今回は埼玉県飯能市、飯能駅周辺を歩きました。飯能は観光地として川越と比べられがちですが、最近ではアニメ「山のススメ」の聖地として注目を集めてます。山のススメ以外でも今年の冬アニメ「弱キャラ友崎くん」の中でも名栗川上流域が夏合宿の舞台になったり。
かつてはセメント輸送の貨物ターミナルなどがありましたが、その敷地はだいぶ整備されました。1992年開業の駅ビルであるPePeにもかつては西武新宿同様にプリンスホテルがありましたが、現在では経営が変わりホテルヘリテイジ飯能となっています。
北口を西へ向かいます。駅の近くには軒数こそ減ったものの、ビジネス旅館が残っていました。
丸窓が有ったりモルタルの意匠が凝っていたりして、転業旅館か?などと一瞬思ってしまいますが詳細は不明。
こちらも渋いビジネス旅館。林業や毛織物産業、セメント鉱業などで発展して来た街なので、出張など多くのビジネスマンも訪れていたのでしょう。
中心街にはなかなか渋い建物も多く残っています。
おしゃれのさわや。商店街が元気だった頃の名残りです。
さらに西へ進むと土蔵造りの屋敷などが見え始めます。
棟瓦やうだつがやたら迫力満点な土蔵造りの「絹甚」は明治37年創業。もしこのような立派な建物が多く連なっていたら、川越みたいな観光地になってたのに。
土蔵造りだけでなく戦前の木造建築も残されています。こちらは閉業した歯科医。ただ大火もあったそうなので、一部と言った感じです。
こちらは大正11年建造の飯能織物協同組合事務所跡。一応史跡なんですが、あまり整備されていない様子。
商店街から南を流れる名栗川にかけて、かつて花街が広がっていました。こちらは現在鰻屋さんですが元は料亭で、二階三階に座敷などもあった様子。
裏手には庭園を望む欄干が。
こちらも花街の名残りとして残る料亭。明治期には芸妓さんが100名もいたそうです。
タオルを干している料亭の裏にはカフェーっぽい建物が。埼玉は廃娼県だったため赤線などの記録は残っておらず、このような所から推察するしかありません。
狭い路地裏スナック小路だった所が、片面解体されて駐車場になったため、陽光に晒されています。かつての花街はスナック街として栄えていたのでしょうが、現在では分譲住宅と駐車場で歯抜け状態です。
花街の南を流れる名栗川。その上流方向、西へ進み市街地が途切れる辺り。県道から河川敷に降りる道があります。
川沿いを歩いて行くと、バーベキュー用品のレンタルや食事、宴会なども出来るという、川遊びに来る観光客相手の橋本屋があります。東京Deep案内を始め多くのサイトで紹介されている物件ですが、平日だったためか閉まってます。暖かくなって来たし休日などには営業しているかも知れませんが、ここは手書き看板貼りまくりの推しの強い施設だとか。カラオケというのが気になります。レーザーカラオケとかハチトラとかだったらどうしよう。
名栗川から見た橋本屋。昭和の夏休みを感じさせる施設ですね。名栗川と言えば以前白岩石灰採掘所跡や廃村白岩集落などで上流域を訪れました。
上流側、左手を見ると、何やらバラック群が。
観光地としての名栗川沿岸に関係している建物でしょうか。
背後の崖の上に県道。なかなか微妙な立地条件ですが、ここは雰囲気から言って不法占拠とかそう言うのじゃないような気がします。
平家建てのように見えて実は二階建てだったり。
見上げれば県道沿いの傾斜地住宅が。思うに県道がちゃんと整備される前から、川沿いに住み着いていたのではなかろうか。
そんな謎を残しつつ、夏に来て見るのも良いかなと思いました。水、綺麗だし。
かつてはセメント輸送の貨物ターミナルなどがありましたが、その敷地はだいぶ整備されました。1992年開業の駅ビルであるPePeにもかつては西武新宿同様にプリンスホテルがありましたが、現在では経営が変わりホテルヘリテイジ飯能となっています。
北口を西へ向かいます。駅の近くには軒数こそ減ったものの、ビジネス旅館が残っていました。
丸窓が有ったりモルタルの意匠が凝っていたりして、転業旅館か?などと一瞬思ってしまいますが詳細は不明。
こちらも渋いビジネス旅館。林業や毛織物産業、セメント鉱業などで発展して来た街なので、出張など多くのビジネスマンも訪れていたのでしょう。
中心街にはなかなか渋い建物も多く残っています。
おしゃれのさわや。商店街が元気だった頃の名残りです。
さらに西へ進むと土蔵造りの屋敷などが見え始めます。
棟瓦やうだつがやたら迫力満点な土蔵造りの「絹甚」は明治37年創業。もしこのような立派な建物が多く連なっていたら、川越みたいな観光地になってたのに。
土蔵造りだけでなく戦前の木造建築も残されています。こちらは閉業した歯科医。ただ大火もあったそうなので、一部と言った感じです。
こちらは大正11年建造の飯能織物協同組合事務所跡。一応史跡なんですが、あまり整備されていない様子。
商店街から南を流れる名栗川にかけて、かつて花街が広がっていました。こちらは現在鰻屋さんですが元は料亭で、二階三階に座敷などもあった様子。
裏手には庭園を望む欄干が。
こちらも花街の名残りとして残る料亭。明治期には芸妓さんが100名もいたそうです。
タオルを干している料亭の裏にはカフェーっぽい建物が。埼玉は廃娼県だったため赤線などの記録は残っておらず、このような所から推察するしかありません。
狭い路地裏スナック小路だった所が、片面解体されて駐車場になったため、陽光に晒されています。かつての花街はスナック街として栄えていたのでしょうが、現在では分譲住宅と駐車場で歯抜け状態です。
花街の南を流れる名栗川。その上流方向、西へ進み市街地が途切れる辺り。県道から河川敷に降りる道があります。
川沿いを歩いて行くと、バーベキュー用品のレンタルや食事、宴会なども出来るという、川遊びに来る観光客相手の橋本屋があります。東京Deep案内を始め多くのサイトで紹介されている物件ですが、平日だったためか閉まってます。暖かくなって来たし休日などには営業しているかも知れませんが、ここは手書き看板貼りまくりの推しの強い施設だとか。カラオケというのが気になります。レーザーカラオケとかハチトラとかだったらどうしよう。
名栗川から見た橋本屋。昭和の夏休みを感じさせる施設ですね。名栗川と言えば以前白岩石灰採掘所跡や廃村白岩集落などで上流域を訪れました。
上流側、左手を見ると、何やらバラック群が。
観光地としての名栗川沿岸に関係している建物でしょうか。
背後の崖の上に県道。なかなか微妙な立地条件ですが、ここは雰囲気から言って不法占拠とかそう言うのじゃないような気がします。
平家建てのように見えて実は二階建てだったり。
見上げれば県道沿いの傾斜地住宅が。思うに県道がちゃんと整備される前から、川沿いに住み着いていたのではなかろうか。
そんな謎を残しつつ、夏に来て見るのも良いかなと思いました。水、綺麗だし。