先月、旧・海軍茂原航空基地跡の掩体壕群を巡った際、最後に地下壕跡を探しに丘陵地まで足を伸ばしました。地下壕こそ竹藪に塞がれ発見出来ませんでしたが、道すがら素掘りの隧道と出会いました。
写真は先月、まだ暑い盛りに訪れた御領隧道。暗いし圧迫感あるしで、かなりビビってしまいました。
→Google MAP
千葉県に素掘りトンネルが多い事は知っていましたが、よくよく調べてみるとこの茂原市に密集している地域があることを知りました。そこで今回は特に密集している押日地区を訪れてみます。
立派な屋敷ですが廃屋でした。丘陵沿いには古くからの農家が点在していますが、過疎化や少子化などで離農される方も多いようです。押日地区は御領隧道があった豊田地区からゴルフ場のある丘陵を挟んだ西側。茂原駅から路線バスもあり訪れ易いです。
さて、隧道巡り開始します。バス通りである茂原街道から右手、北へと入ります。早速穴を目にしますが、これは倉庫か何かとして掘ったと思われる穴。房総半島は砂岩質が多く比較的簡単に掘削出来るため、古くから地元の方が自分で穴を掘りまくったという歴史があります。
まずは茂原市街地から見て一番奥に位置する国府関地区からアプローチする戸田谷隧道。建設推定時期は1923年。
→Google MAP
今回はヘッドランプを用意して来ましたがあまり役に立たず。やはりビビってしまいます。
天井が鋭角になっているのを観音掘りというそうです。
抜けると押日地区になります。素掘りトンネルは基本的には生活道や旧道などで道幅も狭く未舗装も多く、車で訪れると地元の方の邪魔になることもあるので自転車あるいは徒歩をお勧めします。
押日地区は水田地帯の中央の丘陵が新興住宅街として開発されています。
その新興住宅街を囲むように田園と丘陵沿いに点在する旧家。隧道はこの地区を取り囲む丘陵から放射状にいくつも存在します。
坊谷隧道へのアプローチ。道が途絶えており、とりあえず開けた谷の奥へと進んで見ます。
最奥部の藪の中に坊谷隧道発見!
いや、これいわゆる廃道じゃないっスか。無理!絶対無理!
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新興住宅街を右手に見ながら丘陵沿いの農村を茂原街道に向かって歩きます。すると左手に細田隧道へのアプローチが。
細田隧道発見。暗いなー。
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く、暗っ!
怖っ!
トンネルの途中にLEDの街灯があるけど、S字を描くトンネルは入り口からすでに夜みたいな暗さ。誰か探索に付き合ってくれないかなぁ。
出口付近には雪だるまみたいな簡素な道祖神様が。ちょっと可愛い。
細田隧道の南側出口。丘陵を越えた所も押日地区になります。
隧道の左上には八幡神社があり、左下から右上への斜路は隧道が出来る以前の旧道です。すでに廃道となった旧道も撮ったのですが、暗くて手ブレしてしまいました。
ひとまず猫に癒されます。
再び押日地区北側の丘陵を目指します。この先で道は二股に分かれ、左に後呂隧道、右に猪喰隧道が有ります。いずれも丘陵の向こう側、坊谷堰の水源から広がる水田地帯に抜けます。
まずは猪喰隧道へアプローチ。道の奥には闇溜まり。
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そのまま深い切り通し。く、暗れーっ!
太陽光が差していれば苔生した切り通しが綺麗だろうに、闇が深すぎてヘッドランプが何の意味も持たない!
こちらは左隣の後呂隧道。うん、短いし先が見えるし多少明るい。
→Google MAP
後呂隧道の坊谷堰側出口。明治〜大正期に完成と推定されるが詳細は不明。
坊谷堰側の水田地帯。押日集落から隧道を通って農作業をしに通っていたのでしょう。
押日第一第二分水と書いてあります。
押日集落から丘陵の下を水路が通っているのでしょう。
さて、こちらは猪喰隧道の坊谷側のアプローチ。
猪喰隧道坊谷側出口。
ええ、そうです。猪喰隧道のあまりの暗さにビビって通り抜けられなかったんですよ!
この猪喰隧道も明治〜大正期に完成と推定されています。
坊谷側を茂原街道に向かって下って行くと、右手に花立隧道へのアプローチ。
花立隧道。昭和10年頃に完成と推定されますが、すでに廃道となっております。抜けた先の押日側もえらい廃道なので、行きません。敬愛するサイトの「山いが」さんみたいなオブローダーじゃないし。そもそもこのブログのタイトルには散歩って書いてあるし!
→Google MAP
坊谷の水田地帯を下ると緑園台という新興住宅地があります。写真左手は押日側の丘陵地で、外側の造成地は建設が中断された模様。
その丘陵沿いに歩くと狸谷隧道が有ります。
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明治〜大正期に完成と推定。現在も生活道として使われているようで、途中にはLEDの街灯が。
フフン、余裕で通り抜ける。
……んー、何やってんだろ俺、ってちょっと思った。
狸谷隧道の押日側アプローチ。
押日側に出てすぐ右手には、先程坊谷側から見た廃道の花立隧道へのアプローチがあります。
アプローチったって廃道です。藪漕ぎは嫌いですが、これくらい背が低ければ行ける。
ぐはっ。そりゃ通り抜けられないさ。花立隧道の押日側出口。
このまま押日側に出ると次に訪れる隧道へ遠回りになるため、再び狸谷隧道を通り坊谷側へ戻ります。
緑園台住宅から茂原街道に向かう丘陵沿いの道には、いくつかの謎のアプローチがあります。隧道ではなく丘陵の上を乗り越える廃道でしょうか。
やがて右手に見えて来た野本隧道へのアプローチ。
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ハイ。廃道ー。抜けた先はエラい事になってます。
抜けた先の左手の竹藪をガシガシ登って行くと木生坊隧道があるそうですが、行きません。木生坊隧道の坊谷側出口も探して見ましたが、怪しい箇所こそあるもののジャングル状態だったので断念しました。
そんな訳で8箇所の隧道を巡って来ましたが、冬の晴れた日なんかの方が良かったのかもしれません。
今回は途中パラパラと小雨に見舞われるような曇り空で、昼下がりにも関わらず夕方ぐらいの暗さがありましたが、それを差し引いても陰鬱とした雰囲気がありました。この雰囲気だけで何の根拠も無く心霊スポットとされる場所は多く存在しますが、湿気が多く苔むしており、なおかつ切り通しによる圧迫感は恐怖心を煽ります。自分がただのビビリィなだけかも知れませんが、房総半島の雰囲気って他の地域と違った独特な雰囲気があるのは確かです。
写真は先月、まだ暑い盛りに訪れた御領隧道。暗いし圧迫感あるしで、かなりビビってしまいました。
→Google MAP
千葉県に素掘りトンネルが多い事は知っていましたが、よくよく調べてみるとこの茂原市に密集している地域があることを知りました。そこで今回は特に密集している押日地区を訪れてみます。
立派な屋敷ですが廃屋でした。丘陵沿いには古くからの農家が点在していますが、過疎化や少子化などで離農される方も多いようです。押日地区は御領隧道があった豊田地区からゴルフ場のある丘陵を挟んだ西側。茂原駅から路線バスもあり訪れ易いです。
さて、隧道巡り開始します。バス通りである茂原街道から右手、北へと入ります。早速穴を目にしますが、これは倉庫か何かとして掘ったと思われる穴。房総半島は砂岩質が多く比較的簡単に掘削出来るため、古くから地元の方が自分で穴を掘りまくったという歴史があります。
まずは茂原市街地から見て一番奥に位置する国府関地区からアプローチする戸田谷隧道。建設推定時期は1923年。
→Google MAP
今回はヘッドランプを用意して来ましたがあまり役に立たず。やはりビビってしまいます。
天井が鋭角になっているのを観音掘りというそうです。
抜けると押日地区になります。素掘りトンネルは基本的には生活道や旧道などで道幅も狭く未舗装も多く、車で訪れると地元の方の邪魔になることもあるので自転車あるいは徒歩をお勧めします。
押日地区は水田地帯の中央の丘陵が新興住宅街として開発されています。
その新興住宅街を囲むように田園と丘陵沿いに点在する旧家。隧道はこの地区を取り囲む丘陵から放射状にいくつも存在します。
坊谷隧道へのアプローチ。道が途絶えており、とりあえず開けた谷の奥へと進んで見ます。
最奥部の藪の中に坊谷隧道発見!
いや、これいわゆる廃道じゃないっスか。無理!絶対無理!
→Google MAP
新興住宅街を右手に見ながら丘陵沿いの農村を茂原街道に向かって歩きます。すると左手に細田隧道へのアプローチが。
細田隧道発見。暗いなー。
→Google MAP
く、暗っ!
怖っ!
トンネルの途中にLEDの街灯があるけど、S字を描くトンネルは入り口からすでに夜みたいな暗さ。誰か探索に付き合ってくれないかなぁ。
出口付近には雪だるまみたいな簡素な道祖神様が。ちょっと可愛い。
細田隧道の南側出口。丘陵を越えた所も押日地区になります。
隧道の左上には八幡神社があり、左下から右上への斜路は隧道が出来る以前の旧道です。すでに廃道となった旧道も撮ったのですが、暗くて手ブレしてしまいました。
ひとまず猫に癒されます。
再び押日地区北側の丘陵を目指します。この先で道は二股に分かれ、左に後呂隧道、右に猪喰隧道が有ります。いずれも丘陵の向こう側、坊谷堰の水源から広がる水田地帯に抜けます。
まずは猪喰隧道へアプローチ。道の奥には闇溜まり。
→Google MAP
そのまま深い切り通し。く、暗れーっ!
太陽光が差していれば苔生した切り通しが綺麗だろうに、闇が深すぎてヘッドランプが何の意味も持たない!
こちらは左隣の後呂隧道。うん、短いし先が見えるし多少明るい。
→Google MAP
後呂隧道の坊谷堰側出口。明治〜大正期に完成と推定されるが詳細は不明。
坊谷堰側の水田地帯。押日集落から隧道を通って農作業をしに通っていたのでしょう。
押日第一第二分水と書いてあります。
押日集落から丘陵の下を水路が通っているのでしょう。
さて、こちらは猪喰隧道の坊谷側のアプローチ。
猪喰隧道坊谷側出口。
ええ、そうです。猪喰隧道のあまりの暗さにビビって通り抜けられなかったんですよ!
この猪喰隧道も明治〜大正期に完成と推定されています。
坊谷側を茂原街道に向かって下って行くと、右手に花立隧道へのアプローチ。
花立隧道。昭和10年頃に完成と推定されますが、すでに廃道となっております。抜けた先の押日側もえらい廃道なので、行きません。敬愛するサイトの「山いが」さんみたいなオブローダーじゃないし。そもそもこのブログのタイトルには散歩って書いてあるし!
→Google MAP
坊谷の水田地帯を下ると緑園台という新興住宅地があります。写真左手は押日側の丘陵地で、外側の造成地は建設が中断された模様。
その丘陵沿いに歩くと狸谷隧道が有ります。
→Google MAP
明治〜大正期に完成と推定。現在も生活道として使われているようで、途中にはLEDの街灯が。
フフン、余裕で通り抜ける。
……んー、何やってんだろ俺、ってちょっと思った。
狸谷隧道の押日側アプローチ。
押日側に出てすぐ右手には、先程坊谷側から見た廃道の花立隧道へのアプローチがあります。
アプローチったって廃道です。藪漕ぎは嫌いですが、これくらい背が低ければ行ける。
ぐはっ。そりゃ通り抜けられないさ。花立隧道の押日側出口。
このまま押日側に出ると次に訪れる隧道へ遠回りになるため、再び狸谷隧道を通り坊谷側へ戻ります。
緑園台住宅から茂原街道に向かう丘陵沿いの道には、いくつかの謎のアプローチがあります。隧道ではなく丘陵の上を乗り越える廃道でしょうか。
やがて右手に見えて来た野本隧道へのアプローチ。
→Google MAP
ハイ。廃道ー。抜けた先はエラい事になってます。
抜けた先の左手の竹藪をガシガシ登って行くと木生坊隧道があるそうですが、行きません。木生坊隧道の坊谷側出口も探して見ましたが、怪しい箇所こそあるもののジャングル状態だったので断念しました。
そんな訳で8箇所の隧道を巡って来ましたが、冬の晴れた日なんかの方が良かったのかもしれません。
今回は途中パラパラと小雨に見舞われるような曇り空で、昼下がりにも関わらず夕方ぐらいの暗さがありましたが、それを差し引いても陰鬱とした雰囲気がありました。この雰囲気だけで何の根拠も無く心霊スポットとされる場所は多く存在しますが、湿気が多く苔むしており、なおかつ切り通しによる圧迫感は恐怖心を煽ります。自分がただのビビリィなだけかも知れませんが、房総半島の雰囲気って他の地域と違った独特な雰囲気があるのは確かです。
幼い頃から掩体壕や手彫りのトンネルを遊び場にしていた者としては、なんだか嬉しい気持ちになりました!