廃墟

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茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

笠間には過去2度も訪れたのですが、また後から行きたい場所を発見してしまいました。

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JR水戸線笠間駅よりバスで笠間稲荷神社まで。門前通りの突き当たりにあるかさま歴史交流館にてドコモのシェアサイクルを借りました。ドコモシェアサイクルは都市部の他、極一部の地域で使えます。茨城県では笠間市と境町のみ。恐らく行政側から話を持ち掛けているような雰囲気。

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かさま歴史交流館から北へ進むと、笠間市街地の外周部を走るバイパス、国道50号線に出ます。

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そこで目を引くのがこの健康ランドの看板。

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この健康ランドカサマ遊楽園ジャブは1980年代開業で2009年頃に廃業されたと思われるそうです。

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入り口はこんな感じです。冬の枯れた草から裾に種を付けられまくる。

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ガラス越しのロビーはこんな感じ。先ほどのネオン看板に「宅地造成」とか「不動産販売」とか「土木工事」とかの看板があった事から、地元の建設不動産会社が経営していた事が窺えます。

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ロビーの右手に開いてる扉があり、そこからちょっと覗けます。ロッカールームですが開いているものだから、廃墟系の方やYoutube系の方々が不法侵入しているようです。今回は国道沿いの廃墟物件で人目に付くから入りませんでした。

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国道50号線を東にちょっと行き、丘を越えた辺りから旧道に入るとホテル街があります。

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ホテル街と言っても街ではなく、幹線道路沿いの山の中のラブホ地帯。ただ寂れているようで、いきなり廃墟です。

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かつては栄えていたのでしょうが、現在では10軒中営業中なのは3軒。しかしこの廃ホテルなんかは名前がSMプレゲート。そこまで客層を絞るとは思い切ったなぁ。

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地価が安い事と当時の流行りからか、コテージタイプのラブホが何軒かあります。現在更地となっている所にも建っていたのでしょうから、全盛期はもっとあったのでしょう。

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ハートに弓矢ってまたなんてファンシーな。しかしこのホテル街がなぜ衰退してしまったのか。確かに幹線道路からは見えない旧道沿いですが、笠間市周辺の若者たちにとっては貴重なホテル街として有名だったはず。ラブホの需要は無くならないと思うのですが、少子化ったってたかが知れてると思うし。

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ホテル街の一番西側にある廃ホテル。その敷地に多くの廃車が放置されています。

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置かれているのはそのほとんどがクラシックな外車ばかり。不法投棄などではなく、一つの業者がスクラップ置き場として利用しているようです。

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フィアットのミッドシップ車、X-1/9。懐かしい。ミニカーとか持ってたな。

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その証拠に建物の内部にもエンジンやパーツなどが置かれ、ここで作業していたような形跡すら見て取れます。

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特にこのボルボ P1800なんかは3台ぐらいありました。

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思うに、旧車のレストアなんかをやっていて、その部品取りに使われた車たちなのではと想像します。使える部品を取り尽くして、一台の車をレストアすると言う。

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フィアット500なんかもありました。そう言えば大井川鐵道なんかでも1両のSLを復活させるために、他のSLを犠牲にしていたりします。新たに部品を一から作るより、復元不可能な車両から部品を取り活用する方が全然安上がりですからね。

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これはほとんど原型をとどめてませんが、恐らくBMW2002シリーズ。

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このサイドの凹み具合、事故車でしょうか。ようは廃車を買い取りして二次利用していたのでしょう。

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しかし雨曝しとは言え経年劣化が激しく雑草も生い茂っております。現在はもうレストア業をやっていないのかも知れません。いずれにしろその自動車修理工はこのラブホの地主の一族または関係者なのでしょう。

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ほとんどの車が不完全な状態なのでいわゆる「草ヒロ」とは言い難いかも知れませんが、ただ異様な光景である事は間違いありませんでした。

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最後に自転車で東の稲田駅近くの石切場に行ってみたのですが、定休日につき立入禁止となっていました。ここは現役の石材屋の敷地なので木曜日だけ入れないそうです。ちゃんと調べずに行ってしまったので、とんだ無駄足でした。たまにこう言う事をやらかす。近々また来ようと思います。

茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡

神奈川県厚木市、旧佐藤稲荷神社と旧伏見稲荷神社

すっかり寒くなりました。下草は枯れ藪の背も低くなりました。この季節になってから行こうと満を持していたスポットが幾つかあります。そう、冬は廃墟の季節www
緑に囲まれた廃墟も美しいのですが、基本藪漕ぎしたかありませんしね。

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と言うわけで訪れたのは神奈川県厚木市。小田急本厚木駅から半原方面行きのバスに乗ります。

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泉と言うバス停で降りて西へ。枯れ沢となっている荻野川を渡ります。

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清原地区と言う集落は長閑な農村風景。もっとも丹沢山地の麓で水田がないので、今では農業だけを生業としている家も少なさそうです。

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集落の細い道を歩いていると、途中諏訪神社という小さなお社が。こちらは今でもちゃんと管理されているようです。

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やがて道沿いに鉄柱製の鳥居が見えて来ました。

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鳥居を潜って脇道を進むと二つ目の鳥居が。銘板の文字はすでに判別出来なくなっていますが、ここは佐藤稲荷神社と言うそうです。

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廃神社です。廃神社と言う言い方自体、近年オカルト系で言われ始めた造語のようで、正確には管理されなくなった神社。

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右手には社務所の跡でしょうか、廃墟があります。この神社についての詳細は全く分かりません。それこそ管理されていた方を探し出さない限りは。

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左手には民家と思われる建物。しかしここも廃屋のようです。詳細は分からないものの厚木市の文化財獨案内と言うパンフレットに、この佐藤稲荷神社とこの後訪れる伏見稲荷神社の名前がマップ上に記載されている事から、厚木市からの認知度は高かった事が伺えます。

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参道入り口に狐の狛犬一対、拝殿の足元にもちっちゃい狐の狛犬が一対。本当は厚木市の市役所行ったりして調べる事も出来るかもしれませんが、そこまでガチじゃないんですよ。

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手水鉢も草に埋もれながら残っています。このような場所が心霊スポットみたいに紹介される事もありますが、そもそも神社と心霊って全く関係ありませんからね。

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さて、この佐藤稲荷神社の手前を右に入る畦道があります。
神社、例えば稲荷神社に於いては京都の伏見稲荷神社や茨城の笠間稲荷神社などの大社があり、全国のお稲荷さんって要はその出張窓口みたいなもの。こっちが呼ばなきゃ降りて来ません。

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その畦道の途中、竹藪に分け入る踏み跡のようなところが。
また神社が廃止となる場合は、合祀と言って近くの神社に吸収合併されます。観音像などが祀られている祠などの場合、観音様は近くのお寺に移されます。墓地にしたって基本ちゃんと魂抜きする。東京赤坂の豊川稲荷なんかに行くと、開発で消えて行った祠に祀られていたお狐様がたくさん集められています。

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踏み跡と言っても途中倒木などもあり、とても管理されているようには見えません。まぁ結局、根拠のない怖い話なんかを造り上げて、このような廃神社で肝試しなんかする連中が地元の方々に迷惑かけることがあるんですよね。

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竹林混じりの雑木林を登って行くと、途中右手に倒壊した祠のようなものが見えました。

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やがて視界が開けると、奥の方に社殿跡が。うーん、物語シリーズの北白蛇神社のようにはいかない。

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こちらが旧伏見稲荷神社跡です。ここも詳細は不明ですが、大正12年(1923年)建造とだけは分かりました。意外と新しいんですね。あるいはもしかしたら元々祠のようなものが存在し、大正時代に社殿が建立されたって事かもしれません。

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社務所が併設されていたのでしょうか、ヤカンやシンクなどが脇に散乱してました。あるいは宮司さんが住んでいたのでしょうか。

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電灯もあり、かつてはここまで電気が通っていたようです。

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裏から見たらこんな感じ。裏手には一升瓶が多く散乱していました。御神酒と言う事か。
ともあれ、雰囲気が不気味であるのは確か。私もビビりぃなので物音にビクビクしながら探索しました。

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帰り道の路すがら、こちらをガン見する猫に癒されてここを後にしました。

茨城県つくば市(3)、続・無人と化した公務員宿舎群

前回はつくば駅を中心に歩き回りましたが、続編と言うことで今回は観光協会でレンタルサイクルを借りて郊外まで足を延ばして見ました。

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H-2Aロケット打ち上げ延期で今話題のジャクサ!
宇宙航空研究開発機構、通称JAXAの研究施設はつくば駅の南東3キロ弱に位置します。午前中仕事で昼過ぎの訪問だったので、中を見学する事はできませんでした。

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そのJAXAからさらに東へ行ったところにあるのが公務員宿舎の並木2丁目住宅。つくば学園都市の歴史やらは以前書いたので端折ります。

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基本的には二階建て二軒長屋の構造。ここまで来ると駅から4キロ。歩くと50分掛かり、バスを利用しても10分プラス徒歩掛かります。

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中央を貫く私道の左右に各戸の門が並びます。駅から離れているも何も建設されたのはつくばエクスプレスが開通するずっと前。近くには文部科学省産業技術総合研究所があります。

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上の写真右手、南側住戸の入り口。構造は英語の「C」の字みたいになっており特徴的。と、思ったらなんと一軒だけ住まわれている方がいました。無人じゃなかった。

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こちらは左手、北側の住戸の入り口。一戸建てではなく、あくまで二軒を繋げて一棟にするには理由があるのでしょうか。建築法とか団地に関する法律とか。あくまで集合住宅ですよ的な。

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内部はなかなか広いです。車があればJAXAにも通勤できますね。まぁ送迎バスぐらいは有ったかも知れませんが。

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やはり退去する際、畳などを張り替えなければならないんですね。凄い綺麗になってます。今すぐにも入居できるくらい。

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ただ外周部がこれです。恐らくは最後の住人が引っ越した時点で解体されるのかと思われます。

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周辺は一戸建て住宅の造成地ですが、Googleマップの空撮を見ると周辺も元々は公務員宿舎の跡地である事が窺えます。

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さらに東側には3階建団地建築の区画もあります。

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この地区、一棟につき数軒の入居者がおられますが廃止、解体が予定されているかと思われる。

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なかなか凝った造り。80年代の建築でしょうか。

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TXつくば駅から離れているので土地を買い取る企業が本当にいるのか疑問に思います。壊すには勿体無い立派な建物ですし、民間への売却からの再開発以外に活用方法は無いのでしょうか。

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例えば低い家賃で生活に困っている人に貸すとか、ウクライナからの難民を受け入れて住まわせるとか。まぁ近隣住民が反対するか。

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ひと区画に必ず1ヶ所は公園が完備されています。ここよりさらに東側には3階建が5棟からなる並木4丁目住宅がありましたが、すでに解体工事中でした。

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4丁目住宅跡地の北東側に広がっているのが並木3丁目住宅。

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こちらは一棟に1軒が入る2階建の棟となります。中心街から離れていて辺鄙な代わりに、集合住宅形式ではなく広々とした部屋数の多い棟ですよ、と言うことか。

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広い敷地に60棟が建ち並んでいますが、すでに無人と化しています。

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私道も草木が伸びるまま。

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奥の方に行くと福島県双葉町役場つくば連絡所と言う看板が。あの東日本大震災の原発事故で帰宅困難地域となった双葉町。仮設住宅代わりに被災者の方がが住まわれていたのでしょうか。

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その双葉町も一部を除きだいぶ帰れるようになりました。しかしここを離れても双葉町へは帰らずに、都市部へと引っ越された方も多いようです。

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ここに来てやっと学園都市以前から住んでおられる農村地帯が見えて来ました。

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さて、並木地区を離れ南西へ4キロ進んだところに松代5丁目住宅があります。

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こちらは二軒で一棟、瓦屋根の2階建となります。公務員宿舎の7割が廃止となる予定ですが、ともすれば削減計画が発表された2011年以前から廃止は始まっていたのかも知れません。だって、どう見ても9割以上が無人または1〜2軒住むのみの状態ですし。

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かなり立派で部屋数も多そうですが、こちらもすでに無人。ゴーストタウンの様相となっております。

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ここから北へ3キロ進めばTXつくば駅。バスも走っております。

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隣接する松代5丁目住宅の東地区。

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こちらも同じような構造ですでに無人化。

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敷地内の歩道やベンチも荒れ放題です。

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一戸建ての住宅街との決定的な違いは、棟ごとに境界となる塀が無い事。あくまでも団地に部類されるわけです。

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少し開けて建物全体が見える所がありました。基本的には木々が伸び放題に伸びているのですが、部分部分草が刈られているようで、あるいは最近まで住んでいたとか。

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隣接する区画ではすでに宅地造成が進んでいました。TXつくば駅まで3キロ、バスで9分。一戸建て住宅4000万と言う広告も目にしましたが、果たしてどれほどの需要があるのか。

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西側には3階建の棟が建ち並ぶ区画も。こちらはまだ数軒住んでおられるようです。

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最後に松代5丁目から北へ2キロ、松代1丁目にある文部科学省外国人研究者宿泊施設跡。

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区画はロープで閉鎖されており、私道も草に覆われています。

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名前の通り外国人の研究者が短期間滞在する施設です。

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気持ち天井が高く造られているような気がしますが、使われなくなってかなりの年月が経っているようにもみえます。

茨城県つくば市(2)、無人と化した公務員宿舎群

ドリーム号の保存車両が目的で訪れたつくば市。しかし街を歩いているとその違和感に気づきました。

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こちらは地下駅であるつくば駅からそのまま線路と同じ方向、北東へと伸びるメインストリートを駅方向に見た所。商業施設は駅周辺にショッピングセンターの形態で集中しております。

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そのメインストリートを北西側に入ると、いきなり団地のような建物の廃墟が横たわっていました。

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奥に建つ高い建物も気になったので近づいてみます。周辺はすでに閉鎖されていますが、まさか。

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なんとこの建物も廃墟。そんなに古さは感じられないのですが。

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歩いて行くと団地全体が廃墟の様相。いや、正確に言うと住民の退去が完了し、解体を待っている状態と言った方が正しい。

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これらはそのほとんどが公務員宿舎で構成されていますが、一部市営住宅と公団住宅(UR)もあるとか。

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筑波学園都市の開発は高度成長期、東京の人口が爆発的に増加したことを受けて、首都機能の一部を移転する事から始まります。その中でまず、必ずしも都心にある必要のない附属機関や国立大学などを筑波山麓に移転すると、昭和38年(1963年)に決定。発案当初は第二の首都を造るぐらいの勢いがありましたが、現実的ではなかった。

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既存の集落を避け赤松林を中心に土地を買収し、昭和43年(1968年)に着工。東京教育大学(現在の筑波大学)を中心に各研究機関などが移転しました。その中にはJAXA、宇宙航空研究開発機構(旧・宇宙開発事業団他)や農研機構なども含まれています。

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昭和55年(1980年)に移転が終了する訳ですが、各省庁の反発もあり結局国公立の研究所と国立大学のみが移転するにとどまり、一部では学園都市計画は失策とも囁かれております。ともあれそこに働く方々のために建てられたのが、約8000戸にも及ぶこの巨大公務員宿舎な訳です。

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そして昭和60年(1985年)、筑波学園都市の知名度向上と民間企業の誘致を目的として科学万博、つくばエキスポ85が開催されました。

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これらの建物は昭和44年から昭和55年に建てられた物なので、アスベスト問題や耐震補強の問題を抱えています。リニューアル工事の道もありますが公務員宿舎利用者の減少、それにつくばエキスプレスによる将来性も考えて民間への売却と大規模再開発に乗り出したようです。

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それにしても合計で何棟あるのでしょうか。棟のナンバリングは地区ごとに100番代200番代と続き900番代まであります。都心の過密人口を緩和するための都市計画だった事と土地取得問題から、当時何も無い農村地帯に建設したと言うのも分かりますが、初期の段階から鉄道の敷設を計画していればまた状況も変わっていたかも知れません。ただそうすると結局都心に人が流れてしまうからあまり意味が無いのか、あるいは見放されていたのか。

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エキスポセンターの周辺では解体工事が行われています。平成17年(2005年)につくばエキスプレスが開通する訳ですが、それまでは自家用車で常磐自動車道(昭和56年開通)を走るか、高速バス(昭和63年開業)を利用するか、荒川沖駅までバスで出て常磐線に乗り換えるかしなければ、都心まで出られませんでした。
ちなみにつくばエクスプレスの開業によって、つくば市直行の高速バスを運営していた関東鉄道が大打撃を受けたと言う話も。

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現在解体工事が行われているのはこの吾妻2丁目住宅の南側のみですが、駅からも近いと言う事で中層住宅、つまり中層マンションの用地として民間不動産会社に売却されたようです。まぁこれだけ広大な敷地が有るのだから高層マンションなんか建てないわな。

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平成23年(2011年)に国家公務員宿舎の削減計画が公表され、つくば市内の公務員宿舎の約7割が廃止される事となりました。そこでつくば市は平成25年(2013年)につくば中心市街地再生推進会議を設置。跡地の利用などについて検討し始めます。

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この辺りはメインストリートの南東側。こちら側はすでに何棟ものマンションや戸建て住宅が建ち並んでいますが、このように解体されていない建物も。

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資料によればすでに平成17年に11ヘクタール、平成23年に4.9ヘクタールが売却されており、現在では解体前にも関わらずほぼ完売に近い状態だとか。

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結構高い棟もあります。これも無人でしょうか。

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無人でした。ここに住んでいた人々はどこへ行ってしまったのでしょう。新しい分譲マンションが立ち並ぶ地区もありますが、それにしたって退去された人数が多すぎる。

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駅周辺の分譲マンションや戸建て住宅などは、すでに解体された棟の跡地でしょうか。

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学園東大通りを超えてさらに駅から離れて行きます。しかし公務員宿舎を区画する樹木が育ち過ぎてえらい高さになっている。財務省の管轄ですが放置なのでしょうか。
元々公務員宿舎を減らす動きは住民の減少と言うのもありますが、不当に安い賃料で税金の無駄遣いと言う批判の声も多かったとか。

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樹木の裏側にはやはり無人の棟が。
しかし実際には公務員は転居を伴う転勤が多く、省庁にもよりますが短くて一年から三年で引っ越しを余儀なくされる人も多いとか。その退去時の費用(畳や襖の張り替え)と、入居時の費用(給湯器や網戸)などで毎回2〜30万自己負担しなければならないそうです。子供も転校しなければならないし、公務員は公務員なりに大変なのです。

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もし公務員宿舎が無く民間の賃貸マンションに入居するとなると転勤のたびに敷金礼金が掛かり、その費用は転勤を命じた役所が負担する事となります。また家賃の補助が月4万なら半額、それを超えたら4分の1、さらに6万超えたら超えた分の半分をさらに負担と、結局税収を圧迫する結果に繋がります。

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この建物などはまだ使えそうです。しかしつくばエキスプレスの影響で人気が上がりつつある街で、このような中古物件、しかも団地建築が売れるかと言えば疑問です。新しい街に引っ越すなら新築分譲マンションと考える人がほとんどでしょう。しかも財務省は宿舎の維持管理にお金を出さず、修繕工事がほとんどされていないとか。なのでリフォームするにも結構な費用が掛かるので解体するしか無いのです。

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こちらの棟は人が住まわれています。公務員宿舎は7割廃止と言う事なので、残りの3割に相当する棟でしょうか。ただ駅からは遠く、売却しても買い手が付かないだろうと言う基準で残されたのかも知れません。

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駅から随分と離れて来ましたが、こちらの棟も住まわれています。これでも公務員宿舎の全貌はまだ全然見ていません。また日を改めて南東方向に進んだ地区も見に来ようと思います。

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大規模分譲マンションの建設も同時に進められています。
に、してもです。8000戸の7割と言うと約5600戸、人数にすれば1万人もの人々がどこへ消えてしまったのか。公務員の人員削減、少子化、後継者不足(子供が公務員にならない)など様々な要因で住民が減ってはいましたが、統計によるとつくば市の人口は常に増加傾向にあります。公務員宿舎の方々が新たに周辺地域の賃貸マンションに引っ越されたとしても、現状一つの街が消滅したとも言えます。

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つくば駅の西側には新たに複合商業施設の建設が始まっています。つくばはエキスポの時から時代が一巡して、まさにゼロからの開発がスタートしたと言っても過言ではないでしょう。不動産業界、並びに私も関わる建設業界に於いてはビジネスチャンスでしょうね。今から筑波への通勤を覚悟しておこうかな、なんてwwww

千葉県茂原市(5)、国府関団地(再訪)と八丁寺団地

真名団地から八丁寺団地へ向かう途中、約2年半前に訪れた国府関団地の現状も見て来ました。

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徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。

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改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが目立ちます。

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長屋形式の棟は真名団地と同じような造りです。ただ茂原市営住宅あり方検討委員会のデータに記載されていない所を見ると、以前残られていた住民はもうおらず、すでに無人となったようです。

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とは言え解体工事は全く着手されておらず、工事計画の看板も無ければ封鎖もされていません。都内ではなかなか有り得ないことですが、いかんせん田舎なので浮浪者が住みついたりはしないのでしょう。

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公園の奥に見えるパチンコ屋の廃墟も残ったままです。

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さて、バスで一旦茂原駅に戻ります。正式名称は市営国府関団地なのにバス停の名称が原田団地となっている理由は不明。

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茂原駅前で昼食を済ませ上総牛久行きのバスで鷲ノ巣バス停にて下車。2019年に増水した一宮川を渡り八丁寺団地に着く頃には雨も止んでいました。

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ここは昭和42(1967)年〜昭和46(1971)年に建てられました。昭和45年〜50年に建設された真名団地よりちょっと古い感じですが、平屋建て長屋形式の建物はほぼ同じ形状となります。

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前記事でも触れましたが、全149戸中住んでおられるのは2021年の段階で53戸。ただここには一棟だけ3階建の棟があり、そこに多くの方が住んでいるように見受けられます。奥の方にチラッと写っているのが3階建ての棟。

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と言うのも平屋建てを見ている限りでは、とても3分の1も住まわれているようには見受けられないのです。

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ここもやはり北面に玄関、南面に居間と寝室及び縁側と庭と言った造りになっています。

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恐らくは木造モルタル造りかと思われますが、この平屋建て長屋形式は真名団地や国府関団地にも共通してありました。昭和40年代前半の地方の団地に於ける主流と言ったところでしょうか。

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その時代、都心では昭和30年代後半(1960年代)よりすでに鉄筋コンクリート造5階建ての団地が主流となっております。土地に余裕がある地方と高度成長期に入り急速に人口が増加して行った都心との違いと言ったところ。

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思えば去年訪れた佐野市市営石塚団地も全く同じ造りをしています。

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中央には広場と集会所があります。かつてはこの広場で盆踊りなども催されていたとか。

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すでに使われなくなった公園もあります。少子高齢化や過疎化が進んでいる現状は公園を見れば分かります。

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奥の方には木造一戸建ての棟もあります。国府関の後にこの八丁寺が出来て、その後に真名が出来ると言う時代の変換を垣間見れます。

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玄関の隣の勝手口に屋根を増設した家もあります。洗濯機置き場や倉庫として使っていたのでしょうか。賃貸ですがこう言った改造は昭和の時代、結構緩くて自由だったところがあります。

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ちょっとだけ内部が見える空き家がありました。この団地には主に東北地方から引っ越して来た方々が多かったとも聞きます。

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右から便所、玄関、ガスメーター、キッチン、勝手口付き風呂場、ボイラーの排気口の順番に並んでいます。茂原市は意外にも天然ガス生産量日本一の都市なので、早い段階で都市ガスが整備されていたのかもしれません。

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戦後の住宅事情を受けて建設ラッシュを迎えた団地の歴史は主に昭和30年代から50年代。東京近郊に日本住宅公団(現・UR)と自治体による公営団地が次々と建設され、ここ茂原市の市営住宅は「後期」の建築物と言えます。昭和40年代、都市部で飽和状態になって来た末に、地方へとその流れが広がって行ったのかも知れません。
それにしても茂原市は面白い。掩体壕巡りも出来れば素掘りの隧道巡りも出来るし、今回は終末市営住宅巡りも出来ました。レンタルサイクルでも有れば最高なのに。

(注意)
八丁寺市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者の方々のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

(追記)
八丁寺団地の近くを流れる一宮川が2019年に氾濫した事で、護岸工事や治水工事を2030年の完成に向けて工事をしていたのですが、残念な事に2023年9月8日台風13号に伴う線状降水帯により氾濫してしまいました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
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