連休が暇なので押入れをひっくり返し、昔の写真をいくつか引っ張り出しました。探せばもっと色々出て来そうですが、いちばん自由に旅をしていたのはやはり専門学校生時代。高卒で上京し最も時間を自由に使えた1988〜1989年頃。折しも国鉄分割民営化の時代です。

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真冬の津軽鉄道へストーブ列車を撮りに行きました。

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もう30年以上も前。当時は自宅アパートを暗室にしてモノクロの現像からプリントまでやってました。

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日本海側の冬は雪が真横から打ち付けると、この時初めて知り衝撃的だったのを覚えています。

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恐らくは五所川原駅かと思われますが、もはや記憶も曖昧。

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キハ22やナハフ1200など今では超貴重な車両たちも写り込んでいますが、なんでちゃんと撮って無かったかなぁ。

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津軽鉄道のストーブ列車は現在でも現役で走り続けていますが、利用客の服装や雰囲気なんかは昭和の匂いがします。

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この頃は本気でジャーナリスト目指してたなぁ。

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当時まだ19歳かそこいら。若かった。

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津軽弁がほぼ外国語だったのもこの時初めて知った。

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久々に訪れてみたいです。相変わらず何もないでしょうが。

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こちらは下北半島、1994年に廃止となった日鉄鉱業尻屋崎専用線。鉱山から港まで石灰石を運んでました。鉄チャンとしてもセレクトが渋い。廃止寸前の物を記録として残しておきたいと言う気持ちが強かった。

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こちらは南部縦貫鉄道のレールバス。

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1997年に営業休止、2002年正式に廃止となりました。

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野辺地駅。今では防雪林が残るのみで、ホームは跡形も無くなっています。

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このバスみたいな運転席。タブレットも健在でした。

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乗客は自分以外、地元の方が1人。この頃からもはや赤字ローカル線でした。

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終点の七戸駅。廃止後、保存会によって七戸駅跡にて動態保存されているとか。

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沿線には牧場ぐらいしか無かった覚えが。この何も無さが好きでした。

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ここは廃線跡巡りでまた訪れてみたいです。

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最後に岩手開発鉄道。

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現在でも貨物専用線として運行されていますが、1992年に旅客運行が廃止。

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この頃は日頃市小学校及び中学校への通学で利用されていましたが、少子化の波で廃止となったのでしょう。

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訪れた当時、小学校の社会科見学でしょうか、日頃市の駅員さんが子供たちに何か説明していました。

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この子供たちもどれだけ地元に残り、どれだけ上京してしまったか。

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鉱山は大船渡市の内陸部なので津波の被害こそ有りませんでしたが、石灰石を積み出す大船渡港周辺の線路は甚大な被害に遭われました。現在では線路も復旧し専用線として運行されていますが、震災後の人口減少も相当進んでいる事でしょう。

今回は岩手青森の写真をデジタル化しましたが、押入れを探せばまだまだ古い写真が出て来ると思います。