茨城県

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茨城県旧鹿島鉄道沿線、夜刀神社、鉾田市街地

 鹿島鉄道廃線跡を巡る際、少々気になる神社を発見したので寄り道して参りました。
 夜刀神社。漫画、ノラガミの夜卜神と関係あるのかと思いましたが、どうやら違うようです。ただ、忌み神という部分では共通しており、なんだかとても興味が湧きました。また夜刀という字面から、中二病系創作物などでよくその名前が使われているとか。

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 泉集落の一番奥、暗い森を背にひっそりと鳥居があります。

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 鳥居を潜るとそのまま崖を降りるような形に参道が続きます。写真は鳥居を振り返ったところ。
 夜刀神についてですが、常陸風土記によれば夜刀神とは行方(なめかた・玉造の南)周辺の原野に群棲する蛇体で頭に角を生やした神で、その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうと伝えられていたそうです。忌み神、祟り神の類で祀る事により鎮めています。

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 森の中のキツい坂を下りきると、ちょうど谷底の湧水地に出ます。

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 ここは椎井の池と言います。孝徳天皇の時代(645~654・大化の改新の時代)に壬生連麿(みぶのむらじ=まろ)が夜刀神の棲む谷の池に堤を築こうとしたところ、椎の樹上に夜刀神が集まり、いつまで経ってもそこを去らなかったため、全て打ち殺せと命令したところ逃げ去ったと伝えられています。周囲に椎の木があり泉が湧いていたので、麿はこの池を椎井の池と名付けたそうです。

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 谷底には舗装された道が迂回して通されています。しかし竹は倒れ込んでいるわで、殆ど使う人が居ないような道です。

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 谷底から急坂と階段の参道を、今度は反対側の斜面に沿って登って行きます。すると開けた場所に建つ愛宕神社へと出ました。ここは水戸光圀が夜刀神社と合祀し、村の鎮守としたとも伝えられています。

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 愛宕神社の右奥にひっそりと佇んでいる祠が夜刀神様です。
 継体天皇の時代(507~531・古墳時代)に箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)という人が谷を切り開き新たに田を開墾した際、夜刀神が大量に現れてその開墾を邪魔したと伝えられています。

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 夜刀(やと)とは古い言葉で谷(やつ)、谷人(やと)を意味し、一説によれば谷底に住んでいた先住民の事を指しているとも言われています。つまり西方より農耕を広めて来た人々が、狩猟などを生業とする先住民を滅ぼし、その一族の祟りを怖れて神として祀ったとも想像できます。いわゆる夷討伐のような物。

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 こちらは前回通り掛かった、桃浦近辺にあった三昧塚古墳。夜刀神伝説の舞台は、飛鳥時代よりも前の古墳時代という事になります。

 夜刀神社を訪れた後は先日アップした記事の通り、廃線跡を巡り温泉に浸かって鉾田へ。

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 旧鉾田駅前でまず出迎えてくれたのが、このガソリンスタンドの廃墟。なんか凄まじい雰囲気。

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 駅周辺には廃業したスナックや居酒屋などが多く、かつて栄えていた様子が窺えます。

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 こちらは閉店された美容院。窓の造りがとても昭和。

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 街には人影もなく、閑散としております。終着駅だった街が鉄道の廃止によって駅前ではなくなり、その後の震災による液状化被害もあって街は衰退の一途を辿っていきました。

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 鉾田から鹿島臨海鉄道の新鉾田駅へ向かう商店街にある牛乳屋さん。鹿島臨海鉄道鹿島線は1980年、第三セクターによって開業した路線ですが、なぜか駅は鹿島鉄道鉾田駅からかなり離れた、街の反対側にあります。

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 街の映画館『宝来多座』。閉館して久しい様子。

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 そんなわけで、いかにも寂れた街といった雰囲気の鉾田でした。

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茨城県鹿島鉄道廃線跡(4)、坂戸周辺~鉾田駅

 さて、BRTに乗り石岡を離れます。

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 小川から桃園、八木蒔、浜などは前回訪れたので、一気に玉造の先まで参ります。

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 玉造から榎本まで、廃線跡は県道から外れ湿地帯や田畑の中を進みます。玉造工業高校の手前で、廃線跡は県道の北側から南側へと交差します。

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 玉造工業高校の向かいの住宅街を少し入ったところに、旧榎本駅跡があります。

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 しかしここも玉造駅跡同様に宅地造成が進み、駅前の痕跡は跡形も無く消えていました。
 榎本の次の借宿はバス路線から相当外れてしまうため行けませんでしたが、Googleのストリートビューではそのプラットホームを確認することが出来ます。しかしリアルタイムで解体が進んでいるので、まだ残っているかは不明。

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 借宿の次の巴川で廃線跡は県道に再び近付きます。巴川駅の痕跡もまた残っておりませんでした。写真はその巴川駅の先に掛かる巴川鉄橋。

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 銘板には1971年という文字が辛うじて確認出来ます。

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 坂戸駅は前回訪れましたが、ほっとパーク鉾田への道すがら立ち寄って見ました。写真は坂戸駅の手前、当間集落の中に残る踏切跡。

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 こちらは坂戸集落の中にある踏切跡。踏切は路面を舗装し直さなければならないので、レールが残っていたりします。

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 前回訪れた坂戸駅跡。今回は曇りでしたが、新緑の季節などにまた訪れて写真を撮りたいところです。

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 坂戸集落にて見かけた洗い場。ポンプで地下水を汲み上げるようになってます。野菜でも洗うのでしょうか。ともあれ鹿島鉄道沿線は湿地帯や沼地のほか水源も多く、水に恵まれた土地です。

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 坂戸集落の外れにあるほっとパーク鉾田。天然温泉や温水プールまで楽しめる公営の日帰り入浴施設です。
 内湯と露天ともに黒ウーロン茶のような色をしたナトリウム塩化物炭酸水素塩泉。ちょうど東京大田区の蒲田温泉と非常に似ている黒湯で泡立ちがあり、肌に纏わりつくようなヌメリ感。加温加水循環濾過されて更に塩素消毒もされているようですが、個人的にはとても温まるし悪くない感じです。源泉は二つあり、もう一方のナトリウム塩化物強塩泉は寝湯のみで使われており、定員二人となりますがこれがまた気持ちいい。塩分が強いため湯船に漂うような感覚で、ついつい寝てしまいそうになります。
 施設は850円と少々高いのですが、廃線跡巡りを忘れてしまうほどに、ゆっくり寛ぐことが出来ました。

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 このほっとパーク鉾田には、鉾田駅保存会によって保存されている車両が展示されています。しかし……

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 なんと塗装のためにマスキング中!

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 3/27日の定期車両公開に向けて化粧直しをしている真っ最中でした。

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 最後に終点の鉾田駅跡。駅舎は廃線後間もなく解体されてしまったそうで、現在はバスターミナルとして使われており、石岡行きや水戸行き、茨城空港行きの他にも、東京駅行きの高速バスも1日6往復運行されています。

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 旧駅前ロータリーであるバス停の奥には、現在プラットホームだけが残されております。

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 しかしこのプラットホーム、五年前の東日本大震災の際に液状化現象が起こり、崩壊してしまいました。

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 当時は鉾田市全域から坂戸辺りまでの広範囲で液状化現象が起き、その被害の甚大さがプラットホームのうねりで見て取れます。鹿島鉄道は既に廃止された後でしたが、沿線の駅舎などが殆ど残されていないのは、震災で倒壊の危険が起きたからかも知れません。
 また、先に訪れたほっとパーク鉾田も被害を受け、暫く営業を休止していたそうです。

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茨城県石岡市、石岡駅周辺の街並み

 鹿島鉄道廃線跡の、前回行けなかった小川~坂戸間と鉾田駅跡などを再び訪れて参りました。

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 前回(先週)ゆっくり散策出来なかった石岡駅周辺からスタートです。新駅舎は外構工事中なので、4月あたりには完成すると見られます。

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 石岡は元々城下町として栄えた街ですが、この西口から続く坂道には古くてなかなか惹かれる建物があります。

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 写真館のショーウィンドウを覗くといきなりキャノワード!誰が買う!?

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 こちらはミシン屋さんです。ミシンの専門店なんてものも、今どきそうそう見ないです。

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 印刷会社も文化財建築レベルです。

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 駅前通りから一本奥に入った通りには関東鉄道の労働組合があるのですが、この建物もなかなかの歴史的建造物でした。

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 眼科の看板が昭和なセンスとは言え怖いです。一瞬つげ義春が脳裏を過ぎる。

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 関鉄労組の向かいには、やたらと屋根が低いバラックが建ち並んでいます。

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 こちらの店舗もかなり古い。

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 駅前通りから関鉄労組のある通りまでの間には、なぜだか廃屋が点在しています。

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 駅のすぐ近くなのに鬱蒼とした雑木林があり、そこ中にいくつもの廃屋。

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 謎ですが、土地を売らなかった地権者が亡くなり、そのまま買い手が付かないまま放置とか。想像ですが。

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 なかなか不気味な雰囲気を醸し出していました。

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茨城県鹿島鉄道廃線跡(3)、浜~坂戸

 八木蒔集落には北浦沿いの旧街道が通っており、その背後には森に覆われた丘が迫っていました。そのため線路は森の中を貫くしかなかったのでしょう。

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 八木蒔集落から鉾田方面に進むと廃線跡も森を抜けて顔を出します。

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 次の駅は浜駅。かつては渡し船の埠頭があったりして栄えていたそうですが、そんな面影は全くありません。

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 この駅もつい最近まで駅舎が残っていたらしいのですが、ここもまたソーラー畑に。かつて駅だったと分からないくらい、跡形も無く消え去っていました。

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 浜駅を過ぎると廃線跡は霞ヶ浦を離れ、県道の下を潜ります。

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 そして切り通しを抜けて玉造市街地へ。

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 玉造市街地の外れにある老舗旅館。県道から分岐した旧道には古い建物が多く残っています。

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 鉾田線の路線図は『レ』の字の形をしており、玉造はちょうど折り返し地点となります。霞ヶ浦から北に枝分かれしている付け根辺りで、対岸へと渡る霞ヶ浦大橋もあり、かつては港町としても栄えた交通の要衝でした。

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 玉造駅前商店街。突き当たりにはかつて玉造駅がありましたが、現在はただの行き止まり。

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 駅舎は跡形もなく消え去り、だだっ広い空き地に。駅待ちのタクシーが虚しく佇んでいるのみ。写ってませんが、左手では住宅地が造成されています。

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 唯一の面影はレールで立てられた柵のみ。

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 ただ、廃線跡をなぞる路線バスは律儀にも旧駅前を経由してくれます。
 玉造から坂戸までの廃線跡はバス路線と少々離れ、なおかつ森林と田園の中を走ります。情報によればこの区間、駅舎は完全に撤去されたそうなので、バスで一気に飛ばしました。しかし後で調べたところ途中気になる神社があったので、後日もう一度訪れてみたいと思います。

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 バスに乗り坂戸バス停で降りると踏み切り跡が見えました。この先、玉造方面に少し戻った森の中に坂戸駅があります。

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 裏手の森の中に廃線跡があるんだなと思いながら坂戸集落を歩き続けるも、駅入り口らしき交差点は見当たらず、人一人通れるくらいの道を見つけ、まさかここじゃないだろうと私道のような道を入って行ったらありました。終点の鉾田から一つ手前の坂戸駅。こちらも八木蒔同様森の中の駅となります。

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 最近まではレールも残っていたとか。プラットホームには雑草が生い茂っていました。

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 鹿島鉄道廃線跡探訪、ひとまず今回は以上となります。本当は鉾田まで行きたかったのですが、本数の少ない路線バスと徒歩での探索なので、これが限界です。それにしても歩いた歩いた。

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茨城県鹿島鉄道廃線跡(2)、小川高校下~八木蒔

 小川南病院から坂を下ると、田んぼの真ん中にぽつんと小川高校下駅跡が残されています。

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 駅名表示板やミラー、信号機などは取り外されていますが、それでも往年の雰囲気を今に残しています。

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 地元の子供達が学校行事でペイントしたのでしょうか「未来へ走れ!鹿島鉄道」の文字が、虚しくも時代の流れを思わせます。

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 廃線跡はこの辺りで霞ヶ浦に最も近づきます。およそ40年ぐらい前の私がまだ子供だった当時、大した山も川も海も無く、ただ平坦な葦の原野が広がる光景に愕然とした記憶があります。山奥の部落育ちにとって海はリアス式、川は渓谷というイメージがあり、関東平野つまんねー!というカルチャーショックでした。

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 琵琶湖同様観光地としてはガッカリな景色で、写真を撮るとしたらこのような物になります。小さな漁港の端に伸びたバラックは、漁関係の小屋でしょか。

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 土手の上を走る廃線跡の途中、漁港への生活道が潜る所に小さな鉄橋。

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 銘板を見ると、なんと大正15年造。大正13年に鹿島参宮鉄道として石岡~小川間が開業し、大正15年に小川~浜間が開業しているので、まさに開業当時のままの鉄橋という事となります。

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 次に訪れたのが旧桃浦駅跡。

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 つい最近まで駅舎(待合室)が残っていたそうですが、タッチの差で解体されてしまいました。ベンチだけが無造作に置かれています。

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 プラットホームだけが当時の面影を残しています。現在はソーラー畑が広がる。近年、電力の自由化や放置された農地などの再利用などから、地方ではソーラーパネル発電施設(個人的にソーラー畑と呼んでいる)が急速に増えて来ました。

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 他に残っているのと言えば駐輪場跡に積み上げられた廃材。

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 次の駅は八木蒔。桃裏からはバスで移動しました。丘の上を走る県道から森の中へ。そこに突如現れた八木蒔駅跡。県道からのアプローチが林道のような狭い道を下っていくので、非常に分かり辛かった。

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 駅名表示板や時刻表などは撤去されていましたが、ホームと待合室はしっかりと残っています。

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 八木蒔集落の奥にあたるこの駅。なぜこんな森の中に造られたのだろうか。ともあれシチュエーションが凄い。

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 霞ヶ浦へ向かって坂を下ると八木蒔集落があります。しかしここ、廃屋がやたら多い。過疎でしょうか。

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 また、この集落の表札を見ると土子さんがやたら多い。沿線の駅跡地の宅地開発でよく目にした不動産会社、土子商事と関係あるのでしょうか。

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