かつて北前船が流通の主役だった時代より鉄道の時代へと移り変わり、能登半島は果ての地となってしまいました。しかし鉄道網の発展により1935年、北陸本線の津幡より外洋に面する輪島へ至る国鉄七尾線が全線開通。その後富山湾に面する内浦地区の各漁村を結ぶべく、穴水より枝分かれして蛸島へと至る国鉄能登線が1964年に全線開通した。

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しかし人口減少や自家用車の普及に伴い赤字路線となり廃止の危機を迎えるも、国鉄がJRへと分割民営化された後の1988年、和倉温泉以北の七尾線と能登線は第三セクター形式での存続が決定。のと鉄道が発足する。写真は現在の穴水駅構内。

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当初のと鉄道は運転本数を増やすことで利便性を向上させ黒字経営に転じさせた。しかし半島の中央などに道路が整備され、モータリゼーションに少子化や過疎化の波が追い打ちをかけた結果、2001年には穴水〜輪島間が、2005年には穴水〜蛸島間が廃止されてしまいました。かつて観光列車として活躍したのと恋路号が、蛸島方面へと向かうホーム跡に留置されたまま。しかし車両はイベント会場等に再利用されています。

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今より32年前、当時19歳だった私はJR能登線からのと鉄道へと変換する場面に立会いました。写真は1988年3月24日、JR能登線最後の日。当時写真の専門学校生だった私は自分で現像やプリントをするため、モノクロ中心で撮影していました。

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どこで撮影したか記憶が定かではないのですが、藤波〜波並付近かと思われます。

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今回はその旧・のと鉄道能登線の廃線跡を巡っていきます。

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まずは沖波駅跡。無人駅でしたが待合室が残されています。

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線路の下をくぐる坂道の途中から待合室の脇を通っていきます。

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1988年3月25日、のと鉄道開業の日は地元の子供たちによる駅伝大会が催されていました。

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階段を昇ればプラットホーム。

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皆、手に手に小旗を振って新しい列車を歓迎していました。

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現在の姿がこちら。廃止より15年の月日が経ち、竹藪に覆われてしまいました。

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酔っ払ったお父さんがホームで踊り出す。当時は地域住民の方々がお祭り騒ぎで開業を祝っていました。

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今では列車も来なければ人も来ない、忘れ去られたプラットホーム。

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子供達は都会に出て老人達は亡くなられ、人々の記憶からも風化して行く。私自身も当時どこの駅で撮影したか思い出せず、ネットの画像から恐らくここだろうと予想して訪れました。

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こちらは矢波駅跡。海と集落を隔てる線路の盛り土が、堤防のようになっています。

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ホームに昇れば見事な桜並木。

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入学シーズンには新入生の子供達を送り出して行ったことでしょう。

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奥能登の未来を築くのと鉄道。残念ながらその役目は鉄道には果たせず。

後編につづく。