毎年恒例、印象に残った情景2023年総集編をお送りします。写真をクリック(タップ)するとその時の記事に飛びます。
今年は色々あって金銭的に遠出が出来ませんでした。しかしながら関東圏内の日帰り旅でも、結構衝撃的な場所が数多くあり、なかなか豊作の年でした。
記憶に残った情景(〜2014年旅行編)
記憶に残った情景(〜2014年首都圏編その1)
記憶に残った情景(〜2014年首都圏編その2)
記憶に残った情景(2015年総集編)
記憶に残った情景(2016年総集編)
記憶に残った情景(2017年総集編)
記憶に残った情景(2018年総集編)
記憶に残った情景(2019年総集編)
記憶に残った情景(2020年総集編)
記憶に残った情景(2021年総集編)
記憶に残った情景(2022年総集編)
今年の一発目は何と言っても富岡製糸場ですね。昨年館林を訪れた辺りから俄かに近代産業遺産に目覚めてしまいまして、世界遺産でありながらも「ガッカリ観光地」なんじゃないかとタカを括っていたのですが、いざ行ってみたらまぁ面白いこと。個人的にかも知れませんが想像以上に楽しめました。
もちろん戦争遺跡も今まで通り巡り続けます。と言う事で横須賀の千代ヶ崎砲台跡。廃墟的な雰囲気となった戦争遺跡もいいものですが、綺麗に整備されてボランティアガイドさんの説明を受けながら巡ると、より深く歴史を知る事が出来ます。
インスタは情報源として活用させて頂いております。この羽田近くで河川に突き出した五十間鼻無縁仏堂などは、インスタやってなかったら知る由も無かったかと思います。無縁仏、つまり多摩川の土左衛門が流れ着く場所。近くの煉瓦造り防潮堤跡もまた興味が注がれました。
埼玉県比企郡の鳩山ニュータウン。公園に保存されているトロッコ列車を撮りに行ったのですが、その公園があるニュータウンを調べたところ、高度成長期に完成したニュータウンの少子高齢化、それによる過疎化という社会問題を知ることが出来ました。
鳩山町を訪れた際にGoogleマップでたまたま廃線跡を発見しました。それが東松山市の高坂駅から枝分かれしていた東武鉄道の貨物専用線。桜満開の季節に歩き過ぎるほど歩いてしまいました。しかし掘り下げて見れば、戦後から高度成長期に掛けてのセメント産業の遺構だと知ります。ふと興味が湧いたばかりに、この後セメント産業についてさらに掘り下げる事となります。
東松山市の廃線跡を訪れた訳ですが、そこで産出された鉱物(泥土)はどこに運ばれていたのか。そして行き当たったのが東武鉄道越生線から枝分かれする日本セメント(現・太平洋セメント)専用線の廃線跡でした。ドキュメンタリーの気分。
その流れで日本セメント(現・太平洋セメント)埼玉工場から八高線までの廃線跡も歩きました。さらに埼玉工場を掘り下げたら、秩父の武甲山から日高市までトンネルを掘りベルトコンベアで鉱石を運び込んでると言う事を知り、そのベルトコンベアを撮りに行きました。ここまで来ると情景と言うよりレポートです。
最終的には石灰石を産出する武甲山の麓にある秩父鉄道の専用線と専用線廃線跡まで訪れました。昭和のセメント産業について追いかけ、色々知るきっかけとなりました。
セメント取材のついでに正丸峠周辺の廃校跡も巡りました。結構まとまった地域に集中していましたが、山道を歩きまくりました。結果、膝に水が溜まると言う。
過去に掩体壕や素掘りのトンネルなどを巡った茂原市。さらにゴーストタウン化が進んでいる市営真名団地の存在を知り、行ってみたら衝撃的な光景が広がっていました。今年特に印象に残った場所のひとつです。
同じく市営八丁寺団地も雑草に埋もれていました。ここを訪れた3ヶ月後の9月、近くを流れる一宮川が台風に伴って氾濫しました。まだ住まわれている方も居る中、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
つくばのエキスポセンターに行きつつ公園に保存されている高速バスを見に行きました。本来は「草ヒロ」と呼ばれる放置または再利用された廃車両を探したいのですが、草ヒロ業界では持ち主や地主に迷惑がかかると言う事で場所などを伏せるのが暗黙の了解。なので車などで走り回り偶然見つけないと出会えないのです。とは言え、70年代の観光バスは当時小学校高学年で乗り物好きだった私にとって、まさにストライク!
そのつくば市に訪れた際、偶然見つけたのが無人と化した公務員宿舎群。大規模再開発を前にほとんどの棟が退去されて無人となっていました。ただその棟の数の多さや規模に驚くばかりでした。今後再開発されて行く土地なので、ゴーストタウンの様相を見るのは今しか無い。
ここも今年衝撃的だった場所のひとつ、足利健康センター。外観はほぼ廃墟で内部はゴミ屋敷。そして実態は同性愛者のハッテン場となっていると言う。まだ日本にこのような場所が残っていた事が、ただただ衝撃でした。
廃線跡にちょっと飽きて来た昨今、廃止された渡し船の跡地って言う激渋物件。群馬県伊勢崎市の南端、利根川の対岸にある河川飛び地の島村集落まで運行されてました。この船はGoogleマップの空撮で発見。こう言うのは普通発見出来ません。まさにGoogle様様です。
草が枯れ、山を分け入るのが容易くなる季節を待って訪れた厚木の廃神社、旧伏見稲荷神社跡。久々の廃墟探索でしたがなかなかの雰囲気でした。
行田市の足袋蔵の街並みをレンタルサイクルで。特にドラマ「陸王」のロケ地となったイサミ足袋本舗の工場は建物として素晴らしかった。また行田市の観光産業に対する本気度も好感が持てました。
一年の締めくくりに競艇は無いだろう、と思うのですが、競艇場周辺のギャンブル酒場で常連の方々と飲むと言う、とてもディープな経験をしました。今年一年で非常に思い出深い訪問の一つです。
今年は夏が暑く長かったのが印象に残っていますが、内容としては非常に濃く充実していました。とは言えちょっと経済的に地方へ泊まりがけで旅行出来なかったのが心残り。そして、とにかく歩きました。特に東松山市や日高市、秩父市などで、何時間も歩き続けましたが、それだけ公共交通機関が無くなっていると言う事です。
今年の前半は近代セメント産業にハマって鉱物の流通を追いかけたりしていました。そして後半は昭和の健康ランドにちょっとハマった。
さて来年は一体何に興味が湧くのか。それはその時になってみないとわかりません。ともあれまた狭いところを掘り下げて行こうかと思います。
年を追うごとに古き良き物が次々と消えてゆき気持ちは焦るばかりですが、来年も良い一年になるように。
今年は色々あって金銭的に遠出が出来ませんでした。しかしながら関東圏内の日帰り旅でも、結構衝撃的な場所が数多くあり、なかなか豊作の年でした。
記憶に残った情景(〜2014年旅行編)
記憶に残った情景(〜2014年首都圏編その1)
記憶に残った情景(〜2014年首都圏編その2)
記憶に残った情景(2015年総集編)
記憶に残った情景(2016年総集編)
記憶に残った情景(2017年総集編)
記憶に残った情景(2018年総集編)
記憶に残った情景(2019年総集編)
記憶に残った情景(2020年総集編)
記憶に残った情景(2021年総集編)
記憶に残った情景(2022年総集編)
今年の一発目は何と言っても富岡製糸場ですね。昨年館林を訪れた辺りから俄かに近代産業遺産に目覚めてしまいまして、世界遺産でありながらも「ガッカリ観光地」なんじゃないかとタカを括っていたのですが、いざ行ってみたらまぁ面白いこと。個人的にかも知れませんが想像以上に楽しめました。
もちろん戦争遺跡も今まで通り巡り続けます。と言う事で横須賀の千代ヶ崎砲台跡。廃墟的な雰囲気となった戦争遺跡もいいものですが、綺麗に整備されてボランティアガイドさんの説明を受けながら巡ると、より深く歴史を知る事が出来ます。
インスタは情報源として活用させて頂いております。この羽田近くで河川に突き出した五十間鼻無縁仏堂などは、インスタやってなかったら知る由も無かったかと思います。無縁仏、つまり多摩川の土左衛門が流れ着く場所。近くの煉瓦造り防潮堤跡もまた興味が注がれました。
埼玉県比企郡の鳩山ニュータウン。公園に保存されているトロッコ列車を撮りに行ったのですが、その公園があるニュータウンを調べたところ、高度成長期に完成したニュータウンの少子高齢化、それによる過疎化という社会問題を知ることが出来ました。
鳩山町を訪れた際にGoogleマップでたまたま廃線跡を発見しました。それが東松山市の高坂駅から枝分かれしていた東武鉄道の貨物専用線。桜満開の季節に歩き過ぎるほど歩いてしまいました。しかし掘り下げて見れば、戦後から高度成長期に掛けてのセメント産業の遺構だと知ります。ふと興味が湧いたばかりに、この後セメント産業についてさらに掘り下げる事となります。
東松山市の廃線跡を訪れた訳ですが、そこで産出された鉱物(泥土)はどこに運ばれていたのか。そして行き当たったのが東武鉄道越生線から枝分かれする日本セメント(現・太平洋セメント)専用線の廃線跡でした。ドキュメンタリーの気分。
その流れで日本セメント(現・太平洋セメント)埼玉工場から八高線までの廃線跡も歩きました。さらに埼玉工場を掘り下げたら、秩父の武甲山から日高市までトンネルを掘りベルトコンベアで鉱石を運び込んでると言う事を知り、そのベルトコンベアを撮りに行きました。ここまで来ると情景と言うよりレポートです。
最終的には石灰石を産出する武甲山の麓にある秩父鉄道の専用線と専用線廃線跡まで訪れました。昭和のセメント産業について追いかけ、色々知るきっかけとなりました。
セメント取材のついでに正丸峠周辺の廃校跡も巡りました。結構まとまった地域に集中していましたが、山道を歩きまくりました。結果、膝に水が溜まると言う。
過去に掩体壕や素掘りのトンネルなどを巡った茂原市。さらにゴーストタウン化が進んでいる市営真名団地の存在を知り、行ってみたら衝撃的な光景が広がっていました。今年特に印象に残った場所のひとつです。
同じく市営八丁寺団地も雑草に埋もれていました。ここを訪れた3ヶ月後の9月、近くを流れる一宮川が台風に伴って氾濫しました。まだ住まわれている方も居る中、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
つくばのエキスポセンターに行きつつ公園に保存されている高速バスを見に行きました。本来は「草ヒロ」と呼ばれる放置または再利用された廃車両を探したいのですが、草ヒロ業界では持ち主や地主に迷惑がかかると言う事で場所などを伏せるのが暗黙の了解。なので車などで走り回り偶然見つけないと出会えないのです。とは言え、70年代の観光バスは当時小学校高学年で乗り物好きだった私にとって、まさにストライク!
そのつくば市に訪れた際、偶然見つけたのが無人と化した公務員宿舎群。大規模再開発を前にほとんどの棟が退去されて無人となっていました。ただその棟の数の多さや規模に驚くばかりでした。今後再開発されて行く土地なので、ゴーストタウンの様相を見るのは今しか無い。
ここも今年衝撃的だった場所のひとつ、足利健康センター。外観はほぼ廃墟で内部はゴミ屋敷。そして実態は同性愛者のハッテン場となっていると言う。まだ日本にこのような場所が残っていた事が、ただただ衝撃でした。
廃線跡にちょっと飽きて来た昨今、廃止された渡し船の跡地って言う激渋物件。群馬県伊勢崎市の南端、利根川の対岸にある河川飛び地の島村集落まで運行されてました。この船はGoogleマップの空撮で発見。こう言うのは普通発見出来ません。まさにGoogle様様です。
草が枯れ、山を分け入るのが容易くなる季節を待って訪れた厚木の廃神社、旧伏見稲荷神社跡。久々の廃墟探索でしたがなかなかの雰囲気でした。
行田市の足袋蔵の街並みをレンタルサイクルで。特にドラマ「陸王」のロケ地となったイサミ足袋本舗の工場は建物として素晴らしかった。また行田市の観光産業に対する本気度も好感が持てました。
一年の締めくくりに競艇は無いだろう、と思うのですが、競艇場周辺のギャンブル酒場で常連の方々と飲むと言う、とてもディープな経験をしました。今年一年で非常に思い出深い訪問の一つです。
今年は夏が暑く長かったのが印象に残っていますが、内容としては非常に濃く充実していました。とは言えちょっと経済的に地方へ泊まりがけで旅行出来なかったのが心残り。そして、とにかく歩きました。特に東松山市や日高市、秩父市などで、何時間も歩き続けましたが、それだけ公共交通機関が無くなっていると言う事です。
今年の前半は近代セメント産業にハマって鉱物の流通を追いかけたりしていました。そして後半は昭和の健康ランドにちょっとハマった。
さて来年は一体何に興味が湧くのか。それはその時になってみないとわかりません。ともあれまた狭いところを掘り下げて行こうかと思います。
年を追うごとに古き良き物が次々と消えてゆき気持ちは焦るばかりですが、来年も良い一年になるように。