柏飛行場は陸軍航空隊の基地として昭和13年に開設されました。当初は飛行訓練などのために利用されていましたが、戦局の悪化に伴い首都防衛の役割が濃くなって行きます。

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柏飛行場の遺構はほとんど残っていませんが、滑走路東側の丘陵には燃料庫の跡などが見られます。

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こちらが住宅街に残る燃料庫の跡。大戦末期、硫黄島から飛来するB-29爆撃機は高度10000mの高高度を飛行するため地対空の高射砲は届かず、当時すでに時代遅れとなっていた戦闘機では10000mまで数分掛かる上に高高度では航行性能も落ちてしまいます。

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そこで同盟国であるドイツのメッサーシュミット社よりロケット戦闘機の資料を譲り受け、なんとか持ち帰ったわずかな資料を元に三菱重工が日本初のロケット戦闘機、秋水の開発、製造を進めました。

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こちらは地下燃料庫の入り口。秋水は過酸化水素と水化ヒドラジン等の液体燃料の化学反応により推力を得て、最高時速900km、約3分半で高度10,000mまで達するという画期的な戦闘機であったそうです。ちなみに三菱重工で開発が進められていたこのロケットエンジンは、人間魚雷回天にも利用されています。

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こちらも地下燃料庫の入り口。話がだいぶ遠回りになってますが、その秋水の発射基地として選ばれたのが柏飛行場なのです。これらの燃料庫は秋水のための液体燃料を貯蔵していたと言われています。

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地下燃料庫の上にはヒューム管という換気口が設けられ、燃料貯蔵の際に発生するガスを逃していました。柏飛行場が秋水の本格投入に向けて急ピッチで施設増設工事を進める中、昭和19年12月、ロケットエンジンの開発を待たずに初の滑空飛行試験を成功させました。

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秋水の試作一号機は横須賀の追浜飛行場でテスト飛行するも失敗。ロケットエンジンの設計を見直し、二号機の機体がここ柏飛行場に運ばれるも肝心のロケットエンジンが完成せず、飛び立つこと無く終戦を迎える。
しかし秋水はそもそも航続距離が短いため飛行場の上空でしか展開出来ず、速度が早過ぎるため機銃の照準もつけ辛く、終戦間際には特攻機への転用が決定していました。土浦航空隊において秋水の特攻訓練が行われましたが、結局のところ固形燃料ロケット機の桜花同様、首都防衛の役割を果たせないまま飛行訓練での殉職者を出すにとどまりました。