千葉県

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千葉県茂原市(5)、国府関団地(再訪)と八丁寺団地

真名団地から八丁寺団地へ向かう途中、約2年半前に訪れた国府関団地の現状も見て来ました。

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徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。

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改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが目立ちます。

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長屋形式の棟は真名団地と同じような造りです。ただ茂原市営住宅あり方検討委員会のデータに記載されていない所を見ると、以前残られていた住民はもうおらず、すでに無人となったようです。

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とは言え解体工事は全く着手されておらず、工事計画の看板も無ければ封鎖もされていません。都内ではなかなか有り得ないことですが、いかんせん田舎なので浮浪者が住みついたりはしないのでしょう。

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公園の奥に見えるパチンコ屋の廃墟も残ったままです。

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さて、バスで一旦茂原駅に戻ります。正式名称は市営国府関団地なのにバス停の名称が原田団地となっている理由は不明。

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茂原駅前で昼食を済ませ上総牛久行きのバスで鷲ノ巣バス停にて下車。2019年に増水した一宮川を渡り八丁寺団地に着く頃には雨も止んでいました。

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ここは昭和42(1967)年〜昭和46(1971)年に建てられました。昭和45年〜50年に建設された真名団地よりちょっと古い感じですが、平屋建て長屋形式の建物はほぼ同じ形状となります。

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前記事でも触れましたが、全149戸中住んでおられるのは2021年の段階で53戸。ただここには一棟だけ3階建の棟があり、そこに多くの方が住んでいるように見受けられます。奥の方にチラッと写っているのが3階建ての棟。

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と言うのも平屋建てを見ている限りでは、とても3分の1も住まわれているようには見受けられないのです。

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ここもやはり北面に玄関、南面に居間と寝室及び縁側と庭と言った造りになっています。

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恐らくは木造モルタル造りかと思われますが、この平屋建て長屋形式は真名団地や国府関団地にも共通してありました。昭和40年代前半の地方の団地に於ける主流と言ったところでしょうか。

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その時代、都心では昭和30年代後半(1960年代)よりすでに鉄筋コンクリート造5階建ての団地が主流となっております。土地に余裕がある地方と高度成長期に入り急速に人口が増加して行った都心との違いと言ったところ。

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思えば去年訪れた佐野市市営石塚団地も全く同じ造りをしています。

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中央には広場と集会所があります。かつてはこの広場で盆踊りなども催されていたとか。

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すでに使われなくなった公園もあります。少子高齢化や過疎化が進んでいる現状は公園を見れば分かります。

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奥の方には木造一戸建ての棟もあります。国府関の後にこの八丁寺が出来て、その後に真名が出来ると言う時代の変換を垣間見れます。

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玄関の隣の勝手口に屋根を増設した家もあります。洗濯機置き場や倉庫として使っていたのでしょうか。賃貸ですがこう言った改造は昭和の時代、結構緩くて自由だったところがあります。

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ちょっとだけ内部が見える空き家がありました。この団地には主に東北地方から引っ越して来た方々が多かったとも聞きます。

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右から便所、玄関、ガスメーター、キッチン、勝手口付き風呂場、ボイラーの排気口の順番に並んでいます。茂原市は意外にも天然ガス生産量日本一の都市なので、早い段階で都市ガスが整備されていたのかもしれません。

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戦後の住宅事情を受けて建設ラッシュを迎えた団地の歴史は主に昭和30年代から50年代。東京近郊に日本住宅公団(現・UR)と自治体による公営団地が次々と建設され、ここ茂原市の市営住宅は「後期」の建築物と言えます。昭和40年代、都市部で飽和状態になって来た末に、地方へとその流れが広がって行ったのかも知れません。
それにしても茂原市は面白い。掩体壕巡りも出来れば素掘りの隧道巡りも出来るし、今回は終末市営住宅巡りも出来ました。レンタルサイクルでも有れば最高なのに。

(注意)
八丁寺市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者の方々のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

(追記)
八丁寺団地の近くを流れる一宮川が2019年に氾濫した事で、護岸工事や治水工事を2030年の完成に向けて工事をしていたのですが、残念な事に2023年9月8日台風13号に伴う線状降水帯により氾濫してしまいました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

千葉県茂原市(4)、ゴーストタウン化が進む真名団地

2020年10月、素掘り隧道群を撮りに行った際に偶然ゴーストタウン化している国府関団地を見つけたのですが、実はそのさらに奥、西側にもっと巨大でゴーストタウン化している真名団地があったと言う事を知りました。

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今回は以前からちょいちょいチェックしているブログ埼玉発おとなの小探検様の記事を読み、こりゃ即座に行かねばなるまいと思いニ年半ぶりの茂原市。茂原駅からバスに乗り原田バス停で下車。団地の入り口には魚屋さんと思われる唯一の商店の跡があります。

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折しも線状降水帯による豪雨の中。午後には雨が止むとの予報で無理矢理敢行しました。

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団地は県道から北へ向かってメインストリート。県道に近い側は東側を中心に平屋建て長屋造りとなっております。

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ちなみに今回、団地があまりにも巨大なので写真の枚数がかなり多くなってしまい、選びきれないので掲載する点数も多くなります。

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平屋建て長屋は北に向かって玄関があります。一棟につき4〜5軒、玄関と勝手口がそれぞれにあります。このスタイルは最近様々な場所で見て来た、昭和40年代の平屋建て集合住宅の造り。

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南面には縁側と庭。居間と寝室が庭に面したバストイレ付き2DKと言った間取り。

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国道から奥、つまり北へ進むと、二階建てばかりになって来ます。右手、つまり東側に丘陵。

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左手、つまり西側は斜面の下に水田地帯。棟と棟の間は鬱蒼と草生しております。

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この市営真名団地は主に2階建ての棟を中心とし、平屋建ても含めておよそ60棟、全299戸からなる巨大な市営住宅です。

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ちなみに2021年5月の時点で入居者は23戸。現在「茂原市営住宅あり方検討委員会」により、新規入居者は募集せずにこのまま廃止すると言う方針が決定しています。

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団地の中央には公園もありますが、遊具は雑草に埋もれております。もはや子供が居ないのでしょう。

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造成されたのは昭和45(1970)年~昭和50(1975)年。以前訪れた国府関団地が完成してから5年後になります。

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ただこの真名団地は敷地面積が広大で、借地が約6割を占めるそうです。恐らくですが茂原市が農地を持っていた地主に借地料を払い続いているのでしょう。

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茂原市的には早く解体したい気持ちも有るのかも知れませんが、立ち退きに対する補償金を出す程財政事情は良くないでしょうし、やんわり退去をお願いする程度かも知れません。しかし高齢者にとって今更引っ越すにも資金や体力がありませんし。

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例えばこれが都心の再開発であれば、都や区に対してゴネてもせいぜい2〜3年先送りになる程度。資金面に於いても全然事情が変わって来ます。特にオリンピック前の再開発なんかは苛烈でした。

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さらに実際解体工事を行う場合、莫大な費用がかかるなど様々な課題があるため、どのような方針で用途廃止を行うべきか茂原市営住宅あり方検討委員会が文字通り検討を重ねているそうです。

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いずれにしても現在住まわれている住民が引っ越すか亡くなられるかしないと、解体工事は始まりませんし、跡地の活用に良い案もありません。工業団地にしたって企業誘致や環境への配慮などの問題が立ち塞がります。

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ここで例えば、とある企業が広大な敷地を使って老人ホームを建てるなんて計画が持ち上がれば、渡りに船なんでしょうけれどもね。

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国道に近い平屋建ての棟では明らかに住まわれているお宅をポツポツ目にしましたが、奥に進めば進むほど人の気配が無くなって来ます。

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ほぼ最奥部に近い所に電話ボックスがあります。明かりがついてるので現役だと分かりますが、ここ夜中に来たらどうなってるんだろう。奥の方は街灯消えてるのかな。だとしたら、そんな中電話ボックスだけが明かりを灯していると言う状況に。

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なんか似たような写真ばかりになってますが、全て違う棟だったりします。

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それにしても茂原駅からバスで14分かかる田園地帯だけに地価も安かろうにと思うのですが、なぜわざわざ二階建てにしたのか。そんなに入居希望者が多かったのか。

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とは言え昭和40年代の団地と言えば、首都圏ではすでに5階建て鉄筋コンクリート造が普通でしたから、それに比べればね。

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最奥部に行くと少々造りが変わって来ます。

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一階部分を広く取り、二階部分は一部屋のみと言った感じでしょうか、それでも長屋形式になっています。

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ちなみに茂原市は2021年、八幡原、長谷、上茂原、上茂原西、新町保、東茂原の6カ所の市営住宅を、長寿命化計画によって改修工事などをする方針に決めたそうです。

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対して299戸中23戸しか住民の居ないここ真名団地と、149戸中53戸のみ残っておられる八丁寺団地の2箇所に関しては、老朽化と言う理由も含めて廃止の方針が決定しています。

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以前訪れた国府関団地は、すでに住民がゼロとなって廃止されたと思われます。ちなみにこの後、国府関団地の現状と八丁寺団地を見に行きます。

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いよいよ記事として書く事が無くなって来ました。

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と思ったら北東側最奥部に4階建の団地建築がポツンと一棟だけ姿を現しました。すでに無人ですが追加で一棟建てたと言う事でしょうか。

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北端の先は水田地帯となっております。

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団地の東側を国道に向かって戻ります。この辺りは車が入れないようにされており、廃道扱いとなっているようです。と、ここでまたキジを発見!写真は撮れませんでしたが、今回はメスでした。埼玉はよくキジと遭遇します。

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299戸と言うと、2DKに核家族と考えて単純計算で1000人前後が住んでいた事になります。祖父母は実家に住んでおり、上京して結婚し、ここに移り住んでから子供が一人か二人。

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しかし時代とともに老朽化問題も起き、それ以上に少子高齢化や過疎化によっても人々が消えて行ったんだと思われます。

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最近ニュータウンなど訪れてもこのような問題が見えて来ましたが、バスを含めて都心まで2時間弱、千葉までも1時間近くは掛かりますので、子供の世代になりもっと都心へと引っ越して行ったのでしょうか。

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茂原市に雇用があるとしたら以前訪れた茂原海軍航空基地跡に建てられた三井化学の工場とか。市営住宅と言う事は低所得者層であった事も想像出来ます。

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そして、ある程度稼いだら住宅ローンで一戸建てを買うと言うのも自然な流れなのかも知れません。

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つまり団地と言うものは長い人生に於いて仮住まいと言う考え方もありますね。そして日本経済の発展と共に低所得者層が減って行ったと言う事も、新規入居者の減少に繋がっているのかも知れません。

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もちろん様々な要因が有ったのでしょうが、地方の団地はその役割を終えようとしています。

(注意)
真名市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者のご迷惑にならぬよう注意して下さい。

千葉県松戸市、昭和の杜博物館、ガラクタの中から宝探し

※注 今回は色々な意味でかなりマニアックな話になっています。写真の点数も多く飽きてしまうかも知れません。

昭和の自動車が展示されている博物館と言えば、自分としては20代の頃に通い詰めた御殿場のスポーツカー博物館、フェラーリ美術館、箱根のポルシェ博物館で有名な松田コレクションでしたが、そのいずれも現在では閉館となっているらしいです。ショックです。

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最近では数年前に訪れた栃木県真岡市にあるサムライ刀剣博物館のオーナーのコレクションで、昔の車に興奮しました。そして先日訪れたのがここ、千葉県松戸市にある昭和の杜博物館。

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ここにも貴重な旧車が数多く展示されています。例えばスバル360とか。

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いすゞベレットとか。この辺はまだ序の口。

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そして現れたのがランチアのガルウィング、ミザール。この車の存在は知りませんでした。それもそのはずミザールは1974年トリノモーターショーで発表されたコンセプトカーなのだとか。つまり世界で一台。て言うか、そんなもんどうやって手に入れた⁉︎

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この内装が全てコールテンのような布張りで衝撃的。革じゃないんだ。ジョヴァンニ・ミケロッティによるデザイン。ジウジアーロとかピニンファリーナ、ベルトーネなどの有名どころは知ってましたが、主に50〜60年代に活躍していたと言うミケロッティの存在は知りませんでした。なんとマニアックな!

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展示車両を全て載せていたらキリがないのでそこそこにしますが、日野のリアエンジン車、コンテッサもまたかなりのマニアック。こちらも実はミケロッティのデザインだったそうです。

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ガレージの奥には消防ポンプなんかが無造作に置かれてます。個人のコレクションとして、とにかくなんでも集めまくったようで。

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ただここは普通の旧車だけでは収まりません。異彩を放つこの車両は南極観測隊の雪上車。昭和63(1988)年から平成22(2010)年まで活躍していた車両だとか。

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この南極観測隊向けの雪上車は、新潟県長岡市にある町工場の大原鉄工所のみで造られているとか。ドアには鉄道車両で見たような灰皿。咥えタバコで南極大陸を疾走とか超カッコいいんですが!

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三輪オートなんて普通過ぎて雨晒しですよ。て言うか後ろに日立電鉄の車両が見切れています。

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日立電鉄の廃車両と言えば今年の頭に鉾田市の廃車両を見に行きました。今年の締めでまた日立電鉄と出会えるとは。て言うかさらに後方にセスナ機が見切れていたり。

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何かの戦闘機の燃料タンクが転がっていたり。

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そして何かのエンジンみたいな物が置いてあったり!

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さらにこのソーラーカー。私が20代の頃、どっかのサーキットで開催されていたソーラーカーレースを取材した事があったのですが、確かその時この車に出会っていたような気がします。昔のフィルムとか整理したら出て来るかも知れない。現代は電気自動車の時代ですが、当時は今のような優れたバッテリーが開発されるとは思ってなかったので、ソーラーパワーに未来を見出していました。これがまた結構速いんです。

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もうポルシェとか、どうでもよくなって来た。

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屋内で大切に展示されているのは映画「三丁目の夕日」にも貸し出されていたダイハツミゼット。

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ダットサンブルーバードが3連チャン。これらも三丁目の夕日に出演。

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富士重工のラビット。ベスパみたいなメジャーなスクーターは展示されておりません。昭和感溢れるデザインが素敵。

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傍らに目をやれば無造作に置かれたポータブルテレビ。

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ブリキの玩具なんかも多く展示されています。左下のスカイライナーに目を奪われる。

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とにかくここにはテーマなんて有りません。強いて言うなら昭和。それを言ったら当ブログも似たような物で、自分の好きな物を好きなように訪れており、昭和って以外に一貫したテーマなんて有りません。

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一応一般来場者のウケ狙いで石原裕次郎コーナーなんてのもあります。

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その脇には70〜80年代のシングルレコードの数々。

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プラモデルなどの模型が展示されている部屋。中央には50分の1スケールの米空母ホーネット。B-25を艦載しているのは史実に基づいていますが、縮尺がちょっと合っていない。

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ドルニエとかユンカースのプラモ、昔作ってました。特にユンカースのジュラルミン波形外板(コルゲート)が私のツボ。多分誰が訪れてもそれぞれのツボがカバーされている。

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ミグ21(第三世代以降)は特に好きで5機ぐらい買って、それぞれ違う塗装とデカールを貼って(フィンランド、エジプト、イラク、ベトナム、東ドイツ)並べていました。そしてさりげなく置かれているバルキリー。「なぜここに」というツッコミはここでは通用しません。

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ミニカーなども数多く展示されています。トヨタSERA! 今年笠間で実物見たな。

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サンダーバードはもうちょっと上の世代になります。しかしこのサンダーバードのパッケージイラストを描かれている小松崎茂先生(1915~2001年)の展覧会が行われています。

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この貴重な原画の数々は、松戸にあった昭和ロマン館という美術館で常設展示されていましたが、東日本大震災によりその昭和ロマン館は閉館。そこでここ昭和の杜博物館に移され展示されているとか。

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この小松崎茂先生は空想科学イラストの第一人者であり、このようなイラストは私も幼少期に図鑑などでよく目にした記憶があります。

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私が特に目を奪われたのはこの作品。当時はモノレールが未来の乗り物の代表格でした。地上には都電が走りビルの屋上には不二越ビル屋上にあった森永の地球儀ネオン看板。つまりここは晴海通りで銀座4丁目交差点である事が分かります。さらによく見れば月島行と描かれている。このモノレールは有楽町から月島行くんだー。後に地下鉄有楽町線が月島方面への足を実現する事となる。

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すでにレインボーブリッジを予言してます。多分ゴールデンゲートブリッジみたいな物が日本にも出来ると妄想されていたんでしょう。右奥には東京タワー(?)、と言う事はここはやはりお台場? 下にちっちゃいバスみたいな物が描かれていますが、高架線を走るのは結局ゆりかもめでした。

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氏の活躍は多岐に渡り、紙面やプラモのパッケージだけでなく、このようなグッズにも描かれていました。また、代表的な仕事として東宝映画『海底軍艦』の轟天号のデザインもされていたとか。言われてみれば確かに「ぽいっ」。

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戦艦大和のプラモデルパッケージ。これ、小さい頃親にねだって買って貰った記憶が。思えば幼少期から数多くの小松崎茂作品に囲まれて育っていました。なのにその名前自体、今回初めて知る事となりました。

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戦争イラストの数々。氏の作品には、石ノ森章太郎、ちばてつや、藤子不二雄、松本零士など、名だたる漫画家達に多大なる影響を与えたそうです。ただ、氏はあくまでも挿し絵師であり、ストーリー漫画としては13歳後輩の手塚治虫氏が第一人者となります。

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しかし現在、諸事情により小松崎茂常設展がいつまで続けられるか分からないとの事。観るなら今。今しかないのです!

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なんか興奮し過ぎて疲れました。外の空気でも吸おうと外階段を2階に昇れば、スペースシャトルが見下ろせます。もちろん実物ではなく、どこから持って来たのか巨大なオブジェ。

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気を取り直して2階展示室。骨董品を中心に展示、と言っていいのかどうか。

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だって鉛筆削りとかあるし!

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昔のタバコのパッケージ。こう言うのは集めている人も多いかも知れません。

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が、歯磨き粉のパッケージは集めている人いないでしょう。何でも捨てずに取っておくと言う事ですが、まさにガラクタ。なのに数を集めて展示されると立派な展示物となります。消費社会に対して物を大切にしようと言うコンセプトがあるのですが、ただ捨てないと言う意味ではなく、大切に使い続けると言う事。

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ウインカー(箱付き)。もうこんな物、世の中でここにしか残ってない代物なんじゃないのか。

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なんか爺ちゃんちの棚とかに無駄に飾られているようなウイスキーの瓶。ここはカオスの一言では語り切れない物があります。

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民芸品を中心に収められている小屋に入りました。

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民芸品に紛れてワープロ、スライド映写機、顕微鏡、あとよく分からない機器たち。

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銚子電鉄を走っていた、地下鉄銀座線から払い下げられた車両。ちなみにこれらの、敢えて良い意味で尊敬の念を込めてガラクタと言わせて頂きますが、集められていたオーナーは亡くなられ、現在財団法人として学芸員を迎え保存されています。
とにかくコレクションの数が多過ぎて整理しきれないのが現状ですが、それが逆に玩具箱をひっくり返した中から宝探しをするような感覚で、超楽しい!
他人にとってはガラクタでも自分にとってはお宝、そんな物と出会える施設でした。ここは何回訪れても新しい発見がありそうです。

■昭和の杜博物館
 千葉県松戸市紙敷1377
 047-369-7870
 北総線(スカイアクセス線)秋山駅より徒歩16分
【地図】
 https://maps.app.goo.gl/tuiJ1bGpDx5zsag87?g_st=ic
【営業日】
 令和4年年内は12月18日(日)のみ。
 令和5年1月より第2・第4土・日のみ営業。
【営業時間】
 10:00~16:00 (最終入場15:00)
 館内展示のみ300円の入場料が掛かります。

※館内の展示物は全て撮影可能ですが、もちろん商用目的などはモラルとしてダメです。

千葉県船橋市、駅周辺の繁華街

船橋には2016年2月、赤線地帯の海神新地跡やバラック地帯の都疎浜地区などを巡りましたが、今回たまたま船橋に行く機会があったので駅周辺を巡りました。

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JR船橋駅の北口はイトーヨーカドーと、東武野田線(あーばんぱーくらいん)の起点駅だけあって東武デパート。南口には西武デパートがあったのですが、ご覧の通り解体工事が始まっています。船橋は千葉県の人口に於いて千葉市に続く第二位の大都市です。

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JR船橋駅から旧西武デパート跡を挟んで南には、京成船橋駅があります。JR総武線は小岩まで北西へ進み、左へカーブして南西に進み秋葉原へ。京成電鉄はさらに北西へと進み、京成高砂でカーブして南西に進んで日暮里、上野、あるいは都営浅草線へ。ここから京成線はずっと内陸側を進むので、乗り換え可能な最後の駅となります。

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京成船橋駅の南側には仲通り商店街があり、この辺りが飲み屋街の中心街となります。

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ただ繁華街としては広く、どの通りに行っても飲み屋さんだらけと言った印象です。

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街はまだ再開発の波に飲まれておらず、古い建物や狭い路地がたくさん残っています。さすが千葉、と言うかさすが京成沿線と言った感じです。

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良さげな飲み屋さんだらけで一度夜に飲み歩きたい。ただ遠いんですよね。亀戸があって小岩があって市川があって、さらにその先ですから。二駅先はもう津田沼ですし。

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なんともそそる路地裏。たまりません。戦前から戦時中は軍都習志野が近い事もあって陸軍関係者の歓楽街としても栄えた船橋。空襲から逃れた事もあり戦後は闇市だらけになったとか。

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たまたま昼間からやってる大衆酒場「一平」を発見。さっそく入ってみます。

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店は奥まで長いコの字カウンター。とにかくメニューが豊富でしかも安い。

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とりあえず牛モツ煮と生。このモツ煮が感動的に美味い! 多くの部位がドロドロになるまで煮込まれており味の深みが凄い。個人的に今まで食べた煮込みの中でトップ3に入ります。

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南西の街外れに行っても路地裏飲食店街があります。

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ただ、こちらは東側が丸々再開発でマンションが建ってしまっていました。

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さて、京成船橋南口の南西側に歩いて行きます。この辺り、微妙に風俗の匂いもしますが、船橋には基本的に店舗型風俗店はほとんどなく派遣型ばかりのようです。かつては赤線も有った街なのですが、現在の歓楽街としてはキャバやパブぐらい。

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この辺は以前訪れた所。特に変わりなくって感じです。青線だった説もありますが、どちらかと言えばバーと言った感じ。

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さらに南へ歩けば千葉街道。通り沿いのビルは結構古く、これもいつまで残っているか。

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千葉街道よりさらに南、つまり海側へ行くと場末のスナック的な店がちらほら。

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6年半ぶりに歩いて見ましたが、かつての赤線地帯である海神新地跡のカフェー建築は健在でした。

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当時のコンクリート製街灯も健在。
今回船橋は再訪でしたが、花生食堂と大衆酒場の一平は収穫でした。飲み目的でまた来たいと思います。

千葉県佐倉市、ユーカリが丘〜志津小学校青菅分校跡

千葉県佐倉市のニュータウン、ユーカリが丘に行ってきました。

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ユーカリが丘と言えば不動産会社の山万が運営する新交通システム。ニュータウン開発と共に公共交通機関まで自社でやってしまうと言う、唯一のケースですね。路線は「9」の字と言いますか、地下鉄大江戸線を逆さにしたような形で、反時計回りの一方通行。昼間は1時間3本ペースで朝夕は5本ぐらい運行されています。

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中央に集電を兼ねた軌条があり、タイヤで走行しています。このユーカリが丘線が開業したのは昭和57年(1982)。折しも神戸のポートピアや大阪の南港ポートタウンなどで日本初の新交通システムが誕生した翌年で、まさに未来の交通機関と言うやつです。ただ、こちらは運転手がちゃんと乗っていますが。

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中学校駅で降ります。駅は全線で6駅、14分で一周します。駅名も女子大や公園などシンプルなものが多い。

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山万は元々大阪の繊維問屋でしたが、不動産業で関東に進出。昭和46年(1971)よりユーカリが丘のニュータウン開発を始め、昭和54年(1979)より分譲が開始されました。ユーカリが丘線の駅前にはマンションが建ちその周辺には一戸建て住宅が広がっています。このニュータウンは売りっぱなしではなく、高齢化に対応して路線バスの運営を始めるなど環境整備を継続的に行っています。

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一軒の不動産会社が街を作ると言っても、当然公共施設の整備も必要となります。新交通システムや保育所、老人ホーム、娯楽施設などは山万自らが運営していますが、当然小中学校や消防署、警察署などの公共施設は佐倉市に建ててもらうしかありません。この佐倉市立青菅小学校は昭和61年(1986年)に創立。少子化問題があっても極端に生徒数が減る事も無く、ニュータウン開発に於いては成功例と言っても過言ではないでしょう。

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さて、ここからはニュータウンの外側を歩いて行きます。周囲は山林の多い丘陵地に囲まれており、とても自然豊か。

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坂を下ると、いきなり千葉の里山風景が広がります。まるで別世界。

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茅葺き屋根!
いきなりそれは極端だろうwwww
ベッドタウンとの温度差にクラクラします。

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そんな農村地帯に残っているのがこの旧佐倉市立志津小学校青菅分校跡。

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こちらが入り口ですが内部は公開されてません。つい最近、2021年10月に国指定有形文化財に登録されました。

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窓から覗くと非常に綺麗な保存状態です。

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机や椅子が並べられていたらた、ロケ地なんかにも使われそう。

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この青菅分校は明治36年(1903)、志津北尋常小学校青菅分教場として設立され、昭和30年(1955)に現在の校舎が完成しました。その後、ユーカリが丘ニュータウンが完成間近となった昭和52年(1977)、ひっそりと廃校となったそうです。敷地内には桜の木々が植えられており、桜の季節にまた訪れてみたいですね。(3月4日撮影)

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