横浜市

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【日記】暑中お見舞い申し上げます

あっつい。
仕事が忙しくてどこにも行けなかったのですが、たとえ時間が出来たとしても出かける気にならないんじゃないだろうか。
しかしブログの更新はしなければ!と言う義務感と危機感、そして強迫観念があります。

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そんな訳でブログのネタにもならないスナップショットなどを並べでお茶を濁します。まずは茅ヶ崎。
茅ヶ崎駅の海側はほとんど散策してなかったのですが、仕事でたまたま茅ヶ崎に行った際、いい感じの路地裏を見つけました。

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で、この「ふうさん」と言うのは写真右手(駅側)の居酒屋の店名であり、この路地裏飲食店街の正式名称は不明。

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非常に短い路地裏ですが、舗装がしっかりされてない所なんて神奈川らしい感じです。

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仕事帰りのちょい飲みは、過去に行った事のある所ばかり。最近ではあえて新規開拓しようと言う気力がなかなか湧かないのです。

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南武線溝の口駅の線路ぎわ、闇市発祥のバラック街で電車の音を聴きながら立ち飲み。「いろは」さんは9年前に行って以来、機会があれば立ち寄ります。

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現在、メインの仕事は五反田。五反田と言えば目黒川沿いの立ち飲み屋「へそ」五反田店が昔から行っている店。なのですが、西五反田の路地裏に角打ちを発見しました。

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桑原商店さんは酒屋の倉庫で飲めると言う素晴らしいシステム。特に日本酒のラインナップが充実しています。

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私がハマったのはこの小豆島のクラフトビール、レモンビール。サッパリした飲み口で、ついつい2本飲んでしまいました。酒のアテも酒、特に日本酒が進む物ばかりで美味いです。ただ、唯一タバコが吸えないと言う点からその後行っていませんが、女性なんかも入りやすく人気のお店になりそうです。

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何度か仕事で通った渋谷区大山町。小田急の代々木上原と東北沢の間ぐらいの北側になります。その交差点で見つけた渋い建物。

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もし営業してたら絶対入りたい所ですが、食べログの書き込みを見ると2018年が最後だったので、閉店されてからだいぶ経っている様子。



大山町の交差点から代々木上原に行く途中にあるモスク、東京ジャーミイ。イスラム教徒でなくとも見学自由との事なので、いつか中に入ってみたいです。トルコ系のモスクですが売店もあるので、イスラムグッズとか見るのも面白いかも。イスラム文化には興味もあります。



副都心線東新宿近く、知る人ぞ知る立ち飲み屋「山根商店」。およそ6年ぶりに行きましたが、やはり変わらずモツ煮が美味い。ただ現在、お母さんが腰を悪くしてしまったようで、息子さん(?)一人で切り盛りしており、スペースを若干狭くしての営業となっております。

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今年は横浜の日本大通り駅辺りでの仕事が続きました。こちらは昭和4年(1929)竣工の横浜貿易協会ビル。横浜はちょっと歩けば昭和の建築物に当たります。

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貿易協会の向かいに建つのは横浜開港資料館。昭和6年(1931年)に建設され英国領事館として使われていた建物です。

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内部には幕末から昭和にかけての様々な資料が展示されています。

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横浜港大さん橋の入り口に、横浜港湾飲食企業組合の大桟橋食堂があります。港湾労働者の食堂と言う事で、一度入って食べてみたいところ。

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初めて大さん橋(正式名称が「さん」を平仮名表記しているみたい)に行って見ました。ウッドデッキがとんでもない!

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これ、設計した人も大概ですが、貼った職人も相当です。どれだけの人数と日数が掛かったのか、とにかくいい仕事をしています。ちょうどこの頃自分も合同庁舎のテラスのベンチにウッドデッキ材を貼っていましたが、この面積を見ると気が遠くなります。

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たまたま練習船の日本丸が停泊しておりました。昭和5年に建造され昭和59年まで活躍していた初代日本丸は現在桜木町の石造りドックに保存されていますが、こちらは初代が引退した年に完成した二代目となります。

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先週3年ぶりに訪れた横浜橋商店街。横浜はいつも寿町へ飲みに行くのですが、行きつけの優子さんが開いて無かったので、永楽湯で汗を流して横浜橋まで。

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コロナ禍になった2020年以来の立ち飲み屋「まいめり」さんで、風呂上がりの一杯。ここも以前と変わらず常連さん方で賑わっておりました。

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その流れで三吉橋を渡り、3年前よく通ってた「フライ屋」さんへ。店内を改装されていましたが、こちらも以前と変わらない雰囲気でほっとしました。相変わらず安くて美味い!

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そして先日は寿町のカラオケスナック優子で飲んでいました。やはりここが落ち着く。

仕事はそろそろ落ち着いて来たので、近いうちにどっか写真撮りに行く機会があるかも知れませんが、この暑さなので資料館や博物館など、涼しい所がいいな。

神奈川県横浜市神奈川区、子安漁港の狭過ぎる路地

前々から訪れて見たいと思っていた子安に残る漁村。9月より俄に仕事が忙しく、合間を見て訪れて来ました。

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JRと京急の止まる新子安より国道15号を西、横浜方面へと歩いて行きます。沿道にはなかなか古そうな建物も。

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かなり立派な廃屋。子安の辺りは海岸まで丘陵地が迫っているため平地が少なく、この辺りの第一京浜こと国道15号線は旧東海道の街道筋に当たります。

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しばらく歩くと水路に流れる入江川の船溜りが見えて来ました。水路という言い方は正しくなく、元々の海岸線で目の前の海が埋め立てられた事により、水路と言うか運河のような形になってしまったと言うもの。ただ、ここではとりあえず水路とします。

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さっそく狭い路地に吸い込まれるように歩いて行くと井戸が。これは防災井戸と言って、いわゆる消火用の井戸です。

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水路の手前を浜通りと言い、通りと水路の間の狭い土地には漁師小屋などが建ち並んでいました。

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こちらは船溜りにある船の整備工場。水面まで軌道が敷かれています。この入江川は鶴見の奥、以前仕事で行った事のある二反田の谷戸地帯からJR横浜線沿いに流れるれっきとした河川です。

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路地裏にはまたしても井戸が。この界隈の路地は異常なほど狭く当然ながら消防車も入って来れないため、このような井戸が町中に点在しています。生活用水としても使われているようですが、さすがに海岸なので塩水に近いのかも知れません。

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水路沿いに西へ進むと富士見橋があります。浜通りと水路の間に建つバラックを水路側から見るとこんな感じ。奥に聳えるのは新子安駅北口のタワーマンション。

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こちらは富士見橋より横浜方面を眺めたところ。ただこの橋、渡った先の埋立地には貨物線が通り、その奥は日本油脂とマツダのR&Dセンターがあり、敷地内と言う事で入れません。

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こちらも路地裏の防災井戸。ポンプが接続されており、蛇口も取り付けられています。今は上水道も施設されていますが、洗濯ぐらいには利用されていたのでしょうか。しょっぱいかどうか試しに味見してみれば良かった。

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立派な家屋が一軒だけ。漁師町の元締め的な存在だったのでしょうか。

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銭湯もあります。午前中だったので入れませんでしたが、この井川湯は明治後期から120年ほど続いており、横浜で2番目に古い銭湯と言われています。手前にはまたも防災井戸。

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左右のコントラストがエグい。新築家屋やアパート、そして空き地なども混在しています。

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再び浜通りに出ました。トタン貼りの漁師小屋と住居が連なっています。

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ちょうど子安漁港の中央付近に架かる常盤橋から鶴見方面を望む。手前には恐らくレース用の伝書鳩の鳩小屋。

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横浜方面はこんな感じ。子安漁港は古くから江戸前の穴子やシャコの漁で栄えていました。

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しかし高度成長期における工業用地確保のための埋め立て事業やその後の工業排水による海洋汚染などがあり、漁師を廃業する方が続出しました。今では漁のための倉庫が駐車場として使われている所も。

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再び路地に入ります。しっかし狭い。この子安漁港は横浜の大黒ふ頭や川崎の扇島東ふ頭埋め立てに伴って昭和46年(1971)に一度漁業権を放棄しました。しかし昭和54年より漁を再開。

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狭い路地の奥に多少広い場所があり防災井戸がある。これ、今でこそ防災井戸となっていますが、かつては飲み水にも使っていたのでしょうか。そう思えるくらい井戸が多い。

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路地の奥に突然神社が現れたりもします。子安浜の漁は700年もの昔より続いていたそうです。

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またもや井戸が。やはり、かつての生活用水か。

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路地の狭さがだんだんエグい事になって来ました。突き当たりのように見えて……

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抜けられます。いや、もう、ひとんちか、これは。

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私道どころじゃなくて、もはや敷地内のような気が。勝手に通り抜けちゃいけないですよね、本来。

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とりあえず猫に癒されましょう。他所者の侵入に警戒されてますが。

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単なる家と家との間であり道じゃないと思っていても、その奥に玄関があったりします。

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このアプローチの狭さは昔訪れた川崎の池上町以来です。

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浜通りから第一京浜までの間で、およそ10メートルほどの高低差があります。

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無造作に置かれてますが道祖神らしきものが。一応道なんですね。

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お邪魔しますと呟きながら通り抜けます。

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なんとか広い所に出た。いや、広かないけどwww

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消防車どころか消防士すらも入って行くのに困難なくらいの路地。かつては都内および首都近郊各地に存在しましたが、そのほとんどが区画整理によって消滅しました。

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子安浜に戻りました。漁港には漁船の他に船宿の釣り船や屋形船なども停泊しています。

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新浦島橋から東を眺める。子安漁港はここまでとなります。高度成長期に消滅の危機を乗り越えて来た子安浜の江戸前漁業ですが、現在も高齢化や後継者不足による消滅の危機を迎えています。とは言え漁村そのものはいまだ多くの人々が暮らしています。狭小地なので空き家になると不信火の恐れがあるため即解体されますが、更地となっている所は少なく、よって人口は減っていないのです。

神奈川県横浜市、鶴見の三業地跡と青線跡

鶴見駅周辺は2010年4月に軽く訪れただけだったので、今回改めて訪れてみようと。

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鶴見駅を撮るにも正面口である東口を撮るのではなく、鶴見線ホームのある西口。

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この高架線ホームは昭和9年、当時鶴見臨港鉄道(現・鶴見線)の鶴見駅として建設された物です。駅自体は明治5年、日本初の鉄道が品川〜横浜間に開通した時に開業という古い歴史があります。

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鶴見駅西側の飲み屋街。韓国系の看板が目立ちますが、近くの大黒町に食肉市場があるため焼肉屋が多い。

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このスナックビルは三業共同ビルと言います。その名の通りこの一帯は昔、料亭や置き屋、待合いなどが建ち並ぶ三業地でした。

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地下は入れなくなっています。廃業したスナックやパブなども多いようです。

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この一帯が三業地として栄えたのは大正時代から。京浜工業地帯の発展とともに歩んで来ました。しかし当時狭い路地に密集していたところ昭和40年代より区画整理が始まり、同時に三業地としても衰退して行き、今ではその名残りで歓楽街が広がっているのみ。当時の面影を見ることは出来ません。

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鶴見駅の南東を鶴見川が流れ、その向こうには本町通り商店街が続いていますが、ほぼシャッター商店街と化しています。

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商店街から一歩裏に入れば住宅街。トタン貼りのアパートなどが数多く残っています。

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工場の労働者たちが暮らしていたのでしょうか、しかしその多くが廃墟と化しています。

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アーケードが終わった辺り、右手に少し入ったところは、かつて青線地帯でした。

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名残りとして残っていたスナック街も数軒を残すのみでほとんどが廃業。

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ひとつ上の写真の建物の右脇、スナックの跡が。この建物は連れ込み宿だったようです。

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駅前の三業地とは別に庶民的と言うか、貧困層が遊ぶ場所はこの青線地帯でした。

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一番奥に残るカフェー建築。

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周辺は建て替えが進み新築一戸建てばかりですが、貴重な歴史的建造物としていつまでも残っていて欲しいです。

神奈川県横浜市、磯子区滝頭の横浜市電保存館

先月訪れた際、新型コロナの影響で休館中だったため入れなかった横浜市電館に改めて行きました。

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入り口で検温と消毒をし、万が一の感染経路が判るよう住所氏名などを記載して入場します。

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入り口には架線の支柱が移設されており、根元には空襲の時に空いた穴が残ってました。

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市電館の中には五両の車両が綺麗な状態で保存されています。まずは523号車。

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昭和3年から同44年まで活躍していました。背凭れが木製ですが、彫刻など意匠に凝った造り。

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次に1007号車。これが一番好きな車両で、これに似た車両として阪堺電鉄では同じ昭和3年製造のモ161が現役で頑張っています。

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何が好きって、この木製の中間扉。開く時のガラガラって音が玄関みたいで。

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500系と同じ昭和3年から昭和44年まで活躍していたので、最初は背凭れが木製だったのかも知れません。

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車内には昭和初期の路線図も掲示されています。

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7年後の昭和11年から市電が廃止される同47年まで活躍していた1104号車。

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戦前型の車両は地方都市の路面電車で、結構普通に近年まで活躍していました。現在、阪堺電鉄以外でも走っている所は有るのかな?

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昭和22年、戦後の混乱期に製造された1311号車。まだ中間扉が木製ですが、戸袋の窓がHゴムに換えられています。

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車内も見た感じ戦前型と大して変わっていません。ちなみに横浜市電の開業は大正10年で、開業当時は愛知県の明治村に保存されているような車両でした。しかし関東大震災で壊滅的な打撃を受け、現存するのは震災後の車両のみです。

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昭和23年製造の1510号車。フロント二枚窓がいい。

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車内灯が蛍光灯になってますが、デビュー当時は白熱灯だったのでしょう。しかしこの辺りから近代的な見た目になって来ます。

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デビューは古いですが、路線図はだいぶ増えて来た時代の物。

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最後はこちら、1601号車。

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昭和32年製造で、デビュー当時から車内の蛍光灯など、高度成長期に造られた車両の代表格とも言えます。この時代の車両はまだ地方鉄道に於いて現役で頑張っています。国鉄で言えば101系近郊型電車や20系寝台と同期。
そんな訳で横浜市電保存館でしたが、歴史資料室の昔の写真など見応えは充分にありました。横浜市電は昭和37年度首都圏整備事業計画策定方針が決定したことにより、荒川線を除く都電と同時、昭和47年全廃となり、その役目を東京の都電は地下鉄に、横浜の市電は乗り合いバスへとそれぞれ譲りました。

神奈川県横浜市、横浜の銭湯巡り(その2)

ネタが無い時はとりあえず銭湯巡りでもしようかって言う変な癖が付いてしまいました。
横浜の銭湯巡りその1はこちら

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まずは京急弘明寺駅から横須賀方面に少し歩いたガード下にある、日帰り温泉施設みうら湯。

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黒湯はその辺の銭湯でも入れるし、日曜祝日920円、平日820円出して入るのはどうかとも思ってましたが、ここの黒湯はちょっと違う。入れば超ヌメリ感、湯上りはしっとり、でもサラサラ。920円出して入った価値は有りました。
Googleマップ

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弘明寺から横浜寄りにひと駅、井土ヶ谷駅から少し歩いたところにある黒湯の銭湯くさつ。名前負けしないか心配でしたが、銭湯料金で加温した冷鉱泉の黒湯を楽しめます。しかもお湯の感触や濃さに関してはみうら湯とほぼ同等。横浜市街南西部、大岡川中流域の鉱泉はこんな浴感なのでしょうか。
Googleマップ

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先日アップした日記と重複してしまいますが、銭湯の纏めとして転載しておきます。旧寿町労働福祉会館が2019年の6月に建て替えられ、健康福祉センターとしてリニューアルオープンしました。その二階にある銭湯の翁湯。寿町ドヤ街の真ん中にある銭湯ですが洗い場も浴槽も広く清潔で、とても使い勝手が良い。
Googleマップ

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JR根岸線石川町駅から中華街方面に少し歩いたところにある銭湯、恵びす温泉。温泉と名乗るだけに期待して行きましたが、ラドンイオン発生器による人工温泉でした。ただここは老舗のサウナと言った雰囲気で、仕切られたサウナスペースには中二階の屋内テラスがあったりして、とにかく造りが昭和なのです。
Googleマップ

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恵びす温泉のある吉浜橋バス停から根岸方面へ。山手のトンネルを抜けると昭和3年に完成した震災復興建築の桜道橋。

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バス停で言えば麦田町になりますが、この桜湯はすでに廃業していました。

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桜湯の向かいにはいい感じのバラック。桜湯とこのバラックの間は暗渠で、かつては川が流れていました。

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以前訪れた大和町のいなり湯を過ぎて本郷町バス停。海側の丘陵の手前に泉湯があります。
Googleマップ

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まず玄関の古びたアルミサッシのガラガラと言う音と共にチリンチリンと言う鈴の音。ちょうどいい懐かしさはお宅にお邪魔したような感覚。

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小ぢんまりとした浴室。極端に古い訳でも無く、80年代の庶民的な雰囲気がとても気に入ってしまいました。いつまでも営業を続けていて欲しいです。

※追記・12月8日

再び弘明寺。横浜市営地下鉄の弘明寺駅近くの銭湯、中島館さんに行って来ました。

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ジェットバス、マイクバブル浴槽、電気風呂などもありますが、なんと言っても黒湯の温泉露天風呂が素晴らしかった。横浜、いや、関東で最も濃いいんじゃないかと思われるお湯です。透明度は1〜2センチ、ヌメリ感を通り越してヌルヌルな肌触り。おそらく源泉100%の加温循環濾過ですが、定期的に源泉を投入でもしているのでしょうか、とにかく濃かった。
Googleマップ

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すっかりホカホカになったところで、出てみたら斜向かいに飲める酒屋、角打ちが有るじゃないですか。

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ここ越前屋田中商店さんは、生も飲めるし揚げ物のおつまみもあります。この湯上り角打ちのコースはヤバいです。弘明寺に住みたい。
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都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

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