真名団地から八丁寺団地へ向かう途中、約2年半前に訪れた国府関団地の現状も見て来ました。
徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。
改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが目立ちます。
長屋形式の棟は真名団地と同じような造りです。ただ茂原市営住宅あり方検討委員会のデータに記載されていない所を見ると、以前残られていた住民はもうおらず、すでに無人となったようです。
とは言え解体工事は全く着手されておらず、工事計画の看板も無ければ封鎖もされていません。都内ではなかなか有り得ないことですが、いかんせん田舎なので浮浪者が住みついたりはしないのでしょう。
公園の奥に見えるパチンコ屋の廃墟も残ったままです。
さて、バスで一旦茂原駅に戻ります。正式名称は市営国府関団地なのにバス停の名称が原田団地となっている理由は不明。
茂原駅前で昼食を済ませ上総牛久行きのバスで鷲ノ巣バス停にて下車。2019年に増水した一宮川を渡り八丁寺団地に着く頃には雨も止んでいました。
ここは昭和42(1967)年〜昭和46(1971)年に建てられました。昭和45年〜50年に建設された真名団地よりちょっと古い感じですが、平屋建て長屋形式の建物はほぼ同じ形状となります。
前記事でも触れましたが、全149戸中住んでおられるのは2021年の段階で53戸。ただここには一棟だけ3階建の棟があり、そこに多くの方が住んでいるように見受けられます。奥の方にチラッと写っているのが3階建ての棟。
と言うのも平屋建てを見ている限りでは、とても3分の1も住まわれているようには見受けられないのです。
ここもやはり北面に玄関、南面に居間と寝室及び縁側と庭と言った造りになっています。
恐らくは木造モルタル造りかと思われますが、この平屋建て長屋形式は真名団地や国府関団地にも共通してありました。昭和40年代前半の地方の団地に於ける主流と言ったところでしょうか。
その時代、都心では昭和30年代後半(1960年代)よりすでに鉄筋コンクリート造5階建ての団地が主流となっております。土地に余裕がある地方と高度成長期に入り急速に人口が増加して行った都心との違いと言ったところ。
思えば去年訪れた佐野市市営石塚団地も全く同じ造りをしています。
中央には広場と集会所があります。かつてはこの広場で盆踊りなども催されていたとか。
すでに使われなくなった公園もあります。少子高齢化や過疎化が進んでいる現状は公園を見れば分かります。
奥の方には木造一戸建ての棟もあります。国府関の後にこの八丁寺が出来て、その後に真名が出来ると言う時代の変換を垣間見れます。
玄関の隣の勝手口に屋根を増設した家もあります。洗濯機置き場や倉庫として使っていたのでしょうか。賃貸ですがこう言った改造は昭和の時代、結構緩くて自由だったところがあります。
ちょっとだけ内部が見える空き家がありました。この団地には主に東北地方から引っ越して来た方々が多かったとも聞きます。
右から便所、玄関、ガスメーター、キッチン、勝手口付き風呂場、ボイラーの排気口の順番に並んでいます。茂原市は意外にも天然ガス生産量日本一の都市なので、早い段階で都市ガスが整備されていたのかもしれません。
戦後の住宅事情を受けて建設ラッシュを迎えた団地の歴史は主に昭和30年代から50年代。東京近郊に日本住宅公団(現・UR)と自治体による公営団地が次々と建設され、ここ茂原市の市営住宅は「後期」の建築物と言えます。昭和40年代、都市部で飽和状態になって来た末に、地方へとその流れが広がって行ったのかも知れません。
それにしても茂原市は面白い。掩体壕巡りも出来れば素掘りの隧道巡りも出来るし、今回は終末市営住宅巡りも出来ました。レンタルサイクルでも有れば最高なのに。
(注意)
八丁寺市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者の方々のご迷惑にならぬよう注意して下さい。
(追記)
八丁寺団地の近くを流れる一宮川が2019年に氾濫した事で、護岸工事や治水工事を2030年の完成に向けて工事をしていたのですが、残念な事に2023年9月8日台風13号に伴う線状降水帯により氾濫してしまいました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
徒歩10分少々なので立ち寄っては見ましたが、結論から言って何も変わっていませんでした。
改めて見ると真名団地よりも5年古い昭和40年完成の市営住宅だけあり、木造一戸建てが目立ちます。
長屋形式の棟は真名団地と同じような造りです。ただ茂原市営住宅あり方検討委員会のデータに記載されていない所を見ると、以前残られていた住民はもうおらず、すでに無人となったようです。
とは言え解体工事は全く着手されておらず、工事計画の看板も無ければ封鎖もされていません。都内ではなかなか有り得ないことですが、いかんせん田舎なので浮浪者が住みついたりはしないのでしょう。
公園の奥に見えるパチンコ屋の廃墟も残ったままです。
さて、バスで一旦茂原駅に戻ります。正式名称は市営国府関団地なのにバス停の名称が原田団地となっている理由は不明。
茂原駅前で昼食を済ませ上総牛久行きのバスで鷲ノ巣バス停にて下車。2019年に増水した一宮川を渡り八丁寺団地に着く頃には雨も止んでいました。
ここは昭和42(1967)年〜昭和46(1971)年に建てられました。昭和45年〜50年に建設された真名団地よりちょっと古い感じですが、平屋建て長屋形式の建物はほぼ同じ形状となります。
前記事でも触れましたが、全149戸中住んでおられるのは2021年の段階で53戸。ただここには一棟だけ3階建の棟があり、そこに多くの方が住んでいるように見受けられます。奥の方にチラッと写っているのが3階建ての棟。
と言うのも平屋建てを見ている限りでは、とても3分の1も住まわれているようには見受けられないのです。
ここもやはり北面に玄関、南面に居間と寝室及び縁側と庭と言った造りになっています。
恐らくは木造モルタル造りかと思われますが、この平屋建て長屋形式は真名団地や国府関団地にも共通してありました。昭和40年代前半の地方の団地に於ける主流と言ったところでしょうか。
その時代、都心では昭和30年代後半(1960年代)よりすでに鉄筋コンクリート造5階建ての団地が主流となっております。土地に余裕がある地方と高度成長期に入り急速に人口が増加して行った都心との違いと言ったところ。
思えば去年訪れた佐野市市営石塚団地も全く同じ造りをしています。
中央には広場と集会所があります。かつてはこの広場で盆踊りなども催されていたとか。
すでに使われなくなった公園もあります。少子高齢化や過疎化が進んでいる現状は公園を見れば分かります。
奥の方には木造一戸建ての棟もあります。国府関の後にこの八丁寺が出来て、その後に真名が出来ると言う時代の変換を垣間見れます。
玄関の隣の勝手口に屋根を増設した家もあります。洗濯機置き場や倉庫として使っていたのでしょうか。賃貸ですがこう言った改造は昭和の時代、結構緩くて自由だったところがあります。
ちょっとだけ内部が見える空き家がありました。この団地には主に東北地方から引っ越して来た方々が多かったとも聞きます。
右から便所、玄関、ガスメーター、キッチン、勝手口付き風呂場、ボイラーの排気口の順番に並んでいます。茂原市は意外にも天然ガス生産量日本一の都市なので、早い段階で都市ガスが整備されていたのかもしれません。
戦後の住宅事情を受けて建設ラッシュを迎えた団地の歴史は主に昭和30年代から50年代。東京近郊に日本住宅公団(現・UR)と自治体による公営団地が次々と建設され、ここ茂原市の市営住宅は「後期」の建築物と言えます。昭和40年代、都市部で飽和状態になって来た末に、地方へとその流れが広がって行ったのかも知れません。
それにしても茂原市は面白い。掩体壕巡りも出来れば素掘りの隧道巡りも出来るし、今回は終末市営住宅巡りも出来ました。レンタルサイクルでも有れば最高なのに。
(注意)
八丁寺市営住宅にはまだ生活されておられる方々が居ます。もし訪問する場合はくれぐれも入居者の方々のご迷惑にならぬよう注意して下さい。
(追記)
八丁寺団地の近くを流れる一宮川が2019年に氾濫した事で、護岸工事や治水工事を2030年の完成に向けて工事をしていたのですが、残念な事に2023年9月8日台風13号に伴う線状降水帯により氾濫してしまいました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。