保存車両

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茨城県筑西市(2)、ザ・ヒロサワ・シティ

以前から気になっていたザ・ヒロサワ・シティ。2月11日にリニューアルオープンしたとの情報を聞き、早速下館に再訪。

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ちょっと遅めに出たので下館に着く頃には昼になってしまいました。駅前に何も無いと前回知ったので不安を抱えながら稲荷町を歩いていたら、営業しているかどうか分からないような中華料理屋の筑波軒さんが。

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思い切ってドアを開けたら営業してました。これがまた激渋も激渋。メニューなんか中華そばとワンタン麺しかない。

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ワンタン麺550円。美味い!
話好きなお爺ちゃんが一人で切り盛りしていました。

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さて、ヒロサワシティは特に平日、路線バスの本数が数本しかありません。辛うじて筑西市メディカルセンターまでバスで行ってそこから歩きで辿り着きました。

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ザ・ヒロサワ・シティは下館の南東部に100万平方メートルの土地を持ち、美術館、テーマパーク、バーベキュー場、宿泊施設、社会福祉系の専門学校、ゴルフ場などを展開する広沢グループの施設です。元は金属プレスや精密金型を製作していた広沢製作所だそうです。

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要は土地を持ってる茨城の有力者が、趣味の延長でテーマパークを作ってみました的な。とは言えちゃんとやり切ってる感があります。こちらは美術館。定期的に展示物を変えるくらい徹底しています。

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敷地にはテーマパークやパークゴルフなどの有料エリアと美術館や博物館などの無料エリアがあります。広い敷地を歩いていると寺内タケシ記念館。
て、寺内タケシて、寺内タケシとブルージーンズの!
古っ! エレキの若大将じゃないですか!
小学生の頃学校行事で小田原市民会館連れてかれて無理矢理見せられた記憶がございます。恐らく校長が好きだったんだろうなと言う。

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寺内タケシ記念館は扉が閉まっていたので、あえて扉を開きませんでした。こちらは併設されている展示室ですが、昔のオーディオ機器とカメラなどが展示されています。

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真空管ラジオなど貴重なものばかり。展示されているのは個人のコレクションであり、要はコレクターが寄贈、実際は貸す形で、多くの人に見てもらおうと言う事だと思います。

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ホンダのバイクミュージアム。昔のバイクが展示されています。

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ホンダのバイクが大好きな方のコレクション。こちらはホンダジュノオ。昔のスクーターですがカッコいいなぁ。

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ザ・マザーロードパーク。アメリカのルート66に関するコレクション。ちょっと何言ってるのかよく分からないのですが。

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さて、ここから有料エリアに入ります。ここは2024年2月11日、この前の日曜日に大幅なリニューアルをされてオープンしました。テーマパーク、ユメノバ。入場料2500円!

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まずは鉄道のコレクション。E2系新幹線とD51蒸気機関車、EF81電気機関車。

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EF81には北斗星に使用していた24系25型寝台車4両が連結されています。

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中に入れます。隣に発電機が設置されており電源を引っ張っているため、車内灯は点灯され自動ドアも稼働しています。やはりこのB寝台の狭さが落ち着く。

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こちらはロビーカー内部。こう言うのってバブルの時代を感じますね。鉄道にもよく分からない余裕みたいな物があった。

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こちらは国鉄のキハ35系を払い下げて関東鉄道常総線で使用されていた気動車。2017年まで走っていたそうです。

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鹿島臨海鉄道を走っていたリゾート列車、マリンライナーはまなす。1992年から1998年まで運用され、定期運用が無くなってからは休車状態のまま2015年正式に廃止されました。バブル崩壊後、大洋村などで行われていた別荘地乱開発ブームが都市計画区域指定によって終焉を迎えた後に走り始めた事になるので、6年間しか活躍出来ませんでした。

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こちらはグライダー模型飛行機館。

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プラモデルじゃないと思うのですが、どうやって作ったのか。いや、そもそもこんなマニアックな機体、プラモで発売されている訳ないし。

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これなんか宮崎駿が大好きそうなヤツですよ。日本も巨大な爆撃機を造っていましたが、ターボエンジンが無かったためB-29みたいに1000mを超える空気の薄い高高度を飛べなかったとか。と、昼メシ食べた時のラーメン屋の爺ちゃんが教えてくれました。

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て言うかマニアック過ぎます。変態的な機体ばかりです。

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科博廣澤航空博物館。この棟だけ独立しており、国立科学博物館と共同でこの科博廣澤航空博物館を設立。国立科学博物館に収蔵していた航空機関連の展示物をこちらに移設したそうです。かなりガチです。

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なんと言っても今回のメインディッシュは、このYS-11。昭和40年(1965年)より運用開始された日本初の国産旅客機です。現在国内では全て引退してしまいましたが、この機体は運輸省でちよだIIとして運用されていた量産初号機だそうです。

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南極観測隊で使用されたシコルスキーS-58のヘリも展示されています。アメリカのシコルスキー社のヘリですが、昭和30年代に三菱重工がノックダウン生産(組み立て)してしまいました。この機体は1956年から1962年まで初代南極観測船を務めた宗谷に搭載され、船から陸地まで物資をピストン輸送していたそうです。

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アメリカのベル47ヘリコプター。1947年から1976年まで川崎重工でライセンス生産されていました。図鑑とかそう言うのでしか見た事なかったですが、トンボみたいな見た目は強烈です。

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ヘリコプターと一緒にソーラーカーも置いてます。90年代にソーラーカーレースで見た事のあるホンダのソーラーカー。どう見てもフナムシ。

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こちらは宇宙館に展示されているカッパ(Κ)ロケット。固体燃料ロケットってギリシャ文字で表記されます。なのでイプシロン計画とか……なんかカッコいい。厨二病っぽいけど。

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固体燃料ロケットは屋外にも展示されています。ロケットをバックにティータイムも楽しめます。なかなかシュール。

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なんかひたすら乗り物の写真ばかりになってしまいましたが、展示物全部撮ってもキリがない。と言う訳でやっと終盤。自動車部門です。クラッシックカー博物館は特に惹かれる物やマニアックな物が無かったのでスルーします。別にヒロサワシティを紹介する訳ではなく、ただ珍しい物や懐かしい物を見て浮かれているだけなので。

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最後に消防自動車博物館。展示物の数や内容の厚さから言って、ここがヒロサワシティのメインと言っても過言ではないと思います。

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昭和47年製のいすゞTD70E。まさに子供の頃に見ていた消防車はこの辺の時代の物です。

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いすゞTXD10型は昭和39年(1964年)にモデルチェンジされたTXシリーズの最終型で、後にキャブオーバータイプ のフォワードにモデルチェンジされる。この車両は昭和49年(1974年)青森市消防団に配置され、平成19年(2007年)に退役したそうです。ボンネット型はボンネットバスのイメージが強いですが、当然トラックや消防車にもあった訳です。

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昭和44年(1969年)製の日産FR40。ホイールベースの短い中型車で狭い路地なんかにも入って行けたそうです。

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ボンネット愛が止まらない。この辺から飽きてきた読者が離れて行ってるような。昭和18年(1943年)製のトヨタKB。まさに戦時中、東京大空襲に備えて大量配備が進められた消防車で、この車両は戦時下の品川消防署に配備され、戦後は麹町消防署、上野(下谷)消防署、茨城県土浦消防団と転々と渡り歩き、昭和48年(1973年)まで活躍したそうです。

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ダイハツのオート三輪消防車。こんなのまで有ったとは。

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運転席はバイクタイプなので、ミゼットなどよりも前の時代の物ですね。

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日本造機株式会社が昭和32年(1957年)に製造した三輪消防車。ボディは長野の鉄工所が製作したオリジナルで、長野県旧臼田町(現・佐久市)消防団で活動したそうです。

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サイドカー消防車。もう何でもアリですか。しかも伝説のバイク、陸王ですよ。サイドカー部分は大正13年製で当時ハーレーダビットソンのバイクにくっ付いていましたが、昭和11年にバイク部分を陸王に交換したそうです。

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ミニカー館には大量な消防車のミニカーも。もはやここまで来ると狂気を感じる。

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一日では回りきれないって人のために宿泊できるコテージもあります。利用する人いるのか?
ともあれ、簡潔に言えば究極のコレクター集団と言った感じで、コレクションだけあって思い入れや嗜好の偏りも感じられます。B級とは言い切れないほどちゃんとしてるし、ただ博物館と呼ぶには好みが出過ぎってところもある。そんな訳で、ここは面白かった。

茨城県つくば市(1)、エキスポセンターと保存車両

いや暑い。今の時期外を出歩くもんじゃ無いですね。

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2006年に開通したつくばエキスプレスの終点、つくば駅に参りました。開業からもう17年も経ちますが、最高時速130キロ近く(表定速度103km/h)で秋葉原まで快速で45分と言う利便性から沿線も発展し、開業に掛かった費用を前倒しでペイしたとか。

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つくば駅の北にエキスポセンターがあります。ここは1985年に開催されたつくばエキスポ85、科学万博の資料が保存されています。

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ひときわ目を引くのがこのH2ロケット(レプリカ)。鉄筋コンクリート造です。そりゃそうです。ロケットは基本使い捨てで、倒れないよう鉄骨で建っているわけですから。ちなみにこの実物大レプリカは横浜博覧会より移設されたとか。手前に写るのはつくばエキスポ85のマスコットキャラクター、コスモ星丸。

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ちなみにこちらがH2Aロケットの実物。H2ロケットは2001年より打ち上げられておりますが、改良版のH2Bロケットも含めれば55回中54回成功しており、いまだ現役だそうです。日本の固体燃料ロケットの技術は世界トップレベルです。ちなみにアメリカの液体燃料ロケットはゆっくりと加速するので人も乗れます。

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なんか学芸会のハリボテにしか見えませんが、これは海洋観測衛星もも1号です。もも1号は1987年、N2ロケットにより打ち上げられました。宇宙空間と言う特殊な環境では、ここまでも外観が変わってしまうのかと。ちなみに地球観測衛星は南北の軌道を縦に飛んで地球全体を観測し、ひまわりのような日本上空に留まり日本列島だけを観測し続けるのを静止衛星と呼びます。余談ですが静止衛星は東へ打ち上げ、地球観測衛星は南へ打ち上げるそうです。その点南東を太平洋に面した日本の種子島は、世界的にも稀な衛星打ち上げの好立地だと、何かの記事で読みました。

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いきなり南極観測隊。エキスポセンターでは科学全般を展示しております。南極観測隊の雪上車は松戸市の昭和の杜博物館で見て以来です。

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やっぱり運転席はかっこいい。灰皿完備であります。この車両は1988年より2011年まで使われておりました。物持ちがいい。と言うか数年で車を買い替える現代の消費社会が異常なのか。

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つくばエキスポセンターは科学に関するあらゆる物が展示されており、夏休みの子供たちでごった返しておりました。夏休みの自由研究にはもってこい。

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それよりも、つくばエキスポ85が懐かしい。実際私は当時高1だったので万博には行きませんでしたが。万博と言えば私の場合、小学生の頃に行ったポートピアですね。

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万博当時の街の模型。この跡地が現在のつくばの中心街となります。

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さて今回の目的地、エキスポセンターの北東にあるさくら交通公園。D51型蒸気機関車が保存されております。

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このD5170は昭和12年に造られ広島や姫路で走り、その後昭和50年まで北海道で活躍していました。この踏み切りの再現力とか、なかなかこだわりが見えますね。

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踏み切りや腕木式信号機など、ちゃんと実物を使っております。

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そして一番見たかったのがこれ。国鉄夜行高速バスのドリーム号。

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このリベットがたまらない!

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このバスは国鉄により東名高速道路用として設計され、昭和44年2月に第1号として日野自動車で造られた日野RA-900P型。国鉄では747形旅客自動車と呼称されていました。私が産まれた頃です。東名高速道路が全通した同年6月に開業した夜行バスの草分けです。

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ピンボケですが子供の頃に撮ったこの小田急高速バスも同じシリーズかな。

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窓ガラスが汚いので内部は綺麗に撮れません。中に入りたい。

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正面と肘掛けの先端に、当然のように灰皿が完備されている。

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当時画期的だったのがこのトイレ付きと言う所。国鉄が設計したのはこう言った部分。このバスは昭和52年まで活躍しました。新幹線や夜行急行列車の銀河と並び東京〜大阪間で人々を運んだ。

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いやはや、ちょっと興奮してしまいました。

さて次回、つくば駅周辺が廃墟団地だらけだった件。乞うご期待。

埼玉県比企郡鳩山町、鳩山ニュータウンとトロッコ公園

成増で仕事が早く終わったので、とりあえず東武東上線で北へ。東松山市の高坂駅まで行ってまいりました。

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大東文化大学を通り過ぎて峠を越えれば比企郡鳩山町。高坂からおよそ15分で鳩山ニュータウンに到着。

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1970年代に販売された南東部には時代を感じさせるデザインの分譲住宅。この鳩山ニュータウンは日本新都市開発によって昭和46年より開発、昭和49年(1974年)より段階的に分譲された3000戸を超えるニュータウンです。特にバブル期には、埼玉の片田舎にしては分譲価格8000万円台から最大で1億越えと高値で売られ人気を博していたとか。

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向かいに西友が建っていますが、メインストリートの商店街はほぼシャッターが下りている。1995年のピーク時で10729人の人口を数えたニュータウンですが、以降減少へと転じ、2020年には7018人にまで減少。もちろん少子化もありますが、特にここ10年で一気に過疎化、高齢化が加速しており、2015年の段階で65歳以上の高齢者の割合がすでに44.1%に達していたそうです。

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高坂までおよそ10分毎に運転されているバスで15分、高坂駅から急行で池袋まで1時間弱。和光市から地下鉄副都心線や有楽町線にも乗り換えられる。全然通勤圏内とは思いますが、ここで産まれ育った子供たちが大人になり、自然豊かなベットタウンを捨て都心に移住しているようです。親の金でいい大学に通い、一流どころに就職して小金持ちになったら豊洲辺りのタワマンに住んでみたりとか。

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昭和世代にとっては夢のマイホームだったろうに、結果中古販売価格が分譲時の3〜5分の1程度にまで下落。平均販売価格は600万円台にまで落ち込み、特に初期に販売された駐車場無しの物件に至っては売るに売れないのが現状だとか。そうなると相続問題とか空き家問題とか、そう言ったものが起きて来ます。これは鳩山ニュータウンに限った問題ではなく、郊外のニュータウンではよくある話です。

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ちなみに日本新都市開発は経営者の団体が作り上げた不動産会社で多くの一流企業が共同出資していました。しかし出資企業からの出向やら天下りやらが経営していたもんだから2003年に特別精算。不動産事業を引き継いだ子会社も2009年に倒産しています。

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ニュータウンの西側の小高い丘にトロッコ公園があります。その自然豊かな遊歩道を歩いて行くと、トロッコの保存車両が。

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ここは銀河鉄道の夜を模した施設と言うか、オブジェの様な形で展示されています。決して廃線跡ではなく線路もホームも造られた物で、銀河ステーションという駅名になっています。

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この機関車は佐野市葛生の石灰鉱山の中の、駒形石灰工業で活躍していた加藤製作所製のガソリンカーです。駒形石灰工業は現在でも葛生の会沢地区や大釜地区で石灰を産出しています。

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去年の秋ごろまでは放置され、錆も多くボロボロだったのですが、町内会の有志たちの手によって、綺麗に化粧直しされました。エンジンもアクリルで見えるように。いや、個人的には、本当に個人的にはなんですけども、こんなレモン色に塗られる前の錆々の姿に出会いたかった。過疎化に悩む町内会の方々の気持ちも分かりますが……

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連結されている貨車は前から駒形石灰工業、秩父の三峰石灰工業、会津地方の陶器工場、長野県営林局玉滝営林署と、それぞれ各地方から集められて来ました。これは軽便鉄道マニアの仕業ですね。

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すぐ近くにこんな落ち着ける場所があると言うのは、住環境としては素晴らしいと思います。

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公園の遊歩道には合計4箇所の駅が点々と設置されています。銀河ステーションから北に歩いて白鳥の停車場。線路とホーム、それに踏み切りだけがあります。

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途中にはキロポストもあり廃線跡感を演出。道はよく管理されており歩きやすいです。

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さらに北へ遊歩道を進むと鷲の停車場。こちらにはポイント表示器があります。辺りは静寂に包まれており、散歩するには非常に落ち着くコースです。

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鳩山高校のグランドを左手に見下ろしながら歩き最後に階段を降りると天の川ステーション。遊歩道はここまでとなります。

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ここに保存されているのは秋田県の同和鉱業小坂鉱山で使われていたバッテリーカー。こう言った車両は狭くて排気ガスも出せない坑道内などで使われていました。トロッコについては以前訪れた足尾銅山の足尾歴史館に行くと勉強になるし全国から掻き集めたトロッコたちを見る事が出来ます。

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連結されているのは1両目に京都府亀山の大谷鉱山で使われていた木製トロッコ。2両目と3両目には長野県塩尻駅の製材場で使われていたもの。よくぞ掻き集めたって感じです。あるいはここの北側にかつてあった秩父鉱業及び日本セメント(現・太平洋セメント)東松山採掘場(今はゴルフ場)の関係者の仕業か。
その採掘場跡までは高坂駅より専用線の廃線跡があり、現在では遊歩道となっています。その辺りはまたいずれ機会を見て訪れたいところ。

埼玉県熊谷市、東武熊谷線廃線跡と未成線

東武熊谷線はかつて旧国鉄熊谷駅から北上し、利根川の手前の妻沼(めぬま)まで走っていたローカル線です。昭和18年開業、昭和58年廃止。

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始発の熊谷駅と次の上熊谷までは秩父鉄道と高崎線に挟まれるように走っており、駅及び線路は秩父鉄道に借用していました。プラットホームも秩父鉄道と共用していたため、当時の痕跡はほとんど残っておりません。

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この東武熊谷線、戦時中に国鉄高崎線の熊谷駅と中島飛行機(現・スバル)小泉製作所のある仙石河岸までを繋ぎ、さらには太田市の工場までを繋ぐ目的で軍の命令によって建設されました。開通が急務だった上に資材も不足していたため、駅と線路の一部を秩父鉄道から借用する形となった訳です。

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昭和18(1943)年、熊谷から妻沼までが開通。しかし第二期工事の妻沼から利根川を越えて新小泉までの区間が開通する前に終戦を迎え、工事は凍結されてしまいました。廃線跡の大部分は現在一般道路となっております。

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結果、東武熊谷線は離れ小島の状態のまま旅客営業を始めます。当初は蒸気機関車による運行でしたが、昭和29(1954)年、東急車輌製の気動車キハ2000形が導入され一両編成のディーゼルカーによる運行となります。

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しかし元々軍の貨物輸送用に施設された路線。直線的な線路は散在する集落を無視するように走ります。上熊谷で秩父鉄道から分岐し北上し、妻沼に着くまでのおよそ9キロの間で大幡駅があるのみ。旅客営業としては利用者も少なく開業当初から赤字が続きます。

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この車両は昭和58(1983)年の廃止までの約29年間活躍しました。結局総延長10キロの間に始発終着含めて4駅しか無かった熊谷線に対して、現在熊谷から妻沼まで朝日交通の路線バスに乗れば、25ものバス停があります。この利便性の違いも廃止の要因と言えましょう。

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旧妻沼駅近くにある町中華。やっていたら入りたかったのですがすでに廃業。妻沼駅の痕跡は残っておりませんが、この辺りが駅前通りだったのかも知れません。

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熊谷線の西側を走る旧道は県道太田熊谷線。かつての日光街道の脇往還でした。利根川を渡る河岸としても古くから賑わいを見せ、現在でも刀水橋が熊谷と太田市を結ぶ幹線道路となっています。

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また妻沼は妻沼聖天山の門前町としても栄えていました。

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利根川の北岸(群馬県)から対岸の妻沼を望む。かつてここから正面に向かって真っ直ぐ橋脚が並んでいました。熊谷線が利根川を渡るべくトランス橋も全国から掻き集める算段も立ち、開通する直前まで工事が進んでいたとか。

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ここからは群馬県大泉町になります。妻沼から仙石河岸までの未成線区間唯一の遺構。利根川上の橋脚たちは昭和54(1979)年に解体されましたが、この一本だけが残されました。

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もし小泉まで開通していたら状況は変わっていたかも知れません。電化されたかも知れませんし、スバルを始めとする周辺の工場から熊谷までの貨物輸送も発展したかも知れません。

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しかし結局熊谷線は東武鉄道の飛び地のまま。また旅客区間で唯一の非電化区間だったため、熊谷線だけのために気動車のメンテナンス設備や技術を必要とし、それでいて赤字路線だったために採算が合わず、廃止となったのは当然とも言えます。

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昭和15(1940)年、現在の西小泉駅に中島飛行機の組み立て工場である中島飛行機小泉製作所が建設されました。それに伴い昭和16年、太田から東小泉までが開通し、館林から利根川の手前の仙石河岸駅まで走っていた既存の小泉線と合流。これが利根川を越えて東武熊谷線と繋がる予定でした。

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東武小泉線の東小泉から盲腸線のように伸びた終着駅、西小泉。熊谷線とは繋がらなかったものの、戦後小泉製作所の跡地に建った三洋電機の工場(現在は買収されパナソニックの工場)があり、西小泉駅は旅客、貨物共に大きな役割を果たして来ました。また当時は15000人が働く冷蔵庫生産の一大拠点でした。
熊谷線は戦後、西小泉までの延伸計画の他、熊谷から南下し東武東上線の東松山までの延伸も検討されていたとか。もし実現していたら、太田や足利、伊勢崎、あるいは館林や佐野から池袋まで一本で行けるなんて事になっていたかも知れません。


千葉県松戸市、昭和の杜博物館、ガラクタの中から宝探し

※注 今回は色々な意味でかなりマニアックな話になっています。写真の点数も多く飽きてしまうかも知れません。

昭和の自動車が展示されている博物館と言えば、自分としては20代の頃に通い詰めた御殿場のスポーツカー博物館、フェラーリ美術館、箱根のポルシェ博物館で有名な松田コレクションでしたが、そのいずれも現在では閉館となっているらしいです。ショックです。

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最近では数年前に訪れた栃木県真岡市にあるサムライ刀剣博物館のオーナーのコレクションで、昔の車に興奮しました。そして先日訪れたのがここ、千葉県松戸市にある昭和の杜博物館。

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ここにも貴重な旧車が数多く展示されています。例えばスバル360とか。

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いすゞベレットとか。この辺はまだ序の口。

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そして現れたのがランチアのガルウィング、ミザール。この車の存在は知りませんでした。それもそのはずミザールは1974年トリノモーターショーで発表されたコンセプトカーなのだとか。つまり世界で一台。て言うか、そんなもんどうやって手に入れた⁉︎

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この内装が全てコールテンのような布張りで衝撃的。革じゃないんだ。ジョヴァンニ・ミケロッティによるデザイン。ジウジアーロとかピニンファリーナ、ベルトーネなどの有名どころは知ってましたが、主に50〜60年代に活躍していたと言うミケロッティの存在は知りませんでした。なんとマニアックな!

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展示車両を全て載せていたらキリがないのでそこそこにしますが、日野のリアエンジン車、コンテッサもまたかなりのマニアック。こちらも実はミケロッティのデザインだったそうです。

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ガレージの奥には消防ポンプなんかが無造作に置かれてます。個人のコレクションとして、とにかくなんでも集めまくったようで。

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ただここは普通の旧車だけでは収まりません。異彩を放つこの車両は南極観測隊の雪上車。昭和63(1988)年から平成22(2010)年まで活躍していた車両だとか。

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この南極観測隊向けの雪上車は、新潟県長岡市にある町工場の大原鉄工所のみで造られているとか。ドアには鉄道車両で見たような灰皿。咥えタバコで南極大陸を疾走とか超カッコいいんですが!

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三輪オートなんて普通過ぎて雨晒しですよ。て言うか後ろに日立電鉄の車両が見切れています。

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日立電鉄の廃車両と言えば今年の頭に鉾田市の廃車両を見に行きました。今年の締めでまた日立電鉄と出会えるとは。て言うかさらに後方にセスナ機が見切れていたり。

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何かの戦闘機の燃料タンクが転がっていたり。

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そして何かのエンジンみたいな物が置いてあったり!

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さらにこのソーラーカー。私が20代の頃、どっかのサーキットで開催されていたソーラーカーレースを取材した事があったのですが、確かその時この車に出会っていたような気がします。昔のフィルムとか整理したら出て来るかも知れない。現代は電気自動車の時代ですが、当時は今のような優れたバッテリーが開発されるとは思ってなかったので、ソーラーパワーに未来を見出していました。これがまた結構速いんです。

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もうポルシェとか、どうでもよくなって来た。

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屋内で大切に展示されているのは映画「三丁目の夕日」にも貸し出されていたダイハツミゼット。

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ダットサンブルーバードが3連チャン。これらも三丁目の夕日に出演。

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富士重工のラビット。ベスパみたいなメジャーなスクーターは展示されておりません。昭和感溢れるデザインが素敵。

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傍らに目をやれば無造作に置かれたポータブルテレビ。

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ブリキの玩具なんかも多く展示されています。左下のスカイライナーに目を奪われる。

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とにかくここにはテーマなんて有りません。強いて言うなら昭和。それを言ったら当ブログも似たような物で、自分の好きな物を好きなように訪れており、昭和って以外に一貫したテーマなんて有りません。

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一応一般来場者のウケ狙いで石原裕次郎コーナーなんてのもあります。

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その脇には70〜80年代のシングルレコードの数々。

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プラモデルなどの模型が展示されている部屋。中央には50分の1スケールの米空母ホーネット。B-25を艦載しているのは史実に基づいていますが、縮尺がちょっと合っていない。

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ドルニエとかユンカースのプラモ、昔作ってました。特にユンカースのジュラルミン波形外板(コルゲート)が私のツボ。多分誰が訪れてもそれぞれのツボがカバーされている。

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ミグ21(第三世代以降)は特に好きで5機ぐらい買って、それぞれ違う塗装とデカールを貼って(フィンランド、エジプト、イラク、ベトナム、東ドイツ)並べていました。そしてさりげなく置かれているバルキリー。「なぜここに」というツッコミはここでは通用しません。

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ミニカーなども数多く展示されています。トヨタSERA! 今年笠間で実物見たな。

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サンダーバードはもうちょっと上の世代になります。しかしこのサンダーバードのパッケージイラストを描かれている小松崎茂先生(1915~2001年)の展覧会が行われています。

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この貴重な原画の数々は、松戸にあった昭和ロマン館という美術館で常設展示されていましたが、東日本大震災によりその昭和ロマン館は閉館。そこでここ昭和の杜博物館に移され展示されているとか。

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この小松崎茂先生は空想科学イラストの第一人者であり、このようなイラストは私も幼少期に図鑑などでよく目にした記憶があります。

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私が特に目を奪われたのはこの作品。当時はモノレールが未来の乗り物の代表格でした。地上には都電が走りビルの屋上には不二越ビル屋上にあった森永の地球儀ネオン看板。つまりここは晴海通りで銀座4丁目交差点である事が分かります。さらによく見れば月島行と描かれている。このモノレールは有楽町から月島行くんだー。後に地下鉄有楽町線が月島方面への足を実現する事となる。

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すでにレインボーブリッジを予言してます。多分ゴールデンゲートブリッジみたいな物が日本にも出来ると妄想されていたんでしょう。右奥には東京タワー(?)、と言う事はここはやはりお台場? 下にちっちゃいバスみたいな物が描かれていますが、高架線を走るのは結局ゆりかもめでした。

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氏の活躍は多岐に渡り、紙面やプラモのパッケージだけでなく、このようなグッズにも描かれていました。また、代表的な仕事として東宝映画『海底軍艦』の轟天号のデザインもされていたとか。言われてみれば確かに「ぽいっ」。

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戦艦大和のプラモデルパッケージ。これ、小さい頃親にねだって買って貰った記憶が。思えば幼少期から数多くの小松崎茂作品に囲まれて育っていました。なのにその名前自体、今回初めて知る事となりました。

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戦争イラストの数々。氏の作品には、石ノ森章太郎、ちばてつや、藤子不二雄、松本零士など、名だたる漫画家達に多大なる影響を与えたそうです。ただ、氏はあくまでも挿し絵師であり、ストーリー漫画としては13歳後輩の手塚治虫氏が第一人者となります。

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しかし現在、諸事情により小松崎茂常設展がいつまで続けられるか分からないとの事。観るなら今。今しかないのです!

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なんか興奮し過ぎて疲れました。外の空気でも吸おうと外階段を2階に昇れば、スペースシャトルが見下ろせます。もちろん実物ではなく、どこから持って来たのか巨大なオブジェ。

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気を取り直して2階展示室。骨董品を中心に展示、と言っていいのかどうか。

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だって鉛筆削りとかあるし!

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昔のタバコのパッケージ。こう言うのは集めている人も多いかも知れません。

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が、歯磨き粉のパッケージは集めている人いないでしょう。何でも捨てずに取っておくと言う事ですが、まさにガラクタ。なのに数を集めて展示されると立派な展示物となります。消費社会に対して物を大切にしようと言うコンセプトがあるのですが、ただ捨てないと言う意味ではなく、大切に使い続けると言う事。

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ウインカー(箱付き)。もうこんな物、世の中でここにしか残ってない代物なんじゃないのか。

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なんか爺ちゃんちの棚とかに無駄に飾られているようなウイスキーの瓶。ここはカオスの一言では語り切れない物があります。

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民芸品を中心に収められている小屋に入りました。

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民芸品に紛れてワープロ、スライド映写機、顕微鏡、あとよく分からない機器たち。

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銚子電鉄を走っていた、地下鉄銀座線から払い下げられた車両。ちなみにこれらの、敢えて良い意味で尊敬の念を込めてガラクタと言わせて頂きますが、集められていたオーナーは亡くなられ、現在財団法人として学芸員を迎え保存されています。
とにかくコレクションの数が多過ぎて整理しきれないのが現状ですが、それが逆に玩具箱をひっくり返した中から宝探しをするような感覚で、超楽しい!
他人にとってはガラクタでも自分にとってはお宝、そんな物と出会える施設でした。ここは何回訪れても新しい発見がありそうです。

■昭和の杜博物館
 千葉県松戸市紙敷1377
 047-369-7870
 北総線(スカイアクセス線)秋山駅より徒歩16分
【地図】
 https://maps.app.goo.gl/tuiJ1bGpDx5zsag87?g_st=ic
【営業日】
 令和4年年内は12月18日(日)のみ。
 令和5年1月より第2・第4土・日のみ営業。
【営業時間】
 10:00~16:00 (最終入場15:00)
 館内展示のみ300円の入場料が掛かります。

※館内の展示物は全て撮影可能ですが、もちろん商用目的などはモラルとしてダメです。
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