廃線跡

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千葉県千葉市、習志野、鎌ヶ谷、鉄道連隊関連遺構

日清戦争後の明治29年、中国大陸など占領地への軍用資材補給を目的とした鉄道建設を任務とする帝国陸軍鉄道大隊が編成されました。

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鉄道大隊から独立した鉄道連隊が、明治40年千葉市に第一連隊、明治41年津田沼に第二連隊と、それぞれ拠点を構えるようになります。写真は当時鉄道第一連隊があった現在の千葉公園。写真は2016年2月に撮影。

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ここは鉄道の敷設とそれに付随した鉄橋やトンネルの建設を訓練していた跡ですが、ここより津田沼までも資材運搬のためと運転や保線の訓練のため線路が敷かれました。

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鉄道連隊は中国や朝鮮での鉄道建設や関東大震災後の鉄道の復旧、その後の満洲鉄道を始めとする東南アジア各占領地の鉄道建設に大いに貢献しました。

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ここからは2020年9月撮影。こちらは千葉公園の北、千葉経済大学の敷地内に残る鉄道連隊材料廠の煉瓦建築。機関車の修理工場として使われていました。県指定有形文化財ですが、大学に問い合わせたところ現在内部の公開はされていないそうです。

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第一鉄道連隊の習志野線廃線跡。千葉〜津田沼間の廃線跡はほとんどが道路や遊歩道になっております。写真は第一鉄道連隊習志野線が京成成田本線と併走していた区間の京成大久保付近。

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こちらは京成大久保駅の北側津田沼寄りにある鉄道連隊の解説板。

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千葉〜津田沼間は千葉市の第一鉄道連隊が敷設した習志野線だったのに対し、津田沼〜松戸間は津田沼の第二鉄道連隊が敷設し松戸線と呼ばれていました。訓練が目的であったためにその線路は無駄にカーブを描いたり迂回したりしていたのですが、終戦後大部分を再利用すべく新京成電鉄へと引き継がれて行きます。特に京成津田沼から新津田沼周辺の市街地では、鉄道連隊の敷地の都合から派手にS字を描いた線路となっています。

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新京成電鉄は昭和21年に第二鉄道連隊の敷地を引き継いだ後に一部の迂回敷地をショートカットさせつつ600mm軌道を1067mmに、昭和28年には全線を1372mmに、昭和34年には1432mmに改軌して、今では京成電鉄の千葉中央駅まで直通運転しています。

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こちらは津田沼駅近くの津田沼一丁目公園に保存されているK2型蒸気機関車。この134号機は昭和18年製で鉄道連隊にて使用された後、戦後は西武鉄道の安比奈線で入れ替えに使用されていました。鉄道連隊の鉄道用地再利用については当時、その権利を西武鉄道と争っていました。結果、新京成電鉄に引き継ぐ権利が与えられる代わりに、車両は西武鉄道へと譲渡されて行った訳です。同時に西武鉄道は手を引く代わりに当時の運輸省から高田馬場〜西武新宿間の、いわゆる山手線内側での鉄道免許を取得しています。

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新京成電鉄二和向台駅より鎌ヶ谷大仏駅の少し先まで、再利用されなかった区間があります。その区間は現在道路となっていますが、地図で見るとその大きく西へ迂回するルートがハッキリと判ります。その廃線跡の一部、道路が橋脚を除けるように迂回する箇所があります。

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この橋脚は太平洋戦争中に造られたものですが、頑強に作られ解体するのも大変なので、道路の方が避けて敷かれました。

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川は本当にショボい川なのですが、あくまで訓練なので敢えて大掛かりな鉄橋を掛けた訳です。

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四本のコンクリート造の橋脚が残っており、橋脚の周りは公園となっていました。

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以下は余談。この辺りは畑作が盛んで、梨園などもあるのどかな地域です。

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近隣には大正時代に開業した野田線(アーバン……以下略)の馬込沢駅があります。駅前には歴史を感じる飲み屋街も。

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馬込沢駅からかつて商店街だったと思われる住宅街を数分歩くと、ニコニコ横丁飲食店街なる長屋造りの飲み屋街が現れます。

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木造アーケードの飲み屋街。その奥にはニコニコ湯なる銭湯が。

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ネーミングはさておき風呂上りにビールと言う、素晴らしいパッケージ。それは住宅街の真ん中に突然現れたオアシスのよう。(笑)

石川県能登半島、旧・のと鉄道廃線跡(後編)

現在旧能登線のルートを代替バスが走っており駅の無かった集落にもバス停が出来て、結果的には大量輸送出来ない代わりに利便性が向上したのかも知れません。

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こちらは波並駅跡。海沿いの駅で桜並木も見事。

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無人駅ですが、もし鉄道が走っていれば素晴らしいロケーションです。

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待合室も当時のまま残っていました。富山湾沿岸の内浦地区が波も穏やかで、海岸線ギリギリを道路と線路が走っていました。ただ漁村の背後には山が迫り、このような地形ゆえに道路の拡張が難しく、一部の地域では未だに1車線道路のまま。その頃はまだ鉄道の利用価値も高かったのですが、山間部に道幅の広いバイパスが開通すると、穴水や金沢方面への人の流れが変わり、鉄道廃止の一因となりました。

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波並駅跡と藤波駅跡の間、跨線の下に廃車両が打ち捨てられています。

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この車両、NT123形気動車は元々宇出津駅に留置されていた物を、宇出津駅構内の線路の撤去、並びに構内の再開発に伴い、線路の続く限り移動されてこの場所に辿り着いたとか。辛うじて雨をしのげる跨線下を選んだのは、頑張って来た車両に対するせめてものはなむけでしょうか。

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車両の脇には2003年に開業した能登空港の広告。のと鉄道廃止までの1年半、貼られ続けていたという事でしょうか。羽田から1日2便直行便が発着することで、奥能登の発展を夢に見ていた事でしょう。

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こちらは宇出津駅跡。現在は図書館や公民館などが入るコミュニティセンターが跡地に新設されています。

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宇出津駅跡より珠洲方面に少し歩くと、トンネルの跡が残っています。

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こちらは珠洲にも近い鵜飼駅跡。現在駅舎はカフェとして再利用されています。

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鵜飼駅跡のプラットホーム。桜が咲き誇っていました。

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待合席の跡も残っています。のと鉄道の遺構はほぼ全ての駅がこのような形で残っております。

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こちらは珠洲駅跡。現在すずなり館としてバスターミナル、お土産店、観光案内所などが入り、奥能登の観光拠点となっています。

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ホームと線路は当時のまま。廃線跡では大抵全ての線路が撤去され再利用されているのですが、ここは鉄道が走っていた事を記憶しておこうと保存されています。

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駅名表示板が国鉄時代の物でしょうか。

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正院駅と終点の蛸島駅の間、一両の車両が佇んでいます。

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この車両、NT102形気動車はNPO法人のとレール・エア21に譲り受けられ、2007年を目処に体験運転の出来る動態保存を目指していました。しかし資金難やスタッフ不足によるのでしょうか、見ての通り朽ち果てております。

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しかし2019年12月、石川県珠洲市にある石川県立飯田高等学校が授業の中で行っている探究型学習「ゆめかなプロジェクト」で、「廃列車カフェを開こう!」を目標に集まった生徒達が企画し、草刈りや車内清掃などをして、二日間限定で廃列車カフェを開催しました。今年2020年4月、第2回廃列車カフェを計画していましたが、新型コロナウイルスの影響で延期。現在のこのウイルスが沈静化し元の生活が戻って来た折には、ぜひまた実現して欲しいものです。

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最後に終着駅の蛸島駅跡。

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珠洲市の東の外れにある小さな漁村で、ここより北東には小さな漁村と能登半島の先端、禄剛崎しかありません。まさに最果ての街。

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ここにも見事な桜が。のと鉄道能登線沿線の多くの駅には桜が植えられており、もし鉄道が走っていたら花見列車として立派な観光資源となった事でしょう。

石川県能登半島、旧・のと鉄道廃線跡(前編)

かつて北前船が流通の主役だった時代より鉄道の時代へと移り変わり、能登半島は果ての地となってしまいました。しかし鉄道網の発展により1935年、北陸本線の津幡より外洋に面する輪島へ至る国鉄七尾線が全線開通。その後富山湾に面する内浦地区の各漁村を結ぶべく、穴水より枝分かれして蛸島へと至る国鉄能登線が1964年に全線開通した。

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しかし人口減少や自家用車の普及に伴い赤字路線となり廃止の危機を迎えるも、国鉄がJRへと分割民営化された後の1988年、和倉温泉以北の七尾線と能登線は第三セクター形式での存続が決定。のと鉄道が発足する。写真は現在の穴水駅構内。

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当初のと鉄道は運転本数を増やすことで利便性を向上させ黒字経営に転じさせた。しかし半島の中央などに道路が整備され、モータリゼーションに少子化や過疎化の波が追い打ちをかけた結果、2001年には穴水〜輪島間が、2005年には穴水〜蛸島間が廃止されてしまいました。かつて観光列車として活躍したのと恋路号が、蛸島方面へと向かうホーム跡に留置されたまま。しかし車両はイベント会場等に再利用されています。

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今より32年前、当時19歳だった私はJR能登線からのと鉄道へと変換する場面に立会いました。写真は1988年3月24日、JR能登線最後の日。当時写真の専門学校生だった私は自分で現像やプリントをするため、モノクロ中心で撮影していました。

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どこで撮影したか記憶が定かではないのですが、藤波〜波並付近かと思われます。

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今回はその旧・のと鉄道能登線の廃線跡を巡っていきます。

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まずは沖波駅跡。無人駅でしたが待合室が残されています。

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線路の下をくぐる坂道の途中から待合室の脇を通っていきます。

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1988年3月25日、のと鉄道開業の日は地元の子供たちによる駅伝大会が催されていました。

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階段を昇ればプラットホーム。

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皆、手に手に小旗を振って新しい列車を歓迎していました。

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現在の姿がこちら。廃止より15年の月日が経ち、竹藪に覆われてしまいました。

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酔っ払ったお父さんがホームで踊り出す。当時は地域住民の方々がお祭り騒ぎで開業を祝っていました。

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今では列車も来なければ人も来ない、忘れ去られたプラットホーム。

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子供達は都会に出て老人達は亡くなられ、人々の記憶からも風化して行く。私自身も当時どこの駅で撮影したか思い出せず、ネットの画像から恐らくここだろうと予想して訪れました。

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こちらは矢波駅跡。海と集落を隔てる線路の盛り土が、堤防のようになっています。

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ホームに昇れば見事な桜並木。

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入学シーズンには新入生の子供達を送り出して行ったことでしょう。

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奥能登の未来を築くのと鉄道。残念ながらその役目は鉄道には果たせず。

後編につづく。

山形県鶴岡市、庄内交通廃線跡と湯野浜温泉

庄内交通湯野浜線は昭和4年、羽越線鶴岡駅から湯野浜温泉駅を結ぶ鉄道として開業し、昭和50年まで営業されていました。

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上の写真は湯野浜温泉下町共同浴場の休憩室に展示されていたもの。湯野浜線は途中にある善宝寺の参拝客や当時まだ栄えていた湯野浜温泉の宿泊客、魚の行商人や地域の米などを運んでいたそうです。
白黒写真で見ると昔の箱根登山に見えてきてしょうがないのですが。

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秋田から特急いなほで鶴岡へ。そこから普通列車で隣の羽前大山へ。あとはタクシーで進みます。

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田園地帯の廃線跡はほぼ跡形も無くなっていますが、こちらは中間にある善宝寺駅跡。奥には保存されていたモハ3形が。ちなみにこの善宝寺、平成2年に人面魚の話題で注目を集めた場所です。タクシーの運ちゃんに言われて初めて知りました。意外!

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湯野浜線はモータリゼーションの影響から昭和50年に廃止されてしまいましたが、この善宝寺駅駅舎が善宝寺鉄道記念館として昭和53年にオープン。このモハ3の他にも多くの資料が展示されていました。

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しかしその記念館も訪れる人が年々減り続け、施設の老朽化もあって1999年に閉館となりました。

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その後展示されていた資料は湯野浜温泉の庄内クラフトステーションに移設されましたが、併設されていた旅館が閉館。今では資料を見る事も出来ず、保存車両も朽ち果てています。

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この小雨がパラついているシチュエーションがたまらなくて、いつまでもここに居たいと思ってしまいますが、タクシー待たせているのでしょうがない。

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善宝寺駅跡から小高い山の北麓を迂回し日本海に面する湯野浜温泉へ至る廃線跡は、サイクリングロードとして整備されています。

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と言ってもここをサイクリングする人などおらず。ただ線路跡の面影だけが残っています。

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こちらが終点の湯野浜温泉駅跡。この辺りがホームの端部となりますが、現在ではホームなどの遺構は全く残っていません。庄内交通はバス会社として今でも庄内地方の人々の足を支えていますが、鉄道の存在は人々の記憶からも消えて行っております。

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この湯野浜温泉もすっかり寂れたマイナー温泉地です。唯一目の前の浜辺が海水浴場なので、夏休みなどは地元の方々が日帰りで訪れる事もあります。

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今回お世話になった宿はこちら扇屋旅館さん。民宿のような雰囲気ですが一泊二食付きで8000円とリーズナブル。昼間は飲食店もされているようで食事は大満足な内容ですが、ただし全館禁煙となります。

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温泉も加水加温循環濾過無しの100%源泉掛け流し。ナトリウムカルシウム塩化物泉のお湯は舐めると強い塩気。全身を包む滑り感もあり湯上がりは汗が止まりません。

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街の中心部のバス停前に湯野浜振興センターコスパがあり、バス待合室や観光案内所や集会所などが入っています。またこの場所が旧湯野浜駅駅舎の跡地となります。

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右手奥には下町共同浴場も併設されています。朝6時〜7時と10時〜21時営業。

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朝10時のお湯入れ替え直後に入ると、すでにご老人が一人。その後も地元の方が2人3人と入って来ます。
私も入ろうとしましたが、ほぼ熱湯風呂!今まで入った温泉の中でも1位2位を争うくらいの激熱。48度ぐらいは有りましょうか、しかし地元の爺ちゃんが何の躊躇もなく入って行き「気〜持ちええなぁー」って。
「水、入れてもいいぞー」と言うので、ちょっと悔しさを覚えながら泣く泣く加水してしまいました。それでも掛け湯で慣らしながら足で湯もみをして、辛うじて肩まで浸かれる始末。東北恐るべしです。

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こちらは南寄りの地区にある上町共同浴場。ちょうど7時から10時の清掃時間だったため入れず。ここ湯野浜温泉は一号から五号源泉の混合泉が分配されている事が多いので、宿泊した扇屋さんも共同浴場も泉質は変わりません。ただ、下町共同浴場に関しては源泉から近いせいで温度が高いのかも知れません。

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上町では小規模ながらも海沿いで朝市が行なわれていました。

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こちらの巨大なホテルは廃墟。東北の日本海沿岸で数少ない海水浴場を擁していてもシーズンは短く、結局他の温泉地同様最盛期に比べて随分と衰退している模様です。

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ただ唯一の希望としては車で10分ほどの近隣にある加茂水族館が、クラゲの展示に特化した事でV字回復した事。このインスタ映え水族館の影響で宿泊客が増えてくれればと思います。

【日記】横須賀市田浦のおまけ

元々田浦を訪れたのには違う目的がありました。

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京急田浦駅とJR田浦駅の間辺り、池の谷戸というバス停があります。まず地名で谷戸と付く辺りから惹かれる物がありますが、歩いて見ると窪地というより普通の谷間と言った感じです。ただ、田浦周辺の住宅街のトタン率の高さにやられます。

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かと思えば洒落た洋館などもあり、この格差は何だろうと思う。そんな谷間の奥、京急とJRが交差する所の奥に、廃墟サイトなどでは有名なゴーストタウンがあります。

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しかしいざ行って見たらなんと、立ち入り禁止になってしまってました。元々ここは湘南田浦ニュータウンとして住宅開発が行われる予定でしたが何らかの理由で計画が中止され、二十数軒の家屋が立ち退いたまま放置されています。帰ってからよくよく調べてみたら、去年2017年から封鎖され、警察も巡回しているそうです。
いきなり出鼻を挫かれた形となりましたが、そう言えば田浦って皆ヶ作がある所じゃんと思い出し、さらに戦争の遺構も多く残ると知り、新たな目的に切り替えました。
一通り巡ってJR田浦駅に戻った所でまだ午後2時過ぎ。三浦半島でもう一ヶ所見てみたい場所があったと思い出して逗子へ。

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逗子からバスで30分ほどの久留和漁港へ。ここは私が尊敬するサイトの一つ、山さ行がねか様で以前紹介されていた物件。海に延びる線路です。沖にある生簀からカゴ台車を走らせていた跡だそうですが、波風を受け続けてそのレールはほとんど朽ち果てていました。

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逗子駅前の立ち飲み屋『寄り屋』さん。寄ってみたかったのですが、残念ながら準備中でした。
三浦半島は観音崎周辺の砲台跡など行きたい所がまだたくさんあるので、いずれ再訪してみたいと思います。
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