神田川が秋葉原の脇を過ぎて流れて行く辺り、右手に分岐する運河がかつて存在しました。今は埋め立てられてしまいましたが、区画がその痕跡を残しています。

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岩本町から日本橋方面へ。靖国通りと交差する所はかつて大和橋という橋でした。靖国通りの路面がアップダウンしているあたり、橋であった名残りがあります。

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その橋の下に当たる場所、現在では地下となっている所に大和ガレージと言う地下駐車場があります。見た目跡地かと思いきや車が入って行きました。駐車場として現役で使われているようです。

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江戸時代、運河として日本橋河岸の流通を支えて来た浜町川が明治16年に神田川まで延長され、その時に大和橋が架けられたそうです。

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浜町川跡に沿ってしばらく進むと衣類系の問屋街となります。明治大正と、運河の舟運を利用し発展したのでしょう。もしかしたら群馬の桐生や富岡から船で記事を運んで来たのかも知れません。

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しかしそれも昔の話。問屋の数もだいぶ減ってしまったようです。

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こちらも問屋さんですが、一階は韓国料理の屋台村となっています。

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暗渠とは違い完全に埋め立てられているため、かつての運河の上には細長い区間に合わせて立派なマンションが立ち並んでいます。しかしところどころ古い建物も。

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小料理屋の跡でしょうか。浜町川が最初に埋め立てられたのは関東大震災後。瓦礫と死体処分のために埋め立てたとか。その後戦後の昭和25年、完全に埋め立てられて運河は消滅したそうです。つまり運河跡地に建つこれらの建物は、ほぼ戦後建築と言うことになります。

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戦後のドサクサ、さらに震災後の死体が埋まってるかも知れない埋め立て地という、そう言った条件が重なってかバラックのような建物も多いです。周辺はとっくに開発されオフィス街となっていますが、逆にこの運河跡地は地権問題が複雑なため残っています。

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今回の目的地、久松町の再開発地区です。

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問屋橋商店街という、かつては多くの商店が並ぶ一画でしたが、現在は丸ごと解体を待つばかりで仮囲いに囲まれている状態。

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裏に廻ってみましょう。建物は背合わせの形で、路地裏に面して民家や飲食店などが。

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この一画は戦後日本橋周辺の屋台や露店が、さらに昭和30年代には八重洲の再開発に伴い立ち退きさせられた商店街の方々が、ここへ移転させられて来たそうです。

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つい最近までここは、都心でも特に激渋な路地裏飲み屋街でした。現役の頃に訪れて見たかったと後悔するばかり。