保存車両

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千葉県成田市、空港シャトルシステム(保存車両)

成田空港は何度か利用したことがありますが、とにかく広すぎて歩かされまくって、二度と使うもんかと毎回思います。スカイライナー新線も開通したので埼玉方面からだと所要時間こそ羽田と大差無いですが、成田空港内でバス移動したり歩いたりで結局時間ばかり掛かって不便。

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そんな飛行機に乗る以外用事のない成田空港に来ました。第一ターミナルのバス停も関東一円大抵の所に直行便が出てるため、バス停の数がやたら多く無駄に広い。三里塚方面へ向かう路線バスの停留所は一番奥にあり、やはり歩かされる。

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今回の目的地の一つ、航空科学博物館。
が、しかし、なんと月曜日は休館日!
ちゃんと調べてから来れば良かった。また日を改めて来ます。

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付近は分水領であるため大きな川は無く、水源のある湿地帯や沼などが点在しております。

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元は宮内庁御料牧場の跡地を中心に成田空港の建設が建設されたのですが、その際周辺の農村地帯も買収されました。いわゆる三里塚闘争の始まりです。

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飛行機の離陸でも撮ってやろうかと思いましたが、新型コロナの影響で欠航だらけ。特に第一ターミナル発着が多い国際線は、ただでさえ羽田に取られて便数が減ったところに欠航続きで、いくら待っても飛行機が飛びません。確かに、JALやANAの機体がやたら停まってます。

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第二の目的地、成田空港シャトルシステムで使用されていた車両が保存されているバーベキュー場へ。

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このシャトルシステム、空気圧で車体を0.1mm浮上させてワイヤーで引っ張るという空気浮上方式新交通システムでした。リニアでは無く、ゆりかもめ的な物でも無く、とにかくワイヤーで引っ張る!www

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この新交通システムは成田空港第二ターミナル開業の平成4年12月から平成25年9月まで運行されていました。当時飛行機に乗った事の無かった私は全く知りませんでした。現在は空の駅風和里BBQガーデンという施設で保存されています。

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第三の目的地、三里塚御料牧場跡。
が、しかし、ここも月曜日が休館日!

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開いてたら皇室専用防空壕の内部も見学出来たのに。やはり成田はもう一度訪れる必要があります。

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結局シャトルシステムだけで終わるのもなんなんで、成田駅周辺を軽く散策。少し歩くとすぐ廃墟。しかし右下をよく見てみれば……。

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猫が!

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成田山新勝寺には正月ぐらいしか人が来ないでしょう。私は一度も行った事がありません。京成成田駅から参道への道、お土産屋さんでも有ったのでしょうか。

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JR成田駅から続く参道は綺麗に整備され、電線も地中埋設になっていました。近年メディアで参道の名物である鰻屋さんなどが紹介され、観光地として盛り上がりを見せています。

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一本裏の通りに入ると老舗の料理屋が。成田山詣での団体客が二階の座敷で食事をする、そんな時代を想像できます。

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その食事処東洋さんの左下には、パブ・スナック東洋が。これは渋い!まだ営業されているんでしょうか。やっているなら夜入ってみたい。

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正月ぐらいにしか行かないとは言え、寺社の参拝客数は明治神宮に次ぐ全国第二位。参道沿いは門前町として栄えています。

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こちらはホテルか何かの廃墟でしょうか。成田山は外国人観光客にも人気があり、土用の丑の日に鰻目当てに多少観光客が来るようになったとは言え、正月しか稼ぎ時がない門前町はこの先どのように生き残りをかけて行くのか。もし来年の正月にコロナが収まっていたら、初詣に来てみてもいいかなって、ちょっと思いました。

神奈川県横浜市、磯子区滝頭の横浜市電保存館

先月訪れた際、新型コロナの影響で休館中だったため入れなかった横浜市電館に改めて行きました。

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入り口で検温と消毒をし、万が一の感染経路が判るよう住所氏名などを記載して入場します。

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入り口には架線の支柱が移設されており、根元には空襲の時に空いた穴が残ってました。

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市電館の中には五両の車両が綺麗な状態で保存されています。まずは523号車。

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昭和3年から同44年まで活躍していました。背凭れが木製ですが、彫刻など意匠に凝った造り。

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次に1007号車。これが一番好きな車両で、これに似た車両として阪堺電鉄では同じ昭和3年製造のモ161が現役で頑張っています。

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何が好きって、この木製の中間扉。開く時のガラガラって音が玄関みたいで。

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500系と同じ昭和3年から昭和44年まで活躍していたので、最初は背凭れが木製だったのかも知れません。

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車内には昭和初期の路線図も掲示されています。

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7年後の昭和11年から市電が廃止される同47年まで活躍していた1104号車。

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戦前型の車両は地方都市の路面電車で、結構普通に近年まで活躍していました。現在、阪堺電鉄以外でも走っている所は有るのかな?

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昭和22年、戦後の混乱期に製造された1311号車。まだ中間扉が木製ですが、戸袋の窓がHゴムに換えられています。

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車内も見た感じ戦前型と大して変わっていません。ちなみに横浜市電の開業は大正10年で、開業当時は愛知県の明治村に保存されているような車両でした。しかし関東大震災で壊滅的な打撃を受け、現存するのは震災後の車両のみです。

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昭和23年製造の1510号車。フロント二枚窓がいい。

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車内灯が蛍光灯になってますが、デビュー当時は白熱灯だったのでしょう。しかしこの辺りから近代的な見た目になって来ます。

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デビューは古いですが、路線図はだいぶ増えて来た時代の物。

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最後はこちら、1601号車。

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昭和32年製造で、デビュー当時から車内の蛍光灯など、高度成長期に造られた車両の代表格とも言えます。この時代の車両はまだ地方鉄道に於いて現役で頑張っています。国鉄で言えば101系近郊型電車や20系寝台と同期。
そんな訳で横浜市電保存館でしたが、歴史資料室の昔の写真など見応えは充分にありました。横浜市電は昭和37年度首都圏整備事業計画策定方針が決定したことにより、荒川線を除く都電と同時、昭和47年全廃となり、その役目を東京の都電は地下鉄に、横浜の市電は乗り合いバスへとそれぞれ譲りました。

石川県能登半島、旧・のと鉄道廃線跡(後編)

現在旧能登線のルートを代替バスが走っており駅の無かった集落にもバス停が出来て、結果的には大量輸送出来ない代わりに利便性が向上したのかも知れません。

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こちらは波並駅跡。海沿いの駅で桜並木も見事。

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無人駅ですが、もし鉄道が走っていれば素晴らしいロケーションです。

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待合室も当時のまま残っていました。富山湾沿岸の内浦地区が波も穏やかで、海岸線ギリギリを道路と線路が走っていました。ただ漁村の背後には山が迫り、このような地形ゆえに道路の拡張が難しく、一部の地域では未だに1車線道路のまま。その頃はまだ鉄道の利用価値も高かったのですが、山間部に道幅の広いバイパスが開通すると、穴水や金沢方面への人の流れが変わり、鉄道廃止の一因となりました。

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波並駅跡と藤波駅跡の間、跨線の下に廃車両が打ち捨てられています。

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この車両、NT123形気動車は元々宇出津駅に留置されていた物を、宇出津駅構内の線路の撤去、並びに構内の再開発に伴い、線路の続く限り移動されてこの場所に辿り着いたとか。辛うじて雨をしのげる跨線下を選んだのは、頑張って来た車両に対するせめてものはなむけでしょうか。

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車両の脇には2003年に開業した能登空港の広告。のと鉄道廃止までの1年半、貼られ続けていたという事でしょうか。羽田から1日2便直行便が発着することで、奥能登の発展を夢に見ていた事でしょう。

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こちらは宇出津駅跡。現在は図書館や公民館などが入るコミュニティセンターが跡地に新設されています。

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宇出津駅跡より珠洲方面に少し歩くと、トンネルの跡が残っています。

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こちらは珠洲にも近い鵜飼駅跡。現在駅舎はカフェとして再利用されています。

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鵜飼駅跡のプラットホーム。桜が咲き誇っていました。

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待合席の跡も残っています。のと鉄道の遺構はほぼ全ての駅がこのような形で残っております。

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こちらは珠洲駅跡。現在すずなり館としてバスターミナル、お土産店、観光案内所などが入り、奥能登の観光拠点となっています。

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ホームと線路は当時のまま。廃線跡では大抵全ての線路が撤去され再利用されているのですが、ここは鉄道が走っていた事を記憶しておこうと保存されています。

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駅名表示板が国鉄時代の物でしょうか。

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正院駅と終点の蛸島駅の間、一両の車両が佇んでいます。

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この車両、NT102形気動車はNPO法人のとレール・エア21に譲り受けられ、2007年を目処に体験運転の出来る動態保存を目指していました。しかし資金難やスタッフ不足によるのでしょうか、見ての通り朽ち果てております。

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しかし2019年12月、石川県珠洲市にある石川県立飯田高等学校が授業の中で行っている探究型学習「ゆめかなプロジェクト」で、「廃列車カフェを開こう!」を目標に集まった生徒達が企画し、草刈りや車内清掃などをして、二日間限定で廃列車カフェを開催しました。今年2020年4月、第2回廃列車カフェを計画していましたが、新型コロナウイルスの影響で延期。現在のこのウイルスが沈静化し元の生活が戻って来た折には、ぜひまた実現して欲しいものです。

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最後に終着駅の蛸島駅跡。

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珠洲市の東の外れにある小さな漁村で、ここより北東には小さな漁村と能登半島の先端、禄剛崎しかありません。まさに最果ての街。

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ここにも見事な桜が。のと鉄道能登線沿線の多くの駅には桜が植えられており、もし鉄道が走っていたら花見列車として立派な観光資源となった事でしょう。

石川県能登半島、旧・のと鉄道廃線跡(前編)

かつて北前船が流通の主役だった時代より鉄道の時代へと移り変わり、能登半島は果ての地となってしまいました。しかし鉄道網の発展により1935年、北陸本線の津幡より外洋に面する輪島へ至る国鉄七尾線が全線開通。その後富山湾に面する内浦地区の各漁村を結ぶべく、穴水より枝分かれして蛸島へと至る国鉄能登線が1964年に全線開通した。

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しかし人口減少や自家用車の普及に伴い赤字路線となり廃止の危機を迎えるも、国鉄がJRへと分割民営化された後の1988年、和倉温泉以北の七尾線と能登線は第三セクター形式での存続が決定。のと鉄道が発足する。写真は現在の穴水駅構内。

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当初のと鉄道は運転本数を増やすことで利便性を向上させ黒字経営に転じさせた。しかし半島の中央などに道路が整備され、モータリゼーションに少子化や過疎化の波が追い打ちをかけた結果、2001年には穴水〜輪島間が、2005年には穴水〜蛸島間が廃止されてしまいました。かつて観光列車として活躍したのと恋路号が、蛸島方面へと向かうホーム跡に留置されたまま。しかし車両はイベント会場等に再利用されています。

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今より32年前、当時19歳だった私はJR能登線からのと鉄道へと変換する場面に立会いました。写真は1988年3月24日、JR能登線最後の日。当時写真の専門学校生だった私は自分で現像やプリントをするため、モノクロ中心で撮影していました。

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どこで撮影したか記憶が定かではないのですが、藤波〜波並付近かと思われます。

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今回はその旧・のと鉄道能登線の廃線跡を巡っていきます。

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まずは沖波駅跡。無人駅でしたが待合室が残されています。

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線路の下をくぐる坂道の途中から待合室の脇を通っていきます。

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1988年3月25日、のと鉄道開業の日は地元の子供たちによる駅伝大会が催されていました。

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階段を昇ればプラットホーム。

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皆、手に手に小旗を振って新しい列車を歓迎していました。

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現在の姿がこちら。廃止より15年の月日が経ち、竹藪に覆われてしまいました。

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酔っ払ったお父さんがホームで踊り出す。当時は地域住民の方々がお祭り騒ぎで開業を祝っていました。

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今では列車も来なければ人も来ない、忘れ去られたプラットホーム。

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子供達は都会に出て老人達は亡くなられ、人々の記憶からも風化して行く。私自身も当時どこの駅で撮影したか思い出せず、ネットの画像から恐らくここだろうと予想して訪れました。

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こちらは矢波駅跡。海と集落を隔てる線路の盛り土が、堤防のようになっています。

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ホームに昇れば見事な桜並木。

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入学シーズンには新入生の子供達を送り出して行ったことでしょう。

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奥能登の未来を築くのと鉄道。残念ながらその役目は鉄道には果たせず。

後編につづく。

江戸川区葛西、地下鉄博物館

地下鉄東西線葛西駅の東側、高架下に東京メトロ地下鉄博物館があります。

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祝日は家族連れで大賑わい。まず出迎えてくれるのは丸ノ内線を走っていた昭和29年製の300系(301号)。その後400系500系900系と続きますが外観はほぼ変わらず、上京した頃は全てこんな感じの車両でした。アルミ合金の02系が登場するのは昭和63年の事です。

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懐かしい車内。小豆色だったんですよね。

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この非常灯。パンタグラフではなく足元から電力を供給される銀座線と丸ノ内線は、駅に入線する前の一瞬車内が暗くなる時があったんですよね。

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隣に置かれているのは銀座線1001号車。昭和2年、上野〜浅草間に東洋初の地下鉄が開通した時に登場した貴重な車両。

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この車両は2017年に重要文化財の指定を受けたため、特別なイベントがない限り車内には入れなくなっています。確かに元気なお子さんが多いですからね。わざわざ鋼板に木目焼き付け印刷し、木造車両にしか慣れていない乗客への配慮がなされています。またこの間接照明は演出でもなんでもなく、ずっと地下でずっと電灯の真下に立ち続けているという状況から乗客を守るための物。蛍光灯も発明されてない時代、当時の電気の普及率も87%でした。

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こちらは昭和13年製の銀座線100系(129)。最初は黄色だった銀座線も新橋〜渋谷間が開通した当時はこんな塗装でした。後の昭和23年には現在でも馴染みのあるオレンジ色になります。

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その129の運転台でマスコンを回すと、目の前の台車もモーターが回ります。唸りを上げる吊り掛けモーター!これ、マニアにはたまりません。ちなみにドアの開閉も出来ます。子供達が行列を作っていたので遠慮しましたが、見てても飽きない。

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シールド工法によるトンネル掘削の流れ。ほとんどプラントです。プラントがレールの上を少しずつ進んで行きます。

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現代のシールド工法によって造られた地下鉄の実物大の断面。とても勉強になります。

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保線用の軌道モーターカーも展示されています。他にも運転シュミレーターや鉄道模型まで、まぁここは飽きさせない。保存車両の台数こそ少ないものの、特に家族連れは楽しめそうです。
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