日光市

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栃木県日光市鬼怒川温泉、寂れた温泉街の廃墟群

鬼怒川温泉は言わずと知れた、関東圏に於ける有名温泉地です。

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昭和の時代から小田急で行く箱根、国鉄で行く熱海や草津、東武で行く鬼怒川と、鉄道旅行全盛期の旅先の一つに数えられて来ました。

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現在でもホテル三日月やニュー岡部(大江戸温泉物語が買収)などの有名巨大ホテルが林立しています。

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こちらは代表格とも言えるあさやホテル。ただ、沿線に富裕層の多く住む小田急に比べて、東武は東京の下町を起点にしていると言う点が、決定的に違います。

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私は箱根出身なのでどうしても比べてしまうのですが、箱根には廃墟ホテルなどありません。対して鬼怒川温泉にはこの様な廃墟群が存在します。個人的な考えですが、東や北は発展しない、と言う事でしょうか。

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と言うわけで今回は廃墟系サイトなどでは有名な、鬼怒川温泉の廃墟群を巡っていきます。こちらは鬼怒川観光ホテル東館跡。1970年代後半に建てられたもので、2013年頃に使われなくなったと言います。

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鬼怒川観光ホテルは現在、本館を残し大江戸温泉物語に買収されております。この東館は団体旅行全盛期に、その団体客を受け入れるべく巨大ホテルが乱立された当時の名残りであります。

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廃墟群は主に鬼怒川の東岸に集中しています。なぜここに集中しているかと言うと、国道と鬼怒川に挟まれた崖地に建てられているため、その狭い敷地から解体工事が大掛かりな物となり、工事費が嵩むため解体が遅れているとも言われています。尤も建物によっては倒産などにより権利者がもう居ないと言う事も多くあります。

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この鬼怒川第一ホテルは対岸に建つあさやホテルの支店として、昭和31年に開業しました。手前側のオレンジ色の建物は1990年代に増築されたものです。

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しかし2008年11月30日に閉館。当時、あさやホテル社長一族による経営だったとか。

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第一ホテルの右隣、上流側に建つのは昭和17年12月に開業したきぬ川館本館。

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かっぱ風呂は廃墟系サイトなどでも有名です。

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しかしバブル崩壊で経営が悪化し、1999年に閉館したそうです。

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こちらはきぬ川館の浴室でしょうか。これらの廃墟の対岸にはあさやホテルが建っており、正面から見る事は出来ませんが、さらに上流に架かる吊り橋から眺めることができます。

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こちらは大正14年創業と言う老舗旅館の星のや。もちろん星野リゾートの星のやとは全く別物です。

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2010年に閉館してしまった星のやですが、温泉ブログなど見ると素晴らしいサービスと湯使いをされていたそうで、ぜひ現役時代に泊まってみたかったところです。元湯と名乗る辺り、星野リゾートを意識していたのかも、いなかったのかもしれません。

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星のやを鬼怒川から見た様子。温泉街の廃墟群といえば水上温泉を思い出しますが、これらの廃墟は2003年に起こった足利銀行の経営破綻の影響を少なからず受けたと思われます。

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こちらは復興御宿富双江葉大馬鬼怒川秘極の湯「風」、と言うなんとも長ったらしい名前の宿。元々はおおるりグループホテル沢風だったそうですが、東日本大震災以降に復興御宿富双江葉大馬グループとなったそうです。しかしながらこの復興御宿グループ、那須湯本や塩原、奥日光、川俣などにも有りましたが今年に入ってことごとく閉館しているそうです。恐らくはコロナ禍の影響かと思われます。
ちなみに富双江葉大馬とは、震災時に福島県浜通地区の特に被害の大きかった富岡町、双葉町、浪江町、楢葉町、大熊町、南相馬市の6市町より一文字ずつ引用した富双江葉大馬(ふそうこうようおおま)と読むそうです。


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こちらは吊り橋の西岸北側に建つ伊東園ホテル鬼怒川グリーンパレス跡。昭和50年代よりあさやホテル系列で開業。しかし2008年11月30日、上記あさやホテルグループの鬼怒川第一ホテルが閉館されたのと同時に、伊藤園ホテルグループに運営が譲渡されました。そして2015年末より耐震工事及び設備点検のため休館となりましたが、そのまま営業再開されずに今に至っています。
ちなみに伊東園ホテルグループは下流の鬼怒川温泉駅の近くでホテルニューさくらを現在でも運営しております。

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廃ホテル巡りはまだまだ回り切れてませんが、今回はこの辺で。西岸の温泉街を歩きます。この辺り、かつての歓楽街の名残りを感じます。

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特にこの辺。

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赤線とか置き屋とか、そう言った時代の名残りがあります。ただ温泉街を歩いて感じたことは、飲食店やお土産屋さんの閉店した跡の多い事。もちろん不景気や後継者不足などで廃業された店舗も多いと思われますが、今回のコロナ禍の影響も思いざるを得ません。

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鬼怒川温泉駅に戻って来たら、ちょうどSL大樹が到着したところでした。東武鉄道は2017年の夏より、JR北海道から譲り受けたC11207(写真)と真岡鉄道から1億2500万で落札し譲り受けたC11325、二両の蒸気機関車によるSL大樹を土日祝日を中心に運行しております。

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水上温泉復興を睨んだJR東日本のSL水上を思い出しますが、駅前広場に転車台を設けた辺り、その本気度が伺われます。

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モータリーゼーションにより旅先の選択肢が増え、日帰り温泉旅行も増えた昨今、昭和の名残りである巨大ホテル群を抱える鬼怒川温泉の、観光地としての復興事業を、これからも見つめて行きたいと思います。
以上の情報は廃墟探索地図様他、先輩諸氏の情報を参考にさせて頂きました。

栃木県日光市川治温泉、寂れた温泉街と丸見え露天風呂

川治温泉は鬼怒川温泉の少し先にある小さな温泉街です。

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いわゆる鬼怒川の奥座敷のようなな存在で、湯西川温泉同様に関東における知名度は高いです。

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温泉街の中心に聳え立つのは昭和9年創業の老舗旅館、一柳閣。しかし現在では伊藤園ホテルグループに買い取られてしまいました。

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星野リゾートも進出しています。こちらは「界・川治」。

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もちろん廃ホテルや廃旅館も多く点在しています。こちらは2007年に閉業した「如水庵」。

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こちらは寿庵という現役のホテル。1986年に野岩鉄道が開通し、それまで鬼怒川からバスでしか来れなかった所に電車が来るようになった事で、さぞ期待も高まった事でしょう。

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しかしバブル崩壊やリーマンショックなどによる景気悪化の流れから団体客は減少し、さらに鉄道利用客の減少から野岩鉄道開通の効果も期待以上の物にならなかったんだと思います。ただ現在、特急リバティの誕生により特急列車の直通運転が可能となり、浅草や北千住から一本で来れるようになりました。

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温泉街の奥に野岩鉄道川治湯元駅があります。元々野岩鉄道は国鉄日光線今市駅から会津線会津滝ノ原までを結ぶ計画だった未成線です。昭和41年に着工された国鉄野岩線の未成線を、東武鉄道や自治体などの出資による第三セクターとして開通しました。

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川治湯元駅から川治ダム発電所のある河川敷まで下りると、共同浴場の薬師湯があります。

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男女別の内湯と混浴露天風呂があり、露天風呂は河川敷。

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浴槽は二つあり片方は元々は女性専用露天風呂もありましたが、現在はどちらも混浴となっています。こちらは元々女性専用だった浴槽。

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こちらがもう一つの浴槽。ただ、源泉温度が38度ぐらいしかなく、非常にぬるいです。受付の方も加温してないからぬるいですよーと言ってましたが、この季節ではさすがにぬる過ぎます。もちろん内湯は加温しているので、そっちに入れば問題ないのですが。とは言え加温加水無しの源泉掛け流しで鮮度だけは抜群です。

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そしてここの露天風呂は、遊歩道や向かいの旅館から丸見えです。1枚目の写真も対岸に渡る橋から撮りましたが、浴槽丸見えです。開放的過ぎる、とは言っても以前訪れた大分県の天ヶ瀬温泉ほどではありません。あそこは生活道路である県道からでしたから。しかし天ヶ瀬温泉は2020年の豪雨災害によって壊滅的なダメージを食らってしまい、河原の露天風呂も5軒中3軒が再開しているのが現状です。

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泉質は弱アルカリ性単純温泉。内湯にも浸かりましたが、浴感こそ弱いものの湯上がりはホカホカが止まらなくなる程の濃さがあります。お湯は知名度に引けを取らない上質な温泉でした。

栃木県日光市足尾(8)、足尾歴史館の軽便鉄道たち

桐生からわたらせ渓谷鉄道で足尾へ。3回目の訪問となります。

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新緑の渡良瀬渓谷を昇るDE10+12系客車+トロッコ客車。

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ゴールデンウィーク最終日は満席。清々しい風が駆け抜けます。

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すっかり観光客気分の今回、通洞駅で下車して足尾歴史館を訪れました。同じく下車した観光客たちは歴史などに興味は無く、そのほとんどが足尾銅山観光のトロッコへと直行します。

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足尾歴史館の目玉は完璧に復元したガソリンカー。

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この軽便鉄道はかつて、国鉄足尾線とは別に足尾町内を路面電車のように走っていました。明治28年、馬車鉄道として開通し、大正14年よりガソリンカーへと変わったそうです。昭和29年に廃止。

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館内の広場を二周します。約80年前のフォードエンジンをレストアし、ボンネットやラジエターなどもフォードのクラッシックカーからそのまま移植。その辺も忠実に再現しています。

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周回コース内側には、ちっちゃいガソリンカーも。こちらもちゃんとエンジンを積んでて人を乗せ、運転までさせてくれます。

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館内にはさらに小さなOゲージのガソリンカーまで。ガソリンカーへの愛が止まらない。

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広場にはボランティア団体のけいてつ協会によって全国から集められたナローゲージの機関車たちが保存されています。

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集められた車両は整備され、再び動くところまで復元し、動態保存されます。

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こちらは足尾銅山で稼働していた機関車。

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こちらは立山砂防工事軌道の機関車。なんと現地ではいまだ現役で運行されています。

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立山の機関車を二輌も引き取ってました。もちろん二輌ともしっかり動くとの事。この立山砂防工事軌道、スイッチバックしながら昇って行く事でも有名なのですが、30年近く前に現地へ写真を撮りに行った事があります。まさかこんなところで再会できるとは、思ってもいませんでした。

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こちらはかつて向ケ丘遊園の園内を走っていた車輌。防水塗装などの再塗装がまだなのでシートが被されていますが、ちゃんと動くそうです。ただホイールベースが長いため、直線レールでのみ。

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こちらはいわき市の新八茎鉱山で働いていた機関車。こういう顔、大好きです。

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それにしても、ここのスタッフは実にマニアック!話をすると特にそうなんですが、本当に軽便軌道が好きな人たちです。しかも来館しているお客さんたちもマニアック!もっと家族連れとかカップルとか、観光地っぽい雰囲気あってもいいのに、なんか雰囲気がタモリ倶楽部。

ちなみに館内には多くの貴重な写真や資料などが展示されており、足尾の歴史をよく理解出来ます。

栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場
栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

今年の7月、青々と生い茂った藪に阻まれ奥まで入れなかった田元地区鉱山住宅跡にリベンジです。秋なら草も枯れてその全容を明かすだろう。

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と思ったらススキの原野と化していました。(笑)

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夏の時点で気づけよ、とも思うのですが、背の高さほどもあり今まさに綿毛を撒き散らしているススキの中には分け入る事など出来ません。

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今回は建物内も少し覗いて見ました。ピカチュウのポスターが。つい最近まで子供も住んでいたと言うことでしょうか。

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一番奥の空き地から見た集会所跡。こちらの棟は木製金型の倉庫として再利用されています。

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そのため建物は当時の造りを比較的残していました。

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そろそろ帰ろうと引き上げかけた時、この地区の一番手前の脇から裏手へと回り込める事に気付きました。裏手は斜面が迫っているため日当たりが悪く、ススキもそれほど生えていません。

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こっち側には夏も入れたんじゃないか?なんて事など考えないようにします。

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今までよく見えなかった建物の側面も裏からならバッチリ。

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ついに、ススキの奥に見え隠れしていた鳥居の前へ。いざ、登って見ます。

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……ナニモナイ。
こんなもんです。

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気を取直して足尾駅構内に保存されているDB064。前回訪れた際にはブルーシートに覆われていました。これ、昔Nゲージで見た覚えがあるのですが、記憶が曖昧です。

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こちらは足尾銅山において古河鉱業(当時)が所有していたディーゼル機関車。

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足尾駅から通洞駅まで歩きます。途中、アールの壁が素晴らしい建物も。

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通洞駅からさらに下ると大正4年建造の新梨子油力発電所が国道沿いにあります。

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その隣には通洞動力所跡が。レンガ造りが見事ですが、だいぶ崩落が進んでいます。

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さらに先には通洞変電所が。

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こちらは廃墟ではなく現役で稼働し続けている施設です。この三つの建物、いずれも古河金属機械の敷地で立入禁止です。

栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

夏に訪れて以来、草が枯れるのを待ってからの足尾再訪です。藪などに阻まれ入ることが困難だった場所へも、秋なら進めるようになります。

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まずは簀子橋堆積場が見下ろせる山の上へ。通洞駅近くの蓮慶寺脇から、今ではほとんど使われなくなった登山道を登って行きます。急な斜面を登ってゆくと、なぜか幾つもの庚申塚が打ち捨てられていました。

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急斜面を登り切ると朽ちかけた祠が。しかし覗いてみると牛に跨った人物の首が無い。恐いから。
山村を訪れると稀にこのような首の無い仏像などを目にします。これは恐らく明治初期の神仏分離による廃仏毀釈運動によって破壊されたものでは無いかと想像出来ます。

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やがて緩やかな尾根伝いに登山道の痕跡を辿りながら登って行くと、高圧線の走る開けた場所に。

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二箇所目の高圧線。赤松が多いので紅葉としては微妙。

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尾根はやがて両側が崖という切り立った地形になって来ます。場所によっては突風が吹いたりして、かなり恐い。もう散歩とか旅とかじゃない、これはガチの登山です。

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左手には簀子橋堆積場より古い時代に作られた堆積場が見えて来ます。こちらが一杯になったため簀子橋堆積場が造られたそうです。

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崖っ縁や岩場など、とても登山道とは言いがたい尾根を登り続けること約30分。視界の開けた絶壁から簀子橋堆積場が見下ろせました。ここは足尾銅山で産出された鉱物の選鉱・製錬工程で発生するスラグ(鉱滓)を沈殿させ堆積させる施設で、鉱滓ダムと言われるものです。

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堆積場周辺の谷は全て古河機械金属の所有地のため一切立ち入ることが出来ず、本来その姿を見ることは出来ません。周辺を撮影したところ管理人にカメラを取り上げられたと言う噂もネットに上がっています。この茶色いのが鉱毒だと言うのですから、確かにヤバいです。

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この簀子橋堆積場は足尾でも最も規模も大きく見た目でも分かりやすい施設ですが、他にも多くの堆積場が今も残っています。東日本大震災ではその一部が崩落し、渡良瀬川に流出した事もあったそうで、かつて足尾鉱毒事件の被害を受けた下流域の住民に対する視察会や説明会は今も続けられています。写真はそう言った視察会などで使われると思しき立て看板。銅山による繁栄に対する代償は、閉山から44年経った今でも払い続けているということです。

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登山道はさらに奥へと続いているそうですが、素人の私がこれ以上進むのは無理。だって右も左もマジで崖なんですもの。

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振り返れば通洞の街が見事に見渡せました。しかし、下山はもっと恐いです。不明瞭なルートを地形を見ながら戻らなくてはなりません。この帰路、尾根が二手に分かれています。登った時はもう一つの尾根に合流した事に気付かなかったため、下山の際は途中で左に斜面を下りなければならなかった。

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気付いたら巨岩のてっぺん(写真中央)。こんな時焦ってはダメです。冷静に来た道を引き返し、地形図から今居る場所を考えて、正しい道を探さなければなりません。
ともあれどうにか無事下山。正直、距離が短いからと言って登山の素人が行っちゃいけない山です。いや、登山道としてもはや整備されていない点から言って中級者でもキツいかも。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
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