神奈川県

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(後編)

続きです。とにかく暑くて死にそう。

IMG_2754

山頂付近の尾根道を歩いていると途中、橋が掛かっています。その橋から下を覗くと、えらい深い切り通しが。ここは明治期の砲台建設の際、資材搬入などで使われたそうです。

IMG_2782

近くで見たいと下に廻って見たところ、立ち入り禁止の上に深い藪に覆われていました。

IMG_2757

頂上付近は児童公園でアスレチック施設などがあるのですが、そこここに赤煉瓦の土塁が顔を覗かせています。

IMG_2759

ここは腰越堡塁と呼ばれる砲台跡で明治29年竣工、大正14年除籍。

IMG_2761

最後に観音崎の北西側、海水浴場の少し上にある三軒家砲台跡を訪れました。入り口の門柱は当時のもの。

IMG_2763

坂を下って行くと左手に地下弾薬庫の入り口が。

IMG_2768

さらに下って行くと三ヶ所の砲台跡が。

IMG_2766

この砲台跡は27㎝カノンという当時最大の大砲を備えていたため、関東大震災後に復旧されて昭和初期まで使われました。

IMG_2767

そのためかここには当時の陸軍の迷彩塗装がはっきりと残っています。

IMG_2765

砲台と砲台の間には地下施設へ下る階段と赤煉瓦塀が見事に残っています。

IMG_2776

こちらの砲台跡にも鮮やかな迷彩塗装が。

IMG_2773

こちらも地下施設への階段。指令所などがあったのでしょうか。

IMG_2780

その証拠に地下からの指示が聞こえる穴が。潜水艦の声を通すパイプのようなものです。

IMG_2778

一番奥には観測所付属室が。中に入って見たい。

IMG_2769

砲台の背後にはこのような切り通しがあります。

IMG_2770

坂の上に弾薬庫があることから、ここを通って弾薬を運んでいたのでしょうか。

IMG_2781

三軒家砲台跡、観音崎海水浴場側の門柱。そんな訳で非常に内容の濃い戦争遺跡でした。この周辺にもまだまだ遺構が多く残されているのですが、いかんせん暑くってギブアップです。

IMG_2786

最後に汗を流そうと京急大津駅近くの銭湯、宮本温泉に立ち寄って来ました。3時オープンから30分しか経ってないのに地元の方々がすでに8 人ほど入られています。 (地図)

IMG_2789

温泉分析表などが見当たらないと思ったら、ここは温泉ではなく実母散薬湯という薬湯だそうです。ちなみに薬湯浴槽は露天風呂。見事なオレンジ色をしており匂いも紅茶っぽい。なかなか良いお湯で、サッパリしました。

神奈川県横須賀市、観音崎の戦争遺構群(前編)

三浦半島、横須賀の先の浦賀、観音崎に残る砲台跡などの戦争遺構を巡ってまいりました。

IMG_2783

観音崎は夏のレジャー真っ盛り。海に入る人やBBQを楽しむ人などで賑わっています。

IMG_2724

観音崎灯台は日本最古の様式灯台として1869年より点灯しています。だだし関東大震災などによって崩れているため、現在の灯台は大正14年に再建された3代目となります。この灯台の場所に文化9年(1812年)、最初の台場が造られたとか。

IMG_2722

その観音埼灯台をとり囲むようにして、いくつかの砲台の跡が残っています。東京湾の入り口でもある観音崎の砲台は元々、文化7年(1810年)より会津藩が台場と陣屋を築き、文政4年(1821年)に浦賀奉行所管理のもと、その後慶応4年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は海軍省、そして陸軍省へと引継がれ、昭和20年の終戦まで管理されました。

IMG_2719

現在残る砲台跡の多くは明治〜大正期のもの。この北門第一砲台は明治13年(1880年)に着工されたもので、以降9ヶ所もの砲台が建設されました。砲座全面には巨大な御影石が。

IMG_2717

手前の塞がれた入り口は弾薬庫でしょうか。ちなみに観音崎の砲台は兵器の進歩や国際情勢の変化などにより、その多くが大正時代に廃止となりました。ここ第一砲台は大正4年除籍。

IMG_2715

こちらは観音崎バス停から少し登った所にある北門第二砲台。第一砲台と同じく明治13年着工で同17年竣工、大正4年除籍。

IMG_2706

もちろん大砲があるわけではなく、土台があるのみ。

IMG_2714

こちらも第二砲台。日清戦争や日露戦争の時には戦闘配備につきましたが、実際東京湾の入り口まで敵艦隊が攻め入って来る事は無かったので、実戦で発砲したことは無かったそうです。

IMG_2708

施設としては基本的に地下施設。指令所や弾薬庫などが、防空壕のような形で眠っています。年に数回ガイドツアーが開催され、その際には幾つかの鉄の扉が開かれるとか。

IMG_2729

海沿いまで降りてみると、遠く岬の突端にコンクリート造の廃墟が。これは潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る観測所で、こちらは第二次大戦中陸軍によって昭和12年に完成したものです。ただ岬の先端部分は現在防衛省の敷地(海上自衛隊観音崎警備所)で近付けず、よりによってこの日はデジカメを忘れて来るという失態。

IMG_2732

岬の南西側に廻ってみようと素掘りのトンネルを越えて行きます。このトンネル、鳶ノ巣台場(現在の観音崎警備所)建造のため嘉永5年(1852年)頃に掘られた横須賀最古のトンネルだとか。

IMG_2736

反対側に廻ってもやはり遠い。ipadでは無理があります。光学望遠レンズが欲しい。

IMG_2726

途中の海岸線には謎のコンクリート構造物が転がっていました。これも戦争関連の遺物でしょうか。

IMG_2740

再び山へと登って行きます。崎先端部の近くには、外洋を臨むようにして戦没船員の碑があります。海の日の観音崎はレジャー客で賑わい波は静かで平和な休日です。

IMG_2742

観音崎の山間部は全体が公園になっており、遊歩道が迷路のように張り巡らされています。戦没船員の碑の北側より海側展望台へと抜けるトンネルが。

IMG_2743

トンネルを抜けると左手に地下施設への入り口が。コンクリートで固く閉ざされています。

IMG_2745

展望台手前にあるのが北門第三砲台跡。

IMG_2747

こちらも竣工と除籍の時期は第一や第二と同じです。

後編に続く。

神奈川県湘南地区、藤沢、辻堂、茅ヶ崎など

仕事で湘南方面にちょいちょい行く事があり、仕事帰りに立ち寄ったところなど、少しまとめてみます。まずは辻堂。

IMG_20170405_123225

辻堂駅の北側は日本電池、関東特殊製鋼、パナソニックなどの巨大工場が次々閉鎖され、その跡地が再開発されています。今では巨大なショッピングモールとマンションが建ち並び、街の景色も一変。そんな整備された街の大型マンションの脇に古い銭湯を見つけました。しかしどうやらすでに廃業されているようで、夕方になっても表のシャッターが開く事はありませんでした。建物の脇には燃料となる廃材が積み上げられたまま。昔は工場労働者の憩いの場となっていたのでしょう。

IMG_2895

すっかりベッドタウンと変貌し続けていますが、北口の東側外れに商店街の跡が。まだ数軒の店舗が残っていますが、後継者不足のためかなりの店が閉めてしまったそうです。

IMG_2885

そんな商店街を10分ほど歩いた一番奥、昔から住まれている住宅街の中に一軒の立ち飲み屋「キリン」さんがあります。

IMG_2891

マスターと週何日か手伝いに来ているママさんと姉さん。お客さんたちは地元の常連さんたちだけで、とても居心地がいい店です。

IMG_2889

創業10年。ママさんも以前は旦那さんとラーメン屋を切り盛りしていたそうですが、旦那さんが亡くなられて閉店。よく飲みに来ていたこの店で働くことに。南口にも立ち飲み屋さんが二軒ほどあるようですが、私はこの店に通いました。

IMG_2686

次に藤沢。藤沢は以前藤沢飲食盟友会などを訪れていますが、今回は南口の立ち飲み。北口の丸井が潰れてビックカメラになったのに対し南口の江ノ電乗り場を兼ねてる小田急百貨店(西湘地区では通称オダヒャク)は健在。

IMG_2647

西側の外れ、なかなか良い雰囲気の建物は立ち飲みバル『サジスタンド』。名前もかっこいい。

IMG_2646

料理も手が込んでいて良い店なんですが、個人的には完全禁煙だったので無理。

IMG_2677

南口右手の雑居ビル、アツタビルの地下一階に立ち飲み屋『スタンド酒房ふじさわ紺屋』さんがあります。

IMG_2684

ここがまた地元の方々が集まる店で大盛況。ママさんと姉さん二人でよく捌けるなと感心しながら、カウンターの一番奥が辛うじて空いていそうだったので、無理矢理突入です。

IMG_2681

生350、割り物230〜290。揚げ物は2品以上注文となりますが 、生中、ウーロン割り、アジフライ、ハムカツ、締めて900円を切るという安さ。地下で目立たない上にイチゲンで入りづらい混み方ですが、この安さ故に地元の知る人ぞ集まるって感じでしょうか。

次に茅ヶ崎。北口にある市役所や市民文化会館の先に、巨大なイオンモールがあります。駅周辺の商店街などはことごとく駆逐されているかも知れません。

IMG_2670

そのイオンモールのもっと奥、JR相模線の北茅ヶ崎駅近くに、日帰り入浴施設の『湯快爽快』があります。相模線は1時間に2本程度しか走ってませんが、茅ヶ崎駅から1時間に2本無料送迎バスも運行されているので問題ありません。

IMG_2661

20周年と幟にある通り多少年季の入った建物ですが、途中リニューアルしているのか館内はとても綺麗です。
この湯快爽快は茅ヶ崎市の建築業者、亀井工業が1993年3月に茅ヶ崎の一号店をオープン。その後神奈川県内を中心に展開し、現在はフランチャイズも含め7店舗を営業しているそうです。(出典・Wikipedia)
ここは1500mで掘り当てましたが、折りしも掘削工事の進歩により1000mを超える大深度ボーリングが可能になって温泉事業の新規参入が急増した時代。1000mにつき1億と言われ温泉ブームの大波に乗った企業。茅ヶ崎だけに。

IMG_2668

お風呂の様子はオフィシャルサイトをご確認ください。
天然温泉浴槽は露天風呂で、薄茶色のお湯はナトリウム-塩化物強塩温泉。海が近いからかかなりしょっぱいですが、源泉が掛け流されているのか多少泡付きもある新鮮なお湯です。
源泉温度が28.6度。25度以上が温泉なので鉱泉(または冷泉)ではなく温泉です。循環濾過しながら加温しているのでしょうか、38〜39度と少々ぬるめに保たれているのは夏の盛りだからかも知れませんが、このぬる湯に長く浸かっていればジワジワと汗が噴き出て来て実に気持ちいい。
温泉成分が濃いいので多少のヌメリ感もあり、はっきりとした浴感。露天の傍らに腰を掛けて休んでいると、遠く湘南の海から渡る夕涼みの風が、仄かな潮の香りを含んで火照った体を冷まします。
湯上りは休憩所で生ビール。至福のひと時。なかなか期待を上回る、素晴らしい日帰り入浴施設でした。

【日記】横須賀市田浦のおまけ

元々田浦を訪れたのには違う目的がありました。

IMG_2438

京急田浦駅とJR田浦駅の間辺り、池の谷戸というバス停があります。まず地名で谷戸と付く辺りから惹かれる物がありますが、歩いて見ると窪地というより普通の谷間と言った感じです。ただ、田浦周辺の住宅街のトタン率の高さにやられます。

IMG_2440

かと思えば洒落た洋館などもあり、この格差は何だろうと思う。そんな谷間の奥、京急とJRが交差する所の奥に、廃墟サイトなどでは有名なゴーストタウンがあります。

IMG_2441

しかしいざ行って見たらなんと、立ち入り禁止になってしまってました。元々ここは湘南田浦ニュータウンとして住宅開発が行われる予定でしたが何らかの理由で計画が中止され、二十数軒の家屋が立ち退いたまま放置されています。帰ってからよくよく調べてみたら、去年2017年から封鎖され、警察も巡回しているそうです。
いきなり出鼻を挫かれた形となりましたが、そう言えば田浦って皆ヶ作がある所じゃんと思い出し、さらに戦争の遺構も多く残ると知り、新たな目的に切り替えました。
一通り巡ってJR田浦駅に戻った所でまだ午後2時過ぎ。三浦半島でもう一ヶ所見てみたい場所があったと思い出して逗子へ。

IMG_2551

逗子からバスで30分ほどの久留和漁港へ。ここは私が尊敬するサイトの一つ、山さ行がねか様で以前紹介されていた物件。海に延びる線路です。沖にある生簀からカゴ台車を走らせていた跡だそうですが、波風を受け続けてそのレールはほとんど朽ち果てていました。

IMG_2558

逗子駅前の立ち飲み屋『寄り屋』さん。寄ってみたかったのですが、残念ながら準備中でした。
三浦半島は観音崎周辺の砲台跡など行きたい所がまだたくさんあるので、いずれ再訪してみたいと思います。

神奈川県横須賀市田浦(3)、引き込み線廃線跡と倉庫群

京急田浦駅から山を隔てた谷にJR田浦駅はあります。駅前には商店も何も無く、海側は倉庫と自衛隊病院、山側は住宅街が広がるのみ。

IMG_2549

駅構内から海岸沿いへと伸びる専用線が分岐して行きます。

IMG_2550

トンネルとトンネルの間にある駅から南側のトンネルへと専用線跡(1番左)は延びて行きます。

IMG_2548

JR田浦駅西口に見つけた地下壕入り口と思しき穴。田浦を含め三浦半島には無数の地下壕が掘られています。

IMG_2547

こちらも地下壕入り口と思しき穴。火工工場の倉庫でしょうか。もちろん入れません。いや無理です、入りません!

IMG_2546

JR田浦駅からトンネル(一番右側)を抜けた専用線は、ここから大きく左カーブを描きながら海を目指します。

IMG_2542

廃線跡から一旦外れますが、県道沿いさらに南にトンネルを抜けた所に、地下壕入り口を見つけました。[地図

IMG_2543

……だから入らないって!

IMG_2541

この辺りは長浦地区になりますが、長浦神社へと登る階段の途中、どう見ても砲弾だろう物があります。しかし何の説明書きも無い。

IMG_2517

廃線跡に戻ります。左カーブを描いた線路は、直進して海上自衛隊横須賀造修補給所へ伸びる線と、右にカーブしてトンネルに入り米軍送油施設へと続いていた線とに分かれます。トンネルに入る線はスイッチバックの形で北へ、海沿いの倉庫群へと向かいます。写真は横須賀造修補給所への線とトンネルから倉庫群への線との十字レール(ダイヤモンドクロス)。[地図

IMG_2528

南側のトンネル内は現在車道で線路は残っていませんが、トンネル内に穴を塞いだ跡がいくつかあります。一段高くなっている事から、これは貨物列車を横付けして地下火工工場に物資を出し入れしてたんじゃないかと思われます。

IMG_2524

トンネルの北側出口に建つ、トタンの錆び具合が素晴らしい倉庫。

IMG_2521

現在の相模運輸倉庫11号倉庫ですが、かつてはここも大日本帝国海軍の倉庫だったと思われます。

IMG_2526

近くで見ると迫力がある。

IMG_2519

その11号倉庫の脇を廃線跡が続きます。田浦駅から来た線路がトンネル側に右折せずに直進し、十字を越えて海側へ。戦後はドンつきにある海上自衛隊横須賀造修補給所へ燃料を運んでいたそうです。

IMG_2516

海に向かって左手(東側)には5号倉庫。かつては第二海軍航空廠(木更津航空隊)横須賀補給工場の発動機倉庫だったそうです。

IMG_2514

5号倉庫の東側には手前からB、C、D倉庫と続く。こちらも第二海軍航空廠横須賀補給工場。

IMG_2511

トンネルからダイヤモンドクロスを越えて北へ延びる廃線跡を辿ります。合同庁舎の前辺りで顔を出す枕木。

IMG_2510

こちらはK号倉庫。かつての光学兵器庫です。光学兵器と聞いてレーザー⁉︎とか思っちゃいますがそんな訳はなく、双眼鏡や測量器などの事を指します。

IMG_2509

大正6年竣工のF号倉庫。かつての第三水雷庫です。[地図

IMG_2505

ノコギリ屋根のこの倉庫はE号倉庫。かつての兵器修理工場です。

IMG_2507

庫7号倉庫。かつての第一水雷庫水雷庫になります。相模運輸倉庫の敷地はここまで。この左奥がJR田浦駅。

IMG_2502

こちらは海上自衛隊艦船補給所食料庫。かつての第二計器庫です。ここからは海上自衛隊の敷地になり、補給所や自衛隊横須賀病院などの敷地となります。

IMG_2506

道路沿いにずっと線路が残っていました。元はバラストに枕木だったところ、2013年頃からの道路改良工事で道路の幅を広くしましたが、レールを残したままコンクリで埋た所がほとんどでした。また、米軍送油施設及び相模運輸倉庫の専用線は1998年頃に廃止されたようです。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→過去に書いていた小説など
トラベル.jp たびねす
→たまに記事を書いてました

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
記事検索
最新記事
  • ライブドアブログ