磨崖仏

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千葉県館山市(1)、那古船形近辺の神社仏閣

 JR内房線那古船形駅周辺の史跡を巡って来ました。

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 いかにも田舎の駅って感じの那古船形駅は、館山のひとつ手前にあります。

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 駅から海側に少し歩くと大福寺崖観音があります。

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 崖の中腹には717年に行基の手により彫られたとされる十一 面観音菩薩の磨崖仏が祀られています。

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 行基の磨崖仏と言えば以前訪れた岩谷観音堂も同じ行基によるものでしたが、こちらの崖観音は館山市の有形文化財に指定されています。しかしこの扱いの違いには驚くしかありません。

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 漁師の安全を祈願したと言うだけあり、館山市と船形地区の街が一望に見下ろせます。

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 崖観音の下は漁業の街ですが、街道沿いには古い木造建築も多く残されています。

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 さて、船形地区から旧那古宿へと歩いて行きます。線路をくぐる手前、民家のような造りの加麻土神社があります。いかにも地元に根付いた感じの神社。

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 線路を越えた辺り、山肌が迫ったところで突然藪に埋もれた鳥居が。残念ながら、ここを入って行く勇気はありませんでした。バスの時間もありましたし。

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 少し歩くと那古寺がありますが、こちらも崖にへばりつくように建っています。折しも近くの小学校が写生の時間。

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 創建は717年と言うから崖観音と同時期。それもそのはず、行基です。行基が海中より得た香木で千手観音菩薩像を彫り、元正天皇の病気平癒を祈願したところ病気が治り、その報謝で建てられたと伝えられています。

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 海を臨む本堂はかなり立派なものです。行基があまりに気になったのでwikipediaで調べたところ、主に近畿で活躍し奈良の大仏造立の責任者でもあったとか。全国を行脚し各地に橋や水路なども整備したそうです。

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 本堂脇を入れば、ここにも磨崖仏。お堂が岩壁にめり込んでます。

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 地層がはっきりと分かる房総や三浦半島などによく見られる岩肌。なんか地理の授業で習った気がしますが、砂岩質なのか掘ったり削ったりするのが楽なんでしょうか。とにかく磨崖仏や横穴、素掘りのトンネルなんかが千葉には多いです。

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 歩いていると、先日よく見に行ってるねりうまブログ様で紹介されていた建造物を発見しました。思わず「ここかー!」と声に出てしまった。

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 館山へ向かう街道から内陸部へ。バイパスを越えて正木地区に入った辺りの神社。館山は大きなお寺こそ有りながら、神社は村の鎮守程度の小さな社が多数散在していました。

千葉県富津市、岩谷観音堂

 JR内房線、上総湊という小さな駅に降りました。夏は海水浴客で賑わう駅ですが、夏休みシーズンも過ぎて駅前はひっそりとしています。

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 駅前には天羽日東バスのバスターミナルがあります。このバス乗り場が実に渋い。

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 町の鎮守、神明神社ではお祭りの準備が真っ盛り。

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 漁業で栄えた町らしく、通りには大漁旗がたくさん掲げられていました。お祭りの当日に来たかった。

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 古い建築物もたくさん残っています。町は特に寂れた雰囲気もなく、お祭りの準備のせいか活気に溢れています。

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 ここ天羽町が1971年に富津町、大佐和町と合併され、その時に建てられたら富津市役所旧庁舎跡。小さな漁村とばかり思ってましたが、ここはかつて富津市の中心だったようです。しかし1992年、お隣の大貫駅近くに新市庁舎が建って以来、ここは富津市天羽行政センターとして使われていました。しかしその行政センターも現在は移転。この立派なコンクリート建造物は廃墟と化しています。

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 町を流れる湊川を遡った辺りに岩谷観音堂という史跡があります。

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 しかし見てビックリ。なんという急でしかも荒れ放題な石段!

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 崖を登るようにして行くと、石段は途中から無くなり、斜面を迂回するように登って行きます。想像ですが、お堂の正面が即石段だったため、人が通れるスペースを確保するため盛り土したのではないだろうか。
 しかしお堂まで登りきって右手に行ってみると……。

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 ……!!
 ちゃんとした道が有るじゃありませんか!

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 この斜面際の階段が正式な登り口のようです。写真は帰り際に撮ったもの。それにしても分かり辛っ!

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 幾つも空いている横穴に入ると、たくさんの磨崖仏が掘られています。

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 中にはテーブルと椅子が置かれている横穴も。ここで寛げって言われても……。

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 ここの磨崖仏は奈良時代、行基によって一夜にして彫られたとされています。しかし長い年月を経て磨崖仏は風化により摩耗し寺は荒れ放題だったようです。そこで平成23年、地元民達の間で100万円を投じお堂の改修や手摺りの整備などがされたそうです。

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 お堂の裏はコの字にトンネルが廻り込んでおり、その壁面にも多くの磨崖仏が彫られています。写真はお堂の右手奥の入り口。

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 こちらは左手奥の入り口。トンネル手前には第一窟があり壁面には阿弥陀如来座像を中心に観音菩薩、勢至菩薩が彫られており、その手前が堂で塞がれている形。年2回の御開帳の時だけ拝めるとか。

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 お堂左手にはトンネル状の階段があります。非常に複雑な構造。

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 途中階段が分岐し、別の横穴にも行けます。

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 階段奥の横穴。かなり風化が激しいです。

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 上から階段を見下ろすとこんな感じ。

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 横穴は全部で第13窟まであるそうで、つまり藪に覆われて入るのが困難な場所もあるということです。
 この岩谷観音は幾つかのブログなどで紹介されているのみで、富津市のサイトでは一切紹介されていません。文化財指定の動きもあるようですが、基本的には史跡として扱われておらず、地元の方々によってのみ大切にされています。歴史も古く由緒もある貴重な歴史遺産なので、これからも大切に残していかれる事を望むばかりです。

神奈川県真鶴町、忘却の入り江の観音像

 真鶴半島は神奈川県南部、湯河原の手前にあるマイナー観光地です。この地域ではどうしても箱根、湯河原、熱海の影に隠れてしまい、昭和から平成にかけてみるみる廃れて行きました。

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 真鶴には三ツ石という景勝地と新鮮な海の幸、それに温泉もあるのですが、宿泊施設はその数を減らし現在では漁師宿が数軒。そのため日帰り入浴をやっている所など一軒も無いのが現状で、宿泊しなければ真鶴の温泉には入れません。

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 三ツ石の入り口にあるお土産屋の近くで海を眺めている猫。意外にもここ三ツ石を訪れる観光客は、平日にも関わらず多く居ました。ただしその全てが高齢者で、若者は居ませんでした。真鶴半島は県立公園として守られているため、見事な原生林が広がっており、遊歩道の散策などには良いかもしれません。実際私が歩いている時、藪の中でガサガサ音がすると思ったら、野生の狸と出くわしました。

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 今回、真鶴半島を訪れた目的は、旧真鶴水族館跡を訪れる事にありました。入り口には内袋観音参道と書かれた石碑が建てられていながらも、その分かれ道は大きな岩で遮られ、立ち入り禁止になっています。

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 崖の上を走る道路から海岸のある入江へと降りて行く道は、落石や倒木のために廃道となっています。それでもこの道は現在、釣り人がよく使っているそうですが、行かれる方は自己責任でお願いします。

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 雑草生い茂る急な坂道を下っていくと、やがて海が見えて来ました。

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 この真鶴水族館は1955年に開業し、1979年頃に閉館されたとされています。しかし廃墟としては、かつて竜宮城を模した廃墟が残っていたそうですが、2005年頃には解体されてしまい、廃墟マニアすら訪れなくなってしまった場所です。不自然に一本だけ残るソテツだけが当時の面影を残しています。

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 藪の中にゲートのようなコンクリート構造物が確認出来ます。こっちが入り口だったのでしょうか。

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 実は私自身、小学校低学年の頃に父親に連れられて、この水族館を訪れた事があります。恐らくは70年代半ばと思いますが、微かな記憶しかありません。

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 水槽の半分ぐらいが空で、館内では従業員がホースで水を撒いており、展示されている魚もアジやサメ、サザエなどその辺にいる魚介類ばかり。小学生にして、この水族館終わってると思わしめるほどのダメっぷりでした。

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 釣り堀だった生け簀の跡。入江の奥は堤防で区切られています。

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 この水族館が閉館されたのは来訪者の減少もさることながら、台風による高波により施設の屋根が崩れた事が原因とされています。外海に面した堤防は度重なる高波で、すでに崩壊していました。

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 付近の磯は、絶好の釣りポイントだそうです。この日も崖上の廃道入り口には二台の乗用車が停まっていました。

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 跡地の大半には海水が入り込んでいます。しかしよく見れば、奥に洞穴のような物が。

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 藪に踏み入り、奥へと進んで行きました。

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 そこに姿を現したのが、この観音様。入り江へと降りる道の入り口にあった石碑の、内袋観音とはこの事でした。

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 お供え物がある事から、今でも地元のどなたかが管理されてるのかと思われます。しかし元々水族館しかなかった小さな入り江。倒木や落石で道も塞がれてしまった現在、訪れる人も居なくなってしまった事でしょう。

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 よく見れば、元々は櫓が建っていたような形跡もあります。この観音像は昔、漁師の方が漁の安全を祈願し彫られたという話があります。また、古い地図には卍マークも記載されているとか。子供の頃に訪れた時、観音堂があったかなどの記憶は無いのですが、恐らく興味が無かったため覚えて無いだけかと思われます。
 すでに人がお参りする事も無くなってしまった観音像ですが、今後も地元の方が管理され続けられる事を願うばかりです。もしかしたら今でもこの観音様は、釣り人たちの安全を見守ってられるのかも知れません。

栃木県宇都宮(1)、大谷石採掘で栄えた大谷地区

 サドルをやたら低くして自転車に乗る栃木県民たちを眺めながら、まず向かったのは寂れた観光地、大谷。近づくにつれ、家の塀や門、蔵などに大谷石が目立ち始める。 ‌‌

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 大谷石御殿。採掘でどれだけ儲かっていたかが伺えます。このような屋敷がこの辺りにはいくつもある。 ‌‌

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 6~7世紀頃から採掘が始まり、明治末頃から本格的な採掘で賑わったとされる大谷地区。この辺りの民家には塀や門や蔵など、様々な所に大谷石が使われています。

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 こちらも大谷石御殿。見事な門構えです。

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 大谷石の採石場跡である大谷資料館に到着。かつて採掘していた巨大地下空間を見る事が出来ます。

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 まるでダンジョン。ロープレ、とか思い出す。 ‌‌地底空間とは不思議なもので、地味でマイナーな観光スポットですが一見の価値ありです。

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 この辺りは大谷石の採石場として栄え、その採石場跡も観光地として賑わってました。しかし10年ほど前だったか、田んぼに巨大な穴が空くほどの陥没事件があり、以来観光客も減って行ったとか。

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 後で宇都宮にあるスナックの大ママに聞いたのですが、なんでも採石している会社の二代目が、落盤を防ぐために柱状に残してあった所を、いい石が残っているからと言って削ってしまったそうです。 ‌‌江戸時代から続く坑道(巨大地下空間)は、先人の知恵でちゃんと計算された上で太い柱を幾つも残してあったと言うのに。 ‌‌

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 以来、観光地としても寂れて行ってしまったとか。確かに、潰れたお土産屋さんや食堂、ホテルなどが周辺に廃墟として点在しております。 ‌‌

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 採石場の近くにある大谷観音。岩壁(大谷石)の窪んだ所に建つ本堂は中国の石窟寺院を思わせる(大袈裟)。 ‌‌

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 本堂の中は撮影禁止のため写真は無いのですが、岩肌に見事な千手観音像が彫られております。弘法大師作と言われてますが、チベットを思わせる(大袈裟)。 ‌‌

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 本堂内部を撮影出来なかった代わりに境内を撮影。

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 大谷観音の門前から切通しを抜けると平和観音があります。こちらは戦後、戦没者の慰霊のために彫られた巨大な観音像。この辺りが疎開先などになっていたのかも知れません。


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