今から5年前の2017年、一度訪れた両神小学校大谷分校跡に再訪しました。
小鹿野から白井差口行きの町営バスに揺られて小森川沿いを登り、前回訪れた時と同様大谷橋で下車。山間部は霧が立ち込め小雨が降り続いています。
5年前のGWは清々しい天気でした。
定点観測しても大して変わって無いのですが、ついつい同じ場所で撮ってしまう。
秩父地方は山深いので、民家へのアプローチも強烈です。まぁ私の実家も似たようなものですが。
石垣と階段が素晴らしい。足腰の弱くなった高齢者にとっては大変かも知れませんが、こう言った山村に暮らすご老人は大抵足腰が強靭に出来ているんですよね。
大谷橋バス停は大谷橋を渡り上流に向かって右手(左岸)ですが、目的地の廃校跡があるのは下流の右岸。この辺りは大谷集落と言います。
こちらは2017年5月に撮影した両神小学校大谷分校跡。昭和46年廃校。以後、林間学校などに利用されており、校庭にはバーベキュー施設も完備されております。
こちらが現在、2022年7月の状態。いまだちゃんと利用されているようで、外壁のペンキが綺麗に塗り直されています。
2017年5月、運動場から。傾斜地に建っているので、裏に回ると二階が玄関になっています。
現在の様子。前回同様、玄関前には真新しい靴などが置かれており、今でもちゃんと管理されている様子。
校庭を挟んだ反対側斜面からの俯瞰。2017年5月。
こちらは2022年7月撮影。なぜ同じ場所をまた訪れたかと言うと、前回訪れてからずっと引っかかっていた事があるからなのですが……
実はこの斜面は墓地になっております。小さな墓石が倒れていたりしていて荒れ果てていたんです。やはり以前来た時と変わらず、管理されていないように見受けられます。過疎化が進み戻ってくる人も減ってしまったからでしょうか。
ただ以前来た時、首のないお地蔵さんや石仏などが幾つも放置されていたと思ったのですが、片付けられたのでしょうか、そう言った物は今回確認できませんでした。ずっと引っかかっていたのは前回その光景にゾッとしてスルーしてしまった事で、後から考えればあれは廃仏毀釈の爪痕だったのではないかと。
2017年5月撮影した分校跡の下、道路沿いにあった祠。木像が無造作に立て掛けられています。
その祠は崩壊。石垣の下に残骸が積み上げられています。しかし新たに小さな祠が建てられていました。
簡素な造りですが、ちゃんとお祀りされていてホッとしました。木像は相変わらず立て掛けですが。
廃仏毀釈とは簡単に言えば、明治政府の神仏分離政策が引き金となり、それまで蓄積されて来た檀家制度や葬式仏教に対する不満が爆発。神社、つまり鎮守の神様と仏教がはっきり区別された事によって、仏教に関する物に対する焼き討ちや破壊が全国的に広がった事件の事です。その痕跡が田舎などに行くとたまに残ってたりするのです。
今回その日本の黒歴史とも言える廃仏毀釈運動について掘り下げてみようと思ったのですが、結果的に片付けられていました。
2017年当時、解体工事中だった廃屋。
その跡地に廃材の山。予算の関係で廃材を処分出来なかったのでしょうか。
今回目的の物は撮れませんでしたが、なにしろ両神地区はバスの本数が極めて少ないので、一度に一箇所しか巡れません。他に廃校跡が三箇所ほどあるのですが、また次回この辺りには来ようと思っています。
【日記】埼玉県秩父、小鹿野地方攻略その1
小鹿野から白井差口行きの町営バスに揺られて小森川沿いを登り、前回訪れた時と同様大谷橋で下車。山間部は霧が立ち込め小雨が降り続いています。
5年前のGWは清々しい天気でした。
定点観測しても大して変わって無いのですが、ついつい同じ場所で撮ってしまう。
秩父地方は山深いので、民家へのアプローチも強烈です。まぁ私の実家も似たようなものですが。
石垣と階段が素晴らしい。足腰の弱くなった高齢者にとっては大変かも知れませんが、こう言った山村に暮らすご老人は大抵足腰が強靭に出来ているんですよね。
大谷橋バス停は大谷橋を渡り上流に向かって右手(左岸)ですが、目的地の廃校跡があるのは下流の右岸。この辺りは大谷集落と言います。
こちらは2017年5月に撮影した両神小学校大谷分校跡。昭和46年廃校。以後、林間学校などに利用されており、校庭にはバーベキュー施設も完備されております。
こちらが現在、2022年7月の状態。いまだちゃんと利用されているようで、外壁のペンキが綺麗に塗り直されています。
2017年5月、運動場から。傾斜地に建っているので、裏に回ると二階が玄関になっています。
現在の様子。前回同様、玄関前には真新しい靴などが置かれており、今でもちゃんと管理されている様子。
校庭を挟んだ反対側斜面からの俯瞰。2017年5月。
こちらは2022年7月撮影。なぜ同じ場所をまた訪れたかと言うと、前回訪れてからずっと引っかかっていた事があるからなのですが……
実はこの斜面は墓地になっております。小さな墓石が倒れていたりしていて荒れ果てていたんです。やはり以前来た時と変わらず、管理されていないように見受けられます。過疎化が進み戻ってくる人も減ってしまったからでしょうか。
ただ以前来た時、首のないお地蔵さんや石仏などが幾つも放置されていたと思ったのですが、片付けられたのでしょうか、そう言った物は今回確認できませんでした。ずっと引っかかっていたのは前回その光景にゾッとしてスルーしてしまった事で、後から考えればあれは廃仏毀釈の爪痕だったのではないかと。
2017年5月撮影した分校跡の下、道路沿いにあった祠。木像が無造作に立て掛けられています。
その祠は崩壊。石垣の下に残骸が積み上げられています。しかし新たに小さな祠が建てられていました。
簡素な造りですが、ちゃんとお祀りされていてホッとしました。木像は相変わらず立て掛けですが。
廃仏毀釈とは簡単に言えば、明治政府の神仏分離政策が引き金となり、それまで蓄積されて来た檀家制度や葬式仏教に対する不満が爆発。神社、つまり鎮守の神様と仏教がはっきり区別された事によって、仏教に関する物に対する焼き討ちや破壊が全国的に広がった事件の事です。その痕跡が田舎などに行くとたまに残ってたりするのです。
今回その日本の黒歴史とも言える廃仏毀釈運動について掘り下げてみようと思ったのですが、結果的に片付けられていました。
2017年当時、解体工事中だった廃屋。
その跡地に廃材の山。予算の関係で廃材を処分出来なかったのでしょうか。
今回目的の物は撮れませんでしたが、なにしろ両神地区はバスの本数が極めて少ないので、一度に一箇所しか巡れません。他に廃校跡が三箇所ほどあるのですが、また次回この辺りには来ようと思っています。
【日記】埼玉県秩父、小鹿野地方攻略その1