最近石切り場にハマってます。今回は三浦半島。
京急で逗子の手前、神武寺駅で降ります。線路沿いを金沢文庫方面に歩き、逗子市立逗子中学校手前の道を入る。暫く行くと老人ホームせせらぎさんがあるので、奥の駐車場のようなスペースを突っ切ります。
完全に老人ホームの敷地になるので、人が居たら声を掛けた方がいいかも知れません。裏山への畦道に赤い矢印の書かれた立て看板があるので、そこから谷を入って行きます。
老人ホームの方が管理されているのでしょうか、藪も無く歩きやすい道を少し行くと石切り場が現れて来ます。
ここは明治末から大正時代まで切り出された池子石という石材で、土木建築資材から墓石、灯籠まで、幅広く使われていたそうです。
横穴に入るとかなり暗いながらも下草など一切生えておらず、入り易いです。そのはず、地面も岩盤なので。
苔生した掘削面に木漏れ日が差し込み、暗闇への恐怖を忘れさせてくれる。
ロケとかジャケット撮影とか、そう言った物にも使えそうなシチュエーションです。
老人ホームの先は神武寺を経て鷹取山に至るハイキングロードとなっています。
午前の日差しが前日の雨に濡れた森に反射して輝いてます。ちょうど逆光で、神武寺側から登って正解。
日常的に散歩している地元の方も多いようで、非常に歩きやすいです。なんだろう、この、最近歩いた千葉の茂原や鋸山の、あの陰鬱とした雰囲気との違いは。神奈川出身という贔屓目無しで見ても、やっぱり千葉ってなんか雰囲気が独特。
あっという間に山頂近くの神武寺に到着です。神武寺は奈良時代の724年、聖武天皇の命で行基が建立し、その後の鎌倉幕府とも多くの関わりを持ったお寺です。
紅葉にはちょっと遅い時期でしたが、この神武寺まで車道が繋がっているので、ハイキングせずとも気軽に訪れることができます。
神武寺の裏手から尾根伝いに本格的なハイキングロードが始まります。岩壁伝いの道とか、なかなかシビれるポイントもありますが、元々ハイカーが多いので綺麗に整備されています。とは言え、それなりの格好はして行かないとキツいです。
やがて鷹取山山頂の石切り場に到着。ここの岩壁はクライマーたちの練習場となっているようです。岩山の上に建つのは展望台。
一応岩壁登り禁止の立て看板もありますが、この後神奈川県警の機動隊か何かの方々が、訓練で岩を登り始めました。
岩壁には一様に多くの穴が穿たれており、これは昭和の頃からたくさんのクライマーたちが練習として杭を打ち込んで来た痕跡だそうです。登山家の間では有名な練習場なのでしょう。
またこの石切り場までは車道が通っており、車でのアクセスが可能。池子からずっと山歩きして来た者としては、なんなんだよって感じですが。
ここの石切り場は鷹取石と呼ばれ、明治10年頃から大正時代にかけて切り出されていたそうです。どこの石切り場もそうですが、関東大震災がターニングポイントとなったようで、以降鉄筋コンクリートに代わられ衰退して行きました。
千葉の鋸山ほどの規模は無いものの、なかなか迫力のある切り通し。鋸山は複数の石材屋が関わっていたのに対し、鷹取石と池子石はそれぞれ小規模な石材屋が一社で採掘し、ライバル関係にもなっていたとか。
ここまで来たら車道を歩いて下山するのもシャクなので、追浜方面へさらにハイキングロードを進みます。途中にある磨崖仏は昭和40年頃、彫刻家が彫った物。
東京湾側へ下る途中にも幾つかの石切り場跡があります。
ハイキングロードを逸れて脇に入って行った所に、竪穴のように切り取られた空間が。
見上げるとこんな感じ。行き止まりで静寂に包まれており、実に不思議な空間でした。
そんな訳で追浜の丘の上の住宅街に出ました。手前に見えるのは横須賀市立鷹取小学校。ここからバスで京急追浜駅まで下りました。
結局鷹取山ハイキングロードを踏破する形となりましたが、小学校の遠足で行くくらいのレベルなので、軽いハイキングにはちょうどいい感じでした。
京急で逗子の手前、神武寺駅で降ります。線路沿いを金沢文庫方面に歩き、逗子市立逗子中学校手前の道を入る。暫く行くと老人ホームせせらぎさんがあるので、奥の駐車場のようなスペースを突っ切ります。
完全に老人ホームの敷地になるので、人が居たら声を掛けた方がいいかも知れません。裏山への畦道に赤い矢印の書かれた立て看板があるので、そこから谷を入って行きます。
老人ホームの方が管理されているのでしょうか、藪も無く歩きやすい道を少し行くと石切り場が現れて来ます。
ここは明治末から大正時代まで切り出された池子石という石材で、土木建築資材から墓石、灯籠まで、幅広く使われていたそうです。
横穴に入るとかなり暗いながらも下草など一切生えておらず、入り易いです。そのはず、地面も岩盤なので。
苔生した掘削面に木漏れ日が差し込み、暗闇への恐怖を忘れさせてくれる。
ロケとかジャケット撮影とか、そう言った物にも使えそうなシチュエーションです。
老人ホームの先は神武寺を経て鷹取山に至るハイキングロードとなっています。
午前の日差しが前日の雨に濡れた森に反射して輝いてます。ちょうど逆光で、神武寺側から登って正解。
日常的に散歩している地元の方も多いようで、非常に歩きやすいです。なんだろう、この、最近歩いた千葉の茂原や鋸山の、あの陰鬱とした雰囲気との違いは。神奈川出身という贔屓目無しで見ても、やっぱり千葉ってなんか雰囲気が独特。
あっという間に山頂近くの神武寺に到着です。神武寺は奈良時代の724年、聖武天皇の命で行基が建立し、その後の鎌倉幕府とも多くの関わりを持ったお寺です。
紅葉にはちょっと遅い時期でしたが、この神武寺まで車道が繋がっているので、ハイキングせずとも気軽に訪れることができます。
神武寺の裏手から尾根伝いに本格的なハイキングロードが始まります。岩壁伝いの道とか、なかなかシビれるポイントもありますが、元々ハイカーが多いので綺麗に整備されています。とは言え、それなりの格好はして行かないとキツいです。
やがて鷹取山山頂の石切り場に到着。ここの岩壁はクライマーたちの練習場となっているようです。岩山の上に建つのは展望台。
一応岩壁登り禁止の立て看板もありますが、この後神奈川県警の機動隊か何かの方々が、訓練で岩を登り始めました。
岩壁には一様に多くの穴が穿たれており、これは昭和の頃からたくさんのクライマーたちが練習として杭を打ち込んで来た痕跡だそうです。登山家の間では有名な練習場なのでしょう。
またこの石切り場までは車道が通っており、車でのアクセスが可能。池子からずっと山歩きして来た者としては、なんなんだよって感じですが。
ここの石切り場は鷹取石と呼ばれ、明治10年頃から大正時代にかけて切り出されていたそうです。どこの石切り場もそうですが、関東大震災がターニングポイントとなったようで、以降鉄筋コンクリートに代わられ衰退して行きました。
千葉の鋸山ほどの規模は無いものの、なかなか迫力のある切り通し。鋸山は複数の石材屋が関わっていたのに対し、鷹取石と池子石はそれぞれ小規模な石材屋が一社で採掘し、ライバル関係にもなっていたとか。
ここまで来たら車道を歩いて下山するのもシャクなので、追浜方面へさらにハイキングロードを進みます。途中にある磨崖仏は昭和40年頃、彫刻家が彫った物。
東京湾側へ下る途中にも幾つかの石切り場跡があります。
ハイキングロードを逸れて脇に入って行った所に、竪穴のように切り取られた空間が。
見上げるとこんな感じ。行き止まりで静寂に包まれており、実に不思議な空間でした。
そんな訳で追浜の丘の上の住宅街に出ました。手前に見えるのは横須賀市立鷹取小学校。ここからバスで京急追浜駅まで下りました。
結局鷹取山ハイキングロードを踏破する形となりましたが、小学校の遠足で行くくらいのレベルなので、軽いハイキングにはちょうどいい感じでした。