大正10年に開設された土浦航空基地は、元々は霞ヶ浦航空隊の水上機班の施設であり霞ヶ浦航空基地の一部でした。元々昭和5年に横須賀海軍航空隊で発足した予科練が昭和14年ここに移設。昭和15年、水上機教育が南東沿岸に完成した美浦村の基地に移転したことにより、ここに予科練の教育を担当する土浦航空隊が置かれ、後、終戦に至るまで全国へと拡大していった予科練の中枢を成す事となります。

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霞ヶ浦の畔 、土浦海軍航空隊予科練跡地に陸上自衛隊土浦駐屯地とそれに隣接して予科練平和記念館があります。予科練とは航空隊の兵士を育成する機関で正式には予科練習生という。

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中は撮影禁止ですが数多くの資料が展示されており、当時の雰囲気が伝わって来ますし、とても勉強になります。特に印象に残ったのは、当時の若者は世界恐慌の影響で貧窮した経済状況の中、タダで学校に通えて軍隊に入れば家にもお金が入るという、実に現実的な事情で地方の農家の男子達が予科練の狭き門を目指していたという事。お国の為という以前に家の為、家族の為という辺りが実にリアルです。

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敷地には零戦の実物大レプリカが展示されています。戦争末期には鹿児島の知覧や去年訪れた香取海軍航空基地より、予科練出身の若者達が飛び立って行きました。またここでは以前訪れた神之池航空基地と同時期に決戦兵器桜花の訓練もされていました。

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特攻で多くの命と航空機を失った帝国海軍は、回天という特攻兵器を造りました。いわゆる人間魚雷ですが、こちらは実物大レプリカ。ちなみに回天については山口県や大分県などに訓練基地があり、予科練卒業後に配属されて行った。

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予科練平和記念館の北側、現在の陸上自衛隊土浦駐屯地。

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敷地内には予科練当時の医務課棟が残っています。敷地内を見学する事も可能ですが、二カ月以上前までに書類を送付して事前予約をしなければなりません。

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敷地内には歴代の自衛隊車両が数多く展示されています。いつか機会があれば中にも入って見たい所ですが、桜の季節に一般開放されたとか。すでに遅し。

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ただ敷地内には予科練出身者の方々によって建てられた記念館、雄翔館があります。こちらは自由に入れて入館無料。建物の前には山本五十六元帥の像があります。

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こちらは特に撮影禁止と書かれてませんが、館内には手紙や寄せ書きなど貴重な資料が展示されています。こちらは海軍の特攻船震洋の模型。木製のモーターボートにトヨタのトラックのエンジンと爆弾を積んで突っ込むという物です。桜花や回天と比べてなんと原始的ですが、昭和19年5月に試作1号艇が完成し8月に兵器として採用され10月下旬のレイテ沖海戦に投入された事から、神風特別攻撃隊より半年以上前に、震洋の開発は完了していたことになります。(wikipedia参照)

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終戦が近づき物資が本気で無くなって行くにつれ、特攻兵器はその狂気を増して行きます。そしてその最終形態とも言える物が、この伏龍。もはや決戦兵器もただの潜水服となってしまいました。伏龍隊は横須賀で訓練を重ねていましたが、幸いにも出撃する前に終戦を迎えました。ただこの潜水服が欠陥品で、訓練中に命を落としてしまった若者が多くいたそうです。

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陸上自衛隊土浦駐屯地の約3キロ北西、内陸部に航空自衛隊霞ヶ浦駐屯地があります。こちらは土浦航空基地よりも前の大正8年に完成した、旧霞ヶ浦海軍航空基地の跡地となります。当時は東洋一の航空基地とも称されていたとか。

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基地の周辺にはいくつかの遺構が残されています。その一つで20基造られた掩体壕の内、唯一現存するものです。

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一応解説板は有りますが、いかんせん一般住宅の敷地内なので、なかなか近くには行けません。

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こちらは土浦航空基地での訓練等で殉職された方々を祀った慰霊碑。

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元々この場所には慰霊のため大正14年に霞ヶ浦神社が建立されましたが、終戦時に取り壊されてしまいました。そこで慰霊碑が建てられたと。

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フタムラ化学及び三菱化学のあるこの敷地は、かつて中島飛行機若栗工場だったそうです。

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工場の前の直線は霞ヶ浦航空基地への誘導路跡。

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ヰセキの工場敷地内では基地の格納庫がそのまま使われています。煉瓦造りの格納庫、近くで撮りたい。

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その敷地には戦闘指揮所の跡も有ります。こちらは外周道路沿いなので、なんとか撮れました。

霞ヶ浦航空基地は霞ヶ浦海軍航空隊の陸上機のための基地であり、水上機のために土浦航空基地が建設されてました。しかし横須賀より予科練が移転して来たため、水上機の基地は南東の美浦村、江戸崎の北の岬に移転し、その後鹿島海軍航空隊と改名されました。次回はその水上機基地の跡地を巡ります。