笠間には過去2度も訪れたのですが、また後から行きたい場所を発見してしまいました。
JR水戸線笠間駅よりバスで笠間稲荷神社まで。門前通りの突き当たりにあるかさま歴史交流館にてドコモのシェアサイクルを借りました。ドコモシェアサイクルは都市部の他、極一部の地域で使えます。茨城県では笠間市と境町のみ。恐らく行政側から話を持ち掛けているような雰囲気。
かさま歴史交流館から北へ進むと、笠間市街地の外周部を走るバイパス、国道50号線に出ます。
そこで目を引くのがこの健康ランドの看板。
この健康ランドカサマ遊楽園ジャブは1980年代開業で2009年頃に廃業されたと思われるそうです。
入り口はこんな感じです。冬の枯れた草から裾に種を付けられまくる。
ガラス越しのロビーはこんな感じ。先ほどのネオン看板に「宅地造成」とか「不動産販売」とか「土木工事」とかの看板があった事から、地元の建設不動産会社が経営していた事が窺えます。
ロビーの右手に開いてる扉があり、そこからちょっと覗けます。ロッカールームですが開いているものだから、廃墟系の方やYoutube系の方々が不法侵入しているようです。今回は国道沿いの廃墟物件で人目に付くから入りませんでした。
国道50号線を東にちょっと行き、丘を越えた辺りから旧道に入るとホテル街があります。
ホテル街と言っても街ではなく、幹線道路沿いの山の中のラブホ地帯。ただ寂れているようで、いきなり廃墟です。
かつては栄えていたのでしょうが、現在では10軒中営業中なのは3軒。しかしこの廃ホテルなんかは名前がSMプレゲート。そこまで客層を絞るとは思い切ったなぁ。
地価が安い事と当時の流行りからか、コテージタイプのラブホが何軒かあります。現在更地となっている所にも建っていたのでしょうから、全盛期はもっとあったのでしょう。
ハートに弓矢ってまたなんてファンシーな。しかしこのホテル街がなぜ衰退してしまったのか。確かに幹線道路からは見えない旧道沿いですが、笠間市周辺の若者たちにとっては貴重なホテル街として有名だったはず。ラブホの需要は無くならないと思うのですが、少子化ったってたかが知れてると思うし。
ホテル街の一番西側にある廃ホテル。その敷地に多くの廃車が放置されています。
置かれているのはそのほとんどがクラシックな外車ばかり。不法投棄などではなく、一つの業者がスクラップ置き場として利用しているようです。
フィアットのミッドシップ車、X-1/9。懐かしい。ミニカーとか持ってたな。
その証拠に建物の内部にもエンジンやパーツなどが置かれ、ここで作業していたような形跡すら見て取れます。
特にこのボルボ P1800なんかは3台ぐらいありました。
思うに、旧車のレストアなんかをやっていて、その部品取りに使われた車たちなのではと想像します。使える部品を取り尽くして、一台の車をレストアすると言う。
フィアット500なんかもありました。そう言えば大井川鐵道なんかでも1両のSLを復活させるために、他のSLを犠牲にしていたりします。新たに部品を一から作るより、復元不可能な車両から部品を取り活用する方が全然安上がりですからね。
これはほとんど原型をとどめてませんが、恐らくBMW2002シリーズ。
このサイドの凹み具合、事故車でしょうか。ようは廃車を買い取りして二次利用していたのでしょう。
しかし雨曝しとは言え経年劣化が激しく雑草も生い茂っております。現在はもうレストア業をやっていないのかも知れません。いずれにしろその自動車修理工はこのラブホの地主の一族または関係者なのでしょう。
ほとんどの車が不完全な状態なのでいわゆる「草ヒロ」とは言い難いかも知れませんが、ただ異様な光景である事は間違いありませんでした。
最後に自転車で東の稲田駅近くの石切場に行ってみたのですが、定休日につき立入禁止となっていました。ここは現役の石材屋の敷地なので木曜日だけ入れないそうです。ちゃんと調べずに行ってしまったので、とんだ無駄足でした。たまにこう言う事をやらかす。近々また来ようと思います。
茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡
JR水戸線笠間駅よりバスで笠間稲荷神社まで。門前通りの突き当たりにあるかさま歴史交流館にてドコモのシェアサイクルを借りました。ドコモシェアサイクルは都市部の他、極一部の地域で使えます。茨城県では笠間市と境町のみ。恐らく行政側から話を持ち掛けているような雰囲気。
かさま歴史交流館から北へ進むと、笠間市街地の外周部を走るバイパス、国道50号線に出ます。
そこで目を引くのがこの健康ランドの看板。
この健康ランドカサマ遊楽園ジャブは1980年代開業で2009年頃に廃業されたと思われるそうです。
入り口はこんな感じです。冬の枯れた草から裾に種を付けられまくる。
ガラス越しのロビーはこんな感じ。先ほどのネオン看板に「宅地造成」とか「不動産販売」とか「土木工事」とかの看板があった事から、地元の建設不動産会社が経営していた事が窺えます。
ロビーの右手に開いてる扉があり、そこからちょっと覗けます。ロッカールームですが開いているものだから、廃墟系の方やYoutube系の方々が不法侵入しているようです。今回は国道沿いの廃墟物件で人目に付くから入りませんでした。
国道50号線を東にちょっと行き、丘を越えた辺りから旧道に入るとホテル街があります。
ホテル街と言っても街ではなく、幹線道路沿いの山の中のラブホ地帯。ただ寂れているようで、いきなり廃墟です。
かつては栄えていたのでしょうが、現在では10軒中営業中なのは3軒。しかしこの廃ホテルなんかは名前がSMプレゲート。そこまで客層を絞るとは思い切ったなぁ。
地価が安い事と当時の流行りからか、コテージタイプのラブホが何軒かあります。現在更地となっている所にも建っていたのでしょうから、全盛期はもっとあったのでしょう。
ハートに弓矢ってまたなんてファンシーな。しかしこのホテル街がなぜ衰退してしまったのか。確かに幹線道路からは見えない旧道沿いですが、笠間市周辺の若者たちにとっては貴重なホテル街として有名だったはず。ラブホの需要は無くならないと思うのですが、少子化ったってたかが知れてると思うし。
ホテル街の一番西側にある廃ホテル。その敷地に多くの廃車が放置されています。
置かれているのはそのほとんどがクラシックな外車ばかり。不法投棄などではなく、一つの業者がスクラップ置き場として利用しているようです。
フィアットのミッドシップ車、X-1/9。懐かしい。ミニカーとか持ってたな。
その証拠に建物の内部にもエンジンやパーツなどが置かれ、ここで作業していたような形跡すら見て取れます。
特にこのボルボ P1800なんかは3台ぐらいありました。
思うに、旧車のレストアなんかをやっていて、その部品取りに使われた車たちなのではと想像します。使える部品を取り尽くして、一台の車をレストアすると言う。
フィアット500なんかもありました。そう言えば大井川鐵道なんかでも1両のSLを復活させるために、他のSLを犠牲にしていたりします。新たに部品を一から作るより、復元不可能な車両から部品を取り活用する方が全然安上がりですからね。
これはほとんど原型をとどめてませんが、恐らくBMW2002シリーズ。
このサイドの凹み具合、事故車でしょうか。ようは廃車を買い取りして二次利用していたのでしょう。
しかし雨曝しとは言え経年劣化が激しく雑草も生い茂っております。現在はもうレストア業をやっていないのかも知れません。いずれにしろその自動車修理工はこのラブホの地主の一族または関係者なのでしょう。
ほとんどの車が不完全な状態なのでいわゆる「草ヒロ」とは言い難いかも知れませんが、ただ異様な光景である事は間違いありませんでした。
最後に自転車で東の稲田駅近くの石切場に行ってみたのですが、定休日につき立入禁止となっていました。ここは現役の石材屋の敷地なので木曜日だけ入れないそうです。ちゃんと調べずに行ってしまったので、とんだ無駄足でした。たまにこう言う事をやらかす。近々また来ようと思います。
茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡