大曲花火大会の翌日、レンタルサイクルを借りて秋田市内を巡ります。

1995年の秋田新幹線開業を契機に駅ビルとその周辺を再開発。1997年には現在の駅舎が完成しました。

駅前バスターミナルも秋田杉をふんだんに使った綺麗なもの。しかし駅正面に駐車場。再開発と同時に駐車場だらけの歯抜けの街になると言う、ゴーストタウン化も進み始めています。

駅の近くには秋田市民市場があります。出展者親睦団体商栄会として戦後の昭和26年に発足し、以後協同組合となり昭和39年に現在の位置に移転。いわゆる商店街のような物ですが、現在の建物は平成22年に完成。

中心街のある西口、南に歩いた中通り町、さっそく渋い建物が。中央から奥に抜けられるようになっています。

駅前民謡会館という木造モルタル二階建ての長屋は、やってるかどうか分からないスナックだらけ。

こちらもスナックビル。宿泊先のビジネス旅館の近くだったので行きたかったのですが、花火終わりで到着したのが深夜1時過ぎだったので今回は諦め。

西口から真っ直ぐ進むと城跡にぶつかり、左手にお堀沿いに歩けば川反通りという三業地になります。とは言っても現在では芸妓も絶滅し、一軒の料亭が残るのみ。

このモルタルの意匠など見事。

こちらが唯一残る料亭「濱乃家」さん。大正7年創業。

現在は中華料理店ですが、花街の名残りを色濃く残しています。

こちらも花街の名残りか、郷土料理のお店。

現在ではキャバクラや風俗店の多い歓楽街ですが、そこかしこに妖しげな路地が。

南へ進んで行くと、かっぱ小路という長屋に挟まれた路地が。夜に歩けなかったのが口惜しい。

入ります。

これぞ場末(秋田)の場末(路地裏)と言った雰囲気で、マジかーと思わず声が出てしまう。

袋小路の奥から振り向けばこんな感じ。ちなみにこの界隈はあくまで三業地であり、遊郭や赤線はさらに西の鉄砲町にあったそうです。帰ってからその事実を知り、ますますリベンジの必要性を感じる。

1995年の秋田新幹線開業を契機に駅ビルとその周辺を再開発。1997年には現在の駅舎が完成しました。

駅前バスターミナルも秋田杉をふんだんに使った綺麗なもの。しかし駅正面に駐車場。再開発と同時に駐車場だらけの歯抜けの街になると言う、ゴーストタウン化も進み始めています。

駅の近くには秋田市民市場があります。出展者親睦団体商栄会として戦後の昭和26年に発足し、以後協同組合となり昭和39年に現在の位置に移転。いわゆる商店街のような物ですが、現在の建物は平成22年に完成。

中心街のある西口、南に歩いた中通り町、さっそく渋い建物が。中央から奥に抜けられるようになっています。

駅前民謡会館という木造モルタル二階建ての長屋は、やってるかどうか分からないスナックだらけ。

こちらもスナックビル。宿泊先のビジネス旅館の近くだったので行きたかったのですが、花火終わりで到着したのが深夜1時過ぎだったので今回は諦め。

西口から真っ直ぐ進むと城跡にぶつかり、左手にお堀沿いに歩けば川反通りという三業地になります。とは言っても現在では芸妓も絶滅し、一軒の料亭が残るのみ。

このモルタルの意匠など見事。

こちらが唯一残る料亭「濱乃家」さん。大正7年創業。

現在は中華料理店ですが、花街の名残りを色濃く残しています。

こちらも花街の名残りか、郷土料理のお店。

現在ではキャバクラや風俗店の多い歓楽街ですが、そこかしこに妖しげな路地が。

南へ進んで行くと、かっぱ小路という長屋に挟まれた路地が。夜に歩けなかったのが口惜しい。

入ります。

これぞ場末(秋田)の場末(路地裏)と言った雰囲気で、マジかーと思わず声が出てしまう。

袋小路の奥から振り向けばこんな感じ。ちなみにこの界隈はあくまで三業地であり、遊郭や赤線はさらに西の鉄砲町にあったそうです。帰ってからその事実を知り、ますますリベンジの必要性を感じる。