鶴見駅周辺は2010年4月に軽く訪れただけだったので、今回改めて訪れてみようと。
鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。
この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。
鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。
このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。
地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。
この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。
鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。
商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。
工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。
アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。
名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。
ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。
駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。
一番奥に残るカフェー建築。
周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。
鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。
この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。
鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。
このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。
地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。
この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。
鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。
商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。
工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。
アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。
名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。
ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。
駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。
一番奥に残るカフェー建築。
周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。