戦争遺跡

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神奈川県横須賀市、横須賀軍港巡り

横須賀市街からちょっと北へ。米軍基地を右手に見ながら少し進むと入り江が見えてきます。COASKAベイサイドストアーズと言う巨大ショッピングモールの左脇にあるのが遊覧船発着場の汐入埠頭。京急汐入駅も近いです。

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今まで戦争遺跡巡りなどもして来ましたが、その際ちょくちょく立入禁止に阻まれて来ました。この横須賀軍港巡りの遊覧船は、そんな海上自衛隊基地や在日米軍基地を海から眺めてやろうってやつです。

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まず右手に見えて来るのが米軍基地に停泊中の海上自衛隊の潜水艦。昔、クリスマスの時期に訪れたらイルミネーションされた潜水艦を対岸のヴェルニー公園から見ることが出来ました。潜水艦が目立ってどうする!なんて思いました。

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こちらは米海軍のイージスシステムを搭載したミサイル駆逐艦、ジョン・S・マケイン。奥にもう二隻イージス艦が停泊しており、さらに沖合いにも危険物積み込み中のが一隻停泊していました。

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奥のデッキで塗装とかでしょうか、足場組んで作業しているのもイージスシステムを搭載したミサイル駆逐艦ミリアス。今回はイージス艦だらけでしたが、時期によっては空母が停泊している事もあります。

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そんな世界最大の艦隊、アメリカ第七艦隊の母港である横須賀基地を眺めていると、あれは、旧日本軍の地下壕施設では⁉︎ ちなみに桜の花見の時期のスプリングフェスタと8月のフレンドリーシップデーの年二回、基地内の一部が一般に開放されます。もちろん今年はコロナの影響で中止でしたが。

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さて、遊覧船の左手は海上自衛隊の敷地となります。吉倉桟橋に停泊していたのはイージス艦まや(右)と護衛艦むらさめ(左)。米海軍と海上自衛隊合わせてこれほど多くのイージス艦が集まる港は、世界的に見ても稀だそうです。なにぶん第七艦隊は地球の海の半分近くを活動範囲としている訳ですから、無理もないです。

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駆逐艦やまぎり(右)と駆逐艦あまぎり(左)。どちらもあさぎり型護衛艦で、他にもあさぎり、ゆうぎり、はまぎり、せとぎり、さわぎり、うみぎりなどの霧シリーズがあります。

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遊覧船は吾妻島を北へ、反時計回りに周回します。こちらは掃海母艦うらが。2001年、掃海艇派遣問題で物議を醸し、アラビア海へ派遣された船です。船尾がガバっと開くのが特徴。

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こちらは護衛艦おおよど。

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そのおおよどの向こう側には自衛艦司令部などがありますが、なかなか古そうな建物も見えます。

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左手前方を見れば以前訪れた田浦の旧海軍の倉庫群が見えます。

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さらになんと、引き込み線の廃線跡の車止めも!ここはベイスターズの練習場の裏手に当たりますが、完全に自衛隊敷地内になるので入れないところです。他の乗客たちが自衛隊の艦船を一生懸命撮影する中、自分だけあらぬ方向にカメラを向けて興奮していました。

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こちらは海上自衛隊の潜水艦が二隻。潜水艦は艦船の通し番号が表記されて無いので、説明を聞き逃したら艦船名が分かりません。

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こちらは潜水艦救難母艦ちよだ。行方不明となった潜水艦を捜索し、搭載された深海潜水艇で乗組員を救助するとか。

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やがて遊覧船は田浦から新井掘割水路を抜けて汐入のある横須賀本港へと戻ります。吾妻島は元々半島だったところを、運河のように水路で分断してしまったため、島になりました。

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この新井掘割水路の吾妻島側に、いくつもの地下壕施設入り口と思われる遺構が確認できます。

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この新井掘割水路は幕末の1854年、水運を便利にするため地元の名主が水路を造ったのが始まりでした。その後明治19年、横須賀の海軍鎮守府が水路を拡張、海底27mまで掘削されました。

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以来この辺りは海軍の燃料庫地帯になっていたそうです。

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ちなみにこの吾妻島は現在、米海軍の倉庫として利用されています。

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遊覧船は汐入埠頭へと戻って行きます。ヴェルニー公園の下に垣間見える、旧埠頭の階段。45分ほどのクルーズでしたが楽しかったです。今度はいずもが入港する時期にまた行きたいです。

神奈川県横須賀市、猿島要塞のレンガ建築と砲台跡

今更なのですが、メジャーな観光地でもある猿島要塞に行って来ました。多くのブログ等でも紹介され尽くされてますが、一度行ってみたかったんです。

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島を離れる時の写真であると航跡で思い切りバレてしまいますが、猿島は横須賀の三笠公園から一時間毎に出航する船に乗り10分ほどで到着してしまいます。

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着くなり島内の至るところが歴史的価値のあるものだらけです。10:30の便で20名ほど、平日の午前中にもかかわらずの盛況ぶり。浜辺でのBBQ目的の団体もいましたが。

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最初に出迎えてくれるのがこの発電所。明治28年建造で当時は蒸気機関による自家発電だたとか。現在も自家発電として機能しています。

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切り通しを登って行くと右手に兵舎が。猿島は幕末、外国船から江戸を守るための台場として開発されました。砲台は太平洋戦争終結まで存在しましたが、レンガ造りの建造物は明治中期のもの。

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切り通しはウッドデッキが敷かれとても歩きやすくなっています。右手前にあるのは弾薬庫。

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こちらは随分と蔦に覆われていますが兵舎です。雰囲気はめっちゃあります。

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ここのレンガ造りはフランス積みと言い、明治20年頃からはイギリス積みが主流になったため非常に貴重なものだそうです。ちなみにここはトイレの跡。

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しばらく歩くとトンネルが現れます。ここの切り通しの石垣はいつの時代のものだろうか。苔がいい味出してます。

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赤レンガが美しいトンネル。このトンネルの途中から横に入れば、立入禁止ですが地下壕の司令所などもあるそうです。

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こりゃ歴史的価値以上にフォトジェニックっていうヤツですね。インスタなんかで広まって観光客が多く訪れるようになったっていう。奥に見えるのは弾薬庫跡で、その向こう側に抜けられるようになっています。

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トンネルを抜けると道は右に折れます。奥にトンネルがありますが、現在法面工事に伴い通行止め。先程の弾薬庫から砲台側に抜けて行きます。

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弾薬庫を抜けた反対側出口はこんな感じ。ラピュタの世界なんて言われたりもしているようですが、どうもその言い方、個人的には気に食わなかったりします。

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海沿いに抜ければいくつか砲台跡があります。

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東京湾防衛と言えば観音崎砲台や海上の第一〜第三海堡、富津岬や館山の大房崎、洲崎などがありますが、結局どこの砲台も火を噴く事はありませんでした。もし終戦が遅れて本土上陸作戦が実行されたとしても、駿河湾と鹿島灘から上陸する計画でした。

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こちらも砲台跡。太平洋戦争時の高角砲が設置されていました。元々東京湾に侵入してくる軍艦を迎え撃つために建設された猿島要塞でしたが、時代は飛行機、しかも高射砲も届かない高度一万メートルをB29が飛来して来た訳です。

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こちらも砲台跡です。猿島については資料も少なく、実際幕末から明治、大正、昭和と、どの局面でどこに砲台があり、どのように変革して来たのかはっきり分からない部分もあるとか。もちろん現在残っているコンクリート造の遺構はほとんどが昭和に入ってからの物と思われますが。

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こちらは廃墟的にもカッコいいのですが、展望台と言われています。確かにトーチカにしてはコンクリートが薄いですが、下部の窓なども含めどうしてもただの展望台とは思えません。見張り台と言われれば、しっくり来ますね。

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そんな訳で、一時間の滞在で戻って来ました。帰りの船は11:45発でしたが、来た船は往路の倍ぐらいの乗船率で、早めに来て良かった。猿島へ渡る船は記念艦三笠の艦尾から出ています。三笠の内部も非常に見応えがあるのですが、昔見たので今回はスルーします。

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昼食は昔何度か訪れたhoney bee。米軍基地の正面にあるピザとタコスとハンバーガーの店ですが、近年メディアに露出して行列が出来るようになってしまいました。

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この日もほぼ満席でギリギリ座れた感じ。チーズバーガー美味いし良い店です。
さて、午後は横須賀軍港巡りの遊覧船に乗ります。

千葉県茂原市、茂原海軍航空基地の掩体壕群

昭和20年2月、まだ未完成だった茂原海軍航空基地に第二五二航空隊が本部を置きました。時すでに戦局は悪化しており、完成を待たずして開設となった訳です。仮ではあるが昭和18年完成とされていますが、終戦の時点でも工事は続けられていたとか。

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かつての滑走路跡。右手には三井化学の工場が広がっています。飛行場建設が決定したのは昭和16年7月。ここ東郷地区の住民約150世帯及び、東郷小学校や寺社ならびに墓地等が安い売却額で強制移転を命じられました。

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周辺には多くの掩体壕が残されています。掩体壕とは当ブログでも何度か取り上げて来ましたが、空襲から航空機を守るための格納庫。分厚いコンクリートで覆われ、なおかつ爆撃機に発見され辛くするようカモフラージュされていました。

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こちらの掩体壕は完全に民家の裏手になっているため、御主人に許可を取り住宅の裏へ入らせていただきました。飛行場建設には充分な重機もないまま、主に朝鮮人の徴用工などによる人海戦術で進められ、近隣の長生中学校や茂原農学校の生徒たちまで駆り出されたそうです。

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こちらの掩体壕は使われなくなった田んぼに囲まれており、あぜ道も藪で覆われているため近づけませんでした。藪漕ぎは基本的にしたくない。

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ほとんどの掩体壕が私有地にある中、こちらの掩体壕は道路に面しています。そのため唯一、案内板が設置されていました。

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こちらの掩体壕は農地を再利用したソーラーパネル発電所の中にあります。しかし掩体壕までのアプローチがわざわざ柵で区切られており、なおかつ草刈りもされていました。見学出来るように整備されているのです。

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こちらは完全に私有地ですが、隣接するアパートの敷地から見ることが出来ます。掩体壕は頑丈に造られているため解体するにも費用が掛かります。そのため倉庫や車庫として使われている事が多いです。

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住宅街の中の森で覆われた掩体壕。ほとんど自然に帰そうとしています。

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こちらも木々に覆われて形が分からなくなっている掩体壕。車庫として使われているようです。

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前面は使われなくなった水田で背後は森と民家。近づけませんでしたが、農機具などの倉庫として使われているようです。以上9ヶ所が現存していますが、これだけ多くの掩体壕が残っているのは全国でもここだけです。観光資源としての可能性を秘めながらも、なにぶんほとんどが私有地であるため難しいです。また基地としても短命で歴史的見地からも文化財指定は難しいでしょう。

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掩体壕を東から新茂原駅に向かって歩いて来ましたが、駅の反対側、内陸側の丘陵地に地下壕施設が残っているらしいので、足を伸ばしてみました。田園が終わり丘陵地に入ると、切り通しと素掘りの隧道がお出迎えです。

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これは!? と、思いましたが、覗いて見ると向こう側の民家の庭に繋がっているだけでした。

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明かりの無い素掘りの隧道は短くてもなんか怖いです。抜けた所で振り返ると、隧道の上に切り通しが。恐らく旧道でしょう。

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いきなり立派な屋敷門が現れました。若かった頃マウンテンバイクで千葉の山林を走った事がありますが、まさかの所で立派な屋敷が現れたりしてビビります。
因みに防空壕ですが、よくよく調べて見たらこの山林の奥に入り口があるらしいです。無理です。夏場に草の生い茂る山に入って行くには、それなりの覚悟と装備が必要です。

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左の籠のような物が気になりますが、かなりの旧家のようです。ALSOKのステッカー貼りまくってますが。こう言う家を一度取材して見たい気持ちもあります。

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なんたってアプローチがコレです。この先に立派な屋敷があるなんて、誰が想像し得るでしょう。こう言うところ、千葉って独特だと思うのですが。

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田園地帯に出ました。放置された水田跡なども見られますが、後継者不足で離農されてしまったんでしょうか。

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小さな集落が見えます。

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こちらも立派な屋敷門。最後はすっかり趣旨が変わってしまいましたが、レンタルサイクルでもあれば、千葉の集落なんかも巡ってみたいですね。

茨城県笠間市、筑波海軍航空基地司令部跡

最近仕事が暇過ぎてブログの更新頻度が上がる一方です。しまいにはトップ画像まで変えてみたり。じっとしていても生活に不安を感じるばかりなので、また取材に行ってしまいました。

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今回は茨城県笠間市にある筑波海軍航空基地の跡地です。当時の司令部が残っており、記念館として公開されています。この建物は戦後より2011年の東日本大震災まで、学校や病院として使われて来ました。現在も県立こころの医療センターや友部第二小学校が隣接しています。

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司令部の前には当時の号令台が残っています。ここは2013年公開の映画、永遠の0(ゼロ)のロケ地として有名になりました。

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クラウドファンディングによって目標額1000万を上回る約1500万が集まり、保存及び復元活動が進められています。当時の外観を復元すべく屋上給水塔やエアコン室外機を撤去し、現在は地下壕施設を整備しております。最終的には文化財登録を目指しているとのこと。

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筑波海軍航空隊は昭和9年、戦闘機などの操縦訓練を行う霞ヶ浦海軍航空隊の友部分遣隊として開隊。昭和13年には筑波海軍航空隊として独立しました。

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こちらは九三式水上中間訓練機、通称赤トンボ。複葉機ですが昭和9年に正式採用された訓練機です。一般兵より採用された操縦練習生に加え、昭和11年からは土浦航空基地の予科練出身の練習生も加わりここでの訓練を重ね戦場へと送り込まれて行きました。

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一階展示室には南方戦線で発見された零戦などの残骸が展示されています。昭和16年10月から翌年3月までに中練教程を修了した52名の内、46名が終戦までに戦死されたそうで、生還率の低さに驚きます。確かに日本の戦闘機の性能は世界でもトップクラスでしたが、その装甲の弱さや燃料が粗悪になって行く事、他国の技術力が急速に進化し、大戦後期には時代遅れになってしまった事など、様々な要因が重なっています。

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当時の再現として映画のロケのために使われた小道具がそのまま展示物となっています。こちらは司令室。左奥の書庫は開設当初から使われていた本物。

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昭和19年3月には零戦が配備され、実用機課程の練習航空隊となりました。ちなみにこちらの写真は靖国神社の遊就館に展示されている零式艦上戦闘機五ニ型。

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こちらは副司令室。この机は海軍当時使われていたもの。昭和19年10月には映画「永遠の0」にも描かれている神風特攻隊が組織され、以降鹿児島県鹿屋基地を経てフィリピンや沖縄へと出撃して行きました。

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この建物は永遠の0以降も様々な映画やドラマのロケで使われています。戦争についての勉強にもなりますが、建物としても非常に貴重で素晴らしいものです。また、アニメ(艦これ等)を通じて日本海軍に興味を持った方たちも多く訪れています。

千葉県千葉市、習志野、鎌ヶ谷、鉄道連隊関連遺構

日清戦争後の明治29年、中国大陸など占領地への軍用資材補給を目的とした鉄道建設を任務とする帝国陸軍鉄道大隊が編成されました。

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鉄道大隊から独立した鉄道連隊が、明治40年千葉市に第一連隊、明治41年津田沼に第二連隊と、それぞれ拠点を構えるようになります。写真は当時鉄道第一連隊があった現在の千葉公園。写真は2016年2月に撮影。

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ここは鉄道の敷設とそれに付随した鉄橋やトンネルの建設を訓練していた跡ですが、ここより津田沼までも資材運搬のためと運転や保線の訓練のため線路が敷かれました。

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鉄道連隊は中国や朝鮮での鉄道建設や関東大震災後の鉄道の復旧、その後の満洲鉄道を始めとする東南アジア各占領地の鉄道建設に大いに貢献しました。

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ここからは2020年9月撮影。こちらは千葉公園の北、千葉経済大学の敷地内に残る鉄道連隊材料廠の煉瓦建築。機関車の修理工場として使われていました。県指定有形文化財ですが、大学に問い合わせたところ現在内部の公開はされていないそうです。

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第一鉄道連隊の習志野線廃線跡。千葉〜津田沼間の廃線跡はほとんどが道路や遊歩道になっております。写真は第一鉄道連隊習志野線が京成成田本線と併走していた区間の京成大久保付近。

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こちらは京成大久保駅の北側津田沼寄りにある鉄道連隊の解説板。

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千葉〜津田沼間は千葉市の第一鉄道連隊が敷設した習志野線だったのに対し、津田沼〜松戸間は津田沼の第二鉄道連隊が敷設し松戸線と呼ばれていました。訓練が目的であったためにその線路は無駄にカーブを描いたり迂回したりしていたのですが、終戦後大部分を再利用すべく新京成電鉄へと引き継がれて行きます。特に京成津田沼から新津田沼周辺の市街地では、鉄道連隊の敷地の都合から派手にS字を描いた線路となっています。

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新京成電鉄は昭和21年に第二鉄道連隊の敷地を引き継いだ後に一部の迂回敷地をショートカットさせつつ600mm軌道を1067mmに、昭和28年には全線を1372mmに、昭和34年には1432mmに改軌して、今では京成電鉄の千葉中央駅まで直通運転しています。

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こちらは津田沼駅近くの津田沼一丁目公園に保存されているK2型蒸気機関車。この134号機は昭和18年製で鉄道連隊にて使用された後、戦後は西武鉄道の安比奈線で入れ替えに使用されていました。鉄道連隊の鉄道用地再利用については当時、その権利を西武鉄道と争っていました。結果、新京成電鉄に引き継ぐ権利が与えられる代わりに、車両は西武鉄道へと譲渡されて行った訳です。同時に西武鉄道は手を引く代わりに当時の運輸省から高田馬場〜西武新宿間の、いわゆる山手線内側での鉄道免許を取得しています。

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新京成電鉄二和向台駅より鎌ヶ谷大仏駅の少し先まで、再利用されなかった区間があります。その区間は現在道路となっていますが、地図で見るとその大きく西へ迂回するルートがハッキリと判ります。その廃線跡の一部、道路が橋脚を除けるように迂回する箇所があります。

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この橋脚は太平洋戦争中に造られたものですが、頑強に作られ解体するのも大変なので、道路の方が避けて敷かれました。

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川は本当にショボい川なのですが、あくまで訓練なので敢えて大掛かりな鉄橋を掛けた訳です。

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四本のコンクリート造の橋脚が残っており、橋脚の周りは公園となっていました。

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以下は余談。この辺りは畑作が盛んで、梨園などもあるのどかな地域です。

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近隣には大正時代に開業した野田線(アーバン……以下略)の馬込沢駅があります。駅前には歴史を感じる飲み屋街も。

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馬込沢駅からかつて商店街だったと思われる住宅街を数分歩くと、ニコニコ横丁飲食店街なる長屋造りの飲み屋街が現れます。

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木造アーケードの飲み屋街。その奥にはニコニコ湯なる銭湯が。

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ネーミングはさておき風呂上りにビールと言う、素晴らしいパッケージ。それは住宅街の真ん中に突然現れたオアシスのよう。(笑)
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