茨城県

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茨城県つくば市(3)、続・無人と化した公務員宿舎群

前回はつくば駅を中心に歩き回りましたが、続編と言うことで今回は観光協会でレンタルサイクルを借りて郊外まで足を延ばして見ました。

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H-2Aロケット打ち上げ延期で今話題のジャクサ!
宇宙航空研究開発機構、通称JAXAの研究施設はつくば駅の南東3キロ弱に位置します。午前中仕事で昼過ぎの訪問だったので、中を見学する事はできませんでした。

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そのJAXAからさらに東へ行ったところにあるのが公務員宿舎の並木2丁目住宅。つくば学園都市の歴史やらは以前書いたので端折ります。

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基本的には二階建て二軒長屋の構造。ここまで来ると駅から4キロ。歩くと50分掛かり、バスを利用しても10分プラス徒歩掛かります。

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中央を貫く私道の左右に各戸の門が並びます。駅から離れているも何も建設されたのはつくばエクスプレスが開通するずっと前。近くには文部科学省産業技術総合研究所があります。

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上の写真右手、南側住戸の入り口。構造は英語の「C」の字みたいになっており特徴的。と、思ったらなんと一軒だけ住まわれている方がいました。無人じゃなかった。

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こちらは左手、北側の住戸の入り口。一戸建てではなく、あくまで二軒を繋げて一棟にするには理由があるのでしょうか。建築法とか団地に関する法律とか。あくまで集合住宅ですよ的な。

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内部はなかなか広いです。車があればJAXAにも通勤できますね。まぁ送迎バスぐらいは有ったかも知れませんが。

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やはり退去する際、畳などを張り替えなければならないんですね。凄い綺麗になってます。今すぐにも入居できるくらい。

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ただ外周部がこれです。恐らくは最後の住人が引っ越した時点で解体されるのかと思われます。

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周辺は一戸建て住宅の造成地ですが、Googleマップの空撮を見ると周辺も元々は公務員宿舎の跡地である事が窺えます。

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さらに東側には3階建団地建築の区画もあります。

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この地区、一棟につき数軒の入居者がおられますが廃止、解体が予定されているかと思われる。

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なかなか凝った造り。80年代の建築でしょうか。

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TXつくば駅から離れているので土地を買い取る企業が本当にいるのか疑問に思います。壊すには勿体無い立派な建物ですし、民間への売却からの再開発以外に活用方法は無いのでしょうか。

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例えば低い家賃で生活に困っている人に貸すとか、ウクライナからの難民を受け入れて住まわせるとか。まぁ近隣住民が反対するか。

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ひと区画に必ず1ヶ所は公園が完備されています。ここよりさらに東側には3階建が5棟からなる並木4丁目住宅がありましたが、すでに解体工事中でした。

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4丁目住宅跡地の北東側に広がっているのが並木3丁目住宅。

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こちらは一棟に1軒が入る2階建の棟となります。中心街から離れていて辺鄙な代わりに、集合住宅形式ではなく広々とした部屋数の多い棟ですよ、と言うことか。

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広い敷地に60棟が建ち並んでいますが、すでに無人と化しています。

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私道も草木が伸びるまま。

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奥の方に行くと福島県双葉町役場つくば連絡所と言う看板が。あの東日本大震災の原発事故で帰宅困難地域となった双葉町。仮設住宅代わりに被災者の方がが住まわれていたのでしょうか。

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その双葉町も一部を除きだいぶ帰れるようになりました。しかしここを離れても双葉町へは帰らずに、都市部へと引っ越された方も多いようです。

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ここに来てやっと学園都市以前から住んでおられる農村地帯が見えて来ました。

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さて、並木地区を離れ南西へ4キロ進んだところに松代5丁目住宅があります。

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こちらは二軒で一棟、瓦屋根の2階建となります。公務員宿舎の7割が廃止となる予定ですが、ともすれば削減計画が発表された2011年以前から廃止は始まっていたのかも知れません。だって、どう見ても9割以上が無人または1〜2軒住むのみの状態ですし。

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かなり立派で部屋数も多そうですが、こちらもすでに無人。ゴーストタウンの様相となっております。

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ここから北へ3キロ進めばTXつくば駅。バスも走っております。

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隣接する松代5丁目住宅の東地区。

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こちらも同じような構造ですでに無人化。

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敷地内の歩道やベンチも荒れ放題です。

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一戸建ての住宅街との決定的な違いは、棟ごとに境界となる塀が無い事。あくまでも団地に部類されるわけです。

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少し開けて建物全体が見える所がありました。基本的には木々が伸び放題に伸びているのですが、部分部分草が刈られているようで、あるいは最近まで住んでいたとか。

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隣接する区画ではすでに宅地造成が進んでいました。TXつくば駅まで3キロ、バスで9分。一戸建て住宅4000万と言う広告も目にしましたが、果たしてどれほどの需要があるのか。

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西側には3階建の棟が建ち並ぶ区画も。こちらはまだ数軒住んでおられるようです。

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最後に松代5丁目から北へ2キロ、松代1丁目にある文部科学省外国人研究者宿泊施設跡。

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区画はロープで閉鎖されており、私道も草に覆われています。

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名前の通り外国人の研究者が短期間滞在する施設です。

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気持ち天井が高く造られているような気がしますが、使われなくなってかなりの年月が経っているようにもみえます。

茨城県つくば市(2)、無人と化した公務員宿舎群

ドリーム号の保存車両が目的で訪れたつくば市。しかし街を歩いているとその違和感に気づきました。

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こちらは地下駅であるつくば駅からそのまま線路と同じ方向、北東へと伸びるメインストリートを駅方向に見た所。商業施設は駅周辺にショッピングセンターの形態で集中しております。

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そのメインストリートを北西側に入ると、いきなり団地のような建物の廃墟が横たわっていました。

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奥に建つ高い建物も気になったので近づいてみます。周辺はすでに閉鎖されていますが、まさか。

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なんとこの建物も廃墟。そんなに古さは感じられないのですが。

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歩いて行くと団地全体が廃墟の様相。いや、正確に言うと住民の退去が完了し、解体を待っている状態と言った方が正しい。

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これらはそのほとんどが公務員宿舎で構成されていますが、一部市営住宅と公団住宅(UR)もあるとか。

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筑波学園都市の開発は高度成長期、東京の人口が爆発的に増加したことを受けて、首都機能の一部を移転する事から始まります。その中でまず、必ずしも都心にある必要のない附属機関や国立大学などを筑波山麓に移転すると、昭和38年(1963年)に決定。発案当初は第二の首都を造るぐらいの勢いがありましたが、現実的ではなかった。

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既存の集落を避け赤松林を中心に土地を買収し、昭和43年(1968年)に着工。東京教育大学(現在の筑波大学)を中心に各研究機関などが移転しました。その中にはJAXA、宇宙航空研究開発機構(旧・宇宙開発事業団他)や農研機構なども含まれています。

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昭和55年(1980年)に移転が終了する訳ですが、各省庁の反発もあり結局国公立の研究所と国立大学のみが移転するにとどまり、一部では学園都市計画は失策とも囁かれております。ともあれそこに働く方々のために建てられたのが、約8000戸にも及ぶこの巨大公務員宿舎な訳です。

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そして昭和60年(1985年)、筑波学園都市の知名度向上と民間企業の誘致を目的として科学万博、つくばエキスポ85が開催されました。

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これらの建物は昭和44年から昭和55年に建てられた物なので、アスベスト問題や耐震補強の問題を抱えています。リニューアル工事の道もありますが公務員宿舎利用者の減少、それにつくばエキスプレスによる将来性も考えて民間への売却と大規模再開発に乗り出したようです。

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それにしても合計で何棟あるのでしょうか。棟のナンバリングは地区ごとに100番代200番代と続き900番代まであります。都心の過密人口を緩和するための都市計画だった事と土地取得問題から、当時何も無い農村地帯に建設したと言うのも分かりますが、初期の段階から鉄道の敷設を計画していればまた状況も変わっていたかも知れません。ただそうすると結局都心に人が流れてしまうからあまり意味が無いのか、あるいは見放されていたのか。

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エキスポセンターの周辺では解体工事が行われています。平成17年(2005年)につくばエキスプレスが開通する訳ですが、それまでは自家用車で常磐自動車道(昭和56年開通)を走るか、高速バス(昭和63年開業)を利用するか、荒川沖駅までバスで出て常磐線に乗り換えるかしなければ、都心まで出られませんでした。
ちなみにつくばエクスプレスの開業によって、つくば市直行の高速バスを運営していた関東鉄道が大打撃を受けたと言う話も。

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現在解体工事が行われているのはこの吾妻2丁目住宅の南側のみですが、駅からも近いと言う事で中層住宅、つまり中層マンションの用地として民間不動産会社に売却されたようです。まぁこれだけ広大な敷地が有るのだから高層マンションなんか建てないわな。

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平成23年(2011年)に国家公務員宿舎の削減計画が公表され、つくば市内の公務員宿舎の約7割が廃止される事となりました。そこでつくば市は平成25年(2013年)につくば中心市街地再生推進会議を設置。跡地の利用などについて検討し始めます。

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この辺りはメインストリートの南東側。こちら側はすでに何棟ものマンションや戸建て住宅が建ち並んでいますが、このように解体されていない建物も。

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資料によればすでに平成17年に11ヘクタール、平成23年に4.9ヘクタールが売却されており、現在では解体前にも関わらずほぼ完売に近い状態だとか。

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結構高い棟もあります。これも無人でしょうか。

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無人でした。ここに住んでいた人々はどこへ行ってしまったのでしょう。新しい分譲マンションが立ち並ぶ地区もありますが、それにしたって退去された人数が多すぎる。

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駅周辺の分譲マンションや戸建て住宅などは、すでに解体された棟の跡地でしょうか。

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学園東大通りを超えてさらに駅から離れて行きます。しかし公務員宿舎を区画する樹木が育ち過ぎてえらい高さになっている。財務省の管轄ですが放置なのでしょうか。
元々公務員宿舎を減らす動きは住民の減少と言うのもありますが、不当に安い賃料で税金の無駄遣いと言う批判の声も多かったとか。

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樹木の裏側にはやはり無人の棟が。
しかし実際には公務員は転居を伴う転勤が多く、省庁にもよりますが短くて一年から三年で引っ越しを余儀なくされる人も多いとか。その退去時の費用(畳や襖の張り替え)と、入居時の費用(給湯器や網戸)などで毎回2〜30万自己負担しなければならないそうです。子供も転校しなければならないし、公務員は公務員なりに大変なのです。

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もし公務員宿舎が無く民間の賃貸マンションに入居するとなると転勤のたびに敷金礼金が掛かり、その費用は転勤を命じた役所が負担する事となります。また家賃の補助が月4万なら半額、それを超えたら4分の1、さらに6万超えたら超えた分の半分をさらに負担と、結局税収を圧迫する結果に繋がります。

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この建物などはまだ使えそうです。しかしつくばエキスプレスの影響で人気が上がりつつある街で、このような中古物件、しかも団地建築が売れるかと言えば疑問です。新しい街に引っ越すなら新築分譲マンションと考える人がほとんどでしょう。しかも財務省は宿舎の維持管理にお金を出さず、修繕工事がほとんどされていないとか。なのでリフォームするにも結構な費用が掛かるので解体するしか無いのです。

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こちらの棟は人が住まわれています。公務員宿舎は7割廃止と言う事なので、残りの3割に相当する棟でしょうか。ただ駅からは遠く、売却しても買い手が付かないだろうと言う基準で残されたのかも知れません。

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駅から随分と離れて来ましたが、こちらの棟も住まわれています。これでも公務員宿舎の全貌はまだ全然見ていません。また日を改めて南東方向に進んだ地区も見に来ようと思います。

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大規模分譲マンションの建設も同時に進められています。
に、してもです。8000戸の7割と言うと約5600戸、人数にすれば1万人もの人々がどこへ消えてしまったのか。公務員の人員削減、少子化、後継者不足(子供が公務員にならない)など様々な要因で住民が減ってはいましたが、統計によるとつくば市の人口は常に増加傾向にあります。公務員宿舎の方々が新たに周辺地域の賃貸マンションに引っ越されたとしても、現状一つの街が消滅したとも言えます。

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つくば駅の西側には新たに複合商業施設の建設が始まっています。つくばはエキスポの時から時代が一巡して、まさにゼロからの開発がスタートしたと言っても過言ではないでしょう。不動産業界、並びに私も関わる建設業界に於いてはビジネスチャンスでしょうね。今から筑波への通勤を覚悟しておこうかな、なんてwwww

茨城県つくば市(1)、エキスポセンターと保存車両

いや暑い。今の時期外を出歩くもんじゃ無いですね。

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2006年に開通したつくばエキスプレスの終点、つくば駅に参りました。開業からもう17年も経ちますが、最高時速130キロ近く(表定速度103km/h)で秋葉原まで快速で45分と言う利便性から沿線も発展し、開業に掛かった費用を前倒しでペイしたとか。

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つくば駅の北にエキスポセンターがあります。ここは1985年に開催されたつくばエキスポ85、科学万博の資料が保存されています。

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ひときわ目を引くのがこのH2ロケット(レプリカ)。鉄筋コンクリート造です。そりゃそうです。ロケットは基本使い捨てで、倒れないよう鉄骨で建っているわけですから。ちなみにこの実物大レプリカは横浜博覧会より移設されたとか。手前に写るのはつくばエキスポ85のマスコットキャラクター、コスモ星丸。

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ちなみにこちらがH2Aロケットの実物。H2ロケットは2001年より打ち上げられておりますが、改良版のH2Bロケットも含めれば55回中54回成功しており、いまだ現役だそうです。日本の固体燃料ロケットの技術は世界トップレベルです。ちなみにアメリカの液体燃料ロケットはゆっくりと加速するので人も乗れます。

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なんか学芸会のハリボテにしか見えませんが、これは海洋観測衛星もも1号です。もも1号は1987年、N2ロケットにより打ち上げられました。宇宙空間と言う特殊な環境では、ここまでも外観が変わってしまうのかと。ちなみに地球観測衛星は南北の軌道を縦に飛んで地球全体を観測し、ひまわりのような日本上空に留まり日本列島だけを観測し続けるのを静止衛星と呼びます。余談ですが静止衛星は東へ打ち上げ、地球観測衛星は南へ打ち上げるそうです。その点南東を太平洋に面した日本の種子島は、世界的にも稀な衛星打ち上げの好立地だと、何かの記事で読みました。

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いきなり南極観測隊。エキスポセンターでは科学全般を展示しております。南極観測隊の雪上車は松戸市の昭和の杜博物館で見て以来です。

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やっぱり運転席はかっこいい。灰皿完備であります。この車両は1988年より2011年まで使われておりました。物持ちがいい。と言うか数年で車を買い替える現代の消費社会が異常なのか。

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つくばエキスポセンターは科学に関するあらゆる物が展示されており、夏休みの子供たちでごった返しておりました。夏休みの自由研究にはもってこい。

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それよりも、つくばエキスポ85が懐かしい。実際私は当時高1だったので万博には行きませんでしたが。万博と言えば私の場合、小学生の頃に行ったポートピアですね。

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万博当時の街の模型。この跡地が現在のつくばの中心街となります。

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さて今回の目的地、エキスポセンターの北東にあるさくら交通公園。D51型蒸気機関車が保存されております。

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このD5170は昭和12年に造られ広島や姫路で走り、その後昭和50年まで北海道で活躍していました。この踏み切りの再現力とか、なかなかこだわりが見えますね。

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踏み切りや腕木式信号機など、ちゃんと実物を使っております。

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そして一番見たかったのがこれ。国鉄夜行高速バスのドリーム号。

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このリベットがたまらない!

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このバスは国鉄により東名高速道路用として設計され、昭和44年2月に第1号として日野自動車で造られた日野RA-900P型。国鉄では747形旅客自動車と呼称されていました。私が産まれた頃です。東名高速道路が全通した同年6月に開業した夜行バスの草分けです。

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ピンボケですが子供の頃に撮ったこの小田急高速バスも同じシリーズかな。

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窓ガラスが汚いので内部は綺麗に撮れません。中に入りたい。

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正面と肘掛けの先端に、当然のように灰皿が完備されている。

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当時画期的だったのがこのトイレ付きと言う所。国鉄が設計したのはこう言った部分。このバスは昭和52年まで活躍しました。新幹線や夜行急行列車の銀河と並び東京〜大阪間で人々を運んだ。

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いやはや、ちょっと興奮してしまいました。

さて次回、つくば駅周辺が廃墟団地だらけだった件。乞うご期待。

茨城県笠間市岩間、廃墟化した貸家地帯と未成マンション

2006年に笠間市と合併した岩間町は、常磐線で友部駅のひとつ東京寄りに位置します。

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市街地は丘陵地(上郷)にあり、周囲を田園地帯(下郷)に囲まれています。特産品は栗や柿など。

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ごくありふれた田舎町と言ったらそれまでですが、今回は廃墟界で有名な未成マンションと、Googleマップでたまたま見つけたバラック集落に向かいます。

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国道沿いにあるスーパーの裏手、その一画はありました。一番手前の家屋はトタン板の塀に囲まれています。

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集落と言っても袋小路の左右に20軒ほど。

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緩やかな下り坂となっている私道には雑草が生い茂り、その左右に木造家屋が連なる。

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一番奥から振り返ったところ。右手には南向きの玄関。最初社宅か何かかと思っていましたが、近所の方に少し話を伺ったところ社宅でも市営住宅でも公団住宅でもなく、地元の方が貸している貸家だそうです。

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左手は玄関が北向きなので縁側に洗濯物を干すのでしょう。造りを見るとどうしても鉱山住宅などを思い出してしまいます。セメント瓦(昭和14年以降)が時代を感じさせる。

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2〜3軒にひとつ井戸が有りますが、後に設置された水道の蛇口も有ります。井戸が有ると言う事は戦時中か戦後間もない頃でしょうか。

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もはやゴーストタウン、と言うか廃村の雰囲気。

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こちらにもポンプ式の井戸が。

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ここにはどのような方々が住われていたのか、謎が残ります。これだけ狭い一軒家と言う事は労働者がまず考えられますが、この辺りには紡績工場も炭鉱も無い。

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各戸に建て増しの小屋のような物がありますが、配管から見て恐らくお風呂場でしょう。もしかしたら便所もここに併設されているのかも知れません。

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入り口付近にはまだ住まわれている方がいるのでしょうか、真新しいプロパンガスが置いてあります。

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貸家地帯北側の通りに、同年代に建てられたと思しき建物が数軒あります。裏手はちょうど貸家の路地なので、こちらも同じ大家さんによる貸家と想像できます。

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以上の貸家地帯に違和感を覚えるのは、周辺の雰囲気。とにかくどのお宅も広大な敷地を持つ旧家と言った感じで、屋敷がことごとく立派。

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これらのお屋敷の生業は何か。水運で栄えている訳でもなく、毛織物産業で栄えている訳でもない、考えられるのは農家ぐらいなのです。稲作にしろ果実園にしろ労働者を雇う事は考えにくい。ならば貸家に住んでいた人たちは、何を生業としていたのか。気になる。

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結局謎は解明されないまま次の目的地、未成マンションに来ました。

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バブル経済が崩壊する直前だった1991年1月に建設がスタート。本来は9階建てになる予定だったが、3階まで作った段階で施主が倒産したのか工事が中止されました。

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国道沿いの廃墟で入り易いと言う事から地元の輩が落書きし、謂れもない心霊スポットとなっております。

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心霊スポットの大半が後付けの謂れなんですよね。この廃墟は廃墟マニアの間ではブラックマンションと呼ばれており、肝試しをする若者が後を断ちません。

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廃墟の正面にプレハブが建てられ真新しいタル木と型枠材が搬入されています。ここから再建しようって事でしょうか。しかし30年も放置されていたからコンクリートの経年劣化も相当なものでしょうし、新規で建てた方がいいと思うんですが。

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裏に回るとこんな感じ。奥に結構伸びているようです。ちなみに二階三階には昇りません。ビビリィですので!

茨城県笠間市(3)、廃映画館の昭和館跡

最後に笠間の廃映画館を訪れます。

茨城県笠間市(1)、人車軌道と花街と廃墟ホテル
茨城県笠間市(2)、笠間の終末スナック街
茨城県笠間市(4)、寂れたラブホ街と廃車両群

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その前に散歩の途中で見かけた物など。ちょっと路地を入っても看板建築が残っていたりします。元々何屋さんだったかは不明。

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解体され撤去されて来たであろう、モザイクタイルなどのコンクリート流し台が置かれています。私の実家にもありました。ウチの場合軒先に置かれた洗濯機の脇に有りましたが、昔は屋外に設置される流し台でよく目にしました。

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トヨタセラ!バブル期の終わり頃に一世を風靡した、ガルウイングドアで天井ほぼガラス張りと言う伝説の車。

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笠間稲荷の門前左手に廃病院があります。栗屋病院と書かれていますが、現在は民家として住われている様子。

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その病院脇を入って行くと、奥に開けた土地が。ここにかつて昭和館と言う映画館がありました。ちなみにここは昭和5年(1930)まで走っていた笠間人車軌道の終着駅だったと言う説もありますがもっと手前が駅と言う説も、ガソリンカーになってから方向転換のための転車台などが置かれていたりしたのかも知れません。

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笠間市内にはかつて3軒もの映画館がありました。この昭和館は昭和5年(1930)、笠間稲荷の南に位置する荒町に開業しますが、昭和9年の大火で消失。昭和12年に荒町北と呼ばれていた現在のこの場所に移転して来ました。

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埋もれていますが鑑賞券売り場の窓口。閉館は昭和58年(1983)。その後廃墟となった建物は東日本大震災で倒壊し、少しずつ解体されて来たそうです。

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現在残っているのは正面の壁など一部のみ。裏に回るとこんな感じ(有り様)です。

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当時の映画館は3軒とも閉館となりましたが、現在イオン笠間店敷地内にシネコンが出来ています。今の時代、広大な駐車場を完備してないと何につけても成り立ちません。

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映写室の跡は防火対策のためかコンクリート造。ここに2台の映写機が有ったようです。ちなみに映画は途中何回かフイルム交換するので、映写機は2台必要となります。

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観客席の跡。右側正面に舞台及びスクリーンが有ったと思われます。開業当時は寄席も行われていたそうです。

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舞台及びスクリーンの左手には男子トイレ。ここだけがポツリと残っています。

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こう中途半端に残っていると、爆撃を受けた戦災地のよう。

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映画館の右手には浴場が有ったようです。

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男女それぞれの浴室に二つづつ浴槽がある事から、共同浴場だったのではと想像できます。

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浴場入り口の玄関土間と思われる痕跡。映画館とは別棟であったのでしょう。

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浴場脇の残っている部分。なぜ一気に全部解体せずに一部だけ残っているのかは謎。

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その残骸に残るトイレ。なぜかトイレットペーパーが健在。風雨に耐え忍んで来たと言う事か⁉︎www

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敷地の奥にある建屋は屋根が崩落しています。倉庫か何かだったのでしょうか。

以上で笠間散策を終わります。観光地と言うだけで無く、地方都市としても笠間は相当栄えていた事が伺えました。
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