廃墟

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神奈川県川崎市、昭和マーケットとその周辺

一部では超有名物件であり、多くの昭和の街並み系ブログでも取り上げられている昭和マーケットに行って来ました。今更感もありますが。

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最寄りの駅は京急大師線の東門前駅。川崎駅から多摩川沿いを京浜工業地帯まで進む短い支線です。

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大師線の南側を並行して続く大師銀座商店会に昭和マーケットはあります。

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L字型の路地に商店が並ぶ木造アーケード。

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しかし現在ではほぼ壊滅状態です。

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ほんの数年前までは結構店も営業していたようですが、いかんせん訪れるのが遅すぎました。

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出口と言いますか大師銀座商店会から脇道である昭和通り商店街に入った所の入り口。ここの八百屋さんが唯一の生き残りです。

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ここの裏手にL字型のマーケットはあります。

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空き地からマーケットの外観が見えます。トタン貼りの木造建築。

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昭和通り商店街を入って行きます。昭和マーケットの裏手の路地。数年前まで営業していた様子が、多くのブログで見受けられます。

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噂のアカカンバン。立石の呑んべえ横丁に現存するのが有名。

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裏手の飲み屋横丁。かつてのと言った方が正確かも知れませんが、庇の荒廃ぶりが廃墟感を醸しています。

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見た感じ営業している店は無さそうですね。

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こちらの八百屋さんも廃業している様子。

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私が以前よく見ていた香ばしい町並みブログ様の記事に、この界隈がまだ賑わっていた頃の様子が見られます。と言っても9年前の2011年ですが。つくづく、もっと早く来ていればと後悔します。

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こちらも何かの店舗の跡。近隣にはマイバスケットやマルエツなどがあり、地域の食卓を支えています。

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飲食店の跡と思われます。奥の美容室はまだ頑張って営業中。

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産業道路の向こう側、つまり海側は町工場やジャンク屋。その道路と高速の間をくぐる歩道橋にはゴミが。川崎を象徴する光景にも思えます。

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住宅街の中にある倉形屋酒店。ここは角打ちで酒が飲めます。しかも冬場はコタツで飲めるという、非常にそそる物件。ただ営業開始が18時との事で今日は断念。

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最後に南西側、国道近くにある銭湯、日の出おふろセンターで汗を流しました。ここは加温循環濾過の鉱泉に入れる銭湯です。

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薄茶色のお湯は爪先が辛うじて見えるくらいの透明度。キシキシとした肌触りですが微かなヌメリ感もあり、纏わり付くような重さを感じるほどの濃いお湯です。塩化物泉の浴槽は露天で、源泉が出そうな蛇口があるも元栓が閉められているようで鉱泉は出ず。にも関わらずこの匂いと浴感は素晴らしいです。湯上りはホカホカが止まりませんでした。

栃木県足利市(3)、狭すぎる路地裏スナック街跡

続きです。中央通りを西に進み、スーパーフレッセイの裏手辺り。一見住宅街に見えますが、一歩路地に入ればスナックなどが多く点在しています。

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とりあえずグルグル周ってみました。全ての路地を網羅した訳ではありませんが、時間の許す限り歩いていきます。

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先に進みます。路地の狭さが半端ないです。そんな狭い路地にスナックの入り口。隠れ家にもほどがある。

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廃業して相当の時が経っているのか、解体され更地や駐車場になってしまった場所ばかりではなく、このような廃墟も残されております。

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廃墟はスナックだけでなく板張りの木造住宅も。

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お茶漬け屋さん。シメでサラサラ行きたい所ですが、営業しているかどうかは夜になってみないと分かりません。

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その左手前にはこんな看板が。そう、ここは住宅街ではなく盛り場だったのです。

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一帯の一番奥は山。駅からだと北西の方角になりますが、市街地の端にあたります。左側のスナックはGoogle Mapで確認したところ営業している様子。

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その脇を入って見れば小料理屋のような佇まい。ただそこまでのアプローチに違和感しかない。

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新しくても戦後間も無く。戦前建築は余程しっかりした建物でない限り倒壊していると想像します。

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奥に見えたスナックの看板の所まで歩き振り返る。路地は狭くて未舗装なのが基本のようです。

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もちろん車道沿いにもスナックが。手前はすっかり解体されて駐車場に。

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再び路地へ。かつては相当な件数の飲食店がひしめき合い、さぞかし賑やかだったのでしょう。

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民家と民家の間、裏庭に抜けるひとんちの敷地としか思えない隙間の奥にもスナックの跡が。

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少し暗くなって来ました。いきなり見事な木造建築。欄干も無く代わりにノコギリ屋根がある事から織物工場の跡かと思われます。その向かいにもスナックの跡があります。

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やっと灯りがともり始めた。と思ったら美容室でした。髪結いなどもやっていたのでしょうか。

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現役の銭湯。以前は工場も多かったそうで、労働者たちが仕事の汗を洗い流し夜の街へと消えて行った事でしょう。足利市駅近くの居酒屋のママさんも、すっかり働き口が減ってしまい、都内まで通勤するか、都内や隣の太田市に引っ越したりして、すっかり寂れてしまったと話してくれました。スバルの企業城下町である太田市と比べてしまうと、ここ足利市にはスパイス工場ぐらいしか残ってないんじゃないでしょうか。
機会が有れば泊まりがけで再び訪れたいですね。銭湯に浸かって生き残ってるスナックを探し、飲みながら賑やかだった昔の話でも聞きたいです。

栃木県足利市(2)、気になる路地と映画館跡

これまで栃木県栃木市、佐野市、群馬県太田市、桐生市と、関東平野北東部の都市を巡って来ましたが、今回は足利市です。

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JR足利駅の前にはEF60が雨晒しで保存されています。この機関車は1964年9月26日完成で米原や岡山など、主に関西方面の貨物列車牽引で活躍していました。なにげに鉄道の歴史の中では名機と言えます。

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渡良瀬川を挟んで南に東武伊勢崎線の足利市駅、北にJR足利駅がありますが、中心街は北側。東武足利市駅とその中心街を結ぶ昭和11年開通の中橋は見事なアーチ橋です。

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市街地を東西に貫く中央通りは交通量も多く、観光名所の足利学校などもあり栄えています。

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歴史の教科書にも載っている足利学校もスルーすれば、鑁阿寺(ばんなじ)も遠目に眺めてスルー。

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むしろその向かい側にある敗退的な光景に胸をときめかす。はい、変態です。

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東武足利市駅から鹿島園方面に向かうバスの車窓から発見した怪しい路地に向かいます。時刻は既に三時半過ぎ。これから急ぎ足で探索を始めます。

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なんだここは。と、つい口に出してしまった。

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振り返ってみました。赤線跡でしょうか、普通に貴重な木造建築がもんじゃ屋さんに使われています。

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今回の目的地の一つ、廃業映画館。足利東映プラザ映画館です。入り口のアーチが素晴らしい。

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1999年閉館。その後イベントや映画のロケ地などで利用されており、完全な廃墟とは言えません。

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併設されている建物には飲食店がいくつか入っていたようですが、見たところ現在では一軒も営業していない様子でした。

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料亭っぽい建物もちらほら。三業地の名残りかこの雪輪町界隈はかつて遊郭があったそうです。

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当時の建物かの判断は難しいのですが、花街であったのは確かです。
続きます。

千葉県館山市、洲崎第二砲台跡と震洋特攻基地跡

館山航空隊跡から東へ。房総半島の南東端である洲崎方面に行った所に洲崎第二砲台跡があります。

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こちらは砲台へ向かう所の門柱。特に何も刻まれて無いので木の表札でも掛かっていたのでしょう。

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住宅の中にコンクリート造の遺構が。砲弾に火薬を装填する炸薬填実所だそうです。危険なので半地下にしてドーム状で分厚いコンクリートに覆われています。このコンクリートが堅すぎたと言う事で民家はその上に建てられていました。地元の方曰く、ついこの前も写真撮り来てたけど、飛行機の格納庫とか言ってたなぁ。いや、掩体壕はこんなに小さくないし山の中腹だし、そんなわけないでしょうが。

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住宅地の最奥部、この先は人が足を踏み入れてない事が分かります。マジか。ここを行くのか⁉︎

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雑木林の中に、砲台の基部が残っていました。

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この洲崎第二砲台は昭和2年、30センチ榴弾砲4門が完成。しかしその後砲門を満州軍に出したためしばらく砲座は破棄されていました。しかし昭和13年、本土決戦に備えて再開され、12センチ速射カノン砲2門と10センチカノン砲4門があったそうです。ちなみにこれは唯一現存する第四の砲台。

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奥には砲弾などをしまっておく砲側庫があります。

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さらに奥には隧道が。陸軍の迷彩が残っていますが、内部は戦後何かに再利用されたのかコンクリートとタイルで補強されています。また内部には横穴があり弾薬庫としても使われていました。

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砲台のあった坂田海岸から岬一つ手前の波左間海岸。のどかな漁村って感じです。

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しかしここには大戦末期、特攻船「震洋」の基地があったそうです。

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元々ここ波左間海岸には前出の洲崎第二砲台への資材搬入波止場がありました。この階段は当時のものだろうか、いかんせん波の侵食を受けているので、海岸部には当時の遺構は殆ど残っていないと考えた方がいいかも知れない。

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波左間の「震洋」特攻基地跡。干潮時にはもう少し遺構が顔を出すようですが、正午過ぎだったので水没していました。

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付近には数多くの防空壕があります。震洋の訓練施設は長崎と鹿児島にあり、訓練を終えた兵士たちはフィリピン、沖縄諸島、日本本土の太平洋岸各所の基地へと配属されて行きました。

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昭和20年初頭よりフィリピンや沖縄戦線において陸軍の特攻船「マルレ」と共に戦果を挙げて行く中、ここ波左間の震洋基地の建設は昭和20年3月下旬から開始されました。

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このような小さな入り口は燃料や食料などの倉庫だったかも知れません。

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すっかり草に覆われていますが、大きめの防空壕は震洋の格納壕だった可能性があります。

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先週、霞ヶ浦の予科練平和記念館雄翔館に立ち寄った際に撮った震洋の模型。昭和20年7月、第59震洋隊として176名の若き志願兵が完成した波左間基地に配備されましたが、6隻の震洋が基地に到着したのは8月13日になってから。すぐに爆薬を装備し出撃態勢をとっていたなかで敗戦を迎えたそうです。

千葉県館山市、館山海軍航空隊赤山地下壕跡他

アクアラインのお陰で南房総がだいぶ近くなりました。東京から二時間掛からずに行けます。

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昭和5年、館山飛行場が完成すると横須賀海軍航空隊の作戦部隊を移転させ、館山海軍航空隊が設立されました。その跡地は現在、海上自衛隊館山駐屯地として使われています。

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現在自衛隊敷地で入れないのですが、この左手奥に水上機が進水するスリップ(傾斜)が残っています。またそのスリップは敗戦後、アメリカ軍が初上陸した地でもあります。

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軍需部第二航空廠倉庫。昭和7年に航空廠(軍需工場)が併設されています。赤煉瓦が当時の面影を色濃く残しています。

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航空基地の近くに、赤山地下壕跡があります。こちらは一般公開されており、入場料200円。

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太平洋戦争当時は木更津海軍航空隊が設立されていたため、館山海軍航空隊は主に哨戒、偵察任務を主とし、敵潜水艦への攻撃を行っていました。しかし終戦が近づくにつれ、上陸に対する首都防衛が主な任務となって来ます。

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そんな中、この赤山地下壕が造られたのは諸説ありますが、本土爆撃が始まった昭和19年以降と考えられています。

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壁面は丁寧に掘られ、房総半島特有の地層がはっきり見られます。

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内部は非常に広く、司令部を始め発電施設や病院まであったそうです。

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こちらは裏手の入り口。立入禁止ですが、入り口は多く造られています。

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搬入口でしょうか、大きな入り口もあります。

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こちらは赤山地下壕の裏手に残る掩体壕。滑走路は浜辺に造られているため、かなり距離が離れていました。
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