うわ、レトロとか言っちゃったよ。
東武伊勢崎線から北東へ佐野線が、西へ小泉線が分岐する館林。都心からの電車は久喜止まりで久喜からここ館林まで各駅停車が往復し、館林から先の伊勢崎線は大田止まりと伊勢崎行き。さらに太田から桐生方面の赤城行きが発着と、現在の北関東を走る東武の各駅停車は走行区間が細切れで、何度も乗り換えなければなりません。急行や快速などは無く唯一の直通運転は浅草から桐生方面へ走る全席指定の特急「りょうもう」のみなのですが、夕方浅草に戻る「りょうもう」が3両編成のリバティのためいつも満席で乗れない。確かに平日の夕方の上り特急は、かつて200系・250系の6両編成時代空席が目立ってましたが。
愚痴っぽい前置きが長くなってしまいましたが、群馬県の東の端に位置する館林に行って参りました。群馬県が東へ細長く伸びてる部分で、北の渡良瀬川を越えれば栃木県、南の利根川を越えれば埼玉県になります。
電車からも見える駅前の倉庫。前置きでも触れましたが、各駅停車が細切れと言う事は、通勤電車として利用されているのがここ館林と佐野、足利、大田、伊勢崎、桐生などに勤めている方々で、それぞれの都市ごとに雇用があると言う事。この点が一点集中型の東京や各地方都市との違いかと思います。
駅の近くには元々ボーリング場だったような施設が。ちなみに館林で代表的な企業は日清製粉。他にもアサヒ飲料やカルピスの工場なんかもあり、駅西口にはご当地醤油の正田醤油の醸造所があります。
駅周辺から発展しており、多くの商店が現役で営業されています。この辺りは低湿地帯と低丘陵地からなりますが水が豊富で、明治以降は毛織物産業や製粉業などの近代産業が早くから発展しました。
駅前通りの近くにある料亭。次の記事で触れますが、館林には花町の名残りとして多くの料亭があります。
もちろんスナックなども多く点在しています。一階が駐車場って辺りが地方っぽいです。
良い雰囲気の飲み屋さんも点在していますが、特にスナック街のような纏まりは無く、広い範囲で栄えている感じ。
館林駅の東、料亭街や城跡の手前を南北に走る県道57号線。道路を拡張する計画があるのか、道路の西側に空き地が続きます。開発のために古い建物などを相当壊してしまったと思われます。ちなみにこの県道は、かつての日光脇往還(日光裏街道)で、この辺りは宿場としても栄えていました。
県道を北に進みます。商店街がゴッソリ消えてしまったと思われる西側とは逆に、東側にはこのような看板建築も残っています。こちら旧森牧商店。
こちらも県道沿い東側の看板建築。表は看板建築ですが、その実奥へと長細い昔ながらの町屋造りとなっています。
県道から東に戻ります。こちらも表は看板建築な町屋造り。皮肉にも多くの建物が解体されて歯抜け状態となったからこそ、このような構造が知れます。
県道から館林駅方面へ。こちらは昭和9年(1934)建造の旧館林信用金庫本店。現在は市の消費生活センターとなっています。
消費生活センターから北へちょっと入った所に板張りの渋い建物が。泉新本店と言う飲食店ですが、桐生の有名老舗鰻屋さんとは関係無いと思われます。
かつて館林に存在した映画館、館林クラブ(1922〜1990)と館林キネマ(1918〜1982)の看板が残る街灯跡。
実のところ館林を訪れたのは10/10なのですが、もう一度行って日清製粉ミュージアムと正田記念館を訪れてから記事を完成させようと思ってました。しかし最近仕事が忙しくなかなか行ける時間がないので、また近い内に再訪する事にします。
続く。
東武伊勢崎線から北東へ佐野線が、西へ小泉線が分岐する館林。都心からの電車は久喜止まりで久喜からここ館林まで各駅停車が往復し、館林から先の伊勢崎線は大田止まりと伊勢崎行き。さらに太田から桐生方面の赤城行きが発着と、現在の北関東を走る東武の各駅停車は走行区間が細切れで、何度も乗り換えなければなりません。急行や快速などは無く唯一の直通運転は浅草から桐生方面へ走る全席指定の特急「りょうもう」のみなのですが、夕方浅草に戻る「りょうもう」が3両編成のリバティのためいつも満席で乗れない。確かに平日の夕方の上り特急は、かつて200系・250系の6両編成時代空席が目立ってましたが。
愚痴っぽい前置きが長くなってしまいましたが、群馬県の東の端に位置する館林に行って参りました。群馬県が東へ細長く伸びてる部分で、北の渡良瀬川を越えれば栃木県、南の利根川を越えれば埼玉県になります。
電車からも見える駅前の倉庫。前置きでも触れましたが、各駅停車が細切れと言う事は、通勤電車として利用されているのがここ館林と佐野、足利、大田、伊勢崎、桐生などに勤めている方々で、それぞれの都市ごとに雇用があると言う事。この点が一点集中型の東京や各地方都市との違いかと思います。
駅の近くには元々ボーリング場だったような施設が。ちなみに館林で代表的な企業は日清製粉。他にもアサヒ飲料やカルピスの工場なんかもあり、駅西口にはご当地醤油の正田醤油の醸造所があります。
駅周辺から発展しており、多くの商店が現役で営業されています。この辺りは低湿地帯と低丘陵地からなりますが水が豊富で、明治以降は毛織物産業や製粉業などの近代産業が早くから発展しました。
駅前通りの近くにある料亭。次の記事で触れますが、館林には花町の名残りとして多くの料亭があります。
もちろんスナックなども多く点在しています。一階が駐車場って辺りが地方っぽいです。
良い雰囲気の飲み屋さんも点在していますが、特にスナック街のような纏まりは無く、広い範囲で栄えている感じ。
館林駅の東、料亭街や城跡の手前を南北に走る県道57号線。道路を拡張する計画があるのか、道路の西側に空き地が続きます。開発のために古い建物などを相当壊してしまったと思われます。ちなみにこの県道は、かつての日光脇往還(日光裏街道)で、この辺りは宿場としても栄えていました。
県道を北に進みます。商店街がゴッソリ消えてしまったと思われる西側とは逆に、東側にはこのような看板建築も残っています。こちら旧森牧商店。
こちらも県道沿い東側の看板建築。表は看板建築ですが、その実奥へと長細い昔ながらの町屋造りとなっています。
県道から東に戻ります。こちらも表は看板建築な町屋造り。皮肉にも多くの建物が解体されて歯抜け状態となったからこそ、このような構造が知れます。
県道から館林駅方面へ。こちらは昭和9年(1934)建造の旧館林信用金庫本店。現在は市の消費生活センターとなっています。
消費生活センターから北へちょっと入った所に板張りの渋い建物が。泉新本店と言う飲食店ですが、桐生の有名老舗鰻屋さんとは関係無いと思われます。
かつて館林に存在した映画館、館林クラブ(1922〜1990)と館林キネマ(1918〜1982)の看板が残る街灯跡。
実のところ館林を訪れたのは10/10なのですが、もう一度行って日清製粉ミュージアムと正田記念館を訪れてから記事を完成させようと思ってました。しかし最近仕事が忙しくなかなか行ける時間がないので、また近い内に再訪する事にします。
続く。
横から見えるのはありがたいけど(^-^;
「レトロ」に代わるわかりやすい言葉、なんか無いかなぁ?
私もあまりレトロと言いたくないけど便宜上仕方なくw
「古い建物」とか「歴史ある建物」とか書いてみたり。。