千葉県

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千葉県千葉市〜市原市、京成千原線の先の未成線

津田沼で京成本線から枝分かれする京成千葉線。その終点千葉中央駅から先には5駅だけ京成千原線が延びています。

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千原線は元々、小湊鉄道が昭和32年に取得したまま放置していた海士有木〜千葉中央駅(当時は京成千葉駅)の免許を、昭和48年に京成電鉄が千葉県、千葉市、市原市、宅地開発公団(現・都市再生機構)からの出資を受けて第三セクターで設立した千葉急行電鉄が譲り受けて建設工事を開始。

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しかし大森台まで開通したのが会社設立から15年も経った平成4年。平成7年には現在の終着駅ちはら台までが開業しましたが時代はすでにバブル崩壊後の大不況。
写真は千葉中央駅の次の駅、千葉寺駅の駅前。セブンイレブンしか無い。

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開業当初は平成11年度を目標に線路の複線化、辰巳台までの延伸をして最終的には小湊鉄道の海士有木駅まで繋げる計画でした。写真は千葉寺駅のプラットホーム。対面式のホームまで用意されていますが、よく見れば2番線ホームの壁はペンキが塗られておらず屋根のパネルも貼られないまま工事が中断。

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しかし今どき単線とは。津田沼方面まで直通運転されているとはいえ、1時間に三本は不便。開業当時は京成電鉄の中古車両を払い下げて使用していたそうです。もっとも、京葉高速鉄道も地下鉄東西線の中古車両を使い、高い運賃で営業していましたが。

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しかしバブル崩壊後のニュータウン開発の停滞により客足は伸び悩み、土地取得費用を回収するための高額な運賃もあって利用客は減少。平成9年度には累積債務は106億円に昇り、平成10年には債務超過に陥り千葉急行は破綻しました。
写真は終点ちはら台駅。恐ろしいくらい何もない。

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線路は筆頭株主であった京成電鉄が引き継ぎ京成千原線としましたが、複線化や路線の延伸計画は凍結されました。ちはら台までは複線の高架線や敷地が用意されていながら片方は線路だけが敷設されていない状態。ちはら台駅も元々島式ホーム2本と線路3本の予定だったのか、しかし現在ホーム一本だけ造り1番線のみの使用で折り返し運転。

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ちはら台から先も多少鉄道用地が延びています。千葉急行としての営業はたったの6年間という短いものでしたが、そもそも営業運転開始の時点ですでに債務超過に陥っていたという。

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これより幻の未成線を辿っていきます。

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と思った途端に森です。ちなみに、ちはら台〜海士有木間の事業免許は来年の平成31年10月で着工期限を迎えてしまいます。もっとも、着工する気など微塵も感じられませんが。

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森の中に道でも無いのに伐採され区画された箇所が。鉄道計画用地?

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森を抜けた先、右へ大きくカーブを描きながら田園地帯を高架線で突っ切る計画だったのかと想像。しかし先には小高い丘が。

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その丘の一部に伐採された怪しい斜面が。切り通しで丘を越えると想像。もう想像ばかりです。

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しかし、丘を越えた先に再び鉄道用地が。

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見事に土を盛ってます。ここから徐々に下って行くのでしょう。

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この辺りは平成11年を目処に延伸が計画されていた市原市の辰巳台。今でも鉄道用地として買収された土地が1キロに渡り続いています。

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辰巳台駅予定地。線路は下を堀割りの形で通り、この地上に駅舎と駅前広場を造るつもりだったと思われます。

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鉄道が開通したら道路を拡張する予定だったのでしょうか。一車線道路と併行して家庭菜園が続く。

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線路はこの県道21号線の下をくぐります。

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辰巳台の先の堀割り。今更埋め戻しもしないでしょう。

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周辺は広大な住宅街が広がる。ニュータウン開発の名の下、将来的には鉄道が開通すると信じて庭付き一戸建てを購入したのでしょうか。

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最終的にたどり着く構想があった小湊鉄道の海士有木駅まで行って見ました。単線を1〜2両編成の気動車がのんびりと走って行きます。

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千葉急行の終点となるはずだった海士有木駅は、絵に描いたようなローカル線の木造駅舎。

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初夏の風が通り抜けてゆく無人駅の改札。開発は夢のまた夢で終わりを告げました。

千葉県習志野市、バラック銭湯と立ち飲み屋

 今年の2月、千葉県習志野市にある鷺沼温泉という温泉銭湯を訪れたのですが、運悪くボイラー清掃のため臨時休業。いつかリベンジしてやると思い、今回再訪しました。

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 JR総武線津田沼駅からバスで習志野三丁目へ。辺りは年期の入った団地街。温泉なんてとても無さそうな雰囲気です。

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 千葉街道沿いの路地を入った奥に、温泉銭湯の鷺沼温泉は有ります。

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 脇に廻れば、崩壊しそうなバラック建築。この外観がすでにそそります。

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 裏に廻るとボイラー室。屋根がもう崩れかけてます。

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 正面に戻り路地を進んで突き当たり右手に入り口があります。男湯女湯それぞれの暖簾を潜って入る感じは銭湯の造り。

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 下足棚に靴を入れ、年期の入った木造引き戸をガラガラと開ければ、在日朝鮮人系のお婆ちゃんの座る番台。

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 480円を払うと、広くて天丼も高い脱衣所。脱衣棚は全て常連さんのお風呂用品で埋まっており、少々戸惑います。仕方なく脱衣カゴを適当な所に置いて服を脱ぐ。オープンの15時に入りましたがまだ誰もおらず、女湯の方からはオバチャン二人の話し声が聞こえてきました。

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 浴室は広く、タイル画と板貼りの壁に描かれた富士山の銭湯画が見事。カランはお湯を出そうとしても水しか出ず、中央のシャワーのみお湯が出ます。調べたところ10年以上前から左右壁際のカランはお湯が出ないままのようで、放置を通り越して開き直ってます。(笑)

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 お湯はラドン温泉とのみ表記されてますが、いわゆる関東でよく見る黒湯。ただこれが、あっつい!
 温泉計は40度を指してますが壊れているようで、体感的には左側47度、右側46度ぐらい。今まで入ったお湯でもトップクラスの熱さです。ただ有難い事に中央にある水道の蛇口を捻れば冷鉱泉がダバダバ出て来ました。浴感は熱過ぎてよく分かりませんでしたが、ぬめり感のある良質な鉱泉であると思います。
 ともあれ、在日朝鮮系バラック建築の放置プレイな銭湯という部分では、類い稀な経験が出来たのは確か。湯あがりは温度のせいか泉質のせいか、ホカホカが止まらない。

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 バスで津田沼駅まで戻ったところで風呂上がりのビール。南口は千葉工業大学しかないので、北口の繁華街へ。

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 立ち飲み屋『ギュートン軒』。駅から1分もかからない場所ですが、この立地条件が凄まじい。

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 ビールは瓶のみですが、サワー系280円、小鉢や焼き鳥2本150〜180円、モツ煮250円と、かなりリーズナブル。

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 お婆ちゃんとお母さんが二人で切り盛りする小ぢんまりした店ですが、いつまでもこのまま残っていて欲しい店です。

千葉県館山市(2)、正木温泉

 那古宿から正木地区の田園地帯を抜けて山沿い、谷の奥にある正木温泉に行って来ました。

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 農道を奥まで歩いて行くと、農場の廃墟があります。

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 こちらは5年ほど前まで使われていた牛舎の跡だそうです。何でも二代続いたものの二代目が亡くなられて廃業されたとか。(情報提供6Frogs様)

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 細い生活道を山あいへと入って行ったところに、正木温泉はありました。

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 どう見てもただの農家です。右側の小屋では老夫婦がテレビを見ています。母屋と小屋の間がお風呂の入り口。耳が遠くなられているのか大音量のテレビに負けないくらいの大声で声を掛け、入り口右脇の料金箱に650円を入れる。

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 母屋の前では猫が点々と寛いでいます。

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 腰が90度に曲がったお婆ちゃんが奥の離れにあるお風呂まで案内してくれます。

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 手作り感溢れる離れ、と言うか小屋。この鄙び感は今まで入って来た温泉の中でもMAXかも知れません。外壁には断熱材代わりに発泡スチロールがはめ込まれていました。

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 お湯は含硫黄 - ナトリウム - 炭酸水素塩泉。赤黒いお湯は近くの源泉から運んで来た冷鉱泉の汲み置き。鮮度は勿論期待出来ませんが泉質は素晴らしいです。お湯の入れ替えは2〜3日に1回。シャワーでしっかり洗ってお湯をなるべく汚さないように入ります。ともあれ、農家のお風呂を借りているような感覚。強烈にまで印象に残る温泉でした。

千葉県南房総市、桜花秘密基地跡

 太平洋戦争終結前、日本は本土決戦を想定し様々な対応策を取っていました。そのひとつ、アメリカによる本土上陸作戦を迎え撃つ用意のひとつとして、東京湾の入り口である三浦半島と房総半島を要塞化して行きました。そのため、特に内房には砲台跡や弾薬庫跡などが多く残されています。

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 今回、那古船形を訪れた最大の目的は桜花秘密基地の探索にありました。平群行き路線バスに乗り平山で下車。那古宿からさして離れていませんが、ここはもう南房総市。ネット情報をもとに山あいへと歩いて行きます。ふと、あぜ道を登って行くと謎の注連縄。

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 結界が張られている!などと中二病的な独り言を呟きながら登り切ると、何もない平地の端っこに小さな祠と墓石らしきものが。何でしょう。謎です。謎過ぎます。

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 農道を歩き廻るも桜花発射台跡らしき物は見当たらず、農作業をしていたご老人に聞いて見ることに。すると癖の強い方言でなんとなくの場所を教えて頂きました。この辺を登れば良いのだろうかと農家の脇の農道を登って行くと、それは畑の中に突如姿を現した。

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 これが桜花発射台跡です。雑草に覆われたコンクリート造りの遺構ですが、発見した時は正直鳥肌が立ちました。

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 桜花とはロケットエンジンを搭載した有人ロケット爆弾という特攻決戦兵器です。開発は終戦の前年、1944年の春。最初は一式陸攻(爆撃機)に搭載して敵艦隊近くで投下し、有人操縦により命中させるという、つまりは有人ミサイルのような物です。しかし一式陸攻が桜花の射程距離に近づけなかったり桜花自体の故障が多かったりと目立った戦果は上げられないまま、戦況は悪化の一途を辿っていました。最終的に本土決戦必至となった1945年、決戦兵器桜花を投下ではなくカタパルト発射出来るよう改良し、関西は比叡山、関東は千葉と横須賀などに発射施設を建造しました。

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 発射台先端から発射台基礎を見ます。かつてはこのコンクリート基礎にカタパルトのレールが設置されていました。そのレールは現在、川向こうの知恩院というお寺に残されていますが、バスの時間の都合上見に行く事は出来ませんでした。

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 発射台の奥は開けており、この更に奥には桜花の地下格納庫が有ったそうです。この秘密基地は敵に発見されぬよう山間部に造られました。しかし基地がほぼ完成し、カタパルト発進に対応した桜花43乙型も配備されようとした時、日本は終戦を迎えました。この桜花秘密基地が使われずに済んだ事で、桜花によって散る尊い命が、それ以上増えずに済んだのは不幸中の幸いと言えましょう。また、このような戦争遺跡を遺す事により、太平洋戦争について色々と調べ、そして知る機会になりました。訪れて良かったと心から感じます。

千葉県館山市(1)、那古船形近辺の神社仏閣

 JR内房線那古船形駅周辺の史跡を巡って来ました。

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 いかにも田舎の駅って感じの那古船形駅は、館山のひとつ手前にあります。

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 駅から海側に少し歩くと大福寺崖観音があります。

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 崖の中腹には717年に行基の手により彫られたとされる十一 面観音菩薩の磨崖仏が祀られています。

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 行基の磨崖仏と言えば以前訪れた岩谷観音堂も同じ行基によるものでしたが、こちらの崖観音は館山市の有形文化財に指定されています。しかしこの扱いの違いには驚くしかありません。

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 漁師の安全を祈願したと言うだけあり、館山市と船形地区の街が一望に見下ろせます。

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 崖観音の下は漁業の街ですが、街道沿いには古い木造建築も多く残されています。

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 さて、船形地区から旧那古宿へと歩いて行きます。線路をくぐる手前、民家のような造りの加麻土神社があります。いかにも地元に根付いた感じの神社。

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 線路を越えた辺り、山肌が迫ったところで突然藪に埋もれた鳥居が。残念ながら、ここを入って行く勇気はありませんでした。バスの時間もありましたし。

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 少し歩くと那古寺がありますが、こちらも崖にへばりつくように建っています。折しも近くの小学校が写生の時間。

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 創建は717年と言うから崖観音と同時期。それもそのはず、行基です。行基が海中より得た香木で千手観音菩薩像を彫り、元正天皇の病気平癒を祈願したところ病気が治り、その報謝で建てられたと伝えられています。

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 海を臨む本堂はかなり立派なものです。行基があまりに気になったのでwikipediaで調べたところ、主に近畿で活躍し奈良の大仏造立の責任者でもあったとか。全国を行脚し各地に橋や水路なども整備したそうです。

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 本堂脇を入れば、ここにも磨崖仏。お堂が岩壁にめり込んでます。

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 地層がはっきりと分かる房総や三浦半島などによく見られる岩肌。なんか地理の授業で習った気がしますが、砂岩質なのか掘ったり削ったりするのが楽なんでしょうか。とにかく磨崖仏や横穴、素掘りのトンネルなんかが千葉には多いです。

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 歩いていると、先日よく見に行ってるねりうまブログ様で紹介されていた建造物を発見しました。思わず「ここかー!」と声に出てしまった。

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 館山へ向かう街道から内陸部へ。バイパスを越えて正木地区に入った辺りの神社。館山は大きなお寺こそ有りながら、神社は村の鎮守程度の小さな社が多数散在していました。

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