埼玉県

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

【日記】埼玉県戸田市のスーパー銭湯

最近戸田に用事があってちょいちょい通っているのですが、検索したら近くにスーパー銭湯がある事が分かりました。

IMG_0046_Original

戸田公園駅から西へ10分も歩けば物流倉庫だらけで車社会。巨大ホームセンターや駐車場完備のドラッグストアや飲食店。ここ彩香の湯も一階部分が全て駐車場となっております。

IMG_0051_Original

2階がエントランス。開業は2005年ですが、リニューアルされている様子。元はガソリンスタンドだった土地に温泉コンサルティング会社が日帰り入浴施設を建てたとか。料金は1100円で戸田公園駅と高島平駅それぞれから1時間に一本、無料送迎バスが運転されています。

IMG_4170

露天風呂の画像は公式サイトよりお借りします。地下1500mより汲み上げるお湯は褐色でナトリウム塩化物強塩温泉。加水加温循環濾過で微かなぬめり感もあるがスベスベの浴感。

IMG_4169

ただこちらには加水加温無しの源泉100%浴槽があります。こちらは本来の黒湯で、源泉温度39.5度のぬる湯。温度の低下や湧出量から2〜3人しか入れない浴槽ですが、自噴で毎分780Lも湧いてるならもっと贅沢な掛け流しなんかも出来そうですが。ともあれ首都圏でも数少ない加温加水無しのお湯に入れる施設は貴重です。纏わりつくようなお湯で、日本温泉協会からも五つ星を認定されているとか。

IMG_0805

天ざるそば、1300円。意外と蕎麦がしっかり美味い。お湯、施設ともに、スーパー銭湯としてはなかなか素晴らしい施設でした。

IMG_0064

もう一軒、戸田公園駅から東側に行ったところにある七福の湯。こちらは施設の巨大さとサウナへの力の入れようが印象的。

IMG_0070

ちょうど戸田公園駅と川口駅の中間ぐらいに位置し、ショッピングモールのララガーデン川口が隣接しています。家族連れのお客さんで結構混んでいました。

IMG_4211

露天風呂の画像は公式サイトより。地下1400mから機械式で汲み上げるナトリウム塩化物温泉は39.4度で湧出量は毎分423ml。加水加温循環濾過に塩素消毒と言う関東のスーパー銭湯では一般的なお湯ですが、浴感は彩香の湯と非常に似ています。
ただこの施設はとにかくサウナに力を入れており、いわゆるサウナーが集まっているようです。私はサウナはからっきしなのでよく分かりませんが。
ただ気付いたんですがここ、自宅から自転車で来れる距離にありました。平日950円だし、また来ようかな。

埼玉県行田市、忍城と足袋の街

荒川河川敷の廃村を巡った後、そのままレンタルサイクルで北東へ、秩父鉄道行田市駅周辺の市街地まで行きました。

IMG_4028

こちらが城下町行田の中心街であり、JR高崎線の行田駅は全然町外れに当たります。忍城と言えば映画「のぼうの城」で一躍有名になりましたが、私はあの映画大好きです。ちなみにこちらの御三階櫓は元々建っていた場所とは違う所に昭和63年(1988年)再建された物で、明治の廃城令で解体された御三階櫓も江戸時代に建てられた物。のぼうの城の成田氏とは関係ないんですけどね。

IMG_4016

まぁ観光地って言うのは往々にしてそう言う物でして、場所も建物も違っていても、のぼうの城ファンは押し掛けるわけです。

IMG_4023

そもそも一般的に定義される戦国時代、応仁の乱から信長上洛までの間に完成した天守閣は現存しておらず、三階櫓など天守閣と呼ばれるもの自体関ヶ原以降、豊臣秀吉の時代に全国的に造られました。現存天守と呼ばれる創建当時の建物でも江戸期に建てられたものが多く、戦国時代当時の遺構と言う物は大抵石垣ぐらいな物しか残っていません。特に明治政府の廃城令によって全国の城郭のほとんどが解体されてしまいました。

IMG_4017

城マニアでも戦国マニアでもないのであまり詳しくはないのですが、どうしても観光資源として天守閣と戦国時代を結びつけたがります。実際は平屋建てだったりするんですがね。とは言えこの写真のように演出すれば、それっぽい雰囲気が出ます。

IMG_3998

行田市は特に映画「のぼうの城」とドラマ「陸王」による経済効果にありつけたので、観光産業への力の入れ方に本気度が窺えます。街中の至る所には花手水が置かれ、散策に彩りを添えています。旅行系ブログとしてはそう言ったフォトジェニックな感じを全面に出した方が大衆ウケするんでしょうが、残念ながらここはマニアックな部分しかクローズアップしないので。

IMG_4006

忍城三階櫓のある行田市郷土博物館には忍城の歴代当主の家紋と鎧が展示されています。手前から成田氏、江戸期からの大河内松平氏、阿部氏、東條松平氏及び奥平松平氏。

IMG_4046

さて、忍城を出てここからは近代産業、足袋造りの街並みを巡って行きます。こちらは牧野本店。この店蔵は大正13年建造。右手の工場は大正11年建造です。

IMG_4030

工場裏手は足袋とくらしの博物館として足袋製造の実演を見学出来ます。ちょっと時間が遅かったのですでに閉館してました。

IMG_4044

こちらは明治28年創業の時田啓左衛門商店。建物は昭和16年建造。行田は荒川と利根川に挟まれた土地で、砂質土と豊富な水により綿や藍の栽培に適していました。その事から藍染の綿布生産が盛んになったそうです。

IMG_4032

右手に隣接する時田蔵は明治36年建造で、足袋蔵の街行田を代表する建物です。藍染の綿布生産とその縫製技術を活かし、江戸中期頃から足袋の生産が始まります。

IMG_4038

少し北へ歩いたところに建つ時田足袋専用倉庫は昭和4年建造。時田啓左衛門商店は山形、宮城、山梨などに販路を広げ成功をおさめたそうです。行田の足袋製造は明治期に入ってから足袋が大衆でも使われるようになった事、軍需用の足袋製造に携わった事などから一気に発展して行きます。

IMG_4036

こちらの小川忠次郎商店は足袋の原材料の商いをしていました。蔵造りの商店は昭和4年建造。日露戦争による好景気で足袋製造業者はさらに増え工場も乱立。生産量が一気に増えた事で足袋を保管するための蔵も多く建てられました。

IMG_4033

昭和15年創業の牧禎商店。事務所兼住宅は創業当時の物です。

IMG_4031

牧禎商店の工場棟。現在ではNPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークによる藍染体験教室が開かれています。

IMG_4069

草生蔵。明治43年建造の金楽足袋株式会社の足袋蔵。市内で最も古い石造蔵と言われており、現在は草生家の倉庫として使われています。

IMG_4053

こちらは足袋とは関係ないのですが、近江商人の小川源右衛門が昭和2年に建てた大谷石造の蔵。現在はカネマル酒店の商品倉庫として使われています。

IMG_4048

国登録有形文化財の武蔵野銀行行田支店。忍貯金銀行として昭和9年に竣工。その後昭和19年行田元足袋販売株式会社に売却され、戦後は足袋会館として使われました。昭和44年に現在の武蔵野銀行となります。行田の産業の発展を見続けて来た建物です。

IMG_4051

「うまい!うますぎる!」テレビ埼玉で放送されているCMで有名な埼玉銘菓十万石饅頭の本店。行田だったんですね。あー、買えばよかった。

IMG_4067

最後にイサミ足袋本舗。明治40年に鈴木勝次郎商店として創業。

IMG_4055

ここはTBSドラマ「陸王」のロケ地として使われたノコギリ屋根の工場です。

IMG_4059

現在でも学生服の工場として稼働していますが、敷地の一部が公開されています。大正6年建造の工場が素晴らしい。そりゃロケ地になりますわ。

IMG_4058

このようなものもちゃんと残されています。

IMG_4065

モルタル造の足袋蔵は昭和13年(1938年)建造。現在内部が展示室となっております。

IMG_4061

内部の展示品。機械産業によるミシンありきの足袋製造業です。

IMG_4062

ドラマは見ていませんが、こう言った陸上競技用シューズを開発する話なんでしょうかね。

IMG_4066

入り口脇のガソリンポンプ置場。これも素晴らしい。観光地を巡って来ましたが、ここに来て巡って良かったと思いました。

IMG_4070

まだまだ行田の街を周りきってはいませんが、粗方メジャー処は巡った、と言う事で、レンタルサイクルを返しました。最後に今年3月に訪れた行田湯本温泉茂美の湯に立ち寄りました。

IMG_4075

相変わらずバカみたいな源泉湧出量で、バカみたいに全ての露天風呂浴槽へ源泉掛け流し。まったく贅沢な限りで素晴らしい日帰り温泉施設です。

IMG_4132

前回茂美の湯へ来た時に見かけて気になっていた造り酒屋が今回開いていたので、帰りがけについ立ち寄って日本酒買ってしまいました(真ん中の枡川)。この川端酒造は江戸末期の安政7年(1860年)から続く老舗で、今の店主は5代目に当たるそうです。
神田の行きつけの飲み屋にお土産として持って行きましたが、飲んで見たところ味はクセがあるけどスッキリ飲み易い。埼玉のお酒の特徴ですが、美味いです。
そうだ、行田名物ゼリーフライ食うの忘れた!結局ゼリーフライってなんなのか、謎は謎のまま。

埼玉県熊谷市、廃村、新川集落跡と三島神社跡

ちょっと更新に間が空きましたが、やっと仕事が落ち着いたので行田方面に行って参りました。

IMG_3954

行田駅の駅前のスカスカ感、高崎線のどの駅で降りても似たような雰囲気です。かつては駅前商店街も多少有ったのかも知れませんが。

IMG_3956

行田駅でレンタルサイクルを借り南西へ。堤防の上には決壊跡の碑があります。特に昭和22年のカスリーン台風の被害は酷く、沿岸から東京にかけて大規模な浸水被害があったとか。

IMG_3957

度重なる洪水を経て築かれた堤防から荒川河川敷へと降りて行きます。ちなみに市街地は行田市でしたが、元荒川と言う小川を渡って荒川河川敷に入ると熊谷市になります。

IMG_3959

広大な農地となっている河川敷を進むと墓地があります。この墓地がかつて存在した新川集落の痕跡です。

IMG_3962

以前、さいたま市と川越市の荒川河川敷に存在した農村の跡地である塚本堤外地握津堤外地に訪れましたが、ここは町としても栄えていたようです。

IMG_3964

始まりは江戸初期、堤防の内陸側を流れる元荒川から現在の荒川へと流れを移した江戸初期の瀬替工事が新川村の発祥となります。

IMG_3967

江戸時代、地下水が豊富だったことから桑が良く育ち、養蚕業が盛んになりました。川の下流側、南東側より上流側へと進んで行きます。

IMG_3975

廃村としてはあまりにも古すぎて、かつての家はこのように雑木林になっております。

IMG_3978

小さな祠はいつの時代の物か。奥の竹林も屋敷の跡地です。

IMG_3977

農地の至る所に地下水を汲み上げるポンプがあり、そのために電線が張り巡らされています。

IMG_3987

農地のほとんどが水田で、二毛作によって麦も作られているとか。土壌は本当に良いそうです。

IMG_3970

こちらは数少ない遺構のひとつ、大正時代の屋敷の石垣。最盛期がいつ頃なのか分かりませんが、明治20年(1887年)の時点で94戸532人の人が住み、49艘の船があったそうです。

IMG_3980

村の跡を進んでいくと新川村についての説明が。この村には江戸初期より500人ほどの人々が暮らし、戦後間もなく廃村となったそうです。

IMG_3981

かつての村の地図。廻船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋などが軒を連ねています。秩父で伐採された材木が荒川を下り、この地で筏に組み上げられて江戸は木場まで下って行ったと言う。同時に船運としての交通の要衝でもあったようです。

IMG_3983

かつての屋敷への入り口。中には基礎となる束石ぐらいは残っているかも知れませんが、とても入れる状態ではありません。

IMG_3985

村の上流側の端辺りまで来ました。ここにも墓地があります。村は度重なる洪水の被害に遭いながらも300年もの歴史を重ねて来ました。

IMG_3988

こちらは3箇所目の墓地。大正時代には現在の堤防が村の内陸側に出来た事により取り残される形となります。折しも鉄道の開通によって船運は廃れ、養蚕業もナイロンの登場によって廃れて行き、人口も減り続けていました。

IMG_3995

最後に三島神社跡を探します。ゴルフ練習場の脇を進んで行くと行き止まり。戻って練習場の方に尋ねると、行き止まりの先の畑の奥にあるとの事。もう一度行き止まりまで進み畑へと降りて脇を進む。

IMG_3990

目的地はこの藪の中。Googleで調べた時とはえらい違う様子。

IMG_3992

あ、ありましたwww
崩れかけた鳥居。奥の藪は増水によって薙ぎ倒されています。いや、増水の度に幾度となく浸水しているだろう場所に、鳥居が残っているだけでも凄いです。
思えば墓地でも幾つかの墓石が倒れていました。その度に一族の方が直し、管理され続けているのでしょう。

IMG_3996

先祖が暮らした土地と言う事で村の痕跡はほぼ消滅したものの、今でも農地は使われ続け、村の存在は語り継がれていきます。

【日記】貰い物の折り畳み自転車を輪行してテスト走行

浅草橋にある行き付けの居酒屋の常連仲間の方から折り畳み自転車をいただきました。パンクした状態で何年も放置していたそうで、多少整備が必要なのですが、とりあえずタイヤのチューブを交換しブレーキを調整して潤滑油を差して走らせてみようかと思います。本当は錆びたチェーンを交換してブレーキワイヤーも交換したい所ですが。まぁそれは来月お金が入ってから。

080FC419-4D72-4205-B272-8E3C7527FF72

Amazonで買った輪行バッグに入れて高崎線に乗ります。なんたって輪行バッグなんて30年ぶりぐらいです。20代の頃はマウンテンバイクを輪行バッグに入れて各地のレースに遠征しに行ったりしてましたが、あの頃は若いから平気で出来た。

AC96355E-C1BB-44CD-8E48-78B971EFAC99

Amazonの安っすい(2700円)輪行バッグなんて買ったもんだから、早速チャックがおかしな事になってます。本当はこう言う物にはお金かけた方がいいんですよね。

7915237A-7560-465A-B1EC-5D6EC92E975F

今回はまず乗り換えが一回で済む事と都心を通らない事を条件に。埼玉県深谷市のJR高崎線岡部駅に来ました。10年近く前に仕事で来たことありますが、駅前は全く変わってない感じ。相変わらず何もないです。
本当は鉾田市の旧大洋村の別荘地へ行って見たかったのですが、朝早いし乗り換え無茶苦茶あるし、そう言った意味で敷居が高いので、今回は予行練習みたいな感じで。

669A40F4-FF10-4C10-A849-B35E59F58772

tern(ターン)製20インチ自転車を折り畳んで収納したところがこんな感じ。まあまあコンパクトで、思ったより軽いです。ただ結局、輪行で考えるとこの大きさだったら折り畳みのメリットってあまり感じないのも正直なところ。マウンテンバイクの前後輪を外して輪行バッグに収納した時に比べれば断然コンパクトなんですが、結局どのみち邪魔なもんは邪魔wwww

2F98D560-3BB3-4BD4-A986-8821D26BE680

一瞬で組み終わるのは折り畳み自転車のいいところ。
運転免許を持っていない私は行動範囲が非常に制約されます。特に近年、過疎化に加え燃料費の高騰、ドライバーの高齢化などから地方の公共交通機関、特に路線バスの減便や廃止が加速しております。電車バス頼りの自分にとっては死活問題で、特にここ何年かは無茶して何時間も歩いたりしていました。

1C987289-2A61-4F3D-A53F-F3DABC717040

さて、走り出す前に腹ごしらえ。駅前の笑(エミ)カフェと言う店でカレー焼きそば。カレー感はそんなに感じなかったのですが、食べているうちにどんどんハマって行きます。いや、これ美味いぞ。

C852C32E-939F-473F-ABF3-2C62D8CA6AA8

すっかり満腹になり店を出たところ、なんとこの店でレンタルサイクルをやってるではないですか!
1日500円。はい、この時点で目的地に岡部を選んだ意味が無くなりましたww
電車もバスも無く、かと言って歩いて行ける距離ではない上にレンタルサイクルも無いような目的地に対して、輪行バッグによる現地での自転車移動と言う選択肢が増えた訳ですが、レンタルサイクルが有るんだったら重い思いして自転車持って行かなくても、現地で借りればいいじゃんって話です。

EE064302-34ED-4A58-9D3C-4844DBC0F297

気を取り直して岡部駅から北東方向、利根川を目指して走ります。途中、高床式倉庫みたいな中宿古代倉庫群跡があります。7〜8世紀の遺跡で建物が復元されていますが、関東平野って古墳なども無茶苦茶多いんですよね。

0D7485CD-8151-4170-87C1-5EF2A51FCD2D

こちらが第一の目的地、岡部消防組第一部の消防小屋です。中宿古代倉庫群跡の手前、南側の旧中山道沿いにあります。我ながら目的地が渋すぎる!
戦前の昭和6年竣工のコンクリート造で、以前は火の見櫓も建っていたそうです。

D3A1C3F1-9F44-4E15-B62A-E24104D90D8B

旧中山道を道なりに進むと小山川に掛かる北岡橋があります。煉瓦産業で有名な深谷が近いため橋台はイギリス積みの煉瓦造りで、親柱と欄干は花崗岩。昭和3年建造で登録有形文化財です。

74E6162D-4A8D-46E6-B00D-C033A5EE04D9

橋を渡ると本庄市に入ります。この辺りは低地で稲作と二毛作による麦作、丘陵地に農村と言った地形となりますが、立派なお屋敷が多いです。またこの地域では養蚕も盛んで、屋根の上に通気用の櫓があります。北関東の養蚕農家でよく見る造りですね。

5A170E34-7372-404D-955F-A9A8BEC549CC

なんでこんなデカいんだってくらい巨大な母屋。築年数も古そうです。

BFAE0D5C-614E-427C-9189-73D23D14E8CE

さて利根川が近づいて来ました。その川べりに蚕種産業で栄えた島村と言う集落があります。この後、その島村集落へと入って行きます。

埼玉県桶川市、熊谷陸軍航空学校桶川分教場跡

旧日本海軍における飛行学校の中枢が以前訪れた土浦海軍航空隊予科練であるのに対し、旧日本陸軍における飛行学校が所沢陸軍飛行学校および熊谷陸軍飛行学校などになります。ちなみに予科練と言う言い方は海軍でしか使わないようです。

5125ECB7-39CA-4661-8663-412366E1AC23

その熊谷陸軍飛行学校の分校が保存されていると言う事で桶川に降り立ちました。桶川の中心街は西側であり、駅前には巨大駐車場を併設した東武ストアが。

53346CD5-750F-4FB0-A875-C16C1E1427CA

バスの時間までちょっとあったので裏口と言える東側を軽く歩きました。かつては商店街として多少栄えていたようですが、大半の建物は解体され駐車場や空き地になっています。

1B206F3B-B73F-461C-BC1E-192E2525ED97

そんな中、商店街の面影を残す建物が。ただしとっくに閉業となっている様子。

FD37CB17-8591-49FE-A81E-64AE69AE4FFF

こちらはパン屋さん跡の裏の玩具屋さん跡。ほんとにこう言った個人商店て生き残ってないです。

F8E7906D-F0E1-4886-8792-158E5572B622

それはさておき本題に入ります。JR桶川駅から西へバスで10分。荒川の河川敷に熊谷陸軍飛行学校桶川分教場があります。荒川の向こう岸にはかつて滑走路があったとか。

633AF773-65FA-474D-B68A-8D3F0F68025A

道すがら、周辺から集められた陸軍の境界石が何基も置かれています。

747DAD4E-977E-442B-ABC0-352DD99E0371

こちらが桶川分教場。飛行機は第一次世界大戦で初めて軍事利用が始まりましたが、日本に於いては大正9年(1920年)、陸軍所沢航空大隊に航空学校が開校しました。その跡地は後に航空自衛隊入間基地となります。

DEFC5A6A-C375-4A6A-B153-A4F00997AB0F

正門左手には守衛棟が残っています。陸軍が航空兵力の増強に本腰を入れ始めたのは満州事変からと言われてますが、昭和10年(1935年)、熊谷に陸軍熊谷飛行学校が開校し、その2年後の昭和12年(1937年)、ここ桶川分教場が開校しました。

DFA1DCAE-12F9-4272-98B3-E1DEA62B4A14

守衛棟の内部。畳や電灯などが当時の姿に再現されています。

A76ECA70-32DD-404F-A45B-56648B652003

守衛棟の脇にはコンクリート造の弾薬庫が。小さいですが学校なので銃弾が多少あればいいんでしょう。

08C7FBDD-7B2C-4F0C-9094-0233AD1B8BE5

正門を入ると右手に車庫棟があります。ちなみに海軍の方では昭和4年(1929年)、横須賀海軍航空隊の中で予科練習制度が設けられ、14歳以上20歳未満が飛行技術を学ぶ事となります。

13A7E8A4-DD8E-4044-88FE-A1EAD615D1CE

車庫棟の天井。これらの建物は一度解体し、腐った部分などを接木で再生させ、再度組み立てるという復元整備のための大改修工事を行いました。ちなみに改修前の状態は帝都を歩く様で詳しくレポートされています。比べて見ると本当に綺麗に復元された事が分かります。

656FEC12-EDD9-4D9A-8C16-0BA9B6BEECB8

こちらが兵舎棟。工事が終わった令和2年(2020年)、桶川飛行学校平和祈念館として再び一般公開される事となりました。終戦の年、昭和20年(1945年)2月、熊谷陸軍飛行学校と並んで桶川分教場も閉校となり、以降終戦まで特攻隊の訓練場となりました。

05F96A32-9D00-4181-93B5-676464B1986F

内部は綺麗に磨かれており、戦前の建物とは思えないほど。この兵舎は戦後GHQに摂取され、その後戦地からの引揚げ者や戦災による生活困窮者のための市営住宅「若宮寮」として使用されました。

0BBFDA4B-B629-4E85-BDE8-C8D1F0580B42

宿舎棟には貴重な写真や資料などが展示されています。当時の練習機と言えば複葉機の九五式I型中間練習機、通称赤とんぼと呼ばれていた機体。

14EE23F2-0329-4FCC-BDAA-BCA670A4172A

寝室が再現されています。狭いので足と頭を交互にして寝る形に。太平洋戦争に於いては多くの少年や青年たちがここで寝食を共にしながら学び、戦地へと送られて行きました。

AEBFFF81-E0B2-4D1F-B0CE-A7D416DE346B

こちらは当時の教科書。改めて考えてみれば戦争以前までの日本語って、漢字とカタカナなんですよね。漢字と平仮名と言う現代の文章って、戦後の学校教育から一般化したと言った感じで100年も経っていない事になります。もちろん平仮名は平安時代から存在していましたが、あくまで私的文書や女性が使う文字とされていました。

26516873-EA7B-4834-8F23-5D2439095E20

宿舎棟の奥には便所棟があります。他にも幾つか棟がありましたが、GHQに摂取された際に取り壊されたそうです。

178376A5-AD7E-470D-A166-3FEC42D32FB0

ここも当時の形に復元されています。

8EBE23F2-F1AE-4F9F-8892-5FF8DD515ACB

内部は学校当時の内装に復元されていますが、2006年まで市営住宅として人が住んでいたそうです。

310CB776-5F36-44C1-8E7C-132FC3A86F1F

改修工事がされたとは言え、ここまで当時の姿を残していたと言うのが奇跡的と言えましょう。今後ロケ地などにも活用出来そうですね。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
カテゴリー
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ