番外編

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【正月特別企画】回顧録・昭和の鉄道

あけましておめでとうございます。
正直に言います。昔、鉄っちゃんでした。昔と言うか今でも鉄道好きですが、それは鉄道が絡む写真を撮る際、必ず列車が走って来るまで待つという時点でバレバレなんですがね。
2018年の正月、1988年の日本一周旅の写真(全て鉄道)をアップしましたが、今回再び押し入れの奥から引っ張り出して来た写真をデジタル化してアップします。

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まずは1977年くらいだったか、小学校4年生ぐらいだと思うのですが、父親と上野駅に行った時。カメラは買ったばかりの富士フイルムのバカチョンカメラ(死語で差別用語)。当時はL特急に絵入りヘッドマークが採用されたばかりの時代です。盛岡行き「ひばり」の前に突っ立っている子供が私です。モヤシだなぁ。

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東北上越新幹線開業前の上野駅地上ホーム。当時は15番線から20番線までは空も見えていましたが、新幹線が上野駅まで延伸された際18番線以降は地下の新幹線ホームとなり、現在では空も見えなくなりました。

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同じく1977年頃の上野駅。18番線に停車中の常磐線のボンネット型特急「ひたち」。奥に停車中の気動車は恐らく急行「奥久慈」。

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この当時、関東鉄道鉾田線(鹿島鉄道)に乗るため、20番線から10系旧型客車による普通列車に乗って行きました。小学生にして旅好きな父親にせがんだ行き先が地方ローカル線と言う渋さ。生まれつきの変態なんです。ここは2016年3月に、その廃線跡を訪れています。

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恐らくは夜行列車の急行「おが」ではないかと。気動車が上野駅に入線してたのも衝撃ですが、キハ58系で長距離夜行急行と言うのもなかなか。

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もう1枚上野駅。この頃に家族旅行で仙台松島に行った覚えが有るんですが、多分その時に乗った寝台急行「新星」。関西方面には「銀河」に乗って行ったし、寝台と言えば急行ばかりだったので20系でした。一度「妙高」で10系寝台に乗った事も有りましたが、中学高校と一人旅を始めるようになってからは専ら18きっぷで大垣行き夜行鈍行が定番となりました。

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この辺は恐らく1980年代に入っていると思われますが、新宿駅の小田急ロマンスカーSE車。東海道新幹線開業以前に世界最速を叩き出した名車です。

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中学に上がり一眼レフデビュー。RICOHのカメラにPENTAXのレンズ。東海道本線を走る国府津車両区の旧型国電による試運転。この車両は恐らく昭和10年製造のクモハ40054で、現在青梅鉄道公園に展示されています。もしかしたら戦時中や戦後の山手線や京浜東北線などでも活躍していたかも知れません。

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1983年、中2の夏に従兄弟と2人で広島の可部線に乗りに行きました。廃止になる前の旧型国電を撮るのが目的で、子供の頃から古い物を追い求める傾向がありました。

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こちらは伊豆箱根鉄道大雄山線の154型。1984年のさよなら運転のヘッドマークが取り付けられています。

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高校に入ると身近な所で東海道本線沿線に通いました。今ではすっかり絶滅してますが、東海道本線では珍しいEF62。もうすっかり撮り鉄として仕上がって来た。

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根府川鉄橋には何度通った事か。特にEF5861を追いかけていました。写真は臨時の踊り子55号。

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高校二年にして青春18きっぷで日本一周する訳ですが、この経験は大きかったです。

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高卒後上京して専門学校に通うわけですが、好きに旅して好きな写真ばかり撮っていられたのも学生時代、つまり80年代まででした。社会人になるとなかなか、と言いながらも、今また好きな物を自由に撮ってますがね。写真は名鉄揖斐線の車内。

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おまけ。1976〜7年頃、実家の裏手の箱根新道で撮った昔のはとバス。
押し入れを漁ればまだまだ色々な写真が出て来ると思います。また面白い物が出て来たら機会を見てアップしようと思います。
しかしつくづく思った。なんでこう鉄道しか撮ってないのかと。今では見られない貴重な建築物や街並みなんかも、あったろうが!

それでは、今年もよろしくお願いいたします。

【年末スペシャル】記憶に残った情景(2020年総集編)

早いもので2020年も終わりです。そこで毎年恒例、印象に残った情景2020年総集編をお送りします。写真をクリックするとその時の記事に飛びます。
今年はとにかく新型コロナウイルスの一年で、当ブログの柱でもある寂れた観光地や都心の酒場、そして自分自身にとっても苦難の年でした。来年はコロナ前のような気兼ねない旅が出来るようになって欲しいものです。
私自身、収入が半減した時期もありました。しかし何よりも去年一昨年と二回に渡り訪れた天ヶ瀬温泉が、コロナに重ねて見舞われた豪雨災害により壊滅状態になった後の復興が気がかりです。来年、訪れることが出来たらと思っております。

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今年一発目は超マイナー健康ランド、栃木県足利市の鹿島園温泉から始まりました。ここはネット上にもあまり情報が無く、たまたまGoogleマップで見つけた日帰り温泉です。行ってみてびっくり。絶滅寸前とも言える昭和の健康ランドでした。ここの寂れっぷりがかなりヒット。

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鹿島園の帰りに散策した足利の路地裏スナック街も、廃墟が織り混ざった狭すぎる路地裏。広範囲で迷路のように張り巡らされた路地裏に興奮しました。

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今年の前半は仕事で横浜まで通っていました。特に市街地の南部、中村川周辺の商店街やドヤ街が気に入ってしまい、何軒かの飲み屋に通い詰めてすっかり常連となっていました。特に横浜橋商店街は韓国人中国人日本人が混ざり合い混沌とした下町の商店街で、この辺に引っ越して来たいと本気で思うほど惚れ込みました。

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横浜探索は根岸や山手まで広がって行き、横浜市街南部の銭湯をおおかた制覇することとなりました。温泉の有無に関わらず、銭湯建築や地元の雰囲気に浸かる。

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横浜好きも最終的にはドヤ街の寿町に通い詰めるに至りました。寿町のカラオケ居酒屋で昼間から地元の方々と飲んで歌って、すっかり顔馴染みとなる。

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4月に入りコロナ禍が急速に進む中、東伊豆は大川温泉の共同露天風呂浴場、磯の湯を訪れました。ここは泉質もロケーションも最高なのですが、何よりもアプローチが衝撃でした。沢の水が国道の下を流れる土管の中を通って行くと言う、まず至らないであろう発想。

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4月下旬、東京都で緊急事態宣言が出される中、2月に取った航空機チケットを捨てるのは勿体ないと、能登半島へ出かけました。のと鉄道の廃線跡巡り。特にこの沖波駅は1988年、廃止が決まった国鉄能登線が、のと鉄道として第三セクターで再出発したその日に訪れています。ホームでは地元の人々がお祭り騒ぎしていた同じ場所を32年ぶりに訪れてみると、竹藪に覆われた廃墟と化していました。

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旅の目的はこの線路上に放置された廃車両。おりしも桜が満開。今年一番のベストショットでした。

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北西の風が吹き付ける能登半島日本海側沿岸地域。間垣という垣根で囲まれた集落が、実に衝撃的でした。日本海の海風から集落を守るために囲まれているのですが、中は殆どが木造建築で時間が止まったかのよう。また、日本の村社会を象徴するようにも見え、自分が長年追い求めて来た何かがここにあるようにも思えました。

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13年前にたまたま通り掛るも、その雰囲気に二の足を踏んでしまい入れなかった事がずっと後悔として残っていて、そのリベンジの意味もあって再訪した金沢の味食街。しかし金沢入りしたその日より石川県が独自の緊急事態宣言を発令。味食街は店舗が極端に狭いこともあり、全店が営業自粛となってしまいました。来年再挑戦できればと思います。

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三島の路地裏スナック街の狭さにやられつつ、訪れたのは千貫樋と言う水道橋。超マイナーな史跡ですが、三島が富士山の伏流水の恵みを受けた水の都だと分かります。

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埼玉県東浦和にある田島団地。高度成長期の団地が次々と建て替えられる中、1965年竣工の公団住宅がほぼ建設当時そのままの姿で残っています。首都圏ではもはや貴重な存在。

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静岡の伊豆長岡温泉を訪れた時に発見した、伊豆石の石切り場跡。最近まで藪に覆われていたそうですが、地権者である旅館が綺麗に整備していました。

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伊豆長岡温泉の赤線地帯跡。伊豆長岡は歓楽温泉としても有名で、現在でも裏風俗が残っています。この赤線地帯も最近まではそう言った店が点在していたようですが、今ではすっかり民家と廃墟ばかりでした。

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伊豆長岡から駿河湾に抜ける低い峠の廃道。カーブミラーだけが異質に立ち続けていました。この後、日を改めて西伊豆の特攻兵器震洋格納庫跡などを巡ります。

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三島から伊豆長岡、西伊豆、沼津と二回に渡り訪れましたが内容が濃かった。写真はGoogleマップの空撮でたまたま見つけたバラック集落。立地条件や周囲の状況から見て朝鮮部落である可能性が高いのですが、地元の兄さんに聞いても詳細は掴めず。謎のままです。

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今年、特に夏はコロナ禍の間接的な(オリンピックの延期など)影響で、仕事が暇で暇で仕方なかった。そのためお金を掛けずに関東近郊に日帰りで出掛ける事が多くなりました。こんなにブログの更新頻度が高い年は前にも先にもありません。
千葉県は習志野、旧日本軍鉄道連隊の遺構を巡りました。現在ではそのほとんどが新京成電鉄の線路となっていますが、一部廃線跡として橋脚などが残されています。

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茨城県笠間市、筑波海軍航空隊基地司令部跡。永遠のゼロ他、多くの映画やドラマのロケ地として使われた建物です。航空隊司令部の後は病院としても使われ、廃墟となる所をロケ地に使われた事で保存の道を辿りました。現在も資料館として公開されています。

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千葉県茂原市、茂原海軍航空基地跡の掩体壕群。現存する9ヶ所全てを巡りました。茂原駅から最も離れている地点までタクシーに乗り、後は日に焼けながらひたすら歩き倒しました。公共交通機関で巡る者として、どれくらい歩いて回れるか、その限界を知る良い経験となりました。でもやっぱ暑さはキツいです。

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う〜ん、フォトジェニック!神奈川県横須賀市の猿島要塞です。かつてインスタ映えと言う言葉が大嫌いな自分でしたが、なるほど、こりゃ観光客が押し寄せるわと納得。現代の観光資源として必要なものは、こう言うものなんだなと。歴史も何も知らなくても良いんです。結局ただSNSで他人に羨ましいと思われれば人は集まるんです。そう考えると、例えば寂れた温泉街である伊豆長岡温泉の石切り場なんかは可能性を秘めていますね。

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猿島の流れで横須賀軍港巡りの遊覧船に乗りました。軍事オタクでは無かったため、旧海軍の地下壕の入り口なんかに興奮する自分がいました。どちらかと言うと大日本帝国軍オタクですね。でも言っておきますがネトウヨじゃないですよ。

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今年は横浜の浜マーケットや丸山日用品市場なども行きましたが、こちらは川崎の昭和マーケット。木造アーケードのマーケットもたまに巡るのですが、再開発などにより年々その数は減少の一途を辿っており、常に危機感を感じています。お金が有ったら関西や九州などのマーケットを巡りたいところですが。

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千葉県茂原市にある国府関団地。ここは隧道巡りに行く際、降りたバス停で偶然見つけたゴーストタウンです。実際はまだ住んでいる方がいらっしゃるようですが衝撃的でした。

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茂原市の隧道巡り。掩体壕巡りで鍛えた脚力で歩き倒した素掘りトンネル巡り。ただ、ビビって通り抜けることが出来なかった隧道も。廃村巡りをした頃の開き直りを今一度って感じでしたが、やっぱり暗いのは怖い。

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埼玉県比企郡、旧小川小学校下里分校跡。アニメのんのんびよりの聖地となったお陰で綺麗に保存されています。懐かしい田園風景。埼玉県にもこんな所が有ったんだと思いました。

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ちょっとだけメジャーな観光地、鋸山。栃木県大谷、群馬県藪塚、静岡県伊豆長岡と、意図せずに4ヶ所目の石切り場です。ロケ地としては重宝される石切り場ですが、これからの新ジャンルとして石切り場巡りなんてのも良いかも。ただ鋸山は北斜面で日光が差さず、写真的には難しいです。

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鋸山の北に位置する砲台山ハイランド跡。廃墟探訪、とは言っても藪漕ぎまではしてないので、まだまだ本格的とまでは言えません。しかし我ながらつくづくノンジャンル。何かに特化したマニアであればどこかに取り上げられるかも知れませんが、つくづく自分は広く浅くですね。

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突発的な休みは年末まで続きます。こちらは三浦半島、鷹取山の西側に残る池子石切り場跡。苔生した雰囲気が非日常的な空間を演出してます。この後ハイキングロードを登り鷹取山の石切り場跡も巡りました。

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今年の締めは前橋のバラック地帯。なかなか強烈な場所を見つけてしまいました。恐らくは生糸産業の労働者の方々の住宅だった場所ではないかと。まさに昭和の風景がそこには残っていました。

毎年、年末の総集編では特に印象に残った光景を纏めるのですが、印象の強かった場所ばかりで全然絞り込めません。ともあれ今年は仕事の無い日が多く、暇は有っても金が無いという時期が長かった。そのため栃木、静岡、千葉、茨城、埼玉などに日帰りで訪れる事が多く、更新頻度だけは多くなりました。来年は遠出したいなぁ。
では皆様、良いお年を。

【正月特別企画】回顧録・昭和の鉄道旅

あけましておめでとうございます。

正月はどこ行っても正月料金で高くつく。という事ですっかり寝正月でしたが、暇だったので押入れを漁ったりしてました。その時古いアルバムなどを開いてみたのですが、乗り鉄だった当時の写真が懐かし過ぎて、思わずセブンイレブンの複合機でスキャンし、デジタル化してしまいました。

昭和60年(1985年)の夏。当時高校2年生だった私はバイトしたお金で青春18きっぷを4冊買い、およそ18日間野宿とビジネスホテル泊と夜行鈍行泊を繰り返して各駅停車による日本一周の旅に出ました。
当時の記憶が非常に曖昧なのですが、一つの記録として写真をアップします。オリンパスOM-3にはモノクロを、OM-4にはカラーネガを入れて撮影しましたが、あまりに点数が多いため厳選します。

すいません、今回は鉄一色です。説明不足しまくりです。

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日本一周は時計周りで。宿泊費や野宿の回数を減らすために極力夜行鈍行で距離を稼ぐ。大垣行きの夜行を名古屋で降りて紀勢本線へ。写真はすれ違った特急南紀。

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紀伊勝浦-湯川間の湯川川橋梁にてEF15。当時から古い物が好きで、廃止の危機にある車両を主に追ってました。

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ここは湯川潟の入り口でしたが川原に三脚を立てていたところ、満ち潮で海水が見る見る迫って来て焦った覚えがあります。

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新宮より紀勢本線の夜行鈍行に乗車。EF58+12系+10系寝台。

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翌日は和田岬線の旧型客車を訪ねました。木場みたいに材木が浮かべてある光景なども、今では見られないのかも知れません。

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工業地帯への通勤客を乗せるためにシートを取り払った車内。今考えると衝撃的な列車でした。

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記憶が曖昧ですが、岡山で宿泊して宇高連絡船で四国に渡り、徳島を回って土讃本線の夜行鈍行にて高知へ。この時代、日本各地に夜行鈍行(又は快速)が走ってました。当時は一日2000円の青春18きっぷさえあれば、どこにでも行けた。

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数日飛ばして宮崎。日豊本線を走る寝台特急富士。しっかり撮り鉄もしてました。

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恐らく大隅線のどこかの駅にて(志布志?)、キハ26 455。大隅線はこの二年後の1987年に廃止されます。枝線は省いてとにかく海沿いの国鉄路線で一周したわけですが、今思えば時代として赤字路線が次々と廃止されていく直前のタイミングでした。

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最南端の指宿枕崎線西大山駅を訪れ、また日にちが飛びますが、日本最西端の駅、旧国鉄伊万里線の平戸口駅。だと思います多分。

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門司から福知山(豊岡?)まで、当時日本最長区間を走る山陰本線の824レに乗りました。一日中乗り続けてまぁよく飽きなかったなと。デッキの扉を開けて床に座り、餘部鉄橋で下を覗いて怖えーなんて言ってました。

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途中鳥取駅にて快速わかとりライナーを撮影。それよりも奥に写るキロ28が!

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追い越してゆく特急まつかぜ。何駅で撮ったかは全く覚えておらず。

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多分、宮津線か、もしかしたら舞鶴線のどこかの駅。場所を覚えてないのが悔やまれますが、ホームが無いという衝撃。多分短いホームからはみ出していたかなんかだと思いますが、ホームが無いて!

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あまり写真を撮っていなかった北陸本線、越後線、羽越線、奥羽本線、五能線など諸々すっ飛ばして、いきなり弘南鉄道。16歳(当時)がまた渋い趣味をしている。ガラガラと家の玄関の引き戸のように手で開けるドアに驚きました。本当にガラガラガラという音がした。

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とはいえ走っている時ぐらいドア閉めやがれ!と、少年はカルチャーショックを受けるのでした。

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青函連絡船で函館に渡り、函館本線の夜行鈍行41レで札幌へ。奥に見えるのが夜行急行大雪。

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当時はお座敷車両なんかも連結してました。

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名寄本線弘道駅。枕木を並べただけの、北海道特有のプラットホームにも衝撃を受けました。

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標津線のキハ22 116。何駅かは思い出せません。今ではその殆どの路線が廃止となり、一周なんて全く出来なくなってしまいましたが、当時は辛うじて可能でした。
函館本線〜留萌本線〜羽幌線(廃止)〜宗谷本線〜稚内〜天北線(廃止)〜宗谷本線〜名寄本線(廃止)〜湧網線(廃止)〜釧網本線〜標津線(廃止)〜根室本線〜東根室〜根室本線〜石勝線〜室蘭本線〜函館本線。

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函館本線は大沼公園を走る急行ニセコ。マニ50が時代を感じさせる。

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函館の市電。この514型は1992年、東雲線の廃止により廃車。

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東北本線の場所はどこだか分かりませんが、寝台特急ゆうづる。ギチギチのスケジュールだった割には、結構いろんな所で降りて撮り鉄してましたね。

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盛駅にて岩手開発鉄道のDD43。同年3月には廃車となっていたので、留置されて半年過ぎた姿だったようです。

以上、昔の鉄の話に長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後におまけ。
私のホームグランドだった根府川鉄橋にて。

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カートレイン。
渋い!
20系だし!

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