博物館

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茨城県筑西市(2)、ザ・ヒロサワ・シティ

以前から気になっていたザ・ヒロサワ・シティ。2月11日にリニューアルオープンしたとの情報を聞き、早速下館に再訪。

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ちょっと遅めに出たので下館に着く頃には昼になってしまいました。駅前に何も無いと前回知ったので不安を抱えながら稲荷町を歩いていたら、営業しているかどうか分からないような中華料理屋の筑波軒さんが。

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思い切ってドアを開けたら営業してました。これがまた激渋も激渋。メニューなんか中華そばとワンタン麺しかない。

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ワンタン麺550円。美味い!
話好きなお爺ちゃんが一人で切り盛りしていました。

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さて、ヒロサワシティは特に平日、路線バスの本数が数本しかありません。辛うじて筑西市メディカルセンターまでバスで行ってそこから歩きで辿り着きました。

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ザ・ヒロサワ・シティは下館の南東部に100万平方メートルの土地を持ち、美術館、テーマパーク、バーベキュー場、宿泊施設、社会福祉系の専門学校、ゴルフ場などを展開する広沢グループの施設です。元は金属プレスや精密金型を製作していた広沢製作所だそうです。

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要は土地を持ってる茨城の有力者が、趣味の延長でテーマパークを作ってみました的な。とは言えちゃんとやり切ってる感があります。こちらは美術館。定期的に展示物を変えるくらい徹底しています。

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敷地にはテーマパークやパークゴルフなどの有料エリアと美術館や博物館などの無料エリアがあります。広い敷地を歩いていると寺内タケシ記念館。
て、寺内タケシて、寺内タケシとブルージーンズの!
古っ! エレキの若大将じゃないですか!
小学生の頃学校行事で小田原市民会館連れてかれて無理矢理見せられた記憶がございます。恐らく校長が好きだったんだろうなと言う。

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寺内タケシ記念館は扉が閉まっていたので、あえて扉を開きませんでした。こちらは併設されている展示室ですが、昔のオーディオ機器とカメラなどが展示されています。

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真空管ラジオなど貴重なものばかり。展示されているのは個人のコレクションであり、要はコレクターが寄贈、実際は貸す形で、多くの人に見てもらおうと言う事だと思います。

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ホンダのバイクミュージアム。昔のバイクが展示されています。

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ホンダのバイクが大好きな方のコレクション。こちらはホンダジュノオ。昔のスクーターですがカッコいいなぁ。

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ザ・マザーロードパーク。アメリカのルート66に関するコレクション。ちょっと何言ってるのかよく分からないのですが。

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さて、ここから有料エリアに入ります。ここは2024年2月11日、この前の日曜日に大幅なリニューアルをされてオープンしました。テーマパーク、ユメノバ。入場料2500円!

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まずは鉄道のコレクション。E2系新幹線とD51蒸気機関車、EF81電気機関車。

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EF81には北斗星に使用していた24系25型寝台車4両が連結されています。

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中に入れます。隣に発電機が設置されており電源を引っ張っているため、車内灯は点灯され自動ドアも稼働しています。やはりこのB寝台の狭さが落ち着く。

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こちらはロビーカー内部。こう言うのってバブルの時代を感じますね。鉄道にもよく分からない余裕みたいな物があった。

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こちらは国鉄のキハ35系を払い下げて関東鉄道常総線で使用されていた気動車。2017年まで走っていたそうです。

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鹿島臨海鉄道を走っていたリゾート列車、マリンライナーはまなす。1992年から1998年まで運用され、定期運用が無くなってからは休車状態のまま2015年正式に廃止されました。バブル崩壊後、大洋村などで行われていた別荘地乱開発ブームが都市計画区域指定によって終焉を迎えた後に走り始めた事になるので、6年間しか活躍出来ませんでした。

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こちらはグライダー模型飛行機館。

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プラモデルじゃないと思うのですが、どうやって作ったのか。いや、そもそもこんなマニアックな機体、プラモで発売されている訳ないし。

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これなんか宮崎駿が大好きそうなヤツですよ。日本も巨大な爆撃機を造っていましたが、ターボエンジンが無かったためB-29みたいに1000mを超える空気の薄い高高度を飛べなかったとか。と、昼メシ食べた時のラーメン屋の爺ちゃんが教えてくれました。

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て言うかマニアック過ぎます。変態的な機体ばかりです。

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科博廣澤航空博物館。この棟だけ独立しており、国立科学博物館と共同でこの科博廣澤航空博物館を設立。国立科学博物館に収蔵していた航空機関連の展示物をこちらに移設したそうです。かなりガチです。

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なんと言っても今回のメインディッシュは、このYS-11。昭和40年(1965年)より運用開始された日本初の国産旅客機です。現在国内では全て引退してしまいましたが、この機体は運輸省でちよだIIとして運用されていた量産初号機だそうです。

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南極観測隊で使用されたシコルスキーS-58のヘリも展示されています。アメリカのシコルスキー社のヘリですが、昭和30年代に三菱重工がノックダウン生産(組み立て)してしまいました。この機体は1956年から1962年まで初代南極観測船を務めた宗谷に搭載され、船から陸地まで物資をピストン輸送していたそうです。

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アメリカのベル47ヘリコプター。1947年から1976年まで川崎重工でライセンス生産されていました。図鑑とかそう言うのでしか見た事なかったですが、トンボみたいな見た目は強烈です。

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ヘリコプターと一緒にソーラーカーも置いてます。90年代にソーラーカーレースで見た事のあるホンダのソーラーカー。どう見てもフナムシ。

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こちらは宇宙館に展示されているカッパ(Κ)ロケット。固体燃料ロケットってギリシャ文字で表記されます。なのでイプシロン計画とか……なんかカッコいい。厨二病っぽいけど。

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固体燃料ロケットは屋外にも展示されています。ロケットをバックにティータイムも楽しめます。なかなかシュール。

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なんかひたすら乗り物の写真ばかりになってしまいましたが、展示物全部撮ってもキリがない。と言う訳でやっと終盤。自動車部門です。クラッシックカー博物館は特に惹かれる物やマニアックな物が無かったのでスルーします。別にヒロサワシティを紹介する訳ではなく、ただ珍しい物や懐かしい物を見て浮かれているだけなので。

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最後に消防自動車博物館。展示物の数や内容の厚さから言って、ここがヒロサワシティのメインと言っても過言ではないと思います。

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昭和47年製のいすゞTD70E。まさに子供の頃に見ていた消防車はこの辺の時代の物です。

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いすゞTXD10型は昭和39年(1964年)にモデルチェンジされたTXシリーズの最終型で、後にキャブオーバータイプ のフォワードにモデルチェンジされる。この車両は昭和49年(1974年)青森市消防団に配置され、平成19年(2007年)に退役したそうです。ボンネット型はボンネットバスのイメージが強いですが、当然トラックや消防車にもあった訳です。

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昭和44年(1969年)製の日産FR40。ホイールベースの短い中型車で狭い路地なんかにも入って行けたそうです。

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ボンネット愛が止まらない。この辺から飽きてきた読者が離れて行ってるような。昭和18年(1943年)製のトヨタKB。まさに戦時中、東京大空襲に備えて大量配備が進められた消防車で、この車両は戦時下の品川消防署に配備され、戦後は麹町消防署、上野(下谷)消防署、茨城県土浦消防団と転々と渡り歩き、昭和48年(1973年)まで活躍したそうです。

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ダイハツのオート三輪消防車。こんなのまで有ったとは。

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運転席はバイクタイプなので、ミゼットなどよりも前の時代の物ですね。

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日本造機株式会社が昭和32年(1957年)に製造した三輪消防車。ボディは長野の鉄工所が製作したオリジナルで、長野県旧臼田町(現・佐久市)消防団で活動したそうです。

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サイドカー消防車。もう何でもアリですか。しかも伝説のバイク、陸王ですよ。サイドカー部分は大正13年製で当時ハーレーダビットソンのバイクにくっ付いていましたが、昭和11年にバイク部分を陸王に交換したそうです。

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ミニカー館には大量な消防車のミニカーも。もはやここまで来ると狂気を感じる。

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一日では回りきれないって人のために宿泊できるコテージもあります。利用する人いるのか?
ともあれ、簡潔に言えば究極のコレクター集団と言った感じで、コレクションだけあって思い入れや嗜好の偏りも感じられます。B級とは言い切れないほどちゃんとしてるし、ただ博物館と呼ぶには好みが出過ぎってところもある。そんな訳で、ここは面白かった。

茨城県つくば市(1)、エキスポセンターと保存車両

いや暑い。今の時期外を出歩くもんじゃ無いですね。

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2006年に開通したつくばエキスプレスの終点、つくば駅に参りました。開業からもう17年も経ちますが、最高時速130キロ近く(表定速度103km/h)で秋葉原まで快速で45分と言う利便性から沿線も発展し、開業に掛かった費用を前倒しでペイしたとか。

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つくば駅の北にエキスポセンターがあります。ここは1985年に開催されたつくばエキスポ85、科学万博の資料が保存されています。

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ひときわ目を引くのがこのH2ロケット(レプリカ)。鉄筋コンクリート造です。そりゃそうです。ロケットは基本使い捨てで、倒れないよう鉄骨で建っているわけですから。ちなみにこの実物大レプリカは横浜博覧会より移設されたとか。手前に写るのはつくばエキスポ85のマスコットキャラクター、コスモ星丸。

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ちなみにこちらがH2Aロケットの実物。H2ロケットは2001年より打ち上げられておりますが、改良版のH2Bロケットも含めれば55回中54回成功しており、いまだ現役だそうです。日本の固体燃料ロケットの技術は世界トップレベルです。ちなみにアメリカの液体燃料ロケットはゆっくりと加速するので人も乗れます。

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なんか学芸会のハリボテにしか見えませんが、これは海洋観測衛星もも1号です。もも1号は1987年、N2ロケットにより打ち上げられました。宇宙空間と言う特殊な環境では、ここまでも外観が変わってしまうのかと。ちなみに地球観測衛星は南北の軌道を縦に飛んで地球全体を観測し、ひまわりのような日本上空に留まり日本列島だけを観測し続けるのを静止衛星と呼びます。余談ですが静止衛星は東へ打ち上げ、地球観測衛星は南へ打ち上げるそうです。その点南東を太平洋に面した日本の種子島は、世界的にも稀な衛星打ち上げの好立地だと、何かの記事で読みました。

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いきなり南極観測隊。エキスポセンターでは科学全般を展示しております。南極観測隊の雪上車は松戸市の昭和の杜博物館で見て以来です。

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やっぱり運転席はかっこいい。灰皿完備であります。この車両は1988年より2011年まで使われておりました。物持ちがいい。と言うか数年で車を買い替える現代の消費社会が異常なのか。

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つくばエキスポセンターは科学に関するあらゆる物が展示されており、夏休みの子供たちでごった返しておりました。夏休みの自由研究にはもってこい。

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それよりも、つくばエキスポ85が懐かしい。実際私は当時高1だったので万博には行きませんでしたが。万博と言えば私の場合、小学生の頃に行ったポートピアですね。

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万博当時の街の模型。この跡地が現在のつくばの中心街となります。

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さて今回の目的地、エキスポセンターの北東にあるさくら交通公園。D51型蒸気機関車が保存されております。

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このD5170は昭和12年に造られ広島や姫路で走り、その後昭和50年まで北海道で活躍していました。この踏み切りの再現力とか、なかなかこだわりが見えますね。

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踏み切りや腕木式信号機など、ちゃんと実物を使っております。

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そして一番見たかったのがこれ。国鉄夜行高速バスのドリーム号。

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このリベットがたまらない!

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このバスは国鉄により東名高速道路用として設計され、昭和44年2月に第1号として日野自動車で造られた日野RA-900P型。国鉄では747形旅客自動車と呼称されていました。私が産まれた頃です。東名高速道路が全通した同年6月に開業した夜行バスの草分けです。

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ピンボケですが子供の頃に撮ったこの小田急高速バスも同じシリーズかな。

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窓ガラスが汚いので内部は綺麗に撮れません。中に入りたい。

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正面と肘掛けの先端に、当然のように灰皿が完備されている。

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当時画期的だったのがこのトイレ付きと言う所。国鉄が設計したのはこう言った部分。このバスは昭和52年まで活躍しました。新幹線や夜行急行列車の銀河と並び東京〜大阪間で人々を運んだ。

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いやはや、ちょっと興奮してしまいました。

さて次回、つくば駅周辺が廃墟団地だらけだった件。乞うご期待。

千葉県松戸市、昭和の杜博物館、ガラクタの中から宝探し

※注 今回は色々な意味でかなりマニアックな話になっています。写真の点数も多く飽きてしまうかも知れません。

昭和の自動車が展示されている博物館と言えば、自分としては20代の頃に通い詰めた御殿場のスポーツカー博物館、フェラーリ美術館、箱根のポルシェ博物館で有名な松田コレクションでしたが、そのいずれも現在では閉館となっているらしいです。ショックです。

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最近では数年前に訪れた栃木県真岡市にあるサムライ刀剣博物館のオーナーのコレクションで、昔の車に興奮しました。そして先日訪れたのがここ、千葉県松戸市にある昭和の杜博物館。

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ここにも貴重な旧車が数多く展示されています。例えばスバル360とか。

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いすゞベレットとか。この辺はまだ序の口。

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そして現れたのがランチアのガルウィング、ミザール。この車の存在は知りませんでした。それもそのはずミザールは1974年トリノモーターショーで発表されたコンセプトカーなのだとか。つまり世界で一台。て言うか、そんなもんどうやって手に入れた⁉︎

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この内装が全てコールテンのような布張りで衝撃的。革じゃないんだ。ジョヴァンニ・ミケロッティによるデザイン。ジウジアーロとかピニンファリーナ、ベルトーネなどの有名どころは知ってましたが、主に50〜60年代に活躍していたと言うミケロッティの存在は知りませんでした。なんとマニアックな!

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展示車両を全て載せていたらキリがないのでそこそこにしますが、日野のリアエンジン車、コンテッサもまたかなりのマニアック。こちらも実はミケロッティのデザインだったそうです。

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ガレージの奥には消防ポンプなんかが無造作に置かれてます。個人のコレクションとして、とにかくなんでも集めまくったようで。

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ただここは普通の旧車だけでは収まりません。異彩を放つこの車両は南極観測隊の雪上車。昭和63(1988)年から平成22(2010)年まで活躍していた車両だとか。

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この南極観測隊向けの雪上車は、新潟県長岡市にある町工場の大原鉄工所のみで造られているとか。ドアには鉄道車両で見たような灰皿。咥えタバコで南極大陸を疾走とか超カッコいいんですが!

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三輪オートなんて普通過ぎて雨晒しですよ。て言うか後ろに日立電鉄の車両が見切れています。

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日立電鉄の廃車両と言えば今年の頭に鉾田市の廃車両を見に行きました。今年の締めでまた日立電鉄と出会えるとは。て言うかさらに後方にセスナ機が見切れていたり。

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何かの戦闘機の燃料タンクが転がっていたり。

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そして何かのエンジンみたいな物が置いてあったり!

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さらにこのソーラーカー。私が20代の頃、どっかのサーキットで開催されていたソーラーカーレースを取材した事があったのですが、確かその時この車に出会っていたような気がします。昔のフィルムとか整理したら出て来るかも知れない。現代は電気自動車の時代ですが、当時は今のような優れたバッテリーが開発されるとは思ってなかったので、ソーラーパワーに未来を見出していました。これがまた結構速いんです。

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もうポルシェとか、どうでもよくなって来た。

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屋内で大切に展示されているのは映画「三丁目の夕日」にも貸し出されていたダイハツミゼット。

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ダットサンブルーバードが3連チャン。これらも三丁目の夕日に出演。

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富士重工のラビット。ベスパみたいなメジャーなスクーターは展示されておりません。昭和感溢れるデザインが素敵。

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傍らに目をやれば無造作に置かれたポータブルテレビ。

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ブリキの玩具なんかも多く展示されています。左下のスカイライナーに目を奪われる。

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とにかくここにはテーマなんて有りません。強いて言うなら昭和。それを言ったら当ブログも似たような物で、自分の好きな物を好きなように訪れており、昭和って以外に一貫したテーマなんて有りません。

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一応一般来場者のウケ狙いで石原裕次郎コーナーなんてのもあります。

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その脇には70〜80年代のシングルレコードの数々。

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プラモデルなどの模型が展示されている部屋。中央には50分の1スケールの米空母ホーネット。B-25を艦載しているのは史実に基づいていますが、縮尺がちょっと合っていない。

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ドルニエとかユンカースのプラモ、昔作ってました。特にユンカースのジュラルミン波形外板(コルゲート)が私のツボ。多分誰が訪れてもそれぞれのツボがカバーされている。

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ミグ21(第三世代以降)は特に好きで5機ぐらい買って、それぞれ違う塗装とデカールを貼って(フィンランド、エジプト、イラク、ベトナム、東ドイツ)並べていました。そしてさりげなく置かれているバルキリー。「なぜここに」というツッコミはここでは通用しません。

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ミニカーなども数多く展示されています。トヨタSERA! 今年笠間で実物見たな。

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サンダーバードはもうちょっと上の世代になります。しかしこのサンダーバードのパッケージイラストを描かれている小松崎茂先生(1915~2001年)の展覧会が行われています。

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この貴重な原画の数々は、松戸にあった昭和ロマン館という美術館で常設展示されていましたが、東日本大震災によりその昭和ロマン館は閉館。そこでここ昭和の杜博物館に移され展示されているとか。

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この小松崎茂先生は空想科学イラストの第一人者であり、このようなイラストは私も幼少期に図鑑などでよく目にした記憶があります。

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私が特に目を奪われたのはこの作品。当時はモノレールが未来の乗り物の代表格でした。地上には都電が走りビルの屋上には不二越ビル屋上にあった森永の地球儀ネオン看板。つまりここは晴海通りで銀座4丁目交差点である事が分かります。さらによく見れば月島行と描かれている。このモノレールは有楽町から月島行くんだー。後に地下鉄有楽町線が月島方面への足を実現する事となる。

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すでにレインボーブリッジを予言してます。多分ゴールデンゲートブリッジみたいな物が日本にも出来ると妄想されていたんでしょう。右奥には東京タワー(?)、と言う事はここはやはりお台場? 下にちっちゃいバスみたいな物が描かれていますが、高架線を走るのは結局ゆりかもめでした。

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氏の活躍は多岐に渡り、紙面やプラモのパッケージだけでなく、このようなグッズにも描かれていました。また、代表的な仕事として東宝映画『海底軍艦』の轟天号のデザインもされていたとか。言われてみれば確かに「ぽいっ」。

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戦艦大和のプラモデルパッケージ。これ、小さい頃親にねだって買って貰った記憶が。思えば幼少期から数多くの小松崎茂作品に囲まれて育っていました。なのにその名前自体、今回初めて知る事となりました。

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戦争イラストの数々。氏の作品には、石ノ森章太郎、ちばてつや、藤子不二雄、松本零士など、名だたる漫画家達に多大なる影響を与えたそうです。ただ、氏はあくまでも挿し絵師であり、ストーリー漫画としては13歳後輩の手塚治虫氏が第一人者となります。

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しかし現在、諸事情により小松崎茂常設展がいつまで続けられるか分からないとの事。観るなら今。今しかないのです!

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なんか興奮し過ぎて疲れました。外の空気でも吸おうと外階段を2階に昇れば、スペースシャトルが見下ろせます。もちろん実物ではなく、どこから持って来たのか巨大なオブジェ。

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気を取り直して2階展示室。骨董品を中心に展示、と言っていいのかどうか。

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だって鉛筆削りとかあるし!

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昔のタバコのパッケージ。こう言うのは集めている人も多いかも知れません。

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が、歯磨き粉のパッケージは集めている人いないでしょう。何でも捨てずに取っておくと言う事ですが、まさにガラクタ。なのに数を集めて展示されると立派な展示物となります。消費社会に対して物を大切にしようと言うコンセプトがあるのですが、ただ捨てないと言う意味ではなく、大切に使い続けると言う事。

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ウインカー(箱付き)。もうこんな物、世の中でここにしか残ってない代物なんじゃないのか。

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なんか爺ちゃんちの棚とかに無駄に飾られているようなウイスキーの瓶。ここはカオスの一言では語り切れない物があります。

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民芸品を中心に収められている小屋に入りました。

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民芸品に紛れてワープロ、スライド映写機、顕微鏡、あとよく分からない機器たち。

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銚子電鉄を走っていた、地下鉄銀座線から払い下げられた車両。ちなみにこれらの、敢えて良い意味で尊敬の念を込めてガラクタと言わせて頂きますが、集められていたオーナーは亡くなられ、現在財団法人として学芸員を迎え保存されています。
とにかくコレクションの数が多過ぎて整理しきれないのが現状ですが、それが逆に玩具箱をひっくり返した中から宝探しをするような感覚で、超楽しい!
他人にとってはガラクタでも自分にとってはお宝、そんな物と出会える施設でした。ここは何回訪れても新しい発見がありそうです。

■昭和の杜博物館
 千葉県松戸市紙敷1377
 047-369-7870
 北総線(スカイアクセス線)秋山駅より徒歩16分
【地図】
 https://maps.app.goo.gl/tuiJ1bGpDx5zsag87?g_st=ic
【営業日】
 令和4年年内は12月18日(日)のみ。
 令和5年1月より第2・第4土・日のみ営業。
【営業時間】
 10:00~16:00 (最終入場15:00)
 館内展示のみ300円の入場料が掛かります。

※館内の展示物は全て撮影可能ですが、もちろん商用目的などはモラルとしてダメです。

東京都青梅市(1)、青梅鉄道公園

前回、小田急のロマンスカーミュージアムを訪れ3000系SE車の懐かしさに震えた、その流れで青梅鉄道公園に行ってきました。

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青梅鉄道公園の開設はなんと昭和37年(1962)。歴史ある施設ですが、青梅駅から結構坂を登ります。

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いきなりメインディッシュですが、ここ青梅鉄道公園には0系新幹線が保存されています。

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0系新幹線は前回触れた小田急3000系を開発した三木忠直(設計)や島秀雄(国鉄技師長)らによって、昭和39年(1964)の新幹線開業に合わせて誕生しました。新幹線は知っての通り、当時世界で初めて時速200キロを超える営業運転を実現。その記録は19年後の1983年、フランスのTGVが登場するまで保持されました。残念ながら現在コロナ禍に伴い車内は公開されていません。

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そしてこの0系新幹線は平成20年(2008)に定期営業運転を終了しました。実に44年間、とは言っても車両そのものは改良が加えられた物へ次々と置き換えられて行き、昭和61年(1986)製造の38次車までマイナーチェンジを繰り返しながら製造され続けていました。
ただ自分としては夜行列車や各駅停車で旅を続けて来たため、料金の高い新幹線には数回しか乗りませんでしたが。

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そんなわけで他の展示車両に移ります。こちらは首都圏や関西圏の通勤電車として昭和7年より導入された旧型国電のクモハ40-054。自分の世代ではギリギリ小野田線や鶴見線、可部線などで乗る事が出来ました。

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[追記]1984年頃だと思いますが湯河原〜熱海間で撮ったこの旧型国電、当時国府津電車区に在籍してたクモハ40-054かと思いましたが、右上にガラリがありません。元々鶴見線大川支線で使われ、現在東京総合車両センターに保管されているクモハ12052の可能性が高い。

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その旧型国電に近付こうとすると、コイツらがいきなり喋り出してビビります。要注意。

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旧国(かつて旧型国電をそう呼んでいた)の隣に置かれているのは昭和7年(1932)製造のC11の1号機。

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その後ろに置かれているのは、日本最後の新造蒸気機関車のE10。巨大なボイラーと唯一動輪が5つある急勾配専用機。奥羽線の板谷峠などで活躍しました。

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青梅鉄道公園は主に蒸気機関車が多く展示されています。こちらは昭和15年製造のD51-452。日本の代表的な機関車として、入り口を入ってすぐのところに展示されています。

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大正3年(1914)製造の8620。8600型蒸気機関車(ハチロク)は大正時代を代表するC型(動輪3本)機関車ですが、何気にこれが一番好きかも知れない。やっぱカッコいい。

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九州で動態保存されている車両があり「SL人吉」として今年も春以降の週末などに運行されます。2020年11月には「SL鬼滅の刃」として無限プレートを掲げて走り話題になりましたね。時代背景といいガチの無限列車、見に行きたかった。動態保存の状態である事はあるけれど、さすがに古すぎるためいつ引退になってもおかしくないので、一度は乗りに行ってみたいところ。

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大正2年(1913)製造の9608。9600型蒸気機関車もまた大正時代を代表するD型(動輪4本)機関車です。まぁ端的に言えば8600は昭和で言うC62に相当し9600はD51に相当するみたいな。ちなみにこの9600型は宮崎駿の映画「風立ちぬ」に於いて関東大震災のシーンに登場していました。

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明治時代にまで遡るともう分かりません。そもそも英国製である2221型は明治38年製造。それでも貨物入れ替え用などに昭和30年頃まで使われていたとか。

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明治30年(1897)英国ベイヤーピーコック社製造の5540。明治時代の蒸気機関はやはり産業革命の国、英国からの輸入品なんですよね。初の国産蒸気機関車としては明治26年(1893)に860型が英国蒸気機関車を模して造られましたが、部品などは輸入品だし信頼性に欠けていました。そのため第一次世界大戦で輸入が途絶えた大正期になって初めて、純国産と言える9600型や8600型が造られるようになりました。

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最後に青梅線と言えばこの昭和6年製のED16-1型電気機関車。石灰石を運ぶ貨物列車などで活躍していました。さよなら運転の際、新宿駅で撮った記憶があります。
青梅鉄道公園はその展示内容が要所要所を押さえており、さらには貴重な1号機が保存されているなど、歴史ある施設だけに結構充実した内容でした。

神奈川県海老名市、ロマンスカーミュージアム

今回は小田急一色で参ります。内容もかなり鉄臭いですwww
小田急ロマンスカー50000系VSE車が今年3月11日のダイヤ改正で、定期運用から外れてしまいます。

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あまりにも早い引退。自分としては鉄道車両の中でも近年稀に見るカッコ良さと思っていましたが、まさかです。登戸駅のホームから撮影したら並走する各駅停車とカブりました。まさかです!
このVSE車は連接車体で、短い車両の繋ぎ目に台車が1台と言う特殊な構造。故に改修するのにも費用が掛かってしまうと言うのが引退の理由のようです。カッコいいのに短命といえばJR西日本の500系新幹線もそうですね。まだこだま運用で生き残ってはいますが。

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そんな小田急ですが去年の4月、海老名駅に併設される形でロマンスカーミュージアムがオープンしました。ここは以前より行こう行こうと思っていました。

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まずは3000系SE車。この前面の形は1957年、国鉄技術開発研究所との共同開発で誕生した超軽量高速車両の試作車の形状に復元された物です。試作車は完成後国鉄の高速試験で時速145キロと言う狭軌での世界最速記録を叩き出しました。後にその技術は新幹線へと受け継がれていきます。

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この扉の上部が半円形になっているのが印象的。当時はなんか宇宙船をイメージしましたが、今では頭ぶつけそう。
ちなみにこの車両は特攻ロケット兵器の桜花を開発した三木忠直(後に0系新幹線や懸垂式モノレールを開発)や、D51蒸気機関車の主任設計者で弾丸列車計画にも携わった島秀雄(後に0系新幹線の開発に携わり宇宙開発事業団の初代理事長に就任)が開発に関わり、当時日本最先端の技術の粋を集めていたそうです。

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車内は何度もリニューアルされていますが、1992までの35年間現役で運用されていたのも凄いですね。私が子供の頃は「さがみ」と「あさぎり」のみの運用だったので乗る機会も少なかったのですが、何度か乗りました。

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反対側の先頭車両は営業運転当時の形になっています。引退からミュージアム開業までの30年間、よくぞ残っていてくれたと思いますが、鉄道に於ける歴史的価値を考えれば当然とも言えます。

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こちらは恐らく中学生の頃に撮った現役当時の写真。箱根出身と言うことで地元なもので、小田急の写真はあまり撮ってなかった事が悔やまれます。

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3100系NSE車。小田急ロマンスカーを代表するパノラマ展望台付き車両です。

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自分が最も回数多く乗ったロマンスカー。

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少年時代から高校時代まで、家族で新宿に出る時などに乗っていました。

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ヘッドライトのデザインなんかはウルトラ警備隊を思わせます。1963年に運用開始と言う、想像以上に歴史ある車両でした。自分が産まれる6年前から走っていたとは。ただ、子供の頃から毎日のように見ていた車両なので、当たり前過ぎて一枚も現役当時の写真を撮っていません。

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子供の頃、この運転席に憧れて小田原の工業高校の電気科に進学し、小田急の採用試験を受けました。しかし学科はクリアしながら面接で落ち、ヤケになって上京する事となります。

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こちらは1987年に登場した10000系HSE車。帰省などで乗りました。7000系は自分の中で特に当たり前過ぎる存在だったので、普通にスルーしてしまいました。

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1990年から2012年まで活躍した、20000系RSE車。「あさぎり」としてJR御殿場線経由で沼津まで走っていました。

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当時はJR東海の同型車両があり、東海道新幹線以外の在来線による東京乗り入れが話題になりましたね。そのJR東海の車両は東海道新幹線を思わせる塗装で、同時代の1985年から2000年までの間は二階建て車両を連結した100系新幹線も活躍していました。

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二階建て車両には電子レンジ、冷蔵庫、ドリンクサーバなども完備されており、80年代から90年代に掛けてののサロンカー全盛期を思わせます。

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昭和2年、小田急開業当時の車両、モハ10。貴重な車両ですが生活と共にあったロマンスカーに興奮して、それどころじゃなくなりました。

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改めてVSE車。言葉にすると薄っぺらくなってしまいますが、現代の観光列車の中でも「未来的」と言う言葉が合っています。この未来的と言うコンセプトはSE車の時代から受け継がれて来たように思います。

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そして現在最新のロマンスカー70000系GSE車。いいんだけども、やっぱり連接台車のVSEの方が見た目気持ち悪くて好き。

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余談ですが小田急と言えば白に青のライン。ただ現代ではステンレスのシルバーが鉄道の常識となってしまったので、この8000系が最後の小田急らしい車両だと思います。(新造車両でチョコレート色を出した阪急はスゲーと思う)

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そんな今では最古参となってしまった8000系が、新車として東海道線から小田急線内に入線して来た当時の写真がこちら。1982年の小田原駅にて。
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