栃木県

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栃木県日光市足尾(7)、秋の田元鉱山住宅跡〜変電所跡

今年の7月、青々と生い茂った藪に阻まれ奥まで入れなかった田元地区鉱山住宅跡にリベンジです。秋なら草も枯れてその全容を明かすだろう。

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と思ったらススキの原野と化していました。(笑)

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夏の時点で気づけよ、とも思うのですが、背の高さほどもあり今まさに綿毛を撒き散らしているススキの中には分け入る事など出来ません。

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今回は建物内も少し覗いて見ました。ピカチュウのポスターが。つい最近まで子供も住んでいたと言うことでしょうか。

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一番奥の空き地から見た集会所跡。こちらの棟は木製金型の倉庫として再利用されています。

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そのため建物は当時の造りを比較的残していました。

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そろそろ帰ろうと引き上げかけた時、この地区の一番手前の脇から裏手へと回り込める事に気付きました。裏手は斜面が迫っているため日当たりが悪く、ススキもそれほど生えていません。

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こっち側には夏も入れたんじゃないか?なんて事など考えないようにします。

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今までよく見えなかった建物の側面も裏からならバッチリ。

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ついに、ススキの奥に見え隠れしていた鳥居の前へ。いざ、登って見ます。

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……ナニモナイ。
こんなもんです。

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気を取直して足尾駅構内に保存されているDB064。前回訪れた際にはブルーシートに覆われていました。これ、昔Nゲージで見た覚えがあるのですが、記憶が曖昧です。

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こちらは足尾銅山において古河鉱業(当時)が所有していたディーゼル機関車。

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足尾駅から通洞駅まで歩きます。途中、アールの壁が素晴らしい建物も。

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通洞駅からさらに下ると大正4年建造の新梨子油力発電所が国道沿いにあります。

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その隣には通洞動力所跡が。レンガ造りが見事ですが、だいぶ崩落が進んでいます。

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さらに先には通洞変電所が。

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こちらは廃墟ではなく現役で稼働し続けている施設です。この三つの建物、いずれも古河金属機械の敷地で立入禁止です。

栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

夏に訪れて以来、草が枯れるのを待ってからの足尾再訪です。藪などに阻まれ入ることが困難だった場所へも、秋なら進めるようになります。

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まずは簀子橋堆積場が見下ろせる山の上へ。通洞駅近くの蓮慶寺脇から、今ではほとんど使われなくなった登山道を登って行きます。急な斜面を登ってゆくと、なぜか幾つもの庚申塚が打ち捨てられていました。

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急斜面を登り切ると朽ちかけた祠が。しかし覗いてみると牛に跨った人物の首が無い。恐いから。

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やがて緩やかな尾根伝いに登山道の痕跡を辿りながら登って行くと、高圧線の走る開けた場所に。

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二箇所目の高圧線。赤松が多いので紅葉としては微妙。

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尾根はやがて両側が崖という切り立った地形になって来ます。場所によっては突風が吹いたりして、かなり恐い。もう散歩とか旅とかじゃない、これはガチの登山です。

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左手には簀子橋堆積場より古い時代に作られた堆積場が見えて来ます。こちらが一杯になったため簀子橋堆積場が造られたそうです。

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崖っ縁や岩場など、とても登山道とは言いがたい尾根を登り続けること約30分。視界の開けた絶壁から簀子橋堆積場が見下ろせました。ここは足尾銅山で産出された鉱物の選鉱・製錬工程で発生するスラグ(鉱滓)を沈殿させ堆積させる施設で、鉱滓ダムと言われるものです。

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堆積場周辺の谷は全て古河機械金属の所有地のため一切立ち入ることが出来ず、本来その姿を見ることは出来ません。周辺を撮影したところ管理人にカメラを取り上げられたと言う噂もネットに上がっています。この茶色いのが鉱毒だと言うのですから、確かにヤバいです。

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この簀子橋堆積場は足尾でも最も規模も大きく見た目でも分かりやすい施設ですが、他にも多くの堆積場が今も残っています。東日本大震災ではその一部が崩落し、渡良瀬川に流出した事もあったそうで、かつて足尾鉱毒事件の被害を受けた下流域の住民に対する視察会や説明会は今も続けられています。写真はそう言った視察会などで使われると思しき立て看板。銅山による繁栄に対する代償は、閉山から44年経った今でも払い続けているということです。

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登山道はさらに奥へと続いているそうですが、素人の私がこれ以上進むのは無理。だって右も左もマジで崖なんですもの。

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振り返れば通洞の街が見事に見渡せました。しかし、下山はもっと恐いです。不明瞭なルートを地形を見ながら戻らなくてはなりません。この帰路、尾根が二手に分かれています。登った時はもう一つの尾根に合流した事に気付かなかったため、下山の際は途中で左に斜面を下りなければならなかった。

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気付いたら巨岩のてっぺん(写真中央)。こんな時焦ってはダメです。冷静に来た道を引き返し、地形図から今居る場所を考えて、正しい道を探さなければなりません。
ともあれどうにか無事下山。正直、距離が短いからと言って登山の素人が行っちゃいけない山です。いや、登山道としてもはや整備されていない点から言って中級者でもキツいかも。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)

栃木県日光市足尾(5)、鉱山住宅跡(その2)

今回はわたらせ渓谷鉄道終点の藤間駅から先の鉱山住宅跡を見て行きます。

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本山方面へ少し登ったところ、旧貨物専用線の踏み切り跡の手前右手に数棟の社宅長屋が残っていました。

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ここは一般住宅や商店の多い下藤間地区の一番奥になります。

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共同トイレに便器が残っていましたが、絵柄が焼き付けられています。高級なのか、その当時流行っていたのか、初めて見ます。

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藤間駅前の古河機械金属足尾事業所が近いからか、建物は倉庫として利用されてました。

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欄干など凝った造りとなっています。

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この建物は集会所か何かだったのでしょうか。

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下藤間から上藤間を抜けた先、右手の沢伝いに深沢地区がありました。元々はこの道が日光へと抜ける道だったようですが、明治24年、馬車鉄道が開設されてからは廃道となったそうです。

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明治35年の大火で深沢地区は全焼。そのためこのような防火壁が造られ、跡地に多くの社宅が建てられたそうです。

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しかし現在では全ての長屋が解体され、石垣のみが当時の面影を残しています。

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公園の跡。ここにはかつて八聖山金山神社がありました。

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渡良瀬川に戻り、少し登って川を渡ったところが南橋地区です。渓谷と旧足尾専用線の間の狭い土地に社宅長屋の列があります。

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各長屋の共同トイレは崖っぷちに建ち、下水はそのまま川へ。この地区にはまだ住まれている方が結構居るようです。

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本山製錬所の向かい側、住宅地の奥に赤沢婆火社宅があります。

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空き家ばかりでここもすっかり無人かと思いましたが、一番奥の棟に一人老人の姿が。

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一人暮らしなのでしょうか、お話を伺う事は出来ませんでしたが、だとすれば閉山後一人去り二人去り、一つの村社会が消えてゆく時の流れを、一体どんな気持ちで見詰めて来たのか。

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こちらは合宿と書かれた棟。どのような用途だったのかは不明ですが、社宅住民の共用棟として沢山の思い出が詰まった場所だったと思われます。

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本山製錬所の大煙突を川向こうに眺めながら歩くと、やがて右手に開けた土地が。

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防火壁で一般住宅と区切られたこの広大な空き地には、かつて愛宕下鉱山住宅がありました。

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もはや一棟も残っていませんが、石垣や階段が当時の集落を偲ばせます。

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現在このような長屋跡では植林活動が続けられています。人々がこの地を去り、または亡くなり、廃墟化する長屋は解体され、今、森に還ろうとしている訳です。繁栄と環境汚染の末、資源の枯渇による衰退を経て、人々の故郷と歴史が木々に覆われてゆく。それが果たして正解であるのか偽善であるのか償いであるのか。後々公害問題についても取り上げて行きますが、燃料のための森林伐採と亜硫酸ガスによる煙害で緑を失った山々では、1897年から現在に至るまで100年以上もの間植林活動や治山事業が続けられており、その資金に莫大な税金が使われています。
今回の足尾散策はこれまで。次回は草が枯れた頃の季節に、廃棄物の堆積場や小滝鉱跡、本山鉱山神社跡、簀子橋堆積場などを巡りたいと思います。まだ2〜3回は通わなければならないようです。


栃木県日光市足尾(1)、足尾銅山観光
栃木県日光市足尾(2)、旧足尾線貨物専用線跡
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栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)
栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

栃木県日光市足尾(4)、鉱山住宅跡(その1)

足尾は銅山全盛期の1916年には栃木県内において宇都宮市の4万人(当時)に次ぐ人口3万8千人を抱えていました。しかし閉山後は人口の流出によって2千人にまで落ち込んでいます。かつて谷底にひしめき合うように長屋が建てられ現在ではそのほとんどが解体されましたが、歩いてみると消えた町の痕跡があちらこちらに見ることが出来ます。

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町の中心部だったわたらせ渓谷鉄道足尾駅周辺には、接待のための古河掛水倶楽部や重役役宅、所長邸宅(写真)、副所長邸宅、課長邸宅などが保存されています。中を見る事も出来ますが、あいにくこの日は休館日でした。

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手前に建っているのは旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫。

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周辺に建っている長屋も恐らくは役職の高い人たちの社宅だったのでしょう。他とは違い垣根で囲まれています。

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空き家が多い中、まだ住まわれているお宅も。

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廃屋となった辺りは雑草も生え放題。足尾の住宅は基本的に古河グループの社宅がほとんどだったので、平家の長屋造りが多いようです。

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足尾駅の裏手の斜面にも廃屋がありました。この家は一戸建てなので会社関係者ではなかったのかも知れません。

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さらに奥へと進むと廃長屋が二棟。山深い谷間なので少しでもなだらかな斜面があれば造成していたようです。

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足尾駅から先、川を越えたところに渡良瀬地区があります。

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いくつかの地区には最盛期の写真と解説の書かれた案内板が建てられているので、集落巡りするのも楽しいかと。

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こちらが現在の渡良瀬地区の様子。石垣が当時の面影を残しています。

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昭和30年の時点で879人暮らしていた人口も、現在では数軒が暮らすのみとなっています。

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江戸期、2〜3軒の農家と耕作地しかなかったこの土地も、明治時代に入ってから古河鉱業の社宅が建てられて町が形成されました。

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ほとんどが更地となっていますが、まだ数棟の長屋が残り一部では人も住んでいます。

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渡良瀬地区の奥、支流の神子内川沿いに細い旧道を進むと、やがていくつもの廃長屋が見えて来ます。対岸には渡良瀬川を離れた国道122号が走り、その道は日光へと続いています。

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ここは田元地区と言い、鉱山住宅(社宅)の集落がありました。無人ながら多くの廃長屋が解体されずに残っています。

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ただ、藪がハンパない。そもそも7月に廃墟巡りをするのが失敗というもの。秋から冬に掛けて再び訪れる必要があります。

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右奥、藪の向こうに金属製の鳥居が。廃神社と思われますが、とても行くことが出来ません。

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基本的には無人ですが一番奥に工務店の建材置き場があるようで、廃材を燃やす煙が立ち昇っていました。しかしこれだけ長屋が残っているところを見ると、最近まで住人が残っていたのかも知れません。

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こちらは集会所跡。ここだけ草が刈られてます。しかし次の瞬間、右手の深い藪中でガサガサと物音が!姿は見えないけど獣がいる。途中、猿のものと思われる糞を見かけたので、恐らく猿だったと思います。しかしビビった。マジビビった。

続きます。


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栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡
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栃木県日光市足尾(6)、簀子橋堆積場

栃木県日光市足尾(3)、足尾銅山本山製錬所跡

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終点の間藤駅を降りると目の前に古びた工場があります。

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どう見ても廃墟ですが、ここは古河機械金属足尾事業所となります。古河電気は何と無く聞き覚え有りますが 、あまり一般には知られてはいません。

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しかし古河は明治10年より足尾銅山で財を成し、財閥にまで上り詰めた名門です。今でも機械産業やマテリアル事業などを続ける巨大企業です。あのユニックも古河の傘下だし、あの富士通も古河電気工業とドイツのシーメンス社との合弁会社だったとか。

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間藤からさらに奥へと国道122号を進んでゆくと、やがて遠くに古河機械金属本山製錬所硫酸工場が。この辺りまで来ると亜硫酸ガスによる煙害で樹木が枯れ果てた山肌が見え始めて来ます。国道122号と言えば埼玉県民が「ワンツーツー」と呼んでいる幹線道路ですが、まさかこんなところに続いていたとは。

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製錬所手前の舟石林道を登って行きます。ちなみに製錬所跡は裏山の上に広大なソーラーパネル畑を造り、平成25年より電気を出荷しています。なので現在でも所内には事務所があり関係者以外立入禁止。さらに撮影禁止の看板もありました。不法進入しようとする輩がいるのでしょうか。

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この辺りではパイプが山肌を這っている光景をよく見かけます。地下水を逃し崩落を防いでいるのでしょうか、用途は不明。

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少し登ったところで見えて来るのは変電所跡。現在はすぐ奥に新しい変電所が建てられています。

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すっかり廃墟となっていますが、立入禁止のためがっちり囲われていました。この林道をさらに登って行くと坑道口である本山抗跡や、廃神社の本山鉱山神社などがありますが、今の季節は藪がハンパないので次回改めて訪れようと思います。

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足尾銅山は江戸時代から採掘が始まった幕府直轄の鉱山でしたが、幕末期に産出量が一気に落ち込みます。しかし明治10年に古河市兵衛が銅山経営に乗り出し、同14年に新たな鉱脈を発見。その後機械化、効率化が進み、より深く掘り進める技術が開発されるなどして産出量を増やして行きます。

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明治時代を通して古河鉱業(当時)の銅山経営は久原財閥の日立鉱山、住友家の別子銅山とともに急速な発展を遂げ、20世紀初頭には日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長しました。(参照・Wikipedia)

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対岸より製錬所の遺構を眺める事が出来ます。製錬所は現在でもその施設を利用して廃酸、廃アルカリなどの産業廃棄物リサイクル事業を行っているそうです。足尾銅山は備前楯山を取り囲むように、この本山抗の他、小滝抗、通洞抗などがありましたが、この本山抗の施設が最も規模も大きく中心的な存在でした。

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明治期に亜砒酸も産出し、精錬の副産物として硫酸も生産していた足尾銅山ですが、同時に深刻な公害問題も起こしていました。この小学校の社会科教科書にも載った足尾銅山事件は、全国に足尾銅山の名を負のイメージとして知らしめたものでした。

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わたらせ渓谷鉄道で来る途中、通洞駅に到着する手前の左手車窓に見える廃墟は、現在足尾銅山観光として公開されている通洞抗の選抗所跡です。足尾銅山は輸入自由化のもと、増大する海外鉱石の圧力と鉱脈の枯渇などにより、昭和48年には足尾銅山を閉山しましたが、公害対策に掛かる費用による採算性なども原因だったのかも知れません。

まだ続きます。

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