廃線跡

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【日記】横須賀市田浦のおまけ

元々田浦を訪れたのには違う目的がありました。

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京急田浦駅とJR田浦駅の間辺り、池の谷戸というバス停があります。まず地名で谷戸と付く辺りから惹かれる物がありますが、歩いて見ると窪地というより普通の谷間と言った感じです。ただ、田浦周辺の住宅街のトタン率の高さにやられます。

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かと思えば洒落た洋館などもあり、この格差は何だろうと思う。そんな谷間の奥、京急とJRが交差する所の奥に、廃墟サイトなどでは有名なゴーストタウンがあります。

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しかしいざ行って見たらなんと、立ち入り禁止になってしまってました。元々ここは湘南田浦ニュータウンとして住宅開発が行われる予定でしたが何らかの理由で計画が中止され、二十数軒の家屋が立ち退いたまま放置されています。帰ってからよくよく調べてみたら、去年2017年から封鎖され、警察も巡回しているそうです。
いきなり出鼻を挫かれた形となりましたが、そう言えば田浦って皆ヶ作がある所じゃんと思い出し、さらに戦争の遺構も多く残ると知り、新たな目的に切り替えました。
一通り巡ってJR田浦駅に戻った所でまだ午後2時過ぎ。三浦半島でもう一ヶ所見てみたい場所があったと思い出して逗子へ。

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逗子からバスで30分ほどの久留和漁港へ。ここは私が尊敬するサイトの一つ、山さ行がねか様で以前紹介されていた物件。海に延びる線路です。沖にある生簀からカゴ台車を走らせていた跡だそうですが、波風を受け続けてそのレールはほとんど朽ち果てていました。

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逗子駅前の立ち飲み屋『寄り屋』さん。寄ってみたかったのですが、残念ながら準備中でした。
三浦半島は観音崎周辺の砲台跡など行きたい所がまだたくさんあるので、いずれ再訪してみたいと思います。

神奈川県横須賀市田浦(3)、引き込み線廃線跡と倉庫群

京急田浦駅から山を隔てた谷にJR田浦駅はあります。駅前には商店も何も無く、海側は倉庫と自衛隊病院、山側は住宅街が広がるのみ。

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駅構内から海岸沿いへと伸びる専用線が分岐して行きます。

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トンネルとトンネルの間にある駅から南側のトンネルへと専用線跡(1番左)は延びて行きます。

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JR田浦駅西口に見つけた地下壕入り口と思しき穴。田浦を含め三浦半島には無数の地下壕が掘られています。

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こちらも地下壕入り口と思しき穴。火工工場の倉庫でしょうか。もちろん入れません。いや無理です、入りません!

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JR田浦駅からトンネル(一番右側)を抜けた専用線は、ここから大きく左カーブを描きながら海を目指します。

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廃線跡から一旦外れますが、県道沿いさらに南にトンネルを抜けた所に、地下壕入り口を見つけました。[地図

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……だから入らないって!

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この辺りは長浦地区になりますが、長浦神社へと登る階段の途中、どう見ても砲弾だろう物があります。しかし何の説明書きも無い。

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廃線跡に戻ります。左カーブを描いた線路は、直進して海上自衛隊横須賀造修補給所へ伸びる線と、右にカーブしてトンネルに入り米軍送油施設へと続いていた線とに分かれます。トンネルに入る線はスイッチバックの形で北へ、海沿いの倉庫群へと向かいます。写真は横須賀造修補給所への線とトンネルから倉庫群への線との十字レール(ダイヤモンドクロス)。[地図

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南側のトンネル内は現在車道で線路は残っていませんが、トンネル内に穴を塞いだ跡がいくつかあります。一段高くなっている事から、これは貨物列車を横付けして地下火工工場に物資を出し入れしてたんじゃないかと思われます。

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トンネルの北側出口に建つ、トタンの錆び具合が素晴らしい倉庫。

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現在の相模運輸倉庫11号倉庫ですが、かつてはここも大日本帝国海軍の倉庫だったと思われます。

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近くで見ると迫力がある。

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その11号倉庫の脇を廃線跡が続きます。田浦駅から来た線路がトンネル側に右折せずに直進し、十字を越えて海側へ。戦後はドンつきにある海上自衛隊横須賀造修補給所へ燃料を運んでいたそうです。

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海に向かって左手(東側)には5号倉庫。かつては第二海軍航空廠(木更津航空隊)横須賀補給工場の発動機倉庫だったそうです。

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5号倉庫の東側には手前からB、C、D倉庫と続く。こちらも第二海軍航空廠横須賀補給工場。

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トンネルからダイヤモンドクロスを越えて北へ延びる廃線跡を辿ります。合同庁舎の前辺りで顔を出す枕木。

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こちらはK号倉庫。かつての光学兵器庫です。光学兵器と聞いてレーザー⁉︎とか思っちゃいますがそんな訳はなく、双眼鏡や測量器などの事を指します。

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大正6年竣工のF号倉庫。かつての第三水雷庫です。[地図

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ノコギリ屋根のこの倉庫はE号倉庫。かつての兵器修理工場です。

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庫7号倉庫。かつての第一水雷庫水雷庫になります。相模運輸倉庫の敷地はここまで。この左奥がJR田浦駅。

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こちらは海上自衛隊艦船補給所食料庫。かつての第二計器庫です。ここからは海上自衛隊の敷地になり、補給所や自衛隊横須賀病院などの敷地となります。

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道路沿いにずっと線路が残っていました。元はバラストに枕木だったところ、2013年頃からの道路改良工事で道路の幅を広くしましたが、レールを残したままコンクリで埋た所がほとんどでした。また、米軍送油施設及び相模運輸倉庫の専用線は1998年頃に廃止されたようです。

神奈川県横須賀市田浦(2)、海軍工廠造兵部跡

京急田浦から海に出る手前に、東芝ライテックの工場があります。この工場は終戦まで、大日本帝国海軍工廠造兵部という軍需工場でした。

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多少手を加えてはいるもののその建物のほとんどが、今でもそのまま東芝の工場として転用されています。この建物は昭和9年に完成した機銃工場。

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向かい側の崖には機銃試射場跡も残っています。[地図

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工場敷地内の真ん中にあるため近づけませんが、大正2年竣工の兵造部中央庁舎。[地図

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その向かい側には無線工場。昭和9年竣工。

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こちらは変電施設。昭和4年竣工。

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こちらは鍛錬工場。施設内に現存する棟屋の中でも最も古いもので、明治19年竣工。煉瓦造の壁にモルタルが塗られています。

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工場は海に面しており、船から材料を荷揚げするための埠頭も残っています。

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海を眺めれば湾内には海上自衛隊の掃海母艦「うらが」が停泊しています。

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軍需工場跡の左手、北側は海上自衛隊自衛艦司令部となっており、その向こう側は米軍の敷地です。田浦は今も昔も軍都なのです。

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湾の右手、南側にはセメント工場がありますが、この辺りにも戦時中の遺稿があります。海に浮かぶこの物体が何であるかは謎ですが。

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埠頭の奥、日立の工場に至る途中に砲塔工場の搬出クレーンの基礎部分が残っています。ちなみに砲塔工場は海上自衛隊施設の移転建設のための取り壊され、それに伴いクレーンの鉄柱も撤去されてしまいました。

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また、この辺りには鉄道引き込み線の廃線跡も残っています。砲塔工場跡の裏手の山には地下壕施設が多く眠っていますが、セメント工場、海上自衛隊、日立パワーソリューションズ、それぞれの敷地となるため、近づくことが出来ません。[地図

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これらの線路は南、JR田浦駅方面から海沿いを走って来ていると思われますが、途中完全に海上自衛隊の敷地内を横切る形となります。

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セメント工場まで戻って南へとトンネルを越えます。隧道の脇に廃道となった旧隧道跡が残っていますが、それとは別に出口付近に塞がれた穴が。恐らく地下壕軍事施設、火工工場の入り口の一つと思われます。

福岡県博多、夜の中洲〜志免町、志免鉱業所竪坑櫓

福岡博多の屋台について、中洲は観光地化されており、最近では天神の屋台街に地元の方が集まるとの事。しかしおよそ10年前に中洲で飲んだと言うこともあり、今回はメジャーな中洲界隈で夜を過ごすことにしました。

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中洲の歓楽街がまず目を引いたのは大洋映画劇場。終戦直後の昭和21年、当時まだ焼け野原だった博多に戦後初の娯楽施設としてオープンしたそうです。

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裏通りを入って行くと、なかなか渋い建物が目に付きます。

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このような地元感溢れる大衆酒場が非常にそそられるのですが、店内は超満員でした。

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いい感じの路地裏があったので、とりあえず入ってみます。この人形小路には古いスナックと若手が新規開店したような店とが混在しています。

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路地の出口にある「あほう鳥」に入り、モツ鍋を堪能。ビールに合う!

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いい感じに酔ったところで屋台街に行きました。地元のサラリーマンと観光客でごった返しています。

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南端の屋台「峰ちゃん」に入店。店じゅうに名刺が貼られています。

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芋焼酎ロックを注文。しかしコップになみなみと注がれた焼酎に小さい氷が二つ入っているのみ。焼酎はストレートたい!とでも言わんばかりで、酔いが回る回る。

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翌日、昼までガッツリ寝て福岡空港の近くにある志免炭鉱跡に寄りました。こちらは地下坑道より斜めに搬出する坑道口。

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そして圧巻なのがこの重要文化財に指定されている竪坑櫓の廃墟。

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ここ糟屋炭田志免鉱業所は日本で唯一の国営炭鉱で、明治39年より採掘が始まり昭和39年に閉山。

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鉄筋コンクリート造ですがところどころ表面のコンクリートが剥離しており、当然ながら立ち入り禁止。しかしよく残っていると思います。

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開山当時は海軍の管轄でしたが、戦後国鉄に移管されたそうです。

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高台に建つ竪坑櫓の下には旧国鉄勝田線の廃線跡があります。

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竪坑櫓の下には志免鉄道公園があり、筑前志免駅跡の線路とホーム、踏み切り、信号などが残されております。

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勝田線は先日紹介した宮原線同様第1次特定地方交通線に指定され、1985年4月1日に廃止されました。国鉄の分割民営化を控えたこの時期、かつて炭鉱で栄えた九州北部でも数多くのローカル線が廃止されています。

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線路跡は大部分がそのまま緑道となり、上亀山の方まで続いています。

今回の九州旅行はこれまで。それにしても行きたい場所がまだまだあり過ぎて、全然周り切れませんでした。

大分県豊後森〜熊本県小国町、豊後森機関庫及び旧国鉄宮原線廃線跡

旧国鉄宮原線は第一次特定地方交通線、つまり赤字ローカル線の廃止対象に選ばれ、1984年12月1日に全廃となりました。

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豊後森の扇型機関庫は昭和9年の久大本線開通と共に完成し、昭和46年に廃止。宮原線で使用されていた蒸気機関車やキハ07などもここに格納されていました。

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最近まではただの廃墟だったところを、現在では豊後森機関庫ミュージアムと共に観光地化が進んでいます。この9600型蒸気機関車はこの後訪れる志免町の中の坪公園で約40年間野ざらしにされ解体が決定したところを引き取ったもので、2015年より展示されています。

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2009年に近代化産業遺産、2012年に国の登録有形文化財に指定されています。扇型機関庫は非常に横幅が広く入り切らないので、何枚かの写真に分けます。広角レンズが欲しい。

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現在でも展示物としての保存活動が進められており、この日も転車台のペンキ塗り替え工事が進められていました。

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どんどん綺麗になって行くのですが同時に廃墟感が失われて行きます。ただ割れた窓ガラスはこのままにしておいて欲しいものです。

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豊後森駅は木造の駅舎や跨線橋などが今も現役で使われています。

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また豊後森機関庫がJR九州の観光列車「或る列車(大分コース)」や「ななつ星」のツアーコースに組み込まれているため、古さを残しつつ綺麗に改装されています。観光資源として古い建造物が保存されるのは喜ばしいことですが、ここまで綺麗にされると少々複雑な気分。

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旧国鉄宮原線の廃線跡は基本的に国道387号線町田バイパスとしてその跡地を利用されていますが、沿道の至るところにアーチ橋や駅の遺構が見られます。

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こちらは尾の上バス停から見える汐井川橋梁。下を流れる川にはホタルが生息しており、夏にはホタルの里として多くの観光客が訪れる場所です。

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汐井川橋梁から二つ上の写真の切り通しを抜けると堂山橋梁があります。下の道を少し登れば今回宿泊した山川温泉。

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同じく堂山橋梁。ここ宮原線のアーチ橋群は去年訪れた北海道士幌線のアーチ橋建設時の技術が使われています。

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堂山橋梁の袂には小さな村の鎮守の神様が祀られています。廃線跡はこの神社の脇をすり抜けて行きます。

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怖いくらい急な階段を登れば紅葉も見事。

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この堂山橋梁には柵が設置されており、上を歩くことも出来ます。橋の上からの景色、いわゆるかつての車窓の風景は、棚田の広がる長閑な里山。つくづく現役の頃に乗っておきたかったと思います。この辺りの素晴らしいロケーション、誰かNゲージで再現してくれないだろうか。

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小国町方面に向かうと旧北里駅跡があります。この地方は有名な小国杉の産地でもあったため、昔は人口もかなり多かったとか。

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北里はあの北里大学創始者、北里柴三郎の出身地で記念館などもあります。

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ホームの端には崖下、川沿いの集落に降りる階段の跡も。

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北里駅跡から小国町方面に少し行った所に掛かる北里橋梁跡。タクシーの運転手さんが地元、山川部落生まれの方だったので、廃線跡を詳しく案内してくれました。

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こちらは幸野川橋梁。中学生の頃だったか、赤字ローカル線の廃止対象路線を特集した本を持っていたのですが、その本で見た覚えのある特徴的なアーチ橋です。ここまで紹介してきた橋はいずれも鉄筋の代わりに竹を骨組みとして組んで造られた竹筋コンクリート造で、国の登録有形文化財にも指定されています。

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最後に終点の肥後小国駅です。かつての線路と信号機などが一部残されています。

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現在はゆうステーションというバスターミナルとなっています。かつては宮原線の代替輸送として玖珠観光バスが豊後森と小国町の間を結んでいましたが2013年に廃止。現在では小国町から岳の湯行きと、豊後森側からは麻生釣止まりが数本走る程度で、途中分断される形となってしまいました。
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