廃墟

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埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(後編)

 続きです。

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 沢の奥の高い地点を登山道と並行する形で生活道跡が走っており、峠側に進むと尾根の辺りに一軒の小屋が建っています。看板の文字は消え掛けていて確認困難でしたが、どうやら白岩地区(行政13区)の集会所のようで、中を覗くとたくさんの賞状が飾られていました。

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 沢を渡った登山道は急な斜面をつづら折りに登って行き、するとやがて倒壊した廃屋が姿を現します。

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 村の中心部分は開けた平地。ここに多くの建造物が建ち、畑なども有ったのかも知れません。

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 廃墟サイトを見ると登山者のお休み処を兼ねたお土産屋さんも有ったようですが、この全壊した建物がそれか、確認は出来ず。

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 平地の中央、少し地面が盛り上がった所に祠が有ります。もちろん中身は空っぽ。

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 祠の近くには墓石や石碑、お地蔵様などが乱雑に転がっています。

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 集落を今も見つめるお地蔵様。

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 登山道の右手に現存する廃屋の一軒。玄関は侵入者を嫌ってベニヤで塞がれています。

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 廃屋の裏手には多くの石積があり、何軒もの家が建っていたと思われます。

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 杉林の斜面を登って行くと、幾つもの祠が建っています。

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 山の神に感謝する甘酒祭りというお祭りもかつて行われていたそうですが、この幾つも散在する祠が神社の代わりとして山岳信仰の対象だったのかも知れません。

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 斜面にはすでに崩れてしまった祠もあります。

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 山間には貯水槽もあります。

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 登山道の左手にもう一軒の廃屋があります。

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 この車のオモチャは多くの廃墟サイトで目にします。ポルシェ356でしょうか。

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 フェアレディZ。この上白岩地区には廃屋が二軒残るのみでしたが、村の規模は大きかったと思われます。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(前編)

 砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

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 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

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 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

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 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

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 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

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 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

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 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

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 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

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 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

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 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

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 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

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 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

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 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

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 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

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 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

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 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

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  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

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 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

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 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。

埼玉県川越市、廃村、握津集落堤外地

 前回に引き続き荒川中流域の堤外地を訪れます。今回は塚本より上流、JR川越線を越えた左岸、握津(あくつ)集落です。

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 さっそく民家跡を発見。ここは荒川の東側になりますが、住所的には川越市の飛び地となります。

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 生け垣が農村風景の面影を残しています。ここ握津は他の堤外地同様、大正時代に始まった荒川改修工事によって、堤防の外側に取り残されてしまった集落です。その堤防も現在高さを上げるための工事がなされています。

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 堤防の上から眺めると河川敷の水田地帯に雑木林が点在しているようにしか見えませんが、歩いて見ると生活道の痕跡があちらこちらに残っています。

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 昭和の初め頃までは渡し舟の船着き場などもあり、およそ70世帯、500人もの人々が暮らしていたそうです。しかし堤防が内陸部に築かれて以降、昭和5〜6年に20〜30戸が強制移転。それ以降、平成15年までに26世帯が自費で移転。しかし平成11年の水害で全18世帯が床上浸水した事をきっかけに、平成16年には国から移転補償予算が出るようになったため、平成18年までには全世帯の移転が完了したそうです。

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 廃村となった後、全ての家屋は解体され、現在このような空き地しか残っていません。荒川改修工事は東京を水害から守るためのものだったそうで、その際幾つもの集落が堤外地として犠牲になってしまいました。どこかダム湖に沈んだ村などを思い出します。

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 左奥の高台にも住居跡があります。よくある農村風景から民家だけが消え去っています。

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 僅かに残る遺構。確かにこの場所で人々は暮らしていました。

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 木製の古い電柱。川沿いに長く広がる大宮カントリークラブのための送電線と所々僅かに掛かる電線以外は、昔のまま時が止まっています。

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 しかしここも前回紹介した塚本集落同様、農地だけはそのほぼ全域が現役で使われていました。

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 水田の所々に建つ小屋は水を汲み上げるポンプ小屋かと思われます。

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 直進すると家々を繋ぐ生活道。左手は民家に上がる私道です。

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 こちらも民家跡。かなり立派な家屋が多かったと想像出来ます。

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 集落の中心にただ一軒、公民館の跡だけが解体されずに残っています。その入り口脇に庚申塔が残っていました。

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 公民館はすでに使われておらず廃墟と化しています。

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 公民館の左手前には集落の各所から集められて来たのでしょうか、馬頭観音やお地蔵さんなどが無造作に並べられています。しかしよく見るとお地蔵さんの首が!
 いかん、趣旨が変わってくる。急に怖くなって来ましたが大丈夫。少なくとも先日行った浦山地区みたいに熊は出ないから。

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 公民館左手には防火水槽が残っています。

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 そして裏手には雑草に覆われた廃神社が。どうもこの握津集落は、下流の塚本集落とどこか違った雰囲気が漂っているように感じてしまいます。

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 集落を抜けて荒川まで出ると大宮カントリークラブ。急に近代的かつ現実的な世界へと解放されます。
 なんだこの雲は!wwwww

埼玉県秩父市浦山地区(6)、廃村、山掴集落

 栗山集落から浦山川に戻り、上流にかかる橋を渡って対岸、東側斜面の旧道を少し下ります。その途中、ちょうど栗山集落の向かい側あたりに山掴集落へと登る狭い生活道があります。

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 山掴集落は他の廃集落群とどこか雰囲気が違います。杉しか生えて無い日当たりの悪い斜面は平坦な土地がまるで無く、ひたすら石垣を積んで無理矢理集落を築いたといった感じです。

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 理由は簡単で、栗山や嶽、茶山が農業を主幹としていたのに対して、ここ山掴は林業のために造られた集落であるということ。

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 日当たりが悪い事から全体的にジメジメしており、シダ植物が多く群生しております。

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 そのため土は柔らかく崩れ易いため、石積みで基礎を造成する際も、さぞかし苦労したんだろうなと思います。山を掴むように建つ集落という意味で山掴という地名になったのも頷けます。

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 この倒木の向こうの木のうろにマネキンの首が置かれてます。どこぞの輩の作為的な悪戯でしょうけど、ほんっっとうにやめて欲しいですこう言うの。マジビビるから!

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 生活道の奥まで登って行くと山に向かって左手に道が分かれており、先の倒木を潜った先に五軒ほどの廃屋が連なっています。

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 どの廃屋もかなり古く、人が住まなくなってからも随分と年月が経ったようで半壊しております。

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 それでもこのような土地に残り続けている事が凄い。

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 この集落は前回訪れた嶽集落と共にゲーム『サイレン』の舞台のモデルとされていたため、廃墟好きの間でもそこそこ有名らしく、多くの人が訪れているようです。

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 長屋のように連なった軒を進むと、途中倒壊した小屋と崩れた石垣に阻まれているため、これ以上奥に進むのが困難となり、引き返しました。建物の中を迂回すれば行けなくもないですが、中は床も抜けており危険と判断しました。

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 家屋は一本の生活道から上へ下へと幾つも分かれた道の奥にあります。こちらは既に全壊した家屋。ここ山掴は昭和51年に地滑りがあり、それが離村の大きな理由に繋がったとか。

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 全壊家屋の奥に辛うじて残っていたのは斜面にせり出した浴室か何かでしょうか。

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 全壊した家屋の奥にもう一軒、小さな廃屋が残っています。最初ただの小屋かとも思いましたが、冷蔵庫など生活の跡が残されています。

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 生活道の脇には幾つもこのような小屋がありますが、薪などを貯蔵していたと思われます。また斜面に幾つかのお墓が残されていますが、栗山集落と違いここの墓地は墓石が残されたままとなっています。中の骨壷はちゃんと玉抜きされて引っ越されたのか、あるいは今でもお参りに来られ管理されているのか、はたまたもうお参りされる方も居なくなり放置されてしまっているのか。

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 最後にほぼ全壊に近い廃屋。しかし先程栗山で発見した熊の糞がここにも。
 ウソでしょ!こっち側の斜面にも熊さんが!
 もし訪れる方がいたら、くれぐれも熊鈴などの対策を忘れないように。私の実家にもこのような杉林の斜面が多く子供の頃よく遊んでいましたが、とにかく前回訪れた嶽や茶山に比べ、今回の栗山と山掴は足場が悪く上級者向けと言った感じです。

埼玉県秩父市浦山地区(1)、ダム湖と限界集落
埼玉県秩父市浦山地区(2)、廃村、茶山集落
埼玉県秩父市浦山地区(3)、廃村、嶽集落
埼玉県秩父市浦山地区(4)、廃村、栗山集落(前編)
埼玉県秩父市浦山地区(5)、廃村、栗山集落(後編)
埼玉県秩父市浦山地区(7)、浦山中学校跡と川俣小学校跡

埼玉県秩父市浦山地区(5)、廃村、栗山集落(後編)

 旧栗山集落には最盛期で10軒のお宅が生活を営んでいたそうですが、今回の訪問では9軒(内1カ所は更地)が確認出来ました。段階的に過疎化が進んで行ったので、廃屋になってからの年数は様々。当然傷み方も様々です。

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 さて、唯一林道沿いに建つ一軒目の廃屋の少し上、杉林の斜面を登ってゆく生活道跡に分け入って行きます。溶けた雪で落ち葉が敷き詰まった斜面が濡れ、ぬかるんでいるため非常に滑りやすいです。

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 最初に見えて来たのは通算五軒目のお宅。トタンを外壁に貼っているだけで近代的に見えてしまうのは、私の感覚が麻痺して来た証拠。

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 ウィスキーの瓶、食器、お膳、テレビはダイヤル式チャンネル。生活の痕跡が有りまくりです。

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 五軒目の脇をすり抜けて行けば六軒目の廃屋。

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 布で出来た簡易式クローゼット。来訪者が開けたのでしょうか。開けたくなる気持ちは分かります。

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 洗濯機は外。

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 母屋の向かいの小屋はトイレ。雪が積もった夜中などには行きたくないですね。

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 六軒目の裏手を登って行くと七軒目の廃屋が有るのですが、右手の沢が鉄砲水で崩落しており、生活道が崩れています。

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 左手に迂回して石垣をよじ登るしか無く、暫し覚悟を決めてからアタック。思わずよろけてipadが土に刺さった!

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 なんとか登って七軒目。奥の方は崖崩れを起こしてます。治山工事もするわけです。

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 懐かしい子供用ギア付き自転車。しかし自由に乗り回す平地が無いと言う、ウチの実家もそうでした。

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 集落を巡る生活道のそこかしこに祠が祀られていますが、当然中身は空っぽです。

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 さらに奥へと登って行くと、恐らくは一番高い場所に建っているであろうと思われる八軒目の廃屋。天井が高く非常に立派な木造建築です。

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 向かいのトイレ小屋もしっかりと残っていました。
 さて、そろそろ下山します。今まで登って来た生活道の反対側にまた別の生活道があったので、そこを降りて行きました。すると途中、杉林が途切れ草が生えた場所に巨大な糞が。これ、冬眠を前にして秋の味覚を堪能している熊さんしかないでしょ。だって太いんだもの!しかも出来たて!
 マジか! やっぱ熊鈴買わなきゃダメか!

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 ちょっとビビりながら斜面を降りて行くと林道へ戻る直前、広い空き地を発見。ここに九軒目の家屋が建っていたのかもしれません。


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