東京都

※まとめサイト等への画像及び文章の無断転載を禁じます。

     ⬜ 温泉リスト(フルプラウザ版) ⬜

    ⬜ 立ち飲みリスト(フルプラウザ版) ⬜

墨田区両国、東京慰霊堂及び復興記念館(伊藤忠太建築)

先日東京新聞のネット記事で、両国にある東京慰霊堂及び東京復興記念館にある装飾についての特集記事がありました。記事によれば建物の至るところに可愛いモンスターが居ると言うもの。今回はその神獣か聖獣か魔獣か、はたまた妖獣か、伊東忠太氏の謎多き装飾を追いました。

464290FF-43B7-4794-9804-B0DBBF7B8CA2

両国駅に隣接する江戸東京博物館の奥、隣接する都立横綱町公園の敷地内に東京慰霊堂はあります。

6310F029-F4C6-4D34-8BBD-D3E6553DF36B

ここは関東大震災の遭難者約58,000人の身元不明御遺骨を納めるための霊堂として、昭和5年に建設されました。鉄筋コンクリート造の慰霊堂は後の空襲による戦火を免れたため空襲による戦没者も合祀するようになり、最終的には合計163000人の御遺骨を納めるに至ります。
いまいち実感が湧きませんが、東京都中央区の全人口が141500人。また広島の原爆による死者数は推定140000人と言われています。因みに東日本大震災の死者数は15899人。新型コロナウイルスの死者数は2021年4月17日の段階で9552人です。

7BA67F2B-7BF4-462D-A4A7-39918DC2B915

本堂の内部はまるで教会のように椅子が並べられており、さらにはアラベスク的な模様も使われており、和洋アジアあらゆる宗教様式を取り入れた物となっております。

BFAB5645-60CC-4D57-8B5A-ADF4B1C1F53D

本堂の奥に建つ納骨堂。多くの身元不明遺骨を納めているため、様々な宗教観が混在した建築物となったのでしょう。

EFD3FEC8-506D-4042-AEDD-779263354415

この東京慰霊堂及び後に紹介する東京復興記念館は、2016年までに改修及び耐震補強工事がなされました。写真の黒ずんだ壁は建設当初の物。

D8084681-1B4A-4F10-8057-E576A12853D1

この慰霊堂の屋根の端々に、このような鳥の造形物が飾られています。

9BBD1E92-6EB3-405F-A38F-54C96F3C2C96

その数が尋常じゃない。

7E80A12D-30C9-4DD9-B22F-09D33D23EF34

こちらは建設当初の造形物。現在の物は造り直された物ですが、それにしても可愛い。

FA87872E-4249-4209-80FC-CD252DAC6A9F

納骨堂の軒下には竜のような造形物が。これらは魔除けの意味合いも有るのでしょう。

F92C17EE-6619-46DD-B0BD-2BFBB6C0B60A

本堂内部に入り、振り返って上を見上げると、このような照明を咥えた謎の生き物が。これらの造形物について伊東忠太氏は資料を残しておらず、何を模したのか謎のままだそうです。ただ伊東忠太氏は幼少の頃より妖怪などが好きだったとか。

5784FE23-1BCC-4BC8-8215-BB264E1E8A17

こちらは釣鐘堂の屋根に居るドラゴン(?)。伊東忠太氏は明治から大正、昭和にかけて活躍した建築家であり研究者でもありました。主に西洋建築(鉄筋コンクリート造)を基本とした神社仏閣を設計しており、帝国大学(現・東京大学)の名誉教授にして文化勲章も受賞している、近代建築の大御所的存在です。中国、インド、ヨーロッパへの留学で影響を大きく受けたためか、その代表作としてあの築地本願寺があります。他にも壇原神宮、平安神宮、湯島聖堂などがあり、他の神社仏閣建築とは一線を画した存在です。

A881D595-4EEB-4966-A7D8-256660604ECB

同じく都立横綱町公園の敷地内に東京復興記念館があります。こちらの建物も伊東忠太氏の作品で慰霊堂の翌年昭和6年建造。

0AB9CA3E-7E0D-4E07-AF43-9B952E095B86

正面入り口の上に、このような愛らしい生き物四体が。

9B10C786-5B20-4DA2-8292-EE67E9B73CAC

このデフォルメされた姿は、もはやポケモンに近い。

B6C2487A-1557-44D7-9301-BD06062B94BD

この造形物はこのように原型を留めていない状態だったのですが、昨年様々な資料を元に再現されたそうです。

8FD5451A-5E86-4443-B72B-9079FC0913E0

屋根にはシーサーのような物も乗っかっています。

53AB3250-C0CE-4CDA-AE22-2A62EDCC2431

復興記念館の一階には関東大震災の被災に関する資料が展示され、二階には東京大空襲の被害に関する資料が展示されております。首都圏の街は二度に渡り焦土と化し、二度に渡る復興を遂げて来ました。この辺が他の地方都市との違いで、例えば京都や金沢のような中世の面影が無いのもこのためです。

F538C65B-0CAC-4173-A9EB-60F1553A4A00

何気なく中に入りましたが、かなりショッキングな内容で、気付けば二時間近く経っていました。元々この横綱町公園は陸軍被服廠(軍服工場)の跡地で、震災当時は公園の造成を進めていました。そこへ墨田区や江東区方面から人々が一時避難しましたが、四方より火の手が迫り開けたこの場所で火災旋風が巻き起こり、東京全体の死者の半数を超える38000人もの命が一瞬にして失われてしまいました。横浜は震源地が近かったため全壊家屋が多く、人々は着の身着のまま避難したのに対し、東京は半壊家屋が多かったため家財道具を持ち出して避難しました。それが火災旋風の原因とも言われており、悲劇へと繋がりました。
その悲劇の直前の非難民が密集している写真が展示されています。また鎮火後の写真も展示されており、灰の山と化していました。納骨とは言っても骨すら残っていないご遺体も多かったようです。
また二階には太平洋戦争における空襲に関する写真が多く展示されています。当時民間人は戦争の記録写真を撮る事を許されておらず、従軍カメラマンによる写真なのですが、写真の多くがGHQに摂取される中、自宅に隠し持っていたフイルムによる物だとか。歴史の闇に葬られる事を逃れた貴重な資料です。

2465DBA4-039E-40ED-9EA8-27E139D21CD2

江戸東京博物館は入った事ないですが、江戸東京博物館を訪れた際にはぜひともこちらも併せて訪れて欲しいものです。

開館時間 午前9時〜午後5時(但し、入館は午後4時30分まで)
入館料  無料
休館日  毎週月曜日及び年末年始(月曜日が祝日の場合は火曜日が休館日)
所在地  東京都墨田区横網2-3-25

以下、余談ですが伊藤忠太建築の造形物を追ってみました。
まずは湯島聖堂。

167C6125-7B6A-4DC2-A118-4AAFE38A3B8B

本堂である大成殿の屋根、鯱鉾のように聳える造形物は鬼犾頭と言うそうです。

F006B831-377E-40BF-B219-20804D5A44D0

大成殿の屋根の端には翼の生えた狛犬のような生き物が居ますが、これは鬼龍子と言うそうです。

DBC212A4-2151-4777-8EE5-07A7B66B810F

大成殿を取り囲む回廊と杏壇門の屋根の端々には、俯いた動物が。魔除けなんでしょうけれども。

97C6FE74-F6DE-4BBB-9794-6C79A4D46368

事務所などの屋根の端々には何でしょう、鳥のような造形物。

7DBA9F11-BB99-4247-A33C-7CB92A10AC3B

事務所の軒下にも何か居ます。これらの造形物は湯島聖堂の依頼を元にデザインされた物なのか、はたまた伊藤忠太が勝手に造ったのか。

E52C4ABA-BBB3-4C80-8AA0-32BCB9F7328F

さて、こちらは伊藤忠太建築の代表作とも言える築地本願寺。

BA5AF8A2-34BA-426C-A046-CD7770C1826A

この建物にはあまり生き物の造形物がありません。

FABC1978-B8EE-4AF5-9ACD-7BDB3F573EF2

しかしながら、改めて近くで見てみると凄い迫力。日本の寺院として唯一とも言えるインド様式の本堂は、本当にとんでもない建築物を造ったものだと溜め息しか出ません。内部は写真撮れないのかなぁ。

港区広尾〜白金〜高輪消防署二本榎出張所

仕事で広尾と白金を回った際に、ちょっと散策してみました。

BF1B922F-D74B-4A7F-8F01-6D6D6915F34D

まず、いきなり衝撃映像から参ります。広尾の商店街の奥、とあるドン付きに何やら謎のカーブミラーが。

0927BD35-76D5-4062-8766-41AC56B080E2

右に入れる狭い路地が。ここは以前、インスタでフォローしている方が写真をアップされており、それを見て衝撃を受けた私はその場所を探し当て、今回訪れた次第です。
狭い路地を進んで行く。するとその先には行く手を阻むかのように何かが。

F222AF47-E37D-4FAC-A46C-E1CBFB273CA1

階段のど真ん中にお地蔵様。
ヤバい。これ絶対、異界への入り口だ!wwww
なぜそこに、そしていつからそこに鎮座されているのか。全ては謎ですが、謎のままにしておきます。

2FC702C2-13D2-4E08-B686-1056C9CD2DC0

そんな広尾商店街、意外と古い建物が多く、消防車が入って来れないような路地も多く残っています。

AB208695-B4EA-4777-8E98-D28F6C98C962

商店街周辺だけが再開発を免れていると言った感じですが、ちゃんと古い建物をリノベーションして使われており、商店街としては活気に溢れていました。

29E3C1EE-A6D8-4479-AE83-A7BA904CAC5B

こちらは白金商店街の奥にある四の橋市場。奥の方の店舗も営業中のようです。

70EA147D-1E5C-4E37-B0F9-66165ABFB2E3

マーケットと言うより共同で店を出してたって感じです。裏手の建て増し感が凄い。

8E480776-5559-482C-98EE-CAAFFBC81693

その近くの民家。格好いい造りです。

660F3E21-DBDD-43C3-8838-7660E6BD505E

清正公前交差点に一軒残されたこのバラックは、写真のプリント屋さんだったようです。

A6084F21-D1B0-4606-BCC2-3D5D7CC36206

記憶が曖昧ですがこの辺り、もっと何軒ものバラックが連なっていたような気がするのですが。

6BFBF1BC-67C3-4927-AE07-4650D965E471

国道1号線から東に並走する二本榎通りに坂を登って行きます。あえて狭い階段をチョイス。

F7ACE4EC-1F8F-48A3-BA23-05E8C2AA8D10

途中分岐してさらに民家へと繋がる階段が。都会のど真ん中でありながら、まだこのように車が入れない民家が残っています。

EF82D227-9F00-47EB-9BCA-3BCA04EA5AD3

尾根道のようになっている二本榎通りを高輪プリンスの手前まで南下すると、高輪消防署二本榎出張所があります。

65CE38E3-DBEC-4972-8E1E-57042E4E478A

この建物は東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されており、内部が公開されています。

8FB6B31C-41AF-4CCC-A92E-29412172492D

受け付けで声を掛ければ消防署員の方が案内してくださりますが、さすがに忙しい時などは無理かも知れません。

87F5AA76-999B-45F8-A3D6-BD5BAC0D66DE

三階に当る円筒型の講堂には、昔の消防服など様々な物が展示されています。

B52D7C71-D03E-4A0D-A1BE-8483E4151BD9

この建物は昭和8年末に完成。震災復興建築の流れを汲む強固な造りとなっています。

B238D974-FA37-4A28-BFB3-678397D0B24B

一階にはニッサン180型消防ポンプ自動車が展示されています。

E84BAC55-9C9C-4FFE-93C1-4FE985E4C0BB

この車両は昭和16年製造。昭和39年まで活躍していました。
四谷三丁目にある消防博物館も行ってみたい所ですが、現在臨時休業中との事。

E88107C8-2630-4C12-839E-43FF0435825B

最後に所変わって、去年1月に訪れた南麻布にある温泉銭湯、竹の湯。
多少の滑り感と強いミントガム臭の黒湯。鉱泉を沸かして温度調整ぐらいにしか加水してないそうですが、そのためか大田区などの黒湯に比べると透明度が5cmほどしか無く、濃い印象。浴槽は40.4度のぬるめと44.4度の熱め、それにサウナ利用の方のための源泉100%加温加水無しの水風呂(14度)。ちょっとピリッと来る熱さの熱め浴槽が実に気持ちいい。水風呂も入ってみましたが、かなり強烈なミントガム臭。さすが源泉100%。とても気持ちの良い湯で、湯上りはサラサラ。もっと早くから行っておけば良かったと思いました。

以上、高級住宅街でもある広尾や白金を散策して来ましたが、起伏が激しく坂も多い街の坂の上は山手、坂の下は下町とはっきり分かれています。特に下町の庶民的な商店街は古民家をリノベーションして店舗にしたりと、いまだ再開発の波を逃れている所も多く、散策しがいのある街並みでした。

東京都奥多摩町、駅周辺及び小河内小・中学校跡

奥多摩駅を降りるのは17年ぶりになります。
東京都奥多摩町、水根線廃線跡

5A32570F-936D-4CDA-8209-616DFDF6F09D

奥多摩町は暫く来ない間にメディアやSNS等で取り上げられるなどして、すっかり観光地としての復活を遂げていました。

84286445-64B7-4427-A1CA-5EB0E19562AE

奥多摩工業氷川工場のプラントもまだ現役で操業しております。

5BE7F6FD-5BED-4B11-915C-9931F44C9F63

駅から細い飲み屋路地を入って行きます。真新しい建物やカフェなどが目立ちますが、17年前はどうだったか。当時訪れてみればよかったと後悔します。

B593F99F-7BCD-4E9C-9DD8-34E2666CF1B8

もちろん古い建物も多く残っています。こちらは現役の八百屋さん。

D7D1541C-6F15-4F0D-A69E-6D0AAEB00343

橋を渡った先の渋い建物。なかなかそそります。

DC6F6256-9095-45B4-B287-56D04D3DE027

廃業した民宿。都心から日帰りで来れる距離なので、特に安い民宿などはなかなか今の時代では厳しいのかも。

D605C7E4-AFD8-4303-AB7C-9D2AAC9DDB4B

お土産屋さんだったのでしょうか。駅の対岸は宿泊街だったようで、寂れた雰囲気が漂います。

C7E2FCEA-873F-49F8-8EA6-5F7F7612E631

崖にへばり付くように建物が建っており、狭い土地ながらも栄えていた事が伺えます。

ED4BDDBA-18D3-4DF2-94EB-10BCCA836911

多摩川を遡り、小河内ダムのダム湖、奥多摩湖に掛かる峰谷橋でバスを降りる。なかなかかっこいい橋です。小河内ダムは昭和13年から起工するも途中太平洋戦争により工事が中断。完成したのは昭和32年11月となります。

5031AC6F-6F62-4DBA-82E9-AA41AC505BC8

旧・小河内小学校、中学校跡は支流の峰谷川に入って行った所にあります。

CBE22F26-9F35-4ED1-B67F-C4CDB5E4BD50

小・中学校の周辺に大きな集落はありませんが、現在でも学校の下を路線バスが走っています。

D29AF17C-F72B-4C7D-9B4F-51690E7CBE14

斜面の上に建てられた旧・小河内小学校校舎。裏手の一段上がった所には、旧・小河内中学校校舎があります。

12F00AB3-B6A0-475F-8410-E010BE4042DB

この小河内小学校、創立は明治27年。しかし小河内ダム建設で旧校舎が水没することから、現在の峰谷川沿いに移転されました。詳細は不明ですが、小河内ダムの起工式が昭和13年である事から、その前後に現在の木造校舎が建てられたと思います。

16253C7E-DEA1-48F8-B71D-AE92611C87FE

小河内ダムの完成に伴い945世帯が移転させられたとの事ですから、この時点で生徒数は激減した事でしょう。残った集落は山中に散在する山間部落ばかりで、生徒数の減少から各集落の分校も廃校となって行き、子供たちは主に路線バスで通学していたと思われます。

6C06E12A-8859-499F-9E10-E285005D171F

少子化と過疎化により生徒数が減少した事から、小河内小学校及び中学校は2004年(平成16年)に閉校されました。その後レンタルスペースの奥多摩フィールドとして再利用され、映画のロケや研修などに利用されています。

24D7247C-DF54-4AA5-96EC-FBBD48063E53

一段上がった所にある旧・小河内中学校校舎。現在では奥多摩フィールドの事務所などが入っています。

東京都奥多摩町、奥多摩湖ロープウェイ跡

青梅線の終点、奥多摩駅からバスで小河内ダムのダム湖である奥多摩湖へ行って来ました。

0BAD28E0-12A0-400A-BFA4-5AA8336B0FAE

奥多摩湖北岸を走る国道411号線はら深山橋を渡り南岸へ。

8A9E845F-C1B6-4DEC-8395-F14B81D24DA3

更に三頭橋を渡り東へ歩いた所にある駐車場の前に階段があります。

52A96761-2E36-47E7-9B82-7F07FB8F0FA3

その階段を登った所に、旧・奥多摩湖ロープウェイの三頭山口駅跡が残っています。

CAEDD4E9-F5CF-4FD7-9A21-022BB90620BD

券売窓口。落書きされるなどで荒らされています。奥多摩湖の南岸と北岸を結ぶこの旧・小河内観光開発奥多摩湖ロープウェイは昭和37年3月開業。しかし数年後には先程の深山橋が完成し、それにより対岸へ簡単に渡れるようになったため利用客が激減。昭和41年12月、運転休止になるとそのまま再開されないまま、昭和50年には正式に休業となってしまいました。

00338659-2153-4898-A17A-3346E3A1BCF2

こちらは改札口。ここは廃墟としてはかなりメジャーで、結構多くの人が訪れているようです。

6D1B72AD-FE8A-46F8-AB9D-8A6821B264A8

あくまでも休業扱いという事から、索道や車両がそのまま残されています。

347E3642-8C56-4CAF-8446-BD7834ECFAE3

三頭山口駅跡に残っているのは「みとう号」。北岸の川野駅には「くもとり号」が残っています。

3DA0B4EA-0EBB-42E2-A66C-045FBE81430A

たった4年弱しか営業されず、55年間もの間、ここに放置されたままとなっています。

C3D49DF6-071B-4307-8FB0-1A4E8ACCCFDE

解体費用が掛かるからと言う理由で休業申請されたままなのでしょうか。奇跡的に解体を免れた結果、廃墟マニアの聖地のようになっています。

383D5EBC-B258-4103-AD30-16C302904681

ちなみにロープウェイの動力や制御室などは、対岸の川野駅にあります。

1FFCD5B9-FE82-4535-868D-241815E44F90

こちらはトイレの跡。この三頭山口駅は三頭山の登山口として登山客たちを運びました。

7D196F4C-E54D-46F1-B65C-FCF6F60AD172

しかし奥多摩湖の中間辺りに位置しているため特にこれと言った観光施設も無く、眺望としても微妙だったため観光資源にもなり得なかったようです。せめて山頂までのロープウェイであれば、また運命は変わっていたのかも知れません。

C54AC93B-4B7F-4E89-957B-470349E3AD5B

三頭山口駅の真下の駐車場に残る鉄塔。索道を張ったまま何の整備もされず、よく半世紀も耐え続けていると思います。

C10347A0-4608-47D7-99A9-39F25D7733A6

湖畔にはいくつもの廃業旅館が見られます。

E4682655-7268-4E75-AC22-D9F489EAC196

奥多摩湖が観光地として栄えていた時代もあったのかも知れません。

87382E39-04FA-4539-A029-1A81944B913D

こちらは北岸の川野駅近く。しかし残念ながら川野駅跡は私有地につき、現在では立ち入り禁止になっているそうです。心無い人や肝試しなんかで荒らされてしまったのかも知れませんね。

274AA3C6-6742-412E-84D3-C07C261A7FAC

仕方ないので川野駅真下の鉄塔のみ撮影しました。

新宿区西新宿〜大久保、旧柏木町の下宿屋地帯

西新宿の高層ビル群から青梅街道を越えて北へ。西新宿八丁目から北新宿一丁目にかけての一帯を柏木と言いました。

D6BECD6C-9A2A-4EE8-9824-D65D135B0179

青梅街道と小滝橋通り、神田川に囲まれたこの地域には大正末期、関東大震災で焼け出された人たちや、その後の地方からの上京者たちで住宅街が形成されて行ったそうです。

948A9CAF-6394-4A68-9254-FBCA9D294F3C

新宿駅や大久保駅からの徒歩圏内、この辺りには戦後から高度成長期に掛けて多くの下宿屋や安アパートが建てられました。

2A217234-5D08-48A3-A956-5DFFF8E0F35A

西新宿の再開発がその範囲を広げる中、高層ビル群に隣接する新宿八丁目に奇跡的に残っているアパート群があります。

2EF6E677-A686-4715-B0EA-19BB8210B544

恐らく同じ時代に建てられたと思われる木造モルタル二階建てアパートは、それぞれ◯◯荘と名前がつけられています。大家さんが別々と言うことでしょうか。

568E68FA-8377-4B67-B97F-BD3F1F484154

すでに空き家となった棟もあれば、まだ住われている棟もあります。

BD9BE368-6709-4A3E-B396-12F31CFD8F6B

とは言え、今の若者はなかなかこのような下宿屋みたいな部屋には住まないでしょうし、高齢化も進んでいる事でしょう。

15277E79-B425-4076-8CD9-43D7C2D88D68

門柱には旧町名である柏木の名が残っています。不動産情報を調べたところ1955年(昭和30年)建造。築66年になります。

02D53C18-C72A-4831-8676-39B289653878

向かい側にも木造アパートがありますが、すでに空き家となり解体を待つばかりです。

979FBF5E-20CC-4F62-8D62-7DB21C1BFD24

職安通りを越えて大久保通りの手前、北新宿一丁目まで来ました。ここはかつて上京して来た私が住んでいた街になります。

C37E127D-D5F3-42B4-9940-A6BF4D083BF3

昭和62年当時、家賃23000円で6畳一間、風呂無しトイレ共同のボロアパート。残念な事に、柏荘という青春時代を過ごしたその建物はすでに姿を消していました。当時通っていた近くの銭湯もコンビニになってしまった。

E024C397-DCC3-467B-917C-E73497AD17A6

だがしかし、その隣のアパートは残っていました。まさにこんな感じの木造モルタル二階建てアパートです。一階に住んでいましたが、二階の中廊下が板貼りで、人が歩くとギシギシ音がしてました。壁も薄く、どこぞの痴話喧嘩も丸聞こえ。ゴキもネズミも出て来ましたが、プロカメラマンを夢見て専門学校とアルバイトの毎日。立地の良さから半分溜まり場みたいになっていて、しょっちゅう飲み明かしてはみんなで雑魚寝してました。

7091E99D-D82C-482E-B0DF-5C3262AFA7C0

そんな想い出に浸りながら大久保駅。この駅は当時のままです。かつてロッテの工場が有った事から今でこそ新大久保辺りは日本屈指のコリアタウンとなっていますが、当時はまだドヤ街の雰囲気が残っていました。

F6DDD5EB-24E9-484D-B13C-5ACB10D4EBC4

北口から南口までの線路沿い。この辺の狭い路地なんかもあまり変わっていません。

988A05E6-CF8B-4442-BAEA-B4A961A7BF27

と思ったら、なんかとんでもない物が出来てました。なんだコレは。

42EBC594-5DBF-44C9-828A-94683DB752C7

学生時代にバイトしてたスーパー丸正大久保駅南口店跡。随分前に閉店していますが、すっかり廃墟のように。ただオーナーはまだ上に住んでいらっしゃる様子。
そんな訳で上京して来た街を歩いて来ました。この街に育てられた結果、今のような嗜好になってしまったという。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログ紹介
都内、近郊の古い街並みや建造物、路地裏などの写真とレポートを載せています。また、国内の寂れた観光地やマニアックな温泉スポット、廃墟などもご紹介。

鰻田ニョロの小説部屋
→昔書いた小説など
トラベル.jp たびねす
→たまに記事を寄稿

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
記事検索
最新記事
  • ライブドアブログ