埼玉県

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【日記】埼玉県秩父、小鹿野地方攻略その1

公共交通機関を利用し日帰りの旅をすると、周れる目的地がかなり絞られてしまいます。なので、何度か訪れて記事にしようと思います。そんな訳で下書き的な意味での日記です。
去年の12月は浦山地区の廃村群を巡りましたが、あそこのように見事な廃村が集中している場所って滅多に無いようで、と言うか、廃屋が解体されずにあれだけの数が残っている事自体奇跡に近いようです。過疎化、高齢化に伴い秩父の山には他にも多くの廃村が存在しているだろうという想像もしつつ、小鹿野地方の山村を巡って行きます。

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まずは西武秩父駅へ。スタートが遅れてバスに乗れなかったため、とりあえずGW直前にオープンしたばかりの日帰り入浴施設、祭の湯に浸かって策を練ります。こちらは駅直結の施設で地下2000mから汲み上げたナトリウム塩化物冷鉱泉を加水加温、循環濾過して提供されています。内湯、露天、共に広い浴槽がいくつも有りますが天然温泉は露天にひとつだけ。後は薬湯という名の入浴剤浴槽や、人工炭酸泉などでお茶を濁してます。唯一の温泉もあまり特徴を感じられないものですが、まぁ600円で駅直結で汗を流せるなら、と言ったところ。
しかし隣接するフードコートはGWの人出の多さに対応しきれておらず、名物の草鞋カツは開店1時間で売り切れ。他の店も午前中なのに40分近く待たされるという体たらくぶり。

※祭の湯はオープンして26日目にあたる2017年5月19日、規定値を上回るレジオネラ菌が検出されたため、営業を一時休止しております。
※6/8より営業再開されました。

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西武秩父駅から西武バスで小鹿野町へ。小鹿野からは町営バスを乗り継いで白井差口行きに乗り、途中の大谷橋で下車。小森川沿いの街道筋に伸びる大谷集落を散策。

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早速第一廃屋発見。いや、そうじゃない。廃屋探しに来た訳じゃないのに、なんか変な癖がついてしまっている。

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トイレはやはり別棟のようです。

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山道の途中から集落のあちこちに至るまで、多くの道祖神や祠などを見かけます。左端は馬頭観音。

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過疎化高齢化で寂れた限界集落を期待なんて言ったら不謹慎極まりないのですが、結構人が暮らしているようです。春風にそよぐ洗濯物。

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今回の目的地はここ、両神小学校大谷分校跡。斜面を少し登って俯瞰で撮ったのですが、背後には荒れた墓地が。墓石が倒れてたり石仏の首が無かったり、そう、荒れていたのです。

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昭和46年廃校。以後、林間学校として利用されており、校庭にはバーベキュー施設も完備されております。玄関前には真新しい靴なども置かれており、今でもちゃんと管理されている様子。

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裏手、つまり県道側に回ると、実は二階建てであったのだと分かります。

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隣にある民家は空き家になったのか、解体工事が進んでいました。

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県道に降りる手前に小さな祠。しかし中の木彫の仏像は無造作に立て掛けられている。なんか荒れてます。

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廃屋を見ると、ついつい撮ってしまいます。

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大谷集落を出て川沿いに歩いて行くと、双龍の巌という切り立った岩山が。室町時代からの伝説が残ることから、この谷には古くから人が住んでいたのだと分かります。

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やがて数軒の民家が残る堂上集落に。使われなくなった火の見櫓の周囲は平坦な草地が広がっております。かつてはもっと多くの民家があったのではないかと想像できます。

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拓けた里まで下りて来ると、小鹿野町市街地の外れに当たる薬師の湯という道の駅に出ました。ここからは西武秩父と三峰口、小鹿野町、それぞれに出るバスが出ています。
最後にこの薬師の湯でひとっ風呂。内風呂のみですが、そこそこ広い浴槽。24度の単純温泉を加温、循環濾過して使用しています。あまり特徴の感じられない浴感ですが、湯上りはさっぱりスベスベで気持ちのいいお湯でした。

また何度か小鹿野町方面には訪れますが、そのうち小鹿野町や秩父の市街地をレンタルサイクルで巡って見たいとも思います。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(後編)

 続きです。

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 沢の奥の高い地点を登山道と並行する形で生活道跡が走っており、峠側に進むと尾根の辺りに一軒の小屋が建っています。看板の文字は消え掛けていて確認困難でしたが、どうやら白岩地区(行政13区)の集会所のようで、中を覗くとたくさんの賞状が飾られていました。

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 沢を渡った登山道は急な斜面をつづら折りに登って行き、するとやがて倒壊した廃屋が姿を現します。

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 村の中心部分は開けた平地。ここに多くの建造物が建ち、畑なども有ったのかも知れません。

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 廃墟サイトを見ると登山者のお休み処を兼ねたお土産屋さんも有ったようですが、この全壊した建物がそれか、確認は出来ず。

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 平地の中央、少し地面が盛り上がった所に祠が有ります。もちろん中身は空っぽ。

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 祠の近くには墓石や石碑、お地蔵様などが乱雑に転がっています。

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 集落を今も見つめるお地蔵様。

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 登山道の右手に現存する廃屋の一軒。玄関は侵入者を嫌ってベニヤで塞がれています。

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 廃屋の裏手には多くの石積があり、何軒もの家が建っていたと思われます。

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 杉林の斜面を登って行くと、幾つもの祠が建っています。

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 山の神に感謝する甘酒祭りというお祭りもかつて行われていたそうですが、この幾つも散在する祠が神社の代わりとして山岳信仰の対象だったのかも知れません。

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 斜面にはすでに崩れてしまった祠もあります。

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 山間には貯水槽もあります。

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 登山道の左手にもう一軒の廃屋があります。

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 この車のオモチャは多くの廃墟サイトで目にします。ポルシェ356でしょうか。

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 フェアレディZ。この上白岩地区には廃屋が二軒残るのみでしたが、村の規模は大きかったと思われます。

埼玉県飯能市、廃村、白岩集落(前編)

 砕石プラント跡から登山道を登って行くと、杉林の奥に白岩集落跡が見え始めて来ます。

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 ここは数多くの廃墟サイトでも紹介されている、比較的有名な物件です。登山道から生活道跡と思われる斜面を登って行くと、一軒目の廃屋。この辺りは下白岩と呼ばれていた地区で、上白岩地区は登山道を更に登った先にあります。

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 中は生活用具がそのままで荒れ果てています。

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 こちらは二軒目。廃屋は去年訪れた秩父の浦山地区を思い出すように斜面のあちこちに散在しており、各家庭が細い生活道で結ばれています。

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 集落の歴史は古く平家の落人という言い伝えもあるほど。昭和三十年頃には二十一軒もの家屋が存在していたそうですが、離村が続き平成6年には廃村化。

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 主に林業や炭焼きを生業としていたそうですが、比較的陽当たりが良いため浦山地区の山掴集落のようなジメジメした雰囲気はありません。

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 三軒目のお宅。杉林が深いため、一軒見つけると更に奥にまた一軒発見すると言った感じです。

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 一軒目のお宅を裏の斜面から。このようにかなり急な斜面に石積みをして土地を造成しているのが分かります。

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 斜面にぽつりとお墓があると思ったら、その更に奥に四軒目が。既に崩落して跡形も無くなってしまったお墓も多くあるのかも知れません。

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 四軒目のお宅。途中、家が建っていた面影を感じさせる更地もあり、かなりの軒数が建っていたと思われます。

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 生活用具が残されたままの廃屋を見ると、まるで突然住人が消えてしまったのかなどと感じてしまいます。

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 この白岩集落の特徴と言ってもいいかも知れませんが、集落の中心には消火栓が設置されています。炭焼き小屋も多かったでしょうから、山火事を恐れていたのでしょう。

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 もう廃屋は無いと思ったら次々と発見します。杉林の奥に見える廃屋。生活道は特に整備されていないような獣道に近い物で、崩落や風化も進んでいるため注意深く探さなければなりません。もっとも、ここまで来ると斜面をよじ登っても大して変わりませんが。

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 それにしても昭和60年、つまり廃村化してから30年以上は軽く経っていると言うのに、よくこれだけの家屋が現存し続けていると思います。

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 もちろん解体されて更地になっている敷地もありますが、解体したらしたで廃材を搬出するのもひと苦労です。車が全く入って来れない山奥だからこそ、逆に廃屋と生活用具が存在し続けているという部分もありますが、もし土地の所有権を持っていなければこれ以上の不法投棄はありませんね。

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 集落の奥に開けた斜面がありますが、おそらくは畑と思われます。埼玉県西部の山間部では、段々畑を造らず斜面をそのまま耕すという特徴があります。

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  登山道に戻り、鳥首峠方面へと再び歩いて行きます。途中消火栓があると思ったら、左手の谷を越えた反対側に一軒の廃屋が確認出来ました。しかし橋を渡った先の斜面が崩れており、行く事を断念。

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 更に登山道を登ったところにかかるこの橋は、崩れ掛けているため通行禁止。小さな沢を飛び越えて進みます。それにしても、考えて見ればこの山道が通学路なんですよね。

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 沢を遡った先に一軒の廃屋。写真奥の斜面を登ると、先ほど探索した集落の一番奥へと繋がっています。


 後編に続く。

埼玉県飯能市、白岩石灰採掘所跡

※写真の点数が多かったので、2つの記事を3つに分けました。

 もう一月も半ばですが、あけましておめでとうございます。昨年は埼玉の廃村で締めくくりましたが、年明け一発目もまた廃村からスタートします。

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 去年訪れた浦山地区より廃村を繋ぐうわごう道で鳥首峠を越えた先、山の東側は飯能市(旧・名栗村)になります。西武池袋線の飯能駅からバスで入間川上流域を登って行くのですが、路線バスが1時間に2本ペースで走っており、思いの外便が良いです。またアニメ『ヤマノススメ』のラッピングバスも走っていることからアニメの聖地巡礼でも集客があるようで、それにしても特に観光地化されてもいない山里でこれだけバスの本数が多いのは、今の時代奇跡に近いと思います。国際興行バス頑張ってる。

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 途中には『さわらびの湯』という日帰り入浴施設もあります。帰りに立ち寄ってみましたが、源泉温度15度の冷鉱泉を加水加温、循環濾過し、塩素消毒された単純温泉で、あまり特徴を感じられないお湯でした。内湯と露天があり、内湯はジャグジーで撹拌されているのに対し、露天はお湯が少々汚い。ちょっとイマイチな感じでした。

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 バス停の近くにはいきなり廃墟。造りからして老人ホームかなにかでしょうか。

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 終点の名郷バス停から県道73号線を、途中キャンプ場などを眺めながらひたすら登って行きます。渓谷を流れる水は澄んでおり、夏場はさぞレジャー客で賑わうだろうなどと思いながら歩いていると通学路の標識。これから訪れる白岩集落の子供たちは、かつてこの道を毎日通っていたのでしょう。

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 県道を登り切るとJFEミネラル武蔵野鉱業所に辿り着きます。

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 事前にネットで調べたところここに巨大な石灰プラントが有ったはずなのですが、なんと既に操業停止、それどころか解体されすっかり更地になっていました。

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 帰ってから改めて調べてみたところ、2015年3月末をもって閉山してしまったとの事。ここ数年、タッチの差で消えてしまった物件が余りにも多いです。もっと早く来ていれば。

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 プラント跡の脇に鳥首峠への登山道があり、その先に旧白岩集落跡があります。プラントの脇に沿ってしばらく登ると、眼下の工場敷地内に線路が見えて来ます。ここが第一の目的地だったのですが、既に廃止されていたとは悔やまれてなりません。

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 線路はすぐトンネルに入り、尾根の向こう側に出ます。短い区間ですが頂上手前の採石場から降ろして来た鉱物を、プラントまで運び出す役割を担っていました。私は青年時代よりずっと狭軌の軽便鉄道や森林鉄道、専用線などへの憧れがありました。下津井、立山、奥大井(観光用として現存)、尻屋崎など、絶滅寸前に訪れたナローゲージはたった4箇所。もっと昔の時代に生まれたかったなんて思ってみたりもします。

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 登山道を鳥首峠方面へと歩いて行くと、並行してミカン畑などでよく見るモノレールが敷かれてますが、これはプラントからトンネルを抜けて来た専用軌道の終点から、山頂近くの採石場まで作業員を運ぶために使われていたそうです。

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 登山道を旧上白岩地区まで登ると視界が開け、左手には採石場から崩れ落ちて来たのか、石灰瓦礫の斜面が広がる。頂上付近が採石場になるのですが、そこまで登る道はありません。しかしここで謎が。採石場ではダンプや大型重機などが作業していたのですが、その採石場までの作業道が全く見当たらないのです。

 廃村、白岩集落の記事へと続きます。

埼玉県川越市、廃村、握津集落堤外地

 前回に引き続き荒川中流域の堤外地を訪れます。今回は塚本より上流、JR川越線を越えた左岸、握津(あくつ)集落です。

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 さっそく民家跡を発見。ここは荒川の東側になりますが、住所的には川越市の飛び地となります。

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 生け垣が農村風景の面影を残しています。ここ握津は他の堤外地同様、大正時代に始まった荒川改修工事によって、堤防の外側に取り残されてしまった集落です。その堤防も現在高さを上げるための工事がなされています。

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 堤防の上から眺めると河川敷の水田地帯に雑木林が点在しているようにしか見えませんが、歩いて見ると生活道の痕跡があちらこちらに残っています。

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 昭和の初め頃までは渡し舟の船着き場などもあり、およそ70世帯、500人もの人々が暮らしていたそうです。しかし堤防が内陸部に築かれて以降、昭和5〜6年に20〜30戸が強制移転。それ以降、平成15年までに26世帯が自費で移転。しかし平成11年の水害で全18世帯が床上浸水した事をきっかけに、平成16年には国から移転補償予算が出るようになったため、平成18年までには全世帯の移転が完了したそうです。

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 廃村となった後、全ての家屋は解体され、現在このような空き地しか残っていません。荒川改修工事は東京を水害から守るためのものだったそうで、その際幾つもの集落が堤外地として犠牲になってしまいました。どこかダム湖に沈んだ村などを思い出します。

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 左奥の高台にも住居跡があります。よくある農村風景から民家だけが消え去っています。

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 僅かに残る遺構。確かにこの場所で人々は暮らしていました。

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 木製の古い電柱。川沿いに長く広がる大宮カントリークラブのための送電線と所々僅かに掛かる電線以外は、昔のまま時が止まっています。

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 しかしここも前回紹介した塚本集落同様、農地だけはそのほぼ全域が現役で使われていました。

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 水田の所々に建つ小屋は水を汲み上げるポンプ小屋かと思われます。

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 直進すると家々を繋ぐ生活道。左手は民家に上がる私道です。

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 こちらも民家跡。かなり立派な家屋が多かったと想像出来ます。

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 集落の中心にただ一軒、公民館の跡だけが解体されずに残っています。その入り口脇に庚申塔が残っていました。

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 公民館はすでに使われておらず廃墟と化しています。

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 公民館の左手前には集落の各所から集められて来たのでしょうか、馬頭観音やお地蔵さんなどが無造作に並べられています。しかしよく見るとお地蔵さんの首が!
 いかん、趣旨が変わってくる。急に怖くなって来ましたが大丈夫。少なくとも先日行った浦山地区みたいに熊は出ないから。

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 公民館左手には防火水槽が残っています。

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 そして裏手には雑草に覆われた廃神社が。どうもこの握津集落は、下流の塚本集落とどこか違った雰囲気が漂っているように感じてしまいます。

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 集落を抜けて荒川まで出ると大宮カントリークラブ。急に近代的かつ現実的な世界へと解放されます。
 なんだこの雲は!wwwww
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