農家が密集しており、しかも江戸末期の母屋や石垣が残されています。また各農家ごとに蚕種生産者としての屋号を持っており、こちらの農家は對青盧(たいせいろ)と言います。建物は慶応2年(1866年)竣工。

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こちらは桑麻館。どちらも重要文化財であると同時に普通に生活している民家のため、当然ながら勝手に敷地に入るわけにはいきません。時代とともに建て増しや多少の改築はありますが、母屋の基本的な部分は変わっていません。

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田島善一住宅主屋、屋号は進成館。慶応年間(1865〜1868年)に建てられた入母屋造りで、一階に住居、一階の一部に桑場、二階が蚕室となっています。

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こちらは田島平内住宅で屋号は有隣館。明治元年(1868年)竣工。この田島家一族は島村集落の蚕種を生産する生産者集団で会社を立ち上げ、海外への輸出も行っていたそうです。当時の集落はまさに栄華を誇っていたのでしょう。

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こちらは田島定吉住宅主屋で屋号は栄盛館。文久元年(1861年)竣工。上毛地域は伊勢崎や桐生など毛織物産業の一大拠点でしたが、ここで生産された蚕種が北関東一帯の養蚕農家に運ばれて行ったのでしょう。

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こちらは文化財に指定されていないためか、建物を説明する看板がありませんでした。とは言え、こちらも年代を感じる木造建築で、景観としても保存されているのが窺えます。

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もちろん田島一族の養蚕農家が密集している集落南東部以外にも養蚕農家が散在しています。文化財指定こそされてなくても瓦屋根の大棟とか鬼瓦とか見事。

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重要文化財にされていると言う事で見に行った板倉。私有地なので中に入れないし、ただの板で出来た倉です。歴史的価値はよく分かりませんが、観光パンフに載っていたので行って見ました。場所も分かりづらいし、ちょっと観光地として中途半端なところ。

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日本の絹産業にとって重要な役割を担った事も当然ですが、同時に景観としてこのような立派な日本家屋が多く残されている集落である事も、世界遺産に含まれた要素のひとつだったんだと思います。しかし、群馬県の河川飛び地の集落に世界遺産があると言うことを、一体どれだけの人が知っているでしょうか。かく言う私も今回初めて知りました。

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こちらは集落の南東部に建つ日本基督教団島村教会、めぐみ保育園。この本館の建物は明治30年(1897年)建造で国の登録有形文化財に指定されています。一応観光パンフの地図に施設名だけは載っていますが、詳しい解説は書かれていません。

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そして道路の向かい側には昭和28年建造の保育園の別館が建っていますが、こちらは県境を挟んで埼玉県深谷市に入ります。こちらも共に国指定登録有形文化財。教会の創立は明治20年(1887年)で昭和30年(1955年)より保育園が開設されました。

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島村集落の北側には利根川が流れています。河川敷の方へ歩くと島村渡船船着場の表示が。

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しかし河原にはすでに何も残っていません。実は2019年の台風被害により渡し船が運休。そのまま復活する事なく2022年の10月、正式に廃止となってしまいました。利根川の向こうは伊勢崎市境町。以前訪れた伊勢崎銘仙の織物工場で栄えた街があります。

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島村から下流側に3キロ行った所に掛かる上武大橋を渡り、島村渡船の境町側船着き場へと来ました。土手の上にポツンと残るほったて小屋が、かつての船頭の詰め所です。

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かつてこの渡し船は立派な「県道」と言う扱いになっており、その歴史は江戸中期からと伝えられているとか。船はFRP製の9人乗り(船頭含む)でモーターボートのエンジンを2機付けていたようです。

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島村集落の方々の足であるとともに、地味ながらも観光資源でもありました。しかし車社会になり年々利用者も減っていたのでしょう。現在では境町駅から上武大橋を迂回してコミュニティバスが運行されています。

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南岸の島村側からは黄色い旗を掲げて呼んでいたようです。台風の被害に遭った後、伊勢崎市は市内全域の市民にアンケートを取ったそうです。その結果、利用しない、または利用したいとは思わないとの回答が67%に達したため廃止が決定したそうです。まず、全域って言うのがおかしな話で、島村地区の方々を対象にアンケートを取るべきではなかったかと。

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こちらは廃止直前まで使われていた船とは違うようですが、恐らくは渡し船として使われていたと思われる船。せっかく世界遺産に含まれたと言うのに、観光資源としても上手く利用出来なかったと言う事です。境町の歴史的建造物を巡りつつ、木の船で利根川を渡って養蚕農家の家並みを巡ると言う、それだけで充分魅力があると思うのですが。あるいは島村集落の方々が観光地化に乗る気じゃなかったなんて事も考えられますが、あくまでも想像の域を出ません。

【日記】東京のモスク、東京ジャーミイ

以前から気になっていた日本のモスク、東京ジャーミイに入って見ました。

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東京のモスクは昭和13年(1938年)に建造され、現在の建物は2000年に建て替えられた物です。

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日本におけるイスラム教の歴史は浅く昭和10年代に名古屋、神戸、東京(代々木上原)にモスクが建設された頃から始まります。

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とは言えキリスト教のような宣教師がいる訳ではないので、実質在日イスラム教徒のための施設にとどまります。

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モスクの象徴とも言えるドームの内側。トルコタイルが美しい。日本人にとってイスラムは遠い世界、と言うのが正直な印象ですね。

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ドームの下は礼拝所。一度イスラムの礼拝もちゃんと見てみたい。結局のところイスラム教の世界と言うのは7世紀のイスラム帝国や13世紀からのオスマントルコ帝国の勢力圏で広まって行くのみなので、西アジアから中央アジアにとどまります。

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礼拝所の絨毯も美しい。イスラム文化には昔から憧れがあり、海外旅行するとしたらカザフスタンやウズベキスタンのサマルカンド、そしてトルコのイスタンブールにも行ってみたいです。海外行った事ないですが。

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一階には売店があり、トルコの食品や調味料などが売っています。トルコ料理も好きで昔よくボスポラスハサンて言う新宿南口のトルコ料理店に行ってました。

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お土産も売っています。トルコタイルの鏡なんか、ちょっとかわいい。
そんな訳で気軽に見学出来るモスク、東京ジャーミイは結構おすすめです。今度時間を調べて礼拝を見に行きたい。

【日記】暑中お見舞い申し上げます

あっつい。
仕事が忙しくてどこにも行けなかったのですが、たとえ時間が出来たとしても出かける気にならないんじゃないだろうか。
しかしブログの更新はしなければ!と言う義務感と危機感、そして強迫観念があります。

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そんな訳でブログのネタにもならないスナップショットなどを並べでお茶を濁します。まずは茅ヶ崎。
茅ヶ崎駅の海側はほとんど散策してなかったのですが、仕事でたまたま茅ヶ崎に行った際、いい感じの路地裏を見つけました。

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で、この「ふうさん」と言うのは写真右手(駅側)の居酒屋の店名であり、この路地裏飲食店街の正式名称は不明。

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非常に短い路地裏ですが、舗装がしっかりされてない所なんて神奈川らしい感じです。

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仕事帰りのちょい飲みは、過去に行った事のある所ばかり。最近ではあえて新規開拓しようと言う気力がなかなか湧かないのです。

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南武線溝の口駅の線路ぎわ、闇市発祥のバラック街で電車の音を聴きながら立ち飲み。「いろは」さんは9年前に行って以来、機会があれば立ち寄ります。

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現在、メインの仕事は五反田。五反田と言えば目黒川沿いの立ち飲み屋「へそ」五反田店が昔から行っている店。なのですが、西五反田の路地裏に角打ちを発見しました。

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桑原商店さんは酒屋の倉庫で飲めると言う素晴らしいシステム。特に日本酒のラインナップが充実しています。

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私がハマったのはこの小豆島のクラフトビール、レモンビール。サッパリした飲み口で、ついつい2本飲んでしまいました。酒のアテも酒、特に日本酒が進む物ばかりで美味いです。ただ、唯一タバコが吸えないと言う点からその後行っていませんが、女性なんかも入りやすく人気のお店になりそうです。

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何度か仕事で通った渋谷区大山町。小田急の代々木上原と東北沢の間ぐらいの北側になります。その交差点で見つけた渋い建物。

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もし営業してたら絶対入りたい所ですが、食べログの書き込みを見ると2018年が最後だったので、閉店されてからだいぶ経っている様子。



大山町の交差点から代々木上原に行く途中にあるモスク、東京ジャーミイ。イスラム教徒でなくとも見学自由との事なので、いつか中に入ってみたいです。トルコ系のモスクですが売店もあるので、イスラムグッズとか見るのも面白いかも。イスラム文化には興味もあります。



副都心線東新宿近く、知る人ぞ知る立ち飲み屋「山根商店」。およそ6年ぶりに行きましたが、やはり変わらずモツ煮が美味い。ただ現在、お母さんが腰を悪くしてしまったようで、息子さん(?)一人で切り盛りしており、スペースを若干狭くしての営業となっております。

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今年は横浜の日本大通り駅辺りでの仕事が続きました。こちらは昭和4年(1929)竣工の横浜貿易協会ビル。横浜はちょっと歩けば昭和の建築物に当たります。

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貿易協会の向かいに建つのは横浜開港資料館。昭和6年(1931年)に建設され英国領事館として使われていた建物です。

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内部には幕末から昭和にかけての様々な資料が展示されています。

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横浜港大さん橋の入り口に、横浜港湾飲食企業組合の大桟橋食堂があります。港湾労働者の食堂と言う事で、一度入って食べてみたいところ。

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初めて大さん橋(正式名称が「さん」を平仮名表記しているみたい)に行って見ました。ウッドデッキがとんでもない!

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これ、設計した人も大概ですが、貼った職人も相当です。どれだけの人数と日数が掛かったのか、とにかくいい仕事をしています。ちょうどこの頃自分も合同庁舎のテラスのベンチにウッドデッキ材を貼っていましたが、この面積を見ると気が遠くなります。

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たまたま練習船の日本丸が停泊しておりました。昭和5年に建造され昭和59年まで活躍していた初代日本丸は現在桜木町の石造りドックに保存されていますが、こちらは初代が引退した年に完成した二代目となります。

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先週3年ぶりに訪れた横浜橋商店街。横浜はいつも寿町へ飲みに行くのですが、行きつけの優子さんが開いて無かったので、永楽湯で汗を流して横浜橋まで。

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コロナ禍になった2020年以来の立ち飲み屋「まいめり」さんで、風呂上がりの一杯。ここも以前と変わらず常連さん方で賑わっておりました。

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その流れで三吉橋を渡り、3年前よく通ってた「フライ屋」さんへ。店内を改装されていましたが、こちらも以前と変わらない雰囲気でほっとしました。相変わらず安くて美味い!

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そして先日は寿町のカラオケスナック優子で飲んでいました。やはりここが落ち着く。

仕事はそろそろ落ち着いて来たので、近いうちにどっか写真撮りに行く機会があるかも知れませんが、この暑さなので資料館や博物館など、涼しい所がいいな。
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