アーチ橋

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大分県豊後森〜熊本県小国町、豊後森機関庫及び旧国鉄宮原線廃線跡

旧国鉄宮原線は第一次特定地方交通線、つまり赤字ローカル線の廃止対象に選ばれ、1984年12月1日に全廃となりました。

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豊後森の扇型機関庫は昭和9年の久大本線開通と共に完成し、昭和46年に廃止。宮原線で使用されていた蒸気機関車やキハ07などもここに格納されていました。

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最近まではただの廃墟だったところを、現在では豊後森機関庫ミュージアムと共に観光地化が進んでいます。この9600型蒸気機関車はこの後訪れる志免町の中の坪公園で約40年間野ざらしにされ解体が決定したところを引き取ったもので、2015年より展示されています。

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2009年に近代化産業遺産、2012年に国の登録有形文化財に指定されています。扇型機関庫は非常に横幅が広く入り切らないので、何枚かの写真に分けます。広角レンズが欲しい。

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現在でも展示物としての保存活動が進められており、この日も転車台のペンキ塗り替え工事が進められていました。

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どんどん綺麗になって行くのですが同時に廃墟感が失われて行きます。ただ割れた窓ガラスはこのままにしておいて欲しいものです。

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豊後森駅は木造の駅舎や跨線橋などが今も現役で使われています。

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また豊後森機関庫がJR九州の観光列車「或る列車(大分コース)」や「ななつ星」のツアーコースに組み込まれているため、古さを残しつつ綺麗に改装されています。観光資源として古い建造物が保存されるのは喜ばしいことですが、ここまで綺麗にされると少々複雑な気分。

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旧国鉄宮原線の廃線跡は基本的に国道387号線町田バイパスとしてその跡地を利用されていますが、沿道の至るところにアーチ橋や駅の遺構が見られます。

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こちらは尾の上バス停から見える汐井川橋梁。下を流れる川にはホタルが生息しており、夏にはホタルの里として多くの観光客が訪れる場所です。

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汐井川橋梁から二つ上の写真の切り通しを抜けると堂山橋梁があります。下の道を少し登れば今回宿泊した山川温泉。

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同じく堂山橋梁。ここ宮原線のアーチ橋群は去年訪れた北海道士幌線のアーチ橋建設時の技術が使われています。

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堂山橋梁の袂には小さな村の鎮守の神様が祀られています。廃線跡はこの神社の脇をすり抜けて行きます。

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怖いくらい急な階段を登れば紅葉も見事。

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この堂山橋梁には柵が設置されており、上を歩くことも出来ます。橋の上からの景色、いわゆるかつての車窓の風景は、棚田の広がる長閑な里山。つくづく現役の頃に乗っておきたかったと思います。この辺りの素晴らしいロケーション、誰かNゲージで再現してくれないだろうか。

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小国町方面に向かうと旧北里駅跡があります。この地方は有名な小国杉の産地でもあったため、昔は人口もかなり多かったとか。

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北里はあの北里大学創始者、北里柴三郎の出身地で記念館などもあります。

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ホームの端には崖下、川沿いの集落に降りる階段の跡も。

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北里駅跡から小国町方面に少し行った所に掛かる北里橋梁跡。タクシーの運転手さんが地元、山川部落生まれの方だったので、廃線跡を詳しく案内してくれました。

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こちらは幸野川橋梁。中学生の頃だったか、赤字ローカル線の廃止対象路線を特集した本を持っていたのですが、その本で見た覚えのある特徴的なアーチ橋です。ここまで紹介してきた橋はいずれも鉄筋の代わりに竹を骨組みとして組んで造られた竹筋コンクリート造で、国の登録有形文化財にも指定されています。

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最後に終点の肥後小国駅です。かつての線路と信号機などが一部残されています。

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現在はゆうステーションというバスターミナルとなっています。かつては宮原線の代替輸送として玖珠観光バスが豊後森と小国町の間を結んでいましたが2013年に廃止。現在では小国町から岳の湯行きと、豊後森側からは麻生釣止まりが数本走る程度で、途中分断される形となってしまいました。

北海道河東郡上士幌町(3)、タウシュベツ橋梁

2016年9月の記事はこちら。
北海道帯広市(1)、駅前温泉と駅周辺
北海道帯広市(2)、横丁路地裏迷宮(前編)
北海道帯広市(3)、横丁路地裏迷宮(後編)
↑夜の帯広の写真はこちらに移動しました。
北海道河東郡上士幌町(1)、糠平温泉郷
北海道河東郡上士幌町(2)、旧士幌線跡

 去年9月に訪れた上士幌町ですが、去年夏に北海道を襲った台風の影響で目的としていた旧タウシュベツ橋梁が例年よりも二カ月早くダム湖に水没するという事態となり、予定を変更して旧士幌線のアーチ橋跡を巡りました。それはそれで廃線跡好きとしては充分楽しめたのですが、今回リベンジの意味も込めて再訪しました。

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宿泊は去年と同じく糠平温泉湯元館さん。変わらず良い湯でしたが、食事を作る人が居なくなったのか素泊まり専門の宿となっていました。

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ツアー参加のため糠平温泉文化ホールに集まったのは、月曜日だというのに12人にも上りました。各メディア等への露出やSNS等で広まったようで、すっかりメジャーになってしまったようです。喜ばしい事ですが、マイナースポット好きの私としては複雑な気分。

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車2台に分乗して林道を入り、途中から士幌線旧線跡を歩いて行きます。新緑が見事。

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とうとう念願のタウシュベツ橋梁が姿を現しました。数年前にネットで知りつつも北海道なんてなかなか行けないしと思っていたところ、去年ブログ「しまDiary」さんで崩落の危機にあると紹介され去年の9月に訪れるも台風直撃で水没してしまい、今回念願のリベンジ。

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この目で見ると、やはり迫力があります。士幌線は昭和12年に上士幌〜糠平間が、昭和14年に糠平〜十勝三股間が開業しました。そして昭和30年、糠平ダムの完成で糠平駅と周辺の街が山の中腹、糠平温泉の源泉付近に移転し、士幌線の線路も中腹へと移設されました。このタウシュベツ橋梁はその際ダム湖に沈んだ旧線となります。ちなみに橋の上はもちろんのこと、橋の下も崩落の危険があるため立入禁止となっています。

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渇水期の糠平湖を眺めると、水没する前に伐採された森が切り株だけを残し、非日常的な光景を見せています。

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この辺りは昭和初期から林業で栄えた地域ででしたが、やがて森林資源は枯渇、木材の輸入自由化などにより人口は減り続けて行きました。ダム湖の湖畔に移設された糠平〜十勝三股間の新線も人口の激減でバスによる代行運転となり、昭和62年には帯広〜糠平間も廃止となってしまいました。

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ローマの水道橋みたいなんて言うのは野暮な話で、士幌線は昭和初期の鉄道アーチ橋技術の先駆けのような存在で、士幌線開通後全国へとアーチ橋が広まって行ったそうです。歴史的価値のある遺構として見るべき。

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ツアーは旧幌加駅跡にも寄りますが、私は去年堪能したので今年は周辺を自由行動。幌加駅跡周辺の廃線跡は草が刈られ、歩きやすいように整備されています。

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ダム湖の上流にあたるこの幌加駅は、プラットホームと線路の一部のみ買い取られたため保存されています。かつては伐採した木材を搬出する基地として栄え、周辺には街が広がっていました。

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しかし幌加から人が消え鉄道が消え、やがて街も消えて行きました。

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木造建築物は全て解体され、その多くの建物は基礎さえ撤去されています。唯一残っているのは駅舎の基礎部分。特に頑強に造られていたため、このように一部残っておりました。

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帯広まで降りてスナック街を訪れた際、隣で飲んでいたお父さんがなんと糠平ダムに沈んだ糠平の街で生まれた方でした。ダム湖に沈んだ故郷の事は話せば寂しくなるので多くは語らず。それよりも楽しい話で飲みました。

北海道河東郡上士幌町(2)、旧士幌線跡

 今回の北海道旅行の目的は旧士幌線旧線跡のタウシュベツ橋梁へ行く事でした。しかし今年は三回に渡り台風が北海道を直撃し、各地で土砂災害を引き起こし、例年ならば11月まで見えるはずのタウシュベツ橋梁も、8月中旬にはダム湖が満水となり早々に水没してしまいました。

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 タウシュベツ橋梁ツアーというものがNPO法人ひがし大雪自然ガイドセンターで毎日開催されているのですが、今年は上記の事情から旧士幌線アーチ橋の遺構巡りに内容が変更されました。

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 まず最初に訪れたのは糠平ダム下流に残る第三音更川橋梁。ここはダムに沈んだ旧線と移設した新線が分岐する直前に位置します。当時は工事関係や林業などの小さな集落が点在しており、駅から線路を歩いて帰宅した人も多かったそうです。そのためアーチ橋脇には必ず待避所が設置されていたとか。

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 電力所停車場跡付近。水力発電所建設工事の関係者のために、昭和20年代後半当時この辺りに街が造られていたそうです。郵便局から学校まであったそうですが、全て解体され更地になり森へと自然回帰した現在、街の面影を推し量る術も無くなっています。

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 糠平第二陸橋(旧第四音更川橋梁)。アーチとアーチの間には桁橋が掛かっていました。その橋桁は撤去された後、日本のどこかで再利用されています。

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 糠平ダムを越えて糠平湖畔、上流域の新線跡に残る第五音更川橋梁。士幌線は昭和元年、温泉旅館湯元館が開業した年に十勝平野の北端、上士幌まで開業。昭和14年、終着駅の十勝三股まで開業しました。 当時は林業が盛んで、蝦夷松や赤松などをSLの牽引する貨物列車で運び出していました。

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 ひがし大雪自然ガイドセンターの方の働き掛けもあって、国登録有形文化財にも指定されました。

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 河原より第五音更川橋梁。士幌線は昭和52年、1500人居た人口が15人にまで減少した事などを受け、糠平~十勝三股間が代行バスに切り替えられました。その後士幌線は昭和62年3月、国鉄分割民営化を前にして全線廃止となりました。廃止の少し前、当時私は各駅停車で日本一周しており北海道にも訪れていましたが、残念ながら士幌線や広尾線などの枝線はスルーしてしまいました。民営化後の北海道の鉄道は廃止に次ぐ廃止で、考えられないくらいに路線が減ってしまいました。

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 話が逸れました。アーチ橋の下は廃道が潜っており、その廃道の先には廃橋もあります。

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 昭和30年11月竣工のしんほろかね(?)橋。ダム完成後から廃道になるまで、かなり短い期間しか使われなかったのではないかと思われます。写っているのはガイドの鴨下氏。自然科学から歴史まで、その豊富な知識に感銘を受けますし、何より楽しい。

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 こちらは県道から撮ったものですが、三の沢橋梁。柵が設置され、歩いて渡れる遊歩道となっています。

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 最後に訪れたのは幌加駅跡。十勝三股のひとつ前にあるので昭和52年には事実上廃止された駅です。ちなみに写真手前のポイントは手動で切り替えられます。

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 線路とプラットホームが残されている貴重な産業遺産ですが、ガイドセンターの方が管理されているので雑草は刈られ、全体を見渡すことが出来ます。

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 この駅名表示板は後から設置されたもの。ホームの真ん中の木は廃線後に生えて育ったものです。

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 この駅の周囲にも町が存在しましたが、今では跡形もなく森に帰していました。

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 今回、廃村とか無いのかと期待してしまいましたが、北海道各地に残る炭鉱町と違って、国立公園内という特性上、跡形も無くなっていました。しかし驚かされたのは自然の力と言いますか、回復力です。開発を続ける人間を意にも介さないとばかり、30年40年経っただけなのに森林が逞しく再生されていた事に色々と考えさせられました。あと、タウシュベツ橋梁は来年の春にでも必ずやリベンジします。帯広の路地裏もまだまだ探索しきってないし、必ずや。

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 おまけ。士幌線遺構巡りを終えて糠平に戻る途中、キタキツネに出会えました。

青森県下北半島(1)、下北交通と幻の大間線

 下北半島の中心部に位置する半島最大の街、田名部。

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 上の写真は下北交通の田名部バスターミナル。かつてはJR大湊線の下北駅よりこの田名部を通り津軽海峡に面した大畑まで鉄道が走ってました。しかし1985年、旧国鉄大畑線が廃止。その後地元の下北交通が鉄道事業を引き継ぎ存続していましたが、施設や車両の老朽化に重ねてマイカーの普及による利用客の減少から2001年に廃止。以来、駅の無い街となってしまいました。

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 そのため現在、田名部へは下北駅からバスで行くしかありません。

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 しかしこのバスが朽ちかけている。経営の苦しさが伺えます。
 
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 上の写真は田名部の先、大畑にあるかつての終着駅、大畑駅跡。

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 レールもそのままで、右手の車庫には旧国鉄から譲り受けた車両も保存されています。

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 駅舎は現在、バスターミナルとして再利用されております。

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 鉄路は大畑から更に北西、大間まで繋がる計画がありました。これはかつて、旧日本軍の大間軍事要塞まで資材を運ぶために鉄道が建設されていたのですが、昭和17年、戦況の悪化を受けて完成間近にして工事が中止されてしまいました。津軽海峡沿岸には今でも使われる事の無かったトンネルや橋梁などが残っております。

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 沿岸には崩壊しかけた橋脚など味のある遺構が沢山あるのですが、下風呂温泉のアーチ橋は復元され観光名所の一つとなっています。ホームをモチーフとした休憩所では、海を眺めながら足湯に浸かれる。

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 田名部の民宿「中村」さんの裏に、昔のバスが朽ち果てていました。

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 よく見ると、なんと国鉄の文字が!

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 田名部から陸奥湾側の脇野沢まで走るバス路線で使われていたものです。

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