廃線跡

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(前編)

 砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

IMG_2388

 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

IMG_2390

 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

IMG_2393

 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

IMG_2395

 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

IMG_2397

 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

IMG_2398

 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

IMG_2399

 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

IMG_2400

 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

IMG_2402

 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

IMG_2403

 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

IMG_2413

 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

IMG_2416


 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

IMG_2404

 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

IMG_2411

 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

IMG_2414

 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

IMG_2423

  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

IMG_2415

 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

IMG_1731

 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。

北海道河東郡上士幌町(2)、旧士幌線跡

 今回の北海道旅行の目的は旧士幌線旧線跡のタウシュベツ橋梁へ行く事でした。しかし今年は三回に渡り台風が北海道を直撃し、各地で土砂災害を引き起こし、例年ならば11月まで見えるはずのタウシュベツ橋梁も、8月中旬にはダム湖が満水となり早々に水没してしまいました。

image

 タウシュベツ橋梁ツアーというものがNPO法人ひがし大雪自然ガイドセンターで毎日開催されているのですが、今年は上記の事情から旧士幌線アーチ橋の遺構巡りに内容が変更されました。

image

 まず最初に訪れたのは糠平ダム下流に残る第三音更川橋梁。ここはダムに沈んだ旧線と移設した新線が分岐する直前に位置します。当時は工事関係や林業などの小さな集落が点在しており、駅から線路を歩いて帰宅した人も多かったそうです。そのためアーチ橋脇には必ず待避所が設置されていたとか。

image

 電力所停車場跡付近。水力発電所建設工事の関係者のために、昭和20年代後半当時この辺りに街が造られていたそうです。郵便局から学校まであったそうですが、全て解体され更地になり森へと自然回帰した現在、街の面影を推し量る術も無くなっています。

image

 糠平第二陸橋(旧第四音更川橋梁)。アーチとアーチの間には桁橋が掛かっていました。その橋桁は撤去された後、日本のどこかで再利用されています。

image

 糠平ダムを越えて糠平湖畔、上流域の新線跡に残る第五音更川橋梁。士幌線は昭和元年、温泉旅館湯元館が開業した年に十勝平野の北端、上士幌まで開業。昭和14年、終着駅の十勝三股まで開業しました。 当時は林業が盛んで、蝦夷松や赤松などをSLの牽引する貨物列車で運び出していました。

image

 ひがし大雪自然ガイドセンターの方の働き掛けもあって、国登録有形文化財にも指定されました。

image

 河原より第五音更川橋梁。士幌線は昭和52年、1500人居た人口が15人にまで減少した事などを受け、糠平~十勝三股間が代行バスに切り替えられました。その後士幌線は昭和62年3月、国鉄分割民営化を前にして全線廃止となりました。廃止の少し前、当時私は各駅停車で日本一周しており北海道にも訪れていましたが、残念ながら士幌線や広尾線などの枝線はスルーしてしまいました。民営化後の北海道の鉄道は廃止に次ぐ廃止で、考えられないくらいに路線が減ってしまいました。

image

 話が逸れました。アーチ橋の下は廃道が潜っており、その廃道の先には廃橋もあります。

image

 昭和30年11月竣工のしんほろかね(?)橋。ダム完成後から廃道になるまで、かなり短い期間しか使われなかったのではないかと思われます。写っているのはガイドの鴨下氏。自然科学から歴史まで、その豊富な知識に感銘を受けますし、何より楽しい。

IMG_2348

 こちらは県道から撮ったものですが、三の沢橋梁。柵が設置され、歩いて渡れる遊歩道となっています。

image

 最後に訪れたのは幌加駅跡。十勝三股のひとつ前にあるので昭和52年には事実上廃止された駅です。ちなみに写真手前のポイントは手動で切り替えられます。

image

 線路とプラットホームが残されている貴重な産業遺産ですが、ガイドセンターの方が管理されているので雑草は刈られ、全体を見渡すことが出来ます。

image

 この駅名表示板は後から設置されたもの。ホームの真ん中の木は廃線後に生えて育ったものです。

image

 この駅の周囲にも町が存在しましたが、今では跡形もなく森に帰していました。

image

 今回、廃村とか無いのかと期待してしまいましたが、北海道各地に残る炭鉱町と違って、国立公園内という特性上、跡形も無くなっていました。しかし驚かされたのは自然の力と言いますか、回復力です。開発を続ける人間を意にも介さないとばかり、30年40年経っただけなのに森林が逞しく再生されていた事に色々と考えさせられました。あと、タウシュベツ橋梁は来年の春にでも必ずやリベンジします。帯広の路地裏もまだまだ探索しきってないし、必ずや。

IMG_2349

 おまけ。士幌線遺構巡りを終えて糠平に戻る途中、キタキツネに出会えました。

茨城県鹿島鉄道廃線跡(4)、坂戸周辺~鉾田駅

 さて、BRTに乗り石岡を離れます。

IMG_1763

 小川から桃園、八木蒔、浜などは前回訪れたので、一気に玉造の先まで参ります。

IMG_1789

 玉造から榎本まで、廃線跡は県道から外れ湿地帯や田畑の中を進みます。玉造工業高校の手前で、廃線跡は県道の北側から南側へと交差します。

IMG_1791

 玉造工業高校の向かいの住宅街を少し入ったところに、旧榎本駅跡があります。

IMG_1792

 しかしここも玉造駅跡同様に宅地造成が進み、駅前の痕跡は跡形も無く消えていました。
 榎本の次の借宿はバス路線から相当外れてしまうため行けませんでしたが、Googleのストリートビューではそのプラットホームを確認することが出来ます。しかしリアルタイムで解体が進んでいるので、まだ残っているかは不明。

IMG_1801

 借宿の次の巴川で廃線跡は県道に再び近付きます。巴川駅の痕跡もまた残っておりませんでした。写真はその巴川駅の先に掛かる巴川鉄橋。

IMG_1799

 銘板には1971年という文字が辛うじて確認出来ます。

IMG_1805

 坂戸駅は前回訪れましたが、ほっとパーク鉾田への道すがら立ち寄って見ました。写真は坂戸駅の手前、当間集落の中に残る踏切跡。

IMG_1806

 こちらは坂戸集落の中にある踏切跡。踏切は路面を舗装し直さなければならないので、レールが残っていたりします。

IMG_1811

 前回訪れた坂戸駅跡。今回は曇りでしたが、新緑の季節などにまた訪れて写真を撮りたいところです。

IMG_1816

 坂戸集落にて見かけた洗い場。ポンプで地下水を汲み上げるようになってます。野菜でも洗うのでしょうか。ともあれ鹿島鉄道沿線は湿地帯や沼地のほか水源も多く、水に恵まれた土地です。

IMG_1824

 坂戸集落の外れにあるほっとパーク鉾田。天然温泉や温水プールまで楽しめる公営の日帰り入浴施設です。
 内湯と露天ともに黒ウーロン茶のような色をしたナトリウム塩化物炭酸水素塩泉。ちょうど東京大田区の蒲田温泉と非常に似ている黒湯で泡立ちがあり、肌に纏わりつくようなヌメリ感。加温加水循環濾過されて更に塩素消毒もされているようですが、個人的にはとても温まるし悪くない感じです。源泉は二つあり、もう一方のナトリウム塩化物強塩泉は寝湯のみで使われており、定員二人となりますがこれがまた気持ちいい。塩分が強いため湯船に漂うような感覚で、ついつい寝てしまいそうになります。
 施設は850円と少々高いのですが、廃線跡巡りを忘れてしまうほどに、ゆっくり寛ぐことが出来ました。

IMG_1818

 このほっとパーク鉾田には、鉾田駅保存会によって保存されている車両が展示されています。しかし……

IMG_1822

 なんと塗装のためにマスキング中!

IMG_1821

 3/27日の定期車両公開に向けて化粧直しをしている真っ最中でした。

IMG_1825

 最後に終点の鉾田駅跡。駅舎は廃線後間もなく解体されてしまったそうで、現在はバスターミナルとして使われており、石岡行きや水戸行き、茨城空港行きの他にも、東京駅行きの高速バスも1日6往復運行されています。

IMG_1828

 旧駅前ロータリーであるバス停の奥には、現在プラットホームだけが残されております。

IMG_1831

 しかしこのプラットホーム、五年前の東日本大震災の際に液状化現象が起こり、崩壊してしまいました。

IMG_1832

 当時は鉾田市全域から坂戸辺りまでの広範囲で液状化現象が起き、その被害の甚大さがプラットホームのうねりで見て取れます。鹿島鉄道は既に廃止された後でしたが、沿線の駅舎などが殆ど残されていないのは、震災で倒壊の危険が起きたからかも知れません。
 また、先に訪れたほっとパーク鉾田も被害を受け、暫く営業を休止していたそうです。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

茨城県鹿島鉄道廃線跡(3)、浜~坂戸

 八木蒔集落には北浦沿いの旧街道が通っており、その背後には森に覆われた丘が迫っていました。そのため線路は森の中を貫くしかなかったのでしょう。

IMG_1713

 八木蒔集落から鉾田方面に進むと廃線跡も森を抜けて顔を出します。

IMG_1717

 次の駅は浜駅。かつては渡し船の埠頭があったりして栄えていたそうですが、そんな面影は全くありません。

IMG_1715

 この駅もつい最近まで駅舎が残っていたらしいのですが、ここもまたソーラー畑に。かつて駅だったと分からないくらい、跡形も無く消え去っていました。

IMG_1720

 浜駅を過ぎると廃線跡は霞ヶ浦を離れ、県道の下を潜ります。

IMG_1721

 そして切り通しを抜けて玉造市街地へ。

IMG_1724

 玉造市街地の外れにある老舗旅館。県道から分岐した旧道には古い建物が多く残っています。

IMG_1725

 鉾田線の路線図は『レ』の字の形をしており、玉造はちょうど折り返し地点となります。霞ヶ浦から北に枝分かれしている付け根辺りで、対岸へと渡る霞ヶ浦大橋もあり、かつては港町としても栄えた交通の要衝でした。

IMG_1726

 玉造駅前商店街。突き当たりにはかつて玉造駅がありましたが、現在はただの行き止まり。

IMG_1728

 駅舎は跡形もなく消え去り、だだっ広い空き地に。駅待ちのタクシーが虚しく佇んでいるのみ。写ってませんが、左手では住宅地が造成されています。

IMG_1729

 唯一の面影はレールで立てられた柵のみ。

IMG_1733

 ただ、廃線跡をなぞる路線バスは律儀にも旧駅前を経由してくれます。
 玉造から坂戸までの廃線跡はバス路線と少々離れ、なおかつ森林と田園の中を走ります。情報によればこの区間、駅舎は完全に撤去されたそうなので、バスで一気に飛ばしました。しかし後で調べたところ途中気になる神社があったので、後日もう一度訪れてみたいと思います。

IMG_1737

 バスに乗り坂戸バス停で降りると踏み切り跡が見えました。この先、玉造方面に少し戻った森の中に坂戸駅があります。

IMG_1745

 裏手の森の中に廃線跡があるんだなと思いながら坂戸集落を歩き続けるも、駅入り口らしき交差点は見当たらず、人一人通れるくらいの道を見つけ、まさかここじゃないだろうと私道のような道を入って行ったらありました。終点の鉾田から一つ手前の坂戸駅。こちらも八木蒔同様森の中の駅となります。

IMG_1741

 最近まではレールも残っていたとか。プラットホームには雑草が生い茂っていました。

IMG_1744

 鹿島鉄道廃線跡探訪、ひとまず今回は以上となります。本当は鉾田まで行きたかったのですが、本数の少ない路線バスと徒歩での探索なので、これが限界です。それにしても歩いた歩いた。

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村

茨城県鹿島鉄道廃線跡(2)、小川高校下~八木蒔

 小川南病院から坂を下ると、田んぼの真ん中にぽつんと小川高校下駅跡が残されています。

IMG_1669

 駅名表示板やミラー、信号機などは取り外されていますが、それでも往年の雰囲気を今に残しています。

IMG_1673

 地元の子供達が学校行事でペイントしたのでしょうか「未来へ走れ!鹿島鉄道」の文字が、虚しくも時代の流れを思わせます。

IMG_1685

 廃線跡はこの辺りで霞ヶ浦に最も近づきます。およそ40年ぐらい前の私がまだ子供だった当時、大した山も川も海も無く、ただ平坦な葦の原野が広がる光景に愕然とした記憶があります。山奥の部落育ちにとって海はリアス式、川は渓谷というイメージがあり、関東平野つまんねー!というカルチャーショックでした。

IMG_1682

 琵琶湖同様観光地としてはガッカリな景色で、写真を撮るとしたらこのような物になります。小さな漁港の端に伸びたバラックは、漁関係の小屋でしょか。

IMG_1680

 土手の上を走る廃線跡の途中、漁港への生活道が潜る所に小さな鉄橋。

IMG_1681

 銘板を見ると、なんと大正15年造。大正13年に鹿島参宮鉄道として石岡~小川間が開業し、大正15年に小川~浜間が開業しているので、まさに開業当時のままの鉄橋という事となります。

IMG_1689

 次に訪れたのが旧桃浦駅跡。

IMG_1695

 つい最近まで駅舎(待合室)が残っていたそうですが、タッチの差で解体されてしまいました。ベンチだけが無造作に置かれています。

IMG_1690

 プラットホームだけが当時の面影を残しています。現在はソーラー畑が広がる。近年、電力の自由化や放置された農地などの再利用などから、地方ではソーラーパネル発電施設(個人的にソーラー畑と呼んでいる)が急速に増えて来ました。

IMG_1696

 他に残っているのと言えば駐輪場跡に積み上げられた廃材。

IMG_1700

 次の駅は八木蒔。桃裏からはバスで移動しました。丘の上を走る県道から森の中へ。そこに突如現れた八木蒔駅跡。県道からのアプローチが林道のような狭い道を下っていくので、非常に分かり辛かった。

IMG_1702

 駅名表示板や時刻表などは撤去されていましたが、ホームと待合室はしっかりと残っています。

IMG_1706

 八木蒔集落の奥にあたるこの駅。なぜこんな森の中に造られたのだろうか。ともあれシチュエーションが凄い。

IMG_1710

 霞ヶ浦へ向かって坂を下ると八木蒔集落があります。しかしここ、廃屋がやたら多い。過疎でしょうか。

IMG_1709

 また、この集落の表札を見ると土子さんがやたら多い。沿線の駅跡地の宅地開発でよく目にした不動産会社、土子商事と関係あるのでしょうか。

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを主に載せています。また、国内の寂れた観光地や地方都市、マニアックな温泉スポットや廃墟などもご紹介。

■ 温泉リスト(PC版) ■
記事検索
最新記事
  • ライブドアブログ