番外編

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【正月特別企画】回顧録・昭和の鉄道旅

あけましておめでとうございます。

正月はどこ行っても正月料金で高くつく。という事ですっかり寝正月でしたが、暇だったので押入れを漁ったりしてました。その時古いアルバムなどを開いてみたのですが、乗り鉄だった当時の写真が懐かし過ぎて、思わずセブンイレブンの複合機でスキャンし、デジタル化してしまいました。

昭和60年(1985年)の夏。当時高校2年生だった私はバイトしたお金で青春18きっぷを4冊買い、およそ18日間野宿とビジネスホテル泊と夜行鈍行泊を繰り返して各駅停車による日本一周の旅に出ました。
当時の記憶が非常に曖昧なのですが、一つの記録として写真をアップします。オリンパスOM-3にはモノクロを、OM-4にはカラーネガを入れて撮影しましたが、あまりに点数が多いため厳選します。

すいません、今回は鉄一色です。説明不足しまくりです。

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日本一周は時計周りで。宿泊費や野宿の回数を減らすために極力夜行鈍行で距離を稼ぐ。大垣行きの夜行を名古屋で降りて紀勢本線へ。写真はすれ違った特急南紀。

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紀伊勝浦-湯川間の湯川川橋梁にてEF15。当時から古い物が好きで、廃止の危機にある車両を主に追ってました。

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ここは湯川潟の入り口でしたが川原に三脚を立てていたところ、満ち潮で海水が見る見る迫って来て焦った覚えがあります。

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新宮より紀勢本線の夜行鈍行に乗車。EF58+12系+10系寝台。

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翌日は和田岬線の旧型客車を訪ねました。木場みたいに材木が浮かべてある光景なども、今では見られないのかも知れません。

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工業地帯への通勤客を乗せるためにシートを取り払った車内。今考えると衝撃的な列車でした。

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記憶が曖昧ですが、岡山で宿泊して宇高連絡船で四国に渡り、徳島を回って土讃本線の夜行鈍行にて高知へ。この時代、日本各地に夜行鈍行(又は快速)が走ってました。当時は一日2000円の青春18きっぷさえあれば、どこにでも行けた。

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数日飛ばして宮崎。日豊本線を走る寝台特急富士。しっかり撮り鉄もしてました。

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恐らく大隅線のどこかの駅にて(志布志?)、キハ26 455。大隅線はこの二年後の1987年に廃止されます。枝線は省いてとにかく海沿いの国鉄路線で一周したわけですが、今思えば時代として赤字路線が次々と廃止されていく直前のタイミングでした。

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最南端の指宿枕崎線西大山駅を訪れ、また日にちが飛びますが、日本最西端の駅、旧国鉄伊万里線の平戸口駅。だと思います多分。

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門司から福知山(豊岡?)まで、当時日本最長区間を走る山陰本線の824レに乗りました。一日中乗り続けてまぁよく飽きなかったなと。デッキの扉を開けて床に座り、餘部鉄橋で下を覗いて怖えーなんて言ってました。

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途中鳥取駅にて快速わかとりライナーを撮影。それよりも奥に写るキロ28が!

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追い越してゆく特急まつかぜ。何駅で撮ったかは全く覚えておらず。

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多分、宮津線か、もしかしたら舞鶴線のどこかの駅。場所を覚えてないのが悔やまれますが、ホームが無いという衝撃。多分短いホームからはみ出していたかなんかだと思いますが、ホームが無いて!

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あまり写真を撮っていなかった北陸本線、越後線、羽越線、奥羽本線、五能線など諸々すっ飛ばして、いきなり弘南鉄道。16歳(当時)がまた渋い趣味をしている。ガラガラと家の玄関の引き戸のように手で開けるドアに驚きました。本当にガラガラガラという音がした。

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とはいえ走っている時ぐらいドア閉めやがれ!と、少年はカルチャーショックを受けるのでした。

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青函連絡船で函館に渡り、函館本線の夜行鈍行41レで札幌へ。奥に見えるのが夜行急行大雪。

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当時はお座敷車両なんかも連結してました。

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名寄本線弘道駅。枕木を並べただけの、北海道特有のプラットホームにも衝撃を受けました。

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標津線のキハ22 116。何駅かは思い出せません。今ではその殆どの路線が廃止となり、一周なんて全く出来なくなってしまいましたが、当時は辛うじて可能でした。
函館本線〜留萌本線〜羽幌線(廃止)〜宗谷本線〜稚内〜天北線(廃止)〜宗谷本線〜名寄本線(廃止)〜湧網線(廃止)〜釧網本線〜標津線(廃止)〜根室本線〜東根室〜根室本線〜石勝線〜室蘭本線〜函館本線。

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函館本線は大沼公園を走る急行ニセコ。マニ50が時代を感じさせる。

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函館の市電。この514型は1992年、東雲線の廃止により廃車。

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東北本線の場所はどこだか分かりませんが、寝台特急ゆうづる。ギチギチのスケジュールだった割には、結構いろんな所で降りて撮り鉄してましたね。

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盛駅にて岩手開発鉄道のDD43。同年3月には廃車となっていたので、留置されて半年過ぎた姿だったようです。

以上、昔の鉄の話に長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
最後におまけ。
私のホームグランドだった根府川鉄橋にて。

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カートレイン。
渋い!
20系だし!

【年末スペシャル】記憶に残った情景(2017総集編)

毎年恒例となっています今年一年の締めくくり、記憶に残った情景総集編です。

今年は去年の年末に訪れた埼玉の廃村を引きずってのスタート。廃墟サイトでは有名な白岩集落探訪から始まりました。

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運転免許を持っていない私にとって写真を撮りに行くに際し、公共交通機関がどこまで走っているかと言う問題が常にあります。その点この白岩集落は歩く距離としての限界を更新しました。往復1時間近くでしかも山道。登山する方にとっては普通ですが、散歩レベルでは開き直りが必要です。しかしこの経験から行動範囲が広がったのは確か。道無き斜面を登るスキルも磨いた。
情景としては去年の山掴や栗山集落ですでに衝撃を受けていましたが、なかなかここも痺れました。

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今年の記事を振り返って見ると、ひたすら飲んでばかり。インパクトのある光景にはあまり出会わないまま夏を迎えます。そして北海道。去年、連続台風で8月には水没してしまったダムに沈むアーチ橋、タウシュベツ橋梁にリベンジ訪問。予想以上の迫力に圧倒されました。

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翌日、帯広〜釧路間を久々に鈍行列車で移動。帯広では暑いくらいに晴れていたのに、峠を越えて海沿いに出た途端に肌寒い濃霧。しかも一条の線路以外何もないという、まるで異世界に飛び込んでしまったような衝撃でした。

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実に久々の都内街歩き。北千住の飲み屋の多さに驚きながら、徐々に再開発されつつある路地裏に注目しました。特にこの駐輪場に一周囲まれてしまったバラックは酷い有り様。

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夏は奥日光温泉へ。温泉に入れるお寺の温泉寺に立ち寄りました。朝イチ入ろうとしたら加水されておらず80度の源泉がほぼそのまま。泣きながら加水&湯もみをするという経験も、後から考えると楽しいものでした。

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奥日光の帰りにバスの窓から見えた足尾の光景が衝撃的過ぎて、一週間も経たない内に改めて訪れることに。足尾銅山関連の遺構は前々から気になってはいましたが、この目で見ると居ても立っても居られなくなりました。

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すっかり廃村マニアになってしまった私は、足尾で鉱山住宅跡ばかりを巡りました。更地となり石垣しか残っていない地区から木造の長屋がしっかり残っている地区まで、当時の繁栄を偲ばせるものを多く見ることが出来ます。

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数年ぶり仕事で横須賀まで通うようになったので、以前ちゃんと撮れなかったスナック街を改めて歩きました。11年ぶりでしたが、あまり変わっていない事に安心。

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夏も終わる頃、今年は隅田川の花火も行ってないなぁと言うことで熱海の花火大会へ。とても充実した小旅行でしたが、それに絡めて以前より行きたかった超ショートヘアピンカーブトンネルへ。ただのトンネルですがカーブと斜度が半端ない、まるでサザエの中みたいなトンネルです。もう笑うしかない。

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夏に訪れた足尾。藪が枯れて奥まで分け入れるようになるのを見計らって再訪。一部ネットで見ることが出来るものの基本的にはタブーとされる簀子橋堆積場を見るべく、今ではほとんど使われる事の無くなった登山道を登りました。鉱毒を貯めるためのダムという、そのレアな光景に色々と考えさせられます。

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秋も深まりを見せる足尾。まだまだ行けてない場所も多くありますがなにしろ遠いので、来年もまた行ければと思います。

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さて、今年の締めは九州。旧国鉄宮原線跡のアーチ橋群は周辺に広がる日本の原風景も含め、非常に印象に残るものでした。来た事のない場所なのに、学生時代の汽車旅を思い出させてくれる。

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杖立温泉の路地裏迷宮。なんと言うか、もはやファンタジーとも言うべき非日常的な光景の連続で、九州のネタの多さに驚くばかり。以前より行ってみたいと思っていた温泉街ですが最近メディアやネットへの露出も多くなり、メジャーになるにつれ行く気が失せかけていましたが、実際行ってみれば想像以上の衝撃で感動しました。

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天ヶ瀬温泉のオープン過ぎる露天風呂。ほぼ川という開放感以前に、全方向から丸見えという驚き。温泉文化のおおらかな一面を今に残す貴重なお風呂です。

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最後の締めは志免鉱業所竪鉱跡。これだけ巨大な廃墟が解体もされずに残っていたと言うのが凄い。しかも周辺は普通の住宅街。九州の底力を感じました。

と、言うわけで今年はネタが少ない一年でした。仕事が忙しかったと言うのもありますが、基本的には立ち飲み屋で飲んでばかりいました。しかし通いたくなる店や、実際通い続けている店など、多くの出会いにも恵まれました。

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大船の立ち飲み屋「倉庄」さんはとにかく楽しい店でした。夕方の4時ぐらいに暖簾を潜れば、もうすでに出来上がっているお父さんたちが。まさに地元に愛されている店で、しばらく通い詰めていました。ただ大船方面の仕事が終わってしまったら、いかんせん遠くて行かれない。

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横浜市桜木町の市営地下鉄ビルの地下飲食街にある「はなみち」さん。とにかく古くてボロくて大好きな店内。遠くて通いこそ出来ませんでしたが、なかなか衝撃的でした。

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新宿歌舞伎町の外れの外れ、副都心線東新宿駅も近い6丁目。飲み屋なんてもう無いだろうと思える裏通りに突如として現れる立ち飲み屋「中根商店」さん。串物は塩加減焼き加減ともに絶妙で、モツ煮込みはコンニャクも人参も豆腐も入っていないモツのみというもの。美味くて週何回も通っていました。

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そして今年一番の出来事と言っても過言ではないのが、新橋駅前ビル一号館地下飲食街との出会い。まったく楽しい飲み屋街で、特に「南」さんは今でも、これからもずっと通い続けます。もう常連の仲間入り。と言っても常連もイチゲンも分け隔てなくフレンドリーなお店です。年内にもう一度ぐらい行けたらいいなと思います。

そんなわけで、今年も当ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
来年は今年以上に多くのマイナースポットを紹介出来ればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
皆様よいお年を。

〜2014年総集編(旅行編)
〜2014年総集編(首都圏編その1)
〜2014年総集編(首都圏編その2)
2015年総集編
2016年総集編

【年末スペシャル】記憶に残った情景(2016総集編)

 早いもので.2016年も終わろうとしています。もはや毎年恒例にしようと思っている総集編、今年も一年を振り返りながらピックアップして行きたいと思います。

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 今年は年明け早々、悲しい事実を知る事から始まりました。田町と品川の間、運河に掛かる高浜橋の袂に残っていたバラック集落が、立ち退きを迫られた末ついに全滅してしまったのです。高浜橋の架け替え工事計画にかこつけて不法占拠発祥のバラック群を一掃したかったのでしょう、工区とは関係のない範囲も含めたバラック群全域が立ち退き対象とされてしまいました。
 ここのホルモン『はるみ』は何度も飲みに行った店で、女将さん共々多くの常連さん達に愛されていました。オーナーの方はしつこい都の職員にも屈せず頑張っておられたのですが、再開発特区に指定され大きく変貌を遂げつつあった街で、とうとう時代の流れに飲み込まれてしまったようです。

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 その高浜橋から真っ直ぐ第一京浜へ向かうと、東海道新幹線、東海道線、山手線、京浜東北線を潜り抜けるためのトンネルがあります。ここが提灯殺しのトンネルの異名を持つ高輪橋架道橋です。ちょうど旧品川車輌基地の下に当たるため距離が長く、そして何よりも天井が低いため、タクシーの屋根に乗っている通称提灯がスレスレなのです。
 しかしこのトンネルも、車輌基地跡地の再開発に伴い消滅すると思われます。なにしろ山手線の新駅は出来るわ将来的にはリニアの駅も出来るわで、かなり大規模な再開発となるでしょう。

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 船橋から海岸の近くまで歩いたところにバラック群があります。この地域は都疎浜と言い、戦時中都心から疎開して来た人々がそのままこの地に住み着いたと言われています。しかしその中でも運河を背にした一帯は戦後のドサクサに不法占拠して建てていたため、市から移転を迫られていました。現在でも一部住んでいる方が居るのですが、運河に杭を打ち込みせり出す形で建ててあるため、バラック建築の多くが写真のように運河へと落ち込み倒壊寸前となっています。

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 まだまだ寒かった三月、二回に渡って旧関東鉄道鉾田線(旧鹿島鉄道)廃線跡を訪れました。ここは私がまだ小学生の頃、旅好きの父親に連れられてローカル線の旅として訪れた鉄道です。しかし当時の私は霞ヶ浦沿岸の、延々と続く葦の原野に失望した覚えがあります。風光明媚な車窓の景色を期待していた私は、想像したのと違うと思ったのです。しかし歳を重ね、改めて訪れようと思った時にはすでに廃止され、その遺構を歩くしかありませんでした。写真は八木蒔駅跡。森の中の素晴らしい駅ですが、もうここにディーゼルカーのエンジン音が鳴り響くことはありません。

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 旧鉾田線の終着駅のあった鉾田の街を歩いていた時、このガソリンスタンドの廃墟が目を引きました。まるで空爆に遭った戦地のような、と言うと大袈裟ですが、この光景は非常に印象に残りました。東日本大震災で液状化現象を起こし、鉾田駅及び周辺の線路も甚大な被害を受けた事を契機に鉄道が廃止され、過疎化に拍車が掛かりました。このガソリンスタンドは、そんな寂れてゆく街を象徴するかのように思えました。

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 小学生の頃、父親に連れられ訪れた真鶴水族館は廃業寸前で、その廃退的な雰囲気が強く印象に刻まれています。思えばそんな幼少期の記憶が、今の廃墟好きのルーツとなっているのかも知れません。その追憶の彼方に眠っていた真鶴水族館跡地に、我ながら物好きだなあと思いながら訪れてみました。海岸へと降りる廃道を進むと、そこは生け簀跡の堤防がただ残るだけの建造物も何もない入り江。しかしその奥には、忘れ去られたかのように磨崖仏の観音様が海を眺めながら佇んでいました。

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 今年、いや、今までで最も感動したと言える共同浴場の平治温泉。河原に向かって畦道を下って行くと、林の中にポツリと一軒の掘っ建て小屋。外来者にも解放されているとはいえ半地元専用の共同浴場のため看板も何も出ておらず、ここがまさか温泉とは誰も気付きません。このシチュエーションもさることながら、気泡がびっしり肌を包む鮮度抜群な炭酸泉も素晴らしい。個人的な好みとしては非の打ち所がない一湯でした。

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 伊豆高原にある廃ループ橋。幾つかの廃墟サイトでその存在を知り、いつか行って見たいと思い続けていた念願の場所です。いつしか打ち棄てられ、解体されもせずただ放置され続け、一部崩落してもなすがまま。今年に入って特に私の中で廃墟巡りがエスカレートした訳ですが、この廃道に入るために道でも何でもないただの斜面をよじ登った時、自分の中で何かが吹っ切れたような。悪い意味で(笑)。なんかもう後戻り出来ない領域へと足を踏み入れてしまった、そんな気がしてなりません。

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 石切り場としてテレビにも紹介され有名となっているのは栃木県の大谷石採掘場ですが、ここ群馬県の藪塚石採掘場はマイナー過ぎて殆どの方が知らないと思われます。大谷石採掘場に比べて規模も小さく坑内にも入れないという、ほとんど観光地化されていない遺構ですが、山の中に突如現れる人工的な断崖は、非日常的な光景を見せてくれます。

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 廃墟好きが高じて、今年は廃校もチェックするようになりました。この鬼石小学校跡は昔の姿を綺麗に残す貴重な木造校舎です。鬼石を訪れた時は路線バスの本数が少ない中で、この廃校跡と温泉にターゲットを絞って巡りましたが、宿場町としての街並みも見事なので、今一度訪れてみたいと思います。

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 今年は茨城、千葉、群馬、埼玉と、足を伸ばすことが多かった。都心はだいたい撮り尽くしてもう面白いネタも無くなったかな、なんて思っていました。しかし探せばまだまだ面白い街はあるものです。ここ本郷界隈は関東大震災や東京大空襲の際に火災から逃れていたため、古い木造建築が多く残されています。文豪が暮らしていた街という見方で歩くと意識高い系の観光客みたいになってしまいますが、実際に歩くと写真のような下宿屋のような木造建築を見つける楽しみがありました。

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 三業地、という言葉自体を恥ずかしながらこれまで知りませんでした。料亭、待合い、芸妓置屋が営業を許可されたエリアの事を三業地と言うのですが、それまでは神楽坂や向島、赤坂などの事を「ただの料亭街」と呼び、庶民的な赤線、青線、遊郭などと区別していました。しかし、三業地として探せばまだまだ知らない花街の多い事に驚かされます。そんな三業地の中でも大塚は、人知れずしかし現存し続ける花街の一つです。歩いて調べて初めて知ることが、都心にもまだまだ沢山あることを思い知らされました。

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 9月に入って二回ほど内房を訪れました。富津岬周辺はアクアラインの開通により多くの人が訪れるようになり、三井アウトレットパークなどの巨大施設も建ちホテル三日月も大人気。そんな中、年に一度ゴールデンウィークにしか人が来ない限定観光地である潮干狩り場に、海に続く電柱群という珍しい景色があります。ただ、最近この場所はテレビなどで紹介されるようになって以来すっかりメジャーになってしまい、しかも満潮の夕方の凪いでいる時に水面に映る電柱群という、非常に幻想的な景色がちゃんとしたアマチュアカメラマンの方々によって撮られているため、日帰りスケジュールで午前中にパッと行ってパッと撮った写真などでは全然見劣りしてしまいます。しかし、これも消えゆく景色の一つであるのは確かです。

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 6Frogus様という私の敬愛するサイトがあるのですが、そこで過去に紹介されていてずっと行きたいと思っていたスポット。岩谷観音堂です。現在では行政主導のもと保存への動きがあるようですが、以前は地元の方しかその存在を知らず、荒れ放題だったとか。その頃に行って見たかったと思うばかりですが、今でもその存在はほとんど知られる事無くひっそりと佇んでいます。

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 千葉県の房総半島には太平洋戦争末期、米軍による首都上陸に備え、様々な軍事施設が造られました。特に内房地域には今でも砲台跡や弾薬庫跡などの遺構が人知れず残っています。その一つ、山あいの畑の中に有人特攻ミサイル、桜花の発射用カタパルト跡が、草木に覆われ眠っています。幸いにも本土決戦の前に終戦を迎えたため使われる事はありませんでしたが、貴重な戦争遺跡です。

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 9月末に行った北海道旅行は衝撃の連続でした。特に帯広の街の広大なスナック街と、その荒廃ぶりは歩いてみて初めて知りました。帯広スナック街は碁盤の目に造られた街の至る所に「コ」の字、または「ニ」の字形の長屋造りという特徴的な造りになっています。特に写真のスナック長屋は全滅しており廃墟化していました。

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 本来は糠平湖湖底に残るタウシュベツ橋梁跡を見るツアーを予約したのですが、今年の夏は異常気象で雨が多かった影響もあり、例年より三ヶ月も早くダム湖の水位が上昇。タウシュベツ橋梁は湖の底に沈んでしまいました。代わりに開催されたのが廃線跡、旧士幌線のアーチ橋を巡るツアーでした。本来の目的とは変わったものの、その内容の濃さは充分過ぎるほどでした。

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 浦山ダムのダム湖周辺に点在する限界集落には過去訪れた事が有りましたが、その周囲の山々に多くの廃村が存在する事を後に知り、リベンジの意味で再訪しました。写真はその廃村の一つ、茶山集落跡です。想像以上に家屋が残されており、また秩父地方山間部特有の斜面にへばりつく集落は圧巻でした。また廃村探訪はこの時が初めてで、すっかりハマってしまう事に。

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 茶山、嶽集落を訪れた翌週、写真の栗山集落と山掴集落を訪れました。この二つの集落はさらに足場が悪く生活道は崩れかけているため、斜面をよじ登って回らなければなりません。それだけてはなく集落の中に熊の糞が転がっており、つまりガチで熊出没注意なのです。訪れるにはそれなりの装備と心の準備が必要です。しかしながらこの栗山と山掴集落の雰囲気は凄まじいものがあり、一度は行くべきだとも思います。

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 特に山掴集落は今年最も印象に残った場所と言えます。杉の生い茂る山肌、たとえ廃村でなくしても、ここに集落がある事自体あり得ない光景です。どのような人々がどのような暮らしをしていたのか、山育ちの私でも全く想像がつきません。薄暗く湿った木立の中の家々は非現実的で、生活感すら感じられませんでした。

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 今年の上旬、千葉の栄町を訪れた後時間が有ったので、津田沼の温泉銭湯鷺沼温泉に立ち寄りました。しかし運悪く臨時休業で入れず、12月になってやっとリベンジする事が出来ました。何もない住宅街の中に突然姿を現す、屋根の崩れかけたバラック建築。看板が無ければまさか銭湯だとは思いません。しかも入って見れば地元の常連しか分からないシステムや至るところが放置プレイなところ、激熱な湯船など、戸惑う事ばかり。ここまで来ると貴重な存在です。

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 その存在を初めて知ったのは関東懐旧街さんというサイトに紹介されていた記事を読んでから。ずっと気になっていた場所ですが、埼玉の真ん中というのは「どうせ何もない」という先入観から、どうしてもモチベーションが上がらないのです。しかし、行ったら行ったで面白い場所はあるものです。握津集落は都心を水害から守るための荒川改修工事で堤防が集落より内陸部側に築かれてしまい、文字通り取り残されてしまった村です。住人たちは全て堤防の内側へと引っ越し家屋は全て取り壊されてしまいましたが、広大な農地は元住民たちの手により今でも耕作されています。そのため集落の痕跡を残しつつも人の往来は有るので、農村から家屋だけが消滅したという不思議な雰囲気を醸していました。

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 今年最後の締めは大塚の立ち飲み屋『秀吉』。今年は初夏の頃から大塚に仕事で通い、この街のポテンシャルに驚かされました。新宿の隣の大久保にかつて住んでいた私にとって、池袋の隣の大塚はとても居心地の良い街でした。都市の隣には貧民街やホテル街がある。上野に鶯谷、新宿に大久保、渋谷に神泉円山町。池袋に対するホテル街は分散していますが、どこかやさぐれたこの街の雰囲気は懐かしさすら感じる。そんな大塚で一軒の立ち飲み屋さんが消えて行きました。

 そんな訳で一年を振り返ってみましたが、今年はとにかく廃墟と立飲みどきどき温泉な一年でした。都内の町歩きはほとんどせず、逆に千葉や埼玉、茨城、神奈川などへの日帰り旅が多かった。本当は関西や九州も行きたかったのですが、それはまた来年に持ち越しという事で。
 それでは、今年も一年ありがとうございました。来年もまた新たな探検を続けて参りますので、宜しくお願いいたします。皆様も良いお年を。

【日記】温泉観光実践士

 土曜日日曜日、二日間の講習を受けて温泉観光実践士の資格を取りに、京急蒲田駅前の大田区産業プラザに来ました。

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 この多目的ホールは昔、新作ゲーム発表会に行ったり、最近では文学フリマに行ったりと、何かと縁のある会場です。二日目の日曜日も一階の大ホールでは、同人誌系のイベントが開催され賑わっていました。

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 会場はおよそ二百人前後の受講者で満席。温泉観光実践士の開催以来の最多人数。なぜかと言うと、今回より温泉ソムリエ協会と協力関係を結んだようで、温泉ソムリエの資格を既に持っている人が今回の講習を受けると、温泉ソムリエマスターにレベルアップするという企画も付け加えたからのようです。そのため、温泉ソムリエ家元の講義の際、温泉ソムリエを取得している人手を挙げてとの声掛けに対して会場のおよそ9割が手を挙げるという。みんな今回の受講料の他に5千数百円払ってソムリエ資格のレベル上げしに来たようです。

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 1日目の講義は元、某旅行代理店の准教授の話や、某大学名誉教授による温泉健康医学の話、ペッパー君の可能性や旅館業再生の話など、2日目は温泉ソムリエ家元による温泉地再生の話や大田区銭湯組合会長の温泉銭湯の現状、大学教授による温泉の歴史や温泉観光実践士協会会長による旅館再生の話など、多岐に渡る様々な講義を聴けました。ただ、もうちょっと地方の観光産業の現状や行政の実態の話なんかも学びたかったかも。

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 ともあれ、晴れて温泉観光実践士の認定を受けることが出来ました。免許証見たいな小さい物を想像してたら賞状見たいな物でした。

【番外編】震災から5年、未だ復興が終わらない新浦安

 2011年3月11日の東日本大震災から早くも5年もの年月が経ちました。去年の年末と今年の年明けに仕事で福島県郡山市に行ってましたが、いまだに除染作業が続けられているようで、復興はまだ続いているのだと実感しました。

 震災当時私は茅ヶ崎からの帰宅難民となり、バスを乗り継いでも戸塚までしか帰れず、体育館に寝泊まりしていました。その後、金も時間も交通手段も無かったため東北へは行けませんでしたが、浦安の液状化現象の被害は撮影に行けました。今回、震災の恐ろしさを忘れないためにもその当時の写真をアップしつつ、現在あの場所はどうなっているのか、改めて訪れて参りました。

 浦安の臨海地区は、まず元々陸地だった元町地区があり、高速道路を隔てて海側には1968年の第1期海面埋立事業により埋め立てられた中町地区、さらに堤防跡と高圧電線を隔た海側に、1980年の第2期海面埋立事業により埋め立てられた新町地区に分かれます。

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 震災当時、特に地盤沈下等の被害があったのが、JR京葉線新浦安駅周辺に広がる中町地域でした。上の写真は新浦安駅東口のエレベーター。地盤沈下の様子。

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 現在ではすっかり綺麗に復旧されてますが、エレベーターや階段などは特に建て替えられておらず、路盤を直すだけで済んだのだと分かります。

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 第1期と第2期の埋立事業の境界である旧防波堤跡と第1期側。車道がかなり斜めに傾いてます。
 昭和40年代の埋め立て事業においては液状化対策がなされていなかったため、結果的にはそれぞれの境界線を境に被害状況が異なっていました。

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 今回驚いたのは、もう五年が経とうと言うのに未だに路盤改良工事が続いていたという点。

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 建造物の基礎や車道は比較的そのままで、主に歩道や公園、側溝やU字溝などが地盤沈下を起こしておりました。そのためほとんどの世帯でブロック塀や門扉が傾くなどの被害が生じました。

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 各家庭ごと壊れた箇所だけを直されていますが、当時は災害保険に加入していなかった方も多かった事でしょう。国からの援助も半壊や全壊家屋に割り当てられ、塀などは自己負担。まさか浦安の、しかも中町地区だけがこんな事になるとは、予想していなかった事でしょう。

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 こちらでは電柱が沈んだり傾いたりしており、電線が低く垂れ下がっているような状態。

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 電信柱や上下水道、都市ガスなどライフラインに関わる物は早い段階で復旧されましたが、アスファルトはまだ真新しく、最近復旧された様子。

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 境川沿岸の地割れの様子。

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 散歩道は優先順位が低く、いまだ工事中で立ち入り禁止のまま。震災当時は白い柵の向こう側で撮影。

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 同じく境川沿岸。アスファルトがうねってます。

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 こちらも舗装されたばかりの状態。フェンスや石垣はそのまま使われています。

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 崩壊した公園。新浦安界隈を撮影してきた当時は震災から5日ほど経った後で、やっと泥を排除できたといった感じでした。

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 樹木は減ったものの、ほぼ元の状態に復旧されています。

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 こちらは震災直後のように見えますが、実はつい先月の写真です。公道や公共施設と違いマンションなどの私有地では、放置されたままの所もあります。結局のところ修繕費用を誰が負担するかという問題が残っているのかも知れません。

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 液状化現象は地中の土が泥となり地上に吹き出したため地盤が下がり、マンホールだけがせり上がったような形になってしまいました。

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 今では跡形もなく綺麗になっていましたが、つい最近工事された様子。

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 震災当時のガス、水道の復旧工事の様子。ライフラインの復旧は急ピッチで進められました。

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 こちらも一見元通りに直されています。

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 しかしよく見れば爪痕は残ったまま。

2011.3.27
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 基礎工事がしっかりしている建造物は周辺の影響だけで済んでますが、このように家屋そのものが傾いてしまっている場所も。塀が傾いたぐらいならまだしも、このような世帯では建て替えが必要となります。上の写真はどこで撮ったのか、記憶を辿りましたが場所が思い出せず、現在の様子は撮影できませんでした。

2016.2.5
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 住宅街のあちこちに上のような立て看板が掲げられています。しかし復興工事は今年度中に完了させようとしている模様。

2016.2.5
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 路盤改修工事は土を掘り返して基礎からやり直さなければならないようで、ひとつの街全体を直すには相当な工期と予算が必要とされたのでしょう。

2016.2.5
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 以上、現在の新浦安の様子でしたが、東北の被災地はここより更に復興が遅れていると聞きます。
 新浦安では死者こそ出ていないものの充分過ぎるほどの『被災地』でした。あまりテレビなどで報道されませんでしたが、もっと注目されてもいいのにと当時は思いました。
 震災から五年、既に過去の災害と考えられていますが、実際は現在進行形なのです。

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都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

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