戦争遺跡

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神奈川県横須賀市、横須賀軍港巡り(2回目)

先月、伊東や熱海に行った帰り、暇だったので横須賀に立ち寄り、以前乗った横須賀軍港巡り遊覧船を再訪しました。
旅行3日目だったので疲れず、また連れがそこそこ楽しめる物(マニアック過ぎない物)と言う事でチョイス。

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今回も晴天。ただ冬場の午後のため少々日が傾いています。特に軍艦マニアと言う訳ではないので、いきなりウミウとか撮っちゃったり。

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米軍基地に停泊している海上自衛隊の潜水艦。これは比較的いつでも見れます。船舶名は相変わらず明かされません。

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まず見えてくるのがアメリカ第七艦隊のイージス艦。

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今回は初めて空母を見ることが出来ました。こちらは米軍のアフガン撤退支援の任務を終えた原子力空母ロナルド・レーガン。まぁデカいのなんの。

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今回も艦船より戦争遺跡の方に目が向きます。こちらは田浦の海上自衛隊敷地内に建つ旧光学実験部光学工場。

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こちらは海上自衛隊の潜水艦越しに第二海軍航空廠横須賀補給工場。

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今回も撮りました。引き込み線の車止め。

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新井掘割水路の吾妻島側に見える地下弾薬庫跡及び燃料庫跡の入り口。

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米軍の施設内なので内部は一生見れないでしょう。

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この桟橋も旧日本海軍の遺構でしょうか。

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桟橋とトンネル。米軍敷地内である吾妻島の遺構は向かい側も海上自衛隊の敷地になるため、遊覧船からしか見ることが出来ません。

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旧海軍港務部の建物と思われる物。海軍当時の施設をそのまま使っている物は多く有りますが、結構キリがないし判別も難しいです。海上自衛隊にしろ在日米軍にしろ、施設内を開放するイベントなどあったら多分興奮して建物を撮りまくって、不審人物と疑われてしまうかも知れません。

千葉県富津市金谷(2)、金谷砲台のレジャーランド廃墟

鋸山から下山して昼食を摂った後、レンタルサイクルを借りて廃墟探索に向かいました。

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着いたのは砲台山と呼ばれる、鋸山の北西に位置する小高い山。林道から分岐する廃道を入って行きます。

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廃道脇の斜面には道に沿って溝が掘られています。この溝、いったい何の役目を果たしていたのかなどの詳細は不明。

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砲台山の名の通り、山頂には金谷砲台の遺構が残されています。

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房総半島や三浦半島によく見られる、首都防衛のための対艦砲台です。

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中央の丘は砲側庫で四方に通路と砲台跡が広がっています。

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砲台の跡は池か何かだったのでしょうか。金谷砲台は大正13年に竣工。一時は除籍されたものの太平洋戦争末期に復活。そのまま終戦まで存在しました。

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こちらは共用トイレの跡。戦後、廃墟となった砲台跡に昭和30〜40年代、砲台山ハイランドと言うレジャーランドが建設されました。しかし詳細は不明ですが寿命は短く、昭和40年代〜50年代には閉園されてしまったそうです。

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砲側庫の上に立つ小屋。鳥小屋と思われます。

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こちらはレストハウス。レジャーランドと言っても小動物が数種類飼育され、あとはバーベキュー場と花壇、簡単なアスレチック、展望台などがかる程度の施設だったようです。

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こちらは麓からのリフトの降り場。この廃墟のメインとも言える遺構です。

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展望台まで簡素なリフトを掛けると言うのは、確かに昭和の頃にはよく見掛けました。リフト自体がアトラクションのような感覚だったのを覚えています。

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リフトのモーター部分。当時入場料は無料で、リフト代だけで運営されていたそうです。

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敷地は広大だったようですが、藪に覆われたりしており隅々までは回れませんでした。いや、正直ちょっとビビってました。

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古タイヤの遊具らしき物。廃墟探索はここまでにしときます。

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せっかく自転車借りたんで、海沿いを少し走りました。写真は竹岡方面に少し走ったところにある造船所跡。

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こちらは戦争遺跡と思われる穴。倉庫か、あるいは震洋などの格納庫だった可能性も。

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金谷に戻って来ました。こちらは内房フラワーハウスの跡。1970年代に開業と思われますが、2009年に閉業。フェリー埠頭と鋸山ロープウェイの間の国道沿いにあり、多くの観光客が行き交う中に晒されています。

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こちらの宿泊施設、金谷ステーションさんでママチャリを借りました。カフェも併設されており、日帰り入浴もできる温泉宿です。

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泉質は塩化物泉で24度の源泉を加温したもの。柔らかい肌触りで芯から温まります。最後に登山(下山)とママチャリサイクリングの疲れを癒せました。

神奈川県横須賀市、横須賀軍港巡り

横須賀市街からちょっと北へ。米軍基地を右手に見ながら少し進むと入り江が見えてきます。COASKAベイサイドストアーズと言う巨大ショッピングモールの左脇にあるのが遊覧船発着場の汐入埠頭。京急汐入駅も近いです。

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今まで戦争遺跡巡りなどもして来ましたが、その際ちょくちょく立入禁止に阻まれて来ました。この横須賀軍港巡りの遊覧船は、そんな海上自衛隊基地や在日米軍基地を海から眺めてやろうってやつです。

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まず右手に見えて来るのが米軍基地に停泊中の海上自衛隊の潜水艦。昔、クリスマスの時期に訪れたらイルミネーションされた潜水艦を対岸のヴェルニー公園から見ることが出来ました。潜水艦が目立ってどうする!なんて思いました。

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こちらは米海軍のイージスシステムを搭載したミサイル駆逐艦、ジョン・S・マケイン。奥にもう二隻イージス艦が停泊しており、さらに沖合いにも危険物積み込み中のが一隻停泊していました。

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奥のデッキで塗装とかでしょうか、足場組んで作業しているのもイージスシステムを搭載したミサイル駆逐艦ミリアス。今回はイージス艦だらけでしたが、時期によっては空母が停泊している事もあります。

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そんな世界最大の艦隊、アメリカ第七艦隊の母港である横須賀基地を眺めていると、あれは、旧日本軍の地下壕施設では⁉︎ ちなみに桜の花見の時期のスプリングフェスタと8月のフレンドリーシップデーの年二回、基地内の一部が一般に開放されます。もちろん今年はコロナの影響で中止でしたが。

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さて、遊覧船の左手は海上自衛隊の敷地となります。吉倉桟橋に停泊していたのはイージス艦まや(右)と護衛艦むらさめ(左)。米海軍と海上自衛隊合わせてこれほど多くのイージス艦が集まる港は、世界的に見ても稀だそうです。なにぶん第七艦隊は地球の海の半分近くを活動範囲としている訳ですから、無理もないです。

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駆逐艦やまぎり(右)と駆逐艦あまぎり(左)。どちらもあさぎり型護衛艦で、他にもあさぎり、ゆうぎり、はまぎり、せとぎり、さわぎり、うみぎりなどの霧シリーズがあります。

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遊覧船は吾妻島を北へ、反時計回りに周回します。こちらは掃海母艦うらが。2001年、掃海艇派遣問題で物議を醸し、アラビア海へ派遣された船です。船尾がガバっと開くのが特徴。

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こちらは護衛艦おおよど。

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そのおおよどの向こう側には自衛艦司令部などがありますが、なかなか古そうな建物も見えます。

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左手前方を見れば以前訪れた田浦の旧海軍の倉庫群が見えます。

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さらになんと、引き込み線の廃線跡の車止めも!ここはベイスターズの練習場の裏手に当たりますが、完全に自衛隊敷地内になるので入れないところです。他の乗客たちが自衛隊の艦船を一生懸命撮影する中、自分だけあらぬ方向にカメラを向けて興奮していました。

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こちらは海上自衛隊の潜水艦が二隻。潜水艦は艦船の通し番号が表記されて無いので、説明を聞き逃したら艦船名が分かりません。

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こちらは潜水艦救難母艦ちよだ。行方不明となった潜水艦を捜索し、搭載された深海潜水艇で乗組員を救助するとか。

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やがて遊覧船は田浦から新井掘割水路を抜けて汐入のある横須賀本港へと戻ります。吾妻島は元々半島だったところを、運河のように水路で分断してしまったため、島になりました。

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この新井掘割水路の吾妻島側に、いくつもの地下壕施設入り口と思われる遺構が確認できます。

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この新井掘割水路は幕末の1854年、水運を便利にするため地元の名主が水路を造ったのが始まりでした。その後明治19年、横須賀の海軍鎮守府が水路を拡張、海底27mまで掘削されました。

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以来この辺りは海軍の燃料庫地帯になっていたそうです。

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ちなみにこの吾妻島は現在、米海軍の倉庫として利用されています。

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遊覧船は汐入埠頭へと戻って行きます。ヴェルニー公園の下に垣間見える、旧埠頭の階段。45分ほどのクルーズでしたが楽しかったです。今度はいずもが入港する時期にまた行きたいです。

神奈川県横須賀市、猿島要塞のレンガ建築と砲台跡

今更なのですが、メジャーな観光地でもある猿島要塞に行って来ました。多くのブログ等でも紹介され尽くされてますが、一度行ってみたかったんです。

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島を離れる時の写真であると航跡で思い切りバレてしまいますが、猿島は横須賀の三笠公園から一時間毎に出航する船に乗り10分ほどで到着してしまいます。

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着くなり島内の至るところが歴史的価値のあるものだらけです。10:30の便で20名ほど、平日の午前中にもかかわらずの盛況ぶり。浜辺でのBBQ目的の団体もいましたが。

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最初に出迎えてくれるのがこの発電所。明治28年建造で当時は蒸気機関による自家発電だたとか。現在も自家発電として機能しています。

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切り通しを登って行くと右手に兵舎が。猿島は幕末、外国船から江戸を守るための台場として開発されました。砲台は太平洋戦争終結まで存在しましたが、レンガ造りの建造物は明治中期のもの。

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切り通しはウッドデッキが敷かれとても歩きやすくなっています。右手前にあるのは弾薬庫。

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こちらは随分と蔦に覆われていますが兵舎です。雰囲気はめっちゃあります。

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ここのレンガ造りはフランス積みと言い、明治20年頃からはイギリス積みが主流になったため非常に貴重なものだそうです。ちなみにここはトイレの跡。

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しばらく歩くとトンネルが現れます。ここの切り通しの石垣はいつの時代のものだろうか。苔がいい味出してます。

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赤レンガが美しいトンネル。このトンネルの途中から横に入れば、立入禁止ですが地下壕の司令所などもあるそうです。

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こりゃ歴史的価値以上にフォトジェニックっていうヤツですね。インスタなんかで広まって観光客が多く訪れるようになったっていう。奥に見えるのは弾薬庫跡で、その向こう側に抜けられるようになっています。

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トンネルを抜けると道は右に折れます。奥にトンネルがありますが、現在法面工事に伴い通行止め。先程の弾薬庫から砲台側に抜けて行きます。

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弾薬庫を抜けた反対側出口はこんな感じ。ラピュタの世界なんて言われたりもしているようですが、どうもその言い方、個人的には気に食わなかったりします。

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海沿いに抜ければいくつか砲台跡があります。

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東京湾防衛と言えば観音崎砲台や海上の第一〜第三海堡、富津岬や館山の大房崎、洲崎などがありますが、結局どこの砲台も火を噴く事はありませんでした。もし終戦が遅れて本土上陸作戦が実行されたとしても、駿河湾と鹿島灘から上陸する計画でした。

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こちらも砲台跡。太平洋戦争時の高角砲が設置されていました。元々東京湾に侵入してくる軍艦を迎え撃つために建設された猿島要塞でしたが、時代は飛行機、しかも高射砲も届かない高度一万メートルをB29が飛来して来た訳です。

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こちらも砲台跡です。猿島については資料も少なく、実際幕末から明治、大正、昭和と、どの局面でどこに砲台があり、どのように変革して来たのかはっきり分からない部分もあるとか。もちろん現在残っているコンクリート造の遺構はほとんどが昭和に入ってからの物と思われますが。

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こちらは廃墟的にもカッコいいのですが、展望台と言われています。確かにトーチカにしてはコンクリートが薄いですが、下部の窓なども含めどうしてもただの展望台とは思えません。見張り台と言われれば、しっくり来ますね。

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そんな訳で、一時間の滞在で戻って来ました。帰りの船は11:45発でしたが、来た船は往路の倍ぐらいの乗船率で、早めに来て良かった。猿島へ渡る船は記念艦三笠の艦尾から出ています。三笠の内部も非常に見応えがあるのですが、昔見たので今回はスルーします。

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昼食は昔何度か訪れたhoney bee。米軍基地の正面にあるピザとタコスとハンバーガーの店ですが、近年メディアに露出して行列が出来るようになってしまいました。

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この日もほぼ満席でギリギリ座れた感じ。チーズバーガー美味いし良い店です。
さて、午後は横須賀軍港巡りの遊覧船に乗ります。

千葉県茂原市(1)、茂原海軍航空基地の掩体壕群

昭和20年2月、まだ未完成だった茂原海軍航空基地に第二五二航空隊が本部を置きました。時すでに戦局は悪化しており、完成を待たずして開設となった訳です。仮ではあるが昭和18年完成とされていますが、終戦の時点でも工事は続けられていたとか。

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かつての滑走路跡。右手には三井化学の工場が広がっています。飛行場建設が決定したのは昭和16年7月。ここ東郷地区の住民約150世帯及び、東郷小学校や寺社ならびに墓地等が安い売却額で強制移転を命じられました。

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周辺には多くの掩体壕が残されています。掩体壕とは当ブログでも何度か取り上げて来ましたが、空襲から航空機を守るための格納庫。分厚いコンクリートで覆われ、なおかつ爆撃機に発見され辛くするようカモフラージュされていました。

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こちらの掩体壕は完全に民家の裏手になっているため、御主人に許可を取り住宅の裏へ入らせていただきました。飛行場建設には充分な重機もないまま、主に朝鮮人の徴用工などによる人海戦術で進められ、近隣の長生中学校や茂原農学校の生徒たちまで駆り出されたそうです。

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こちらの掩体壕は使われなくなった田んぼに囲まれており、あぜ道も藪で覆われているため近づけませんでした。藪漕ぎは基本的にしたくない。

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ほとんどの掩体壕が私有地にある中、こちらの掩体壕は道路に面しています。そのため唯一、案内板が設置されていました。

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こちらの掩体壕は農地を再利用したソーラーパネル発電所の中にあります。しかし掩体壕までのアプローチがわざわざ柵で区切られており、なおかつ草刈りもされていました。見学出来るように整備されているのです。

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こちらは完全に私有地ですが、隣接するアパートの敷地から見ることが出来ます。掩体壕は頑丈に造られているため解体するにも費用が掛かります。そのため倉庫や車庫として使われている事が多いです。

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住宅街の中の森で覆われた掩体壕。ほとんど自然に帰そうとしています。

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こちらも木々に覆われて形が分からなくなっている掩体壕。車庫として使われているようです。

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前面は使われなくなった水田で背後は森と民家。近づけませんでしたが、農機具などの倉庫として使われているようです。以上9ヶ所が現存していますが、これだけ多くの掩体壕が残っているのは全国でもここだけです。観光資源としての可能性を秘めながらも、なにぶんほとんどが私有地であるため難しいです。また基地としても短命で歴史的見地からも文化財指定は難しいでしょう。

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掩体壕を東から新茂原駅に向かって歩いて来ましたが、駅の反対側、内陸側の丘陵地に地下壕施設が残っているらしいので、足を伸ばしてみました。田園が終わり丘陵地に入ると、切り通しと素掘りの隧道がお出迎えです。

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これは!? と、思いましたが、覗いて見ると向こう側の民家の庭に繋がっているだけでした。

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明かりの無い素掘りの隧道は短くてもなんか怖いです。抜けた所で振り返ると、隧道の上に切り通しが。恐らく旧道でしょう。

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いきなり立派な屋敷門が現れました。若かった頃マウンテンバイクで千葉の山林を走った事がありますが、まさかの所で立派な屋敷が現れたりしてビビります。
因みに防空壕ですが、よくよく調べて見たらこの山林の奥に入り口があるらしいです。無理です。夏場に草の生い茂る山に入って行くには、それなりの覚悟と装備が必要です。

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左の籠のような物が気になりますが、かなりの旧家のようです。ALSOKのステッカー貼りまくってますが。こう言う家を一度取材して見たい気持ちもあります。

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なんたってアプローチがコレです。この先に立派な屋敷があるなんて、誰が想像し得るでしょう。こう言うところ、千葉って独特だと思うのですが。

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田園地帯に出ました。放置された水田跡なども見られますが、後継者不足で離農されてしまったんでしょうか。

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小さな集落が見えます。

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こちらも立派な屋敷門。最後はすっかり趣旨が変わってしまいましたが、レンタルサイクルでもあれば、千葉の集落なんかも巡ってみたいですね。
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