東武伊勢崎線の太田と伊勢崎市の中間地点にある境町。ちょうど伊勢崎、太田、深谷に囲まれた知名度の低い町ですが、利根川の支流で赤城山から流れる広瀬川の北岸に位置する事から古くより交通の要衝として栄えて来ました。

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駅前には何も有りませんが、近くを通る国道17号線沿いにちょっとした工業団地があります。

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駅前にはインド料理屋。ちょうど昼時だったので入ろうと思ったら、インド、パキスタン系の方々で満席。

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ならばここはどうか?と、思ったらイスラム教のモスクでした。

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気が付いたら町中をインド系の人々が闊歩しています。これは工業団地が近いせいでしょうか、外国人街になりつつあります。地方都市のあるあるですが、いずれこの辺もテーマに掘り下げて行きたいところ。

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駅の近くにイベントスペースやアートギャラリーとして利用されている境赤レンガ倉庫があります。

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ここは大正8年(1919年)に繭の保管庫として建設されたレンガ造りの倉庫です。境町は江戸末期より織物産業が盛んになり、桐生、伊勢崎と肩を並べる織物産業の街で、伊勢崎銘仙として広く売り出されていました。ちなみに銘仙とは明治後期より使われるようになった平織した絣の絹織物(大衆向けの和服)の総称で、桐生銘仙や伊勢崎銘仙などブランド名としても使われていました。

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路地にやたら立派な建物がありました。宏遠館って書いてあるこの建物は資源ごみのステーションになっているので、公民館か何かだったのでしょうか。詳細は不明。

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境町は広瀬川の舟運が始まる鎌倉時代から発達した集落です。またこの辺りは足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の新田荘南西部に位置していました。

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江戸時代になると京都から東照宮へと向かう勅使が、中山道から日光街道までショートカットする日光例幣使街道が整備され、境町も文久3(1863)年に正式に宿場町となり発展しました。また同時に足尾銅山の公銅(幕府の銅)を陸路から利根川の水運へと切り替える港としても栄え、江戸末期には生糸の流通でも重要な役割を担い、2と7の付く日は市が立ち「六斎市」と呼ばれていました。

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織物産業で栄えていた当時の名残りとして蔵造りの商家などもあります。ちなみに関東の五大銘仙と言われていたのが境町を含む伊勢崎、桐生、足利、秩父、八王子。桐生はともかく足利も秩父も八王子も歩いていながら、絹産業をテーマに巡っていません。改めて行く必要があります。

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ただ、観光地として整備されていないので、貴重な歴史的建造物は朽ちるがまま。行政からの援助でもあればいいのですが。

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こちらは商家をリノベーションして営業されている中澤カフェ。

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一方で傾いて倒壊しそうな建物も目に付きます。

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今では普通の民家ですが、かつては何かしらの商売をされていたのでしょうか。

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見た目は看板建築ですが、中身は大正末期から昭和初期建造の町家造りと言われる井筒屋さん。

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そしてこちらが境町のボスキャラと言うべき存在感を放つ板倉屋薬局。

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昭和8(1933)年建造で、土蔵造りの商家に3階建ての洋館が増築されています。

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こちらは明治42(1909)年建造の土蔵造りの商家、斎藤家さん。

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こちらはお団子や豆餅が好評な和菓子屋さんの伊勢屋さん。

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飯島本陣跡。表は近代的ですが、裏は中庭や蔵のある立派な商家となっています。

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宿場町の西の外れから北、東武伊勢崎線方面に戻ります。

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絹の家と呼ばれているこの邸宅は、境町で明治から大正に掛けて機織業の発展に努めた金子仲次郎の居宅です。平成17年の市町村合併により境町は伊勢崎市に組み込まれていますが、伊勢崎機織組合を立ち上げたメンバーの中にも境町出身の者が多く含まれていたそうです。

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住宅街の中の古民家。こう言う玄関って今ではなかなか見ない。いっとき境町の元機屋が「境銘仙」として売り出したら大当たりしましたが、すぐに伊勢崎町の元機屋が「伊勢崎銘仙」として売り出したため、地域ブランド名を伊勢崎に取られたと言う騒動があったとか。「境銘仙」は境町の専売であると訴訟したが通らず、最終的には伊勢崎銘仙に組み込まれてしまったとか。

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旧群馬県蚕業取締所境支所。明治39(1906)年に蚕種の微粒子病対策を目的に設けられたもので、現在残る建物は昭和2(1927)年に建替えられた物。しかし現在では立ち入り禁止になっていました。