現在旧能登線のルートを代替バスが走っており駅の無かった集落にもバス停が出来て、結果的には大量輸送出来ない代わりに利便性が向上したのかも知れません。
こちらは波並駅跡。海沿いの駅で桜並木も見事。
無人駅ですが、もし鉄道が走っていれば素晴らしいロケーションです。
待合室も当時のまま残っていました。富山湾沿岸の内浦地区が波も穏やかで、海岸線ギリギリを道路と線路が走っていました。ただ漁村の背後には山が迫り、このような地形ゆえに道路の拡張が難しく、一部の地域では未だに1車線道路のまま。その頃はまだ鉄道の利用価値も高かったのですが、山間部に道幅の広いバイパスが開通すると、穴水や金沢方面への人の流れが変わり、鉄道廃止の一因となりました。
波並駅跡と藤波駅跡の間、跨線の下に廃車両が打ち捨てられています。
この車両、NT123形気動車は元々宇出津駅に留置されていた物を、宇出津駅構内の線路の撤去、並びに構内の再開発に伴い、線路の続く限り移動されてこの場所に辿り着いたとか。辛うじて雨をしのげる跨線下を選んだのは、頑張って来た車両に対するせめてものはなむけでしょうか。
車両の脇には2003年に開業した能登空港の広告。のと鉄道廃止までの1年半、貼られ続けていたという事でしょうか。羽田から1日2便直行便が発着することで、奥能登の発展を夢に見ていた事でしょう。
こちらは宇出津駅跡。現在は図書館や公民館などが入るコミュニティセンターが跡地に新設されています。
宇出津駅跡より珠洲方面に少し歩くと、トンネルの跡が残っています。
こちらは珠洲にも近い鵜飼駅跡。現在駅舎はカフェとして再利用されています。
鵜飼駅跡のプラットホーム。桜が咲き誇っていました。
待合席の跡も残っています。のと鉄道の遺構はほぼ全ての駅がこのような形で残っております。
こちらは珠洲駅跡。現在すずなり館としてバスターミナル、お土産店、観光案内所などが入り、奥能登の観光拠点となっています。
ホームと線路は当時のまま。廃線跡では大抵全ての線路が撤去され再利用されているのですが、ここは鉄道が走っていた事を記憶しておこうと保存されています。
駅名表示板が国鉄時代の物でしょうか。
正院駅と終点の蛸島駅の間、一両の車両が佇んでいます。
この車両、NT102形気動車はNPO法人のとレール・エア21に譲り受けられ、2007年を目処に体験運転の出来る動態保存を目指していました。しかし資金難やスタッフ不足によるのでしょうか、見ての通り朽ち果てております。
しかし2019年12月、石川県珠洲市にある石川県立飯田高等学校が授業の中で行っている探究型学習「ゆめかなプロジェクト」で、「廃列車カフェを開こう!」を目標に集まった生徒達が企画し、草刈りや車内清掃などをして、二日間限定で廃列車カフェを開催しました。今年2020年4月、第2回廃列車カフェを計画していましたが、新型コロナウイルスの影響で延期。現在のこのウイルスが沈静化し元の生活が戻って来た折には、ぜひまた実現して欲しいものです。
最後に終着駅の蛸島駅跡。
珠洲市の東の外れにある小さな漁村で、ここより北東には小さな漁村と能登半島の先端、禄剛崎しかありません。まさに最果ての街。
ここにも見事な桜が。のと鉄道能登線沿線の多くの駅には桜が植えられており、もし鉄道が走っていたら花見列車として立派な観光資源となった事でしょう。
こちらは波並駅跡。海沿いの駅で桜並木も見事。
無人駅ですが、もし鉄道が走っていれば素晴らしいロケーションです。
待合室も当時のまま残っていました。富山湾沿岸の内浦地区が波も穏やかで、海岸線ギリギリを道路と線路が走っていました。ただ漁村の背後には山が迫り、このような地形ゆえに道路の拡張が難しく、一部の地域では未だに1車線道路のまま。その頃はまだ鉄道の利用価値も高かったのですが、山間部に道幅の広いバイパスが開通すると、穴水や金沢方面への人の流れが変わり、鉄道廃止の一因となりました。
波並駅跡と藤波駅跡の間、跨線の下に廃車両が打ち捨てられています。
この車両、NT123形気動車は元々宇出津駅に留置されていた物を、宇出津駅構内の線路の撤去、並びに構内の再開発に伴い、線路の続く限り移動されてこの場所に辿り着いたとか。辛うじて雨をしのげる跨線下を選んだのは、頑張って来た車両に対するせめてものはなむけでしょうか。
車両の脇には2003年に開業した能登空港の広告。のと鉄道廃止までの1年半、貼られ続けていたという事でしょうか。羽田から1日2便直行便が発着することで、奥能登の発展を夢に見ていた事でしょう。
こちらは宇出津駅跡。現在は図書館や公民館などが入るコミュニティセンターが跡地に新設されています。
宇出津駅跡より珠洲方面に少し歩くと、トンネルの跡が残っています。
こちらは珠洲にも近い鵜飼駅跡。現在駅舎はカフェとして再利用されています。
鵜飼駅跡のプラットホーム。桜が咲き誇っていました。
待合席の跡も残っています。のと鉄道の遺構はほぼ全ての駅がこのような形で残っております。
こちらは珠洲駅跡。現在すずなり館としてバスターミナル、お土産店、観光案内所などが入り、奥能登の観光拠点となっています。
ホームと線路は当時のまま。廃線跡では大抵全ての線路が撤去され再利用されているのですが、ここは鉄道が走っていた事を記憶しておこうと保存されています。
駅名表示板が国鉄時代の物でしょうか。
正院駅と終点の蛸島駅の間、一両の車両が佇んでいます。
この車両、NT102形気動車はNPO法人のとレール・エア21に譲り受けられ、2007年を目処に体験運転の出来る動態保存を目指していました。しかし資金難やスタッフ不足によるのでしょうか、見ての通り朽ち果てております。
しかし2019年12月、石川県珠洲市にある石川県立飯田高等学校が授業の中で行っている探究型学習「ゆめかなプロジェクト」で、「廃列車カフェを開こう!」を目標に集まった生徒達が企画し、草刈りや車内清掃などをして、二日間限定で廃列車カフェを開催しました。今年2020年4月、第2回廃列車カフェを計画していましたが、新型コロナウイルスの影響で延期。現在のこのウイルスが沈静化し元の生活が戻って来た折には、ぜひまた実現して欲しいものです。
最後に終着駅の蛸島駅跡。
珠洲市の東の外れにある小さな漁村で、ここより北東には小さな漁村と能登半島の先端、禄剛崎しかありません。まさに最果ての街。
ここにも見事な桜が。のと鉄道能登線沿線の多くの駅には桜が植えられており、もし鉄道が走っていたら花見列車として立派な観光資源となった事でしょう。