以前から気になっていたザ・ヒロサワ・シティ。2月11日にリニューアルオープンしたとの情報を聞き、早速下館に再訪。
ちょっと遅めに出たので下館に着く頃には昼になってしまいました。駅前に何も無いと前回知ったので不安を抱えながら稲荷町を歩いていたら、営業しているかどうか分からないような中華料理屋の筑波軒さんが。
思い切ってドアを開けたら営業してました。これがまた激渋も激渋。メニューなんか中華そばとワンタン麺しかない。
ワンタン麺550円。美味い!
話好きなお爺ちゃんが一人で切り盛りしていました。
さて、ヒロサワシティは特に平日、路線バスの本数が数本しかありません。辛うじて筑西市メディカルセンターまでバスで行ってそこから歩きで辿り着きました。
ザ・ヒロサワ・シティは下館の南東部に100万平方メートルの土地を持ち、美術館、テーマパーク、バーベキュー場、宿泊施設、社会福祉系の専門学校、ゴルフ場などを展開する広沢グループの施設です。元は金属プレスや精密金型を製作していた広沢製作所だそうです。
要は土地を持ってる茨城の有力者が、趣味の延長でテーマパークを作ってみました的な。とは言えちゃんとやり切ってる感があります。こちらは美術館。定期的に展示物を変えるくらい徹底しています。
敷地にはテーマパークやパークゴルフなどの有料エリアと美術館や博物館などの無料エリアがあります。広い敷地を歩いていると寺内タケシ記念館。
て、寺内タケシて、寺内タケシとブルージーンズの!
古っ! エレキの若大将じゃないですか!
小学生の頃学校行事で小田原市民会館連れてかれて無理矢理見せられた記憶がございます。恐らく校長が好きだったんだろうなと言う。
寺内タケシ記念館は扉が閉まっていたので、あえて扉を開きませんでした。こちらは併設されている展示室ですが、昔のオーディオ機器とカメラなどが展示されています。
真空管ラジオなど貴重なものばかり。展示されているのは個人のコレクションであり、要はコレクターが寄贈、実際は貸す形で、多くの人に見てもらおうと言う事だと思います。
ホンダのバイクミュージアム。昔のバイクが展示されています。
ホンダのバイクが大好きな方のコレクション。こちらはホンダジュノオ。昔のスクーターですがカッコいいなぁ。
ザ・マザーロードパーク。アメリカのルート66に関するコレクション。ちょっと何言ってるのかよく分からないのですが。
さて、ここから有料エリアに入ります。ここは2024年2月11日、この前の日曜日に大幅なリニューアルをされてオープンしました。テーマパーク、ユメノバ。入場料2500円!
まずは鉄道のコレクション。E2系新幹線とD51蒸気機関車、EF81電気機関車。
EF81には北斗星に使用していた24系25型寝台車4両が連結されています。
中に入れます。隣に発電機が設置されており電源を引っ張っているため、車内灯は点灯され自動ドアも稼働しています。やはりこのB寝台の狭さが落ち着く。
こちらはロビーカー内部。こう言うのってバブルの時代を感じますね。鉄道にもよく分からない余裕みたいな物があった。
こちらは国鉄のキハ35系を払い下げて関東鉄道常総線で使用されていた気動車。2017年まで走っていたそうです。
鹿島臨海鉄道を走っていたリゾート列車、マリンライナーはまなす。1992年から1998年まで運用され、定期運用が無くなってからは休車状態のまま2015年正式に廃止されました。バブル崩壊後、大洋村などで行われていた別荘地乱開発ブームが都市計画区域指定によって終焉を迎えた後に走り始めた事になるので、6年間しか活躍出来ませんでした。
こちらはグライダー模型飛行機館。
プラモデルじゃないと思うのですが、どうやって作ったのか。いや、そもそもこんなマニアックな機体、プラモで発売されている訳ないし。
これなんか宮崎駿が大好きそうなヤツですよ。日本も巨大な爆撃機を造っていましたが、ターボエンジンが無かったためB-29みたいに1000mを超える空気の薄い高高度を飛べなかったとか。と、昼メシ食べた時のラーメン屋の爺ちゃんが教えてくれました。
て言うかマニアック過ぎます。変態的な機体ばかりです。
科博廣澤航空博物館。この棟だけ独立しており、国立科学博物館と共同でこの科博廣澤航空博物館を設立。国立科学博物館に収蔵していた航空機関連の展示物をこちらに移設したそうです。かなりガチです。
なんと言っても今回のメインディッシュは、このYS-11。昭和40年(1965年)より運用開始された日本初の国産旅客機です。現在国内では全て引退してしまいましたが、この機体は運輸省でちよだIIとして運用されていた量産初号機だそうです。
南極観測隊で使用されたシコルスキーS-58のヘリも展示されています。アメリカのシコルスキー社のヘリですが、昭和30年代に三菱重工がノックダウン生産(組み立て)してしまいました。この機体は1956年から1962年まで初代南極観測船を務めた宗谷に搭載され、船から陸地まで物資をピストン輸送していたそうです。
アメリカのベル47ヘリコプター。1947年から1976年まで川崎重工でライセンス生産されていました。図鑑とかそう言うのでしか見た事なかったですが、トンボみたいな見た目は強烈です。
ヘリコプターと一緒にソーラーカーも置いてます。90年代にソーラーカーレースで見た事のあるホンダのソーラーカー。どう見てもフナムシ。
こちらは宇宙館に展示されているカッパ(Κ)ロケット。固体燃料ロケットってギリシャ文字で表記されます。なのでイプシロン計画とか……なんかカッコいい。厨二病っぽいけど。
固体燃料ロケットは屋外にも展示されています。ロケットをバックにティータイムも楽しめます。なかなかシュール。
なんかひたすら乗り物の写真ばかりになってしまいましたが、展示物全部撮ってもキリがない。と言う訳でやっと終盤。自動車部門です。クラッシックカー博物館は特に惹かれる物やマニアックな物が無かったのでスルーします。別にヒロサワシティを紹介する訳ではなく、ただ珍しい物や懐かしい物を見て浮かれているだけなので。
最後に消防自動車博物館。展示物の数や内容の厚さから言って、ここがヒロサワシティのメインと言っても過言ではないと思います。
昭和47年製のいすゞTD70E。まさに子供の頃に見ていた消防車はこの辺の時代の物です。
いすゞTXD10型は昭和39年(1964年)にモデルチェンジされたTXシリーズの最終型で、後にキャブオーバータイプ のフォワードにモデルチェンジされる。この車両は昭和49年(1974年)青森市消防団に配置され、平成19年(2007年)に退役したそうです。ボンネット型はボンネットバスのイメージが強いですが、当然トラックや消防車にもあった訳です。
昭和44年(1969年)製の日産FR40。ホイールベースの短い中型車で狭い路地なんかにも入って行けたそうです。
ボンネット愛が止まらない。この辺から飽きてきた読者が離れて行ってるような。昭和18年(1943年)製のトヨタKB。まさに戦時中、東京大空襲に備えて大量配備が進められた消防車で、この車両は戦時下の品川消防署に配備され、戦後は麹町消防署、上野(下谷)消防署、茨城県土浦消防団と転々と渡り歩き、昭和48年(1973年)まで活躍したそうです。
ダイハツのオート三輪消防車。こんなのまで有ったとは。
運転席はバイクタイプなので、ミゼットなどよりも前の時代の物ですね。
日本造機株式会社が昭和32年(1957年)に製造した三輪消防車。ボディは長野の鉄工所が製作したオリジナルで、長野県旧臼田町(現・佐久市)消防団で活動したそうです。
サイドカー消防車。もう何でもアリですか。しかも伝説のバイク、陸王ですよ。サイドカー部分は大正13年製で当時ハーレーダビットソンのバイクにくっ付いていましたが、昭和11年にバイク部分を陸王に交換したそうです。
ミニカー館には大量な消防車のミニカーも。もはやここまで来ると狂気を感じる。
一日では回りきれないって人のために宿泊できるコテージもあります。利用する人いるのか?
ともあれ、簡潔に言えば究極のコレクター集団と言った感じで、コレクションだけあって思い入れや嗜好の偏りも感じられます。B級とは言い切れないほどちゃんとしてるし、ただ博物館と呼ぶには好みが出過ぎってところもある。そんな訳で、ここは面白かった。
ちょっと遅めに出たので下館に着く頃には昼になってしまいました。駅前に何も無いと前回知ったので不安を抱えながら稲荷町を歩いていたら、営業しているかどうか分からないような中華料理屋の筑波軒さんが。
思い切ってドアを開けたら営業してました。これがまた激渋も激渋。メニューなんか中華そばとワンタン麺しかない。
ワンタン麺550円。美味い!
話好きなお爺ちゃんが一人で切り盛りしていました。
さて、ヒロサワシティは特に平日、路線バスの本数が数本しかありません。辛うじて筑西市メディカルセンターまでバスで行ってそこから歩きで辿り着きました。
ザ・ヒロサワ・シティは下館の南東部に100万平方メートルの土地を持ち、美術館、テーマパーク、バーベキュー場、宿泊施設、社会福祉系の専門学校、ゴルフ場などを展開する広沢グループの施設です。元は金属プレスや精密金型を製作していた広沢製作所だそうです。
要は土地を持ってる茨城の有力者が、趣味の延長でテーマパークを作ってみました的な。とは言えちゃんとやり切ってる感があります。こちらは美術館。定期的に展示物を変えるくらい徹底しています。
敷地にはテーマパークやパークゴルフなどの有料エリアと美術館や博物館などの無料エリアがあります。広い敷地を歩いていると寺内タケシ記念館。
て、寺内タケシて、寺内タケシとブルージーンズの!
古っ! エレキの若大将じゃないですか!
小学生の頃学校行事で小田原市民会館連れてかれて無理矢理見せられた記憶がございます。恐らく校長が好きだったんだろうなと言う。
寺内タケシ記念館は扉が閉まっていたので、あえて扉を開きませんでした。こちらは併設されている展示室ですが、昔のオーディオ機器とカメラなどが展示されています。
真空管ラジオなど貴重なものばかり。展示されているのは個人のコレクションであり、要はコレクターが寄贈、実際は貸す形で、多くの人に見てもらおうと言う事だと思います。
ホンダのバイクミュージアム。昔のバイクが展示されています。
ホンダのバイクが大好きな方のコレクション。こちらはホンダジュノオ。昔のスクーターですがカッコいいなぁ。
ザ・マザーロードパーク。アメリカのルート66に関するコレクション。ちょっと何言ってるのかよく分からないのですが。
さて、ここから有料エリアに入ります。ここは2024年2月11日、この前の日曜日に大幅なリニューアルをされてオープンしました。テーマパーク、ユメノバ。入場料2500円!
まずは鉄道のコレクション。E2系新幹線とD51蒸気機関車、EF81電気機関車。
EF81には北斗星に使用していた24系25型寝台車4両が連結されています。
中に入れます。隣に発電機が設置されており電源を引っ張っているため、車内灯は点灯され自動ドアも稼働しています。やはりこのB寝台の狭さが落ち着く。
こちらはロビーカー内部。こう言うのってバブルの時代を感じますね。鉄道にもよく分からない余裕みたいな物があった。
こちらは国鉄のキハ35系を払い下げて関東鉄道常総線で使用されていた気動車。2017年まで走っていたそうです。
鹿島臨海鉄道を走っていたリゾート列車、マリンライナーはまなす。1992年から1998年まで運用され、定期運用が無くなってからは休車状態のまま2015年正式に廃止されました。バブル崩壊後、大洋村などで行われていた別荘地乱開発ブームが都市計画区域指定によって終焉を迎えた後に走り始めた事になるので、6年間しか活躍出来ませんでした。
こちらはグライダー模型飛行機館。
プラモデルじゃないと思うのですが、どうやって作ったのか。いや、そもそもこんなマニアックな機体、プラモで発売されている訳ないし。
これなんか宮崎駿が大好きそうなヤツですよ。日本も巨大な爆撃機を造っていましたが、ターボエンジンが無かったためB-29みたいに1000mを超える空気の薄い高高度を飛べなかったとか。と、昼メシ食べた時のラーメン屋の爺ちゃんが教えてくれました。
て言うかマニアック過ぎます。変態的な機体ばかりです。
科博廣澤航空博物館。この棟だけ独立しており、国立科学博物館と共同でこの科博廣澤航空博物館を設立。国立科学博物館に収蔵していた航空機関連の展示物をこちらに移設したそうです。かなりガチです。
なんと言っても今回のメインディッシュは、このYS-11。昭和40年(1965年)より運用開始された日本初の国産旅客機です。現在国内では全て引退してしまいましたが、この機体は運輸省でちよだIIとして運用されていた量産初号機だそうです。
南極観測隊で使用されたシコルスキーS-58のヘリも展示されています。アメリカのシコルスキー社のヘリですが、昭和30年代に三菱重工がノックダウン生産(組み立て)してしまいました。この機体は1956年から1962年まで初代南極観測船を務めた宗谷に搭載され、船から陸地まで物資をピストン輸送していたそうです。
アメリカのベル47ヘリコプター。1947年から1976年まで川崎重工でライセンス生産されていました。図鑑とかそう言うのでしか見た事なかったですが、トンボみたいな見た目は強烈です。
ヘリコプターと一緒にソーラーカーも置いてます。90年代にソーラーカーレースで見た事のあるホンダのソーラーカー。どう見てもフナムシ。
こちらは宇宙館に展示されているカッパ(Κ)ロケット。固体燃料ロケットってギリシャ文字で表記されます。なのでイプシロン計画とか……なんかカッコいい。厨二病っぽいけど。
固体燃料ロケットは屋外にも展示されています。ロケットをバックにティータイムも楽しめます。なかなかシュール。
なんかひたすら乗り物の写真ばかりになってしまいましたが、展示物全部撮ってもキリがない。と言う訳でやっと終盤。自動車部門です。クラッシックカー博物館は特に惹かれる物やマニアックな物が無かったのでスルーします。別にヒロサワシティを紹介する訳ではなく、ただ珍しい物や懐かしい物を見て浮かれているだけなので。
最後に消防自動車博物館。展示物の数や内容の厚さから言って、ここがヒロサワシティのメインと言っても過言ではないと思います。
昭和47年製のいすゞTD70E。まさに子供の頃に見ていた消防車はこの辺の時代の物です。
いすゞTXD10型は昭和39年(1964年)にモデルチェンジされたTXシリーズの最終型で、後にキャブオーバータイプ のフォワードにモデルチェンジされる。この車両は昭和49年(1974年)青森市消防団に配置され、平成19年(2007年)に退役したそうです。ボンネット型はボンネットバスのイメージが強いですが、当然トラックや消防車にもあった訳です。
昭和44年(1969年)製の日産FR40。ホイールベースの短い中型車で狭い路地なんかにも入って行けたそうです。
ボンネット愛が止まらない。この辺から飽きてきた読者が離れて行ってるような。昭和18年(1943年)製のトヨタKB。まさに戦時中、東京大空襲に備えて大量配備が進められた消防車で、この車両は戦時下の品川消防署に配備され、戦後は麹町消防署、上野(下谷)消防署、茨城県土浦消防団と転々と渡り歩き、昭和48年(1973年)まで活躍したそうです。
ダイハツのオート三輪消防車。こんなのまで有ったとは。
運転席はバイクタイプなので、ミゼットなどよりも前の時代の物ですね。
日本造機株式会社が昭和32年(1957年)に製造した三輪消防車。ボディは長野の鉄工所が製作したオリジナルで、長野県旧臼田町(現・佐久市)消防団で活動したそうです。
サイドカー消防車。もう何でもアリですか。しかも伝説のバイク、陸王ですよ。サイドカー部分は大正13年製で当時ハーレーダビットソンのバイクにくっ付いていましたが、昭和11年にバイク部分を陸王に交換したそうです。
ミニカー館には大量な消防車のミニカーも。もはやここまで来ると狂気を感じる。
一日では回りきれないって人のために宿泊できるコテージもあります。利用する人いるのか?
ともあれ、簡潔に言えば究極のコレクター集団と言った感じで、コレクションだけあって思い入れや嗜好の偏りも感じられます。B級とは言い切れないほどちゃんとしてるし、ただ博物館と呼ぶには好みが出過ぎってところもある。そんな訳で、ここは面白かった。