ちょんの間

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静岡県伊豆長岡(2)、歓楽温泉廃墟群

今では有名温泉地、修善寺の影に隠れてしまいましたが、かつて歓楽温泉として栄華を誇っていたのが伊豆長岡温泉です。前の記事で紹介した古奈地区から源氏山を挟んで東側、古奈地区は吾妻鏡にも記されており1300年以上前から存在すると言われていますが、メインストリートのある西側の長岡地区は明治時代の開湯だそうです。

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温泉駅バスターミナル。各地の温泉街ではよく見かける旅の起点とも言えるバスターミナルですが、車で来られる方がほとんどととなった今では、他の温泉街同様閑散としております。

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バスターミナルの目の前はお土産屋さんではなくコンビニ。その左手には2010年に廃業したゆもとや旅館。すでに典型的な寂れた温泉街です。

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温泉街のメインストリート、その名も温泉場出逢い通り。伊豆長岡は戦後に保養地として乱開発され、温泉を掘り過ぎた結果湯量の激減、温度の低下などが起こりました。熱海や草津など莫大な湧出量を誇る温泉地以外、有名温泉地と言われる所は大抵このパターンに陥ります。伊豆長岡温泉では発覚されませんでしたが、最悪の場合温泉偽装問題にまで発展するケースもあります。

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近くには共同浴場もありますが、コロナ禍に伴い長期休業中です。源泉枯渇の危機を迎えた伊豆長岡温泉事業共同組合は温泉集中管理組合を設立し、集湯管で約38もの源泉を纏めて二ヶ所の貯湯槽に溜め、混合泉として分配するという方式を採りました。この混合泉という考えはその後全国に広まって行ったとか。

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こちらは巨大廃ホテルのさかなや。聞いた事あるなと思いましたが幼少の頃、旅行好きの両親が私の産まれる前に泊まった事があり、旅館のパンフレットが実家にありました。その頃パンフレットを見て、非日常的な雰囲気に想いを馳せていた事を思い出しましたが、当時は明治40年から続く老舗高級旅館だったようです。まさかこんな再会になるとは。
しかしここより裏手の山の中腹に、さかなやホテルアネックス茜という宿泊施設があります。アネックスと言えば旧第一ホテルグループ、現在の阪急阪神ホテルズです。買収された後、旧館を捨てて新館で細々と続けているのでしょうか。しかし公式サイトを見たところ、ピンクセクシーTバック150分プラン23500円〜なるものが。コンパニオンプランを推した歓楽温泉は滅んでいなかった!ていうか、老舗の高級日本旅館だったはずのさかなやさんが、知らぬ間に男性団体客目当ての歓楽ホテルになってたなんて!

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さかなや旧館の左手、この奥に広大な敷地の廃旅館があります。残念ながら奥へは入れそうな雰囲気では無かったのですが、Googleマップの航空写真で見ると小高い山の山頂にいくつもの離れがある事が分かります。

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その向かいにあるのが2016年3月末で当面閉鎖となってしまった南山荘。

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文化財クラスの建物が広い敷地に点在しており、一部では有名な物件。公式サイトも残っており中も綺麗に管理されているようですが、営業再開の目処は未だ立っていません。星野グループ辺りが再建してくれればなんて思ったり。

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温泉駅バス停から出逢い通りに入らず西に進むと、スナックなどが連なる歓楽街となります。

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とは言っても、それも過去の話。その多くが廃業しており、どれくらい生き残っているのかは夜に訪れてみないと分かりません。

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このような路地裏もあります。

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生き残っているスナックも大抵がタイ人スナックで、闇風俗を行っている所も多いとか。

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この路地の奥は更地となっていましたが、さぞ妖しい路地裏だった事でしょう。上山田温泉や伊香保温泉同様、都心の取締りから地方へ逃れて来たタイ人女性たちが流れ着いて来たパターンでしょうね。

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バス停近く、南側の山間に入って行く路地。この辺りは香ばしい雰囲気。

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この辺りはかつて赤線の中心地帯だったという話もあります。

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現在では廃スナックと民家が混在している感じ。

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表は歓楽スナックの造りですが、中身は赤線時代の建築です。

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裏に廻れば湯気抜きが確認出来、温泉浴槽も有る事が分かります。

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そして路地の最奥部にあるのがこちら。もう廃業している様ですが、スナックっぽい入り口が残っています。

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しかし裏手に回り込めば赤線時代の名残りが。

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凝った意匠の窓。現在は普通の民家として住まわれているようですが、この建物についてはもっと詳しく知りたいところです。


神奈川県横須賀市安浦、赤線地帯だったちょんの間跡地

 赤線跡を巡るブログなどではさんざん紹介され尽くした感がありますが、以前より行こう行こうと思いながらなかなか機会がなかった横須賀安浦に行ってきました。

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 安浦の私娼街跡は京急の県立大学駅から海の方へ進み、国道16号線を渡った一帯になります。

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 安浦は皆ヶ作、柏木田と並ぶ横須賀三大私娼街の一つで、大正時代、安浦漁港の近くに作られた色町が発祥。戦後、横須賀の進駐軍相手に栄えたのが最盛期で、売春禁止法以降は細々と続いていました。それも2010年頃の一斉摘発まで、ちょんの間地帯として生き残っていたと言うから驚きです。

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 現在は至って静かな住宅街ですが、街のいたるところにカフェー建築の名残りが見受けられます。写真は銭湯『日の出浴場』隣のモザイクタイル。

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 廃業した床屋さん跡地ですが、入り口脇のガラスには良美軒の文字が。床屋または理容室で良美軒て屋号はどうかとか考えてしまいますが、そんなふうに考え始めたらキリがない。

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 私娼館だった建物、という確証はありませんが、限りなく疑わしき建物。入り口の数や築年数などから、恐らくは。

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 とは言え、現在では普通の民家として住んでいる方がいらっしゃいます。

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 どうやら住民の方々としてはこの地域が私娼街だった事を黒歴史として消したいという思いがあるようです。その証拠に住民の要望によって京急安浦という駅名も県立大学へと変えられたとか。

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 工務店の事務所ですが、とても工務店には見えない建物。

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 現在残っている建物の中では、こちらが一番面影を残しているようにも思えます。安浦を撮影した先輩方のブログを見るに、つい最近まではもっと見事なモザイクタイルの残るカフェー建築が有ったのですが、ここ数年で解体されてしまったようです。

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 二階の床付近の小窓は、熱海の建築物でよく見られた、掃除用掃き出し口です。昔は箒で外に掃き出し、あとは風が飛ばしてくれるという考え。

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 こちらの窓も特徴的です。しかし何度も繰り返すようですが、どれも現在は住民が静かに暮らす住宅として使われているので、あまりパシャパシャ写真を撮るのも気が引けます。なので、こっそり撮りました。(笑)

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 安浦地区の海側はかつて漁港のあった埋め立て地で、巨大なマンションが林立しています。安浦は新築の一戸建て住宅も多いので、再開発される事はないと思われますが、この『いわく付き』の歴史を風化させなければ、地価などにも響くのかも知れません。

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町田市原町田、仲見世商店街~ちょんの間跡地

 町田市はよく神奈川県だと思われがちです。新宿から小田急に乗り、多摩川を越えて一旦神奈川に入り、百合ヶ丘などの山里を越えた向こうにあるので、無理も無いです。繋がっていても飛び地扱いなのが町田。

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 しかし町田は、その辺の地方都市よりもずっと栄えています。この時点で密かに地方扱いなのは内緒。

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 小田急とJR横浜線が交差しているため、新宿にも横浜にも出られるのが魅力で、丸井を中心とした商業地区はいつも活気に満ちています。ハンズもあればドンキもある。

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 かつては長崎屋もありましたが、すでに潰れて解体中。しかしながら、車社会となった現代で、これほどまで廃れずに賑わっている郊外の駅前も珍しいです。

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 町田は大田区や下町方面と違って高齢化問題も無く、街は若者に溢れています。さすが小田急沿線と言ったところでしょうか。商業施設の前のスペースに屋台のワゴンを停め、簡単な椅子を並べただけの、気軽に飲める店を見つけたりもしましたが、コロナビール500円。駅前の路地にも立ち飲み屋は有りましたがチェーン店系で、立ち飲みのクセにお通しキャベツで200円も取る。

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 そんな商業地区の奥に、昭和の香りが残る仲見世商店街があります。

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 一年ほど前に一度通り過ぎた事があるのですが、その時と比べて随分シャッターが閉ざされています。

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 この商店街は関東大震災後、旧国鉄原町田駅前(1980年に移転された現在のJR町田駅より南)から旧町田街道までの抜け道として出来たそうです。

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 商店街の中ほどに路地があり、商店街と並行する形で飲食店街があります。

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 商店街は丈夫な鉄筋コンクリートで出来ていますが、その脇の飲食店街は青空にバラック。

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 店は居酒屋からバー、スナックまで、一通り揃っています。

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 路地の奥には共同トイレ。つまりこの飲食店街はトイレの無い屋台が発祥という事でしょうか。

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 仲見世商店街の一本町田駅寄りの路地に佇む立ち飲み屋『まる助』。

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 飲み物400円均一(生ビールは小さめ)、食べ物300均一。お代は湯呑みにお金を入れておけば、そこから大将が抜いて行くシステム。内装は新しくしてますが、建物自体はかなり年季が入っており、大将が一人で店を切り盛りしてます。激安とまでは行きませんが、地価も高いのかも知れず、まぁ、こんなもんかなと言ったところ。しかし、町田に於いては貴重な存在です。

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 一方、JR横浜線町田駅を越えて南口に出ると、先ほどまでの賑わいが嘘のように閑散とします。それもそのはず、1980年に小田急側へと国鉄原町田駅が移転されるまで、この出口は存在しませんでした。

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 南口を出てすぐのところを流れる境川の周辺はラブホ街となり、急に人影が無くなります。ただ、一人の外国人女性が橋の袂でずっとスマホをいじってたりして、実に疑わしい。

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 このラブホ街にはかつて「田んぼ」と呼ばれていた歓楽街が存在しました。発祥は戦後のドサクサに不法占拠した朝鮮人たちが旅館を経営し、その旅館も連れ込み宿となって青線地帯へと変貌。近年まではその名残りでちょんの間地帯が広がっていました。実はこの境川が県境で、川の向こうのちょんの間跡地は神奈川県相模原市鶴間本町となります。当時は東南アジア系不法入国者の温床とも言われていました。

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 その昔よく「追跡!警察24時」みたいなドキュメンタリー番組で、神奈川県警による町田のちょんの間一斉摘発の瞬間なんかをやっていましたが、橋を渡っちゃえば管轄外になって逃げられたりしたんでしょうか。(笑)

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 度重なる一斉摘発の末、2007年頃には壊滅。その後立ちんぼが周辺のホテル街に出没していますが、跡地は現在、その面影すら残っていません。

2020年6月、内容を一部修正。

神奈川県横浜市、黄金町ちょんの間跡地

 京浜急行で横浜から二駅、日ノ出町から黄金町にかけての線路沿いにチョンの間と呼ばれる地帯がありました。いわゆる売春小屋です。

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 黄金町は戦後、闇市とともに生まれた青線だったそうです。

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 間口一間。一階で客を引いて二階でヤルっていう方式。

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 表向きはあくまでも『スナック(飲食店)』と言う形を取っていたようです。

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 しかしながら2009年のみなとみらい博に伴うクリーン化、県警による一掃作戦、通称バイバイ作戦(ネーミングセンスwww)などによって壊滅しました。掃討作戦の後、ここで働いていた中国、韓国系娼婦たちは、先ほどの福富町界隈へと流れて行き、ストリートガールとなったと聞きます。掃討できてないじゃん!ww

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 現在では若者たちへアトリエとして開放したりして、街のイメチェンを図っております。
 そこの女子大生!あなたが作品を展示しているその場所はヤリ部屋だったんだよ!

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 周りには新築マンションが何棟も建ち並び、線路の高架線も補強工事中。川沿いの歩道も綺麗に整備されていました。もうちょっと昔に来てみたかった。

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 黄金町から大岡川を隔てた対岸、末吉町にひっそりと佇むストリップ小屋『黄金劇場』。建物の中から、昼間っから拍手と歓声が聞こえて来ました。

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 ただその後、2012年2月に女社長が踊り子に売春させた罪によって摘発。その後オーナーの交代やらなんやらで2012年11月末に8ヶ月の休業となり、翌2013年7月に不動産店返却。廃棄処分となったとか。

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 日の出町から川沿いに海へ向かうと野毛。そこに都橋飲食店街があります。

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 川の曲線に合わせた団地のような造りの二階建て建造物。二階はほぼ全てスナックとなっております。昭和39年、東京オリンピックに際し川沿いのバラックの屋台を全て移転(強制)したのが始まりだとか。酔って川に落ちたなんて人も居たかも知れませんね。

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 ちょっと離れますが、阪東橋商店街の先にあった、旧・横浜市立大学医学部棟跡。これから解体工事が始まるようです。

追記 2020年3月

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黄金町駅構内の立ち食い蕎麦屋「えきめんや」は夕方になると立ち飲み屋「えき缶酒場」へとシフトします。

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セルフサービスで種類豊富な缶詰めをチョイス。レンジでチンしてくれますし、簡単なおつまみから蕎麦屋のフライヤーもあるので揚げ物も作ってもらえます。アジフライは肉厚ホクホクでなかなか美味かった。

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川崎市堀之内町、歓楽街とちょんの間地帯

※2015年2月、小町横丁の記事を加筆し、ちょんの間の写真も4点追加しました。ちょんの間は2015年現在でもしぶとく生き残っています。

 西口(内陸側)は再開発に次ぐ再開発で高層マンションの林立するようになってしまった川崎。しかし京急川崎駅のある東口(海側)は古いデパートやアーケード商店街の残る、昔と変わらぬ街の姿を今も残しております。
 改良工事中の京急川崎駅から繁華街を抜けた先、堀ノ内の手前辺りには、ポツリポツリと飲食店が点在する微妙な飲み屋街となっています。

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 その中に小町横丁という路地があります。入り口の看板はほぼ外されておりますが、実際に営業しているのは二~三軒のみのようです。

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 スナックや小料理屋、謎の事務所などが並んでいるのはアパートの一階部分。

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 左に目を向けると、建て増しされたバラックが顔を覗かせる。

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 路地というより共用廊下といった感じの通路の奥は行き止まり。既に他人の家の雰囲気です。一度、夜に訪れてみたいものですが、なかなかにしてハードルが高い。

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 更に奥へ歩くとソープ街。別にソープ街を撮ったりはしません。呼び込みの兄さんたちに怒られそうだし。今回(2010年)は滅亡を噂されていた堀之内のチョンの間地帯を撮影して来ました。
 2009年の夏、ニュースになるほどの大掛かりな一斉摘発が行われ、その後も県警による撲滅作戦は続いておりました。
 しかし、しぶとくもまだ生き残っていた!

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 貸会議室や貸店舗の貼り紙が至るところに貼られている中、昼間から明かりを灯している場所が三軒も。中を覗くとにこやかなオバチャン。頑張ってます。

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 夜になればもっと多くの場所で明かりが灯る事も想像に難くないです。

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 近年ではそのほとんどが韓国人に占められ、不法就労の温床とも言われて来ました。周りをソープランドに囲まれる中、格安の娼家が軒を連ねる。外観は以前訪れた黄金町界隈と同じであります。

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 この街を歩いていて、ふと思った事があります。もしかして去年のちょんの間一斉摘発は、不況に喘ぐソープランドを経営する人たちが、組を通して県警に働きかけたのではないかと。相手は韓国人だし、安い値段で売春をしている訳だから、消えて欲しいと願うかも知れない。ただ、不法就労の摘発となると公安も絡んで来る訳で、一概には何とも言えませんが。

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 と、ここまでは推測でしたが、ソープランドの業者に煙たがられているのは事実です。そして一斉摘発で川崎のちょんの間も全滅との噂がネット上に流れましたが、実際に全滅したのは外国人の不法就労者のみです。そして現在、日本人の娼婦たちによる『ちょんの間』が明日をも知れない状況の中、細々と復活しつつ、あるとか無いとか……。

2010年1月撮影、2015年2月更新。

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