神社仏閣

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栃木県宇都宮市(4)、大谷再訪

昔と大して変わってないだろうと思いつつ、行った事のない人を連れて行くのが目的で再訪。

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しかし行って見たらまぁすっかりメジャー観光地へと変貌を遂げていました。ヒビ割れていた道路は道幅も広げられ観光バスも入り易くなり、サイコな一軒家は解体され林も伐採され広大な駐車場となり、資料館の前には新たにお土産屋兼カフェも建てられていました。

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坑内も人が多く、かつての忘れ去られた観光地感は無くなっていた。最近特にテレビなどで紹介されたから。あとはインスタなどのSNSでも広まったのでしょう。メディアとネットの力、恐るべき経済効果。

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もちろんここは今でもCMやドラマのロケ地としてよく使われています。あとは地下の神秘的な空間で結婚式を挙げるという、結婚式場としての運営も順調のようですし、コスプレイベントなども定期的に行われているとか。

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また、見学出来る範囲も拡張されました。それでも全体からすれば極々一部なのですが、あんまり広すぎても飽きる。

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近くにある大谷寺にも再訪しました。ここの弘法大師作の磨崖仏は撮影禁止ですが一見の価値ありです。

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最後にバス停の前にある廃墟、山本園大谷グランドセンター。昭和30年代に開業して昭和末期に廃業したそうですが、もう30年以上放置されていると言うことになります。一部の廃墟好きや肝試しヤンキーなどが不法進入してボヤ騒ぎまであったらしく、現在では監視カメラも設置されています。

栃木県日光市奥日光、湯元温泉

今回は連休を使って奥日光湯元温泉へと行ってまいりました。日光は小学校の修学旅行で東照宮から竜頭の滝、中禅寺湖、湯滝、湯ノ湖と一通り周りましたが、もはやほとんど覚えてません。しかし今でも行き先として定番のようで、道中修学旅行の電車やバスを頻繁に見かけました。世界遺産にもなったし外国人観光客も増加する一方なので、観光地としては相当な安定感があります。

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日光駅から東照宮までの万年渋滞を30分掛けて抜け、およそ1時間半で路線バスは終点の湯元温泉へ。バスは1時間に2本近く出ており、非常に行きやすいです。春から秋に掛けてなら関越交通がここから更に丸沼高原を越えて沼田に抜けるルートを走っています。

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バスターミナルで迎えてくれたのは、ガソリンスタンドの廃墟。

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写真は朝なので閑散としていますが、まさに避暑地と言った感じ。どの宿も客室はほぼ満室で、修学旅行生から尾瀬に向かう登山客まで多くの人で賑わっています。

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こちらは源泉小屋。各地区ごとに分かれています。含石膏性苦味硫化水素泉でph6.5の弱酸性硫黄泉。

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源泉温度約70度で宿泊施設の数に対して豊富な湯量。ただ源泉温度が高いので基本加水掛け流しです。ちなみにほとんどの宿が写真のような自然湧出泉ではなくボーリングで湧出させている湯小屋の源泉を使用しているそうです。

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宿泊は湯元温泉でも一番の老舗、湯守釜屋さん。廃墟じゃん!と一瞬思いましたがこちらは以前修学旅行生たちを泊めていた別館。現在は使われてないようです。

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正面玄関はこちら。立派な宿ですが料金は一泊二食付きで週末約15000円とまあまあな感じ。

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お風呂は奥に大浴場の薬師の湯と、手前に露天風呂の緞子の湯と大浴場瑠璃の湯。薬師の湯は白濁するまで加水されてますが小まめに温度管理がされており、ちょうどいい湯加減。瑠璃の湯(写真)と緞子の湯は加水率が低く、薄緑色で綿状の湯の華が大量に漂っていますが、源泉温度が高いので鬼のように熱い。好みが分かれるところですが、弱酸性のため柔らかい入り心地で湯上りもしっとりスベスベ。とても上質なお湯で、特に女性には喜ばれそうな感じがしました。

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翌朝、温泉寺にて朝風呂。全国でも珍しい温泉に入れるお寺さんです。

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お寺さんは朝が早いため8時から朝風呂に入れます。もともとは宿坊もやっていたようで、温泉があるのも納得。またこのお寺さんは日光山輪王寺の別院で、日光を開山された勝道上人が788年に温泉を発見し、薬師瑠璃光如来を祀ったのが始まりだそうです。

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8時ちょうどに訪問。本日は9時よりと書かれていましたが湯船は張っているとの事で入らせていただきました。ただ、70度近い源泉をそのまま張っただけ。熱いのでお水でうめて下さいと言われたものの、火傷レベルの熱さ。朝の一番風呂という有り難いお湯に浸かるために、葛藤しながら加水しました。薄くなるなんて言ってる場合じゃありません。鬼です。心頭滅却なんて言ってる場合じゃない。(笑)
冷水全開で15分、すっかり白濁したお湯に頑張って足を入れ、脚力全開で湯もみ。なんとか入れる温度まで下がった頃には続々と入浴客が来て気が付けば5人。満員です。
しかし温度調節の後は至福のひとときでした。

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温泉寺の分析表によれば含石膏土類硫化水素泉(繁張性低張高温泉)←訳わからん。
写真は温泉街の中心にある足湯。泉質は非常に素晴らしいのですが、いかんせん源泉温度が高すぎる。そんな温泉でした。たとえ酸化が進んで鮮度が落ちても、むしろ源泉から一番離れた宿のが良いのかもしれません。もう一度訪れて日帰り入浴でも湯巡りする価値があると思いました。

埼玉県川越市、廃村、握津集落堤外地

 前回に引き続き荒川中流域の堤外地を訪れます。今回は塚本より上流、JR川越線を越えた左岸、握津(あくつ)集落です。

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 さっそく民家跡を発見。ここは荒川の東側になりますが、住所的には川越市の飛び地となります。

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 生け垣が農村風景の面影を残しています。ここ握津は他の堤外地同様、大正時代に始まった荒川改修工事によって、堤防の外側に取り残されてしまった集落です。その堤防も現在高さを上げるための工事がなされています。

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 堤防の上から眺めると河川敷の水田地帯に雑木林が点在しているようにしか見えませんが、歩いて見ると生活道の痕跡があちらこちらに残っています。

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 昭和の初め頃までは渡し舟の船着き場などもあり、およそ70世帯、500人もの人々が暮らしていたそうです。しかし堤防が内陸部に築かれて以降、昭和5〜6年に20〜30戸が強制移転。それ以降、平成15年までに26世帯が自費で移転。しかし平成11年の水害で全18世帯が床上浸水した事をきっかけに、平成16年には国から移転補償予算が出るようになったため、平成18年までには全世帯の移転が完了したそうです。

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 廃村となった後、全ての家屋は解体され、現在このような空き地しか残っていません。荒川改修工事は東京を水害から守るためのものだったそうで、その際幾つもの集落が堤外地として犠牲になってしまいました。どこかダム湖に沈んだ村などを思い出します。

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 左奥の高台にも住居跡があります。よくある農村風景から民家だけが消え去っています。

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 僅かに残る遺構。確かにこの場所で人々は暮らしていました。

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 木製の古い電柱。川沿いに長く広がる大宮カントリークラブのための送電線と所々僅かに掛かる電線以外は、昔のまま時が止まっています。

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 しかしここも前回紹介した塚本集落同様、農地だけはそのほぼ全域が現役で使われていました。

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 水田の所々に建つ小屋は水を汲み上げるポンプ小屋かと思われます。

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 直進すると家々を繋ぐ生活道。左手は民家に上がる私道です。

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 こちらも民家跡。かなり立派な家屋が多かったと想像出来ます。

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 集落の中心にただ一軒、公民館の跡だけが解体されずに残っています。その入り口脇に庚申塔が残っていました。

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 公民館はすでに使われておらず廃墟と化しています。

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 公民館の左手前には集落の各所から集められて来たのでしょうか、馬頭観音やお地蔵さんなどが無造作に並べられています。しかしよく見るとお地蔵さんの首が!
 いかん、趣旨が変わってくる。急に怖くなって来ましたが大丈夫。少なくとも先日行った浦山地区みたいに熊は出ないから。

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 公民館左手には防火水槽が残っています。

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 そして裏手には雑草に覆われた廃神社が。どうもこの握津集落は、下流の塚本集落とどこか違った雰囲気が漂っているように感じてしまいます。

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 集落を抜けて荒川まで出ると大宮カントリークラブ。急に近代的かつ現実的な世界へと解放されます。
 なんだこの雲は!wwwww

埼玉県さいたま市、廃村、塚本集落堤外地

 JR京浜東北線浦和駅からバスで西へ、荒川の河川敷にある廃村を訪れました。

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 秋ヶ瀬公園の北に位置するこの場所は、サイクリングロードにもなっている荒川堤防の河川敷側にあります。私は20年ほど前、川口からサイクリングで来た際ちょうどこの辺りで引き返した記憶があり、その当時はまだ集落が存在していたのですが、まさか堤防の外側に村があるなど想像もしていませんでした。

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 堤防の東側には塚本の本集落が存在します。だいぶ宅地造成も進んでいますが、かつて堤外に住んでいた人々もこちら側に引っ越されました。

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 集落は上流側の外東地区に二軒、下流側の外西地区に十数軒あったとされます。まずは外東地区から。

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 家屋は全て解体され、跡地だけが散在します。

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 水田の真ん中に昔使われていた電柱と石碑のようなもの。どうしょうも無いくらいの逆光。

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 水田に水を引くポンプ小屋と昔の電柱。この堤外地は民家こそ消滅しましたが、耕地は今でも使われています。

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 次に外西地区へ入って見ましょう。廃村の奥、川べりには浦和軟式少年野球連盟専用グランドや大宮カントリークラブのゴルフコースなどのあるので、電線が張られています。

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 所々に残る集落で使われていた電柱は、時代を感じさせます。

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 もう使われなくなってしまった自治会の掲示板。

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 耕地のほとんどが現役で使われており、この日も軽トラなどの車4台、6人ほどの方が作業などをしており、廃村の雰囲気は正直有りません。

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 集落の移転は昭和59年から始まりますが、平成11年の水害がきっかけとなり平成14年には全世帯が補償を受けた上で堤防の内側への移転を完了しました。

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 もともとこの集落は大正時代に始まった荒川改修以降堤防の外側に取り残されてしまった形となり、以降も頻繁に水害に遭っていたそうです。

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 野生化した竹藪や雑木林の中に、幾つもの民家跡が残っています。

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 外西地区の中心には薬師堂と墓地が残されており、ここの「薬師堂のマキ」は市の天然記念物に指定されています。

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 この日、二人のご老人が堂内で茶飲話をされていましたが、このあとまだ何人か集まることになっているようです。元住民による集会などは、まだこの地で行われているみたいで、住居こそ無くなったものの、暮らしはいまだこの地で続けられている事が伺えます。

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 またこの辺りには野良猫が多く住み着いています。先祖代々暮らし続けている猫かどうか分かりませんが、元住民の方々が世話されているのかも知れません。

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 道端の小さな石祠のようなものが残されています。

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 薬師堂の右手の竹藪を抜け奥の道を荒川の流れる左手に歩いて行くと、八幡社の鳥居が残っています。この鳥居は平成元年に建て替えられた物で、当時はまだこの地で暮らし続けるという思いがあったのだと想像出来ます。

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 鳥居の奥、雑木林のトンネルを抜けると、拝殿こそ無くなってしまったものの、八幡社の小さな祠が残されています。奥は御玉霊神社で右は恐らく水神宮。ただこちらは参拝される人がもう居ないのか、あまり管理されている様子が伺えませんでした。

千葉県館山市(1)、那古船形近辺の神社仏閣

 JR内房線那古船形駅周辺の史跡を巡って来ました。

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 いかにも田舎の駅って感じの那古船形駅は、館山のひとつ手前にあります。

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 駅から海側に少し歩くと大福寺崖観音があります。

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 崖の中腹には717年に行基の手により彫られたとされる十一 面観音菩薩の磨崖仏が祀られています。

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 行基の磨崖仏と言えば以前訪れた岩谷観音堂も同じ行基によるものでしたが、こちらの崖観音は館山市の有形文化財に指定されています。しかしこの扱いの違いには驚くしかありません。

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 漁師の安全を祈願したと言うだけあり、館山市と船形地区の街が一望に見下ろせます。

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 崖観音の下は漁業の街ですが、街道沿いには古い木造建築も多く残されています。

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 さて、船形地区から旧那古宿へと歩いて行きます。線路をくぐる手前、民家のような造りの加麻土神社があります。いかにも地元に根付いた感じの神社。

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 線路を越えた辺り、山肌が迫ったところで突然藪に埋もれた鳥居が。残念ながら、ここを入って行く勇気はありませんでした。バスの時間もありましたし。

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 少し歩くと那古寺がありますが、こちらも崖にへばりつくように建っています。折しも近くの小学校が写生の時間。

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 創建は717年と言うから崖観音と同時期。それもそのはず、行基です。行基が海中より得た香木で千手観音菩薩像を彫り、元正天皇の病気平癒を祈願したところ病気が治り、その報謝で建てられたと伝えられています。

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 海を臨む本堂はかなり立派なものです。行基があまりに気になったのでwikipediaで調べたところ、主に近畿で活躍し奈良の大仏造立の責任者でもあったとか。全国を行脚し各地に橋や水路なども整備したそうです。

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 本堂脇を入れば、ここにも磨崖仏。お堂が岩壁にめり込んでます。

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 地層がはっきりと分かる房総や三浦半島などによく見られる岩肌。なんか地理の授業で習った気がしますが、砂岩質なのか掘ったり削ったりするのが楽なんでしょうか。とにかく磨崖仏や横穴、素掘りのトンネルなんかが千葉には多いです。

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 歩いていると、先日よく見に行ってるねりうまブログ様で紹介されていた建造物を発見しました。思わず「ここかー!」と声に出てしまった。

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 館山へ向かう街道から内陸部へ。バイパスを越えて正木地区に入った辺りの神社。館山は大きなお寺こそ有りながら、神社は村の鎮守程度の小さな社が多数散在していました。

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