青梅線の終点、奥多摩駅からバスで小河内ダムのダム湖である奥多摩湖へ行って来ました。
奥多摩湖北岸を走る国道411号線はら深山橋を渡り南岸へ。
更に三頭橋を渡り東へ歩いた所にある駐車場の前に階段があります。
その階段を登った所に、旧・奥多摩湖ロープウェイの三頭山口駅跡が残っています。
券売窓口。落書きされるなどで荒らされています。奥多摩湖の南岸と北岸を結ぶこの旧・小河内観光開発奥多摩湖ロープウェイは昭和37年3月開業。しかし数年後には先程の深山橋が完成し、それにより対岸へ簡単に渡れるようになったため利用客が激減。昭和41年12月、運転休止になるとそのまま再開されないまま、昭和50年には正式に休業となってしまいました。
こちらは改札口。ここは廃墟としてはかなりメジャーで、結構多くの人が訪れているようです。
あくまでも休業扱いという事から、索道や車両がそのまま残されています。
三頭山口駅跡に残っているのは「みとう号」。北岸の川野駅には「くもとり号」が残っています。
たった4年弱しか営業されず、55年間もの間、ここに放置されたままとなっています。
解体費用が掛かるからと言う理由で休業申請されたままなのでしょうか。奇跡的に解体を免れた結果、廃墟マニアの聖地のようになっています。
ちなみにロープウェイの動力や制御室などは、対岸の川野駅にあります。
こちらはトイレの跡。この三頭山口駅は三頭山の登山口として登山客たちを運びました。
しかし奥多摩湖の中間辺りに位置しているため特にこれと言った観光施設も無く、眺望としても微妙だったため観光資源にもなり得なかったようです。せめて山頂までのロープウェイであれば、また運命は変わっていたのかも知れません。
三頭山口駅の真下の駐車場に残る鉄塔。索道を張ったまま何の整備もされず、よく半世紀も耐え続けていると思います。
湖畔にはいくつもの廃業旅館が見られます。
奥多摩湖が観光地として栄えていた時代もあったのかも知れません。
こちらは北岸の川野駅近く。しかし残念ながら川野駅跡は私有地につき、現在では立ち入り禁止になっているそうです。心無い人や肝試しなんかで荒らされてしまったのかも知れませんね。
仕方ないので川野駅真下の鉄塔のみ撮影しました。
奥多摩湖北岸を走る国道411号線はら深山橋を渡り南岸へ。
更に三頭橋を渡り東へ歩いた所にある駐車場の前に階段があります。
その階段を登った所に、旧・奥多摩湖ロープウェイの三頭山口駅跡が残っています。
券売窓口。落書きされるなどで荒らされています。奥多摩湖の南岸と北岸を結ぶこの旧・小河内観光開発奥多摩湖ロープウェイは昭和37年3月開業。しかし数年後には先程の深山橋が完成し、それにより対岸へ簡単に渡れるようになったため利用客が激減。昭和41年12月、運転休止になるとそのまま再開されないまま、昭和50年には正式に休業となってしまいました。
こちらは改札口。ここは廃墟としてはかなりメジャーで、結構多くの人が訪れているようです。
あくまでも休業扱いという事から、索道や車両がそのまま残されています。
三頭山口駅跡に残っているのは「みとう号」。北岸の川野駅には「くもとり号」が残っています。
たった4年弱しか営業されず、55年間もの間、ここに放置されたままとなっています。
解体費用が掛かるからと言う理由で休業申請されたままなのでしょうか。奇跡的に解体を免れた結果、廃墟マニアの聖地のようになっています。
ちなみにロープウェイの動力や制御室などは、対岸の川野駅にあります。
こちらはトイレの跡。この三頭山口駅は三頭山の登山口として登山客たちを運びました。
しかし奥多摩湖の中間辺りに位置しているため特にこれと言った観光施設も無く、眺望としても微妙だったため観光資源にもなり得なかったようです。せめて山頂までのロープウェイであれば、また運命は変わっていたのかも知れません。
三頭山口駅の真下の駐車場に残る鉄塔。索道を張ったまま何の整備もされず、よく半世紀も耐え続けていると思います。
湖畔にはいくつもの廃業旅館が見られます。
奥多摩湖が観光地として栄えていた時代もあったのかも知れません。
こちらは北岸の川野駅近く。しかし残念ながら川野駅跡は私有地につき、現在では立ち入り禁止になっているそうです。心無い人や肝試しなんかで荒らされてしまったのかも知れませんね。
仕方ないので川野駅真下の鉄塔のみ撮影しました。