廃墟

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山形県鶴岡市、庄内交通廃線跡と湯野浜温泉

庄内交通湯野浜線は昭和4年、羽越線鶴岡駅から湯野浜温泉駅を結ぶ鉄道として開業し、昭和50年まで営業されていました。

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上の写真は湯野浜温泉下町共同浴場の休憩室に展示されていたもの。湯野浜線は途中にある善宝寺の参拝客や当時まだ栄えていた湯野浜温泉の宿泊客、魚の行商人や地域の米などを運んでいたそうです。
白黒写真で見ると昔の箱根登山に見えてきてしょうがないのですが。

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秋田から特急いなほで鶴岡へ。そこから普通列車で隣の羽前大山へ。あとはタクシーで進みます。

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田園地帯の廃線跡はほぼ跡形も無くなっていますが、こちらは中間にある善宝寺駅跡。奥には保存されていたモハ3形が。ちなみにこの善宝寺、平成2年に人面魚の話題で注目を集めた場所です。タクシーの運ちゃんに言われて初めて知りました。意外!

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湯野浜線はモータリゼーションの影響から昭和50年に廃止されてしまいましたが、この善宝寺駅駅舎が善宝寺鉄道記念館として昭和53年にオープン。このモハ3の他にも多くの資料が展示されていました。

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しかしその記念館も訪れる人が年々減り続け、施設の老朽化もあって1999年に閉館となりました。

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その後展示されていた資料は湯野浜温泉の庄内クラフトステーションに移設されましたが、併設されていた旅館が閉館。今では資料を見る事も出来ず、保存車両も朽ち果てています。

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この小雨がパラついているシチュエーションがたまらなくて、いつまでもここに居たいと思ってしまいますが、タクシー待たせているのでしょうがない。

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善宝寺駅跡から小高い山の北麓を迂回し日本海に面する湯野浜温泉へ至る廃線跡は、サイクリングロードとして整備されています。

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と言ってもここをサイクリングする人などおらず。ただ線路跡の面影だけが残っています。

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こちらが終点の湯野浜温泉駅跡。この辺りがホームの端部となりますが、現在ではホームなどの遺構は全く残っていません。庄内交通はバス会社として今でも庄内地方の人々の足を支えていますが、鉄道の存在は人々の記憶からも消えて行っております。

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この湯野浜温泉もすっかり寂れたマイナー温泉地です。唯一目の前の浜辺が海水浴場なので、夏休みなどは地元の方々が日帰りで訪れる事もあります。

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今回お世話になった宿はこちら扇屋旅館さん。民宿のような雰囲気ですが一泊二食付きで8000円とリーズナブル。昼間は飲食店もされているようで食事は大満足な内容ですが、ただし全館禁煙となります。

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温泉も加水加温循環濾過無しの100%源泉掛け流し。ナトリウムカルシウム塩化物泉のお湯は舐めると強い塩気。全身を包む滑り感もあり湯上がりは汗が止まりません。

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街の中心部のバス停前に湯野浜振興センターコスパがあり、バス待合室や観光案内所や集会所などが入っています。またこの場所が旧湯野浜駅駅舎の跡地となります。

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右手奥には下町共同浴場も併設されています。朝6時〜7時と10時〜21時営業。

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朝10時のお湯入れ替え直後に入ると、すでにご老人が一人。その後も地元の方が2人3人と入って来ます。
私も入ろうとしましたが、ほぼ熱湯風呂!今まで入った温泉の中でも1位2位を争うくらいの激熱。48度ぐらいは有りましょうか、しかし地元の爺ちゃんが何の躊躇もなく入って行き「気〜持ちええなぁー」って。
「水、入れてもいいぞー」と言うので、ちょっと悔しさを覚えながら泣く泣く加水してしまいました。それでも掛け湯で慣らしながら足で湯もみをして、辛うじて肩まで浸かれる始末。東北恐るべしです。

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こちらは南寄りの地区にある上町共同浴場。ちょうど7時から10時の清掃時間だったため入れず。ここ湯野浜温泉は一号から五号源泉の混合泉が分配されている事が多いので、宿泊した扇屋さんも共同浴場も泉質は変わりません。ただ、下町共同浴場に関しては源泉から近いせいで温度が高いのかも知れません。

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上町では小規模ながらも海沿いで朝市が行なわれていました。

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こちらの巨大なホテルは廃墟。東北の日本海沿岸で数少ない海水浴場を擁していてもシーズンは短く、結局他の温泉地同様最盛期に比べて随分と衰退している模様です。

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ただ唯一の希望としては車で10分ほどの近隣にある加茂水族館が、クラゲの展示に特化した事でV字回復した事。このインスタ映え水族館の影響で宿泊客が増えてくれればと思います。

千葉県旭市、香取海軍航空基地跡

戦後73年目の終戦記念日ですが、今回は千葉県の銚子の少し手前に残る香取海軍航空基地跡を巡ります。

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香取海軍航空基地は昭和13年に着工、竣工を迎える昭和18年にはかなり戦局も悪化していました。現在その滑走路跡は工業団地になっており、Googleマップを見ると特徴的な十字の地形がはっきりと残っています。
https://goo.gl/maps/tfHYjgCsBNk
上の写真は春海第一掩体壕(後述)に建っている案内板より。

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こちらは南西から北東に延びる1500m滑走路の南西端。道路の対して斜めに工場施設が延びる。

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北西から南東に延びる1400m滑走路と1500m滑走路が交差するあたり。滑走路跡地は基本的に工場の私有地ですが、交差する地点の西側から少しだけ当時の1500m滑走路が見れます。冬に来た方がもっと見渡せたでしょう。

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基地施設は滑走路の西側にありましたが、今では高校やゴルフクラブ、工場などが建ち並びその面影を見ることは出来ません。手前の広い敷地はかつて格納庫などから滑走路へ向かう誘導路だったかと思われます。遠くに見える1400m滑走路跡地はそのまま日清紡の自動車ブレーキ工場のテストコースとなっており、事前に見学を交渉しない限り外からは一切見ることが出来ません。テストコースの周囲は防風林のように木が植えられており、さらに柵にも囲まれています。

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こちらは1400m滑走路跡、現テストコースの北西端。

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滑走路の西側を走る道路脇に、夏草も刈られぬままの小さな公園があります。そこにひっそりと佇んでいるのがこの戦没者慰霊碑です。慰霊碑の中には訓練中に亡くなった方、防空戦や特攻で亡くなった方、そして爆撃や機銃掃射で巻き添えを食った地元住民の方などの名簿が納められています。七十数回目のお盆、献花こそ出来ませんでしたが御冥福をお祈りして合掌。

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神風特攻隊は主に鹿児島県の知覧陸軍航空基地などが有名ですが、昭和20年2月、ここ香取海軍航空基地からも硫黄島などに向けて飛び立って行きました。

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公園の奥には戦後、アメリカより支給された海上自衛隊練習機、ノースアメリカン社製T-6テキサンが展示されています。敵国ながら同じ時代の機体を展示している訳ですが、昭和20年2月に米艦隊空母より飛来し香取飛行場を飛び立った零戦と戦ったのは、グラマンF6F,F4U、カーチスSB2C、ダグラスSBD。零戦を展示することこそ憚かりながらも自衛隊の練習機を展示するのは忖度だろうか。

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香取航空基地の北西端の田園に、戦闘機を格納する晴海第一掩体壕(えんたいごう)が残っています。現在は農機具小屋として使われていますが、隣に解説板(1枚目写真)が立てられています。

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昭和19年10月末、サイパン島より飛び立つことが可能となったB-29はいよいよ本土爆撃を開始します。東京に向けて高度10000mを飛行するB-29に対し高度8000mの射程しか持たない対空砲台は役に立たず、航空機を従来の格納庫に閉まっておいてはいずれ標的にされると考え、滑走路周辺に散らすように防空壕のような掩体壕を建設しました。物資の少ない中砂利を混ぜたコンクリートで造り、上に土を被せて発見し辛くさせています。

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すぐ隣には晴海第ニ掩体壕も残っています。このように屋根の付いてる有蓋掩体壕は全部で25基造られ現在残るのは三基。他にも『コ』の字形に土を盛っただけの無蓋掩体壕も多く有りましたが、それらはすでに面影を残しておりません。

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こちらは基地の反対側、南東端に残る掩体壕です。完全に私有地の中にあり土地の方を見つけられなかったので近寄りませんでした。所有者と思われるお宅も有りましたが、あまりにも立派なお屋敷でピンポンもなかったので、二の足を踏んでしまった。

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近くの畑に海軍旗が掲揚されていました。当時を知る基地に縁のある方がいらっしゃったのかも知れません。もしご老人を見かけていたらお話など聞けたかも知れません。
また、香取航空基地建設の際には多くの地元住民の方々が強制退去させられ、建設の際には多くの朝鮮人労働者が使われたそいです。その朝鮮人労働者たちは基地の南の森に朝鮮部落を形成したと言う話も。それらもまた戦争が引き起こした事象のひとつという訳ですね。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(後編)

続きです。とにかく暑くて死にそう。

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山頂付近の尾根道を歩いていると途中、橋が掛かっています。その橋から下を覗くと、えらい深い切り通しが。ここは明治期の砲台建設の際、資材搬入などで使われたそうです。

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近くで見たいと下に廻って見たところ、立ち入り禁止の上に深い藪に覆われていました。

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頂上付近は児童公園でアスレチック施設などがあるのですが、そこここに赤煉瓦の土塁が顔を覗かせています。

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ここは腰越堡塁と呼ばれる砲台跡で明治29年竣工、大正14年除籍。

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最後に観音崎の北西側、海水浴場の少し上にある三軒家砲台跡を訪れました。入り口の門柱は当時のもの。

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坂を下って行くと左手に地下弾薬庫の入り口が。

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さらに下って行くと三ヶ所の砲台跡が。

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この砲台跡は27㎝カノンという当時最大の大砲を備えていたため、関東大震災後に復旧されて昭和初期まで使われました。

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そのためかここには当時の陸軍の迷彩塗装がはっきりと残っています。

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砲台と砲台の間には地下施設へ下る階段と赤煉瓦塀が見事に残っています。

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こちらの砲台跡にも鮮やかな迷彩塗装が。

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こちらも地下施設への階段。指令所などがあったのでしょうか。

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その証拠に地下からの指示が聞こえる穴が。潜水艦の声を通すパイプのようなものです。

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一番奥には観測所付属室が。中に入って見たい。

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砲台の背後にはこのような切り通しがあります。

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坂の上に弾薬庫があることから、ここを通って弾薬を運んでいたのでしょうか。

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三軒家砲台跡、観音崎海水浴場側の門柱。そんな訳で非常に内容の濃い戦争遺跡でした。この周辺にもまだまだ遺構が多く残されているのですが、いかんせん暑くってギブアップです。

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最後に汗を流そうと京急大津駅近くの銭湯、宮本温泉に立ち寄って来ました。3時オープンから30分しか経ってないのに地元の方々がすでに8 人ほど入られています。 (地図)

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温泉分析表などが見当たらないと思ったら、ここは温泉ではなく実母散薬湯という薬湯だそうです。ちなみに薬湯浴槽は露天風呂。見事なオレンジ色をしており匂いも紅茶っぽい。なかなか良いお湯で、サッパリしました。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(前編)

三浦半島、横須賀の先の浦賀、観音崎に残る砲台跡などの戦争遺構を巡ってまいりました。

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観音崎は夏のレジャー真っ盛り。海に入る人やBBQを楽しむ人などで賑わっています。

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観音崎灯台は日本最古の様式灯台として1869年より点灯しています。だだし関東大震災などによって崩れているため、現在の灯台は大正14年に再建された3代目となります。この灯台の場所に文化9年(1812年)、最初の台場が造られたとか。

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その観音埼灯台をとり囲むようにして、いくつかの砲台の跡が残っています。東京湾の入り口でもある観音崎の砲台は元々、文化7年(1810年)より会津藩が台場と陣屋を築き、文政4年(1821年)に浦賀奉行所管理のもと、その後慶応4年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は海軍省、そして陸軍省へと引継がれ、昭和20年の終戦まで管理されました。

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現在残る砲台跡の多くは明治〜大正期のもの。この北門第一砲台は明治13年(1880年)に着工されたもので、以降9ヶ所もの砲台が建設されました。砲座全面には巨大な御影石が。

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手前の塞がれた入り口は弾薬庫でしょうか。ちなみに観音崎の砲台は兵器の進歩や国際情勢の変化などにより、その多くが大正時代に廃止となりました。ここ第一砲台は大正4年除籍。

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こちらは観音崎バス停から少し登った所にある北門第二砲台。第一砲台と同じく明治13年着工で同17年竣工、大正4年除籍。

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もちろん大砲があるわけではなく、土台があるのみ。

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こちらも第二砲台。日清戦争や日露戦争の時には戦闘配備につきましたが、実際東京湾の入り口まで敵艦隊が攻め入って来る事は無かったので、実戦で発砲したことは無かったそうです。

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施設としては基本的に地下施設。指令所や弾薬庫などが、防空壕のような形で眠っています。年に数回ガイドツアーが開催され、その際には幾つかの鉄の扉が開かれるとか。

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海沿いまで降りてみると、遠く岬の突端にコンクリート造の廃墟が。これは潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る観測所で、こちらは第二次大戦中陸軍によって昭和12年に完成したものです。ただ岬の先端部分は現在防衛省の敷地(海上自衛隊観音崎警備所)で近付けず、よりによってこの日はデジカメを忘れて来るという失態。

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岬の南西側に廻ってみようと素掘りのトンネルを越えて行きます。このトンネル、鳶ノ巣台場(現在の観音崎警備所)建造のため嘉永5年(1852年)頃に掘られた横須賀最古のトンネルだとか。

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反対側に廻ってもやはり遠い。ipadでは無理があります。光学望遠レンズが欲しい。

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途中の海岸線には謎のコンクリート構造物が転がっていました。これも戦争関連の遺物でしょうか。

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再び山へと登って行きます。崎先端部の近くには、外洋を臨むようにして戦没船員の碑があります。海の日の観音崎はレジャー客で賑わい波は静かで平和な休日です。

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観音崎の山間部は全体が公園になっており、遊歩道が迷路のように張り巡らされています。戦没船員の碑の北側より海側展望台へと抜けるトンネルが。

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トンネルを抜けると左手に地下施設への入り口が。コンクリートで固く閉ざされています。

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展望台手前にあるのが北門第三砲台跡。

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こちらも竣工と除籍の時期は第一や第二と同じです。

後編に続く。

神奈川県横須賀市田浦(1)、皆ヶ作のカフェー建築

神奈川県横須賀市、京急田浦駅周辺に行ってまいりました。

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駅から少し南に下った所より海に向かって仲通り商店街というアーケードがあります。現在ではすっかりシャッター商店街と化していますが、ここにはかつて皆ヶ作という花街がありました。

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ここ田浦にはかつて大日本帝国海軍工廠造兵部(現在の東芝ライテックの工場)や海軍防備隊などの施設がありました。そのため大正から昭和に掛けて、大変な賑わいを見せていたそうです。

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かつて色街を紹介するサイトなどでは有名なカフェー建築が商店街の近くにありましたが現在では解体されてしまい、僅かに匂いの残る建物が数軒残るのみ。

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商店街を海に向かって右側、少し路地を入った所にある割烹飯田屋。

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こちらは商店街の真ん中にある銭湯。まだ現役のようです。

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路地裏に僅かに残る飲み屋街へと入って行きます。

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玄関の上にあるライオンの顔。数少ない私娼の名残りです。

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扇の意匠。カフェー建築の名残りです。

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商店街を抜けて左手の住宅街に入った所に、元料亭だった建物。

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ナスを象った窓。この辺りにはかつて40軒ほどの私娼館があったそうです。

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バー『城』跡。見事なカフェー建築です。

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道が狭く引きで撮れないのがもどかしい。曲線を多く使った建物。

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その二階部分には、いかにもな窓が残る。

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隣にはバー『一ニ三』。現在まだ営業しているかは不明ですが、最近まで営業してたとか。

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崖の中腹に廃墟がありますが、こちらは大正15年竣工の田浦町役場跡です。
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