宿場町

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茨城県結城市、結城市街の文化財建築群

茨城県西部、西に栃木県小山市が接する辺りに結城市があります。地名としては初めて聞きました。

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そんなJR水戸線結城駅前の右手、2017年に完成した結城図書館および観光物産センターがあります。まずここでレンタルサイクルを借りました。

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ふと左手を見ればスーパーの廃墟。これは「シルクロード(事業主名)」と言う建物で、1984年の竣工とともに開業したイトーヨーカ堂結城店が入ってました。しかし賃貸借期間である20年を満了したのを期に撤退。2004年にリニューアルしてスーパーのコモティイイダやキャンドゥなど40店舗が入っていました。しかしそのイイダも2019年に撤退。駅前の衰退はどこに行ってもありますね。

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北口駅前から東へ、結城図書館の裏手にあるのは結城SC(ショッピングセンター)。ここが経営するスーパーうおとみが現在も現役で頑張っています。とは言えこの株式会社結城SC、小山市や古河市を中心に11店舗展開するスーパーのチェーン店でしたが、現在は3店舗まで縮小しています。やはりご当地スーパーでは大手にはかなわない時代なんですね。

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駅前にはかつて商店街があったのでしょうか、しかし現在は寂しいものです。

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少し歩くとビジネス旅館と呼ぶには立派過ぎる旅館が。しかし昭和2年建造のこの建物は現在旅館業をされておらず、イベントスペースなどに使われているそうです。

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昭和10年建造の津の幸菓子店跡。丸窓が非常に気になります。茨城もやはり車社会であり、結城市街地の北東に巨大な駐車場を完備したヨークタウンが横たわっているので、みんなそっちへ行ってしまうのでしょう。そこにはスーパー、ヨークベニマル(ヨーカドー系)を核にダイソー(100均)、サンドラック(ドラックストア)、西松屋(衣類)などが揃っています。

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昭和な商店街の跡が続きますが、どこもシャッターを降ろしています。

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道を進むにつれ蔵造りの商家もちらほら見えて来ます。こちらは明治中期建造の磯田邸住宅。当時は乾物屋を営んでいたとか。このような住居と倉庫、店舗を兼ねた蔵造りの建築物の事を見世蔵と言うそうです。

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こちらは明治13年(1880年)建造の穀物商店舗で、その後住宅として使われて来ました。現在はこの見世蔵をリノベーションして喫茶カヂノキとして営業されています。

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カヂノキの先、進行方向右手に昭和5年建造の会津屋呉服店。荒物商(大型雑貨及び金物)、紬問屋を経て、現在は呉服屋店舗兼住宅として利用されております。結城は奈良時代より高級織物である結城紬の特産地として発展して来ました。この結城紬は国の重要無形文化財でありユネスコの無形文化遺産でもあります。

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こちらは天保3年(1832年)創業の秋葉糀味噌醸造株式会社。明治時代に建てられた醸造蔵で発酵,熟成させており昔ながらの製法で醸造した無添加の味噌を販売しております。正面の見世蔵は大正13年(1924年)建造。

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結城駅北口より800mほど北上すると大きな交差点があり、ここより東西横長に見世蔵の街並みが広がっています。交差点右手奥の角は昭和13年建造の石塚洋品店。

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左手奥が明治41年建造の会津屋本店。荒物商等を経て、現在は建材関係の事務所兼住宅として利用されております。

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交差点を左に歩くと慶応年間1867年の創業の造り酒屋、武勇があります。

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武勇から北西に少し行った所、造り酒屋の結城酒造の跡地があります。天正から文禄年間、1593年創業の老舗で、東京にも多く出荷していたようです。しかし2022年5月に火災が発生。江戸時代末に建てられた国登録有形文化財の酒蔵、安政蔵と新蔵、木造2階建て住宅の計3棟を全焼したそうです。

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現在は国登録有形文化財の煉瓦煙突(明治36年建造)のみが残っている状態。しかしこの結城酒造は酒造りを諦めていません。社長は筑西市の来福酒造で、 杜氏で社長の奥さんは北海道東川町の三千櫻酒造でそれぞれ酒造りを手伝いながら、蔵の設備を借りて結城酒造の酒を仕込み、2023年4月には新酒の出荷作業を行ったとか。現在も2025年の酒蔵再建に向けて奮闘中だそうです。飲んでみたくなりました。4月の新酒出荷が楽しみ。

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明治後期建造の呉服店結城紬店舗。見世蔵の街並みは東西横長、長方形の形をしており、外周路の他中央に一本東西に大通りが走っています。酒蔵は西端に、この建物は中心部のやや東寄りに建ちます。

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昭和10年建造の奥庄。代々、結城紬の問屋店舗兼住宅として利用されております。結城紬は元来、結城周辺の養蚕業で出される屑繭を使って作られていましたが、江戸時代中期から福島県保原町一帯の養蚕農家で作られる入金真綿も使用するようになりました。しかし1723年の大洪水で結城一帯の桑畑がほぼ壊滅。以降は原料の99%を保原町の入金真綿が占めているそうです。

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中央を東西に貫くメインストリートの東端、手前から明治40年創業の生地屋奥順壱の蔵、つむぎ館裏口、奥順貮の蔵、明治20年建造のキヌヤ薬舗と続きます。

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東端には明治45年建造の黒川米穀店。現在はパン屋さんを営んでいます。

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見世蔵を一軒づつ全部紹介して行ったらキリが無いし飽きて来るのでほどほどに。こちらは明治39年建造の鈴木紡績の見世蔵。

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その奥には同じく明治39年建造の母屋が繋がっています。

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明治後期建造の桜井長太郎商店。生鮮・乾物問屋を経て、現在はカンピョウ商店舗兼住宅として利用されています。栃木が近いからか、カンピョウ専門店と言うのもなかなか見ないですね。

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廃墟同然となっている建物もあります。明治20年建造の増田書房。

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右側には増田蓄音器部との文字が。レコードも売っていたと言う事か。

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まぁそう言ったわけで、知名度が低いながらも観光に対する意識は非常に高い、そんな街でした。

茨城県筑西市(1)、下館の商家と花街跡

下館は東西にJR水戸線、北へ真岡鉄道、南へ関東鉄道常総線と、十字に鉄道が走ってます。

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下館駅は明治22年(1887年)国鉄水戸線の前身となる水戸鉄道として開業。明治45年には国鉄真岡線の前身となる真岡軽便鉄道が開通し、大正2年(1913年)には関東鉄道の前身となる常総鉄道が開通し、交通の要衝となりました。現在の駅舎は昭和12年竣工。

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駅前には筑西市役所が入った複合施設、下館スピカが建っています。複合施設と言っても実際はほとんどが市役所で、一部オフィスとヤマザキYショップ、パソコン教室などが入るのみ。

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平成3年(1991年)に開業したこの施設には、当初サティが入っていましたがマイカルの経営破綻の影響で平成14年(2002年)に閉店。一時は完全閉鎖となりますが、その後風俗店が施設内に開業すると言う噂を聞き下館市(当時)が国の補助金を使ってマイカル跡地を購入し再生。スーパーマーケットのエコスや2000年に経営破綻した長崎屋を誘致しました。しかしそのエコスも2006年に撤退。食品スーパーを補填するべくサントマトが出店されたものの2007年に撤退。その後エイムが出店したものの売り上げは下降の一途を辿り2008年に撤退。テナントが次々撤退する中、2007年に筑西市が分庁舎を開設。すると今度は経済産業省から中心市街地活性化総合支援事業の補助金を返せと言われ、4100万円を返還する事となる。

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もうこうなったら売却しかないとの結論に辿り着くも買い手が見つからず、結局2017年筑西市役所本庁舎の老朽化を理由に、この施設へと本庁舎が引っ越して来ました。なんかWikipediaを読んでたらもはや笑うしかないと思った。

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駅前通りは駅前商店街が道路拡張事業のために潰されており、さらに電線の地下化で電柱が無くなっています。商業の街としての歴史があるのに、税金の使い方として色々間違っている気がする。

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駅前を東へ入ると下館魚市場が。かつては駅周辺も賑わっていたのでしょう。

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下館の地形には独特なものがあります。駅前から少し西に歩くと小高い丘があります。その丘は3階建の屋根ぐらいの高さなのですが、丘自体は細長く北へ続き羽黒神社に繋がります。こちらは坂の途中の煎餅屋さん。

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丘に登ったところにある看板建築は塗炭板で塞がれている。何かの商売をされていたのでしょう。

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その斜向かいのかせき堂本店さんも目を惹きます。明治15年創業の洋菓子屋さんでカステラが人気だとか。

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消化器の看板。かなりの年代物とお見受けできる。下館の現在の住所は甲、乙、丙で大雑把に分けられています。しかし実際の通称は旧町名である稲荷町(甲)とか金井町(乙)とか。

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丘の東側は稲荷町になりますが、この一帯はかつて花街として栄えていました。

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しかし稲荷町一帯は昭和15年、大火に見舞われたそうで、そのため戦前の建物はほとんど残っていません。

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花街なので料亭や置き屋、待ち合いなどの三業地かと思われますが、青線なども有ったのではとも言われてあります。

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VHDカラオケ。VHDとは1980年代に日本ビクターが開発したレコード盤形状のビデオディスクだそうです。しかし同時期、製品化が少し遅れたものの解像度の高いLD(レーザーディスク)をパイオニアが開発。VHD規格の市場は徐々にLDに押されて行く事となります。

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丘の東側麓を並行して稲荷町通りが続きます。

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建物の詳細は不明ですが、青線があった当時の建物はもう無いのかも知れません。

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ただ花街の名残りとしてスナック街の痕跡があります。そのほとんどが廃業していますが。

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さらに北へ進むと銭湯の松の湯さんが。後継者不足のため2013年に廃業されたとか。

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稲荷町通り裏手の崖を登ると羽黒神社があります。1481年創建。神社の参道の周辺に花街があると言うのも、よく見る構図ですね。

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羽黒神社の裏手にある中澤時計店の建物。もう営業はされていないようですが、昭和12〜13年に建てられたこの看板建築の重厚感たるやもはやボスキャラ。

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丘の上の尾根道をそのまま北へ進むと国道50号線にぶつかります。交差点の建物もいい味出している。

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東に広がる市街地へと国道を下って行きます。ちなみに現在北側郊外を迂回する形でバイパスが通っており、この市街地を突っ切る旧道は水戸と小山を結ぶ旧・結城街道となります。

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城下町であるとともに宿場町としても栄えた下館ですが、街道筋には蔵造りの商家が立ち並んでいます。この建物は荒七酒店。

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江戸時代より醤油や味噌の醸造をされてたそうですが現在は酒屋さん。母屋は昭和8年建造で登録有形文化財。

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向かいの建物は料亭だった建物で、現在は建築設計事務所が入っています。こちらも登録有形文化財。

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旧街道を東へ進んで行くと角に中島商店と言う煙草屋さん。下館は主に真岡木綿や結城紬を扱う商業の町として発展したそうです。

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結城街道から下館駅へ戻るべく市街地に入って行きます。駅前通りで特に目を惹くのがこの老舗の和菓子屋さん、たちかわ本店。大正12年(1923年)創業でやたら立派な造り。

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古くからの商家が多いので敷地は縦長な鰻の寝床ですがそれでも広い。見た目小さな平屋建てに見えてもその奥に立派な蔵が控えていたりします。

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もちろん立派なお屋敷ばかりでなく、このようなバラックもあります。かつて何の店だったのか、別に下館に限っての事じゃありませんが兎にも角にも現役の商店が非常に少ない。

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最後に火の見櫓。道路の上に建っています。
下館の市街地は結構小さくまとまっており、軽く散歩するには丁度よい感じでした。

群馬県伊勢崎市(2)、絹織物で栄えた境町

東武伊勢崎線の太田と伊勢崎市の中間地点にある境町。ちょうど伊勢崎、太田、深谷に囲まれた知名度の低い町ですが、利根川の支流で赤城山から流れる広瀬川の北岸に位置する事から古くより交通の要衝として栄えて来ました。

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駅前には何も有りませんが、近くを通る国道17号線沿いにちょっとした工業団地があります。

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駅前にはインド料理屋。ちょうど昼時だったので入ろうと思ったら、インド、パキスタン系の方々で満席。

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ならばここはどうか?と、思ったらイスラム教のモスクでした。

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気が付いたら町中をインド系の人々が闊歩しています。これは工業団地が近いせいでしょうか、外国人街になりつつあります。地方都市のあるあるですが、いずれこの辺もテーマに掘り下げて行きたいところ。

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駅の近くにイベントスペースやアートギャラリーとして利用されている境赤レンガ倉庫があります。

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ここは大正8年(1919年)に繭の保管庫として建設されたレンガ造りの倉庫です。境町は江戸末期より織物産業が盛んになり、桐生、伊勢崎と肩を並べる織物産業の街で、伊勢崎銘仙として広く売り出されていました。ちなみに銘仙とは明治後期より使われるようになった平織した絣の絹織物(大衆向けの和服)の総称で、桐生銘仙や伊勢崎銘仙などブランド名としても使われていました。

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路地にやたら立派な建物がありました。宏遠館って書いてあるこの建物は資源ごみのステーションになっているので、公民館か何かだったのでしょうか。詳細は不明。

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境町は広瀬川の舟運が始まる鎌倉時代から発達した集落です。またこの辺りは足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の新田荘南西部に位置していました。

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江戸時代になると京都から東照宮へと向かう勅使が、中山道から日光街道までショートカットする日光例幣使街道が整備され、境町も文久3(1863)年に正式に宿場町となり発展しました。また同時に足尾銅山の公銅(幕府の銅)を陸路から利根川の水運へと切り替える港としても栄え、江戸末期には生糸の流通でも重要な役割を担い、2と7の付く日は市が立ち「六斎市」と呼ばれていました。

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織物産業で栄えていた当時の名残りとして蔵造りの商家などもあります。ちなみに関東の五大銘仙と言われていたのが境町を含む伊勢崎、桐生、足利、秩父、八王子。桐生はともかく足利も秩父も八王子も歩いていながら、絹産業をテーマに巡っていません。改めて行く必要があります。

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ただ、観光地として整備されていないので、貴重な歴史的建造物は朽ちるがまま。行政からの援助でもあればいいのですが。

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こちらは商家をリノベーションして営業されている中澤カフェ。

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一方で傾いて倒壊しそうな建物も目に付きます。

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今では普通の民家ですが、かつては何かしらの商売をされていたのでしょうか。

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見た目は看板建築ですが、中身は大正末期から昭和初期建造の町家造りと言われる井筒屋さん。

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そしてこちらが境町のボスキャラと言うべき存在感を放つ板倉屋薬局。

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昭和8(1933)年建造で、土蔵造りの商家に3階建ての洋館が増築されています。

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こちらは明治42(1909)年建造の土蔵造りの商家、斎藤家さん。

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こちらはお団子や豆餅が好評な和菓子屋さんの伊勢屋さん。

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飯島本陣跡。表は近代的ですが、裏は中庭や蔵のある立派な商家となっています。

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宿場町の西の外れから北、東武伊勢崎線方面に戻ります。

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絹の家と呼ばれているこの邸宅は、境町で明治から大正に掛けて機織業の発展に努めた金子仲次郎の居宅です。平成17年の市町村合併により境町は伊勢崎市に組み込まれていますが、伊勢崎機織組合を立ち上げたメンバーの中にも境町出身の者が多く含まれていたそうです。

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住宅街の中の古民家。こう言う玄関って今ではなかなか見ない。いっとき境町の元機屋が「境銘仙」として売り出したら大当たりしましたが、すぐに伊勢崎町の元機屋が「伊勢崎銘仙」として売り出したため、地域ブランド名を伊勢崎に取られたと言う騒動があったとか。「境銘仙」は境町の専売であると訴訟したが通らず、最終的には伊勢崎銘仙に組み込まれてしまったとか。

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旧群馬県蚕業取締所境支所。明治39(1906)年に蚕種の微粒子病対策を目的に設けられたもので、現在残る建物は昭和2(1927)年に建替えられた物。しかし現在では立ち入り禁止になっていました。

埼玉県小鹿野町、小鹿野の街並み

小鹿野は秩父から北へひと山越えた奥、東西に横たわる宿場町です。西武鉄道の終点で東西に秩父鉄道が走る秩父市と比べてしまうと随分と田舎な印象を受けてしまいますが、北に接する上州にも抜けられる事から、かつては交通の要衝として発展し続けて来たそうです。特に明治大正の頃は絹織物を運ぶ重要なルートでもあり、商業都市として栄え生糸売買の市も立っていたとか。

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町役場前のバス停を降りればあいにくの雨。晴れた日であればレンタルサイクルでじっくり隅々まで回りたい所ですが。

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木造建築が点々と残る典型的な宿場町。ただ観光地としてはちょっと弱い。こちらは旅館ですが、あえてレトロな雰囲気にリニューアルしてる感があり、屋号も「旅籠越後屋」となっています。

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しかし現代では古い街並みやこのような路地裏が見直されているので、オシャレカフェでも作れば人が集まるポテンシャルはあります。

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木造建築だけでなく、昭和の雰囲気もプンプン漂っています。

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もちろんこう言った路地を巡るようなモデルコースも有るし観光マップだってありますが、どうにも目玉商品が肉の味噌漬けぐらいしか無くて。秩父市にしたってワラジカツぐらいですし。

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そう、別に江戸時代とか明治大正期を再現しなくてもいいんです。昭和の、しかも戦後の感じであっても、飾らない昔のままの状態で充分なんです。

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こちらは村上酒店。二階の窓ガラスが素敵。建物を大事に使われている事が伺えます。

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こちらは常盤屋(加藤家住宅)。明治13年築の土蔵造りで実は4階建だそうな。2階と3階では蚕が飼育されていたそうです。しかしこの格子戸や窓部分の格子、当時の物か後から復元された物か、そんな余計な事が気になってしまう。

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旧警備詰所。こう言うのが残っているのが凄いと思います。ここは消防団の詰所で、町内会による夜警の休憩所として使われていたそうです。もしかしたら隣りに消火ポンプなんかが置いてあったかもしれません。いわゆる青年団と言うやつで、地域の防火や自警なんかをやっていました。現代ではなかなかそう言うのも無くなって来てるんでしょうね。

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小鹿野は以前、第10回路地サミットが開かれた事もあり、路地巡りを売りにしています。ま、路地としてはそんなでもないと思うのですが……

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小鹿野キネマ跡。跡地って……
こう言う建物を壊してしまった時点で、観光レトロは終わっています。

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バス停の雰囲気がいい。雨って言う演出もありますが。

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何のお店だったのでしょうか、やはり演出された古い街並みよりも、こう言った生活感溢れる昭和感の方が好きなんですよね。これで店が開いていれば……


埼玉県本庄市、昭和の街並みとスナック街

本庄は元々中山道の宿場町でした。

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現在ではモータリゼーションによって郊外の幹線道路沿いに出来た巨大商業施設に客を奪われた、よくある寂れたシャッター商店街が連なります。

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市内からは北に赤城山から桐生にかけての山々、西には神流川流域の山々が遠くに望む事が出来ます。写真は旧本庄商業銀行煉瓦倉庫。

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至るところに漆喰が使われ換気口が設けられ、担保としての生繭や生糸を貯蔵するための倉庫として明治29年(1896)に建てられました。

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明治16年(1883)に鉄道が開通してからは更に交通の要衝となり、地理的に熊谷と並び北関東の養蚕地帯と都心を結ぶ中継地点であった事から街が栄えました。

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市街には栄華を誇った時代の建物が幾つか残されています。こちらは国登録有形文化財の本庄仲町郵便局。

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こちらは県指定文化財の旧本庄警察署。結構古い建物は多く残されているのですが、街並みとしては保存されてないので観光資源としては弱いです。

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こちらはガラスや陶器を扱う戸谷八。創業永禄3年(1560)と言うから、よ、460年前? 桶狭間!? 確かに戸谷家は利根川水系の廻船問屋で永禄3年に現在の太田市から本庄へと本拠地を移して名主を務め、1751年より砂糖と陶磁器の商いを始めたとされてます。

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間口45mに対し奥行き90m。何気なく撮って後で調べてみれば、まさに本庄の歴史を語る上で欠かせない名家中の名家じゃないですか。地の利として本庄は利根川に鏑川や神竜川が合流する舟運の要衝でも有り、ただの宿場町ではありませんでした。

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古くは中世から江戸期、明治大正昭和と発展し続けて来た本庄ですが、多くの地方都市がそうであるように栄えたのも昭和まで。こちらは映画館の旧・本庄シネマGIN座跡。

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明治大正期の歴史的建造物などに目が行きがちですが、昭和の木造建築も多く残されています。こちらは看板建築長屋。丸窓が印象的です。

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ことごとく廃業していますが、これらの建物も非常に貴重な昭和遺産です。

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こう言った物がこれからの時代、観光資源になって行くと思うのですが。

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そんな街ブラするだけでも楽しめる本庄ですが、ここからが本番。街の繁栄と共に当然花街や歓楽街としての発展もありました。

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一本路地を入れば、そこかしこにスナックが点在しています。

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バラックみたいな民家かなと思えば左奥に気になる構造物が。

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ここもスナック跡でした。住宅街の中に忽然と姿を見せるので油断なりません。

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こちらはかつて路地裏飲食店街だったのでしょうか。左手が空き地となっているので当時の様子を知ることはできませんが。

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しかし空き地の奥に飲食店の入り口跡らしき物が。

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これだけ栄えていた街だけに古くは宿場町の飯盛女から遊郭まで存在しました。二階の欄干がそれっぽいですが確証は得られません。

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丸窓がいかにもな建物。埼玉県は明治8年(1875)に廃娼県となりましたが、群馬県から合併された本庄と深谷だけは遊郭が存続されました。しかし明治27年(1895)には群馬県も廃娼県となり、その頃には本庄の遊郭も消滅。

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しかしながら公娼が料理店の名目で私娼となっただけで色街は残り続けました。

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しかし廃娼県においてその存在はあくまで闇であり、戦後の赤線時代もあったかも知れませんが記録や資料が乏しいそうです。

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ふと、気になるバラック長屋を見つけました。

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この窓、普通の民家だろうか。

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塀があって門を潜って玄関と言う造り。

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本当にただの民家かも知れませんが、ただの長屋でこの造りは何とも。

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共同の水場もあります。この辺は昭和以前の長屋って感じですね。

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いわゆる私娼は黒歴史なので、あまり触れちゃいけない部分でも有ります。

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真相は分かりませんが、ちょっと興奮しちゃいました。

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最後に激渋理容室を幾つか。こちらは蔵をリノベーションした理容室。観光地化するポテンシャルを秘めています。

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これだけ古い建物でも現役で営業しているのが凄い。

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おいおい本当かよ!とついツッコんでしまった理容室。室外機そこでいいのか⁉︎
本庄、なかなか奥が深い。
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