荒川区

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荒川区南千住、三ノ輪橋駅周辺の下町風景

都電荒川線で三ノ輪橋に向かうのですが、その前に荒川車庫前で途中下車。

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都電荒川線の車両基地である荒川車庫では2007年より、それまで車庫内に留置されていた古い車両が展示されています。こちらは昭和37年製造の7504号。

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車両が保存されている場所は車庫の手前で小さな公園として整備されていますが、土曜休日以外は閉鎖されています。終日解放してくれてもいいのに。こちらは昭和29年製造の5501号。

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ちなみに5501号が化粧直しされて一般公開される前の姿がこちら。公園が整備される前の2005年、許可を取って車庫内に入らせてもらいました。ちなみに以前訪れた毛呂山の新しき村に保存されている7022号も昭和29年製造。

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都電荒川線の終点三ノ輪橋駅。実際住所としての三ノ輪は南側にある地下鉄日比谷線三ノ輪駅周辺で、この辺りは南千住になります。

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三ノ輪橋駅から真っ直ぐ歩くと、煤けたガードのような所を潜って日光街道、国道4号線へと出ます。

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そのガードのような物は昭和2年(1927)竣工の旧・王電ビルヂング。都電荒川線の前身の王子電気軌道の本社が入ったターミナルビルとして建てられたそうです。

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現在は個人所有の梅沢写真会館になっています。

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地下鉄日比谷線三ノ輪駅方面に歩くと大関横丁交差点。特に再開発もされておらず一歩奥に入ればバラック長屋なんかもあります。

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渋いです。この辺の看板建築は戦後から変わってない感じがいい。三ノ輪にはかつて同潤会アパートなどもありましたが、十数年前当時は訪れながら写真も撮らず、鰻を食って商店街を歩いたぐらい。以来何年も来ていませんでした。荒川区自体なかなか来る機会が無い。

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三ノ輪橋駅から梅沢写真館に行かず左手を見るとジョイフル三ノ輪商店街と言うアーケードに入ります。

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入るなり良い雰囲気の建物が。

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都電の終点と言う事もあってか、そこそこの賑わいは見せています。

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こちらは大坂発祥の「砂場蕎麦」で東京に於ける最も古い「砂場」の店舗とされており、昭和29年(1954)建造の木造建築で荒川区の文化財指定を受けているそうです。

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その向かいにある銭湯、大勝湯。マンションの1階に併設されていますが、ビル自体がかなり古いです。中は広く人工温泉浴槽もあります。草津の湯は草津の湯の花を溶かした白濁のお湯。もう一つは和倉温泉の湯と言う事で、和倉温泉の塩分濃度を再現した塩化物泉。言ってしまえば塩水じゃん!www

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ジョイフル三ノ輪商店街は昭和の建築物が昔のまま残っており、散策するだけで楽しいです。

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その商店街を抜けた住宅街にあるモツ系のお肉屋さん。大鍋でモツ煮込みが煮込まれており、お土産で家に買って帰る人が多くいらっしゃいます。インスタでこのモツ煮屋さんの店頭で缶ビール飲んでいた人がいましたが、大阪じゃないんだから、そこまで勇気はありません。

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商店街から東側、隅田川方面に歩いて行きます。狭い路地に狭い間口の玄関が並ぶ。いわゆる下町ってやつです。

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しっかし狭い。近頃は消防車が入って行けないと言う理由から都内各地で区画整理が進み、このような狭い路地も減ってきました。

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屋根の低いバラック住宅は地方に行けば今でもよく目にします。ただ都内の路地の決定的な違いは必ずアスファルト舗装されているところ。どんなに狭い路地でも舗装されているんですよね。

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幅も高さも末広がりなお宅。どうしてそうなった⁉︎

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歩いているといきなり井戸のポンプをみつけたり。この辺りは昭和20年(1945)3月10日に空襲を受けています。なのでこの井戸は戦後の物と思われます。

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路地裏の三叉に井戸のポンプ。周囲の家々はここで生活水を得ていたのでしょう。

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駅から離れ、隅田川が近くなるごとに町工場も見え始めて来ます。建て増しされた渡り廊下でしょうか。こう言う所で生まれ育つと楽しそう。

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ここのところ埼玉や千葉などにばかり足を運んでいましたが、久々に東京の下町を散策すると楽しいです。

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町工場が多くなるごとに新築家屋が多くなって来ます。不景気で工場を畳んで建て替えられてしまったのでしょうか。

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やがて隅田川に突き当たると昭和2年竣工の千住大橋が掛かっています。ここは国道4号線(日光街道)が通っており、隅田川を跨ぐ橋としては江戸初期から掛けれれている、いわゆる交通の要衝でした。橋を渡れば、やっちゃ場のあった千住橋戸町。現在の足立市場があり、その先は北千住に繋がります。

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荒川区尾久、町屋、町工場の街

 町工場と住宅地と商店街が混在し、入り組んだ狭い路地は防災上の問題から再開発が進められようとしている。日暮里舎人ライナーなどで多少マンションも建つものの、しかしながらマイナー過ぎてパッとしない街。

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 荒川区を全体的に見ると、未だ主な交通手段を都バスや都電に頼っているのも、発展しない要因のひとつ。

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 東尾久から町屋まで、隅田川沿いに歩いて来ました。ひたすら町工場と住宅街が続くばかりで、特に心惹かれる光景には巡り会えず。まぁ事前情報無しに勘で歩いてると、空振りって事もあります。

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 看板建築の不動産屋さん。向こうは路地で、奥行きが全く無い建物です。

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 銭湯。
 普通の銭湯。
 まーネタが少ない。
 パッとしない。
 萌えない。ww

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 京成金町付近のガード下。ニューヨークに見えなくもない……わけがない!!

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 零細企業の多くが倒産に追い込まれる昨今、この辺りの町工場は頑張っているようで、どこもちゃんと稼働しており、廃工場なども見当たりませんでした。工場が潰れたら即更地にされマンションが建つと言う流れから私の住む川口などはすっかりマンション街になってしまいましたが、この辺りは敷地の狭い町工場だらけなので、新築の一戸建てが多少目に付きます。

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荒川区三河島コリアタウン~足立区千住桜木朝鮮部落跡

 三河島はかつて操業していた屠殺場の労働者として集まったオールドカマーたちによって形成されました。主に日本語を話せない者たちは働き口も限られましたが、被差別民ゆえに人々が忌み嫌う屠殺場だけはいくらでも雇って貰えたのでしょう。

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 彼等が持ち帰った臓物を焼いて屋台に出していた事から、現在ホルモン屋が多く存在する街となったそうです。

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 しかし現在では数件ある韓国食材店や家庭料理屋、ホルモン屋などで名残を感じられるくらいで、大久保や上野のように韓国色の強い街ではありません。

 三河島から尾竹橋通り沿いにバスで町屋を超え足立区方面に走ってゆくと、その沿道にも点々と焼肉屋やホルモン屋などをよく見掛けます。かなり分散しておりますが、明治大正の時代からこの地域では皮革産業が盛んで、そのため在日朝鮮人も多かったようです。

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 この地域に住む日本人もまた低所得者層であり、同じく被差別民であったため、差別なく人々が暮らして来たというのは私の推測です。特に足立区には朝鮮部落なども多かったそうですが、部落を形成していた人々も日本人に溶け込み、世代を重ねて帰化し、今では殆ど区別できないほどに日本語も流暢となっているそうです。

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 そんな中、千住桜木という隅田川と荒川に挟まれた細長い土地を訪れてみました。水害のリスクが高い上、これ以上無いほどに不便な、文字通り陸の孤島です。

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 ポツリポツリとバラックが目立ち、上流に向かえば都営住宅と公団住宅とリサイクル工場のみ。

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 この工場などは両側を川に挟まれており、つまりそれほどまでに隅田川と荒川が接近している。

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 そんな最果てに韓国人会館と教会が建っているのですから、かなりの確率で朝鮮部落だったと言えましょう。

※ここで、以前別のIDにて作ったブログにてこの記事を掲載していたところ、大変参考になる情報がコメントとして寄せられていましたので、ここに抜粋させて頂きます。

(以下抜粋)

足立区千住の生まれ育ちだが、朝鮮部落の位置がずれているように思える。桜木町2丁目に韓国人会館(といってもシモタヤ)があるが、以前の朝鮮人による不法占拠の場所。写真はそこから宮本町交差点方面だが、どちらかといえばB系が多い。

反対側は東京電力千住火力で、周囲は社宅。現在は大学のグランドや校舎。この辺は戦前は日本橋魚市場の支場や製紙会社があった。要は役所の敷地で、ここ30年は役所のクリアランス事業の場所。ほとんど区営高層住宅に変わっている。

朝鮮人の主力は現在は西新井、つまり荒川放水路の反対側に移った。ただし、千住は下町であって、暴走族やチンピラも多い。彼らは朝鮮人と見れば容赦しない。ハングルの看板を堂々とは出せないはずだ。

投稿者:ちょろちょろ様


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