※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

静岡県三島市(3)、スナック街の路地裏迷宮

静岡県下に於いて、静岡や富士宮、沼津なんかと比べて、三島は大人しいイメージを抱いてました。楽寿園と三島大社、後は田んぼしか無いと思っていたので。

7D063120-09FC-485E-B9E5-053FC4D2DB03

しかし駅前からこの渋い飲食店街。

2B8EF4BB-6910-4FC9-9B08-3A9E8C071E47

アーケードになっており、居酒屋やスナックでハシゴ出来るようになってます。

D21388F6-0FB3-4DB8-A043-611BD513F755

しかし三島が本領を発揮するのは坂下った本町の辺り。高台の水源池である楽寿園の裏手が駅として、中心街は南に下った旧東海道。左手には三島大社。右手に三島宿。

E3E93153-015B-4E6B-8261-413284B8BDD6

歓楽街としての歴史はそれこそ宿場の飯盛り女まで遡ります。まずは気になった路地に入る。

78633560-37EB-4A25-8448-6C50D0632CCE

富士山を模った意匠ですが、配線を這わせてあるのが残念。と、左に長屋造りのスナック路地が。

9AF96EF6-0524-4875-A524-28CE766FD93F

二階は住居でしょうか。突き当たりは行き止まりとなっていました。

5E5FECE1-AC8E-4975-9637-900641039F12

富士山の意匠の建物と長屋造りの隙間を覗いて見ると、抜けられるように。しかも隙間にもスナックが。アプローチの狭さでは今まで見て来たスナックの中でも一位二位を争う。

EC8EC54F-D0C1-4619-9327-FAB043D720F7

隙間を抜けるとまたスナック長屋が有りました。

39C204A7-E658-4D6E-A3E5-BAA2511FB0A3

何軒くらいが生き残っているのか夜に訪れて見ないと分かりませんが、いかにスナック街として栄えていたかが伺えます。

9206BCF4-D3FE-41CA-91A5-45667B6B06C3

このスナック長屋は白雪プラザと言うようです。三島の歓楽街については遊郭や赤線地帯などが移転、統合などを繰り返して来たため、遊郭建築やカフェー建築など名残りを感じさせる古い物は残されていません。

384BB693-7A56-4039-9C88-01806E83B315

現在ではスナック街と住宅街が混在しており、カオス状態となっています。

C5725EDE-63CD-40DF-9E23-02556F97C43E

こちらもスナック長屋。スナックビルのようなものは無く、ほとんどが二階建てです。

13F774A4-871C-4953-8B5B-37302BC4BB02

中央水道給水塔の近くの路地、この辺りは赤線の時代から有ったと言う情報もあります。

033F455F-067E-4E9C-AF45-FFCC6472C735

右手の建物はいかにもって感じもしますが、詳細は不明。

D43A3325-B09D-4B35-99D2-03BAE8C8FC43

いつか夜に訪れる機会があれば、と思います。

神奈川県横浜市、真金町のコリアタウン横浜橋市場

中村川に掛かる三吉橋の北側、大通りまでの30mが三吉橋商店街。

IMG_1431

ここは80歩で通り過ぎてしまう日本一かわいい商店街だそうです。

IMG_1241

店の名前が香港、北京、釜山と揃い踏み。その中でマーケットの跡地を見つけました。よく見ると果実、惣菜の文字が。

IMG_1430

裏から見たら、こんな感じ。

IMG_1243

中はすっかりシャッターが下りていました。

IMG_1307

大通りを渡ると北に向かってアーケードの横浜橋商店街。ここも中国系、韓国系の店が多いようです。

IMG_1244

しばらく歩くと右手に闇市発祥のような市場があります。

IMG_1246

短い路地ですが、入っていきなり韓国食材店の南山。最初からそうなのか途中からなのか、プチコリアタウンです。

IMG_1248

路地を抜けて振り返って見れば横浜橋市場の看板が。ここで右手の建て増しテントが気になる。

IMG_1310

右手の魚屋さんは廃業してしまったそうで、左手には「ますや」さん。昔はこのますやさんも貝類を扱う魚屋さんが入っていたとか。立ち飲みと書いてありますが、中はカラオケの機械もある普通にスナック風の造り。建て増しのテントは倉庫のようです。

IMG_1250

韓国系のママさんと地元の肉体労働者系の常連さん達で賑わっていました。ここがなんと昼間の11時から営業しているとか。年金生活のお爺ちゃん方が昼カラでもやってるんでしょうか。ちなみにこのピンクの電話はいきなり鳴り出すことがあります。

IMG_1280

後日、仕事帰りに改めて真金町辺りをうろうろしました。横浜橋西側の界隈を散策。

IMG_1281

この辺りは昭和33年に売春禁止法が施行されるまで永真遊郭が存在したそうです。現在では普通の住宅街となり名残りはほとんど無いそうですが、妖しげな建築物は多く目にしました。

IMG_1284

素晴らしい建物がいっぱい。遊郭云々以前に香ばしい。この界隈に中国系韓国系の方が多く住んでいるのは、遊郭が消滅した後に移り住んで来られたのでしょうか。

IMG_1288

警戒されてます。すいません余所者でございます。

IMG_1311

追記・4/27
横浜橋商店街の東側を少し歩きました。この辺りがかつての永真遊郭の中心だったと思われますが、当時の名残りは全く見つからず。Googleマップで立ち飲み検索に引っ掛かった場所に行ってみました。
おわかり頂けるだろうか。美容室マイヘアーの左側に明かりが灯る扉が。窓ガラスの内側に黒板があり「楽」という店名と営業時間が書いてあります。しかし看板は表に出てないし玄関は磨りガラスで中が見えない。
流石に入れませんでした。んー、もう一回チャレンジしてみようか。

埼玉県秩父市(2)、秩父市街の産業遺産と三業地

続きです。

IMG_2811

少し戻って路地を北へ。長屋のように連なっているのは秩父銘仙(織物)出張所。手前から1号2号3号棟となっており、昭和元年建築の登録有形文化財です。

IMG_3140

現在は中を改修してオシャレカフェやバー、蕎麦屋などが入っていました。

IMG_2812

2号棟と3号棟の間は通り抜けられるようになっています。

IMG_3147

国道73号に戻ります。銘仙(織物)問屋柿原商店。登録有形文化財です。

IMG_3148

さて、こちらは秩父駅も近い下平通り。この辺りはかつて料亭や置き屋、待合などが軒を並べる三業地だったそうです。

IMG_3149

旧「花月」と言われている建物。ステンドグラス風の飾り窓が素晴らしいですが、現在はヨガ教室とか。

IMG_3150

こちらも花街らしい建物。この辺りの建物はなぜか文化財指定されていません。

IMG_2813

左手にはこれまた古い長屋が。手前には蕎麦屋「楽蔵」さんが入っています。

IMG_3152

その奥、蔵が併設されているところを見るに商家でしょうか。

IMG_3154

線路から離れるごとにノコギリ屋根の織物工場跡が目について来ます。影森や三峰口など秩父鉄道線の奥の方に行けば、沿線に蚕の餌である桑畑が広がっています。ここ秩父地方の山間部にはかつて養蚕農家も多く、毛織り物産業を支えていました。

IMG_3162

裏に廻れば木造のノコギリ屋根。桐生の街を思い出します。

IMG_3158

秩父駅に向かう途中にあった銭湯の「たから湯」。長屋住まいの工場労働者たちが汗を流していたのでしょうか。

IMG_3157

「たから」と読めない。ここも残念ながら月曜定休のため入れませんでした。

IMG_2816

仕方ないので猫で癒されます。

IMG_3169

明治初期に建てられたという商人宿「秩父館」。今で言うビジネスホテルみたいなものでしょうか。現在は地元の方々が手芸品や陶芸品を展示販売するスペースとなっています。

IMG_3168

店頭では地元農家の方々による野菜も販売。改装しているとは言え軒下の造りなど見応えが有ります。

IMG_3170

明治33年に芝居小屋秩父座として開業した松竹秩父国際劇場跡。昭和58年に閉館。正面の外観のみ当時の面影を微かに残すのみで、中は大幅に改築されています。

IMG_3172

こちらは秩父駅前唯一の飲み屋街。特に期待するような路地裏感はありませんでした。
秩父と言えば夜祭ぐらいしか人が来ず、観光地としてはマイナーです。西武も箱根や軽井沢の観光開発には力を入れるクセに、お膝元では去年やっと西武秩父駅を再開発した程度。もっとも古い街並みの景観としては川越に敵わないし、結局期間限定の芝桜と夜祭に頼っている部分もあるように見えます。
しかも先月の27日、秩父鉄道を走るSLが故障。機関車に連結している炭水車の車両と台車をつなぐ接続部に金属疲労による亀裂が見つかり、復旧には長期間かかるそうで10月から11月の行楽シーズンの運休を決めたそうです。夜祭には間に合わせようと考えているのかも知れませんが、大きな打撃でしょう。

秋田県秋田市、場末の路地裏迷宮(後編)

IMG_2952

南に進みます。こちらは川反5丁目小路。

IMG_2954

さらに南の「みきょう小路。左半分が潰されて駐車場になってます。

IMG_2786

にゃー

IMG_2957

途中右手に袋小路。たまりません。

IMG_2793

にゃー

IMG_2960

みきょう小路の奥には通り抜けられる通路も。

IMG_2788

にゃー

IMG_2961

左側のシャッターは開くのでしょうか。

IMG_2791

て言うか猫多っ!wwwww

IMG_2967

一本西側の通りを北へ戻ります。すると右手にまた渋い小路が。

IMG_2964

千秋小路という長屋に挟まれた路地裏。夜に訪れたいとつくづく思います。

IMG_2968

ただ、外側を見るとすでに崩壊していました。
そんな訳で反町界隈。場末の場末って感じで、とても刺さりました。夜の反町へのリベンジを誓いながら、翌日は羽越線を南下します。

埼玉県さいたま市、廃村、塚本集落堤外地

 JR京浜東北線浦和駅からバスで西へ、荒川の河川敷にある廃村を訪れました。

image

 秋ヶ瀬公園の北に位置するこの場所は、サイクリングロードにもなっている荒川堤防の河川敷側にあります。私は20年ほど前、川口からサイクリングで来た際ちょうどこの辺りで引き返した記憶があり、その当時はまだ集落が存在していたのですが、まさか堤防の外側に村があるなど想像もしていませんでした。

image

 堤防の東側には塚本の本集落が存在します。だいぶ宅地造成も進んでいますが、かつて堤外に住んでいた人々もこちら側に引っ越されました。

image

 集落は上流側の外東地区に二軒、下流側の外西地区に十数軒あったとされます。まずは外東地区から。

image

 家屋は全て解体され、跡地だけが散在します。

image

 水田の真ん中に昔使われていた電柱と石碑のようなもの。どうしょうも無いくらいの逆光。

image

 水田に水を引くポンプ小屋と昔の電柱。この堤外地は民家こそ消滅しましたが、耕地は今でも使われています。

image

 次に外西地区へ入って見ましょう。廃村の奥、川べりには浦和軟式少年野球連盟専用グランドや大宮カントリークラブのゴルフコースなどのあるので、電線が張られています。

image

 所々に残る集落で使われていた電柱は、時代を感じさせます。

image

 もう使われなくなってしまった自治会の掲示板。

image

 耕地のほとんどが現役で使われており、この日も軽トラなどの車4台、6人ほどの方が作業などをしており、廃村の雰囲気は正直有りません。

image

 集落の移転は昭和59年から始まりますが、平成11年の水害がきっかけとなり平成14年には全世帯が補償を受けた上で堤防の内側への移転を完了しました。

image

 もともとこの集落は大正時代に始まった荒川改修以降堤防の外側に取り残されてしまった形となり、以降も頻繁に水害に遭っていたそうです。

image

 野生化した竹藪や雑木林の中に、幾つもの民家跡が残っています。

image

 外西地区の中心には薬師堂と墓地が残されており、ここの「薬師堂のマキ」は市の天然記念物に指定されています。

image

 この日、二人のご老人が堂内で茶飲話をされていましたが、このあとまだ何人か集まることになっているようです。元住民による集会などは、まだこの地で行われているみたいで、住居こそ無くなったものの、暮らしはいまだこの地で続けられている事が伺えます。

image

 またこの辺りには野良猫が多く住み着いています。先祖代々暮らし続けている猫かどうか分かりませんが、元住民の方々が世話されているのかも知れません。

image

 道端の小さな石祠のようなものが残されています。

image

 薬師堂の右手の竹藪を抜け奥の道を荒川の流れる左手に歩いて行くと、八幡社の鳥居が残っています。この鳥居は平成元年に建て替えられた物で、当時はまだこの地で暮らし続けるという思いがあったのだと想像出来ます。

image

 鳥居の奥、雑木林のトンネルを抜けると、拝殿こそ無くなってしまったものの、八幡社の小さな祠が残されています。奥は御玉霊神社で右は恐らく水神宮。ただこちらは参拝される人がもう居ないのか、あまり管理されている様子が伺えませんでした。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
トラベル.jp たびねす
→たまに記事を寄稿

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
記事検索
最新記事
  • ライブドアブログ