2006年に笠間市と合併した岩間町は、常磐線で友部駅のひとつ東京寄りに位置します。
市街地は丘陵地(上郷)にあり、周囲を田園地帯(下郷)に囲まれています。特産品は栗や柿など。
ごくありふれた田舎町と言ったらそれまでですが、今回は廃墟界で有名な未成マンションと、Googleマップでたまたま見つけたバラック集落に向かいます。
国道沿いにあるスーパーの裏手、その一画はありました。一番手前の家屋はトタン板の塀に囲まれています。
集落と言っても袋小路の左右に20軒ほど。
緩やかな下り坂となっている私道には雑草が生い茂り、その左右に木造家屋が連なる。
一番奥から振り返ったところ。右手には南向きの玄関。最初社宅か何かかと思っていましたが、近所の方に少し話を伺ったところ社宅でも市営住宅でも公団住宅でもなく、地元の方が貸している貸家だそうです。
左手は玄関が北向きなので縁側に洗濯物を干すのでしょう。造りを見るとどうしても鉱山住宅などを思い出してしまいます。セメント瓦(昭和14年以降)が時代を感じさせる。
2〜3軒にひとつ井戸が有りますが、後に設置された水道の蛇口も有ります。井戸が有ると言う事は戦時中か戦後間もない頃でしょうか。
もはやゴーストタウン、と言うか廃村の雰囲気。
こちらにもポンプ式の井戸が。
ここにはどのような方々が住われていたのか、謎が残ります。これだけ狭い一軒家と言う事は労働者がまず考えられますが、この辺りには紡績工場も炭鉱も無い。
各戸に建て増しの小屋のような物がありますが、配管から見て恐らくお風呂場でしょう。もしかしたら便所もここに併設されているのかも知れません。
入り口付近にはまだ住まわれている方がいるのでしょうか、真新しいプロパンガスが置いてあります。
貸家地帯北側の通りに、同年代に建てられたと思しき建物が数軒あります。裏手はちょうど貸家の路地なので、こちらも同じ大家さんによる貸家と想像できます。
以上の貸家地帯に違和感を覚えるのは、周辺の雰囲気。とにかくどのお宅も広大な敷地を持つ旧家と言った感じで、屋敷がことごとく立派。
これらのお屋敷の生業は何か。水運で栄えている訳でもなく、毛織物産業で栄えている訳でもない、考えられるのは農家ぐらいなのです。稲作にしろ果実園にしろ労働者を雇う事は考えにくい。ならば貸家に住んでいた人たちは、何を生業としていたのか。気になる。
結局謎は解明されないまま次の目的地、未成マンションに来ました。
バブル経済が崩壊する直前だった1991年1月に建設がスタート。本来は9階建てになる予定だったが、3階まで作った段階で施主が倒産したのか工事が中止されました。
国道沿いの廃墟で入り易いと言う事から地元の輩が落書きし、謂れもない心霊スポットとなっております。
心霊スポットの大半が後付けの謂れなんですよね。この廃墟は廃墟マニアの間ではブラックマンションと呼ばれており、肝試しをする若者が後を断ちません。
廃墟の正面にプレハブが建てられ真新しいタル木と型枠材が搬入されています。ここから再建しようって事でしょうか。しかし30年も放置されていたからコンクリートの経年劣化も相当なものでしょうし、新規で建てた方がいいと思うんですが。
裏に回るとこんな感じ。奥に結構伸びているようです。ちなみに二階三階には昇りません。ビビリィですので!
市街地は丘陵地(上郷)にあり、周囲を田園地帯(下郷)に囲まれています。特産品は栗や柿など。
ごくありふれた田舎町と言ったらそれまでですが、今回は廃墟界で有名な未成マンションと、Googleマップでたまたま見つけたバラック集落に向かいます。
国道沿いにあるスーパーの裏手、その一画はありました。一番手前の家屋はトタン板の塀に囲まれています。
集落と言っても袋小路の左右に20軒ほど。
緩やかな下り坂となっている私道には雑草が生い茂り、その左右に木造家屋が連なる。
一番奥から振り返ったところ。右手には南向きの玄関。最初社宅か何かかと思っていましたが、近所の方に少し話を伺ったところ社宅でも市営住宅でも公団住宅でもなく、地元の方が貸している貸家だそうです。
左手は玄関が北向きなので縁側に洗濯物を干すのでしょう。造りを見るとどうしても鉱山住宅などを思い出してしまいます。セメント瓦(昭和14年以降)が時代を感じさせる。
2〜3軒にひとつ井戸が有りますが、後に設置された水道の蛇口も有ります。井戸が有ると言う事は戦時中か戦後間もない頃でしょうか。
もはやゴーストタウン、と言うか廃村の雰囲気。
こちらにもポンプ式の井戸が。
ここにはどのような方々が住われていたのか、謎が残ります。これだけ狭い一軒家と言う事は労働者がまず考えられますが、この辺りには紡績工場も炭鉱も無い。
各戸に建て増しの小屋のような物がありますが、配管から見て恐らくお風呂場でしょう。もしかしたら便所もここに併設されているのかも知れません。
入り口付近にはまだ住まわれている方がいるのでしょうか、真新しいプロパンガスが置いてあります。
貸家地帯北側の通りに、同年代に建てられたと思しき建物が数軒あります。裏手はちょうど貸家の路地なので、こちらも同じ大家さんによる貸家と想像できます。
以上の貸家地帯に違和感を覚えるのは、周辺の雰囲気。とにかくどのお宅も広大な敷地を持つ旧家と言った感じで、屋敷がことごとく立派。
これらのお屋敷の生業は何か。水運で栄えている訳でもなく、毛織物産業で栄えている訳でもない、考えられるのは農家ぐらいなのです。稲作にしろ果実園にしろ労働者を雇う事は考えにくい。ならば貸家に住んでいた人たちは、何を生業としていたのか。気になる。
結局謎は解明されないまま次の目的地、未成マンションに来ました。
バブル経済が崩壊する直前だった1991年1月に建設がスタート。本来は9階建てになる予定だったが、3階まで作った段階で施主が倒産したのか工事が中止されました。
国道沿いの廃墟で入り易いと言う事から地元の輩が落書きし、謂れもない心霊スポットとなっております。
心霊スポットの大半が後付けの謂れなんですよね。この廃墟は廃墟マニアの間ではブラックマンションと呼ばれており、肝試しをする若者が後を断ちません。
廃墟の正面にプレハブが建てられ真新しいタル木と型枠材が搬入されています。ここから再建しようって事でしょうか。しかし30年も放置されていたからコンクリートの経年劣化も相当なものでしょうし、新規で建てた方がいいと思うんですが。
裏に回るとこんな感じ。奥に結構伸びているようです。ちなみに二階三階には昇りません。ビビリィですので!