廃線跡

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福岡県博多、夜の中洲〜志免町、志免鉱業所竪坑櫓

福岡博多の屋台について、中洲は観光地化されており、最近では天神の屋台街に地元の方が集まるとの事。しかしおよそ10年前に中洲で飲んだと言うこともあり、今回はメジャーな中洲界隈で夜を過ごすことにしました。

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中洲の歓楽街がまず目を引いたのは大洋映画劇場。終戦直後の昭和21年、当時まだ焼け野原だった博多に戦後初の娯楽施設としてオープンしたそうです。

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裏通りを入って行くと、なかなか渋い建物が目に付きます。

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このような地元感溢れる大衆酒場が非常にそそられるのですが、店内は超満員でした。

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いい感じの路地裏があったので、とりあえず入ってみます。この人形小路には古いスナックと若手が新規開店したような店とが混在しています。

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路地の出口にある「あほう鳥」に入り、モツ鍋を堪能。ビールに合う!

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いい感じに酔ったところで屋台街に行きました。地元のサラリーマンと観光客でごった返しています。

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南端の屋台「峰ちゃん」に入店。店じゅうに名刺が貼られています。

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芋焼酎ロックを注文。しかしコップになみなみと注がれた焼酎に小さい氷が二つ入っているのみ。焼酎はストレートたい!とでも言わんばかりで、酔いが回る回る。

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翌日、昼までガッツリ寝て福岡空港の近くにある志免炭鉱跡に寄りました。こちらは地下坑道より斜めに搬出する坑道口。

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そして圧巻なのがこの重要文化財に指定されている竪坑櫓の廃墟。

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ここ糟屋炭田志免鉱業所は日本で唯一の国営炭鉱で、明治39年より採掘が始まり昭和39年に閉山。

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鉄筋コンクリート造ですがところどころ表面のコンクリートが剥離しており、当然ながら立ち入り禁止。しかしよく残っていると思います。

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開山当時は海軍の管轄でしたが、戦後国鉄に移管されたそうです。

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高台に建つ竪坑櫓の下には旧国鉄勝田線の廃線跡があります。

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竪坑櫓の下には志免鉄道公園があり、筑前志免駅跡の線路とホーム、踏み切り、信号などが残されております。

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勝田線は先日紹介した宮原線同様第1次特定地方交通線に指定され、1985年4月1日に廃止されました。国鉄の分割民営化を控えたこの時期、かつて炭鉱で栄えた九州北部でも数多くのローカル線が廃止されています。

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線路跡は大部分がそのまま緑道となり、上亀山の方まで続いています。

今回の九州旅行はこれまで。それにしても行きたい場所がまだまだあり過ぎて、全然周り切れませんでした。

大分県豊後森〜熊本県小国町、豊後森機関庫及び旧国鉄宮原線廃線跡

旧国鉄宮原線は第一次特定地方交通線、つまり赤字ローカル線の廃止対象に選ばれ、1984年12月1日に全廃となりました。

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豊後森の扇型機関庫は昭和9年の久大本線開通と共に完成し、昭和46年に廃止。宮原線で使用されていた蒸気機関車やキハ07などもここに格納されていました。

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最近まではただの廃墟だったところを、現在では豊後森機関庫ミュージアムと共に観光地化が進んでいます。この9600型蒸気機関車はこの後訪れる志免町の中の坪公園で約40年間野ざらしにされ解体が決定したところを引き取ったもので、2015年より展示されています。

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2009年に近代化産業遺産、2012年に国の登録有形文化財に指定されています。扇型機関庫は非常に横幅が広く入り切らないので、何枚かの写真に分けます。広角レンズが欲しい。

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現在でも展示物としての保存活動が進められており、この日も転車台のペンキ塗り替え工事が進められていました。

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どんどん綺麗になって行くのですが同時に廃墟感が失われて行きます。ただ割れた窓ガラスはこのままにしておいて欲しいものです。

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豊後森駅は木造の駅舎や跨線橋などが今も現役で使われています。

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また豊後森機関庫がJR九州の観光列車「或る列車(大分コース)」や「ななつ星」のツアーコースに組み込まれているため、古さを残しつつ綺麗に改装されています。観光資源として古い建造物が保存されるのは喜ばしいことですが、ここまで綺麗にされると少々複雑な気分。

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旧国鉄宮原線の廃線跡は基本的に国道387号線町田バイパスとしてその跡地を利用されていますが、沿道の至るところにアーチ橋や駅の遺構が見られます。

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こちらは尾の上バス停から見える汐井川橋梁。下を流れる川にはホタルが生息しており、夏にはホタルの里として多くの観光客が訪れる場所です。

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汐井川橋梁から二つ上の写真の切り通しを抜けると堂山橋梁があります。下の道を少し登れば今回宿泊した山川温泉。

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同じく堂山橋梁。ここ宮原線のアーチ橋群は去年訪れた北海道士幌線のアーチ橋建設時の技術が使われています。

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堂山橋梁の袂には小さな村の鎮守の神様が祀られています。廃線跡はこの神社の脇をすり抜けて行きます。

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怖いくらい急な階段を登れば紅葉も見事。

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この堂山橋梁には柵が設置されており、上を歩くことも出来ます。橋の上からの景色、いわゆるかつての車窓の風景は、棚田の広がる長閑な里山。つくづく現役の頃に乗っておきたかったと思います。この辺りの素晴らしいロケーション、誰かNゲージで再現してくれないだろうか。

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小国町方面に向かうと旧北里駅跡があります。この地方は有名な小国杉の産地でもあったため、昔は人口もかなり多かったとか。

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北里はあの北里大学創始者、北里柴三郎の出身地で記念館などもあります。

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ホームの端には崖下、川沿いの集落に降りる階段の跡も。

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北里駅跡から小国町方面に少し行った所に掛かる北里橋梁跡。タクシーの運転手さんが地元、山川部落生まれの方だったので、廃線跡を詳しく案内してくれました。

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こちらは幸野川橋梁。中学生の頃だったか、赤字ローカル線の廃止対象路線を特集した本を持っていたのですが、その本で見た覚えのある特徴的なアーチ橋です。ここまで紹介してきた橋はいずれも鉄筋の代わりに竹を骨組みとして組んで造られた竹筋コンクリート造で、国の登録有形文化財にも指定されています。

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最後に終点の肥後小国駅です。かつての線路と信号機などが一部残されています。

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現在はゆうステーションというバスターミナルとなっています。かつては宮原線の代替輸送として玖珠観光バスが豊後森と小国町の間を結んでいましたが2013年に廃止。現在では小国町から岳の湯行きと、豊後森側からは麻生釣止まりが数本走る程度で、途中分断される形となってしまいました。

栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡

早くも足尾に再訪です。しかし足尾は調べれば調べるほど行きたい場所が増え続け、とても1日では廻り切れない事が分かりました。
東武特急りょうもうにて9:32相老に到着し、わたらせ渓谷鉄道への乗り換え時間が6分しかなく、ダッシュで1日乗車券(足尾までの往復を普通に切符買うよりお得)とトロッコ列車(臨時)整理券を購入。ただしトロッコ列車は満席になることもあるので事前に予約を入れた方が良いです。(この年の11月に訪れた際満席で乗れませんでした)

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わたらせ渓谷鉄道は1989年(平成元年)、JR足尾線の廃止に伴い第三セクターとして鉄道事業を引き継ぎ開業しました。

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途中、神戸駅のプラットホームに、往年の東武ロマンスカーを再利用したレストラン清流があります。時間があれば寄りたいところですが。

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通洞駅が近くなると、さっそく鉱山町の景色が車窓に広がってきます。写真は足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選鉱所跡。

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終点の一つ手前の足尾駅にはキハ35が雨晒しで残されていました。

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こちらはキハ30。2両とも足尾線を走っていた車両ではなく、八高線から譲渡された物だそうです。春夏秋と年に3回ほど、NPO法人によるイベントで内部も公開されるそうです。

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終点の間藤駅に到着したのは午前11時過ぎ。トロッコ列車は写真のWKT-510形+WKT-550形の他に、京王電鉄の車両を改造したトロッコ客車と12系客車を、長岡機関区より払い下げたDE10で牽引する客車列車(機関車入れ替えの都合から間々田駅起点)、計2種類の編成が走ってます。本当はDL牽引のトロッコ列車に乗りたかったのですが……。
目的はそこじゃないです。銅山訪れてるのに鉄っぽくなって来たので戻します。

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旧国鉄足尾線には、その先にある足尾銅山本山製錬所硫酸工場までの貨物専用線が走っていました。

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貨物列車は足尾銅山が閉山された1973年(昭和48年)以降も輸入鉱石による製錬事業が続けられていたために走り続け、国鉄が分解民営化された1987年(昭和62年)製錬事業の停止とともに貨物専用線も廃止となりました。

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足尾線廃止後わたらせ渓谷鉄道の管轄となりますが、橋梁やレールも殆どそのまま残されています。

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鉄橋の下を古い廃橋が潜っていますが、その先は古河機械金属の敷地なので立入禁止。

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渡良瀬川を渡った廃線跡は、南橋社宅脇を通り崖に沿って進みます。

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しばらく廃線跡を歩いて行きましょう。

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と思ったら鉄橋です。渡りませんよ?

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やがて支流の出川を渡れば本山製錬所貨物駅です。開業は大正3年。

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製錬所手前に保存されている橋は明治23年末竣工の古河橋。当時は道路と並んで線路も敷かれていたそうですが、国鉄の線路ではなく恐らく狭軌の専用線でしょう。馬車鉄道も走っていたと言いますが、いずれ改めて歴史資料館を訪れて勉強しようと思います。

続きます。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

新宿区新宿六丁目、路面電車の跡を歩く

1970年に廃止された東京都電車(旧・東京市電車)角筈線の跡を歩いてみました。

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スタートは歌舞伎町、ピカデリー前にあった角筈駅から。いきなり靖国通りから左に折れます。

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線路は新宿ゴールデン街の脇を掠めて明治通りへ。昔ゴールデン街のママから都電が走っていたと聞いていた遊歩道は、S字を描いて走ります。

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ただ、角筈駅から新田裏(日清食品本社前)までのこの区間、1948年の時点で大久保車庫行きの回送専用線となりました。本線は靖国通りを直進して明治通りとの交差点である四谷三光町駅を迂回して行きます。

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線路は明治通りを渡り日清食品本社の建つ新田裏へ。東大久保駅へと入って行きます。

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現在の新宿6丁目となりますが、現在では地下鉄東新宿駅直結の高層マンション、コンフォーリア新宿イーストサイドタワーが聳え立っています。

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その目の前に、なんと立ち飲み屋が。山根商店さん。元々はホルモンの仕入れ販売をしていたお店お肉屋で、ショーケースが残っていたりします。しかしこんな住宅街の奥にまさか立ち飲みがあるなんて驚きでした。5時台から開いてますが、6時前後には満員になる知る人ぞ知る人気店。

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母親と息子さんでしょうか、二人で切り盛りしてらしゃるお店は串一本110円となかなか安く毎日大盛況です。お母さんは6時頃に登場してまずネギを刻み、その後焼き場を担当されます。これがギリギリ焼き過ぎないくらいの絶妙な焼き加減で最高に美味い。ちなみに奥のテレビ前の椅子はお父さん(?)専用の席で、引退されたのか毎日のように飲んでます。

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新宿5丁目から6丁目に移るあたりですが、微妙に商店街が有ったりもします。右手の路地に入って行ったところに建つこちらの建物は元飲食店なのか凝った軒先。奥は料理屋っぽくも見えます。

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こちらは集会所でしょうか、東一とは旧町名の東大久保一丁目を指すと思われます。

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医大通りの先は新宿5丁目の微妙な飲み屋街が続き、靖国通りを越えたら新宿2丁目。この界隈にもホモバーなどが密かに有ったりもします。

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大久保車庫の跡地に建った新宿文化センターを右手に見ながら進むと、道は不自然の一車線一通道路となります。

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このS字カーブも軌道の痕跡を色濃く残した盛り土が続きます。

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車道と歩道の段差の不自然さがいかにもな感じ。やがて廃線跡は職安通りに合流して行きます。

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職安通りの向こう側には銭湯も。この辺りには未だにボロアパートなどが多く残っています。

おまけ

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都電が荒川線を残して全廃になる以前に走っていた車両です。写真は2005年当時、都電荒川車庫の片隅で朽ちかけていたところを特別に入らせて頂き撮影したもの。行き先表示板は品川行きとなっています。

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反対側は銀座行き。この車両は現在綺麗に化粧直しして荒川車庫駅にて一般公開されています。

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もう一両荒川車庫に残されていますが、こちらは青いラインが入っているので荒川線で活躍していた車両。1980年代後半、高校生だった私は荒川線で現役時代の姿を撮影した覚えがあります。これらの車両が角筈線を走っていたかどうかは定かではありません。

北海道河東郡上士幌町(3)、タウシュベツ橋梁

2016年9月の記事はこちら。
北海道帯広市(1)、駅前温泉と駅周辺
北海道帯広市(2)、横丁路地裏迷宮(前編)
北海道帯広市(3)、横丁路地裏迷宮(後編)
↑夜の帯広の写真はこちらに移動しました。
北海道河東郡上士幌町(1)、糠平温泉郷
北海道河東郡上士幌町(2)、旧士幌線跡

 去年9月に訪れた上士幌町ですが、去年夏に北海道を襲った台風の影響で目的としていた旧タウシュベツ橋梁が例年よりも二カ月早くダム湖に水没するという事態となり、予定を変更して旧士幌線のアーチ橋跡を巡りました。それはそれで廃線跡好きとしては充分楽しめたのですが、今回リベンジの意味も込めて再訪しました。

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宿泊は去年と同じく糠平温泉湯元館さん。変わらず良い湯でしたが、食事を作る人が居なくなったのか素泊まり専門の宿となっていました。

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ツアー参加のため糠平温泉文化ホールに集まったのは、月曜日だというのに12人にも上りました。各メディア等への露出やSNS等で広まったようで、すっかりメジャーになってしまったようです。喜ばしい事ですが、マイナースポット好きの私としては複雑な気分。

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車2台に分乗して林道を入り、途中から士幌線旧線跡を歩いて行きます。新緑が見事。

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とうとう念願のタウシュベツ橋梁が姿を現しました。数年前にネットで知りつつも北海道なんてなかなか行けないしと思っていたところ、去年ブログ「しまDiary」さんで崩落の危機にあると紹介され去年の9月に訪れるも台風直撃で水没してしまい、今回念願のリベンジ。

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この目で見ると、やはり迫力があります。士幌線は昭和12年に上士幌〜糠平間が、昭和14年に糠平〜十勝三股間が開業しました。そして昭和30年、糠平ダムの完成で糠平駅と周辺の街が山の中腹、糠平温泉の源泉付近に移転し、士幌線の線路も中腹へと移設されました。このタウシュベツ橋梁はその際ダム湖に沈んだ旧線となります。ちなみに橋の上はもちろんのこと、橋の下も崩落の危険があるため立入禁止となっています。

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渇水期の糠平湖を眺めると、水没する前に伐採された森が切り株だけを残し、非日常的な光景を見せています。

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この辺りは昭和初期から林業で栄えた地域ででしたが、やがて森林資源は枯渇、木材の輸入自由化などにより人口は減り続けて行きました。ダム湖の湖畔に移設された糠平〜十勝三股間の新線も人口の激減でバスによる代行運転となり、昭和62年には帯広〜糠平間も廃止となってしまいました。

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ローマの水道橋みたいなんて言うのは野暮な話で、士幌線は昭和初期の鉄道アーチ橋技術の先駆けのような存在で、士幌線開通後全国へとアーチ橋が広まって行ったそうです。歴史的価値のある遺構として見るべき。

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ツアーは旧幌加駅跡にも寄りますが、私は去年堪能したので今年は周辺を自由行動。幌加駅跡周辺の廃線跡は草が刈られ、歩きやすいように整備されています。

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ダム湖の上流にあたるこの幌加駅は、プラットホームと線路の一部のみ買い取られたため保存されています。かつては伐採した木材を搬出する基地として栄え、周辺には街が広がっていました。

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しかし幌加から人が消え鉄道が消え、やがて街も消えて行きました。

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木造建築物は全て解体され、その多くの建物は基礎さえ撤去されています。唯一残っているのは駅舎の基礎部分。特に頑強に造られていたため、このように一部残っておりました。

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帯広まで降りてスナック街を訪れた際、隣で飲んでいたお父さんがなんと糠平ダムに沈んだ糠平の街で生まれた方でした。ダム湖に沈んだ故郷の事は話せば寂しくなるので多くは語らず。それよりも楽しい話で飲みました。
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都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを主に載せています。また、国内の寂れた観光地や地方都市、マニアックな温泉スポットや廃墟などもご紹介。
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