太田市は群馬県東部、東武伊勢崎線沿線にあります。個人的には伊勢崎、館林、足利と、どうもこの地域の位置関係がモヤモヤしていますが、それはJR両毛線が北の山沿いを走るのみで、完全に東武帝国線路網の只中であるがゆえと考えられます。

そしてここはスバルお膝元の企業城下町でもあります。また同時に太平記で鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ新田義貞ゆかりの土地でもあります。

駅前は現在大規模な再開発が進んでいるのですが、街の古さから見てかなりの範囲に渡り駅前商店街が消滅しているように思えます。

かつて駅前として栄えていた街も、その多くが取り壊されて駐車場と化しています。この太田駅北口はスバル本社(前身は中島飛行機)を中心に旧街道筋に商店街が発展していたそうです。

確かに、群馬県を自動車普及率(保有台数)全国一位に引き上げた立役者であるスバル自動車の本拠地ですから、駅前の空洞化は当然とも言えるでしょう。

路地裏飲食店街の名残りはあるものの、廃業店舗や空き地が目立ちます。

なかなか年季の入った建物。ただバラックなどは少なく、しっかりとしたコンクリート造が多い。

現在の太田駅北口は閑散としていますが、以前はこのような商店が軒を連ね栄えていたのでしょうか。初めて降り立ったので面影から想像する以外無いです。

両隣が取り壊され孤立した鰻屋さん。店頭で焼いている様子も無いのですが、一応営業中の模様。

駅から少し東に歩いて行くと古い公民館がありました。ここはかつて図書館だった建物で、県の指定有形文化財となっています。

さらに進むとパン工場が。木造建築で、英文字の看板が時代を感じさせます。

こちらの火の見櫓は真下が通り抜けられるようになっており、その先にはお寺があります。
元々は太田のご当地グルメの黒焼きそばを食べてみようと思っていたのですが、調べてみたところどの店も駅から遠すぎて歩いて行くには困難なので諦めました。しかし帰ってよくよく写真を見てみたら焼きそばの幟が。
今回はこの太田駅北口界隈を歩いてみましたが、よくよく調べてみると駅の反対側、南口に関東随一と謳われる外国人系歓楽街が広がっているとか。知らずに帰って来てしまいましたが、次回はその商店街が丸ごと歓楽街へと変貌したと言われる南一番街を歩いてみたいと思います。南口、何もないとばかり思ってました。

そしてここはスバルお膝元の企業城下町でもあります。また同時に太平記で鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ新田義貞ゆかりの土地でもあります。

駅前は現在大規模な再開発が進んでいるのですが、街の古さから見てかなりの範囲に渡り駅前商店街が消滅しているように思えます。

かつて駅前として栄えていた街も、その多くが取り壊されて駐車場と化しています。この太田駅北口はスバル本社(前身は中島飛行機)を中心に旧街道筋に商店街が発展していたそうです。

確かに、群馬県を自動車普及率(保有台数)全国一位に引き上げた立役者であるスバル自動車の本拠地ですから、駅前の空洞化は当然とも言えるでしょう。

路地裏飲食店街の名残りはあるものの、廃業店舗や空き地が目立ちます。

なかなか年季の入った建物。ただバラックなどは少なく、しっかりとしたコンクリート造が多い。

現在の太田駅北口は閑散としていますが、以前はこのような商店が軒を連ね栄えていたのでしょうか。初めて降り立ったので面影から想像する以外無いです。

両隣が取り壊され孤立した鰻屋さん。店頭で焼いている様子も無いのですが、一応営業中の模様。

駅から少し東に歩いて行くと古い公民館がありました。ここはかつて図書館だった建物で、県の指定有形文化財となっています。

さらに進むとパン工場が。木造建築で、英文字の看板が時代を感じさせます。

こちらの火の見櫓は真下が通り抜けられるようになっており、その先にはお寺があります。
元々は太田のご当地グルメの黒焼きそばを食べてみようと思っていたのですが、調べてみたところどの店も駅から遠すぎて歩いて行くには困難なので諦めました。しかし帰ってよくよく写真を見てみたら焼きそばの幟が。
今回はこの太田駅北口界隈を歩いてみましたが、よくよく調べてみると駅の反対側、南口に関東随一と謳われる外国人系歓楽街が広がっているとか。知らずに帰って来てしまいましたが、次回はその商店街が丸ごと歓楽街へと変貌したと言われる南一番街を歩いてみたいと思います。南口、何もないとばかり思ってました。