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埼玉県さいたま市、廃村、塚本集落堤外地

 JR京浜東北線浦和駅からバスで西へ、荒川の河川敷にある廃村を訪れました。

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 秋ヶ瀬公園の北に位置するこの場所は、サイクリングロードにもなっている荒川堤防の河川敷側にあります。私は20年ほど前、川口からサイクリングで来た際ちょうどこの辺りで引き返した記憶があり、その当時はまだ集落が存在していたのですが、まさか堤防の外側に村があるなど想像もしていませんでした。

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 堤防の東側には塚本の本集落が存在します。だいぶ宅地造成も進んでいますが、かつて堤外に住んでいた人々もこちら側に引っ越されました。

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 集落は上流側の外東地区に二軒、下流側の外西地区に十数軒あったとされます。まずは外東地区から。

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 家屋は全て解体され、跡地だけが散在します。

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 水田の真ん中に昔使われていた電柱と石碑のようなもの。どうしょうも無いくらいの逆光。

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 水田に水を引くポンプ小屋と昔の電柱。この堤外地は民家こそ消滅しましたが、耕地は今でも使われています。

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 次に外西地区へ入って見ましょう。廃村の奥、川べりには浦和軟式少年野球連盟専用グランドや大宮カントリークラブのゴルフコースなどのあるので、電線が張られています。

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 所々に残る集落で使われていた電柱は、時代を感じさせます。

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 もう使われなくなってしまった自治会の掲示板。

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 耕地のほとんどが現役で使われており、この日も軽トラなどの車4台、6人ほどの方が作業などをしており、廃村の雰囲気は正直有りません。

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 集落の移転は昭和59年から始まりますが、平成11年の水害がきっかけとなり平成14年には全世帯が補償を受けた上で堤防の内側への移転を完了しました。

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 もともとこの集落は大正時代に始まった荒川改修以降堤防の外側に取り残されてしまった形となり、以降も頻繁に水害に遭っていたそうです。

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 野生化した竹藪や雑木林の中に、幾つもの民家跡が残っています。

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 外西地区の中心には薬師堂と墓地が残されており、ここの「薬師堂のマキ」は市の天然記念物に指定されています。

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 この日、二人のご老人が堂内で茶飲話をされていましたが、このあとまだ何人か集まることになっているようです。元住民による集会などは、まだこの地で行われているみたいで、住居こそ無くなったものの、暮らしはいまだこの地で続けられている事が伺えます。

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 またこの辺りには野良猫が多く住み着いています。先祖代々暮らし続けている猫かどうか分かりませんが、元住民の方々が世話されているのかも知れません。

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 道端の小さな石祠のようなものが残されています。

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 薬師堂の右手の竹藪を抜け奥の道を荒川の流れる左手に歩いて行くと、八幡社の鳥居が残っています。この鳥居は平成元年に建て替えられた物で、当時はまだこの地で暮らし続けるという思いがあったのだと想像出来ます。

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 鳥居の奥、雑木林のトンネルを抜けると、拝殿こそ無くなってしまったものの、八幡社の小さな祠が残されています。奥は御玉霊神社で右は恐らく水神宮。ただこちらは参拝される人がもう居ないのか、あまり管理されている様子が伺えませんでした。

茨城県旧鹿島鉄道沿線、夜刀神社、鉾田市街地

 鹿島鉄道廃線跡を巡る際、少々気になる神社を発見したので寄り道して参りました。
 夜刀神社。漫画、ノラガミの夜卜神と関係あるのかと思いましたが、どうやら違うようです。ただ、忌み神という部分では共通しており、なんだかとても興味が湧きました。また夜刀という字面から、中二病系創作物などでよくその名前が使われているとか。

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 泉集落の一番奥、暗い森を背にひっそりと鳥居があります。

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 鳥居を潜るとそのまま崖を降りるような形に参道が続きます。写真は鳥居を振り返ったところ。
 夜刀神についてですが、常陸風土記によれば夜刀神とは行方(なめかた・玉造の南)周辺の原野に群棲する蛇体で頭に角を生やした神で、その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうと伝えられていたそうです。忌み神、祟り神の類で祀る事により鎮めています。

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 森の中のキツい坂を下りきると、ちょうど谷底の湧水地に出ます。

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 ここは椎井の池と言います。孝徳天皇の時代(645~654・大化の改新の時代)に壬生連麿(みぶのむらじ=まろ)が夜刀神の棲む谷の池に堤を築こうとしたところ、椎の樹上に夜刀神が集まり、いつまで経ってもそこを去らなかったため、全て打ち殺せと命令したところ逃げ去ったと伝えられています。周囲に椎の木があり泉が湧いていたので、麿はこの池を椎井の池と名付けたそうです。

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 谷底には舗装された道が迂回して通されています。しかし竹は倒れ込んでいるわで、殆ど使う人が居ないような道です。

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 谷底から急坂と階段の参道を、今度は反対側の斜面に沿って登って行きます。すると開けた場所に建つ愛宕神社へと出ました。ここは水戸光圀が夜刀神社と合祀し、村の鎮守としたとも伝えられています。

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 愛宕神社の右奥にひっそりと佇んでいる祠が夜刀神様です。
 継体天皇の時代(507~531・古墳時代)に箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)という人が谷を切り開き新たに田を開墾した際、夜刀神が大量に現れてその開墾を邪魔したと伝えられています。

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 夜刀(やと)とは古い言葉で谷(やつ)、谷人(やと)を意味し、一説によれば谷底に住んでいた先住民の事を指しているとも言われています。つまり西方より農耕を広めて来た人々が、狩猟などを生業とする先住民を滅ぼし、その一族の祟りを怖れて神として祀ったとも想像できます。いわゆる夷討伐のような物。

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 こちらは前回通り掛かった、桃浦近辺にあった三昧塚古墳。夜刀神伝説の舞台は、飛鳥時代よりも前の古墳時代という事になります。

 夜刀神社を訪れた後は先日アップした記事の通り、廃線跡を巡り温泉に浸かって鉾田へ。

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 旧鉾田駅前でまず出迎えてくれたのが、このガソリンスタンドの廃墟。なんか凄まじい雰囲気。

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 駅周辺には廃業したスナックや居酒屋などが多く、かつて栄えていた様子が窺えます。

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 こちらは閉店された美容院。窓の造りがとても昭和。

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 街には人影もなく、閑散としております。終着駅だった街が鉄道の廃止によって駅前ではなくなり、その後の震災による液状化被害もあって街は衰退の一途を辿っていきました。

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 鉾田から鹿島臨海鉄道の新鉾田駅へ向かう商店街にある牛乳屋さん。鹿島臨海鉄道鹿島線は1980年、第三セクターによって開業した路線ですが、なぜか駅は鹿島鉄道鉾田駅からかなり離れた、街の反対側にあります。

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 街の映画館『宝来多座』。閉館して久しい様子。

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 そんなわけで、いかにも寂れた街といった雰囲気の鉾田でした。

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神奈川県藤沢市(1)、藤沢飲食盟友会~奥田センター飲食街

 JR東海道線と小田急江ノ島線が交差し、江ノ電の起点駅でもある藤沢は、東海道の宿場町として古くから栄えていました。

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 現在でも有隣堂やさいか屋、小田急デパート、丸井のビルを再利用したビックカメラなど、大型店舗がひしめき合うほどに発展しています。

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 宿場町には飯盛り女というのが居て、後に遊郭、赤線と姿を変えて行きました。その名残りを残していたのが北口から銀座土曜会商店街をほどなく歩いて右手の旧藤沢新地界隈。

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 赤線からスナック街へと変わり、現在全ての店舗が閉店して廃墟化したのが、この藤沢飲食盟友会です。

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 この蔦で覆われた木造のアーチが印象的。

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 廃墟化して放置されてから相当な年数が経っているようで、凄まじい崩壊っぷりです。

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 店舗の看板だけは、当時の面影を残しています。

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 しかし背後にはマンションが迫って来ており、再開発されるのも時間の問題。

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 藤沢飲食盟友会の近くには未だ健在なスナックビルもあります。

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 ただ同時に蔦に覆われた廃墟も。こちらも廃業した飲食店。

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 よく見れば猫がお昼寝。

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 なぜかこの界隈、蔦だらけであります。

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 すっかり廃墟とばかり思っていたら、普通に開業中の病院でした。ビジュアル的にこれはどうかと。

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 ところ変わって南口。商店街の中に昭和な長屋建築がありました。

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 奥田センター飲食街。昼過ぎでしたが結構人の出入りが多く、繁盛している様子。

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 しかし右手を見れば下ろされたシャッターが連なっていました。

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 建築物としても老朽化が激しいだろうと思われ、いつまで残っていてくれるか。
 ともあれ、神奈川などの東京の西側、特に東海道沿いなどにおいては駅前が栄えているというのがあります。地方都市などによく見かけるシャッター商店街はほとんど見ない。これは幹線道路と鉄道駅とがリンクしているため、郊外の大型店舗が出来辛いということでしょうか。

参考ブログ
写真撮っけど、さすけねがい?』様。

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【日記】再訪、草津から伊香保へ

 現在仕事で通っている先が信濃町と四谷三丁目の間辺りの左門町でして、その周辺と言えば某団体の建物一色で、特にこれと言ったネタも無いものですから、約半月更新が止まってしまいました。
 と、言い訳から入りますが、日曜月曜と一泊二日で温泉に行ってまいりました。今回は仕事の先輩のI氏ご夫妻を案内しつつなので、特に新しい所には行かず、行き慣れた草津と小慣れた伊香保へ再訪です。

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 2月以来の草津。湯畑前のあつの湯は改装工事完了しており、今度は湯畑周辺の歩道などの改修が進んでいました。

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 久しぶりに西の河原公園まで歩きます。紅葉はもう少し、あと1~2週間と言ったところでしょうか。

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 今回初めて、西の河原公園奥の日帰り露天風呂に入ってみました。すっかり観光客じゃーん、と、自らを蔑みながらも入ってみれば、なんという広さ! さすがに人が多く中の写真は撮れませんでしたが、この開放感は非常に良いです。
 湯船の一番奥からは源泉がダバダバと流れ込んで来ており、奥に行けば行くほど熱いお湯に。狭い共同浴場などと比べるとさすがに濃さや刺激はあまり感じられませんが、湯量も多いので常に新鮮なお湯と入れ替わります。これはこれで人に勧められます。

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 西の河原公園前の花豆甘納豆屋さんの売り場で落ち着いている猫。撫で放題です。

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 西の河原公園からお土産店街の坂を下り、温泉饅頭長寿屋の強制試食に捕まりながらもお茶でまったりしつつ、長寿屋の脇の路地を入ると外湯、凪の湯があります。

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 ここは数年前、外湯巡りにハマった時に熱すぎて入れなかったお湯です。

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 熱いお湯が好きだというI氏に、私が草津で最も熱いと思っているお風呂に連れて行きました。

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 お湯は西の河原源泉。他の源泉と比べると個性が薄いとも感じますが、半地下に浴槽があるせいか、源泉温泉が下がらず熱湯が掛け流されています。ホースで多少加水しても効果無し。しかし今回、頑張って肩まで浸かりました。
 リベンジ。しかし熱さに慣れれば気持ちいいです。

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 宿は今年2月にお世話になった『ペンションはぎわら』さん。素泊まり4000円とリーズナブルな宿です。お客さん大好きな豆柴が熱烈大歓迎。

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 2月に入った際、すっかり気に入ってしまった、わたの湯源泉。今回は貸し切りなのでI氏ご夫妻を男湯に、私と連れは女湯に入浴。今回独特なぬめりはあまり感じられませんでしたが、相変わらず新鮮で濃いお湯でした。

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 風呂上がりには湯畑を周りつつチェーン店居酒屋『魚民』へ。徹底的に安く済ませます。二軒目は以前行った事のあるスナック『舞子』へ。歌い放題飲み放題で二時間一人3000円。なんか二時間以上居たような気もしますが、安いです。

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 翌日は伊香保温泉へ。そんなにお腹も減ってなかったので、4月訪れた此処屋には行かず5月訪れた柏屋旅館の日帰り入浴へ。

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 浴槽を掃除したばかりなのか泥水状態にはなりませんでしたが、変わらず良いお湯でした。紅葉はまだまだ先で、今月末か来月ぐらいでしょうか。
 今回、I氏の車にて4人で行ったので、交通費が一人頭3000円と非常に安く済みました。普段電車バスしか使っておらず、モータリゼーションがどうのこうの言ってましたが、やっぱ車って便利!

群馬県草津温泉、温泉宿と日帰り入浴施設
群馬県草津温泉、外湯巡り(1)
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【日記】草津温泉とスノボ
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【日記】吹雪の草津でスノボと温泉とカピバラ
のんびりと草津

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群馬県伊香保(4)、裏の伊香保、歓楽街廃墟群(後編)

 続きです。

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 このストリップ小屋の一段下にはホテル永楽という小規模なホテルがあります。

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 ただこのホテル、施設は小さいけど、その奥の一帯が凄まじいです。

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 トタン屋根の飲食店街。至る所にホテル永楽の看板が掲げられている事から、この一帯は永楽の土地ではないかと想像できます。

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 懐かしいサンキストのベンチにも永楽の文字が。

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 石段街に出れば、ここまでの廃退ぶりが嘘のような観光地。そのギャップに立ち眩みすら覚えます。

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 しかし、そんな石段街を登りきった所にも廃墟。この『ホテル紅葉』はちなみに、ホテルニュー紅葉などをチェーン展開するおおるりグループや2013年倒産したびわ湖温泉ホテル紅葉などとは、全く関係ありません。

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 神社の石段から見えるホテル紅葉の裏側がまた凄まじい。

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 石段の頂上にあたる伊香保神社。観光客はとりあえずここまで登りお参りして、ここで引き返すかその奥に続く道を進み源泉の吹き出す所にある露天風呂まで行くかを選択します。

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 神社の脇を入って車道に出る所にまた廃墟ホテルが。こちらは『邦来館』。

 ここまで写真を載せて来て気づいたのですが、伊香保の荒廃ぶりを書かれたブログなどを見ると、ことごとくネタがカブってしまいました。みなさん撮られるところが一緒って事です。そして坂の多さにやられて石段の下を走る国道の下側に広がる温泉街まで足を延ばす元気が無くなるのも、多分一緒。(笑)

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 石段街下を走る国道を渋川方面に少し下ると、昔の路面電車が展示されています。

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 レールも一部保存されています。その昔、高崎市内を走っていた路面電車が伊香保まで来ていたそうです。途中結構な坂もありますが、そこはスイッチバックで登って来たとか。

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 かつて線路が走っていた廃線跡。最終的には東武鉄道グループに吸収されながらも、昭和31年まで走っていたそうです。

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 そんな訳で、伊香保をひと回りして来ました。伊香保は、歓楽街の廃墟化が進みながらも、週末の石段街は沢山の観光客でごった返していました。その観光客の中には大江戸温泉物語(石段街右手の崖下の大型ホテル)に宿泊してるのか、カラフルな浴衣を着て散策されている若い女性客も多くいます。
 都心からの近さで言えば群馬県内でもトップクラスの伊香保。同じように復活を目指す関東近郊の歓楽温泉街と比較すると、海産物の豊富な熱海や東武鉄道のある鬼怒川などと比べて多少不利かも知れません。しかし工夫次第では、かなり復活の可能性はあると感じました。

※2016年5月再訪

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 一年後、再び伊香保に宿泊し、夜の伊香保歓楽街を散策してみました。居酒屋で夕飯を済まし裏の伊香保歓楽街へ。日曜日の夜だけあって、ほとんど人影がありません。

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 静まり返った路地、二軒の射的場はしっかり営業していました。

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 日曜の夜だと言うのに、意外にも多くのスナックが営業中。しかしそこかしこから聞こえて来るのは外国語ばかり。

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 ストリップ小屋の下の路地も二軒ほど営業していましたが、以前より気になっていたスナック石段は閉まっていました。聞いた話によればこの界隈、風俗まがいの事も斡旋している店もあるとか。歓楽温泉街はいまだ健在みたいです。ちなみにストリップ小屋も入り口の所で椅子に座り、おっちゃんが呼び込みしてました。繰り返しますが、日曜の夜だってのに!

 結局、坂の上に戻り射的場のある通りの角のスナック『レディー』に入店。店の写真を撮り忘れたので、一年前昼間に撮ったものを載せます。

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 この店はマスターもチーママも日本人で台湾のホステスさんが一人働いてました。お客さんは自分らの他に男性客が3人。一時間3000円でカラオケ別途。伊香保の中心街だけに観光地価格ですが、だいたい相場です。
 マスターと少し話ましたが、現在の伊香保は高齢化と後継者不足が深刻な問題となっているとか。どこも一緒ではありますが、まぁ外国人労働者が居るだけでも水上などに比べればマシなのかも知れません。

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