前回訪れた成田空港近くの日帰り入浴施設、空の湯。そこに併設されているレンタル自転車空輪さんでマウンテンバイクを借りてサイクリングに行きました。
空輪さんではマウンテンバイクかロードバイクかを選択出来ますが、私は乗り慣れたマウンテンバイクをチョイス。4時間1200円、1日2000円で、しっかり整備された本格的なマウンテンバイクを借りれます。しかもメットやグローブなどもレンタル無料。
成田空港周辺は台地の上になっており、広大な畑が広がっています。関東ローム層特有の粒子が細かく水捌けが良すぎる土壌では畑作となります。
台地の至るところに水源があり、谷に沿って水田が広がって行きます(谷津と言う)。日本に多く見られる山と川の風景とは少し違う、北総台地特有の低い起伏に満ちた地形。
そんな農村地帯の集落のひとつに残る廃校舎。
この旧・興新小学校は1881年(明治14年)開校、1993年3月に他校と統合されて閉校しました。
この廃校舎は映画「永遠の0」を始め数々のロケ地に使われています。そのために机と椅子が並べられているのでしょうか。
もちろん鍵が掛かっていて中には入れませんが、窓から中の様子は伺えます。中はちゃんと手入れされており、廃墟化せずに保存されていました。
校門跡。門柱が残されています。校舎は高台の上にあり、校門前からは石畳の坂道が続いてます。
小学校の下には集落が広がっています。屋敷門のある立派な農家が多い。
次に訪れたのは北東に位置する久賀小学校跡。校舎はすでに解体されており、跡地に集会所のような建物が建てられています。
この小学校跡は栗山川沿いの水田地帯の外れの丘陵の上、次浦地区にあります。校庭の片隅に残る鉄棒。
猫が日向ぼっこしてました。
門柱も撤去され、そのまま放置されています。
久賀小学校跡の近くの屋敷。土地の有力者でしょうか、見事なお屋敷です。
その屋敷の右手に、明治42年創立の米本図書館があります。
栗山川沿いの水田地帯を南側の下流域、多古町の中心街へと向かいます。途中、崩れかけた廃橋などが幾つか。
多古町の中心街に建つ木内家住宅は大谷石を使った見事な屋敷で史跡にもなっています。多古町は小さな城下町ですが、近在にも多くの城跡が散在しています。
ひとまず渋い大衆食堂で昼食。
カツカレーを注文。さりげなく柿が付いてきて、食後にはコーヒーも頂きました。
多古郵便局。千葉県で最初に開局された郵便局3軒の内の1軒で、なんと明治3年開業と言う古さ。この点を見ると多古町が千葉県内に於いて、いかに栄えていたかが窺えます。多古町と言う町名自体つい最近知った自分としては意外過ぎる事実。
この建物は昭和17年に建て替えられた物で昭和40年、3軒左手に移転するまで営業していました。
窓から覗いた様子。歴史的価値から言えば内部も公開して欲しいところ。ちなみに2階は電話交換所だったそうです。後から知ったのですが多古町にはかつて花街があり、戦前には成田から八日市場までの成田鉄道多古線も走っていたとか。
最後に訪れたのは多古中心街より南、田園地帯の中で島のように浮かぶその名も島集落。
僅かな丘陵に広がる集落ですが、ここにも志摩城跡と言う城跡があります。志摩城については多古城の出城だと推定されるものの詳細は不明。しかし1455年に起きた享徳の乱に於いて千葉氏の滅亡とともに廃城となったそうです。
この多古町一帯は鎌倉時代千田荘と言う、いわゆる千葉氏一族の地方豪族円城寺氏らの治める荘園でした。つまり田園としての歴史も古い上、さらに古墳も幾つか残っています。ちなみに台地の上の畑作地帯は主に明治以降の入植者たちによって開墾されて来ました。
志摩城の廃城後、城址とその周辺に日蓮宗不受布施派の信徒による集落がつくられました。しかしその排他的な教義から江戸時代には禁教とされ、激しく弾圧されてしまいます。 信徒達は幕府からの監視探索を避けるために家々を高い槇塀で囲い、十字路のない迷路のような町並を造ったそうで、その名残りが今も残っています。
垣根に囲まれた路地は時にカーブを描き時に分岐して、本当に迷います。集落の形としては非常に興味深い。
島集落近くにある昭和34年竣工の円筒分水工。水争いを避けるため農業用水を公平に分配するものです。
空の湯から多古町までは片道40分ぐらいなのですが、色々回ってなんだかんだでレンタル時間の4時間一杯掛かってしまいました。むしろ1日レンタルで余裕を持っても良かったかも知れません。
それにしても久しぶりにいい汗かきました。天気も良かったし起伏もなだらかだし空を見上げれば旅客機が通り過ぎる。サイクリングには最適でした。
運動の後は源泉掛け流しの温泉に浸かり、からの生ビール。もう言う事ありません。
空輪さんではマウンテンバイクかロードバイクかを選択出来ますが、私は乗り慣れたマウンテンバイクをチョイス。4時間1200円、1日2000円で、しっかり整備された本格的なマウンテンバイクを借りれます。しかもメットやグローブなどもレンタル無料。
成田空港周辺は台地の上になっており、広大な畑が広がっています。関東ローム層特有の粒子が細かく水捌けが良すぎる土壌では畑作となります。
台地の至るところに水源があり、谷に沿って水田が広がって行きます(谷津と言う)。日本に多く見られる山と川の風景とは少し違う、北総台地特有の低い起伏に満ちた地形。
そんな農村地帯の集落のひとつに残る廃校舎。
この旧・興新小学校は1881年(明治14年)開校、1993年3月に他校と統合されて閉校しました。
この廃校舎は映画「永遠の0」を始め数々のロケ地に使われています。そのために机と椅子が並べられているのでしょうか。
もちろん鍵が掛かっていて中には入れませんが、窓から中の様子は伺えます。中はちゃんと手入れされており、廃墟化せずに保存されていました。
校門跡。門柱が残されています。校舎は高台の上にあり、校門前からは石畳の坂道が続いてます。
小学校の下には集落が広がっています。屋敷門のある立派な農家が多い。
次に訪れたのは北東に位置する久賀小学校跡。校舎はすでに解体されており、跡地に集会所のような建物が建てられています。
この小学校跡は栗山川沿いの水田地帯の外れの丘陵の上、次浦地区にあります。校庭の片隅に残る鉄棒。
猫が日向ぼっこしてました。
門柱も撤去され、そのまま放置されています。
久賀小学校跡の近くの屋敷。土地の有力者でしょうか、見事なお屋敷です。
その屋敷の右手に、明治42年創立の米本図書館があります。
栗山川沿いの水田地帯を南側の下流域、多古町の中心街へと向かいます。途中、崩れかけた廃橋などが幾つか。
多古町の中心街に建つ木内家住宅は大谷石を使った見事な屋敷で史跡にもなっています。多古町は小さな城下町ですが、近在にも多くの城跡が散在しています。
ひとまず渋い大衆食堂で昼食。
カツカレーを注文。さりげなく柿が付いてきて、食後にはコーヒーも頂きました。
多古郵便局。千葉県で最初に開局された郵便局3軒の内の1軒で、なんと明治3年開業と言う古さ。この点を見ると多古町が千葉県内に於いて、いかに栄えていたかが窺えます。多古町と言う町名自体つい最近知った自分としては意外過ぎる事実。
この建物は昭和17年に建て替えられた物で昭和40年、3軒左手に移転するまで営業していました。
窓から覗いた様子。歴史的価値から言えば内部も公開して欲しいところ。ちなみに2階は電話交換所だったそうです。後から知ったのですが多古町にはかつて花街があり、戦前には成田から八日市場までの成田鉄道多古線も走っていたとか。
最後に訪れたのは多古中心街より南、田園地帯の中で島のように浮かぶその名も島集落。
僅かな丘陵に広がる集落ですが、ここにも志摩城跡と言う城跡があります。志摩城については多古城の出城だと推定されるものの詳細は不明。しかし1455年に起きた享徳の乱に於いて千葉氏の滅亡とともに廃城となったそうです。
この多古町一帯は鎌倉時代千田荘と言う、いわゆる千葉氏一族の地方豪族円城寺氏らの治める荘園でした。つまり田園としての歴史も古い上、さらに古墳も幾つか残っています。ちなみに台地の上の畑作地帯は主に明治以降の入植者たちによって開墾されて来ました。
志摩城の廃城後、城址とその周辺に日蓮宗不受布施派の信徒による集落がつくられました。しかしその排他的な教義から江戸時代には禁教とされ、激しく弾圧されてしまいます。 信徒達は幕府からの監視探索を避けるために家々を高い槇塀で囲い、十字路のない迷路のような町並を造ったそうで、その名残りが今も残っています。
垣根に囲まれた路地は時にカーブを描き時に分岐して、本当に迷います。集落の形としては非常に興味深い。
島集落近くにある昭和34年竣工の円筒分水工。水争いを避けるため農業用水を公平に分配するものです。
空の湯から多古町までは片道40分ぐらいなのですが、色々回ってなんだかんだでレンタル時間の4時間一杯掛かってしまいました。むしろ1日レンタルで余裕を持っても良かったかも知れません。
それにしても久しぶりにいい汗かきました。天気も良かったし起伏もなだらかだし空を見上げれば旅客機が通り過ぎる。サイクリングには最適でした。
運動の後は源泉掛け流しの温泉に浸かり、からの生ビール。もう言う事ありません。