茨城県

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

茨城県笠間市、筑波海軍航空基地司令部跡

最近仕事が暇過ぎてブログの更新頻度が上がる一方です。しまいにはトップ画像まで変えてみたり。じっとしていても生活に不安を感じるばかりなので、また取材に行ってしまいました。

1CB93391-2FC6-4408-AD14-5E4A9138607E

今回は茨城県笠間市にある筑波海軍航空基地の跡地です。当時の司令部が残っており、記念館として公開されています。この建物は戦後より2011年の東日本大震災まで、学校や病院として使われて来ました。現在も県立こころの医療センターや友部第二小学校が隣接しています。

863CBA3C-E314-4B7D-8349-A7CA3E5E0936

司令部の前には当時の号令台が残っています。ここは2013年公開の映画、永遠の0(ゼロ)のロケ地として有名になりました。

98C14DB4-9DC1-478A-88CE-BB031B33FFBF

クラウドファンディングによって目標額1000万を上回る約1500万が集まり、保存及び復元活動が進められています。当時の外観を復元すべく屋上給水塔やエアコン室外機を撤去し、現在は地下壕施設を整備しております。最終的には文化財登録を目指しているとのこと。

5FBAB684-A13D-4EE3-AF2E-087A2C6D5C85

筑波海軍航空隊は昭和9年、戦闘機などの操縦訓練を行う霞ヶ浦海軍航空隊の友部分遣隊として開隊。昭和13年には筑波海軍航空隊として独立しました。

EEBAC31B-4736-4E30-9550-375F43DCA2BF

こちらは九三式水上中間訓練機、通称赤トンボ。複葉機ですが昭和9年に正式採用された訓練機です。一般兵より採用された操縦練習生に加え、昭和11年からは土浦航空基地の予科練出身の練習生も加わりここでの訓練を重ね戦場へと送り込まれて行きました。

BFEED79B-7B97-4857-B5D0-0549E2603871

一階展示室には南方戦線で発見された零戦などの残骸が展示されています。昭和16年10月から翌年3月までに中練教程を修了した52名の内、46名が終戦までに戦死されたそうで、生還率の低さに驚きます。確かに日本の戦闘機の性能は世界でもトップクラスでしたが、その装甲の弱さや燃料が粗悪になって行く事、他国の技術力が急速に進化し、大戦後期には時代遅れになってしまった事など、様々な要因が重なっています。

97DF5DB8-DE7B-4B3F-91CB-FD101E48D65F

当時の再現として映画のロケのために使われた小道具がそのまま展示物となっています。こちらは司令室。左奥の書庫は開設当初から使われていた本物。

FB72297C-8904-4073-AD27-C55F8C8C753C

昭和19年3月には零戦が配備され、実用機課程の練習航空隊となりました。ちなみにこちらの写真は靖国神社の遊就館に展示されている零式艦上戦闘機五ニ型。

A5376985-B468-49D2-9029-8A471AF2FEA4

こちらは副司令室。この机は海軍当時使われていたもの。昭和19年10月には映画「永遠の0」にも描かれている神風特攻隊が組織され、以降鹿児島県鹿屋基地を経てフィリピンや沖縄へと出撃して行きました。

6E79A2E3-A6B4-412B-94B6-8853440283FD

この建物は永遠の0以降も様々な映画やドラマのロケで使われています。戦争についての勉強にもなりますが、建物としても非常に貴重で素晴らしいものです。また、アニメ(艦これ等)を通じて日本海軍に興味を持った方たちも多く訪れています。

茨城県土浦市、土浦駅周辺の町並み

土浦は霞ヶ浦の西端という立地から、水上交通の要衝として栄えて来ました。茨城県内でも水戸と柏の中間辺りにあり、丁度いい感じ。

IMG_4706

西口駅前右手には2004年に閉店となった丸井のビルが。首都近郊都市の駅前風景としては定番ですね。

IMG_4707

西口正面には1997年再開発により完成した、高層マンションを備えた複合施設「ウララ」が聳え建っています。この巨大複合施設には当初イトーヨーカドーが入っていましたが、2013年に撤退。その後土浦市役所が庁舎の老朽化もあり、思い切って駅前に移転して来ました。

IMG_4611

そもそも駅ビルの「ウィング」も2008年に閉館し、その後イオンモールが運営する「ベルチ土浦」が後を引き継ぐも2011年にイオンが撤退。この時すでに駅前空洞化現象が進んでいました。この撤退も2009年、土浦駅から西に3キロ離れた所を走る国道6号線沿いに巨大なイオンモールが完成した事にもよる。

IMG_4672

左手のビルは1998年に閉館した西友の別館。かつては右手に西友本館があり渡り廊下で繋がっていましたが、本館は取り壊されて高層マンションになってます。

IMG_4686

西友跡地の奥には1985年つくば科学万博に合わせてオープンした「モール505」。地上3階建て全長505mの日本最長と言われるショッピングモールです。

IMG_4688

ここは元々川を埋め立てて建てているので曲がりくねっています。並行して走る高架は線路を跨ぎ土浦駅の東西を結ぶ土浦ニューウェイで、同時期に完成しました。

IMG_4678

午前中なのでシャッターはほぼ閉まっていましたが、半分以上が空き店舗のようです。とは言えこの規模の大きさは大したもので、最盛期は相当の賑わいを見せていたのでしょう。

IMG_4677

しかしバブル崩壊やリーマンショック、さらには2005年のつくばエキスプレス開業でお隣のつくば市が発展。その陰で土浦市は衰退して行きました。

IMG_4675

ニューウェイの反対側、つまり元西友側です。かつては西友との相乗効果で一大商店街として栄えていた事でしょう。

IMG_4693

モール505伝いに線路から離れて行った先に、なかなかの昭和建築が残っていました。

IMG_4695

駅前に向かってメインストリート。巨大複合施設が出来る前の駅前はどんな街だったのか気になります。

IMG_4698
町外れにはちょっとした飲み屋街もありますが、空き地が目立ちます。

IMG_4704

路地裏も半分駐車場となり寂れた雰囲気。

IMG_4606

土浦駅西口の南側一帯には歓楽街が広がっています。

IMG_4599

しかし他の都市に違わずすでに駐車場が多く、歯抜け状態となっていました。

IMG_4608

狭くて暗い路地裏飲食店街もあります。

IMG_4601

袋小路型のスナック街。

IMG_4600

ただその周辺は建物も解体され駐車場に囲まれていました。

茨城県稲敷郡、鹿島海軍航空隊基地跡

霞ヶ浦には2回に渡り訪れました。1度目は先々週バスで予科練平和記念館へ。2度目は昨日、土浦駅前からレンタルサイクルを借りて。目的地である美浦村の遺構までの交通手段が無く、バスで江戸崎まで行きタクシーなんてのも考えましたが、土浦駅のレンタルサイクルがロードバイクやクロスバイクなども借りれると言う事で、思い切って長距離サイクリングにしました。
Hellocycleと言う物なんですが、これが登録すれば首都圏を中心とした一部地方都市の基地で、早朝から自由に借りれると言う優れ物。アプリで手続きするとオンラインで繋がっている自転車の鍵が外れ、1日2000円の利用料はカード又はdocomo払いという。地方公共交通機関が衰退した現代、これは無免トラベラーとしては非常にありがたいですし、どんどん広げて行って欲しいです。

と、余談はここまでにして本題。

IMG_4711

土浦から霞ヶ浦南岸を東に走って行きます。予科練平和記念館を越えた辺り、以前より気になっていた場所へ。ここは、霞ヶ浦湖底の土砂や泥を浚渫船で汲み上げ、沖合いの浮島に停泊する船から陸地へと揚げるという物。ポンプによってパイプを伝い大量な土砂が運ばれています。浮島までの軌道とトロッコは、浚渫船まで機材等を運び込むための物でしょうか。

IMG_4713

陸地では土砂を大量の水で洗い、かつ選別しています。干拓事業として利用され、水田や蓮根畑などが広げられて行きます。

IMG_4714

さらに東へ行った所に、同様の施設の廃墟が有りました。

IMG_4717

こちらはもう使われていない選別場です。

IMG_2906

沖合いには既に使われなくなった廃船が打ち捨てられています。

IMG_4738

そんな物を見ながら、かつ向かい風に体力を奪われながら到着したのが、美浦村の湖岸(東側)。かつてこの浜より水上機が進水し、訓練を重ねて行ったそうです。当時のコンクリートは東日本大震災で破損したため新たなコンクリートで埋められてしまいました。現在はモーターボートやマリンスポーツの基地となっています。

IMG_4723

基地の建設は霞ヶ浦海軍航空隊の水上班が土浦航空基地より移転して来た昭和13年。この水上班、霞ケ浦航空隊安中水上隊は昭和20年5月、練習航空隊の指定を解除され鹿島北浦派遣隊となったため、この遺構は鹿島海軍航空隊跡と呼ばれています。航空隊の庁舎跡は戦後、東京医科歯科大学附属病院霞ヶ浦分院として再利用されていましたが、その病院も平成9年に閉鎖されてしまい廃墟化。

IMG_2917

つまりこれは廃病院という事になり、有名な心霊スポットにもなっていました。現在では厳重な柵に囲まれています。

IMG_2913

立入禁止&藪に阻まれ近づけませんでしたが、教練所跡の奥に見えるのはボイラー室。これらの建物も病院の施設として使われたとの事です。またかつてここには兵舎跡を利用した木造の病棟があり、スピッツ「空も飛べるはず」のPVのロケ地にもなっていましたが、その病棟は残念ながら取り壊されてしまいました。カラオケ歌う時にその映像が流れ、ここ行ってみたいと常々思っていたのですが、非常に残念です。

IMG_2920

格納庫跡の隣には発電施設跡も残っています。土浦から二時間近くペダルを漕ぎ続けて来たので藪を漕ぐ体力なんて残ってません。

IMG_2914

こちらは便所の跡と言われていますが、貯水槽に建つポンプ室という説も。

IMG_4744

ふんどしを干していた所と言う説が。

IMG_4729

庁舎(病院)跡の向かいには倉庫が有りますが、こちらの詳細は不明。

IMG_4730

倉庫からさらに湖寄りに入った所にある遺構には、記念碑か有ります。

IMG_4731

記念碑のある建物は燃料庫跡。火気厳禁だからコンクリート造なのでしょう。

IMG_4736

沿岸には当時使われていた船着場も残っています。

IMG_4719

基地の跡地は岬のようになっており、東と南を霞ヶ浦に面しています。なので東と南それぞれにコンクリートで固めた傾斜(スリップという)があります。こちらは南面のスリップ。水上機とはつまり(主に)複葉機の車輪部分にデカい浮きを付けたもので、偵察や哨戒が主な任務とされていました。ちなみに飛行艇も配備されていたかどうかは定かではありません。

IMG_4741

南東の突端部にはカタパルトの台座跡が残っています。

IMG_4743

トラス構造のクレーンみたいな物が、湖に向かって伸びていました。子供の頃、戦艦大和のプラモデルを作っていた時、艦尾にこのカタパルトを付けた記憶が有りますが、アレです。プラモ作った人しか分からないかも知れませんが、大和には偵察機や観測機など6機の水上機が搭載されていました。ここでカタパルト発進の練習をしていたのですね。

この後、前の記事に載せた霞ヶ浦海軍航空隊基地跡に向かう訳ですが、追い風で快調に飛ばすも雨に降られるという不幸が。

茨城県土浦市、土浦及び霞ヶ浦海軍航空基地跡

大正10年に開設された土浦航空基地は、元々は霞ヶ浦航空隊の水上機班の施設であり霞ヶ浦航空基地の一部でした。元々昭和5年に横須賀海軍航空隊で発足した予科練が昭和14年ここに移設。昭和15年、水上機教育が南東沿岸に完成した美浦村の基地に移転したことにより、ここに予科練の教育を担当する土浦航空隊が置かれ、後、終戦に至るまで全国へと拡大していった予科練の中枢を成す事となります。

IMG_4580

霞ヶ浦の畔 、土浦海軍航空隊予科練跡地に陸上自衛隊土浦駐屯地とそれに隣接して予科練平和記念館があります。予科練とは航空隊の兵士を育成する機関で正式には予科練習生という。

IMG_4567

中は撮影禁止ですが数多くの資料が展示されており、当時の雰囲気が伝わって来ますし、とても勉強になります。特に印象に残ったのは、当時の若者は世界恐慌の影響で貧窮した経済状況の中、タダで学校に通えて軍隊に入れば家にもお金が入るという、実に現実的な事情で地方の農家の男子達が予科練の狭き門を目指していたという事。お国の為という以前に家の為、家族の為という辺りが実にリアルです。

IMG_4575

敷地には零戦の実物大レプリカが展示されています。戦争末期には鹿児島の知覧や去年訪れた香取海軍航空基地より、予科練出身の若者達が飛び立って行きました。またここでは以前訪れた神之池航空基地と同時期に決戦兵器桜花の訓練もされていました。

IMG_4568

特攻で多くの命と航空機を失った帝国海軍は、回天という特攻兵器を造りました。いわゆる人間魚雷ですが、こちらは実物大レプリカ。ちなみに回天については山口県や大分県などに訓練基地があり、予科練卒業後に配属されて行った。

IMG_4589

予科練平和記念館の北側、現在の陸上自衛隊土浦駐屯地。

IMG_2864

敷地内には予科練当時の医務課棟が残っています。敷地内を見学する事も可能ですが、二カ月以上前までに書類を送付して事前予約をしなければなりません。

IMG_2862

敷地内には歴代の自衛隊車両が数多く展示されています。いつか機会があれば中にも入って見たい所ですが、桜の季節に一般開放されたとか。すでに遅し。

IMG_4584

ただ敷地内には予科練出身者の方々によって建てられた記念館、雄翔館があります。こちらは自由に入れて入館無料。建物の前には山本五十六元帥の像があります。

IMG_4585

こちらは特に撮影禁止と書かれてませんが、館内には手紙や寄せ書きなど貴重な資料が展示されています。こちらは海軍の特攻船震洋の模型。木製のモーターボートにトヨタのトラックのエンジンと爆弾を積んで突っ込むという物です。桜花や回天と比べてなんと原始的ですが、昭和19年5月に試作1号艇が完成し8月に兵器として採用され10月下旬のレイテ沖海戦に投入された事から、神風特別攻撃隊より半年以上前に、震洋の開発は完了していたことになります。(wikipedia参照)

IMG_4588

終戦が近づき物資が本気で無くなって行くにつれ、特攻兵器はその狂気を増して行きます。そしてその最終形態とも言える物が、この伏龍。もはや決戦兵器もただの潜水服となってしまいました。伏龍隊は横須賀で訓練を重ねていましたが、幸いにも出撃する前に終戦を迎えました。ただこの潜水服が欠陥品で、訓練中に命を落としてしまった若者が多くいたそうです。

IMG_2922

陸上自衛隊土浦駐屯地の約3キロ北西、内陸部に航空自衛隊霞ヶ浦駐屯地があります。こちらは土浦航空基地よりも前の大正8年に完成した、旧霞ヶ浦海軍航空基地の跡地となります。当時は東洋一の航空基地とも称されていたとか。

IMG_4761

基地の周辺にはいくつかの遺構が残されています。その一つで20基造られた掩体壕の内、唯一現存するものです。

IMG_4757

一応解説板は有りますが、いかんせん一般住宅の敷地内なので、なかなか近くには行けません。

IMG_4753

こちらは土浦航空基地での訓練等で殉職された方々を祀った慰霊碑。

IMG_4756

元々この場所には慰霊のため大正14年に霞ヶ浦神社が建立されましたが、終戦時に取り壊されてしまいました。そこで慰霊碑が建てられたと。

IMG_4745

フタムラ化学及び三菱化学のあるこの敷地は、かつて中島飛行機若栗工場だったそうです。

IMG_4747

工場の前の直線は霞ヶ浦航空基地への誘導路跡。

IMG_4752

ヰセキの工場敷地内では基地の格納庫がそのまま使われています。煉瓦造りの格納庫、近くで撮りたい。

IMG_4749

その敷地には戦闘指揮所の跡も有ります。こちらは外周道路沿いなので、なんとか撮れました。

霞ヶ浦航空基地は霞ヶ浦海軍航空隊の陸上機のための基地であり、水上機のために土浦航空基地が建設されてました。しかし横須賀より予科練が移転して来たため、水上機の基地は南東の美浦村、江戸崎の北の岬に移転し、その後鹿島海軍航空隊と改名されました。次回はその水上機基地の跡地を巡ります。

茨城県、鉾田市及びひたちなか市の廃車両たち

東京駅より鹿島神宮行きの高速バスに乗り、新日鐵住金鹿島製鉄所バス停で降りて桜花公園を訪れた後、鹿島灘を北上して行きます。

IMG_3349

鹿島駅より鹿島臨海鉄道。途中の大洗がアニメ、ガールズ&パンツァーの聖地らしく、観光客を引き込もうとラッピング車両も走らせています。

IMG_3348

しかし、えげつないスポンサーの数。以前は鹿島臨海工業地帯の貨物輸送が主な収益でしたが、貨物線の廃止もあり、現在これだけ広告を載せなければ、やって行けないのでしょう。

IMG_3352

まずは鉾田市、鹿島灘海浜公園近くの畑の中で倉庫として使われている日立電鉄のクモハ352。なんかカワイイ。

IMG_3350

元々は静岡鉄道の車両で昭和43年製造。昭和59年に日立電鉄へ譲渡され、平成6年まで使用されてたそうです。現在は個人所有で、静岡鉄道の塗装に塗装し直されています。手前は収穫を終えたサツマイモ畑。ちなみにその日立電鉄も平成17年、設備を更新すり資金が無い事を理由に全線廃止されてしまいました。

IMG_3355

次に水戸まで抜けてひたちなか海浜鉄道(旧・茨城交通)。那珂湊駅へ向かいます。写真は廃線となった三木鉄道から払い下げたミキ300形。

IMG_3362

那珂湊駅構内に残るキハ203。国鉄から鹿島臨海鉄道、茨城交通へと払い下げられた車両で国鉄時代はキハ20428。

IMG_3363

車両区の端に転がっているのがケハ601。1960年製造、1993年まで走っていました。茨城交通と言えばコレってぐらいの代表的な車両です。

IMG_3365

日本初のステンレス気動車として一世を風靡しましたが、現在ではステンレス製ゆえに錆びないのをいい事に、倉庫として使われています。

IMG_3359

廃止の危機に直面していた茨城交通は2009年、第三セクターの形で、ひたちなか海浜鉄道として存続され、現在では地元のバックアップもあり業績を回復しているそうです。
また、ここは多くのキハ20型(ほとんど私鉄からの払い下げ)を有し、国鉄色に塗り替えるなどされていましたが、そのほとんどが第三セクター化を機に解体されてしまいました。千葉県のいすみ鉄道みたいに観光列車として保存すればとも思えますが、あえて観光に頼らないと言う経営方針の転換があったからこそ、黒字経営に繋がったとか。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
トラベル.jp たびねす
→たまに記事を寄稿

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
記事検索
最新記事
  • ライブドアブログ