伊勢崎駅は東武伊勢崎線とJR両毛線との連絡駅であり、北関東の要衝の一つで大都市と言うイメージがありました。
本庄から1時間に2〜3本出ている路線バスで伊勢崎駅まで。しかし降りたら何も有りませんでした。
ちなみにここから都心に出るには東武伊勢崎線に乗るより、30分弱バスに揺られて本庄まで行き上野東京ラインに乗るのが一番安くて早いです。東京駅まで2時間半で2000円ちょい。通勤圏内では無いですが、高崎駅までは約30分です。
かつては駅前も栄えていたのでしょうか、しかし建造物を壊すだけ壊しまくった跡のような、ゴーストタウンのような雰囲気。
どうやら2015年に完了した駅の高架化事業と並行して、伊勢崎駅周辺第一土地区画整理事業という南口一帯の市街地丸ごと再開発があるそうで、1996年から2027年まで約30年の歳月と250億円の資金をかけて市が進めているようです。同時に密集住宅市街地整備促進事業として58億円が投じられており、また北口も範囲は狭いものの2028年までに83億円かけて開発が進んでいるとか。
そんな街に歴史遺産がポツリ。小学校の前に保存されている大正5年竣工の旧時報鐘楼です。元々ここ、駅の南西部一帯も第三次再開発事業が計画されましたが、住民の反対により見直しとなっているとか。しかし、まず何よりも人影を見かけないのです。
こちらは明治45年建造の旧・黒羽根内科医院旧館跡。昭和59年まで診療所として利用されていましたが、平成14年より文化財に指定され「いせさき明治館」として保存、公開されています。
近くに伊勢崎神社があります。健保元年(1213)創建され元徳元年(1329)新田義貞によって現在の地に遷したそうです。
立派な拝殿で上部には戦時中、中島飛行機(現在の富士重工業・スバル)の社員が奉納した木製のプロペラがあります。製造した航空機が戦地から無事に帰ってくる様にと祈願したもので、このプロペラは昭和7年(1932)より製造された、九〇式三号水上偵察機の物だそうです。
昭和10年に建てられた拝殿の奥の社殿は嘉永元年(1848)に造られたもので透かし彫りが見事。しかし、伊勢崎市のホームページで史跡として紹介されてないのです。どう言う事なのか。
伊勢崎駅の南側、中心街を横切る県道2号線に近づくにつれ再開発計画区域から外れたのか多少商店街が見え始めて来ます。とは言えシャッター商店街で廃業店舗しか目にしませんが。
県道2号線を超えた辺り、緑町界隈のスナック街。
かつては伊勢崎駅周辺にも飲食店街が多くあったでしょうが一掃され、しかし市の中心街である県道周辺には生き残っていると言う感じ。一度こう言うスナック街で地元の方に昔の話など聞いてみたいものです。
歴史を見ると、桐生市に負けず劣らず絹織物産業が盛んだったそうです。しかし桐生と比較すると、その産業の名残りも遺産もほとんど見つけることが出来ません。なので写真はひたすらスナック街が続きます。
工場労働者の街の名残りとしてスナックが点在しています。この辺りはかつて赤線地帯だったようで、カフェー建築の名残りも少し感じられます。
ベンダーコーヒー?知らないなぁ、ご当地飲料でしょうか。
桐生みたいに、いや、それ以上にノコギリ屋根の工場や煉瓦倉庫などが多く建っていた事でしょう。ただ伊勢崎市は、古い物はとっとと壊す体質なのでしょうか。
労働者の街だった証拠とも言える大衆食堂。
銭湯もあります。大正14年開業の寿美乃湯。
この非常に渋い老舗銭湯、午後3時開店のところまだ昼頃だったので、残念ながら入れませんでした。
古い建築物や観光資源を壊しまくっている伊勢崎市ですが、逆に現在は積極的な誘致によって郊外に広大な工場が建設され、製造品出荷額に於いてはスバルのお膝元の太田市に次いで県内第二位という、北関東有数の工業都市となっているとか。(Wikipedia参照)
閉業された純喫茶。しかし人口増加率は県内有数の伸びを示しているそうで、隣の太田市と僅かの差で県内3位争いをしているくらいだとか。工業都市といい人口増加といい、税収はかなり潤っているのでしょう。なので観光資源などに全然頼らなくてもいいと思うし、街をごっそり作り替える大々的な再開発も出来る訳です。
こちらも閉業された喫茶店。なんでも県道を西に進んだ伊勢崎オートレース場周辺に、近郊型店舗が多く出店しており発展しているそうです。いわゆる幹線道路沿い商業圏で、全国的にも特に自家用車の普及率が高い車社会の群馬県ならではと言った感じ。
そのため空洞化現象が甚だしい訳です。昼間に開いてる店がほとんど見当たらないのはおろか、歩く人影すら目にしない。交通量は凄いのに。
市内中心部を東西に横断する県道2号線です。右奥に見えるベイシアが巨大な駐車場を完備したショッピングモールです。地元の人は皆あそこで買い物するのでしょう。逆に県道沿いには風俗の無料案内所の看板が。
歓楽街と言えば町外れに固まってある物。しかしここでは県道沿いを中心に町中にキャバクラなどが乱立しています。本来なら様々な商店が並んでたところ、郊外型店舗の発展による空洞化現象で経営が悪化。子供は店を継がず勤めに出てしまい、高齢化による後継者不足で次々と店を畳む。空き店舗にキャバクラでも何でもテナントとして入ってくれれば家計が助かる。人口増加で若者は多いので風俗店などの需要は高い。駅周辺から追い出された風俗店も多いのか、結果街の中心街がキャバクラストリートと化す。これは隣の太田市の太田駅南口でも起こっているようです。
半分は想像も入ってますが、街を歩いて感じた事はこんなところでした。まぁ、それで経済が成り立っているんだから、何も悪いことは無いんですけどね。
本庄から1時間に2〜3本出ている路線バスで伊勢崎駅まで。しかし降りたら何も有りませんでした。
ちなみにここから都心に出るには東武伊勢崎線に乗るより、30分弱バスに揺られて本庄まで行き上野東京ラインに乗るのが一番安くて早いです。東京駅まで2時間半で2000円ちょい。通勤圏内では無いですが、高崎駅までは約30分です。
かつては駅前も栄えていたのでしょうか、しかし建造物を壊すだけ壊しまくった跡のような、ゴーストタウンのような雰囲気。
どうやら2015年に完了した駅の高架化事業と並行して、伊勢崎駅周辺第一土地区画整理事業という南口一帯の市街地丸ごと再開発があるそうで、1996年から2027年まで約30年の歳月と250億円の資金をかけて市が進めているようです。同時に密集住宅市街地整備促進事業として58億円が投じられており、また北口も範囲は狭いものの2028年までに83億円かけて開発が進んでいるとか。
そんな街に歴史遺産がポツリ。小学校の前に保存されている大正5年竣工の旧時報鐘楼です。元々ここ、駅の南西部一帯も第三次再開発事業が計画されましたが、住民の反対により見直しとなっているとか。しかし、まず何よりも人影を見かけないのです。
こちらは明治45年建造の旧・黒羽根内科医院旧館跡。昭和59年まで診療所として利用されていましたが、平成14年より文化財に指定され「いせさき明治館」として保存、公開されています。
近くに伊勢崎神社があります。健保元年(1213)創建され元徳元年(1329)新田義貞によって現在の地に遷したそうです。
立派な拝殿で上部には戦時中、中島飛行機(現在の富士重工業・スバル)の社員が奉納した木製のプロペラがあります。製造した航空機が戦地から無事に帰ってくる様にと祈願したもので、このプロペラは昭和7年(1932)より製造された、九〇式三号水上偵察機の物だそうです。
昭和10年に建てられた拝殿の奥の社殿は嘉永元年(1848)に造られたもので透かし彫りが見事。しかし、伊勢崎市のホームページで史跡として紹介されてないのです。どう言う事なのか。
伊勢崎駅の南側、中心街を横切る県道2号線に近づくにつれ再開発計画区域から外れたのか多少商店街が見え始めて来ます。とは言えシャッター商店街で廃業店舗しか目にしませんが。
県道2号線を超えた辺り、緑町界隈のスナック街。
かつては伊勢崎駅周辺にも飲食店街が多くあったでしょうが一掃され、しかし市の中心街である県道周辺には生き残っていると言う感じ。一度こう言うスナック街で地元の方に昔の話など聞いてみたいものです。
歴史を見ると、桐生市に負けず劣らず絹織物産業が盛んだったそうです。しかし桐生と比較すると、その産業の名残りも遺産もほとんど見つけることが出来ません。なので写真はひたすらスナック街が続きます。
工場労働者の街の名残りとしてスナックが点在しています。この辺りはかつて赤線地帯だったようで、カフェー建築の名残りも少し感じられます。
ベンダーコーヒー?知らないなぁ、ご当地飲料でしょうか。
桐生みたいに、いや、それ以上にノコギリ屋根の工場や煉瓦倉庫などが多く建っていた事でしょう。ただ伊勢崎市は、古い物はとっとと壊す体質なのでしょうか。
労働者の街だった証拠とも言える大衆食堂。
銭湯もあります。大正14年開業の寿美乃湯。
この非常に渋い老舗銭湯、午後3時開店のところまだ昼頃だったので、残念ながら入れませんでした。
古い建築物や観光資源を壊しまくっている伊勢崎市ですが、逆に現在は積極的な誘致によって郊外に広大な工場が建設され、製造品出荷額に於いてはスバルのお膝元の太田市に次いで県内第二位という、北関東有数の工業都市となっているとか。(Wikipedia参照)
閉業された純喫茶。しかし人口増加率は県内有数の伸びを示しているそうで、隣の太田市と僅かの差で県内3位争いをしているくらいだとか。工業都市といい人口増加といい、税収はかなり潤っているのでしょう。なので観光資源などに全然頼らなくてもいいと思うし、街をごっそり作り替える大々的な再開発も出来る訳です。
こちらも閉業された喫茶店。なんでも県道を西に進んだ伊勢崎オートレース場周辺に、近郊型店舗が多く出店しており発展しているそうです。いわゆる幹線道路沿い商業圏で、全国的にも特に自家用車の普及率が高い車社会の群馬県ならではと言った感じ。
そのため空洞化現象が甚だしい訳です。昼間に開いてる店がほとんど見当たらないのはおろか、歩く人影すら目にしない。交通量は凄いのに。
市内中心部を東西に横断する県道2号線です。右奥に見えるベイシアが巨大な駐車場を完備したショッピングモールです。地元の人は皆あそこで買い物するのでしょう。逆に県道沿いには風俗の無料案内所の看板が。
歓楽街と言えば町外れに固まってある物。しかしここでは県道沿いを中心に町中にキャバクラなどが乱立しています。本来なら様々な商店が並んでたところ、郊外型店舗の発展による空洞化現象で経営が悪化。子供は店を継がず勤めに出てしまい、高齢化による後継者不足で次々と店を畳む。空き店舗にキャバクラでも何でもテナントとして入ってくれれば家計が助かる。人口増加で若者は多いので風俗店などの需要は高い。駅周辺から追い出された風俗店も多いのか、結果街の中心街がキャバクラストリートと化す。これは隣の太田市の太田駅南口でも起こっているようです。
半分は想像も入ってますが、街を歩いて感じた事はこんなところでした。まぁ、それで経済が成り立っているんだから、何も悪いことは無いんですけどね。
変わった列車に乗るのが目的の知人が、夜のスワローあかぎに上野から前橋まで乗車してここに泊まり、翌朝1本しかない伊勢崎発のりょうもう号に乗車して戻ったと話していたので。
それにしても11/20の記事以降、街づくりについて考えさせられる訪問地が多いような。
衰退傾向の川治温泉に始まり、さらに大規模でどうしていいかわからない状態の鬼怒川温泉。
一方で、旧い建物を整備保存して訪問の動機づけにしている伊東に、一時期「時代遅れの温泉地」と言われながら見事に再生にむかいつつある熱海。
後者が、愚直に現場と向かい合っているのに対し、群栃(群馬・栃木県の略)は安易な方向に流されているようにも見えてしまいます。
(伊勢崎について言えば、こんなところに住みたいと思わないし、もし出身だったらいつか戻ろうとも思わないでしょう)
宇都宮の餃子や佐野ラーメンも、もともと広告代理店に街おこしを依頼した結果生み出されたもので、自然発生的なものでないと言われますし…喜多方が水がおいしいのが強みに対し、すぐ上流が葛生の石灰山では普通に考えたら無理が…。
(実際、佐野ラーメンが流行りだした直後、広告屋さんの専門誌に「街おこしは麺類」という特集が組まれていたのを見た記憶があります)